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平山小路より小岱山林道に沿って土壇上に一基の板碑(高さ105cm、幅22cm、厚み13cm)が建っている。これは永禄5(1562)年に建てられた阿蘇惟富の供養塔である。阿蘇大宮司家に見える惟富は、元弘の乱(1331年:後醍醐天皇を中心とした 勢力による鎌倉幕府討幕運動)の時、大宮司惟時に従って上洛し、後醍醐天皇の六波羅攻めの功臣となった。大永3(1523)年、菊池家の相続をめぐり菊池武包と菊池義武(大友義宗)が争い、小代重忠(第十代)の支援を得た武包の勢が阿蘇惟豊に攻略された。この頃、阿蘇大宮司家は惟長ー惟長ー惟富と惟豊ー惟将の一族爭いが続き、その渦中で惟富が敗着されたと推量されている。なお、惟富の供養塔がこの地にある理由はわかっていない。


惟富碑より200mほど登った所は中世寺院(寺名不明)の跡であり、道路脇に薬師如来(木造)を安置する石厨子がある。ここに石幢と板碑が並んで建っていた。願主は 藤原加賀守(小代忠弘) であり、文明12(1480)年に建てられた。藤原加賀守忠弘は、8代小代泰弘の次男重行である。元亀元(1501)年、菊池家22代守護職菊池能運(よしゆき)は叔父宇土為光に菊池館を追われ、高瀬 保田木城 に拠ったが、城は陥ち肥前国高木に逃れた。この戦いで加賀守忠弘は戦死した。この2碑は延徳元(1490)年父泰弘の母妙泉の 逆修 供養のために建てた。この両塔は、現在、光徳寺内に移されている。

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