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2026.06.06
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カテゴリ: 荒尾の城跡
田次郎丸館(たじろうまるかん)跡

 田次郎丸館跡は荒尾市と大牟田市の境付近(原万田浦田)に位置しており、袴嶽(標高114.7m)の北裾部にあたる。海岸線からそれほど離れていないが、周囲からみれば標高6mの微高地である。現在、国道208号線の東沿にある「かずやコスメデイア」葬祭場の北側に空堀(外堀および内堀)と土塁が残っている。
 外堀は幅25m、深さ2.5m、長さ230mの水堀で、内堀は幅7.4m,深さ3.3m、長さ130mの空堀であり、内堀と外堀の間には幅5m、高さ3.5m、長さ120mの土塁が巡っている。
空堀の東側は国道工事のため埋め立てられたが、南東から北西へカーブしていたという。
 田次郎丸館は小代氏一族が鎌倉時代よりこの地を支配していたところで、後述の袴嶽城と関係も窺わせる。
 館の一部(南側)の一隅に持仏堂がある。持仏堂は東光寺といい、藤原吉家が永正6(1509)年に両親(道祐・妙秀)の冥福のために建立し、堂内には薬師三尊・十二神将を安置したことが書かれた厨板がある。また、境内に建てられた五輪塔や六地蔵塔の中にある十三仏碑は高さ132cm、幅76cmの板碑である。


208号線沿いのかずやコスメディアの一部敷地内です。

土塁跡も残っている。


(現地の案内板)

田次郎丸居館跡及び古塔群
      市指定 昭和四十年六月一日
      所在地 荒尾市原万田字浦田
ここは長者屋敷ともいわれ、鎌倉時代から室町時代の名主、田次郎丸の館跡である。遺跡全体からみれば北に偏った、 高さ約二メートルの高地上で周囲の展望のきく唯一の高所である。
遺跡南東の袴岳頂上(直線距離一・一キロメートル)に袴岳城があり、田次郎丸屋敷と関係があつたと言われている。 周囲に外壕、内壕を有し、外壕は幅約二五メートル、深さ約二・五メートル全長二三〇メートルの水壕であつたと考えられる。
内壕は、現在長さ一三〇メートル、幅七・四メートル、深さ三・三メートルの空壕、内壕と外壕との間に幅五メートル高さ三・五メートル、長さ一二〇メートルの土塁がめぐる。
館の一隅に薬師堂がある。厨子背面板の墨書縁起によれば、持仏堂は東光寺といい、藤原吉家(法名宗秀)が永正六年 (一五〇九年)九月十四日、両親(道祐、 妙秀)の冥福のため建立し、薬師三尊仏も造顕してまつったという。
      荒尾市教育委員会



 東光寺(薬師堂)










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最終更新日  2026.06.11 14:00:28
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