近代日本文学史メジャーのマイナー
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
『みどりいせき』大田ステファニー歓人(集英社) 今を去ること半世紀以上昔の文章の引用から始めます。 ……フィクションとしての小説は、 (一)言語表現による最終完結性を持ち、 (二)その作品内部のすべての事象はいかほどファクトと似てゐても、ファクトと異なる次元に属するものである。 と、筆者は定義づけて、特に(一)について、「おそらく芸術としての小説の、もつとも本質的な要素といへよう」と述べています。そして、そのことの意味について、「舞良戸」の例を挙げながら、このように続けます。 ……小説家は、言語表現の最終完結性を信ずる以上、第一にその「名」を知らねばならない。名の指示が正確になされれば、小説家の責任はをはり、言語表現の最終完結性は保障されるからである。 (略)私は明らかに、舞良戸は、ただ「舞良戸」と書くことを以て満足する小説家である。そして私は、読者に次のやうに要求する権利があると信ずる。すなはち、もし私が『舞良戸』とだけ書いて、ただちにその何物なるかを知り、そのイメージを思ひ描くことのできる読者こそ、『私の読者』であり、あなたはこの小説のこの部分において、古い一枚の舞良戸がいかなる芸術的効果を発揮してゐるかを知り、かつ、それは必ず舞良戸であるべく、ガラス戸であつてはならないといふ芸術的必然を直感することのできる幸福な読者である。 ……と、あります。実はこの後筆者は、私の小説の中にあなたの知らない語があれば、速やかに辞書を引いて、そしてその後に私の小説に戻ってきなさいと書いています。 さて、この引用文の正体ですが、1970年、筆者三島由紀夫の割腹自殺によって連載が中断された文学的エッセイ『小説とは何か』の一部であります。 三島由紀夫はこの作品で様々な興味深い小説についての考察を綴っているのですが、この個所も私は、小説について啓蒙された部分であります。 そんなことをなまじっか知っていたものですので、わたくし、今回の読書報告の本書を読み始めた時も、実はさほど慌てることもなくかつ「ときめく」こともなく読み進めていきました。 そして何単語かは、読みながら一時中断をして、辞書ならぬAIに尋ねてみました。 「バイブス」「ペニー」「キャパい」「ガンダ」等です。 なるほど、調べればとっても気持ちよく意味が分かるものです。 でもそれより、幾つかAIに尋ねてむしろ驚いたのは、AIに尋ねるとこれらの語のすべてについて私などが読んでもよくわかる語釈がちゃんと付いていることで、私の小さな驚きは、この筆者が勝手な造語を用いて書いているのではないという(やや失礼な)方面においてでありました。 今私は、上記に何単語か調べたと書きましたが、それ以外の表現についてはきちんと理解できたのかと言いますと、いえ、できていません。 ただ、けっこう文脈からも類推できますし、省略語やちょっとしたすぐにはわからないセンテンス等についても、基本的には、表現をより単純化する方向での変化ですので、なんとなくわかります。それでもまだわからない部分については、まー、わからなくても困りません。なにしろ「バイブス」重視の文体ですからー。 と、まぁ、そんな感じで読んでいきますと中盤あたりから、慣れてきたこともあって、なんか普通の文章を読んでいるような感じになってきました。文体の抵抗感がなくなってきたんですね。 そして、それに合わせて、そこに語られていることが、妙に素直な内容になってきたように思いました。 ちょうど物語の中盤あたり、後半の頭に出てくる「アクションシーン」の手前、ちょっと中だるみっぽい(この「~ぽい・ぽく」という用語も頻出ですね)あたりにかたまっていますが、例えばこんな感じです。 「だってさ、どんどん桁増えて、使いきれねぇ金あっけど、痛くなるまでおせっせしても、数えきれないくらいインスタフォローされても、ドリチケで声かけられても、愛なかったら意味なしじゃん。んなことよりみんなで吸いまくって吹っ飛んだり、電車で席譲って胸がぬくぬくしたり、あとみんなで吸いまくって焼肉行ったり、そっちのが大事じゃん? つか、はぐみが楽しそうにうた歌ったり、ひかるがゲーム没頭してるだけでうちは胸つまる時ある」 いえ、言ってみれば高校生が主人公の小説ですから、「青春小説」なのは当然といえば当然でありましょうがね……などの思いを持ちながらさらに読み進めていきますと、上記にも少し触れた「アクションシーン」があって、そして終盤、カタストロフィの予感をはらみつつ、その一歩手前で(ややファンタジーに)物語は終わったように思いました。 実は、この一歩手前のエンディングというのも、けっこう今までいろんな小説があったように思いました。あのノーベル賞作家の大江健三郎なども、けっこう使っていたのじゃなかったですか、例えば名作『芽むしり仔撃ち』とか、『洪水はわが魂に及び』などそうじゃなかったかなと、考えました。 そういえば、デビュー作(またはごく初期の作品)で「鬼面人を脅す」ような文体を用いるという作家も、古くからけっこういたように思います。(宇野浩二とか太宰治なんか、あるいは平野啓一郎や田中康夫、庄司薫、村上春樹なども……。) 私は読み終えて、決して良くない読後感は持ちませんでしたが、例えば「新しい酒は新しい革袋に盛れ」といった慣用表現(原典は聖書だそうですが)があるようですが、ふっと、新しい酒と新しい革袋は、どちらが作るのが難しいのだろうかなどと考えました。 いえきっと、それはどちらもかなり難しく、それに加えて、それらが本当に「新しい」ものであるのかどうかの判断は、もう少し時が立たねばわからないのかもしれない、などと思いました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.08.08
コメント(0)