2006年03月18日
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高い塔
 東京美術学校で西洋美術史を受持つてゐる森田亀之助といふ人がゐる。一体美術史の講義をする人に画《ゑ》の解る人は少いものだが、森田氏はそのなかで可なりよく解る方だ。
 森田氏が美術学校の学生に口頭試驗をやつた事がある。その時一人の学生の順番になつた。その学生は級《クラス》のなかで画の上手として聞えてゐた男だつた。
 森田氏は厳《しかつ》べらしい口をして訊いた。
 「君はバビロンの塔を知つてますか。」
 学生はそんな物はてんで頭にも置いてゐないらしく即座に返事をした。
 「知りませんよ、バビロンの塔だなんて。」
 「何かの本に無かつたですか。」
 森田氏は自分の講義録にあつたのを思ひ出させようとして、態《わざ》と「本」といふ語《ことば》に力を入れて言つた。

 学生はきつぱり答へた。
 森田氏は少し狼狽気味《うろたへきみ》になつた。
 「誰かに聴いた事はありませんか、学校の講堂か何処かで。」
 「ありませんな。」と学生は蒼蝿《うるさ》さうに言つた。「先生、私は画家《ゑかき》ですが、バビロンの塔なんか知らなくても画は描けると思ひます。私はまた基督教信者ですが、そんな塔なぞ知らなくても天国へ往《ゆ》けると思ひます。」
 森田氏は履刷毛《くつばけ》で鼻先を撫下《なで ろ》されたやうな顔をした。成程考へてみると、自分はバビロンの塔を知つてゐるが、それを知つてゐるからと言つて画は巧《うま》く描《か》けさうにも思へない。それに迹《とて》も天国へまで往《ゆ》けさうにも思へなかつた。森田氏は試験はこの儘で止《や》めようかとも思つたが、尋《つい》でに今一つ訊いてみた。
 「だが、まあ考へてみたまへ、バビロンの塔だよ、塔といふからには……」
 学生は漸《やつ》と思ひ出したらしく、急ににこ/\して、
 「いや解りました。塔といふからには高い建築物です。恰《ちやう》ど浅草の十二階のやうな-・…」
 「さうだ/\、よく覚えてゐたね。」
 二人は寒山《かんざん》と拾得《じつとく》のやうに声を合せて笑つた。





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最終更新日  2006年04月19日 20時48分52秒
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