太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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夢前案内人6323

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2009.01.24
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我が家は天龍寺にも近いので、寒修行の雲水がよく経を唱えながら托鉢をしているのを見かけます。

あるお坊さんが、寒修行のことを次のように書いて見えました。
私達人間は「死」に直面すると自我や欲望が壊れて、悲しみや優しさが溢れてきます。
ところが、何かを獲得しようと闘っている時は、獲得が生き甲斐となり自己実現が中心になってきます。
その時は悲しみや優しさに素直に共感出来ません。
欲望とはそういうものです。

私達も寒行をしながら「きつい……まだ終わらないのか……近道を歩こう……恥ずかしい。」など考えたりもします。
しかし、本来の宗教観である『支え』『救い』を信じ鍛錬によって自己を痛めつけ、道端の小さな命などにも感動し、心の成長を見出そうとしているのです。
その結界に於いて宗教への大きな畏敬が生じるのではないでしょうか。

そんな道中頂いた浄財は、すべて社会に還元し続けています。

厳しい経済環境の中で、派遣社員切りなどが話題になる昨今、ブラジル人が「日本に来て10数年、家族3人、帰国するにも60万円の費用が掛かり、帰るに帰れない」と言っているのを聞いて哀しくなってきました。
彼らを使っていた大手企業は、人を採用するのではなく部品を発注するのと同じだったと言っています。
人を人と見ない社会、そんな社会が幸せであるはずがありません。
今一度、生き方を見直してみる良い機会かもしれません。
そんな意味で、明日からの本論を読んでいただければ幸いです。





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Last updated  2009.01.24 09:57:02
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