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繰り返しの中に、確実な進歩というものがありますネ。 そのような自然の中から学ぶことは心が清々しいものがありますネ。これみよがしなものからは、そのすがすがしさは得られません。 と、こういったことから、それをメイクになぞらえることをするのがワタシの思考回路なんですネ。メイクの心は、態度というものに表現すると、さりげなさのことがいいですネ。 とってつけたようなことをされても、それがウレシイということにつながる訳ではありませんから。 キレイというふうに感じることのありかたがそのようなのではないでしょうか。 側に居ても違和感を感じない。 そんなことくらいで、それをキレイと心は感じるのかも知れませんネ。 では、そのさりげなさとはどんなものなのでしょうネェ。 ワタシ思うに削り落とした結果に得られるもの。 そんなこんなを考えることを、季節から学べるなんてのはシアワセなんですネ。 多分、肩の力を抜いてそこに見いだせるものから得ることができるようらなれれば、さりげなさの演出をしなくても、自然にそれが出るようになるのだと思いますから、メイクをする場合の自分の心をたのしませるだけでもいいのだと思いますネ。 多分、そういった目に見えないような進歩こそが、キレイというものに近づいていることなのだと思いますネ。
2014.02.28
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いよいよですネ。 ぬるんでくるのは気温だけではないのですネ。 お肌などは、ランダム度を増して新陳代謝をしてきますから、肌荒れという現象を引き起こしますネ。 あと、冬季の食事は、意外に脂肪の多いものがあったのではないでしょうか。 肌荒れ対策などには、タンパク質の摂取を心がけるといいのですネ。 当然、動植物の差はありますが、結果は、好みですから。 あまり細かく分類をすると、意識の偏りをおこしてしまいますから、適当という感性が必要ですネ。表面のことだけに一喜一憂するのではなく、内面から、季節の流れには対処をすることも必要だと思いますネ。 準備をすることにこしたことはないのですから。 ところで、冬の間に爪の甘皮が固くなってしまってはいませんか? 爪も乾燥しているかも知れませんネ。 寒さは、自分で思っているよりも、末梢神経を鈍くさせていてのかも知れませんからネ。 遅くはないので、爪のマッサージを暇な時にし始めるのがいいかもです。キレイというものの正体は、ひとつひとつの集合体なのだと思いますから、そのひとつひとつを大事にする心を先ずは大切にすることからですかネ。
2014.02.27
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空気だけではないと思いますネ。 そのようなものは、心をも動かすものですから、それを受け止める心も必要なことですよネ。 そうしたならば、素直に自分の身のまわりを見回してみて、したいことを素直にしてみるといいのではないでしょうか。そのような身のまわりが片づいたり、キレイになると、自分自身がキレイになるのだということなんですネ。自分を演出する為の方法は、物理的なことだけでは無いということなんですネ。 というよりは、むしろ心が一番肝心なことなのではないでしょうか。 ですから、素直な心で、自然を受け止められるようでありたいのですネ。さて、キレイということの維持管理は、意外にも、マメなことの繰り返しなのだということを忘れてしまいがちなのではないでしょうか。 眉しかり、お爪しかり、足の踵しかりですよネ。ある意味自分の為のルーティーンを完成させることを今の季節はしなければなのではないでしょうか。 春という季節に流されるのではなく、動く季節なのだからこそ、自分というものを見つめる、よい季節なのだと思いますネ。 その先に訪れる季節の為にも、心と体のケアという意味でも、自分のリアルな情報を、先ずは、確かめることからだと思いますネ。追伸、昨日は、奥さんの為の口紅を一本購入しました。 色味は、やや明るめのピンク系です。
2014.02.26
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変化することはないのですが、寒さから目覚めるのは身体だけではなく、心もそうですよネ。お天気が良くて、身体がその心地よさを感じた瞬間に、あれやこれやと目に付くことがあり、掃除に手をだしたり、片づけごとをしたり、心がざわつきますネ。ついでというのもなんですが、自分のしているメイクをじっくりと観察をしてみて、洗い直してみるのもいい季節なのではないでしょうか。 そして、ついでに口紅のひとつも購入しに出かけるのも、楽しいかも知れませんヨ。衣装の変化が目の前にあるのですから、アバウトに自分の印象というものをイメージづくりをしながら、それに合わせて、色のイメージを探索してみるという具合にですネ。 そういったことをすることで、心のありかたを確かめ、自分というものを表現する方法を知ることにもなりますからネ。ひとつの季節だけのことではないとは思いますが、ひとつひとつを大切にしながら、自分の進化を確認できればなをいいと思いますネ。
2014.02.25
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ファンデーションの使い方に注意をしてみてはいかがでしょうか。寒さを感じている間は、自分で思っているよりは濃いめに塗っている場合が多いんですネ。 で、そのチェックをしてみることも必要になりますからネ。 春の季節というのは、木の芽立ちですから、お肌もそのように変化をする季節なんですネ。 自分で思っているよりも、という感覚は、自分では、意外に気づかないということなんですネ。 ですから、こういった季節の移動機に、ついでにやっておくことが大切なんですネ。 衣装は、季節感で簡単に取り替えられますが、お肌の状態は、なかなか掴みにくいものなんですネ。 バックグラウンドができていないと、ポイントメイクなども当然影響はありますから。 自意識だけでは判らないことが多いので、意図的に客観的な感覚で、自分を省みるということも必要になるということなんですネ。メイクは、毎日の繰り返しなので、知らず知らずのうちに濃くなってしまうという傾向は否めませんからネ。春めいてきたら、心もウキウキとするはずなんですネ。 その前に準備の為にも、セルフチェックを。
2014.02.24
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ソチ五輪の終焉。いろんな思いを受け取ることができました。 アスリートのかたたちの懸命な表現は、ほんとに心が洗れますネ。 美の歴史に終わりはありません。 毎日が大切であり、答えの無いさまには、目標すら持てないことなのかもしれませんが、それでも、自分でしか、自分を作ることはできないのですから、美への努力を続けていて欲しいものですネ。演技者などのように、自分の表現方法の発表の場というものがある人は、多くの人に用意されてはいませんが、自分の時間の全てが舞台であり、表現の場なのだという考え方をすることもいいのではありませんか。人は人からいろんなことを学べますから、ひとへの関心や、観察といったものは大切なことだと思いますが、先ずは、自分を知り、自分を大切にし、自分が自分になにができるのかを考えることこそが大切なのではないかと思いますネ。現実的なことだと、自分の身体を、どこまで知っているのかということだけでも、自分では判らないのではないでしょうか。 そんな細かいことはいいんだというひとがいたとしたら、そのひとは美ということを語る資格は無いとおもいまネ。 そんな細かいことの積み重ねこそが、キレイを手にする最大の要素なのですからネ。 美の狂想曲を奏でる必要は有りませんが、些細なことを大切にしながら、毎日が舞台なのだという思いを持てるようになれればいいのだと思いますネ。
2014.02.23
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とは、なにもなにかを使ってのことではないのですネ。 簡単なことなのですが、心と体を清々しく維持することで、お肌や表情の維持はできますから。それは、生活のありかたなのですネ。 食べること、動くこと、眠ること、このことだけでいいんです。これらは、心と体が健康であればこその、できる話なのですから。細かいことにクヨクヨしないで、自分のやりたいことだけをできるといいんですネ。自分の心に垢を溜めないようにすることこそ、自己管理術なのですネ。 捨てることこそが、自分をクリアにいじすることができます。 こうすることで、よいことの相乗効果が生まれ、結果として、自分をキレイにすることができるようにナリマスネ。モノに頼っているようでは、いつまで立ってもキレイなお肌や表情は手にすることは難しいです。 生活の中にこそ、自分でその要素をちりばめることが出来ますから、毎日を楽しんで生きることができるように心をフリーにしてやることができるようにするといいですネ。 自分でできる唯一のほうほうなのではないでしょうか。
2014.02.22
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女子フィギュアのかたたちのメイクは、あれが正しいですネ。 氷上の舞台で、表現をする以上は、もっとあってもいいのかもしれないと思いますネ。では、普通に生活をしていく上での場合は、それをまねてはダメですよネ。 自分の表現は、その必要に応じてのものですから、その理由に必要なものであるほうが正しいのではないでしょうか。 例えば、職場に置ける表現は、その職種によっては、ノーメイクを要求される場合もありますから、素になる自分を磨くことが大切になりますネ。 場合によっては、かなりの許容範囲が許されることもありますし、生活をする上での場面はいろいろですネ。で、プライベートな時間を楽しむということにはなりますが、その時間を持つことが大変でもありますネ。では、お休みの日などは、どうなんでしょうか。こんな考え方をするのはどうなんでしょうね。そんなに考えなくてもいいんじゃないの? かもしれませんが、メイクをするということの意味は、考えることを必要とするのだと思います。 単にしたいからするのではなく、このように。という考えの元ですることが自分をよりよく表現できるようになると思いますから、自分のありかたというものを考えるだけの余裕は欲しいですネ。
2014.02.21
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メイクをしても、それほど変わらないのが、ワタシの推奨するメイクなのですが、それを理解して下さるかたは少ないです。メイクをする以上は、くっきりはっきりしなくちゃ・・と考えるのも、解ります。 ですが、メイクを落とした顔とのギャップは誰の責任なのでしょうか。 ワタシの見解は、ちょっとした変化などは、ムリは無いですが、いかにもと手を加えてしまえば、それは、つくるというよりは、壊すに匹敵するのではないかと考えています。もとからある顔の持つ表情などは、手を加えてまで作り直す必要はないものなのですから、なんでもかんでもを、くっきりはっきりさせようと考えることは意味が無いのではないでしょうか。メイクを楽しむようにと、ワタシはお勧めしていますが、そのことの意味は、ほんのちょっとした変化や、モノの持つ色などのことなんですネ。 一見たいしたことはないかも知れませんが、ささやかな、その程度の変化くらいが罪の無いことなのではないでしょうか。作るとするならば、素になる土台づくりが肝心なのではないかと思います。
2014.02.20
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楽しむことを大切にしながら自分を演出できるのですから、メイクっていいですネ。ケースバイケースでの楽しみかたをすることを出来るようになれれば、よりいいのですが、なかなかワンパターンでのメイクのかたが多いのですネ。 年齢もそうなのですが、自分をどのように演出するのかを考えなさすぎのようなのですネ。 特に中年以降のかたのメイクが、これでもか的なものが目に付きます。 何故そのようなのかは、ワタシ的には理解できないでいますが、たぶん大きなお世話の話なのでしょう。しかし、キレイというものを意識してのメイクを心がけ欲しいのは確かなのですネ。ギンギンギラギラではなく、一皮むけた人生のありかたを表明して欲しいものなのです。さりげなさの中にあるキラリは、キレイというものの原型なのだと思いますからネ。年齢を重ねたぶんだけの輝きというものがあってしかるべきだと思うのは、ワタシだけなのでしようか。
2014.02.17
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ファッションに関しては、先取りということを楽しみたいと考えていいと思うのですが、メイクは、自分との関わりなので、はやりに惑わされてはどうかなと思いますネ。 ある意味はやりというのは、自主性ということではない部分がありますから、それは、どうしたらいいのかを考えているのではなく、ああすればいいんだという学びからくるものですネ。メイクの必要とするものは、土台である自分というものを、どれだけ認識して、明確な目標設定に基づく努力の毎日を過ごせるかという結果なのですから、浮ついた心では無いと思います。お洒落心のある毎日を過ごせるように自分を導くことで、自分の中の自分というものを認識することができるようになるのだと考えられれば、お洒落を楽しむことができるようになるのだと思いますネ。
2014.02.16
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一皮むけたメイクというものを目指して欲しいものですネ。 ワタシのめざすそれは、完成して、それを少し壊せる余裕。 言葉にするとそのようですかネ。 つきぬけることができることによって、感覚がそのような余裕を持つことが出来るのだと思いますネ。 メイクを壊すという表現は正しくはないとは思いますが、ボカすという感覚は、そのようなことだと思います。ピシッとした線は、一見、ハッキリしていてキレイ。と、見間違うことになります。 それは、決してキレイではなく、浮いてしまったり、きつくなったりするだけであって、自然ではないからなんですネ。 線というと、眉だけのように聞こえてしまうかもしれませんが、メイクを構成する要素は、点と、線と、面での構成なんですネ。 ですから、それを、それぞれボカすという感覚を身につけることによって、より自然にみせるテクをみにつけるのだと考えて欲しいということなんですネ。 ハッキリ。だけがキレイなのではなく、自然とはなにかを考えることも大切なテクなのだと思って欲しい。あかぬける。という考え方を持つことによって、遊びや、余裕といったものをも、その範囲の中にいれられるということなのですが、お洒落心とは、そういった要素でなりたっているのではないでしょうか。
2014.02.15
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私だけは・・的な思いこみは多いですよネ。 こういったことも錯覚と言えるのではないでしょうか。 物事には絶対というものは存在しないのです。 特に美容に関しては、客観的な検証というものが必要なのに、私だけは大丈夫などという実際の検証なしになのに、思うことがあるということなんですが、時間的経過ということだけを考えてみても、昨日は昨日、今日は今日、明日は明日、それぞれなのに対して、昨日こうだったから、今日もそうに違いない的なことがおうおうにしてあると思いますが、それは、勝手に思っているだけであって、そうなんだ。ということではないかも知れませんネ。例えば体重計、乗ってみて、結果を確認しなければ判らないのに、こうこうこうだから・・と、考えだけで結果を予測する。 物理的とか、現実に見えるものなどは、簡単に観ることができますが、経過を確認しなければ判らないようなことは、確認作業の結果なのですから、確認しなければなりませんネ。 自分を知るという作業を怠らずに行ういうこととを必ず毎日のルーティーンに入れるくらいにナルシズムになることをお勧めしますネ。 勘違いの錯覚を起こさない為二も。
2014.02.14
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さて、眼を大きく見せたいと考えるひとが多いのか、実際の眼の形とのかねあいというものを無視して眉だけを形作ってしまうという結果を見受けるのですが、それをワタシは錯覚と表現しています。 ある程度の誇張は認められますが、デフォルメというくらいまでのものはナンセンスなのではないかと思いますネ。自分の持っている事実を無視するのは、アイメイクをするという以前の問題なのだと思いますネ。 素を大切にすることはどんな場合も必要なことなので、そのことを第一に置くようにしなければ、キチンとしたメイクはできないのだと思って欲しいと思います。自分の素を知ることで、錯覚という感覚は無くなるはずですから、先ずは、そのことを大切にする習慣を身につけて欲しいと思います。
2014.02.13
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鏡に向かって顔を見るときに、そもそもの錯覚が置きます。 自分のいい感じになるようにアジャストしてしまいますが、その時こそ、冷静に正面に真変えるようにする必要があります。 そして、客観的に顔ということの認識をしながら、みることが、メイクをする上では肝心なことなんですネ。その上で、眉のことを考察してみますと、眼というものが主体ですので、結果的には、それを目立たせる為にと、眉の形をあれやこれやといし゜ることになってしまうということなんですネ。 それが結局は、眉の正体をあゆふやなものにしてしまうということになってしまっているということなのですが、鏡に映ることによって、自分の欲というものによって、自然というものを無視しながらのものになってしまうことがある。ということに気をつけなければならないのですネ。 そういったことが錯覚というものなのです。
2014.02.13
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メイクをする場合に気をつけなければならないことのひとつに、鏡の見方がありますネ。単一の見方をしないで、合わせ鏡を使っての多角的な見方をして、自分のやったメイクの完成度を確認する必要がありますネ。 単一の見方だけだと、完全に錯覚に陥りますからネ。 特に眉は、そうです。 自然に生えているものを完全に利用する場合を除いては、描き加えたり、けずったりしますから、その仕上がり具合には、特に気をつかわなければなりませんからネ。 そうなんです、人工的なものには、感情移入をしてやる必要というものが生じるということなんですネ。 メイクそのものは自分でやっているのだから、感情が移入されていると思いがちなのでしょうが、いちいちそれぞれに理由を考えてなどということをする人はいないと思いますが、ひとつひとつのそれぞれには理由があるのですから、それぞの意味を考察しながら、結果を確認しながらということをすることが大切なんですネ。思いこみによる錯覚というものを生まないためにもなんですネ。
2014.02.12
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大多数の人がキレイにメイクをするようにはなりましたが、惜しむらくは、個々人の持っている本来の個性を生かし切れてはいないように見受けられますネ。というのは、メイクがパターン化しているのではないでしょうか。 ここにはこう。という具合に、習ったように、みんながしているように、などなど言い方はいろいろですが、自分の個性を生かそうという工夫がみられるほどではないということなんですネ。ある意味、メイクには、ルールがあるようでいて、無い。 だからといって何でもありかと言えば、そんなにけた外れのことはよくはないのですからネ。メイクは、自分をよりよく見せるための道具として存在するのですから、ある程度の自由はあるものの、普通に生活をしていく上でのメイクであるならば、社会性などをも考慮することも大切な節度ですよネ。 その上で、なをかつ、自分を生かすということの為にする。埋没する必要はないものの、目立つ必要も無いのですネ。
2014.02.11
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コマーシャルで、化粧品のオールインワンタイプが増えましたネ。 昔は、乳液も無い時代がありました。 クリームでまかなっていた時代、それから、序序に細かく分類しての販売が普通になり、また元に戻るのか、その内容には多少の違いはあるものの、モノの販売が主体なのであって、消費者の本当を考えているわけではないのですネ。皆さんは賢いので、そんなまやかしに乗らないとは思いますが、所詮、化粧品とは、のようにみえるようにするもの。ということを承知した上の自己責任で、購入するようにして欲しいものです。何度も言いますが、ワタシ個人的には、化粧品というものは好きなんです。が故に、それらでの事故が起きることは嫌なんですネ。 ですから、冷たいようですが、事故責任ということを考えて欲しいのです。自分で、考えてからの行動は、自分の責任なんだと思えるのではないかと思いますから。
2014.02.10
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毎日の流れがあるとすれば、その流れが行方知れずのような状態なのでしょうか。ワタシとしては、どんな状況であれ、美が最優先なのではありますが、それがなかなか難しいものなのかも知れないということを目の当たりにすることで、ややもすると疑問が起きてきますネ。 ワタシは、自分のことであれば、そのように律することを厭わないのではありますが、人ごととなると、そうはいきませんから。お洒落心や、美的要素などは、健康がともなわなければなかなかなのですネ。
2014.02.03
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奥さんが昨日まで約二週間入院していました。 その間は、なんやかやと忙しくしてしまったので、ブログもやや疎かにしてしまいました。今少しの間、かもしれません。ワタシの頭の中を占める割合は、奥さんがほぼなんです。それと、美という文字の意味がほぼなんです。 こんな人生もありなんですネ。
2014.02.01
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