2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全5件 (5件中 1-5件目)
1
ガンになると言われているそうだ。今日は、帰宅後、いつものようにニュース番組を見ていた。私は6時過ぎから(スポーツコーナーの前)各局がやる、特集のコーナーが大好き。朝は、日テレのズームインを見ているので、そのまま帰宅後もテレビをつけると日テレなんだけど、だいたい、この特集の時間になるとチャンネルをかちゃかちゃやって、今日は、どの局の特集がおもしろいかな、と見極める。それで、今日は、かちゃかちゃやる事もなく日テレ。「ガン治療」に関しての特集をやっていた。私は、かなりの病気マニアだ。臨床検査技師の母の影響も多大にあるが、家族の病気を何度も近くで見ていた事と、中学の頃から、よく友達の家で家庭の医学を読んでいた事がそうさせたのだろう。今では、血液検査の結果なんかも見ると分るし、最近新しく分るようになったのは、心電図の見方。おかげで、一時、病気恐怖症のようなところもあったが、こうゆう症状が出ると、この病気だ!とか検討がついてしまう為、すぐに、自分が調子悪くなると、あの可能性があるかも、とか考え怖くなる。ただし、病気マニアでも、病院嫌いなので、病院には行かない。で、本題に戻って、今日の特集だが、いまや日本人の2人に1人はガンになると言われているらしい。確かに、現代の死因とは、ガンか、脳系の病気か、心臓か、と思うくらい、昔死因のトップを占めていたような病気は現代の医療で治癒できるようになっているのではないかと思う。で、このガン大国(←嫌な響き)にっぽんには、臨床腫瘍医という専門家が数百名しかいないらしい。私もよくは分らないが、悪性腫瘍の抗がん剤治療等を専門に行う医師のことらしい。アメリカには1万人の臨床腫瘍医がいるらしい。抗がん剤と言えば、誰もが“副作用”と言う言葉を反射的に思うと思うが、そうゆう副作用を起こさないように、その患者個々人に合った抗がん剤を処方する等が、その臨床検査医のお仕事で、たくさんある抗がん剤の知識に長けていて、もちろん経験も必要とされてくるのだろう。その処方の仕方によっては、随分と副作用とは軽減されるものらしい。抗がん剤にも、患者との相性があるのだ。ただ、ここのガンにはこの抗がん剤と、一筋縄で行くものではないらしいのだ。その特集の中で、国立がんセンターの医師が言っていた、「今までは、抗がん剤治療とは、外科医が片手間でやってきた。」と。今こそ、その専門医が必要な時だ。医大でも、それを専門に教えるコースがまだないらしい。あと、びっくりしたのが、大腸ガンに一番効くとされている日本で発明された薬が、日本では認可されていないと言うことだ。アメリカや諸外国ではとうに認可され、大腸ガン治療の第一線として使用されているらしい。このアジア諸国でも、認可されていないのは、日本と北朝鮮くらいではないかと先生も言っていた。で、その抗がん剤。認可されていない為、使用するとなると保険適用外になる。ある患者さんが出ていて、その方は、その薬を使っての治療の為に月に100万円もかかると言う。どうなの?それ!厚生省。お願いしますよ。厚生省も、今は、抗がん剤の早期認可を検討しているらしいけど、そういっている間にも、抗がん剤治療に苦しみ、副作用に苦しんでいる人がいるんだ。人の痛みって分らないって言うけど、本当に分らない国だと愕然とした。私にもうちょっと学があれば、医大に言って、こうゆう道も選べたのではないかと思うと惜しい。幼稚園~高校まで一緒だった幼馴染の友人が、医大を出て、医者になった。彼女、泌尿器科を選んだんだけど、明日会うので、なんとかして説得して、彼女に、臨床腫瘍医の道へ行ってもらいたいくらいだ。私が今から臨床腫瘍医ってなれんの?とりあえず医大入らなくちゃだめなんだよね?高校の時に戻って、もっと猛勉強すればなんとかなるかもしれないが、今のこの退化した脳では無理であろう。私の周りにはガンに苦しむ大切な人がいたり、今もなおいる。そして、その人たちの姿を見てきたからこそなんとか、日本の医学界が大勢のガンのプロフェッショナル、臨床検査医を産んでくれることを祈る。。。
May 31, 2004
コメント(7)
多分、これから書くことって、私のお父さんとかお母さん、怒るかな?「なんで、そんな事書くがけっ!!」(富山弁:なぜ、そんな事書くの?の意)でも、別に近所の人が見るわけでないのでね。勘弁してね。トリニダードの友人が、言った。“悪い事は4度続く”と・・・。聞いた時は、私の祖母が入院した頃だったから、なんて恐ろしい事を!まじかっ?!これ以外に、4度も悪い事が起こったら、私、悲しみに押しつぶされて死んでしまうわっ!と、思った。本当に、4個続いているので、ここに列挙しようと思う・・・。厄落としになるかもしれん。1)祖母との永遠の別れこれについては、もう書く事はあるまい書けば書くほど、苦しくなる2)父の入院祖母の死は私にとって、本当に苦しみでしかないものだった。でも、祖母が亡くなったその日や、お通夜、お葬式、何度も考えた事がある。父の悲しみ。実母を失うその悲しみは、私の悲しみよりも、深いのではないかと。でも、始終涙を見せずに、もしくは見せまいと過ごしていた父。祖母が病院で息を引き取り、家に戻ってきた。たくさんの人が祖母の顔を見に、お線香をあげに、その当日から来てくれた。私は、その弔問の人たちを見ては泣くばかりだった。その人たちを見るとまた祖母を思い出すのだ。祖母が仲良くしてもらっていた人たちばかりだから。父と一緒に一人の弔問の人を迎えた後、一人家の外に出た父。私たちに背を向け、涙をハンカチで拭っていた・・・。私はその時、ようやく、「父の悲しみ」に気づく事ができた。まるで、自分一人が悲しいような気になっていたのではないかと。そして、お葬式の朝、まだ弔問の方々が集まる前、祖母の入っている棺と、祭壇を前に、一人、ぽろぽろ泣いていた私。父が来て、「千春の顔を見ると、涙が出るから、見ちゃだめだ。」と一言。本当は、泣きたいんだろうな、こらえてるんだろうな、お父さん・・・。泣ける私がいかに楽か。涙ってストレスを発散させると言うことが、以前何かのTVでやっていた。涙の成分からもそれは科学的に立証されると。泣きたいのに泣けないって、どんなにつらいことなんだろう。そのくせ、私は悲しみにかこつけて、お母さんや、ダーに頼ることがたくさんあった。お母さんや、ダーに手をとってもらえないと、立っていられなかったのだ。貧血みたいになって、席を外してしまったり・・・。私には見ていられない場面が、祖母が亡くなるその瞬間より、葬儀と言う儀式においてたくさんあった。嗚咽して泣きたかった。でも、それが出来なかった時、倒れそうだった。あっ!違う。トピックが違ってきた。そう、それで、父も無理していたんだろう。十二指腸潰瘍で入院してしまった。もっと早く病院に行っていれば、通院で済んだのに、下血や吐血が起こってからだった為、即入院となってしまった。母から「私、もう疲れました・・・。お父さんが入院したの・・・」と力ない電話を受けた時、また、サーッと血の気が引いた。幸い、悪いものではないので、今は退院して、「お酒がおいしいです」と父からメールが来る。 3)交通事故父が入院したので、私も週末を利用して富山に帰った。そこで、母が運転して、私が助手席に乗っている車で、母が事故った・・・。幸い誰も怪我もなかったので、良かった。母も随分と精神的に参っていたので、疲れがどっと出たのだろう。母もかわいそうだ。お嫁に来たとは言え、実の父母より長く過ごした義母を失い、私以上に、葬儀が終わった後も、祖母の話をしては涙を流していた。そこへ来て、父の入院・・・。相当なパンチだ・・・。そりゃ事故も起こす。4)叔母の病状私には2人の叔母がいる。叔母が2人と言うと少ないと思う。父も母もそれぞれに一人兄弟がいるだけなので、叔母は2人。その内一人の叔母が、病に倒れている・・・。私とダーの結婚式に出てくれた、その時はまだその病気には気づかずにいたのに。元気にしていたのに・・・。あれから3年。叔母の現在の病状は、祖母が亡くなる時と同じになっている。まだ50か、51歳だ。私の母より1つ若い。どうしてなんだろう・・・。何も悪いことひとつしていない人が、その若さでそんな病気になるなんて。理解できない。神様っているのか?!私も、祖母のお見舞いに富山に帰った時に、何度か顔を見に行ったが、気丈な人で、つらいのに、つらさを全く見せないのだ。見るからに、痛みや、苦しみがあるのは分るのに、それでも辛いと言わない。問題はその叔母の息子(私にとってはいとこ)の一人が、全く叔母の顔を見に帰らないことだ!私は、はっきり言って怒っている!親が連絡しても、電話には出ない。私がメールをしても、答えない。なんだと思ってるんだろう、母の存在を。ある時、ようよう堪忍袋の緒が切れて、メールに書いた。「誰のおかげでこの世に生まれてきて、好き勝手やって、その大好きな彼女と楽しく過ごしてられんの?痛い思いしてあんたを産んでくれたお母さんのお陰やろっ!そんな人の大変な時に顔を見せることも出来ん人ってどうなん?」って。それでも、あいつは帰ってない!私はあの人と血が繋がっているとは思いたくないくらいだ!私の母は、私の顔(姪の顔)でも見れば元気が出るかもしれないから、と言うので、何度も会いに行ったが、(もちろん私だって顔を見て、見せて、ちょっとでも元気になってもらいたいと思ってした事だ)やっぱり、子供ってのは、ぜんぜん違うと思う。だから、彼に帰ってもらいたいのに。彼は帰ってくれない。なんなんだろう、一体。私だって、私の顔を見て叔母が元気になってくれるなら、私はいくらでも、時間を費やしたい。でも、実の子供にはかなわないのだ。それを彼は全く分っていない。今も、電話をして見たが、留守電になっていて出ない。。。何なんだ、本当に・・・。
May 28, 2004
コメント(2)
1度だけ観てず~っと気になってるCMがある。今、JRでは、6月中旬まで“JAPANESE BEAUTY ホクリク”と言うキャンペーンをやっている。多分、このCM、北陸では放送されていないのだろう、だって北陸へ行こうキャンペーンなんだもんね。北陸在住の人が見てもキャンペーンの意味なしでしょ?で、そのCM、ラファエルと、マリーンと言うフランス人の女の子二人が、北陸を旅している模様が映し出されているんだけど、どうにもこうにも、そのロケ地が私の生まれ育った町のとある高校に見えてしょうがないの。下記、URLでそのCMを観ることが出来るので、私と同郷、それも同じ町出身の方に見て頂き、確認してもらいたいんだけど。http://www.jreast.co.jp/tabidoki/tvcm/index.htmlラファエル編と、マリーン編のふたつがあるんだけど、マリーン編の方で、二人がサッカーしてるとこ、これってあの高校ではなかろうか。私が思っている場所が確かなら、ダーのお家からすぐ見える高校だ。特に、ダーのお父さん、お母さんならすぐに分るのではないだろうか?他には、福井の東尋房や、金沢の兼六園が舞台になっている。それははっきりわかる。だってぇ~、思いっきり観光地だし、全国的に有名な場所なんだもの。あと、ラファエル編で出てくる汽車って、城端線ではないのだろうか?ぜひぜひチェキって確認ください、福野町の人。違うかもしれないけど。でも、似てるんだよなぁ~。でも、そんなダーの家の超ご近所の高校でそんな撮影が行われていたら、あの小さな町だもの、すぐに町の話題になってるはずだな。じゃぁ、やっぱ違うのかなぁ~。
May 26, 2004
コメント(3)
この二人、かなりやばすぎる・・・。この二人の名前を聞いて、心浮かれた人は、きっと私と話があうはず。我が家は、J-COMと言う東京都のある地域をカバーしているケーブルテレビに加入してるんだけど、昨日帰宅したら6月号のTV番組表が届いてたのよ。だいたいどこのケーブルテレビ局でもあると思うけど、そのケーブルテレビ局自体が1チャンネルを持っていて、地元ネタ、地域密着しすぎ型の情報を流したりしてない?J-COM然り、もちろんあるわけ、そうゆうチャンネル。よほど、面白い番組がなく、暇な時って見ちゃったりするんだけど、普段はあまり期待をしていないと言うか、多くを求めていないと言うか・・・。ところが、その番組表を見て愕然。良い意味、愕然。6月からは、毎週金曜の夜 7:30~7:57分の間は、このJ-COM主催のチャンネルをビデオ撮りつつ観ることになるね、これ。「みうらじゅん&安斎肇の勝手に観光協会」だよ!みうらじゅんって言えば、“日本で一番でかい天狗のお面”を探して日本全国津々浦々してみたり、私のつぼにぴったんこかんかんである。安斎肇は、あのタモリ倶楽部の空耳アワーでお馴染みね。この二人が、勝手に日本各地を視察して、観光ポスターやら、ご当地マスコット、ご当地ソングまで作っちゃう番組なんだって!!!これは見逃せないでしょう!!!(ダーのお姉ちゃんに見せてあげたい!絶対好きだと思う)だいたい、私は“探偵ナイトスクープ”が好きでたまらんのですよ。富山では、毎週土曜の夕方に私が高校くらいの時から放送してて、その後、東京に出てきた大学時代は、深夜に民放でやってたんだよねぇ~。でも、今民放でやってないの、ここ東京は。でも、ケーブルテレビではやってる。とにかく6月の梅雨シーズンも、この「みうらじゅん&安斎肇の勝手に観光協会」さえあれば、元気に過ごせること請け合い、私だけね。
May 25, 2004
コメント(4)
chillです。長らくご無沙汰致しました。我が家のPCが1ヶ月前くらいからウイルスにやられクラッシュしてて、まったくメールも、ここも何もできずにいました。この1ヶ月、私にとっては、いろいろな事がありました・・・。私の人生において、初めて経験する、類を見ない悲しみも、この1ヶ月の間に経験しました。明日で、丁度、私の最愛の祖母がこの地球にいなくなってから1ヶ月が経とうとしています。何から話していいやら、いや。話す準備も実はできていません。未だ、祖母がここにいないことが、現実なのか、夢なのか、よく分りません。ある時、ふと実家に帰ったら、普通に祖母がそこにいるような気がしてなりません。私は、幸い27になるまで、家族の死を経験したことがありませんでした。ないことはないのですが、死による別れと言うものを理解できる年では、その時はありませんでした。だからなのか、祖母の死は、私にとって想像を遥かに超えたものでした。祖母は亡くなる2ヶ月前から入院をしていて、父母から祖母の状態の事は十分聞いていたので、自分の中で、そうゆう日が来ることを理解していたつもりでした。祖母が入院してからは、私のできる限りの時間を祖母と過ごしたいと思い、仕事のない週末は富山へ帰り、祖母の病室で過ごしていました。そんな日々が2ヶ月過ぎようとしていた頃、いよいよ祖母の病状は悪くなり、私は、仕事を急遽休み、水曜から富山に帰りました。水曜から土曜まで病院で朝から晩まで一緒にいて、日曜の朝からまた、祖母のところへ行き、その日の正午、私と母の手を握ったまま、祖母は亡くなりました。入院中から祖母を見ていると、つらそうで、祖母がかわいそうで涙が出ることが何度かありました。でも、祖母の前では涙を見せてはいけないと思い、トイレで泣いて、笑顔で戻る。それを何度も繰り返していました。ですが、祖母が亡くなった数分前、私は、こらえきれず、祖母の前で涙を流してしまいました。祖母の意識も死の間際まではっきりしていたので、祖母も私が泣いているのは、気づいていたんだろうと思います。祖母は、私の涙を最後に見て、そのまま天国へと行ってしまいました。最後に笑顔を見せてあげるべきだったのか、それとも、涙でよかったのか、そんな事や、いろんな事。考えている間に、もう1ヶ月が過ぎてしまいました。こうやって書いていると、また苦しくなってくるのですが、忘れてはいけない記憶だと思い、自分のために書き記すことにしました。でも、大丈夫です。元気に毎日仕事に行ってます!祖母が私に残してくれたものがたくさん私の中に生き続けています。それを守ることが私のこれからの使命!
May 24, 2004
コメント(6)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


