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多分私の周りにいる人のほとんどは、「多少」と思っているのではないかと思う。
何故なら、発音が・ーだから。
電車の中や道ですれ違う人も、もしかしたら前世で何らかの縁の会った人かもしれないから、
この出会いは偶然ではないかもしれない、と言う意味だと思っていた。
確かに言葉の意味としてはそんなに外れていないかもしれない。
でも、意味合いだけ抑えていても肝心な言葉がこれでは…ね。
特に「多少」と「多生」じゃ、全く違うことになる。
「多少」は、多いか少ないかと言う意味の他に、それほど多くないことを表す。
「多生」は、生き物の宿命として、動物、人間、天人などとして
何回も生まれ変わること…輪廻転生を表している。
前世で、少し縁の会った人かも…「多少」と
輪廻転生する度に縁のある人…「多生」では大違いである。
これを教わってからは、発音にも気をつけている。
人にも暖かく接するようにもなったかも…
別に今までが切り捨てていたわけではないのだけれど、
良いご縁、悪いご縁と分けていたかも。
でも今は、この人とは合わないかな~と思った人とでも、
度々ご縁のある人かもしれないと思えば、また違った目で見ることができる。
大体、気の合わない人、波長の合わない人は、
自分の反面教師になってくれていることが多い。
そう思えたらしめたもの。
本当の自分、あるがままの自分に、またひとつ、またひとつと出会えていける。
そう、腐れ縁、因縁、合縁奇縁というものもあるけれど、
縁は異なもの、味なものである。
その縁から何を学ぶかは自分次第。
何も学ばなくてもいいのです。
だって、学べなかったことは来世でまた巡り合わせてくるのですから。
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