2006年03月12日
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手錠の音
 殺人狂入江三郎を護送した巡査に聞くと、三郎の両手を縛るのに革製の手錠を穿《は》めると、彼は手首を前後に振つてみて、革の裏表がきゆつくと擦れて鳴る音にじつと耳を引立《ひつた》ててゐる。そして、
 「これは好い音がする、やつぱり手錠は革に限りますな。」
と、その手錠を娯む色が見える。
 革製の手錠を試しに金属製のに取換へてやると、矢張同じやうに手首をかちく鳴らせてみて、
 「うむ、これも好い音がする。なか/\好い手錠だ。」
と、骨董好きが古渡《こわた》りの茶盤《ちやわん》でも見るやうな、うつとりした眼つきで自分の手首に穿《はま》つた手錠に見惚《みと》れてゐる。
 今度はその手錠を解《ほど》いて麻縄で縛つてみると、三郎は以前と同じやうに手首を振つてゐたが、急に険《けは》しい眼附《めつき》になつて、
 「何《なん》にも音がしない、こんな手錠は厭だ。」

 手錠といふと、数年前|西伯利亜《シベリア》の監獄にゐる或る囚徒が本国の文豪ゴリキイに手錠を一つ送つて寄《よこ》した。自分が牢屋で持《こさ》へた記念品だから、遠慮なく納めて呉れと言つた。
 牢屋で持《こさ》へる物にも色々ある。そのなかで手錠は少し気味が悪かつたし、加之《おまけ》に銀貨や女の鼻先と同じやうに手触《てさはり》が冷た過ぎた。だが、旋毛《つむじ》曲りのゴリキイは顔を蟹めてそれを受取つた。そして新聞紙でそのお礼状を発表した。
 お礼状の文句に「露西亜は詰らぬ凡人を西伯利へ送るが、西伯利亜からはドストイエフスキイ、コロレンコ、メルシンなどいふ偉い男が帰つて来た。多分将来もそんな事だらう。」といふ一節があつた。





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最終更新日  2006年04月16日 21時14分11秒
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