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2018.01.07
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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「鳥羽作道を歩く」として、赤池を起点に羅城門までをご紹介しました。
冒頭の景色は2012年5月10日(木)の午後に撮ったものです
。前回のご紹介よりも先に、REC講座で、 赤池を起点として南に南下する探訪 をしていたのです。「鳥羽作道を歩く」の再録ならばと、逆コースでしたがまずは「羅城門」への道をご紹介しました。今回はここ 赤池 をリンキングポイントとして、鳥羽作道を南に向かう行程を少し古いですが再録によりご紹介します。 (再録理由は付記にて)

古道を歩くという私の目的の一つが一応この2回の探訪ウォーキングで果たせました。
前回のご紹介も含め、町並などは当時の景観から変化している箇所があるかもしれません。その点はご寛恕ください。

「鳥羽作道」は羅城門前から鳥羽津(草津)までの官道大路でした。その「鳥羽作道」の延長として、近世に桂川堤防上が淀まで「鳥羽街道」と呼ばれ、大坂に向かう主要交通路になります。

(資料1)


一番上の マゼンタ色の位置が平安京の都の羅城門 があったところです。その右の四角い枠に見えるところが東寺です。 羅城門(跡)から真っ直ぐ南化する道が「鳥羽作道」 であり、地図では縦の棒のように見える上鳥羽地域を通ります。旧千本通にあたります。
そして東から南流してくる鴨川に架かる 小枝橋を渡ると、鳥羽離宮のあったあたり になります。 黄緑色の地点が城南宮 です。鳥羽離宮は平安後期には政治(院政)の中心地でもありました。下鳥羽には、都の主要港(鳥羽津)がおかれ、水陸交通の結節点で、大坂に繋がっていました。
また、この 小枝橋の東側が、「鳥羽伏見戦跡」 です。これは前回シリーズの第1回の再録でご紹介しています。

千本通赤池の交叉点から、少し離れた位置にある恵光院というお寺の屋根を眺めながら少して歩いていくと、その先に

恋塚寺(浄土宗) が所在します。 山号は利剣山
恋塚寺のHPはこちらからご覧ください。

渡辺左衛門尉源渡の妻、袈裟御前が、若干17歳の北面の武士遠藤盛遠に横恋慕されることになった顛末物語で有名です。ご紹介が多少重複しますが・・・・
遠藤盛遠の横恋慕を断ち切るために、袈裟御前は「誠に浅からず思し召すならば、只思い切って左衛門尉(渡)を殺し給え、互いに心安からん、去らば謀を構ん・・・」と盛遠を騙して、夫の首をはねさそうとします。夫の渡を酒に酔わせて別の場所に寝かせ、自分が夫の寝床に臥していて、打ち合わせた通り、闇夜に忍びこんだ盛遠に自分の首をはねさせるという悲劇物語-古来より、貞女の鑑として伝えられてきた話-です。月明かりの下で首を確かめた盛遠はそれが袈裟の首だったと知り、「自分の罪業深き身と世の無常をつくづくと感じ、ついに出家して文覚と改めた」といいます。仏門に入り、塚を建立したという伝承があるようです。これが当寺の縁起物語になっています。
この文覚は、神護寺の再建を果たした人であり、後白河法皇の勘気に触れ伊豆に配流された後、源頼朝に挙兵をうながしたという荒法師でもあります。


3人の木像が並んで安置されています
文覚上人座像は江戸初期頃に造立されたもののようです。神護寺の文覚上人絵像と共通するところがみられるとか。 (資料1)

境内には、「恋塚」と称し、袈裟御前の首塚とも伝えられる宝篋印塔があります。
この宝篋印塔は室町時代の特徴を示すようです。 (資料3)


この折り、 土佐光信筆「袈裟御前図」 と、同じく掛け軸になっているこの 「縁起図」 を拝見しました。
この物語、古くは「平家物語」「源平盛衰記」に、近くは芥川龍之介が小説「袈裟と盛遠」を書き、「地獄門」(原作は菊池寛「袈裟の良人」)として映画化され、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したとか。また、上方落語に「袈裟御前」があるようです。私は知りませんでした。 (資料4)

お寺でいただいたリーフレットには、少し風変わりな和讃の一節が記載されていました。こんな和讃です。

 帰命頂来、山城は
 恋塚寺のものがたり
 やみよにつかむ、みだれがみ
 げにもこの代のあはれなり
 仰いで本寺を尋ぬれば
 によいりんかんぜ御菩薩
 伏してすゐじゃく、うかがえば
 花にもまがう、けさ御前
 女の道をひとすじに
 かたくまもりし、いはごころ
 八百年の、後までも
 くちぬみさをの、かがみなり

袈裟御前恋塚(宝篋印塔)の傍に、 林羅山による「鳥羽恋塚碑銘」の文を刻した碑 が建てられていました。

碑文は寛永17年と明記されています 。石碑自体は見たところまだ建立されて新しい感じです。

丈六尺の板碑 を中にして、左には 本寺縁起石碑 が建てられています。

恋塚寺は小枝橋から南約1kmの位置 ですが、 逆に小枝橋から作り道を約600m、北上していくと、 前回シリーズでご紹介した 浄禅寺(浄土宗) があります。



恋塚から先に、 「常高寺」(日蓮宗) があり、お寺の山門は道路から数十m奥まっていますが、門前の道路脇に 「今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡」の石碑 が立っています。 今出川晴季の隠居所跡 だとか。この人の夫人が常高寺を建立した本圀寺十七世日桓の母にあたるそうです。


「月の桂」は、「延宝3(1675)年創業の造り酒屋」 であり、「軒下に酒の神大神神社の注連縄が吊り下がって」います。 (資料2)
この先に、下鳥羽小学校 があり、その近くを素通りしました。この校庭には、車石と幕末の頃と思われる道標があると本に記されているので、残念でしたが・・・



鴨川の河原には、 「鳥羽の大石」 と称される3つの石がありました。
案内板の説明には、「二条城の城郭石材として使われる為に、瀬戸内の石切場から水運で鳥羽の港へ運ばれるものが、途中何らかの原因でこの川底に沈み、眠っていた」ものと考えられるとか。



堤防上の歩道から 「田中神社御旅所」の石碑 を眺めてから、少し先に、


「鳥羽伏見戦跡」の碑 が大きな邸の塀際にありました。

多人数(10人以上)の拝観は無理ということで法伝寺を横に見て通り過ぎ、 「一念寺」 (浄土宗)を訪れました。



道昭創建という伝承をもつお寺のようですが、永享9年(1437)真阿(後亀山天皇の子)上人により浄土宗寺院になったとされているとのこと。


本堂の本尊は「鳥羽の大仏 (おおほとけ) 」として有名です。 (資料1,2,4,5)
この丈六の阿弥陀如来座像は東大寺浄土堂より真阿により移されたと伝わっているもので、定朝様の像容で鎌倉初期造立と推定される仏像とのことです。 (資料1)

真阿上人は永享12年(1440)に66歳で入寂し、遺命により寺の前の鴨川で水葬されたと伝わります。そのため、 門前の鴨川あたりを「真阿ケ渕」と呼び以降殺生禁断の地とされてきた そうです。 (資料1,6)

『法然上人絵伝』には、「鳥羽のみなみの門より、川船にのりてくだりたまふ」という一行があります。いわゆる「建永の法難で讃岐に流される」ときのことです。この時、この一念寺に法然上人が六字名号をのこしたという伝承があるそうです。 (資料7)

この一念寺のある辺りが、 「鳥羽津(草津湊)」 だったようです。
江戸時代、草津の湊は大坂から舟で運ばれてきた鮮魚や物資の荷揚げ、舟便を利用する旅人などで賑わったそうです。「トバの語源はハトバ、湊に由来しハの音が消えたともいわれています」。 (資料8)


この一念寺の少し先で、桂川と鴨川が合流します。そして、川名が桂川になります 。堤防上の標識には、「 桂川、支流鴨川 」という表示がありました。



この合流地点から南に直ぐ見える橋が、 「羽束師橋」 です。この辺りで、下鳥羽から横大路という地域に入っていきます。

つづく

参照資料
1) 龍谷大学REC「京都の歴史散策23~下鳥羽・淀を歩く~」(2012.5.10)
   (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏 作成レジュメ)
2)『京の古道を歩く』 増田潔著 光村推古書院  p233-246
3)『新版 京・伏見 歴史の旅』 山本眞嗣著 山川出版社 p170-171
4) ​ 文覚 ​ :ウィキペディア 
 ​ 「袈裟御前の生涯-『平家物語』より-」 ​岡崎嘉彦氏 
 ​ 地獄門 ​:ウィキペディア 
5) 『京都府の歴史散歩(下)』 山本四郎著 山川出版社
6) ​ 一念寺(駒札) ​ :「京都観光Navi」
      ここに地図が掲載されています。 
7) 『法然上人絵伝』 下 岩波文庫 p112
8) ​ 伏見散策マップ ​ :「伏見観光協会」

補遺
羅城門 ​  :ウィキペディア
鳥羽作道 ​ :ウィキペディア
鳥羽街道 ​ :ウィキペデイア
今出川春季 ​  :ウィキペディア
月の桂 ​  ホームページ
鳥羽・伏見の戦い ​ :ウィキペディア
京街道を歩く(35)鳥羽伏見の戦いと下鳥羽 ​:「十三のいま昔を歩こう」
   新之介さんが、鳥羽伏見の戦いについて、戦闘地図を載せて説明されています。
   枚方を歩いた後で、京街道について出会った詳細なブログです。

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 [再録] 京都 鳥羽作道(鳥羽街道)を歩く Part2 -2 飛鳥田神社、妙教寺(古淀城址)、唐人雁木旧趾ほか へ
探訪 [再録] 京都 鳥羽作道(鳥羽街道)を歩く Part2 -3 淀城址、予杼神社、絵図から へ

探訪 [再録] 京都 鳥羽作道を歩く -1 鳥羽殿跡、鳥羽伏見戦跡、恋塚浄禅寺 へ
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探訪 [再録] 京都 鳥羽作道を歩く -3 九条大路跡、皇嘉門大路跡、西寺跡、道祖神社 へ



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Last updated  2018.01.08 23:11:02
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