「あるがまま」日記

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2005年01月25日
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1/25(火) 強迫観念におちいるまで その1

※ この体験記は、以前、体験発表したときの原稿を元にしたものですので、会話調の箇所がところどころあります。ご了解ください。

まず生い立ちですけど、私は今を去ることうん十年前の11月に長男としてい生まれております。下に弟と妹が一人づつ3人兄弟です。九州の福岡県で生まれました。

父方の祖父も母方の祖父も海外で一旗上げようという組でして、昭和元年ごろ台湾に入植してそこで仕事をしておりました。第2次世界大戦前のことで、当時は満州台湾には日本人が大勢入植していたわけです。特に父の方の祖父は台湾で質屋を経営しておりまして、一代で財を築き上げて、借家を五十軒も持っていて、ちょっとした金持ちだったようです。

しかし終戦とともに台湾にも支那軍が進駐してきまして、日本人の財産はすべて没収されてしまい、両親は着のみ着のままアルバム一冊持っていくことを許されない状況の中、やっとの思いで日本に帰ってくるというありさまだったわけです。

日本には財産らしい財産は何もなく、一坪の土地もなくて、文字通り裸一貫からやり直したわけですが、私は小さいときからかなりの貧乏生活を強いられておりました。そのため両親の私たち子どもにかける期待感はたいへん大きくて、特に弟は生まれたときから病弱で、長いこと病院通いをしていたということもありますので、長男である私への期待度は相当なものがあったようです。

そのため子どものころからよい学校に行きよい会社に入って早く一人前の人間になって人の上に立つ人物になろうと、有名になろうという意識が強くまたそのような意識を吹き込まれていたような気がいたします。このことがあとの強迫観念の遠因になったのではなかろうかと思われます。
(続く)

●ぶざまでも、弱さをさらけ出す人間でも、自分は自分でしかない。これで

(生活の発見会HP表紙の「今月の言葉」より引用)
http://www.hakkenkai.gr.jp/
EOF





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最終更新日  2005年02月22日 10時09分02秒
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