遊心六中記

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2017.12.16
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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今回はこのお寺も門前を通過するだけの地点になりましたが、後で調べると 「長福寺」 です。

この門前の広場の一隅に、珍しい彫刻柱を見つけました。
どこかで写真を見たような・・・・。関心を抱き門前ではなくて、こちらに近づいてみました。


あのアショーカ王が紀元前3世紀に建立した柱頭彫刻の模型でした。

再録にあたり、少し脇道に逸れます。この探訪は2014年6月でしたが、2015年11月に正倉院展を見に出かけた後、 東大寺境内 を久しぶりに散策しました。この時のまとめも既に再録しています。 大仏殿東側の山腹に金色に輝く相輪のモニュメントが建てられています。
その近くに、「アショカピラー」と呼ばれる石柱の柱頭部の彫刻像が復元されています
説明碑によると、「花まつり千僧法要記念宝塔」として建立されたものです。背後に一部写っているのが相輪です。現時点の再録で思い出しましたのでここに追記します。東大寺に行かれた場合は、そちらでご覧になるとよいかと思います。

長福寺は甲賀西国観音第7番札所 です。平安初期の大同元年(806)に開祖されたと伝わるそうですが、現在は浄土宗のお寺。 本尊は阿弥陀如来坐像で、別棟に聖観世音菩薩像(重文)が安置されている そうです。 (資料1)
「寺伝によると恵心僧都の作。仏体は一木造で、座部は別木、きらびやかな宝冠、腕の飾りあり。金色雲文の舟形光は江戸初期のもの」だとか。 (資料2)

彫刻柱模型の傍には、こんなルートマップが建てられています。こんなのがあると便利ですね。

前回の散策マップ部分図と併せて、​ 今回ご紹介する地域の地図(マピオン)をご覧ください。 ​位置関係がよくご理解いただけることでしょう。


長福寺を通過し、杣川の堤の道を歩きます。

そして、片山の踏切で草津線の単線路を横断し、田堵野西の交差点を経て、
 その先で見たのがこの道路標識です。
そして田堵野、上野の交差点を経て上野ふれあい広場に。ここで昼食休憩でした。その際、鹿肉バーベキューのおもてなしを受けた次第です。鹿肉なんて普段食べる機会がありません。興味津々で試食しましたが、軟らかくておいしかった!
上野ふれあい広場から、道沿いに北に向かうと「北上野城跡」 があるようです。
今回の探訪では、午後の後半はまず



その途中で、 「但受山極楽寺」 の山門前で、ボランティアガイドさんの説明を受けました。


極楽寺は推古天皇13年(604)聖徳太子の開基と伝えられ、 この地方の豪族大伴氏一族の香華院 と呼ばれているそうです。残念ながら当初のお寺は文禄年間(1592~1596)、桃山時代に焼失。 承応3年(1654)に中興された後、江戸時代の宝永3年(1706)に現在地に移転されたようです 。現在の本堂は大正8年(1919)に建てられたものだとか。 本尊は木造阿弥陀如来坐像 だそうです。 (資料1,3)
 その先に目に止まった赤鳥居



上野城址への登り口 に、大きな標識を「油日駅を守る会」が建てられています。個人で訪れる場合には、こういう標識が整備されているとありがたい!

 さらに、登り道の途中に標識が整備されています。

途中竹藪の中の細い坂道を上ります。
この上野城はかなり規模の大きい山城でした。

これが上野城跡縄張図です。
上野城跡は、県道4号線草津伊賀線沿いの丘陵に存在します。県道沿いに青野川を渡り、油日区山崎集落に入ったところの丘陵です。
現地付近の地図(マピオン)はこちらをご覧ください。




土塁に囲まれた曲輪がよく解ります。遺構の保存状態は良好です。ここは 市指定史跡 になっているようです。参加者の立っている位置や背丈から土塁の高さもお解りいただけることでしょう。
縄張り図を見ると、曲輪は7箇所、ローマ数字が振られています。












虎口の様子もよくわかる状態です。

縄張図を確認しながらゆっくり観察する時間がなかったのが少し残念です。しかし、 甲賀には単郭方形タイプの城ばかりでなく、かなり規模の大きい山城もあることがわかり、その一例を探訪できたのは収穫でもあります。

県道バイパス道路が建設されることで、丘陵の東側が削り取られ、縄張図の東、曲輪Ⅶの東半分が消失したのがわかります。道路建設に先立つこの場所の発掘調査から、「小穴、竪穴などの遺構や、信楽焼の擂鉢、瀬戸・美濃焼の天目茶碗、唐津焼の皿などの土器・陶磁器類や、石臼・砥石など生活道具類など、16世紀後半から17世紀前半にかけての遺物が出土しており、城内でも居住性のある空間だったことが分かっている」そうです。 (資料4)



南山六家の一家として上野氏の名前が挙がっていますので、この上野城跡から北上野城跡にかけての地域は、 上野同名中惣の地域 だったのでしょう。 (資料5)

この後、「公方屋敷跡」「山岡城跡」を巡ります。公方屋敷跡は、上野城跡の位置からは、JRの線路を挟んで西側となり和田区に存在します。

つづく

参照資料
1) 「油日歴史ふれあい散策マップ 油日自治振興会エリア」 
    MAP発行者 甲賀市油日自治振興会地域振興部
2) 「歴史と文化を巡る 甲賀の里」 製作 大原自治振興会 
3) ​ 極楽寺 ​  :「湖国寺探訪」 
4) 「『かくれ里』ササユリ・トキソウの魅力と甲賀武士ゆかりの城跡を巡る」
   油日駅を守る会 作成
5) ​ 甲賀郡中惣と甲賀五十三家 ​  :「戦国浪漫」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
上野城跡 ​  :「滋賀県観光情報」
織豊期の甲賀 -甲賀の焼き討ちはなかった- ​  木戸雅寿氏
   「紀要」第21号  滋賀県文化財保護協会
アショーカ王 ​  :ウィキペディア
アショーカ王柱(古代初期の仏教美術) ​ :「アジアの宗教美術と博物館!」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 [再録] 滋賀・湖東 かくれ里(甲賀)の城跡巡り -1 JR甲賀駅、ササユリ観覧、梅垣城跡 へ
探訪 [再録] 滋賀・湖東 かくれ里(甲賀)の城跡巡り -2 甲賀郡中惣とは、大原城跡 へ
探訪 [再録] 滋賀・湖東 かくれ里(甲賀)の城跡巡り -4 公方屋敷跡、山岡城跡 へ

​​​​​​​ 探訪 [再録] 東大寺境内 -3 大仏殿・勧学院周辺と春日野 へ
本文に補足した散策記録のまとめです。異なる位置から撮った画像を掲載しています。





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Last updated  2017.12.16 16:05:00
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