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最近、化粧品類による被害というものが多々見受けられてます。ワタシは、冷たいようですが、自己責任という言葉で片づけています。購入に際しての注意事項としては、見本を必ずチェックする。 都合のよい説明は、眉唾のものもあるのだと知って欲しいものですネ。 そういった事前の心がけというものがあってしかるべきなのではないかと思います。問題が起きてから、被害被害と言うのではなく、そのモノに対しての関心の程度でのありかたなのではないでしょうか。 どんなものでも購入動機というものがあり、そのことへの心のくだきかたの度合いで、自分が納得すればいいだけの話なのですからネ。
2014.01.29
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毎日の中では時として非日常が登場することがありますが、そんな時は、それに振り回されてはしまいますが、できるだけの日常を維持するように努力はしますネ。一日の最低のルーティンをキープし、大勢に影響の無い範囲で精神を休めることで、見た目に表れない程度には毎日を維持できると思います。 キレイというものをキープするということは、たいしたことではない努力の結果なのだと思いますネ。 自分の中に自分というもののガイドラインさえできあがっていれば、ちょっとした訂正で済むのではないでしょうか。 今日は!的な発表を余儀なくされた場合には、そつなく対応することは容易なことだと思えるくらいにはしていたいものですネ。なにごとに対処するにしても、普段の手入れというものが肝心なのであって、それを怠ると、ジタバしなければならなくなることもありですからネ。 余分な仕事をこさえないというのも、自分でできることですから、合理的という方法を見いだすのも必要なのではないでしょうか。
2014.01.28
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はたして、自分の身体のパーツはどうなんだろう。 そこから割り出して目標値というものを決定する。 自分の努力で変えられるものと変えられないものに分けて考えてみると、判りやすいですネ。意外に自分の努力で変えられるもののほうが多いですネ。 で、目標とは、現在の値を正確に承知していなければ目標値は出ないですネ。 数字で表現できるモノ意外の値は自分ではなかなか難しいのではありますが、シビアに考察をし、できるだけ自分に厳しい評価を下すべきなんですネ。現実を先ずは受け止めて、それをどうするのかという計画をたて、あとは実行あるのみなんですネ。 それを実行する際には、できるだけ楽しんでやることが大切ですネ。つづけられなければ意味がないですからネ。 毎日の生活の中に潜ませることができるように計画をたてられたなら、持続できるはずなんですネ。 キレイを手にする。という目標がハッキリしているならば、簡単なことだと思います。
2014.01.25
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化粧品類を、ワタシは敢えてモノと表現します。 昔、化粧品の販売に携わっていた時は、盲目的に信じて販売をする日々でしたが、それが薬事法というものを知る事で、そのことを、自分の中の心に違和感というものが生じることになってしまうことで、販売という仕事に携われなくなってしまいました。 その結果、美容師という道へと矛先を変える決心をすることになりまとた。 それでも、人をキレイにする。という道に居るのだから、その自分は好きでした。 そして、モノはキライになったのかというと、そうではなく、客観的にみることで自分の手足のような道具にすることができるようにはなりました。 そうなんですネ、ワタシの中での化粧品は、相変わらず宝物ではありますが、それは道具としてのものになったからなんです。美容師という仕事も、結局は、道具駆使してのものなんですネ。それが、シザースであったり、コームであったりパーマ液や、毛染め液などというだけのことなんですネ。 それはそれで面白いし、キレイという印象に導けることですから。 ただ、そこで終わってしまうという思いではありましたが。 では、メイクはどうだったかというと、似たり寄ったりなんですネ。 つまり、ワタシが手を出したのでは、そこまでなんだという思いになってしまったということなんですネ。 その人が自分で自分をキレイにできるようにならなければ、ほんとの意味でのキレイにする。ということではないのだということなんですネ。モノの価値観の話ですが、それは、人それぞれなので、ワタシから押しつける話ではないのだと結論づけることにしました。 その理由は、ワタシがモノに振り回されなければいいだけの話しで、人それぞれが振り回されるのは、その人の責任なので、その人が受け止めればいいだけの話なんですネ。 そうでなければ、ワタシは化粧品会社とケンカをすることになってしまいますからネ。 ワタシの屁理屈は、ワタシの世界ですから。
2014.01.24
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やはりワタシにとっての美の基本におくものとしての眉が一番となります。それをどのように伝えるのかを考察しながらも、それを生かす為には、他のバランスというものがなければ眉にだけ集中しても、なんの役にも立たないということが言えます。 やはり、狭い範囲の美などというものは存在しないということなのですが、最後の一点になった時には、眉が残るということだけは言えます。メイクだけでもキレイを手にすることは出来ないし、ヘアーを含めてもだし、首から上だけのことだけでは完成度は高くはない。 全身のバランスや、一挙手一投足までを含めて、初めて完成度というものを高めることが出来る。 で、これをどの世代に伝えればいいのかを考えさせられる。 まだ経験の少ない年齢なのか、少しは判ってきた年齢なのか、自分の歴史や経験が豊富な年齢なのかだが、こちらからアプローチをすることはしないので、それすらわからないのではありますが、ホームページを表現の素として使えるようになれば、それも絞れるのかも知れませんネ。
2014.01.23
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料理を追求していくと、素材の現場までいってしまうこともありますネ。自分を追求するとは、生活の現場ということでもありますネ。 つまりは、日常の生活の中にある生活習慣を見とどけるということでもあります。 そのことからでてくる自分のからだの症状を自分で承知し、そのことをどのような目的を持ってつくりあげていくのか。 そのような素材作りからはじめなければならないと思いますネ。 そのような細かい心を砕くことからはじめることで、自分といものを磨くことができるのだと思います。 身体を中心として、立ち居振る舞いなどなどを磨いて、表現の最後に化粧などの表現方法で仕上げるということができるのではないかと。自己研鑽につきるのですネ。
2014.01.22
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ものごとは全てがそうなのかも知れません。 だからといって、自分のことなのに、投げ出してもいいのかと思います。今夜は、眠れないので、こんな時間に書き込みをしますが、実際は、かなり過激なことを考えているのに、それを書き込みするつもりはないのです。が、なにかを書いて自分の心の内側を知りたくて、かこうとしています。ワタシにとっての美容とは、ずっと持ち続けてきた夢のつづきなのです。最初は、生意気にも、どこまで人をキレイにできるのか。 ですが、いつのまにか、その人に努力をして貰わなければ、本物のキレイは手に入らないのだ。に、変わっていましたが、現実はその通りなのだと確信しているのです。理想と現実。自分のできることなどは、これっぽっちも無いのだと知らされてしまいましたが、じゃあ、やめるのか?と、問いかけてみると、それはできない。 だったら、どうすればいいのか。 でてきた答えは、やるっきゃない。です。そんな自分にゲキを飛ばしながら、これからもやってこうと思います。
2014.01.19
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そんなに見受けられなくても、心のうちでは激しく求めて欲しいものが、キレイというものへの願望。 それが無ければ、本質のキレイというものが手には入らないのだと思いますネ。人と接している時には、どうしても、自分というキャラクターを演じることが多いのだと思いますが、それは、表面の演技にしか過ぎないので、それが全てではないのですから、美的表現が足りなくてもいいんでてすネ。 毎日の積み重ねの延長線上にひとつひとつのキレイの素を足していければいいのですから。 心のキレイへの乾きを、感じる自分が居さえすれば、必ずひとつひとつが手に入るはずなんですネ。
2014.01.18
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自分の心に妥協をするのは簡単なことなんですが、美容ということに関しては、それではどうなんでしょうか。自分のキレイの目的の為には、どん欲であっていいのだと思いますネ。 ただし、他人にそれをみせる必要はないので、自問自答の繰り返しの中から、みつけだすことのみに集中していければいのだと。どんなささいなことでも、目標の為ならば、心を砕いて、さらには、アンテナをたてること。内面のさまは、人には見えないのですから、なんの遠慮も要らないので、どん欲になりましょう。 いろんなことを考え、結果的には、自分の美容のポケットや、引き出しをふやすことが、人生を謳歌する為の素になるのだと思いますネ。目の前の出来事に心を奪われるのは、その瞬間だけにするようにしながら、客観的に物事を把握する習慣を身につけられればキレイを手にするという目標の為の日常を手にすることができるようになると思います。 その為には、嫌なことから逃げるとか、妥協は、必要なことなのかも知れませんネ。
2014.01.16
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なににでもということではありませんが、自分の為の美容くらいは、拘ってもいいんじゃないかと思いますネ。 では、どんな拘りなのかですが、モノなどではなく、生活習慣などなんですネ。 自分の生活環境なんですから、それを構築することはできると思うんですネ。では、具体的にはどのようなことなのかですが、例えばハンドケア。 どういうことかというと、なんらかの作業を終えたなら、手洗いをし、ハンドクリームを使う。 なんだ、そんなことは誰でもやってるよ。 と、思うでしょうけれど、そのような僅かな時間と、行為、そのような簡単なことを、自分の為に、ちゃんとする。 こういった細やかなことをちゃんとする。ということが習慣になっていけば、美という素を構築するんだということなんですネ。 習慣になってしまえば、それなりのけっというものがついてきますから、自分の意識というものが、さらなる視野に使えるということなんですネ。美容という概念は、意識の問題なのであって、それが、生活習慣に成ってしまえば、裾野をひろげることは簡単になりますから。 拘りということも、しっかりと確かなものになるはずなので、そのように習慣に取り入れられるようになれるといいですネ。キレイを手にする為には、些細なことの積み重ねの結果なのですから。
2014.01.15
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自分の為の目標がたてられたなら、後は実行あるのみ。 そして、それを続けることこそがキレイを手にする方法なのだと確認できたなら、キレイという目標を信じて、毎日の生活の中に取り込み、それを続けることが自分を高めることになりますネ。いろんなキレイがありますから、どういったものが、ほんとに自分が求めているものなのかを、確認しながら、本筋を確かめられたなら、納得のいく結果が待っているんですネ。 つまりは、自分でしか出来ないことばかりなのであって、他人や、モノがなんとかしてくれるのではないかと、他力本願的な心を持たないようにすることができればいいですネ。他人の評価というものは、とかくに、そのひとの自分勝手なものさしなのですから、それにふりまわされるようでは、自己の確立をすることは出来ませんネ。 自分でたてた目標なればこその意味がありますから、先ずは、目標からですネ。
2014.01.14
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自分で自分の為にたてるのなら、数値化することもできますネ。 特に体重関係。 だからといって続かないようなプログラムを掲げては意味がありませんから、自分でできそうな、身近な目標から手をつけるべきでしょうネ。 どんなことも、続けなければ結果にはつながりませんからネ。特に美容という世界は、形があるようで無いことなんですネ。 あくまでも、自分という材料を素材として、それをどのようにしていきたいのかという目標なんですネ。 その時に必要なことのひとつに、ものまねではなく、あくまでも自分オリジナルを最初から設定するぐらいの心意気が大切なんですネ。 自分という素材をどのように捉えるかでその目標値は決まるのですから、ある意味、自分には厳しくが必要なのかも知れませんが。自己研鑽に興味があるのであればこその目標ですので、あくまでも自分本位なのだということを、強く念じていなければ続かないことなんですネ。他人の評価ではなく、自己評価ですから、簡単に譲歩や、妥協はできますが、逆に、自分が観ているという意識の高さがあることで、どんなにつらくても、やりとげることはできるはずなんですネ。
2014.01.14
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自分の中に、どのようなかたちであれバックボーンを持つことで、表に出る表現が輝くことになりますネ。それを手にするまでの努力は、むなしいものの連続なのかも知れませんが、手に入れることができたなら、自分の一生の問題定義になるのかも知れません。 その上で、表面の表現である美容というものに取り組んだなら、本質のある美というものを手にすることができるはずなんですネ。 美というもののありかたに形は無いのですが、例えるなら、側に居たいというような感覚になれることではないかと思いますネ。日常は、なにげに通り過ぎてしまうものではありますが、常にその瞬間の繰り返しなので、ついと見逃してしまいますが、この時は、こうする。 と、自分の心の中をみつめていることで、自分がなにを表現すればいいのかということが見えてくるのだと思います。 そのことは、いまというその時間を繰り返すだけなのではありますが、将来というものを見据えたことと同じことをしていることになりますから、それは、決して手抜きではないのですネ。自分を磨くということは、一人ではできないことなのですが、ひとの評価を気にするのではなく、謙虚に受け入れられれば、それが糧となって、自分が磨かれる結果となのはずなのです。先ずは、自分のバックボーンとはなにかを知ることから初めてはどうでしょうか。
2014.01.13
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物事の多くのことに存在することのひとつに錯覚ということがありますネ。 正確には、勘違いということなのかも知れませんが、勝手に思ってしまってのことですネ。では、美容というカテゴリーにありがちな錯覚というものの正体はどういったものが多いのでしょうか。 ものの見方だと思います。 よく言う言葉には、口コミというものがありますが、まさしく、他力本願ということなのですが、大勢の人がいいといっているのだから、いいに違いない。 といった見方。 つまり、自分の意識ではなく、大勢の見方をありがたがる傾向ということですネ。 大勢にその他をくっつけると、その他大勢ということになりますが、その意味はですネ。自分はどうなのかということに、もう少し拘ってもいいのではないでしょうか。 特別なことではありませんネ。 本来の自分はというような、客観的な考え方くらいはしてもいいのではないでしょうか。 自分というものの考え方というものを持つことは、特別なこととは言わないと思いますネ。 観るということのありかたの本質には、視覚的錯覚というものがありますが、残像と言われるものが、そのように見せて、脳に錯覚をおこさせる。 といったことなのですが、ワタシの言いたい錯覚とは、さも、自分がそのように思っているという考え方というものがあるのだ。 ということなのですネ。それは、大勢という数の原理で流れが、そこにあるかのように見えるので、最初から、それがそこにあったのだと思いがちなのだということなんですが、そこに結論づける前に、自分で確認してみることが必要なのだという原点を持てるかどうかということですネ。美容は、大勢の意見でなりたっているのではなく、事実の積み重ねでなりたっているのだということですから。 それを結果から、こじつけで、ああだからこうだからと、まことしやかに説明をされると、あぁ、そうなんだと思ってしまうことのような錯覚というものがあるとまでは考えないということになってしまう程度のものなんですネ。 つまり、切迫しているような問題ではなく、関心がある程度の問題なのだから、そこまで真剣にならなくても。という程度ということなのではないでしょうか。ワタシは、そういった程度というものに対しての警鐘を鳴らしたいと思っているだけなんですネ。
2014.01.12
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モノは所詮、のように見える。というものなのであって、これさえあれば的なことは無い。キレイに見える人は、努力の結果であって、手抜きをしてはいない。 だから、近道をしようなどと思ってはいけないのです。 言い訳をしたり、これくらいは的な発想はダメダメ。 本気でキレイを望むのならば、日々の些細なことの積み重ねを大切にする心なのです。 人間の身体は、空気という環境の中でイカされているのですから、そのことへの反発はしてもムダなんですネ。 そういった自然というものを受け入れて、自分の日常のありかたを知り、なにをどうすることが必要なのかを考えて、そのことを行動する。 こういった当たり前のようなことの繰り返しが肝心なのことなのであって、モノに頼ったり、自分だけはといった勝手な思いこみは意味が無く、当然の事ながら結果はおろか何も生み出せないだけではなく、将来をも、ムダにするのだと知って欲しいですネ。親が教えてくれたことにはムダなことはひとつもありません。 ワタシ自身も、この歳になって、ようやく人の話に耳を傾けられるようになったと思って居ますから、人の話を聞くなどというまどろっこしいことはなかなかと出来ないのでは無いかとも思います。美容に魔法は無い。 ひたすら日々の努力の結果論ですからネ。
2014.01.11
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外見を言うのではないのだと思いますネ。 その仕草や、考え方などなどが自分勝手だったり、遠慮がなかったり、そういう意味ではおじさんもおなじですが。仕草と言えばですが、例えば爪を観て下さいと質問すると、指をそらせて手を観る。というひとと、グーの形をして観る。という人に分かれますが、どちらが女性らしい仕草にみえるでしょうか。 足の裏側を観て下さい。などなど、いろんな質問をしてみるとわかりますネ。これみよがしにする必要はまったく無いのですが、本質の問題とは、そのようなことを言うのだと思いますネ。 女性は女性らしく、男性は男性らしくありたいものです。なにも外見だけのことを言うのではなく、本質ですから、心のありかた。見えないものをどう表現するのかは、些細なことの積み重ねに過ぎません。決してこれ!!ということなどではないのだと思いますネ。 いま、ひとつの社会現象として、ダンミツ、オオクボ、がありますが、その始まりは、些細なことだったと思います。決して彼女達を名指しでとりあげるのではないのですが、有名税として許して貰おうと思います。固有名詞はできるだけ使用しないようにはしていますが、時として、表現のひとつの上にあることもありですから。
2014.01.11
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キレイを手に入れるのだという明確な目標を持つことで、その方面へのアンテナがはられることになりますから、情報の収集ということができるようになれますネ。日常の中では、そういったことをする機会が意外に少ないのではないでしょうか。 だからこそ、頭の隅っこに置いておくことで、些細なことからの情報収集ということができることになりますから、結果的には、それを実践することで、キレイというものが手にはいることに繋がりますネ。情報は、ただ収集するだけでは意味がないので、実際の行動に移すようにする努力というものがしなければなのですネ。 明確に目標を持つ。 そういったことをし続けて、更には、行動をすることを日常の中に組み込むことで、自分の進歩の具合というものが判るようになるのだと思いますネ。 並などと言わないで、その上を望む心のありかたを構築して欲しいものです。
2014.01.09
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自分を表現する。 それには、いろんな方法がありますネ。 そのうちのひとつに、メイクなどといった表現方法があります。 その場合、より丁寧にするのが人情というものではないでしょうか。 キレイという表現をどのように考えるかによって、その丁寧さというものがちがってくる。 所謂一般的には、という言い方をしてみると判りやすいのかも知れないが、人並みという言葉が表するように、ある程度の表現さえしていれば、違和感をもたれずに済む。それならば、自己主張というものをしてみてはどうだろうか、そのことは、表現の自由が保障されている現代では、何不自由なくできるのではないでしょうか。 だからといって、ワタシは、過激に考えている訳ではありませんが。学ぶことから、表現をする。 表現をしたいから学ぶ。 この違いを提唱したいだけなんですネ。 学校という場所には、教科書というものがありますが、社会という場所には、そういったものが無いに等しい。 というのは、無い。のではなく、消費をリードさせる為のものがある。 という風に言うのが正しいのではないかと。 学ぶことに慣らされているひとびとは、自分で研究したり、開発をしたりはしない。 しかし、キレイの世界は、教科書から学ぶもののたぐいではないのではないでしょうか。 何故なら、百人の人がいれば、百のキレイがあるのですからネ。
2014.01.08
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ワタシの美容師生活で不思議だったことのひとつに、お客様の大半が十人並みになったころに、それ以上の努力を止めてしまうこと。 何故だったのかは、未だに判りませんネ。それ以上の努力が大変なのでしょうか。 せめてキレイになるということくらいは、欲を持って欲しかったですネェ。キレイということは、自分の意識の問題なのですから、自分次第なのだということを知って欲しいものです。 そして、努力を惜しまないで欲しいものですネ。 百人の人がいれば、百通りのキレイがあるのだと、ワタシは確信しています。 ですから、十人並みなぞということはあり得ない話なんだと思っていますが、それをどうしてひとなみでいいという感性のひとがおおいのかが不思議なのですネ。 みんなと同じということの意味は、そういった次元ではないのだとは思いますが、そのような問題に、これからはとりくんでいこうと思っています。
2014.01.08
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何にでも手を出すということは、それだけ時間がかかるということなので、どれかは、三日坊主になってしまうということでいいんですネ。 興味の対象の新陳代謝は、そのようにしておこり、かつ、常に新しい刺激というものが存在することになりますから、なにかがつながり、なにかが残っていくということでもありますからネ。美容というカテゴリーは、意外に範囲が広いので、やることが常にあるということでもありますネ。 お金で買えるものは買ってもいいとは思いますが、基本、自分でできそうなことは、やってみるといいですネ。 結果というものがでますから、そのことをより勧められるようであれば、よりよい結果が手に入るということでもありますしネ。自分がキレイでありたいというのは、考えない人もいるのかも知れませんが、多くのひとは、望むことなのではないでしょうか。 それなのであればこそ、いろんなことを試してみ、結果に一喜一憂し、そのことのなかから、自分にとって都合のよいものをみつけられればいいだけのことなんですからネ。ワタシの目指すキレイとは、いつもこざっぱりとし、こぎれいでいられればいいなあ。ですネ。 これって、側に居られても違和感のない代表的な要件ではないかと思って居ます。これみよがしよりは、はるかに疲れず、好感が持てるということではないでしょうか。 三日坊主の結果にそこにいければいいのではないかと思って居ます。
2014.01.07
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それがあるお陰で、我々は、贅沢に暮らせているのも、またひとつの真実ではありますネ。 手を伸ばせば、なんの不自由もなく、欲しいと思うものを手にすることができる。そういった便利さの中に、実は隠されているものがあるのだと、承知しながらも、意外に本質に迫ろうとすることをしないのが、現代人の今生の無さなんだと思います。一方的に与えられるのを、当たり前のように受け入れ、それがなんなのかということを知りもしないで、不平があれば、当然のように不平を口にする。 そういったところが、既に商業主義の奴隷的精神に成り下がっている結果論なのだと思います。 いろんな産業がありますが、基本的には、きまりきったものがあればいいだけなのに、大上段に振りかざしてのものまでを数えると、何と言うことでしょう的な数になりますネ。生きるということには、そんなにスパイスを効かせなくても生きてはいけますが、人は、贅沢に成りすぎていて、三日もすれば飽きてしまう。そんな現状を見透かされているのも、またひとつの事実なのではないでしょうか。 シンプルに生きられればそれはそれで楽しいことなのですけれどネ。
2014.01.06
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知っているほうがいいに決まっているので、そういった努力は惜しまないようにしたいものですネ。情報は、なんでもかでも、信用できるものではないのですが、最低でも、自分の目で確認するということをしたほうが、自分というものを鍛えることにもなりますネ。 特に世の中は、商業主義ですから、自分に都合のいいことを殊更のように伝えようとしてきますが、受け取る側に取得選択の余地がある訳なのですから、結果の自己責任を覚悟して受け取ればいいだけの話なんですネ。自分を磨くという作業には、途方もない時間が必要なのですが、その時間は、意外にだらだらと通り過ぎるものなので、できるだけ計画をたてられるのであれば、そのようにし、一日の終わりには、反省の時間というものを持てるようにできるといいですネ。美容という世界観は、自己研磨の最も楽しめるものだと、ワタシは思っています。 何故なら、全部が自己責任なのですからネ。 成功も失敗も全てです。 世の中は、人と関わらずには生きていけませんが、美容の世界観は、所詮独り相撲の世界なのですから、誰も褒めてはくれませんが、自己満足のいく世界観なのですネ。 そして、キレイという概念が構築されていく過程には、失敗はつきものなんですネ。 百の失敗の果てに、ひとつの成功があるくらいのものではありますが、自己研磨とは、そのようなものなのではないでしょうか。 その一歩として、先ずは知ることからでしょうネ。
2014.01.06
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誰もが自分という心を持ってはいるのですが、それを維持管理できているかが問題なんですネ。キレイというテーマを掲げたならば、どんな些細なことでも、その方向へと向けることが肝心なのですから、これくらいはとか、ちょっとだからとかなどと、自分の心を偽ることをしないようにしなければではないでしょうか。 ほんとに美容というものは、時間経過というものが大切な要件なのですネ。 常にその瞬間の繰り返しが問われるものではありますが、物理的時間の経過というものは、取り返しのつかないことになってしまうおそれの多いものなんですネ。 ですから、対処の仕方というものが幾通りもあるのですが、どれもが最善ということにはならないのです。 その結果を後々のために学習しておかなければ意味が無いということなんですネ。 その時に必要なものが心のありかたということなんですネ。 心のどこにしまっておくのかで、後々同じ過ちを犯さなくて済むかどうかの分かれ道になってしまいますからネ。 美容なんて、命に関わるほどのことではないのだから、そんなに大袈裟に構えなくてもと考えるようであれば、ホントの意味のキレイは手にはいることは難しいですネ。 所詮心などというものは、自分次第のものなのですから。
2014.01.05
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自分で自分のキレイ度の目標を立てることで、必ずクリアできるようになりますから、先ずはの目先の目標から立てるといいですネ。そのようにすることで、身近なことからクリアしていけば、いろんなことができるようになれるはずですネ。キレイというテーマをかかげることで、頭の隅っこに、そのことが存在し、些細なこともが、自分の為になるようになれますネ。 人間、どんなことが努力かと言うと、先ずは考えることからなんですよネ。 そして、行動することで、結果が付いてくる。積み重ねの結果がキレイだということを認識しながら、毎日の中に、必ずひとつは意識しての努力というものを増やしていければ、自分の世界観というものが存在するようになるのだと思います。自己満足の世界から始めて、結果的に、納得の世界が手にはいるのであれば、それがキレイだということは言えますネ。
2014.01.04
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ものごとやものでもいいのですが、キレイというテーマの上では、ひとが対象のほうがいいのですネ。 最初に勉強になるのが、意外にも、ああはなりたくない。ということなんですネ。で、意外に少ないのが、あのようでありたい。 つまりは、上限は意外に少ないということですから、判りやすい目標ではありますネ。 自然に、観察をしていると、なりたくないや、したくないという形は学べるので、そんなに考えなくてもいいのですから、学ぶべきことのほうが整理しやすいと思いますネ。先ずは、形からはいるのは簡単な方法なのですから、どんなことにもトライしてみて、ある程度という範疇が理解できたなら、一旦離れる。 こういった観察のしかたというものもありますから、好きなことから始めるのではなく、ある意味でいうところのまんべんなくというのが、いいのではないでしょうか。ひとは、意外にも行動範囲というものが少ないのですネ。 で、そんな中からだけの観察なのだとしたら、当然範囲が限られているぶん、対象も少ない。 できるだけ多くのひとをサンプルにするにはどうしたらいいのか? 現実の目先の人だけではなく、情報元はたくさんあるのですから、いろんなアンテナを張ってみるのもいいと思いますネ。現実には、時間というものの流れがある以上、無為にすごさないような自分というものを維持しながら、検証をする時間というものをつくりださなければならないので、無限という訳にはいきませんから、日替わりで、自分の方向性というものをきめる必要もありますが、先ずはトライするという心のありかたから決め手いければいいのではないでしょうか。
2014.01.04
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毎日の生活の中では、忙しいという気持ちが先にあるのかもしれませんが、ある程度のルーティンを決めておけば、素直な流れでスタートできるのだと思いますが。 その流れの中では、些細な変化というものが目立つものなんですネ。 で、そのささいな変化には、直ぐに対応しておくといいんですネ。 その対応に要した時間は、必ず取り戻せるものなんですネ。 そう、時間軸というものがあることで、自分の位置というものが理解できることになりますから、いまなすべきことは何かということを知ることになる訳なんですネ。無為に時間を過ごしてしまわないようにすることで、自分の大切なものを維持管理できるということになりますネ。 そういったことが、ひとつひとつ重なることで、自己研磨の時間を過ごしているということになるのだと思いますが。 こういったことを死ぬ瞬間までもちつづけることでこそ、結果がついてくるのだと思いますネ。愚痴を言ったり、言い訳をする暇があるのなら、その時間を自分の為に使えばいいだけのことなんですネ。 他人は、何をしてくれる訳ではありませんから、自分のことは自分でするだけのことなんですネ。 いろんな意味のアンテナを張ることで、知識や経験というものが生まれますから、それを常に更新することでこそ、その時のキレイというものが手にはいるのだと思いますネ。情報は、単なる素材にすぎませんから、如何にそれを集約できるのかが、ほんとの意味での自己研磨ということになるのだと思います。
2014.01.03
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ワタシ3月で65歳。 これを旬にしようと考えています。 自然に迎える旬もあれば、自分で創り出す旬もあるのだと思います。自分の本気度が、いかばかりなのかで旬が決まるのだと。ワタシは、自分の美容という世界の経験値と、それから得た知識を、このままうずもれさせていくのはしのびないのだと思いました。 しかし、そう簡単には伝えられないことばかりなのです。 で、時間をかけて伝えようということにした訳なんですネ。美というものは、ひとりびとりにあるもので、大体こんなものですというものではありません。 大枠にくくってしまえるほどのことではないのです。 ですが、大枠のものもありますから、こういったブログでは、そのようなことを先ずは伝えていければいいなぁと思っています。
2014.01.02
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自己の管理というのは決して容易くはないのですが、頭のはしっこにはそのことをしっかりと入れておかなければですネ。どんなことをしていても、これでいいということはないので、もっとということを求めるようにしておきたいものですネ。特に美容という観点では、手抜きを容認せずに居て欲しいものです。 自分が、どんな立場でなにをしているのかは、自分がよく知っているはずなのですから、自己管理ということの重要性を認識しつつ、いまできることは、いまこなす。 の、繰り返しが毎日なのだと考えながらも、行動に移すということをしていて欲しいものですネ。思ったことは、行動に移し、忘れていたことは、すぐに取り返せるような自分でいて欲しいですネ。 キレイという結果は、必ず自分の努力しだいですから。
2014.01.01
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自分の評価というものをすることで、自分がなにをしたほうがいいのかということを確認することになりますネ。 あくまでも、自己満足の世界であってもいいのですから、他人の評価というものを求める必要はありません。 時間軸というものを大切にすることで、今の自分がどの程度のもので、それをどういう風にしていきたいのかという希望的観測というものが成り立つということですネ。半年後の自分は?という風にすることで、アバウトながらのイメージ作りができるということですネ。 変な話ですが、昨日までの自分は、終わった時間ですから、それを惜しむような時間はありませんネ。 常に舞えを向いていくだけが時間の使い方というものだと思います。 今。は大切なのですが、目の前のことだけで終始するようでは将来の展望は開けませんから、中長期の展開をも見据えた自分の時間軸というものをもつことが大切ですネ。美容という世界は、時間が必要不可欠なのですから、如何に自分への時間を供給できるかが問われる結果ということになると思います。 毎日を楽しく過ごせるか否かは、全て自分次第だということを覚悟して置く必要があると思います。
2014.01.01
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自分という意識。自分を好きにならなければ、自分で自分をキレイにはできないですネ。他人と比べるのではなく、自分を客観的に捉えて、自分をどのように演出するのかを決めていくといいですネ。 社会の技術は、すごいスピードで進歩しますが、人間の身体というものは変わりません。 環境が、どんどんと変化をしていくのですが、そのことで本質が変わる訳ではないのですから。 環境と言っても、ものが変わるだけで、そのことによる意識の変化があるということなんですネ。 そういった変化が何をもたらすのかと言えば、心の変化ということになりますが、ものに操られてしまうことのないようでなければと思いますネ。 自分の本質というものは変わらないのですから、勝手に変わったと思いこむことはやめなければならないのですが、そのことに不思議を感じずにつもりになってしまう弱さというものが人間の本質なんですネ。 環境や現象に惑わされずに、心のありかたを意識しながら、自分というものを構築していきましょう。 キレイということを求めて。
2014.01.01
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