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8日の日記にhappyBさんがしてくれたコメントの中に
「自己判断がつきにくい子ども…」という言葉があった。
子どもは幾つになったら自己判断がつくのだろう…
また、それを回りが認めてくれるのは幾つになったらだろう…とふと考える。
最近のファブリーズのCMにこんなものがある。
幼稚園(小学校?)から子どもと一緒に帰って来た母親が、
家に入るや否や、「汗をかいたからお風呂に入って」と子どもに言う。
「着ていた服は洗濯機に入れて」と言う。
洗濯機の前で子どもは「帽子は?」と言う。
「それはこっち」と言いながら母親は帽子にファブリーズをスプレーする。
「どうして?」と言う子ども…
どうしてだか答える母親…
「どうして?」「なんで?」アニメの一休さんの影響のせいか、
こういう言葉にマイナスの意味を感じてこなかった。
分からないことを訊くのは好奇心、探究心があっていいことだと思っていた。
「どうして?」「なんで?」と訊かれると分かることならすぐに答えてしまう。
でも、それでいいのだろうか…と思い始めた。
「どうして?」と訊かれたら、「どうしてなんだろうね」と応える方が
その子の成長に繋がるのではないかと思う。
そのあとに時間的余裕があれば(作って)、
「一緒に調べてみよう」とか「一緒に考えてみよう」とかと言いたい。
「どうして?」と訊かれてすぐに答えを出してあげたら、少し極端かもしれないが、
折角のその子の考える力を奪ってしまうことになるのではないか…と思う。
自分で考えて答えを出してみないと自己判断は鍛えられないのではないだろうか。
出した答えが間違っていようが合っていようが、そんなことは微々たることで、
「自分で考えてみた」ということが自信に繋がっていくのだと思う。
子どもの自己判断を鍛えないのは大人で、それを信じないのも大人なのかもしれない。
鍛えることに付き合う時間的余裕もこころの余裕もない。
世の中まだまだ忙しい。
子どもを信じるには周りに危険が多すぎる。
そして自分自身もどこか信じきれていない部分がある。
「どうして?」に答えるのか…、応えるのか…それが問題だ。
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