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安藤忠雄氏に教えられたこと初めてお会いしたのはもう34年前のことになってしまった。月日が経つのは早いものだとつくづく思うこのごろ。「今見えているもの、今している仕事のその向こう側にあるものを 見つめるんだ」この言葉を投げかけられたときの衝撃はいまだに忘れることができない。あれから30年以上の時が経った。安藤は世界の安藤になった。しかし会ってみると少しも昔と変わらない。「がんばらなあかんで!」 「はい!」昔にタイムスリップ 「段取りはええか?」「はい、大丈夫です!」ん?・・いや大丈夫!昔からそうだが、安藤が現れると空気が一変する。「○○君、ちょっと来て」やさしく呼ばれ・・・「どないなってるん?」「先生のご指示の通りにつくりました」・・・「これはあかんわ!こんなこというたか?それにしてもあかんことわかるやろ!おまえはロボットか!」スタッフに対する言葉でも、まるで自分が言われているように全員が感じていた。今でも背中に汗が流れる。
2009/06/27
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松江市の夕日まるで空が木星の表面のように輝いていた。
2009/06/26
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建築作品【21 】 商店街の授産施設この建築は、松江市内の商店街に建つ精神障害者社会復帰授産施設だ。この施設の設置をめぐり、町内会や商店会などで協議がなされたが、快く受け入れられた。1階は、自然食を取り入れたレストランとパン工房。2階は、多目的スペースとなっており、私も、産学官交流会をここを会場に行った。今はすっかり街の風景に溶け込んでいる。事業には必ずコンセプトがある。思いがある。その事業を取り巻く環境がある。それに加え、立地する環境、住民の思いなどを合わせ、全国でもまれな事業といえると思う。この商店街は、毎月25日が天神市の日となっている。この施設からもパンやお菓子、惣菜類が並べられている。
2009/06/24
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建築作品【20 】 古曽志の住まい2世帯・・・(3世代)住宅として建てられた。一畑電鉄の沿線の踏切に接した3叉路に位置し、地域のランドマークとなる建築となった。お孫さんもふくめた3世代の話し合いは1年以上にわたり、ご一家のその姿勢は私の中で深い思い出となっている。真剣に、時には言い合いながら進められた話し合い。これこそ本音のぶつかり合い。きっと素晴らしい住まいができることだろうと思っていたものだった。変則な敷地に計画されたが、この敷地でないと絶対に出ないであろうデザイン。ご一家にふさわしい住まいができた。
2009/06/23
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建築作品【19 】 春日の住まいボックス型の住まい。外部はメタリックな感じだが、内部はウッディー。この住まいを訪れた方は一様に驚かれるという。面積は大きくないのに、内部の空間はとても広がりがある。この住まいも、親子と共同しての思い出深い設計作業となった。
2009/06/22
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建築作品【18 】 小樽市指定歴史的建造物第4号小樽市にある遠藤又兵衛邸は小樽市指定歴史的建造物に指定されている。松江の築百年の商家リニューアルがNHKで紹介され、それがきっかけで遠藤又兵衛邸のリニューアル設計の依頼がきた。約1年半にわたり小樽へ通った。この建築は、日本建築学会の評定建築に指定されている。リニューアルのコンセプトをめぐり小樽市当局と話し合いを行い、私の概念を認めていただいた。
2009/06/21
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建築作品【17 】 築百年の商家 リニューアル松江市和多見町の商家(元 醤油店)現在は専用住宅となっているが、それこそ老舗の由緒ある醤油店だった。一角には、醤油を製造していた場所があり、酵母の気配ととすすけた梁が往時を思い起こさせてくれた。建築家としては、単なるリニューアルはできない。コンセプトを見出すまでに数か月を要した。ニュ-ヨーク マンハッタンで仕事をされてきたクライアント(施主)氏も、単なるリニューアルではなく、意味あるものにしていきたいとの姿勢がうかがえた。ほとんどの提案を受け入れてくださり建物は完成した。この建築が完成したときNHKが番組で紹介してくれた。松江市長をはじめ、約400名あまりの方々が見学に訪れた。恐るべしメディア!見学者の多さに驚いたものだった。
2009/06/19
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建築作品【16 】 戸建型コーポラティブハウス プロジェクト住宅団地は、一戸あたりの敷地面積が大きいと売りにくいと聞く。ある自治体の開発した団地が売れなくて相談が舞い込んだ。10戸に区画してある敷地を統合し、12~15戸の住宅をランダムに並べ、共有の庭をつくることによって、広い敷地に住んでいるごとくにできるというプロジェクト。ここに住む住民が親しくなければできないプロジェクトだ。したがって、まず住まい手ありき。全体をコーポラティブハウスと考え、住民がそろってから計画をすすめるという企画を提案した。市長はOKだったが、役所のどこかで腰砕けになってしまった。役所の論理はこのころから理解不能となった。数年前のプロジェクトだが、この時期から、公共事業にかかわることをやめ、民間一本でいくことを決めた。
2009/06/19
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建築作品【15 】 荘原の住まい斐川平野にたたずむ築地松に囲まれた住まい。築100年以上は立つであろう古民家。幾たびの増改築が繰り返された建物は、その時折の棟梁の技が交錯する。偶然にも梁が幾何学的に組み合わされていた。新築ではとてもそのような梁組にはならないだろう。その梁組をこの家の歴史ととらえ、すべて表しにした。そこにえもいえぬ空間が出現した。
2009/06/18
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建築作品【14 】 横浜の住まい横浜といっても松江市横浜町。この界隈(かいわい)は、昭和30年代いや、昭和20年代当時の面影がのこる町。表面的に街並みに合わせることはできない。ならば、概念としての町の要素を取り入れることにした。外壁の材料は金属板にしたが、色彩をこの町に合うように決めた。写真で見ると町の風情から浮いているように思われるかもしれないが、現地に行ってみると、見事に調和している。3階建ての建物で、3階にリビングがあり、島根県立美術館のウエーブの金属屋根越しに、松江の風物詩である花火を見ることができる。
2009/06/16
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建築作品【13】 高層集合住宅プロジェクト一所帯あたり40坪、バルコニーを入れたら50坪を超える専有面積の高層集合住宅。このプロジェクトは、デベロッパー(販売業者)がいないプロジェクト。住まい手が共同して建設する方式。(コーポラティブハウス)デベロッパーの販売費がいらないため、とても安く作ることができる。デベロッパーの30坪タイプの販売価格で50坪の集合住宅が手に入る。このくらいの広さを確保できれば、一戸建てと比較してもひけをとらなくなる。おまけに土地代が持ち分割合の所有となるため、土地購入費が格段に安くなるため、同じ面積の一戸建て住宅とくらべ相対的に安くなる。一方で、コーポラティブハウスが高層でよいのか?という意見もあった。低層は低層でもちろん素晴らしい。しかし、高層もそれはそれのコンセプトがある。現に、狭小の分譲マンション群で覆い尽くされている社会の現状があたり前だと思われているところへ、広くてゆとりのある集合住宅も、容易に企画できることを知っていただくだけでも視野が広がるだろう。分譲マンションがなぜ狭いのか・・・それは、デベロッパーの宣伝広告費や経費・利益が必要だからだ。住まい手が協同組合をつくり、土地を共同で購入し、設計と施工を依頼する。そうすれば、いかなる経費も必要としない。デベロッパーの最終目的 ・・・ 販売利益住まい手の最終目的・・・・・・ よりよき住まいの実現19所帯の住まい手がその気になれば、この集合住宅は実現する
2009/06/15
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建築作品【12】 比津の住まい『外部から視線を視線を遮断し、かつ、開放的な内部空間をつくる』クライアントから与えられたテーマを顕実化した建築。周囲を建物に囲まれた敷地の場合に光庭を設ける場合があるが、この住まいの敷地は敷地の面積にも周囲の道路にも余裕のある住宅地。クライアントが求めるテーマに到達したとき、私の既成概念が消えた。外部に対し開放的にするということは、内部の様子を見られるということ。そのような住まいは、大半が、カーテンを閉めっぱなしにしている。とにかく開けっ放しで開放的にしたいという希望だった。開放的とは、外部に対して開放することだと思い込んでいたが、内部に開放的にすることの意義を改めて明確に意識することができた思い出深い作品となった。 光庭からルーフバルコニーへ上がる階段 ルーフバルコー ルーフバルコニー
2009/06/14
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建築作品【11】 田和山の調剤薬局田和山の皮膚科と一緒に計画された建築。コンセプトは、【田和山メディカルスクエア】杉板とガルバリウム鋼板の外壁と、内部に吹き抜けの空間。モニュメントがある吹き抜け空間は、2階ギャラリーの床と手すり壁をFRPのグレーチングを使用した。夜は、幻想的な空間となる。
2009/06/12
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建築作品【10】 ワイナリープロジェクトある醸造家の夢の実現のイメージをプレゼンテーションした作品。もちろん、建築の前に、醸造家の思いや理念がある彼は今、その夢の実現に向け、ひたすら進んでいる。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/12
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建築作品【9】 1980年ごろの作品およそ30年前に設計した建築。ケーキショップとカー用品店。25歳ごろに設計し、それぞれに思い出深い建築だ。ケーキショップは小さな建物だが、その建築面積とは違い、ずいぶん大きく見える。建物をキュービックな感じにしたいと思い、角の外装を特別加工し取り付けた。これにより、立体的な積み木を積み上げたような感じになった。カー用品店は、当時よく見られたテクノっぽい建物にしたかった。丸い鉄骨を使い骨組みを構成した。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/11
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南平台のコーポラティブハウス南平台の集合住宅計画を進める中で、コーポラティブハウスの計画が浮上してきた。宍道湖の景観を取り入れた建築は、その実現を求める声を多くかけていただくものとなった。もちろん、現在も計画進行中だが、途中で地主の都合で進めることが難しくなったりしていたが、時を経て、再び、実現に向けて動ける状態となってきた。8世帯のコーポラティブハウス。デベロッパー(販売事業者)がいない、住まい手が組合をつくり協力して集合住宅をつくるというもの。松江随一の景観の地に住みたい方はお申し出いただきたい。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/10
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建築作品【7】 南平台の集合住宅宍道湖を見下ろす斜面に計画した集合住宅。後に計画案は変化していくが、これはたたき台となる計画案。安藤忠雄設計の六甲集合住宅の概念を私なりに南平台に埋め込むとどうなるのか計画してみた案だ。私の中では、十分に実現可能の案となった。実際に実現しなくても、計画段階のシミュレーションは、実施案の作業となんら変わることはない。
2009/06/08
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建築作品【6】 檜山の集合住宅このプロジェクトは実現しなかった。NT○ファシリティーズに計画案を見せたところ、「ジョイントしないか」と持ちかけられた。断ったのだが、承諾していれば実現したかもしれない。山の上の松江市を一望できる地に集合住宅を計画。実現していたら、よきコミュニティができていたに違いない。極力、造成を避け、自然の形状を生かして計画した。 配置・平面 計画 アクソノメトリック 模型写真1 模型写真2
2009/06/08
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建築作品【5】 幸町の集合住宅設計したのは25歳。・・・31年前?? え~そんなに経ったのか。○○金融公庫の基準が厳しく、室内日照を満たすためサフィックスをX軸とY軸をそれぞれ45°振った。それにより、階段と階段の間にアルコーブが生まれた。それにしても力のある設計だな・・・25歳の私に、感心、感心。 計画案 模型 アルコーブと吹き抜け第2期が計画されたが、残念ながら実現しなかった建てられていたら、1期と2期で面白い界隈(かいわい)になっていたことだろう。 2期計画案 2期模型
2009/06/07
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建築作品【4】 学園の住まい昭和62年に建設した自邸。(現在は所有していない)安藤忠雄が建築学会賞を受賞した『住吉の長屋』のディテールをそのまま採用した。よく考えられたディテールだな~と関心しきりだった。コンクリート建築の厳しさと優しさと価値観を体感できた10年。この体験は、現在の建築家としての私に、大いなる自信と勇気を与えてくれるものとなった。この住まいは、夫婦と子供2人を想定して建てたが、6人家族となってリタイア。現在は木造住宅に住んでいるが、子供たちは今でも、このコンクリート住宅で暮らした日々が忘れられないという。もちろん私も・・・いつかまた、コンクリート打放し住宅に住むことを夢見ている。
2009/06/06
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建築作品【3】 田和山の皮膚科クリニックこの建築に求められたのは環境であった。皮膚科クリニックということで、特に、上履きで皮膚病がうつるということがあってはならないということで、開業医では珍しく下足のままで院内を歩くことになった。靴の汚れをいかに取って入っていただくか、これがポイントとなったが、玄関をギャラリーとすることで歩く距離を違和感なく長くすることができた。室内の壁に桐板(きりいた)を張ることにより調湿の環境をつくることができた。さながらタンスの中の状態だ。乾燥しすぎず、適度な乾燥状態を保つことができる。冬は、床暖房も相まってとても心地よい空間だ。
2009/06/06
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建築作品【2】 浜乃木の家台形の狭少地に計画した住宅。室内に十分な光を確保するため、トップライトを設けるとともに、南側の壁は、1~2階をアトリウムにした壁を建具とした。真中にアトリウムを設置したことで、狭小住宅でありながら、とても広い空間性が感じられる住まいとなった。
2009/06/05
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建築作品【1】 国屋の家いよいよ10万アクセスを超えるところとなったが、しかし考えてみれば建築家でありながら、設計作品について、ほとんど掲載したことがない。この日記が自分史であるならば、当然に設計した作品について記録しなければならないだろう。この機会に記すこととした。作品のはじめは、独立して初めて手掛けた国屋(くや)の住宅。今は、住宅団地の屋並みに飲み込まれ、ファサードが見れなくなってしまったが、思い出深い作品だ。
2009/06/04
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いよいよ10万アクセス!2003年12月26日に建築家日記(1)を書き始めて5年と6か月。最近はたまにしか書かないが、日記というより自分史として書き始めた。公開で書き記していくので、差しさわりのないことしか書けないが、それにしても、あの時はこうだったな・・・と思えるような月日の重なりが見れるようになってきた。その分歳をとったということでもあるのだが。この日記をアップすれば、本日のうちに10万アクセスは超えるだろう。どなたが踏んでいただくのか。石の上にも3年というが、石の上に座っただけでは何の意味もないが、それでも3年も座っていれば意味合いが出てくる・・・、いや、石の上に3年も座っているのだから何かがあるのかもしれないという、他人さまの錯覚をひたすら待つ・・・ということか。評価とは、人様からいただくもの、人様の思い込みや錯覚が、その本質になる。すべて概念。思い込み。しかし、それはとても大切なもの。建築家日記が10万アクセスになろうとしている。きっと何かの意味があるのだろう・・・という錯覚をいただければ本望。これからも、少しずつではあるが、自分史を記していこう。60歳まであと4年。安藤先生いわく、50歳代は、建築家としては、はな垂れ小僧。70歳からが本番!だそうな。私の人生の本番はやっとこれからピークに差し掛かろうとしている。そのアプローチを歩んでいる。定年という人生からの離脱がなくて幸い。生涯現役でいきますよ~!安藤先生に言われたごとく、日々の基礎体力の増進は欠かしたことがない。洋服をきているとわからないが、裸になると筋肉隆々の私。70歳になっても、20代の若者にも負けない腕っ節を維持していくぞ~!同年輩は歳とって引退・離脱。私は体力気力を維持し続け、なおかつ読書しまくり。歳とっても現役ばりばり。(ガンバルゾ!)10万アクセスを超えて、やっと、これからが本番。
2009/06/04
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