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2020.01.31
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カテゴリ: ・・平山
平山の光徳寺に来ました。

正門の上の彫り物が見事です。

 平山小路の天福(てんぷく) は、小代家の老臣福山刑部光長が永禄4(1561)年に山鹿郡方保田(かどだ)西光寺了覚の門弟になった後、得度して善正と名乗って平山に一寺を建立した。



光徳寺、藤原加賀守供養塔(左端)、石幢(中央)


石碑の裏面、藤原の字が読める

この石搭について、以前の講演会より、関係部分を記す。

「 さて次に、荒尾市平山の光徳寺に在る二つの石造物について話を移す。

  まず、年代の古い『154 平山広徳寺笠塔婆(石幢)』で、この石造物の年代は文明十二庚子(1480)年願主加賀守藤原忠弘とある。このことにより、小代加賀守の実名は『忠弘』ということがわかる。

  次の『162 広徳寺阿弥陀如来立像板碑』の年代は、延徳元(1489)年乙酉初冬十六日・・・と板碑正面の左枠にあり、下部右側に、宗鎮、左側に妙泉の法名が残り、正面右枠に願主加賀守忠弘とある。このように願主名に加賀守忠弘と残されているので、上の石造物と同一人物が建立したことがわかる。

  それでは、宗鎮、妙泉の法名の人物は誰なのかということであるが、『荒尾の文化遺産』によると、小代泰弘のこと、妙泉はその妻のこととしている。つまり、「一念弥陀佛即滅無量・・・」の碑分から加賀守忠弘が、自身の両親である宗鎮、妙泉の現世安穏と後世往生を願った板碑であるとのことである。

  これにより、『通史編』には系図が載せてあり、加賀守の小代氏における位置がわかった。」

藤原加賀守=小代加賀守=小代忠弘 であり、家長では無いようです。






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最終更新日  2021.02.27 18:38:46
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