遊心六中記

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2017.05.27
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カテゴリ: 探訪 [再録]

馬頭観音堂は標高590m、金勝寺は標高550mです。 25分程度、金勝寺林道を下って行きます。
山上の地形に幾段にも石垣積みの敷地が築かれた境内は、生け垣の境界があるだけで築地塀のようなものは見えません。                    [探訪時期:2014年10月]
この画像の右方向に志納所(受付所)があります。
  拝観手続きを終えて、境内を進むと、

「仁王門」まで真っ直ぐに山腹を上がって行く石段です。

この石段にはちょっと特徴があります。寺社の参道は幅の広狭にかかわらず、側面が一直線となっているのが普通です。その 石段が矢尻の先のような形に組まれている のです。ここでは 「山型配石参道」 と称されています。 (資料1)
拝観の折にいただいたリーフレットの表紙と対比すると、石段の形状は同じに整備されるとともに、中央に手すりが設置されたようです。ここにも時代の波が寄せているようでおもしろい。
                      仁王門に近づくと、両脇に全身朱色に塗られているからなのか、その眼が目立つ仁王立像が見え始めます。防護網で覆われていないのがうれしいですね。


                   間近で撮った両脇の仁王立像

金勝寺のある寺域一帯は、 栗東八景の一つ 「夏清の幽玄」~金勝寺と森林浴の森~ と称されています。



金勝寺境内は、 仁王門 を入ると、

     正面方向に 「本堂」 (赤い屋根のお堂)が一段高い境内にあり、

「虚空蔵菩薩堂」 (白壁のお堂)が配されています。

仁王門を入ると、右側に 「二月堂」 があり、本堂の右斜め背後に 「御香水館」 があります。また、虚空蔵菩薩堂の正面は本堂の側です。それに対し、虚空蔵菩薩堂の背後の山腹のさらに一段高い境内部分に、 「金勝寺遺跡 」の遺構があります。

(ろうべん) 僧正が開基したとされるお寺です。奈良の平城京との関係と聞き、少し驚いた次第。

このことに関連しては、聖武天皇が近江に紫香楽の宮を造営し、そこに大仏を造立し遷都するという計画の実行もわずか3年足らずで頓挫し、平城京に戻ってから東大寺の建立をしたという経緯があります。白洲正子氏の随筆に「金勝山が都の鎮護とされたのも、紫香楽の宮なら合点が行く。それは信楽の北側にあり、金勝族の根拠地であってみれば、名実ともに『鎮護』の名にふさわしい。」 (資料2) という記述に納得感が生まれるのがおもしろいところでした。
また良弁が「一説には、金勝山の麓で生まれた、百済系の帰化人の子孫であったという。東大寺にある良弁の彫像は、どことなく外国人らしい風貌を伝えており、近江はもともと帰化人が多い土地だから、これはおそらく事実に違いない。」 (資料2) とも記しています。そうだとすれば、この地での金勝寺の創建がうなずけるところです。

(こんしゅく) 寺」とも称したそうです。
また「興福寺官務牒疏」には、鎮守神は三上・兵主 (ひょうず) ・山津照 (やまつてらす) ・飯道 (いいみち) の四神、僧房山上に三六院、衆徒三六口、侍二六人、養老元年(717)良弁開基とも記されているそうです。 (資料3)
8世紀中頃には25別院を総括する寺(法相宗興福寺の仏教道場)になっていて、 金勝山大菩提寺 と称されたといいます。
弘仁6年(815) 嵯峨天皇の勅願により、興福寺の伝燈大法師願安が伽藍を建立し中興
天長10年(833) 仁明天皇により「定額寺」に列せられ「金勝」の勅額を受ける。
これ以降、金勝山金勝寺と称するようになったそうです。 (資料1,3)

最後の探訪地のをご紹介を順次続けましょう。

まずは 「二月堂」 から見仏して行きました。
二月堂には巨大な「木造軍荼利 (ぐんだり) 明王立像」(重文)が安置されています。平安時代・10世紀の作だそうです。像高3.64m。
 一面六臂の巨像です。6本の手には、鉾・輪宝・三鈷杵 (さんこしょ) ・金剛鉤 (こんごうこう) を持ち、大?印 (だいしんいん) という印相を表しています。

頭は炎髪が逆立ち、上歯で下唇を噛みしめ、怒りの眼が睨みつける激しい相貌です。
檜の一木造りだそうです。

軍荼利明王は五大明王の一尊で、中央の不動明王に対し南方に配される明王です。
「五大明王像は平安時代から盛んに信仰され、五壇法が行われ、五大堂が各寺に建てられるようになった」 (資料4) といいます。
かつては、この金勝寺に五大明王像が安置されていたのでしょうか。この大きさの像が5躰配されていたら・・・・・壮観ですね。そんな想像をしてみたくなります。



本尊は木造釈迦如来坐像 (重文)で平安時代・12世紀の作。檜材の寄木造り。後補で漆箔が施されているようです。


本堂前面を眺めますと堂前に 鰐口 が吊されています(左)。 木鼻 は象頭の形をシンプルに表現しています。(右)

蟇股が使われる場所には大瓶束 (たいへいつか) と呼ばれる円柱を使った「笈形」という形です。左右の装飾が蟇股のような形で下方向に広がっていく形ではなく、上部の桁を支える様な装飾になっています。笈形は「鎌倉時代以降、大仏様・禅宗様の様式にあらわれている」 (資料5) そうです。

天文18年(1549)の大火で本堂ほか諸堂が焼失し、約400年前に仮堂として建てられたものがそのまま現在の本堂として使われているとのことです。また、二月堂は文治元年(1185)の失火後の金勝寺再興の時に建立された建物だとか。 (資料1)

本堂の右側を回り込み、坂道を少し上がると、 「御香水館」 があります。
連子窓から中を覗くと、井戸のようです。ここの清水は「明治3年(1870)まで毎年正月15日、九重御祝小豆粥の水として、京都御所へ献上していました」 (資料1) とのこと。

『大辞林』 (三省堂) を引くと、九重について「(昔、中国で王城の門を幾重にも造ったことから)皇居、宮中」という説明があります。正月15日に御所でお祝いとして小豆粥を食する行事が行われたということでしょう。「小豆粥」は俳句の季語にもなっています。歳時記には「1月15日に小豆を入れて炊いた粥のことで、餅も入れる。これを食べれば、その年の邪気、疫病を祓うという」 (資料6) と記されています。

いくつかの歳時記を繙くと、小豆粥よりも七草、七草粥を季語とした句の方が多く詠まれています。小豆粥を季語として詠んだものをいくつか引用しさせていただきましょう。

  明日死ぬる命めでたし小豆粥   高浜虚子
  頼みあふいのちふたつや小豆粥  吉井莫生
  ほのぼのと山辺なりけり小豆粥  綾部仁喜

『有職故実 上』を繙くと興味深いことが記されています。行事の変遷です。 (資料7)
「正月上の子の日に、内蔵寮、並びに内膳司から若菜を供じ、羹 (あつもの) を調じて天皇に差し上げる儀」 (p207) があったそうです。羹というのは熱く煮た吸い物のこと。子の日の宴で、春草の若苗で食用に堪えるものを吸い物にして食べ、長寿を祝うこととしたようです。これが正月七日に春の七草を羹にして食べることに変更となったようです。『枕草子』には7日に七草の若菜を食べる記載が出ています。
一方で、「正月十五日、主水司 (もいとりのつかさ) から七草粥を献上する儀」に関連したことが『延喜式』に記されているそうで、もともと15日に七草粥が食されたのだとか。嵯峨天皇(809~823)の頃には定まった行事としての記録がみられるそうです。それが、『枕草子』(堺本)には「十五日は、もちがゆの節供参る。」とあり、7日が七草粥、15日が望 (もち) の粥の風習になっていくようです。『枕草子』は1001年頃成立したとみられています。
そして、「江戸時代には、民間では15日に食べる粥、即ち望 (もち) の粥というのを訛り『餅の粥』と誤り、小豆の粥に餅を入れて食することが行われるようになった」と考証しています。

脇道に逸れました。戻ります。

御香水館の前の山道を本堂の背面を見おろしながら上ると、
「金勝寺遺跡」  ここは 「大講堂跡」 に比定されているそうです。


昭和60年(1925)の遺跡所在調査で、梁行5間、桁行9間(推定)の堂舎跡。露出している礎石は整備に伴う復元だとか。 (説明板より)
大講堂跡と比定される場所は標高549m付近の尾根の斜面に造られた平坦面ですが、もう一箇所標高538m付近の尾根を掘り切り平坦面を造って、三間四面の建物を建てていたと推定できるそうです。また、「遺跡からの出土遺物には瓦が極めて少なく、屋根は檜皮 (ひわだ) や柿 (こけら) により葺かれていたと考えられます。出土した土器類には9世紀後半~10世紀初頭の遺物が多く含まれています。」とのこと。 (資料8)

「虚空蔵堂」 は昭和に新しく建立されたお堂です。木造虚空蔵菩薩半跏像(重文)が安置されています。平安時代、10世紀の作だそうです。
 お堂側面の窓の格子の間から垣間見える 菩薩の尊顔

この後、山型配石参道を下っていき、石垣の中に、年号の刻された石が組み込まれているのを目にしました。

志納所を出て気づいたのが、「良弁僧正お手植大杉」の案内板

「六根清浄散策路」 と名づけて整備された周回路の一角にあります。
六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意の六根のことです。つまり、人間の身心を清らかにするための散策路ということでしょう。
 この巨木となった大杉がお手植えの杉だそうです。

さてここからは、林道を歩み「こんぜの里」に下りるだけです。
次のような各種標識を下山の途中に見ました。これを逆順に御覧いただくと、「こんぜの里」からの上り道の景色ということになります。





道の駅「こんぜの里」の隣に「県民の森」が広がっています。
「こんぜの里」の建物に近い方の入口近くに、

この古墳のようなイメージの小丘が作られています。

生け垣に囲まれた頂上までの石段を上ると、

北の方向に「県民の森」が広々と眺められます。 なかなかいい景色です。ここは昭和50年(1975)に全国植樹祭が行われた跡地なのです。そこが「県民の森」となりました。
この景色は、栗東八景の一つに選ばれ、「陽春の風光」と称される景色です。



この森の一隅を少し散策すると、「全国植樹祭」の折の昭和天皇の記念植樹の碑が建てられていました。「ひのき」を植樹されたそうです。

その碑の後の方に、植樹された時に詠まれた歌が大きな歌碑として建立されています。

   金勝山 森のひろばにあれかしと いのりはふかし ひのきうえつつ

植樹の「ひのき」が大きく生長していました。その「ひのき」もはや40年余の年輪を刻んでいることになるのですね。

最後に、白洲正子氏の「金勝山をめぐって」というエッセイは、金勝山ハイキングとそこに点在する史跡を味わうのに有益です。金属を扱う人々の集団・金勝族という説やその人々が金勝山の神を奉じていたという説にもふれています。金勝族と良弁の関係も語り、金勝山・金勝寺・狛坂寺などに対してロマンを喚起させるものです。
かなり昔に読んだもの-ほとんど記憶の底に沈殿していただけ-です。この探訪の後で改めて読み直してみて、文庫本を携えて行っていたら・・・・と、ちょっと残念な思い。


ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 「金勝山金勝寺」 拝観時にいただいたリーフレット
2) 『かくれ里』 白洲正子著 講談社文芸文庫  p99-110
3)『滋賀県の地名 日本歴史地名大系25』 平凡社
4) 『図説 仏像巡礼事典 新訂版』 久野健[編] 山川出版社
5) 『図説 歴史散歩事典』 井上光貞監修 山川出版社 p179
6) 『改訂版ホトトギス新歳時記』 稲畑汀子編 三省堂 p49
7) 『有職故実 上』 石村貞吉著 嵐 義人校訂  講談社学術文庫 p267-278
8)「探訪[大地の遺産] 金勝山に大磨崖仏を訪ねて」 当日の配付資料
   滋賀県教育委員会  協力:栗東歴史民俗博物館、栗東観光物産協会

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
国宝 良弁僧正坐像   :「東大寺」
良弁忌の東大寺開山堂  :「奈良の宿大正楼」
良弁 689‐773(持統3‐宝亀4)
金鷲優婆塞   :「コトバンク」
東大寺 金鷲と執金剛神   増尾正子氏 :「奈良の昔話」
軍荼利明王   :ウィキペディア
仏に関する基礎知識:五大明王(ごだいみょうおう) :「高野山霊宝館」
本尊五大明王   :「江寄山常福寺」
虚空蔵菩薩  :ウィキペディア
こんぜの里   ホームページ
南山地をめぐる渡来文化への視座  高田氏 :「近江歴史回廊倶楽部」
近江富士三上山 御上神社  ホームページ
兵主大社   :「滋賀県観光情報」
山津照神社  :「滋賀県神社庁」
飯道神社(イヒミチ)  :「滋賀県神社庁」
飯道神社   :「滋賀県観光情報」
山津照神社古墳   pdfファイル 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2017.05.28 13:51:17コメント(0) | コメントを書く


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