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2017.12.30
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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これは今出川通に面した同志社女子大学・正門の右側にある 「二條家邸跡」の石標と説明碑 です。
2015年2月14日に同志社女子大学で今出川講座「源氏物語に描かれる生活空間~六条院に示された理想の住宅像~」を聴講しました。 追加の椅子が急遽準備される位に盛況な講演会で、大変興味深い話を聴くことができました。この時に時間のゆとりがあったあので、 今まで歩いたことのない通りも加えて歩いてみようとふと思いました。その探訪記を一部加除修正し、再録しご紹介します。 (再録理由は付記にて)



この「二條家邸跡」は、拙ブログ記事「探訪 [再録] 京都・今出川通を歩く -- 出町柳から今出川大宮までをご紹介した折にも採録しています。重複はできるだけ避ける形でまとめていますので、こちらもご覧いただけるとうれしいです。

今出川通と寺町通の交差点を横断後、少し後戻りし、京都御所のある京都御苑の東側沿いの通りを南に下ってみることから始めました。​ こちらの地図(Mapion)をご覧いただくと、わかりやすいかもしれません。


「石薬師御門」 です。


門を入ると、 北側が「今出川広場」 となっています。野球用のフェンスが設置されています。 南側は「母と子の森」 です。


      「京都御苑は『森の博物館』」という説明板も設置されています。

東側の通りを歩くのをやめ、通りとほぼ平行する御苑内の散策路を南に歩きました。

ベージュ色の築地塀が見えて来ます。



少し歩むと、

築地塀の傍に井戸が見えました。


「染殿井」です。傍に「『染殿第』跡」と説明する駒札があります。
平安時代の最初の摂政となり、摂関政治の礎を築いた 藤原良房の邸「染殿第」があった場所 とされているのです。 その染殿第にあった井戸の遺構なのだとか。


近くには 、こんな説明板も 設置されています。 「母と子の森」の一環なのでしょう

「探訪 [再録] 京都・寺町通を歩く -5 梨木神社、仙洞御所と御苑の門、新島襄旧邸、横井小楠殉節地ほか」 ​  (こちらもご覧いただけるとうれしいです)
の中で、 「梨木神社」で境内には「染井」という名水がある のをご紹介しました。そのあたりが藤原良房の屋敷であり染殿と称されていたことと、「9世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子( あきらけいこ 清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の趾」 (駒札より) ということを知ったのですが、 「染殿第」の規模をその折には深くは考えていなかったのです。
それが、 今回この「染殿井」を知り、邸の規模・広がりの一端を感じた次第

「梨木神社」を訪ねられたら、「染井」をご覧いただいたあと、御苑内に入って、この「染殿井」付近まで足を延ばしてみてください。​ 地図(Mapion)であらためて確認すると、梨木神社の北西方向にあります。 ​歩いてみると平安時代・藤原良房の邸の広がりを想像するきっかけになることでしょう。


こんな表示もあって、おもしろい。


築地塀を南側から眺めると・・・・ ここが「京都迎賓館」の敷地 なのです。
道理で厳重そうな雰囲気があります。



南に歩むと、 「清和院御門」



この南側の築地塀のところが、「大宮御所・仙洞御所」です。

清和院御門から河原町通に出るための「広小路通」は何度か歩いていますので、 少し南下して、「荒神口通」を歩いてみることにしました。「荒神口」はかつて「京の七口」と言われた地方と京都を結ぶ出入口の一つです。



この通りにあるのが 「天台宗清荒神護淨院」 です。

常施無畏 (じょうせむい) 寺という天台宗のお寺ですが、元禄10年に下賜された院号「護淨院」で知られ、地図にもこちらで記載されています。通称「清荒神 (きよしこうじん) 」の方が一般的によく知られている と思います。私自身もこの「清荒神」の通称でその所在は知っていましたが、訪れるのは初めてです。



山門を入って左側、南面するこの建物が 本堂 なのでしょう。前面に鳥居が立っています。まさに神仏習合のお寺という印象を受けます。
本尊は清三宝大荒神 。光仁天皇の皇子開成親王作と伝わるそうです。
この地に遷されたのは慶長5年(1600)。後陽成天皇が望まれ、皇居守護のために移されたのだとか。 御所巽(東南)の守護神として勅願寺になっていたお寺です。

もともとは、仏門に帰依した 開成親王 が摂津國勝尾山(現在の大阪府箕面市)で「修行中感得され、自ら模刻し日本最初の荒神尊としてお祀りされました。」 (資料1) 開基は宝亀2年(772)だそうです。

唐破風の屋根の軒瓦、鬼板と兎毛通には菊の紋章で飾られています。

「荒神」というのは「三宝荒神」の略 。『日本語大辞典』 (講談社) を引くと、「 仏・法・僧の三宝の守護神 。不浄をきらう神とされ、火は不浄を祓うとされるところから、 かまどの神 として信仰される」と説明されています。
一方、『新・佛教辞典』 (誠信書房) を引くと、「役行者が感得したと伝えるが、陰陽道で作ったらしく、平安末期には信仰されていた。 神仏習合説によって≪荒びすさぶ神≫の意らしい 。荒神は不浄をきらうから火の神を当て、家で火を扱う竃神 (かまどのかみ) とし、火結 (ほむすび) 神を主とし、奥津比古・奥津比売神をあわせて三宝荒神とし、また神道家では、如来・麁乱・忿怒の荒神をも付会した」 (資料2) と説明されています。
仏教で「三宝」は仏・法・僧の3つをさしますので、三宝には2通りの解釈が重ねられているということでしょうか。

後陽成天皇作の如来荒神尊七体が合わせて祀られているそうです。

江戸時代・安永9年に上梓された 『都名所図会』をみると、「清荒神社」 という項目名称で記載されています。本文説明は次のとおりです。 (資料3)
「京極の東、荒神口にあり。祭る所八面八臂の荒神なり。初めは摂津勝尾山清に鎮座す。後陽成院勅し給ひて、文禄年中、五条坊門油小路の西にあり。その後、北闕び近からんためとてこの地に移さる。(古はこのほとりを近衛河原といふ。この宮勧請により荒神口と呼ぶ)」と。北闕とは皇居のことです。


山門を入った左側には、数多くの地蔵尊を祀った覆屋があります。延命地蔵尊です。

南北に細長く、西側を正面とする建物( 観音堂はこちらに )があります。 「星供養道場」 という表示が前にあります。
こちらの建物に 「准胝観音菩薩」 が祀られています。
「洛陽三十三所観音巡礼」の第3番札所でもあります。 (資料4)

 あらたかや こうじんどうの じゅんていは いのらばりやく さづけたもうぞ 御詠歌


尚、こちらの建物の北端(左)に、 弁財天の扁額 が掛けられています。
そして、 左から順に、弁財天、准胝観音、不動明王、大聖歓喜天、薬師如来が安置されている のです。

建物の前に、 道祖神も祀られています 。夫婦円満・縁結び・・・。




山門を入ると右側に上掲本堂の側面が見えますが、側壁に大きな絵馬と「合掌の心」という詞文が掲げられています。

清荒神を出た後、河原町通を横断し、三本木通に入り、南に進み、通りが2つになるところで、鴨川に近い方の東三本木通の方を歩きます 。​ 地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

中之町にある鴨川グランドコーポの北側・道路沿いに 地蔵堂と石碑、駒札 が並んでいます。


ここが 「立命館草創の地 京都法政学校設立」 なのです。


そして駒札によれば、 幕末維新、桂小五郎はじめ長州藩の志士たちが密会を重ねたという料亭「吉田屋」がこのあたりにあったのです。
桂小五郎、後の木戸孝允の夫人(松子)が幾松という名前で芸妓時代を過ごしたのがこの三本木界隈だったそうです。今はひっそりとした裏通り。

中之町の南隣りが南町。

ここには、 「頼山陽山紫水明處」の石標が立つ建物 があります。格子戸と細長い露地の奥がその場所です。
「頼山陽が文政5年(1822)より亡くなるまでの十年間を過ごした水西荘の址で、母屋と離れの書斎からなっていた。今は母屋はなく、書斎だけが残っている。入母屋造り、茅葺、平屋建で、内部は四畳半と二畳の二室からなるきわめて質素な建物であるが、鴨川に面し、東山三十六峰をのぞむ景観から『山紫水明処』と名付けたという。山陽はここで『日本外史』や『日本政記』の執筆や推敲を行ない、天保3年(1832)9月、53歳で没した。墓は東山長楽寺にある。」 (資料5)


現在は頼山陽旧跡保存会が管理されています。見学は予約制。

西と東に分岐していた通りは、丸太町通に出る少し手前で再び合流して一本の通りになります。
 丸太町通に出ると歩道の角にこの道標が立っています。 

丸太町通の橋から鴨川の北方向の景色


川端通にある京阪電車のホームへ下りる入口の南側に、 小さな地蔵堂が南向きに3つ並んでいます 。町のあちらこちら、たぶん多くは町内毎に祀られている地蔵堂。これもまた京都の風情の一つです。

この後、川端通り沿いの散策路を三条大橋まで歩いてみました。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 護淨院(清荒神) ​  :「京都観光Navi」
2) 『新・佛教辞典 増補』 中村元監修 誠信書房 p211
3) 『都名所図会 上』竹村俊則校注 角川文庫  p68
4) ​ 護淨院(清荒神) ​ :「洛陽三十三所観音巡礼」
5) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂  p39

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
佐京北辺四坊七町 染殿 :「源氏の部屋」
火の守護神 清荒神を最初に祀った寺院 清荒神別當 護淨院 第184回 ​  :「伊藤久右衛門」
三宝荒神 ​  :ウィキペディア
勝尾寺 ​ ホームページ
勝尾寺 ​  :ウィキペディア
勝尾寺における三宝荒神 ​  :「北摂みのおの春夏秋冬」
吉田屋 ​  :ウィキペディア
木戸孝允 ​  :ウィキペディア
維新の三傑・木戸孝允 ​  :「吉田松陰.com」
幾松 → ​ 木戸松子 ​  :ウィキペディア
8. 芸妓幾松と桂小五郎 - 命をかけた恋 ​ :「木戸孝允館」
頼山陽 ​  :ウィキペディア
山紫水明処(頼山陽書斎)の庭 ​  :「京都市都市緑化協会」
頼山陽記念文化財団 ​ ホームページ
頼山陽史跡資料館 ​ :「ホットライン教育ひろしま」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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Last updated  2017.12.30 11:51:52
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