2006年03月13日
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増田|義《ぎ》一
 自動車に乗る人は多いが、実業の日本社の増田義一氏ほどそれを上手に使ひこなす人も少い。増田氏は西洋へ往つて、頭のなかに何も入れて来なかつた代りに、新型の自動車を一台買ひ込んで来た。
 増田氏は朝早く自宅《うち》を出る時には、いつも背広に中折帽《なかをれぼう》といふ身軽な扮装《いでたち》で、すつと自動車のなかに乗込む。そして南紺屋町の社へ駈けつけると、蹊蛛《ばつた》のやうに車を飛び出し、二つ三つ指図をして、やがてまたゆつたりと自動車の人となる。
 増田氏は雑誌社を経営してゐる他に、色々な会社へ頭を突込んでゐる。自慢の自動車が獣《けもの》のやうな声を立てて、関係会社の前へ来て止まると、増田氏は扉《ドア》のなかから、山高《やまだか》にモーニングといふ扮装《いでたち》ですつと出て来る。
 居心地のいゝ会社の椅子に暫くモーニングの背《せな》を凭《もた》らせて、こくりくお定《きま》りの居睡《ゐねむり》をすると、増田氏は大きな欠伸《あくび》をしい/\のつそりと立ち上る。そして一《いつ》ぱし立派な仕事を遣《や》つてのけた積りで、上機嫌で受附のぽんく時計にまで会釈をしながら、のつそり自動車に乗り込む。
 それから二十分経つて、増田氏の自動車がある宴会の式場へ横づけになると、氏はいつの間にか婦人雑誌の口絵から抜け出して来たやうな絹帽《シルクハット》にフロツクコートといふ、りうとした身装《みなり》で、履音《くつおと》軽く扉《ドァ》のなかから出て来る。
 「まるで活動役者のやうな早業《はやわざ》ぢやないか。」
とそれを見た或人が不思議がつて訊くと、増田氏はその男を態々《わざ/\》自動車へ引張り込んで、衣裳箱《スウツケよ》から料紙インキ壷の特別装置まで、自慢さうに説明して聞かせたさうだ。
 結構な自動車さ。こんな自動車に乗つて、一度天国へでも往つたらどんなものだらうて。





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最終更新日  2006年04月16日 21時18分02秒
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