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『風流仏・一口剣』幸田露伴(岩波文庫) あれこれぐちゃぐちゃと本を読んでいますと、頭の中に文章の断片みたいなものが、始終ちらちら浮かんできて、ところがそれがどうも確実性のある情報じゃないのが良くありません。 誰々が確かこんな事を書いていた、といったフレーズの「枕詞」がつくんですが、信憑性に欠けること甚だしく、困ったものですなー。 という端から、こんな言葉がふと浮かんだりします。 読書というのは、いわば人の頭で考えているものを教わることだから、沢山読めばいいというものでもないのだ。 ……と言ったのは、確かー、えーと、ショウペンハウエル? まさに言われるそのままの「自分では考えない状態」になっているような気がします。 やれやれ、全く困ったことです。 これも以前読んだ本、確か三島由紀夫が書いていたように思うのですが、こんな内容でした。 小説家を尊敬する人がいる。 誰が誰をどんな理由で尊敬するかは全く個人の自由であるから、それについてはまるで問題はないが、小説家が知識人であるから尊敬するというのならば間違っている。小説家が持っている知識は、汎用性の低い職業的な知識であるから、例えば魚屋が魚についての知識を多く持っているのと、何等変わるところはない。 ただ、歴史を振り返ってみれば、小説家がいわゆる知識人と重なって存在し得た時代があったことも確かである。 と、まー、こんな内容であったと、私は記憶しておるんですが。 そして、小説家が知識人と重なって存在し得た時代として、明治時代の日本近代小説の黎明期を挙げ、具体的な作家としては、確か、幸田露伴が挙がっていたように覚えています。(たぶん。) なるほど、さもありなんと、思いました。 今回、少し幸田露伴について調べてみたのですが、露伴は昭和12年に第一回文化勲章を受章しているんですね。そしてその祝賀会の席上で、こんな主旨の挨拶をします。 文学は科学とは別で、国家に厚遇されるよりもむしろ虐待されるところに優れたものが生まれる。 私の読んだ幸田露伴の解説文は稲垣達郎の文章ですが、さらにこう書かれています。 文学の本領をついてあますところなく、真正文学者の面目躍如というべきであろう。 こんな文章を読んでしまうと、単純な私は、もーそれだけで文学者幸田露伴を全面的に信頼! という感じになってしまうのですが、さて、冒頭の今回の二つの短編小説であります。 日本文学史高校教科書副読本などでは、幸田露伴の小説としてまず挙がるのが『五重塔』です。そして、それに続く作品として、この『風流仏』が挙げられるようです。 そして『一口剣』については、『露団々』ならんで、いわば「第3位」に挙げられることがあるようですね。 なるほど『一口剣』、みごとに作品が真ん中で別れ別れになっています。 しかし、実に見事に割れていますねー。昔はこんなの「あり」だったんですかねー。 前半に出てくる「お蘭」という女房はなかなかよく書けていたんですが、今となっては作品の破綻と思えるような展開で消えていきます。 そして後半、代わりに描かれるのが、『五重塔』『風流仏』的世界であります。 『風流仏』は『五重塔』の次に評価されていそうで、なるほど私が読んでもそのランキングは客観的な気がします。 筆者は、本作においても「露伴的刻苦勉励奮闘努力理想主義」的世界を十二分に描いています。時代の要請だったのかも知れません。 しかし今読んで、なんと言っても圧倒的なのは、その文章力でありましょう。 思うに、明治の初年(『風流仏』明治22年)とはいえど、やはり傑出していたんでしょうね。「天才・露伴」と評判があったと聞きます。 なるほど、これが三島由紀夫の曰く、小説家と知識人との蜜月的合一なのかと、私は大いに納得したのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.28
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『愛慾・人間萬歳』武者小路実篤(角川文庫) 三つの戯曲の入っている作品集です。 総題の二作と、もう一つは『愛慾』の続編となる『ある画室の主』という戯曲です。というより、この『愛慾』という話は、続編がなければ何とも中途半端な作品に終わっている気がします。どう見ても二作はワンセットです。 なぜ、続編という形で分けたのでしょうね。内容的には完全にひとつの話なんですが、つなげると長すぎると筆者は考えたのかも知れませんね。 昔の作家って、というより、これは武者小路一流の、まー、やはり「わがまま」っぽい部分かも知れませんが、わりと「その時俺はこう思ったんだ」だけで、何でもぐいぐい押し切っていくような気が、しません? タイトルの付け方なんかにしても、武者小路氏は今回のものなんかが典型という気がするのですが、『人間萬歳』なんて、凄すぎません? 『365歩のマーチ』みたいな感じ、しません? ここまでいっちゃうと、「素朴」というより、何かやはり「わがまま」っぽいものを感じるのは私の偏見でしょうか。(そうかも知れません。) さて、冒頭『愛慾』から読んでいきましたが、えー、まー、これはいろんなところでいろんな人が同様のことをおっしゃっていますから、別に私のとんでもない読み違いではないと思いますが、なんともまー、「タルい」科白のやりとりです。 こんな会話って存在するんだろうか、この時代にはこんなしゃべり方があったのだろうか、と思わせるような、およそリアリズムを感じさせない硬直した感じのやりとりです。 そのうちこなれてくるのかな、あるいはこちらが慣れてくるのかな、と思いながら読んでいても、最後までこの会話のリアリティについては、違和感が残ったままに終わります。 で、読み終えて気が付くんですね。 この筆者は、そんな科白のリアリティなんかこの作品では追求していないのだ、と。 確かに、以前武者小路の『その妹』を読んだ時は、筆者に似合わない(と勝手に私が思っているだけですが)切れ味のいいドラマツルギーと迫力を感じて、「この作家はこんなお話も作るんだー」と、少し感心しました。 でも、「迫力」というなら、今回の作品にもそれは大いにあります。 しかし、それは最後に述べたいと思います。その前に、なんとも評価のしづらい部分に触れておきたいと思います。 今述べましたように、今回の作品にはほとんどドラマティックな仕掛けがありません。その代わりあるのは「説教」と「苦悩の表白」であります。 レーゼ・ドラマというものがありますが、ほぼそれに近いような感じがします。 この作品で筆者は、自らの美意識に基づく人間の行動倫理についてひたすら説いています。そしてその中に「美」が宿っていると理解しているように見えます。 しかしわたくし思うのですが、それは結局小説とか戯曲とかいったものの「美」ではないのではないでしょうか、と。 いえ、特に小説というのは、何をどう表現してもいいジャンルのものですからそういった作品の存在ももちろん考えられましょうが、ただそこには、主張の素晴らしさはあっても、表現されたものそのものからは「美」は表出してこないのではないでしょうか。 だから、申し訳ないながら、私は本作は、作品としては「痩せている」と感じました。 にもかかわらず、武者小路作品には、読み終えてむしろしばらくしてからふと、「安心感」の様なものを感じさせるものがある気がします。 今回も特に『人間萬歳』なんかは、読み終えてすぐは、なんか馬鹿馬鹿しいような印象を持ってしまうのですが、しかし、内容をぼんやりと振り返っていくと、まるで古い大木の根っこの所に寄りかかって微睡んでいるような、ほっとする思いがあります。 なるほど、かつてこんな風に考える作家がいたのだな、という軽い驚き。 現在では、こんな「雑ぱく」な論理ではあれこれ凌ぎきれないだろうけれど、しかしこの底の抜けたような理想主義は、やはりどこか人を和ませる、という思い。 確かに、間違いなくここには存在感があります。ちょうど、眼の前の様々な自然が、間違いなく存在しているように。 武者小路実篤作品は、一種青春期の文学のようにいわれることがありますが(この理想主義がそう思わせるんでしょうね。「理想主義的な青春」。でも若い頃には、こんな理想主義はちょっと鼻について、馬鹿にしてしまうような気がするんですけれども)、むしろ年を取ってくるほどに、懐かしさと共に肌に蘇ってくるような気が、特に最近、私はいたします。 いえ、優れた文学とは、本来そういったものであるのでしょうが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.10.15
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『台所太平記』谷崎潤一郎(中公文庫) 本書の解説文を、作家の阿部昭が書いていますが、その中にこんな一文があります。 戦前は中流どころの家庭では女中は置かないほうが珍しかった。彼女たちが現代のお手伝いさんと違ったのは、衣食住のあらゆる差別にもかかわらず、利害打算を超えて「家」と「家庭」に献身すべき名分を持っていたことである。「家」と「家庭」というこの二つのものの実体が「主人」や「奥さん」とともに消滅した時、「女中」もただの労働者になった。 わたしはふっと思いだしたのですが、漱石の『門』にも女中は出ていました。 お金が無くて陽当たりの悪い崖の下に住んでいる安サラリーマンの主人公の家庭でさえ、女中を雇っていました。そしてそれは、明治という時代において、人件費というものが極端に安いものであった結果だと、後日何かの本を読んだ時に知りました。 上記の文章の中に「名分」という言葉が出てきます。ちょっと辞書で調べますとこのように説明されています。(岩波国語辞典) 名分=臣・子などという名の身分に応じて守るべき本分。 ふむ、なるほど、そういう意味ですか。この語に続いて別の語を連想したもので、私はそれもついでに調べてみました。 分際=社会における身分・地位。身のほど。 やはり同種の言葉であることが分かりますね。 仮に上記の引用文の「名分を持っていた」の部分を「分際であった」と置き換えると、表現のニュアンスは甚だしく異なってきますが、言っていることはたぶんあまり変わらないとも思います。 私は一体何が書きたいのか、実は自分にもよく分からないで書き出しています。 要は、このような表現に、私がある抵抗感を持っているのだとは思いますが、その私の感じ方が正しいのかどうか、どうもよく分からないのであります。 先日私は太宰治の『黄金風景』という掌編小説を読んでいましたが、この中にも女中が出てきます。 主人公の家にかつて雇われていた女中が、その後結婚して所帯を持ち、結婚相手の巡査がたまたま主人公の家にやってきたという展開ですが、その巡査がこんな科白を言います。 なんといふか、まあ、お宅のやうな大家にあがつて行儀見習ひした者は、やはりどこか、ちがひましてな。 太宰の『黄金風景』は、終盤とっても感動的なお話になるのですが、ストーリーの紹介は置いて、終わりの方に、かつての女中・お慶のこんな科白が出てきます。「なかなか、」お巡りは、うんと力をこめて石をはふつて、「頭のよささうな方ぢやないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ。」「さうですとも、さうですとも。」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変つて居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すつた。」 一連のこんな展開を読んでいますと、確かに「女中」と「お手伝いさん」(=「ただの労働者」)とは、その社会のおける位置づけがかなり違っているような気がします。 さて、冒頭の小説の読書報告から大きく逸れている気がするのですが、申し訳なくもいつもの私の悪い癖だとお許しいただいて、それでも少し戻ってみたいと思います。 実は我が家には、この『台所太平記』の文庫本が2冊ありまして、こういったパターンは、まぁよくあることと少々居直ったことを以前にも書いた気がします。 よーするに、買っても読んでいなかったものだから、買ったこと自体を忘れてしまったわけですね。(本の場合は、とにかく一度読めば内容はほとんどすべて忘れても、読んだということは何となく覚えているもので、この辺はクラシックのCDとは違いますね。クラシックのCDは、私の場合、2枚同一CDのある率は本よりもかなり高いです。) ところが今回の本書は、読んでいる途中で、おや、これは一度読んだぞと気付きました。そして思いだしたのは以前私は本書を途中で止めてしまったのだと言うことと、なぜ途中で止めたのかその理由も思いだしました。 それが、上記の「抵抗感」であります。そして「抵抗感」を感じた個所も分かってきました。例えばこんな部分です。 それにつけても、磊吉はよくそう思いました、たとい容貌は醜くてもこれだけ立派な身長と体格を持っている娘が、もし大都会の相当な家に生れ、衣装持ち物やお化粧に念を入れて育ったら、恐らく今の十倍も二十倍も引き立って見えたことであろうに。あの顔だって、せめて女学校でも卒業していたら、あの眼にも知的な輝きが満ち、あの造作のどこかしらにも、一種の魅力を具えるようになったであろうのに。と、そう思いますと、九州の果ての貧しい漁村に生れた初がまことに可哀そうでした。 今、改めて考えますと、このような文章に抵抗感を感じるのは偽善であろうかなという気がします。 しかし私は、この感覚を結局作品最後まで拭えず、そもそもそんなに深刻な小説でもありませんので、それなりには読み終えましたが、作品内容とは離れたところで、読みながら私の生き方の「ねじれ」のようなものを、ずっと感じていたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.02.03
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『聖ヨハネ病院にて・大懺悔』上林暁(講談社文芸文庫) 表題になっている二つの作品のうちの前者は、よーするに「病妻もの」というやつですね。 この作品が、上林暁の小説の中ではもっとも有名なものだと思います。私の持っている高校生用の「日本文学史」の教科書にもこれが出ていました。 「病妻もの」というのは、近代日本文学の「普遍のテーマ」(?)の三つ、「金」「女」「病」のうちの「病」の変形であります。古来、幾つもの名作があったようですが、えーと、思い浮かぶ一番目は何といっても堀辰雄ですかねぇ。あれは、「病妻」ではなかったですか、恋人ですかね。 でも、軽井沢・サナトリウム・肺結核ときて、「風立ちぬ、いざ、生きめやも」とくれば、もうそこは、どーんと堀辰雄ワールドですね。 古来、多くの子女の紅涙を絞り続けてまいりました。 「病妻」というのは、やはりかなり魅力的なテーマではありますよね。 そもそも「病妻」に限らず、愛するものが死ぬというのは、古今東西、ギリシャ神話から連綿と戯曲・小説作品を辿って、はやりの韓国ドラマまで(ただしこれについては私はほとんど知らないのですが)、本当に普遍のテーマですよねー。 ドラマツルギーに困ったら、とりあえず誰かを病気にして殺しておこうかという感じでありますね。 もっとも、自分が死ぬわけには生きませんからね。(自分が死ぬという話は少しコンセプトの違うものになってきますよね。例えば司馬遼太郎の『龍馬が行く』の感じとか、カフカの『審判』みたいな感じとか、どちらにしても、かなり作品の狙うところは変わってきます。) そう言えば以前、高校教師の友人が、高校の文化祭のクラス演劇と言えば、最後に誰かを一人を事故死か病死にしてできあがり、というようなことを言っていました。これはこれでなかなか難儀なものですねぇ。 さて今回の病妻ものは、その中でも、「狂妻もの」であります。 これは、「病妻もの」のジャンルなかでも、比較的「ニューフェース」ですね。 本来ならば作家を巡る「病妻」テーマの中にも古くからあったはずでありましょうが、かつてはやはり時代的限界があったんでしょうね。 妻の狂気は、即物的すぎて文学にならない、という感じでしょうか。妻、あるいは恋人の狂気の扱いについては、昔はとても冷たかったです。(「昔は」とか「ニューフェース」とか言う言い方から分かるように、現代ではかなり大きなテーマになっています。島尾敏雄の『死の棘』とか。) 例えば、志賀直哉の作品の中に、付き合っていた女性が狂気に陥る話があったと思いますが、完全に他人事ですね。その女性に深入りしないうちに、それが分かってよかったよかったというトーンです。(もっとも志賀直哉という人は、そもそも他人の痛みには極めて鈍感な作家であったという感じがしているんですが、私の錯覚でしょうかね。) 漱石だって、自分の頭がおかしいおかしいというテーマばかりじゃなく(『行人』が典型的ですね)、他にも女房の頭がおかしいというテーマの作品が描けたはずですが(現実にそれらしいことがあったように聞きます)、やはり書かなかったですね。 この原因は何かというと、そもそも近代日本文学者に、女房を一人前の人格者として扱うという伝統が長くなかったからですね。(まー、これは文学の世界だけのものではありませんわね。他の分野はもっとひどかったと思います。) 一人前の人格と認められないものが「狂気」したところで、それは近代的自我の問題にはならないだろう、という考え方であります。 だから結局「病妻」の存在とは、あたかも金が意のままにならず、我が身の病が意のままにならないのと同様、自分並びに自分に属するもの(少々極端に刺激的な表現を取れば、「自分の持ち物」)に降りかかってくる災難みたいなものであったわけです。 だからそんな妻の「狂気」は、文学に描いても仕方がないではないか、と。 えーっと、ここまで書いてきて、見落とし作品がやはり幾つかあることにやっと気づいたのですがー。 気づくのが遅いやろっ! あの作品やこの作品をどう考えるつもりか、というお声が聞こえます。すみません。これらの「名作」を忘れていました。 『舞姫』森鴎外 『智恵子抄』高村光太郎 えー、これらにつきましては、えーっと、えーっと、次回までに考えておきますぅ。 すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.02.19
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『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子(河出文庫) 正面から老人問題を捉えた小説であります。芥川賞を受賞しました。その時筆者は63歳でありました。 というあたりを事前の予備知識として本書を読みました。 読み終わって、ふーむ、分かるような、というか、納得できるような、よくできないような気がしました。いえ、決して難しい話ではなく、作品はコミカルに軽やかな展開で進んでいくのですがー。 何となくよく納得できないと感じたあたりを、以下に少しずつ考えてみたいと思います。 冒頭に私は「正面から老人問題を捉えた」と書きましたが、「老人文学」というのは現在、どの程度成立・成熟しているのでありましょうか。 5年ほど前に、本ブログで黒井千次の小説を取り上げた時に、私は「今老人文学は『揺籃期』にある」ということを書きましたが、あれから老人文学は、進歩あるいは成熟したのでしょうか。よくわかりません。 そもそも、「青春文学」という言葉があるほどに「老人文学」というのは、現在成り立っているものなんでしょうかね。 例えば、日本は高齢化と言われ、困ったものだ、このままにはしておけない、と漠然と思われているのは、まー、はっきり言うとお金の話ですよね。年寄りが長生きをして増えていくことで、医療費が国の財政を逼迫させるという。公的年金の問題も、それに加わっていますかね。 しかしまー、そんな公の話は(もちろん大切ではありますが)、取りあえず今回はお上に任せておいて、個人としての「老人問題」というものを考えてみようと思います。 年老いて年老いて、そしてさらに年老いた時の、不安の原因は何なのか、ですね。 それは、孤独、肉体の不如意、そして死の恐怖、あたりではないでしょうか。 わたくし、この3つをじーとにらんでみましたが、実際最も根源にある不安は、取りあえず「死の恐怖」かな、と。 でも、ここばかりに絡めとられますと、多分にっちもさっちも行かなくなる、と。 昔から言いますわね、太陽と死はじっと見つめてはいけない、と。(死を見つめる「分野」は、多分宗教関係なんではないでしょうかね。) という風に「死」をペンディングしてしまいますと、「肉体の不如意」もさほど問題にならなくなってきませんか。だってその先のボスである「死」を棚上げしてしまったのですから。(いえ、実際はこのテーマはそう簡単にペンディングできるものではないことは、分かっておりますがー。) ということで、残るのは「孤独」だけだ、と。 そして多分、本書のテーマもそのようになっています。 しかし、「老い」と「孤独」の関係というのは、どういったものでありましょうか。本文にこんな表現があります。 いつのまにか、干し柿とバスタオルの間からこぼれていた弱い光が消え、あたりは淡い暮色に包まれ始めた。この時分になると桃子さんはいつもの見慣れた、それでいて手ごわい寂しさに襲われる。 またこんな風にも書いてあります。 ところが、いけない。飼いならし自在に操れるはずの孤独が暴れる。いったい昨日とどう状況が変化したというのか、と桃子さんは自問する。即座に、何にもどごもかわってねのす、どごもかごもまったぐと言っていいほど同じなのす、と返ってくる。それなのに心というやつはどうなっているのか、風向きがすっかり変わってしまって桃子さんはしおたれる。いったい何をきっかけにそうなるのか、だいたいコドクというが正体は何なのか、はっきりこれこれの理由でこういう感情が湧き出てきてなどと説明がつかない。 この小説はそんな作品なんですね。(さらには、孤独と自由の問題が係わってきます。) 二つ目の引用に、ちらちらと東北弁があらわれていますが、そんな方言の多用が、抽象的な思念に絡みついて独特のイメージを紡ぎ出します。 (これについては、わたくしは関西人で、あまりよくわからないのですが、読んでいるだけで宮沢賢治と井上ひさしが表現に重なって現れ、そこにとても分厚い構造のイメージを形作るようで、これはいわゆる「先達」の助けですかね。) この理屈っぽいところが、本作の目玉の部分なのでしょうが、しかし、そんな抽象を生み出すもととなった主人公の具体的な人生や人間関係に触れた部分が、なんと言いますか、そのとたんに瘦せ細った表現になっています。 これは私の読み損ないでしょうか、主人公の語る過去、そしてそこでの何人かの人物との交流などの描かれ方が、本作は弱くはないでしょうか。 展開に無理がある、とは言わないまでも、描かれ方があまりに薄味で、例えば、故郷を棄てた場面は「東京オリンピックのファンファーレ」としか書かれてなく、娘との関係は「いつごろからか疎遠」で、最愛の夫の死ですら「一日寝込むでもなく心筋梗塞であっけなくこの世を去」るという描写です。 こういうあたりはもう少し踏ん張るべきではなかったのでしょうか。 もう少し書き込んでほしいと感じたのが、実は冒頭に書いた「納得」云々という意味で、そこに私は、戸惑いと共に、少々残念さを覚えました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2021.03.06
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『津軽』太宰治(新潮文庫) 昔より、名作の誉れ高い本作であります。 ところが、これが、僕にはよく分からなかったんですねー。 えー、太宰治については、全集が家にありまして、一応全て読んでいます。 太宰治は、かなり好きだと言って間違いないと思います。 ところが、繰り返しますが、『津軽』について、もちろん嫌いな作品とは思いませんが、さほど凄いとも思いませんでした。 と言っても、この作品も読んだのは多分大学時代でしょうから、圧倒的に昔であります。 この度、再読致しました。 いい作品ですね。本当にそう思います。 でも、これが、太宰のベストとは、やはり思えませんでした。 今回はそのへんをちょっと考えてみたいと思います。 昭和十九年、太宰は、書店から「新風土記叢書」の一冊として「津軽」を書くことを依頼され、五月から六月にかけて津軽地方を旅行します。 いわば、この作品は、ノンフィクションの、旅行記であります。 「序編」と題された、文庫本で20ページほどの部分から始まります。 それなりの落ち着きのある、大家のごとき文章であります。この年、太宰は35歳であります。この見事な文章は、やはり天稟のものでありましょうね。 ところがこの後の「本編」の「一」の冒頭が、これまたいかにも「太宰節」であります。 有名な箇所ですが、ちょっと書いてみますね。 「ね、なぜ旅に出るの?」 「苦しいからさ」 「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」 「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斉藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」 「それは、何の事なの?」 「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」 「そうして、苦しい時なの?」 うーん、こうして書き写していますと、ちょっと恥ずかしくなるくらいに「太宰節」ですね。 ところが、この文は、その後何処へ行ってしまうかというと、これを受けたような個所が、まるでないんですね。(うーん、ないこと、ない、とも、言えますが。) あえて探すとすれば、末尾でしょうか。この作品の最後です。 ここも有名な個所ですが、こんな風に終わっています。 さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。 うーん、また我が恥を晒すようですが、この部分の終わりの個所を、若き日の私は、何人の手紙に書いたことでしょうか。 全く、汗顔の至りであります。 えー、我が恥は置いておいて、一つ前の「本編」冒頭の引用部ですが、上述したように、ここを受けた部分はほぼ見あたらないように思われるのですが、この文が出てきたであろう繋がりの部分は、あります。 直ぐ手前、「序編」の最後であります。 今回のブログの内容は、もうすでに、ほとんど「太宰節」の見本帳のごときものになっておりますので、ついでにもう一個所、引用してみますね。こんなのです。 私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私がそれを言ったところで、所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄の鍍金である。それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ、世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追究した。どの部門から追求しても、結局は、津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まずまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。 うーん、唸ってばかりで申し訳ありませんが、しかし、唸るしかない誠にかっこいい「太宰節」ですよねー。 一度私も真面目に、本当に真剣に、「私の専門科目は愛です」と、誰かに言ってみたいものですが、笑われるか殴られるか、どちらかになりそうなのが、なんだかとても(特にこんな太宰の文章を読んだ後は)悲しいものであります。 というわけで、今回は「太宰節」の見本帳でした。 次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2009.11.17
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『ボロ家の春秋』梅崎春生(講談社文芸文庫) 高校日本文学史教科書においては、「第一次戦後派」という位置づけをされる筆者であります。 本ブログにおいても、この位置づけ=流派わけについて、ブログ開始時にはあれこれ迷いつつ、結局これがまー、一番まとめやすいかなと思ったもので、高校レベルの文学史教科書の記載にほぼ従うようなかたちで筆者をカテゴライズしています。 以前、梅崎春生のこれも有名な『桜島』『日の果て』等を含んだ小説集を読みました。 この辺の作品は、いかにも「第一次戦後派」というカテゴリにふさわしい作品でありました。 そして、その短篇集について私は本ブログにも報告したんですが、今回同筆者の別の短篇集を読んだ後あわせて前に書いたブログも読み直してみたのですが、己の理解の仕方が極めて安直であったと言うことが分かりました。 (しかし私のブログにおいては、この程度の安直さを恐れてはいけません。そもそもの基本的なポリシーこそが、素人の安直さの集大成の果てに、ひょっとしたら万に一つの真実を掠る文言が有りはしないか、いや有ったらいいな、という安直さでありますゆえ。…いえ、威張っているわけではもちろんないんですがー。) どこが安直だったかと言いますと、簡単に言うと私は、「戦後派とは直近の戦争について書く作家のことだ」と、考えていたんですねー。 いくら何でもそんな単純な話しは無かろう、と自分でも思うんですが、野間宏とか大岡昇平とかの作家達の「戦争話」が何となく頭に浮かんでいて、恐らくきっとそう思っていたんですね。 (でもこんな間違いって、案外誰にでもありそうです、…って、そんなことないですか。私だけですか。反省。) さて、今回取りあげた短篇集には、直接戦争の場面はありません。日本国中が貧しかった戦後の場面があるだけです。 一読、とっても手の込んだ作りの小説が並んでいることだなー、と。 7編の短編小説が収録されているんですが、どの小説も話を進めていく上で極めて手の込んだ、重層的なストーリー展開をしていく小説になっていることに、ある種の「新鮮さ」を感じました。 これはきっと、「私小説」みたいな、何というか、筆者と等身大の主人公がずるずると話しを始めていって、何か知らない間に感想をひとつ言って話しが終わってしまったという類の「純文学」ばかり読んでいたからかも知れません。 そして何を語っているのかというと、7編ありますので一言ではまとめにくいのですが(またその7編の発表された期間が長く、数えてみれば1947年から始まって15年間に及んでいます)、大枠の流れとして捉えてみますとこんな感じですか。 「戦後すぐの価値観崩壊期の混乱から始まって、新しい価値を探りつつある時期には迷いと戸惑いを実感し、そして結局、定着しようとする新たな価値観に違和感を抱かざるを得ない状況が、一種普遍的人間性の持つ不気味さと諧謔とを伴って日常性の中に描かれている」ってところで、どないでしょ。 蜆が鳴いていたのだ。 蜆が鳴くことをお前は知っているか。俺は知らなかった。俺は驚いた。リュックの中で何千という蜆が押し合いへし合いしながら、そして幽かにプチプチと啼いていたのだよ。耳をリュックに近づけ、俺はその啼声にじっと聞入っていた。それは淋しい声だった。気も滅入るような陰気な音だった。肩が冷えて来て慄えが始まったけれども、俺は耳を離さなかった。そして考えていたのだ。俺が何時も今まで自分に言い聞かしていたことは何だろう。善いことを念願せよ。惜しみなく人に与えよ。俺は本気でそれを信じて来たのか。(『蜆』) この引用部は、戦後すぐの時期を描く表現ですが、そこから15年間、結局代わることなく存在し続ける日常生活の、特に他者の存在に対する、何とも不可解な不気味さと、それを感じながらもニヒリズムに浸りきれず、同時に自らの中の偽善性をも見てしまう、いわば自分でも扱いかねる自意識の有り様が、再三描かれているように思いました。 しかしそれは、結局人間性の極めて普遍的な状況であり、もしもそんな主人公の描き方のことを「戦後派」と呼ぶのなら、そんな呼び名にはほとんど意味がないことが分かりますね。 なるほど、文学史における流派のカテゴライズなど、単なる「段取り」に過ぎないことが如実に分かるものであるなと、ひそかに考える私でありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.03
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『地獄変・邪宗門・好色・藪の中』芥川龍之介(岩波文庫) 目のあらい簾が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にゐても、よく見えた。清水へ通う往来は、さつきから、人通りが絶えない。金鼓をかけた法師が通る。壺装束をした女が通る。その後からは、めづらしく、黄牛に曳かせた網代車が通つた。それが皆、疎な蒲の簾の目を、右からも左からも、来たかと思ふ、通りぬけてしまふ。その中で変らないのは、午後の日が暖に春を炙つてゐる、狭い往来の土の色ばかりである。(『運』) 実に素直な丁寧なヴィジュアルな、そして流れるようないい文章ですね。 今回、この短編集を読んで私は、へー、芥川ってこんな優しい文章を書くんだ、とおのれの無知ぶりをさらけ出しつつも、思いました。 なんか芥川って、いつもインテリゲンチャの苦悩を一身に引き受けて眉を顰めつつ皮肉なお話を書くという、そんな(誤った)イメージを持っていましたもので。 今回読んだ短編集のほとんどの作品は、たぶん再読かそれ以上の回数を私は読んでいると思うのですが、今回読んでいてとっても面白かったのは、こんな作品です。 『龍』・『好色』・『地獄変』・『邪宗門』 一方で、今回読んでさほどでもないと思ってしまったのは、『藪の中』ですかね。技巧が先走って息苦しく、作品として少し歪な気がしました。 ところで、上記に挙げた四作の内、前の二作品はとってもユーモラスな作品ですね。 筆者も間違いなく、そんな落とし話の様な作品を書こうとした意図が、いろんな部分から伺えます。 この「諧謔性」は、芥川の、読者へのサービス精神なんですかね。 『龍』には、かつて芥川自身が『鼻』で触れた「禅智内供」を、さりげなく出してきたりしています。 そうだ、これはモーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』の中で、自作『フィガロの結婚』の「もう飛ぶまいぞ…」を歌わせているのと同じですよね。 やはり、読者へのサービスですよねー。 (そういえば、『邪宗門』の中で『地獄変』について触れている場面がありますが、これは、二つの作品世界がそのまま連結しているからではありましょうが、やはり読者サービスですよね。初出の発表誌も、「大阪毎日新聞」と「東京日々新聞」ですから。) この「諧謔性」を、以前読んだ時私はなぜかよく読みとれなかったんですね。なぜだったんでしょうねー。まー、おのれの読解力不足といえば、紛う事なき正解なんでしょうがー。 ともあれ、『龍』と『好色』は芥川作品には珍しい(あるいは唯一の)向日的な作品だと思いました。 『地獄変』については以前読んだ時も凄いと思いましたし、今回再読してもやはり凄いと思いましたね。 燃え上がる牛車とその中で生きたまま焼かれようとする娘の描写、そしてそれを見ている娘の父親・絵師良秀と「堀川の大殿様」の心理劇を描く表現は、何といっても圧倒的です。 この辺のうまさは、いかにも芥川的なうまさであります。 ところがこのうまさが、いえ部分的な描写のうまさは、十分残っておりながら、なぜ『邪宗門』は未完になっているんでしょうか。『偸盗』と全く同じケースです。 作中、暴漢に襲われた「若殿様」が、度胸と口舌ひとつで逆に暴漢をてなずけてしまうあたりは、まことに水際立った見事な場面展開であります。 これほど書ける人が、何で作品を未完にしちゃうんかなー。 一般的にいわれている、芥川は長編小説の書けない人だったんでしょうか。 ただ、今回この短編集を読んで、ついでに作者自身のことについても少し「復習」をしていたら、改めて「うーん」と思ったことがありました。 それは、芥川が35歳で死んだこと、そして小説家としての実動期間は10年と少しにしか過ぎないことであります。 それも、作品を発表しだして5年後には、早くも神経衰弱や腸カタルなど、心身の衰えの兆候を見せています。 肉体が精神に及ぼす影響は、今更私が説くまでもありませんが、芥川が比較的健康体として小説を書けた期間は、僅かルーキーから5年間だけです。 現代みたいに書き下ろしの長編小説がいくらでも出版されるような時代ではなかった時に、これらのことを踏まえず芥川は長編小説が書けないと言い切るのは、少し酷であろうと、今回私は気づきました。 (シューベルトのピアノ・ソナタなんか未完成ばかりじゃないですか。あ。これはあまり関係ありませんか。) 私はかねがね、せめて三十代を生ききることが、作家としての才能を発揮できる最低限の条件だと思っていました。 それのかなわなかった素晴らしい才能としては、例えば梶井基次郎や中島敦であります。一方、何とかぎりぎり三十代を生ききって、「文豪」の片鱗を残した作家は、太宰治でしょう。(しかし、太宰ももう少し頑張ったら、間違いなく「文豪」そのものになれたのにとは思いますが。) 35歳でなくなった芥川、うーん、後5年、3年でもいいから頑張れば、また違った人生の展開があったかも知れないのになと、思います。 ……でもねー。 でも『歯車』なんて読んでいると、もうここで限界なんかなー、とも思いますしねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.02.16
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『ヴィヨンの妻・桜桃』太宰治(岩波文庫) 前回の続き、後編です。 岩波文庫の、太宰治の戦後の短編小説を集めた本書から『ヴィヨンの妻』について考えてみたいという読書報告でした。 そして、まず女性主人公である「椿屋のさっちゃん」の夫、「詩人の大谷」から考えてみたのですが、太宰作品にしばしば登場するこの系列の登場人物は作者自身を彷彿とはさせますが、冷静に読んでいくとちょっと消化不良なわりにくどい感じがして、魅力的とは言い切れないんじゃないかと、わたくし少々暴論を吐いてみました。 いえ、暴論かもしれませんが、例えば『斜陽』でも主人公のかず子はなかなか魅力的ですが、太宰本人のキャラクターを二つに分け与えたようなかず子の弟の直治と、かず子の恋人の小説家の上原は、結局のところキャラクターとしては少々貧弱にも感じます。 同様のことが本作品の大谷にも言える(実際書かれている描写から考えるに大谷は明らかにアルコール中毒で、すでに善悪の判断とかの理性部分がかなり破壊されており、また肉体的にもきっと常時の失禁などがある段階と考えるのが適当でしょう。現在ならアルコール依存症として入院すべき「単なる」病人でありましょう。)と私は感じたのですが、でも時々さすがにチャーミングな表現があったりします。例えばこんな所。 (略)二日に一度くらいは夫も飲みにやって参りまして、お勘定は私に払わせて、またふっといなくなり、夜おそく私のお店をのぞいて、 「帰りませんか。」 とそっと言い、私もうなずいて帰りじたくをはじめ、いっしょにたのしく家路をたどる事も、しばしばございました。 「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。」 「女には幸福も不幸もないものです。」 やはりかなり上手に魅力的に書いてありますよねー。 でも、一応、そういうことで(そういうことってどういうこと?)大谷は終了しました。 いえしかし、なんといっても『ヴィヨンの妻』の魅力は女主人公「椿屋のさっちゃん」の造形ですよねー。 何よりも一生懸命なのが、読んでいてハラハラすると同時に思わずそばに寄り添ってあげたくなるような人物造形です。しかしこれも太宰治のとっておきの「芸」でありましょう。 落ち着いて読み直してみますと、まずストーリーがさっちゃんにとっても運のいい展開になっています。(最後の事件については別に後で考えてみます。) 借金返済についてどうしようもなくなっていた時「奇蹟はやはり、この世の中にも、ときたま、あらわれるものらしゅうございます。」とある出来事に逢ったり、そしてそのまま人のいい飲み屋の夫婦に雇ってもらえたりします。 もちろんこの展開は、夫=大谷にとっても都合のいい展開になりますが、上記に「運のいい展開」と書きましたが、本当はさっちゃんにとっては「心地よい展開」というほうが正しいかなと思います。 つまり、好きな男に好きであるという「貸し」だけを作り続けて関係してゆける心地よさ、とでも言いましょうか。 さらには夫=大谷にも、そのことはきっとわかっているに違いないとさっちゃんも考えられ、それはほとんど「優越感」に近い感情となるでしょう。 本文に「文明の果ての大笑い」というフレーズが出てきますが、そんな本作の明るさは、間違いなくこのさっちゃんの大谷に対する「優越感」にあると思います。 では最後の、上記にペンディングしておいたレイプ事件はどう考えるのでしょうか。 わたくし思いますに、このレイプ事件の前までで作品を終わらせることはきっとできたはずだ、と。ではなぜ筆者はそうしなかったのか。 これもわたくしの思い付きのような私見ですが、前回の読書報告でも取り上げていたきりきりと弓を引き絞った標的としての最後の一節ではありませんが、このレイプ事件もそれとの整合ではなかったか、と。 本作の最後の一節はこうなっています。 「(略)さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮れにね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久しぶりのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事もしでかすのです。」 私は格別うれしくもなく、 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」 と言いました。 つまり、さっちゃんを、大谷(=ほぼ筆者)と本当の血族のような「人非人」にするためのレイプ事件ではなかったか、と。 ちょっと待った、なぜレイプされたことが「人非人」になるのだとのご意見に対しては、一つは時代的な側面(「不注意」「夫への秘密」なんて言葉)を、もうひとつは『人間失格』にも描かれていたような筆者のモラルの在り方をお考えいただければ、私の愚説も、少しは笑って首肯していただけはしないか、と……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2016.12.31
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『宣言』有島武郎(岩波文庫) 初めて有島武郎の『或る女』を読んだ時、かなりびっくりした記憶があります。 それは、そもそも有島武郎の小説を、それまで僕がよく読んでいなかったということもありました。 童話集の『一房の葡萄』とか、なんだかよく覚えていない『惜しみなく愛は奪う』とか(僕の手元のこの本には、読んだ痕跡はあるのですが、内容についての記憶がまるでありません)、それくらいしか知りませんでした。 そこに近代リアリズム小説の、日本文学史上の最高の結実の一つである『或る女』ですから、まー、びっくりしますわね。 そこでこの作者については、今後注目しておくべきという感想を持ったのですが、さて今回の『宣言』であります。 これは、筆者にとってかなり初期の作品なんですかね。年譜を調べますとこんな風になっています。 1910(明治43) 『かんかん虫』(処女小説)・32歳 ( 1914(大正3) ・夏目漱石『こころ』 ) 1915(大正4) ・『宣言』・37歳 1919(大正8) ・『或る女』・41歳 ( 〃 ・武者小路実篤『友情』 ) こんな感じですね。やはり、初期の作品ということでしょうかね。 ついでにこの後の年譜ですが、有島武郎は45歳で亡くなっています。死因は、自殺=心中ですね。軽井沢の別荘で、婦人記者の波多野秋子と縊死をしました。 (遺体の発見が一月以上遅れたため、その腐乱が甚だしかったというのは、まー、有名な話。) ところで、上記の年譜に何か、別な物が混じっていそうですがー、えー、これが実は、今回の報告の小説『宣言』と、関係があるんですね。 『宣言』は、一人の女性を巡る二人の男の、恋と友情の物語であります。 と、これだけ書けば気が付くように、粗筋についてだけ言えば、夏目漱石の『こころ』、武者小路実篤の『友情』と全く同じなわけです。 特に、最後に主人公と目される方が恋に破れるという筋書きは、『友情』と全く同じですね。そして、武者小路と有島は、同じ「白樺派」であります。 武者小路の『友情』の作品中に、漱石の『それから』に触れて、女性が友情よりも愛情を取りなさいと男に勧めるくだりがあります。作中であるかどうかはおいても、武者小路は、この『宣言』にはちっとも触れていません。 「知名度」の差ということもありましょうが、ひょっとしたら、触れると似すぎていることに誰もが気が付くからではないでしょうか。でも、偶然とは思いがたいですよねー。 まー、この事については、今となってはこの程度の感想でいいのかも知れませんが。 さてそんな酷似性を持つ『友情』との比較ですが、知名度においては圧倒的に『友情』の勝ちですよね。一方は、有島にこんな小説があったということすらあまり知られていません。(「売れ筋外し」の岩波文庫に入ってるくらいです。) (ところで、有島武郎には『宣言一つ』という「評論」なんでしょうかね、全く別の作品があります。この名前のよく似た評論の方が、どちらかといえば有名ですよね。この後期の評論には、有島の思想の破綻の様子が描かれており、そこから心中までは一直線であります。) 実は有島の『宣言』は、三角関係という読者に取っつきやすそうな題材を選びながら、かなり読みにくいです。 書簡体形式を取っており(「書簡体」というのもちょっと読みづらいですよね、慣れなければ)、そこに描かれている手紙の内容は、若い誠実な男同士の、恋愛観・宗教観・芸術観・勤労観などの意見のやり取りであります。 それは、初々しく爽やかといえば爽やかですが、いかにも抽象的で、実生活における様々な経験不足の青年による観念論で、「生硬」な感じが強く、少し読みづらいです。(それが筆者独特の欧文脈で描かれています。) おそらく、筆者の書きたかったのは、むしろこちらの方、つまり「恋愛小説」ではなくて「思想小説」であったのだと思われます。 そう考えなければ、作品中の「三角関係」の生まれる発端である、自らは女性の家から遠く離れた地方に住みつつ、友人にその女性の家に同居させるという、致命的に混乱を生みそうな設定は、少し納得しづらいです。 (漱石の『こころ』の、「私」が「お嬢さん」との下宿に、「K」を共に住まわせようとして、「奥さん」に強く反対されるシーンが思い出されます。) ということで、『友情』よりも圧倒的に読まれない本書でありますが、そうなった理由は、やはり有島と武者小路の「生き方」にかかわるものと思われ、この延長線上に有島には『或る女』が生まれつつ、さらにその先には自死があったわけです。 なかなか、考えさせるものでありますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.04.22
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『初すがた』小杉天外(岩波文庫) 小杉天外です、わ。 もー、この辺まで来ると、かなり「マニアック」と言い切っていいと思いますねー。 樋口一葉の時は、それでもまだいけたと思うんですね。「マニア」じゃなくて、「マイナー」。「マニア」と「マイナー」との間には、「深くて暗い河がある」と。 かつて、今はあまり読まれなくなった近代日本文学史上の作品について、 (1)現在でも一般的読書に耐えうる作品。 (2)現在ではもはや歴史的意味としての存在となっている作品。 この二種類に分けられると私は考えました。小杉天外はもちろん後者でしょうが、ここまでズバリと後者だと、なんかこんな識別にあまり意味がないように思えてしまいます。 むしろ、こんな言い方のほうがいいかも知れません。 (2)研究者と愛好者の読書に耐えうる作品。 ただ、小杉天外は岩波文庫に(「売れ筋外し」の岩波文庫に)、実は三冊も入っているんですねー。上記作品と、『魔風恋風』上下二巻です。 しかし、小杉天外といえば、『はやり唄』って作品が、比較的有名だと思います。日本文学に「ゾライズム」を持ち込んだ作品、と、ちょっと詳しい文学史の本には書いてあったりします。 とすると、何ですかね、岩波文庫は、実はもう一冊、小杉天外の本を出そうと考えているんですかね。 うーん。今後の動向を、注意深く見守っていきたいと思います。 さて、そんな小杉天外の小説です。もちろん私も、初めて読みました。 上記にちらりと触れていますが、「ゾライズム」。なるほど、これはゾラの『女優ナナ』ですね。 ただ面白いのが、フランスでは「女優」なのが、日本では「清元」の女芸人なんですね。うーん、何となく感慨深いものがありますねー。 あわせて、こんな文体です。 際しも強い風がまた吹通うた、砂塵は黒煙の様に街に漲つた。束髪ははたと歩を止めて、 「あらッ!」と仰山な声を出して若衆の手に縋つたか、ぱッと巻ぢり揚つた着物の下から、燃る様な緋縮緬の腰巻の露はれたのを隠さうとも為ずに、はたはたと木戸口に駆込んだ。 屋内は既う夜の様である。入口には、茨木県水害慈善演芸会と記した長い立看板を立ててある。風の吹込む毎に「ぼぼぼ、ぶぷぷぷぷぷ」と音を立てる上がり口の瓦斯の焔の下には、胸に紅い徽章を着けた羽織袴の、頭髪を奇麗に分けた男が、卓子を前に控へて、入場切符の受取役をして居る。 案外読みやすいですよね。だって、明治三十三年(1900年!)の作品ですから。 後世から見て、この年の文学史的な大きな出来事としては、鉄幹・晶子の『明星』の創刊があります。 「柔肌の熱き血汐に触れもみで」です。十分口語文体です。 話を戻しまして、『初すがた』です。 ゾラといえば「社会的転落」というイメージなんですが(私の読んだ数少ないゾラ作品がそうだったんですが)、なるほど、中盤以降の展開、主人公の清元の女芸人「お俊」が、笠田というゴロツキに酒を飲まされてレイプされて以降、「清純」だった彼女の行動・言葉の端々に「崩れた」感じが漂い出します。 きっとこの辺が、筆者にとって、ゾライズムによる作品解釈として大いに読者に示したかったところなのかも知れませんが、いかんせん、少し腰がふらついている感じで、視点もしっかりと定まらず、なんか中途半端にしか追求できていません。 そこに、「お俊」の幼なじみの「龍太郎」の得度なんかが重なって(これは『たけくらべ』のパクリですかね)、ストーリーが見る見るうちに「段取り」化してしまい、登場人物の心理も十分描ききれず、いきなりぷっつりと終わってしまいました。(ただ、作者は続編を書いてはいますが。) 中途半端といえば中途半端なんですが、ただ、日本文学史の流れの中でこの作品を捉え直すならこのようになります。 明治二十年代から三十年代前半にかけて文壇を「席巻」した硯友社文学にようやく陰りが見られ、ただ、まだ次の文学理論・実践がなされていない時に、このような作品によって何度も試行錯誤が重ねられて初めて、次代の新しい主流が生まれるという、そんな歴史的役割を担った作品、と。 明治三十九年、島崎藤村による満を持しての『破戒』が出版されます。 そしてその後、小杉天外は文壇の主流からは徐々に押しやられていきます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.02.04
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『漱石書簡集』夏目漱石(岩波文庫) 今年来年は2年にわたる「漱石イヤー」ということで、「何を読もうか、そうだ、小説以外の漱石作品は如何」と思いつき、少々読んでいます。 小説家の個人全集を買うと(今は個人全集を買うことも久しくなくなってしまいましたが、昔は何人かの小説家の個人全集を買いました。しかしどれだけ読んだかというと、うーん、……秘密)、たいてい終わりのほうの巻に収録されているのが日記と書簡ですね。 今書いたように私はもはや長く全集本を買わず、つまり全集でまとめて一人の作家の書いた物を集中して全部読むこともなくなってしまったので、そんなことをしていた昔の頃を思い出すしかないのですが、そもそも日記と書簡は、読んでいてどちらがより面白かったんでしょうかね。 例えばそれを小説のスタイルとして考えてみますと、日記体も書簡体と両方ともありますよね。世の中にはけっこういっぱいそんなスタイルの小説があったような気がします。 ふっと思い出すところで例えば太宰治の作品でいえば、さてどちらのスタイルの作品が面白いでしょうか。 今私が太宰を挙げたのは、彼なら日記体も書簡体もどちらもたくさん書いていそうに思ったからです。そこでぱらぱらと全集(「個人全集」!)を出してきて、目に留まったそれぞれの有名どころ作品を挙げてみますと、書簡体小説としては『虚構の春』『パンドラの筺』『トカトントン』など、日記体小説としては『HUMAN LOST』『正義と微笑』などが目に付きました。 あれー? 思ったよりそんなにたくさんあるわけではありませんねー。 しかしぱらぱらと見ていた範囲でも、一人称の小説はいっぱいあります。それらはどういう形式を取っているかとみますと、いわゆる「手記」なんですね。 ……そーかー。「手記」って形式が、確かにありましたよねー。 例えば『人間失格』は、3つの手記を中心に成り立っています。 『斜陽』の中にも、それなりのボリュウムをもって「直治の手記『夕顔日記』」「直治の遺書」(遺書は、たぶん手記でいいんだと思います)などが含まれます。 (えーっと、これは今回のテーマじゃないのでこれ以上の深入りは避けますが、そもそも一人称小説と「手記」は、どこまでが一緒で、どこからが異なるのでしょうかね。きっとその辺をしっかり研究している方もいらっしゃると思いますが、なかなか興味深そうなテーマですよね。また後日考えてみたいと思います。) ということで、あの太宰治ですら(「あの」「ですら」というのはよーするに、太宰治は日記体とか書簡体スタイルで小説をたくさん書いていそうだという、わたくしの浅はかな思いこみの結果だったわけですが)、さほどにはこれらのスタイルを用いなかったことが分かりました。 ではその原因はなんなのか。 少し強引にまとめてみますと、日記や書簡が持つ独特のスタイルは、うまく小説に利用できそうな一方、その様式そのものにやはり煩雑さや不自由さが感じられるからではないか、「手記」の方が本来小説の持つ自由度の高い表現にマッチするのではないか、と。 さらにざっくり言えば、手記はすらすらとそのまま読めて面白いが、日記・書簡はけっこう読むにあたってあれこれ想像力が要求されたり、めんどうじゃないかというわけですね。(さらにもう少ししつこく続けますと、これは結局のところ作品のリアリズムという問題ですね、きっと。) また少し話が飛ぶのですが、漱石作品中一番の書簡体小説は何かを考えてみました。 ……んんー、……『こころ』、でしょうかねー。 ……というか、『こころ』以外に、私は書簡体を用いた漱石作品がすぐには浮かばなかったんですね。そこで、ちょっと調べてみますと、『行人』の最終部に書簡形式の部分が出てきますが、漱石作品ではたぶんこの二つだけです。 さらに『こころ』にしても、小説の後半の半分くらいが一応書簡の形(恐ろしく長い一通の手紙です。本文の「四つ折りに畳まれてあった」という個所を取り上げて、こんな多い紙を四つ折りにはたためないだろうと書いた評論があって私は笑いました。)を取っていることと、かつ、その部分においても書簡としてのリアリズムはほぼ追求されていないというスタイルであります。 というわけで、冒頭の本書も読み終えるのにけっこう時間がかかりました。 いえ、こう書いたところで、今さらながら違和感を覚えることに気がつきました。 実はここまで書いて、私は冒頭の「書簡集」の外堀くらいまで辿り着いたように考えていたのですが、どーも上記のまとめ方と本書を読んでの印象が大きく異なっていることに改めて気がついたというわけです。 この違和感はいったい何なのか。 それは結局、書簡体小説と実際の作家の書簡のありようとの違いということでありましょう。別の角度からもう少し具体的に書くと、我々は書簡集を読む時、本来、書簡体小説を読むほどには面白さを期待しないし要求もしないということではないでしょうか。 ところが今回なぜ私が、書簡集と書簡体小説の有り様を頭の中で混乱させてしまったかと考えますと、それは『漱石書簡集』が、あたかも書簡体小説のごとき面白さを持つ(厳密に言いますと「面白さを持つ部分がある」)ということでありました。 ……さて、その辺をもう少し考えて、次回に続きます。どーも、すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2016.07.25
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『東大で文学を学ぶ』辻原登(朝日新聞出版) 図書館で見つけて、あ、これはマイフェイヴァレット系の本だろうと直感して、借りて読みました。 面白かったです。なかなか納得できる、あるいは考えさせられる部分もたくさんあって、とても面白かったです。 幾つかそんな個所で、短く抜き出せそうなところを挙げてみますと、こんな感じです。 (『ドン・キホーテ』が近代小説の濫觴とされることについて)それはなぜかというと、本を読む人間を主人公にしたからです。本を読む人間、つまり本というのは物語で、その物語を読むことによって世界を変えようとする、そういう人間、それがまさに近代人の始まりと言ってもいいのです。近代人が主人公の小説。まさに近代小説です。 (ジェルジ・ルカーチの書より)「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩である」 (横光利一の書より)「純文学とは偶然を廃すること、今一つは、純文学とは通俗小説のように感傷性のないこと」 リアリティというのは、いわゆる「現実」というものに対応しているのではなく、その「現実」をどういうふうに受け取るかという、共有された感受のかたちです。 よく谷崎の関西移住を伝統回帰、日本回帰などと呼びますが、そんな単純なものではありません。これは谷崎たったひとりによって敢行されたルネッサンス、文芸復興の試みだったのです。 ……いかがですか。きりがないからこのあたりで引用はやめますが、いかにも面白そうですね。 実はわたくし、最近ちょっと思うことがあったんですね。 何かというと、そもそも好きなものですから、文学者や文学研究者などの講演会に、結構探して行っていたんですね。 ところが、最近どうもそんな先生方のお話が、さほど面白くないと感じ出したんですね。なんでかなー、と思っていたところ、先日行った小説家の講演会で、入る時にアンケート用紙をもらいました。 幾つか質問項目があったのですが、その中に、あなたはひと月に何冊くらい本を読みますかといった質問がありました。それをぼんやり見ていましたら、後ろの席から女性のおしゃべりの声が聞こえてきました。 「月に何冊本を読むかって、そんなこと聞かれても、わたしら一年に何冊かしか読まないからなー……」 と、そんな会話を聞いているうちにわかったんですね。 そのような聴衆を想定して、講演者は語らねばならないのだと。 ちょっとここからは書きにくいのですが、敢て書いてしまいますと、よーするに、私はそんな文学講演会の内容に物足りなかったというわけであります。 いくら、小説家がここだけの話だと若干の私生活を語ってくれても、それだけではやはりわたくしには「ガツン」と来るものがなかったわけですね。(かなり尊大と思われかねないことを書いていて、何とも恥ずかしいのですが。) と、そんな思いを持っていた時の本書ですから、それはとても面白いものでした。 しかし、しかし、にもかかわらず、私は読んでいて、やはり微妙な違和感を感じ始めました。この違和感は何なんだろうかと、私はまた戸惑い始めました。 本書は、西洋文学から中国古典文学、もちろん日本の古典文学・近代文学なども広範囲に触れつつ、テーマである文学とは何かについて東大で授業をなさった記録(ただし、そのままの講義録ではなさそうです)です。その博覧強記ぶりにはもちろん圧倒されますが、しかし、結局のところ、文学とは何かについては、はっきりと述べられているわけではないと、私は感じました。述べられているのは、文学にはこんな側面がある、このように理解できる、といったあたりでしょうか。 しかし、それは、ある意味で、当たり前のことでもあると思います。 常々私は、文学の実体や真理・真実などは、自然科学におけるそれらと大きく異なっているのはもちろん、社会科学的なそれらとも、かなり異なっているのではないかと思っていました。 それは素人考えではありますが、例えば100人の文学者が、それぞれ自分にとって文学とはこういうものだと口々に言い合う中で、ぼんやり総体としての輪郭が見えてくるといったタイプの真実ではないか、と。 つまり私は、本書で説かれている筆者の文学論について、感心はするが、でもそれはあなたの文学論ですよね、の小さな一言が言いたく思ったわけであります。 しかし同時に、そのような論を数を重ねていくことが、文学とは何かの真の姿の輪郭を浮かび上がらせていくことになるのだ、とも思ったわけであります。 こんな捉え方は本書にとって、素人が何を言っているのだ、なんでしょうかね。そんな気もしますが。 いえ、確かに文学について、私が本書で大いに「学んだ」ことは、きっと間違いないとは思うのですが。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.02.07
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『三四郎』夏目漱石(新潮文庫) 実はわたくし、エクセルで読書ノートをつけているんですね。タイトル、作者名、読んだ日、その年の何冊目か、全体の何冊目か、そして一行だけの感想などを記しています。 この、「全体の何冊目か」というのは、この読書ノートをつけ始めてから何冊目の読書かということで、スタート地点は半世紀前くらいであります。 最初に書き始めた時は手書きだったのですが、何年かしてから、しこしこと半年くらいかけてエクセルデーターにしました。 するといろいろ便利になって、この本は今まで何回読んだかなどが、並び替えですぐにわかります。 それによりますと、この『三四郎』は、わたくし7回読んでいることがわかります。 しかし、このエクセルデーターの元になった読書ノートは、就職してからつけ始めましたから、おそらくその前の高校大学時代に最低2回は『三四郎』を読んでいると思え(初読は高校時代で、大学時代に今でも我が家の本棚にある新書版の漱石全集が刊行され始め、少なくとも始めの頃は一冊ずつ買いながら読んだはず……)、ということは、それも加えると今回の『三四郎』読書は、わたくし10度目となります。 この拙ブログでもすでに2回『三四郎』を取り上げていますが、エポックメイキングな読みになったのは9回目の読書の時の報告でありました。 それは、美禰子は、ちっとも三四郎を愛してなどいなかったという読みで、なかなか刺激的な読みでした。 しかし、といいますか何といいますか、今回の『三四郎』読書のテーマは、その揺り戻しの可能性を探る、と自分で勝手に決めて読み始めたのであります。 やっぱり美禰子も、少しは三四郎を愛していたんじゃないのかの思いは強く、その読みの可能性をもう一度探すというテーマであります。 さて、そんなテーマを勝手に持って読み始めたのですが、そんなテーマとは無関係に、やはり『三四郎』はとっても面白かったです。 筆者の無手勝流の文章のうまさについては、わたくしが今更言うまでもないですが、改めて惚れ惚れとしたり(菊人形から流れて来て二人だけになったシーンで、泥濘道を飛び越える美禰子が三四郎の両腕の中に落ちるところなんて、わたくし一人で秘かに快哉を挙げてしまうくらいに、めっちゃうまいやんけー!でした)、でも一方で、ここは漱石かなりノンシャランに書いているんじゃないかなどと思う場面があったりと、文章だけでもう満腹、という感じではありました。 しかし、忘れてはいけない我がテーマということで、頑張って最後まで読みました。すると「重要な」ポイントが、数か所出てきました。ざっくり以下に検討してみます。 まず一つ目は、二人の出会う端緒となる例の大学の池のシーンの美禰子の心理、そして作品後半部にある、その時の着物の衣装を画家に提案した美禰子の心理であります。ここの美禰子の心情に、三四郎への特別な感情が読み取れるかということですが、これはなかなか難しいことがわかります。 一つ目の池のシーンの美禰子の心情は、やはり三四郎をチャームしたものではなさそうですし(前回の私の『三四郎』のブログにその内容は書いてありますが)、その時の着物がモデルの着衣になっているというのも、作品終盤に、三四郎との出会いとモデルの着衣は、実は順序が逆だという(驚くべき)解答が書かれています。 二つ目のポイントは、世次郎が競馬ですったお金を美禰子から借りに行く三四郎のシーンですが、ここで美禰子が三四郎にこんな風に言っています。(競馬ですったのは三四郎だと思っている場面です。)「馬券で中るのは、人の心を中るよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引の附いている人の心さえ中てみようとなさらない呑気な方だのに」 ここの「人の心」とは、具体的に誰のどんな心情のことを言っているのでしょうか。 この「人」は誰か、具体的に挙げるとしたらやはり美禰子(=私)以外には考えられないんじゃないかなと思います。 そして、美禰子の心の中に特別な存在として三四郎があるのなら、このセリフは美禰子の愛情告白となるでしょう。 しかし一方、美禰子の心の中に野々宮だけがあるのなら、ここはかなり残酷な意味合い、つまり私が好きなのは野々宮さんだけなのがあなたは分からないのか、という意味になってしまいませんか。 ……うーむ。これはこの二つの読みどちらも、場面に違和感がありますよね。 とすると、この言い回しは、特に具体的な「人」を想定しない、客観的な三四郎の性質を指摘した言葉なのかもしれません。ちょっと気になりますが、有力な証拠とはいえなさそうです。 という風に、私はちまちまとエビデンスを探っていったのですが、最終的に、この描写はどう読んでも美禰子の心の中に、三四郎に対するある一定の好意の感情があるだろうと私が読んだのは2か所でした。 というところで、すみません、次回に続きます。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.04.18
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