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ここ数日、死について考えることが多かったです。まず11日に東京都写真美術館の被爆80年企画展ヒロシマ1945を観ました。高精細映像とかVRが当たり前になっている現在ですが、モノクロ写真を通じてその場で写真を撮った方の気持ちや、被爆された方々の苦しみが伝わってきました。しかし、私の受けた感情はほんのささいな動揺でしかありません。家に帰れば普通に食事をとり、インターネット動画を観て笑うことができます。80年前の出来事は、そのときに10歳ならもう90歳ということで、もう当事者から伝えてもらう時間は限られています。もっともっと、当事者から話を聴いて、私たちは直接に体験の重さを感じる必要があると思いました。続いて昨日は知床半島の羅臼岳でヒグマの人身事故が起きました。2名の登山者パーティのうち遅れて歩いていた1人が襲われ、もう1人が助けられないまま引きずられて行ってしまったという悲惨な内容でした。その後遺体で発見された被害者の状況から、捕食目的であったと思われます。パーティがどれだけのクマ対策をしていたかはわかりませんが、少なくとも捕食目的であった場合は通常の声出しなどでは対処できなかった可能性が高いです。そう考えると、誰が襲われても不思議ではない状況だったわけで、とても他人事に思えません。何か、クマの行動が変わるきっかけがあったのか、とても気になっています。今日は終戦記念日で、NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争 1945 終戦」を観ました。普通に暮らしていた人々がつづった日記から、それぞれの生活の中で終戦間際に起きていたことや感情の変化を描いた内容です。終戦を歴史的な出来事としてみるよりも、むしろなすすべもなく近親者や住居を失っていった当事者の感覚が伝わってきました。権力が民衆をあざむき、民衆に無理な要求をする姿を私たちはしっかりと記憶しておく必要があるでしょう。
2025.08.15
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ei最近観に行った映画の感想です。いずれもエンターテインメントをあまり意識していない作品ですが、東京ではそういう映画も比較的簡単に観られるのがいいですね。それぞれの映画について【以下ネタバレあり】と書いたところからはネタバレが含まれます。1.私たちが光と想うすべてインド映画ではじめてカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した作品です。新宿のシネマカリテで観ました。インドで働く対照的な2人の女性の生き方を描きます。映画ファンサイトのコメント欄を見ていると、賞賛と否定と大きく評価を2分しているようです。否定される方は、本作の単調な物語の進み方を好まれていないように思います。それは映画に何を求めるかの違いによるので、否定される気持ちもよくわかります。映画にドラマティックな展開を求める方にはオススメできない作品ですね。都会の喧騒感・自然豊かな地方での静かに流れる時間といった風景とそれぞれの女性に秘められた強さが印象的でした。⇒【以下ネタバレあり】2人の女性プラバとアヌは、ルームシェアしながら、どちらも大都会ムンバイで仕事をしています。プラバは真面目な女性で、親が決めた相手と結婚したものの、夫はドイツに転勤したまま1年も連絡が途絶えています。アヌはイスラム教徒の恋人がいます。ヒンドゥー教の家族からは間違いなく大反対されるので、知らせずに日々を楽しんで生きていました。そんなとき、もう一人の女性、プラバ の同僚であるパルヴァティが自宅の強制立ち退きに遭い、田舎の村に引っ越すことになります。プラバとアヌがそれを手伝って訪れた自然豊かな村で、ちょっとした騒動が起こります。記憶を失った男性が海岸に流れ着いたのです。アヌの恋人は彼女を追いかけて村にやってきてしまいました。それぞれの女性の人生が変わってゆく時、光が差しこんできます。それぞれの女性の性格やおかれたシチュエーションは違いますが、インドの歴史や慣習といった不自由な部分、3人がそれを超えてゆく姿を描き出したことがこの映画の魅力でしょう。2.アイムスティルヒアフランス・ブラジルの共同制作による映画です。1970年代、軍事独裁政権が支配していたブラジルが舞台で、実話をもとにしています。アカデミー国際長編映画賞をとっています。ブラジルの元国会議員ルーベンス・パイヴァと妻エウニセは、5人の子どもたちとリオで平和に暮らしていました。しかし、ある日その日常を変える事件が起きます…実際に現場にいるかのような映像には緊張感があふれています。政治に翻弄されながらも強く生きる姿に感動しました。⇒【以下ネタバレあり】当時の軍事政権は反対勢力を監視・抑圧しており、それに関わっていたルーベンスを突然拘束します。さらに、エウニセや娘までも拘束されてしまいます。ルーベンスよりも、エウニセの視点に立った映像で、「状況がわからない」恐怖がより一層強調されます。とくに拘束する側が権力者だった場合には、ほんとうに頼りにできるのは身の回りでつながっている人たちだけなのですね。しかし、現代の日本でもまったくないことではありません。警察や検察がもたらした冤罪事件もたびたび起きていますし、安倍政権時代には自身に都合の悪い人々を拘留することも行われました。市民は政治情勢に常に気を付けている必要があります。
2025.08.11
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1年前に書いていた記事が下書きに入ったままになっていました。アップロードしておきます。ーー図書館で生成AIの勉強をしました。しかし残念ながら若かったころよりも吸収力はすっかり低下しました。つまり、せっかく勉強してもすぐに抜けていってしまうのです。あとでちょっと思い出せるようにブログに書いておきます。「生成AI時代を勝ち抜く事業・組織のつくり方」梶谷健人(2024),日経BP,304pp.どのように生成AIをビジネスに活用するかを解説している本です。具体的にどのように活用しているのかを知りたくて読んでみました。自分なりにまとめてみます。1.生成AIの基本・生成AIのユニコーン企業(評価額10億ドル以上)は20社以上で、OpenAIがトップである。・マルチモーダルAI(テキストや画像など複数のメディアフォーマット入力に対応)、画像生成AI(テキストや画像などのインプットを通じて最終的にが画像を生成する)、コード生成AI(プログラムコードを生成したり支援したりする)などが主流。そのほかにビデオ生成AIや3Dモデル/シーン生成AIもある。・クリエイティビティは人間の専売特許ではなくなった。また、AIは競争相手ではなくパートナーと考えるべきである。2.事業にどう活用してゆくか⇒5つのステップで活用。いきなり生成AIに頼り始めるのではなく、ちゃんと意義や意味を明確にするのが大事ということだそうです。(第1ステップ)最初の仮説を立てる。(顧客、課題、その解決法を考える)(第2ステップ)優先的に検証すべき前提を洗い出す…課題のうち、何から取り組むべきなのかを明らかにする(第3ステップ)検証方法と判断基準を決定する。(第4ステップ)オフィスの外に出て検証する。(第5ステップ)学びを生かしてアイディアをアップデートする。⇒これらを通じて顧客が本当に困っている課題をどう解決するのかを考える。生成AIならではの価値が活かされる方法を考える。3.生成AIの価値とは?・筆者は7つの価値を掲げていますが、私がとくに共感するのは、「コンテンツの創造コストを下げること」と「コンテンツのマルチモーダル化」を進められるということです。・具体的にいくつかのソフトウェア(オンラインツールも含めて)が紹介されていました。"Jasper" AIライティングツールで、ブログ記事やマーケティングコピーをつくる"Picsart" 特定の商品画像のバリエーションを作成"tavas" 1つの動画を撮るだけで相手ごとにパーソナライズされた動画を作成可能"Adept" セールスフォースや複雑なサイトの操作をユーザーに代わって行う"Inworld" コンテンツのインタラクティブ化や半自動化の領域で急成長している"Glean" 社内のナレッジ情報を対話型のインターフェイスで効率的に検索できる"Tome" テキストを入力するだけで文字や生成された画像が挿入されたプレゼンスライドをつくってくれる"tldraw" ラフに図を作成したり、手書きのイラストを張るだけで実際に動くモックアップ(アプリのサンプルのようなもの)とコードをつくる”Wix" パーツのドラッグ&ドロップだえでWebサイトをつくりだすなどです。本書は、生成AIの活用について理念や枠組みを示した上で、このような具体的なツールを示しながら実践についても紹介しており、とても勉強になりました。
2025.08.10
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先月、図書館で何気なく手にとった本がありました。「世界の土偶を読む(竹倉史人)」です。著者はプロフィールに「人類学者。独立研究者として大学講師の他、講演や執筆活動などを行う。」とあり、考古学の専門家というわけではないようです。内容は、土偶にみられる人物像が極度にデフォルメされている理由として、人々が食物としてきた種子の発芽課程や実の形状をかたどっていることを主張されています。たしかに土偶の中には不自然に脚部が大きかったり、女性の胸などが強調されているものがみられます。読み始めてまず、発想はとても面白いと思いました。しかし、自然科学に長年取り組んできた習性から、それぞれの説の論拠を確かめようとするとちょっとこじつけている部分が目立つのに気づきました。つまり、アイディアにあわせて論拠となる文献や事例を集めているということです。別の専門書と比較しながら検討しようと、ふたたび図書館を訪れたところ、今度は「土偶を読むを読む(望月昭秀ほか)」を見つけました。執筆陣は考古学の専門家です。こちらを読み始めて、本書が竹倉の著書をきわめて批判的にとらえていることがわかりました。文章のあちこちから「怒り」がにじみ出ていて、そのパワーに圧倒されました。主な批判理由は、竹倉が自身の説に合うように恣意的な資料を使って説明し、また実際の土偶も表面的にしか見ていないということでした。土偶には欠けている部分があったり、多数を比較すると形状も多様だったりするのに、それらをほとんど検討していないとしています。この点については私が最初に感じた違和感を裏付けるもので、共感します。科学的な姿勢という点では慎重な検討が必要でしょう。一方で、竹倉の説が一般書を通じて大きな反響をよんだことに、かなりアグレッシブな反応をされているという印象をもちました。土偶の形状の多様性と、実際の栗やクルミの形状とを比較しながら反論を展開していますが、そのプロセスで随所に感情的な記述が目立ちます。専門家の立場としては、もっと冷静に批判するほうが説得力をもつと思いました。また、「考古学は閉鎖的でない」という記述がありましたが、私自身の経験から閉鎖性を感じます。本来は市町村の教育委員会が保管しているべき資料を一部の「専門家」が長期的に占有しており、その人の許可が出ない限り他の研究者が利用できないという例があります。本人が亡くなって、膨大な資料が返却されたのを聞いたことがあります。専門家といわれる方の論文にも恣意的な解釈が時々みられますが、それでは竹倉の説と明確な違いがないのではないでしょうか、状況は少しずつ改善してきているようですが、自然科学に比べるとまだ改善の余地がありそうです。
2025.08.07
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