遊心六中記

遊心六中記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません
2017.12.21
XML
カテゴリ: 探訪 [再録]
​​​​​​​​


2012年10月27日(土)に参加した歴史探訪「北畠具行最後の地・柏原宿を訪ねて」 (滋賀県教育委員会事務局文化財保護課企画) の後半、「徳源院」つまり京極氏遺跡を探訪したまとめを再録し、ご紹介します。
(再録理由は付記にて)
冒頭はJR柏原駅前に立つ 「柏原宿散策ガイド」案内板 (上)と、徳源院前に立つ 「清滝史跡散策マップ」案内板 (下)です。



石垣の上に下半分・黒塗りの腰板が張られた白壁の築地塀。武家屋敷を髣髴とさせるのが 「清滝寺徳源院」 です。門前までの木々が紅葉する秋の景色は、白・黒の築地塀と紅葉のグラデーションとのコントラストが美しいだろうなと想像します。
ここの紅葉は「血初めもみじ」と呼ばれているそうです。

徳源院入口への緩やかな坂の手前に、ここが京極家の菩提寺であることを示す石標が立っています。



                     境内を含めいくつかある説明板を撮ってみました。
この清滝寺は弘安6年(1283)京極氏信が創建したものです。寺名は氏信の法名が清滝寺殿であることに由来するそうです。

なぜここに菩提寺が作られたのか?
氏信は近江守護佐々木信綱の四男 であり、 仁治2年(1241)北近江六郡を領して柏原館を拠点にした ことによるのです。 その柏原館が旧山東町清滝かと推測されています。

京極家歴代の庇護のもとに、盛時には寺坊12を数える寺だったとか。そのため、京極氏の盛衰とともに寺運も盛衰したといいます。江戸時代、あの京極高次の系統で、初代丸亀藩主となった京極高和が「所領である播磨国の二村を幕府に返上し、その代わり京極家の菩提寺ある清滝村と隣村大野木村の一部を貰い受けて清滝寺の寺領とします。」 (資料1)
そして、その子 高豊が丸亀藩主として、さらに菩提寺を整備 したのです。 父高和の法号をとり、院号を徳源院に 改めたのです。その結果、 「清滝寺徳源院」、略して「徳源院」 と称されるという次第です。

「清滝寺京極家墓所」は国指定史跡になっています。
京極家墓所は、各所に散在していた歴代の人々の墓を二代丸亀藩主の京極高豊(京極家第22代)がここに集め、順序を正して墓所を整備したそうです。
この付近には、西念寺(第2代宗綱)、能仁寺(第7代高詮)、勝願寺(第8代高光)といった歴代の菩提寺伝承地があるそうで、この清滝の地が京極家当主の墓地だったのです。能仁寺の伝承地は発掘調査で確認されています。徳源院の南に隣接する”ノネジダニ”と呼ばれる小谷に位置します。 (資料1,2)



その墓所配置図が説明板の右側に示されています。 現在は墓所が築地塀で囲まれ、山の斜面に上下二段の墓地が形作られています。 まずは墓所を参拝・拝見しました。

墓地門
墓所配置図と対照すると、 門から見えるのは高矩の墓 です。


まずは石段を上がり、墓所上段を拝見。宝篋印塔が整然と一列に並ぶ景色は壮観です。
この景色が観光案内などでよく紹介されているところです。
右端の宝篋印塔・氏信の墓から左端・高数の墓まで18基が配置されています。

上段の墓所から下段を眺めた景色




下段の墓所で、やはりまず目を引かれるのはこの 石廟 でしょう。 「京極高次の墓」 です。
湖北の大溝城城主から湖南の大津城城主となり、関ヶ原合戦の折には、豊臣軍(西軍)の攻撃から大津城を堅守した人物です。
高次の系統を継承する高豊が直接の祖として重視するのはなるほどと思います。
         石廟の右隣りが木造墓堂内にある 「高矩の墓」 です。

右方向に歩み下段の墓所を眺めた景色
高中の墓

        墓堂が高豊の墓、左の宝篋印塔が高和の墓
のようです。

一番右端の墓堂が高成の墓
墓堂に納められた墓が合計4つあります。屋根をご覧いただくと、近江守護佐々木氏・京極家の家紋(「四つめ詰」)が屋根瓦に陽刻されています。


墓地門の左側築地塀傍にも5基の宝篋印塔(上)が整然と並び、また石廟の左隣りにも3基の宝篋印塔(下)が並んでいます。

その後、本堂、位牌堂などを拝見しました。
本尊は聖観世音菩薩 (恵心僧都作)と 廃坊になった十二坊の本尊 が祀られています。

当日、屋内での撮影を許可いただけましたので、その一部をご紹介します。ぜひ一度お訪ね頂き、境内の景色とともに、乱世を生き抜いた江北の雄・京極家の変遷に思いを馳せてください。

位牌堂には、歴代の位牌が祀られています。また厨子に入った観音立像の左右に京極高次・高豊はじめ六人の木彫像がずらりと小ぶりの厨子におさめて安置されています。

      一隅にはかつて使用された 大名駕籠 も保存展示されています。


続きの部屋には、京極家ゆかりの文書や品々もいろいろ展示されていました。

一つ興味深いのは、 幽霊図の掛軸 でした。滋賀県東淺井郡在住だった 清水節堂 (1876~1951)筆の絵です。 「描表装 (かきびょうそう) 」という手法で、表具まで描いてあり、表具からまさに幽霊が飛び出してきたというトリッキーな錯覚を覚えさせる絵でした 。実物をみると、かなりリアルです。部屋があかるかったのでましだったのですが、もし薄暗いところでこの絵をみたら、まさに迫真ものでしょう・・・・。トリッキーです。

            窓越しに裏庭を拝見するのもいい雰囲気です。
裏山を借景として取り入れた池泉回遊式庭園で、県指定の名勝です。




それでは最後に、境内のご紹介です。

お寺の門を入り、境内を左側に入って行くと 「三重塔」 が見えます。
右端に写っているのが上掲の墓所配置図の描かれた説明板です。右方向に右折していくと墓地門に至ります。



京極高豊が荒廃していた清滝寺を再興した際に、この三重塔を建立したそうです。
内外ともに本格的な構造を示しているもの。県指定重要文化財。
礎石上端から相輪頂上までの総高は15.52m 。昭和51年の修理の際に屋根を当初のこけら葺に直されたそうです。 (資料1)
この三重塔の相輪は 通常の鋳造製と異なり、 銅板製 で相輪部材の比率も一般的なものではないと、駒札に記されています。見あげている分にはわからないところです。


お寺の入口に近いところに、 「道誉ざくら」 と称される糸ざくらの木があります。
京極家五代目の高氏(道誉/1296-1373)が植えたという伝えのある桜の木です。

 田園の道をJR柏原駅に戻りました。


覚書として、京極氏の変遷を簡略にメモしていきます。 (資料1,3,4)
*近江守護佐々木氏は宇多源氏の流れといわれ、佐々木信綱の息子達4人がそれぞれ一家を成します。それが、<大原・高島・六角・京極>の始まりです。四男・氏信が京極家の始まり。
*信綱が北近江の愛知川以北六郡と柏原の館を氏信に与えるのです。
*京都の京極高辻に屋敷を構えたのが「京極氏」を名乗る由来。六角氏は同様に、京都の六角に屋敷を構えたことによります。
*第5代京極高氏は婆娑羅大名として世に知られた人物。31才で入道になり「道誉」と号します。
*戦国時代の前半に、第11代高清が一族の内紛を収め、本拠地を柏原から伊吹山南麓の「上平寺」に拠点を移します。尾根上に上平寺城、弥高寺の城塞化も行うのです。
*北近江の雄・京極家は高清の子の代から、京極家家臣だった浅井氏に北近江の政権を渡す形となります。小谷城の京極丸にその名称の片鱗が残ります。
*高清の二男・高吉(高慶)の系統から、京極高次が出て、京極家の再興が成ります。
 高次は大溝城城主、八幡山城主となり、その後大津城城主となります。関ヶ原合戦の後に、若狭小浜藩主となるのです。
*江戸時代に、京極家第21代高和が丸亀藩へ転封され、初代藩主となります。徳源院の再興は高和が着手したわけです。
*第22代の高豊が京極家墓所の整備や菩提寺の復興を行ったのです。
*京極高次・高知兄弟は、秀吉・家康に仕えて功をあげ、京極家の再興を行った結果、その系譜は、丸亀藩・多度津藩(香川県)、宮津藩・峰山藩(京都府)、豊岡藩(兵庫県)の5つの大名家として繁栄していったのです。
*鎌倉時代から明治維新まで約650年間、大名家として存続した一族だったのです。

ご一読ありがとうございます。

  付記 拝観には予約が必要ですのでご注意ください。電話: 0749-57-0047

参照資料
1)「乱世を生き抜いた江北の雄~京極氏の足跡を訪ねて~」(近江歴史探訪マップ2)
    滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 製作・発行
2)​ 「東山道をめぐる攻防~米原・醒井・柏原をめぐる~」 ​(埋蔵文化財活用ブックレット17)
    滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 製作・発行
3)『滋賀県の歴史散歩 下』 滋賀県歴史散歩編集委員会編 山川出版社 p133-135
4) ​ 京極高次 ​ :ウィキペディア

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
清瀧寺徳源院 ​  :「紅葉名所」
清瀧寺徳源院 ​  :「長浜・米原・奥びわ湖」
清瀧寺徳源院庭園・米原市清滝 ​ :「滋賀文化のススメ」
佐々木道誉 ​ :ウィキペディア
京極氏 ​  :「戦国大名探究」
京極氏 ​  :ウィキペディア
京極高知 ​ :ウィキペディア
京極高次 ​  :ウキキペディア
京極氏(讃岐丸亀藩) ​ :「世界帝王事典」
京極氏遺跡群 ​ 埋蔵文化財活用ブックレット9  滋賀県教育委員会
京極氏遺跡 ​  :「文化遺産オンラインン」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 [再録] 滋賀・湖北 中山道柏原宿を歩く -1 柏原宿歴史館・柏原宿の町並・日枝神社 へ
探訪 [再録] 滋賀・湖北 中山道柏原宿を歩く -2 成菩提院・柏原御茶屋御殿跡・柏原宿町並 へ
スポット探訪 [再録] 滋賀・湖北 柏原宿から足を延ばして・北畠具行の墓 へ
​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.12.21 23:11:54
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: