全648件 (648件中 151-200件目)
=== 2023.11.21 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。太陽光が反射してうまく撮れませんでしたが、雲が無く快晴。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上空にも、珍しく雲が見られません。上天気です!!ふと、思いました。なぜ、空は青いのか?「大気中には酸素や窒素などの分子も含め小さな微粒子が浮遊しています。太陽から届く光は、その微粒子によって散乱されます。赤い光は波長が長いので散乱されにくいのですが、波長の短い青い光は、波長の長い光より強く散乱されます。その結果、空が青く見えるようになります」(資料1) そういうことなのですね。 東方向の空15時30分過ぎに眺めますと、稜線上空は空の青さが鮮やかになっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空申し分のない快晴が続いていました。 南の空 デジカメでほぼ最大にズームアップして撮った月南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空17時過ぎに撮った各方向のこの空の色合いは、これまでの観察経験から考えると、日の入り時の快晴の空の色調のようです。終日快晴。=== 2023.11.22 === 南の空9時5分過ぎに撮りました。前日に続き、快晴状態からの一日の始まり。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線には少し靄が懸かった状態です。雲らしきものは見えません。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空16時5分過ぎに撮りました。前日と同様に快晴状態が保たれていました。 南の空 デジカメでほぼ最大にズームアップして撮った月南西方向の空 西方向の空 東方向の空前日に引き続く快晴の一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの詩集「念珠集」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第四巻』大東出版社)「雲散」と題する詩は、タイトルと最終行に雲が出てきます。7行詩です。 苦しい時は 法顕(ホッケン)や 玄奘(ゲンショウ)の 求道(クドウ)の旅を 偲ぼう 大抵のことは 雲散する筈だ p207「元旦の月光」と題する7行詩の末尾に出て来ます。 一片の雲もない浄天よ 一九八0年の夜明けよ p211「初詣で」と題する詩。真民さんが奥さんと金比羅大権現に参拝された時の詩の最後に出てきます。 雲が茜色に染まってきた 茜がお父さんお母さん おめでとうございますと 呼んでいるような 美しい雲であった p212その次の「元旦のタンポポたち」と題する詩の末尾にも。 石鎚の山際の雲が 茜に染まり 日の出もま近である p213「一筆」と題する詩。真民さんの空想がリアル感をみせる詩でしょうか。引用します。 ある日天狗の子が 大きな朴の葉を持ってきて 何か書いてくれという そこで一筆書いてやる 紫雲たなびき 花降りきたる なんまいだ なんまいだ p221「抱石庵久松真先生」と題する詩に出てきます。久松真一先生を追悼する詩です。その末尾に 先生は無相の人となられた 墓もいらないという このすばらしい大死よ 虚空の飛雲を 先生と観じ 合掌する p224「母は遠くに居給わず」と題する詩は、「母は遠くに居給わず」と詩句から始まります。正力賞受賞のために東京に向かわれる時のことを詠まれた詩の最後に。 母の写真ふところに在れば 心配することなし 白雲悠悠 去りまた来る p228「虹の滝」と題する詩の半ばに雲が詠み込まれています。 紀州熊野の空は 雲一つない快晴で 滝が 虹となって 光り輝き まさに竜神の舞い そのものであった p243「水たまり」と題する詩を引用して、区切りとします。 水たまりには 朝の雲が 映っていた あじさいの 花のような雲が いくつも 水たまりに 咲き出していた ああ まさに天と地との 合作図絵である p277庭園の池面に映っていた木々や雲、空を見つめることはあっても、「水たまり」に映じた雲をしばし止まって、見つめるということなどなかったな・・・。水たまりを邪魔なものとしかとらえていなかったな・・・・・。そういう己の今を、姿を、気づかせてくれる詩と観じました。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.23 === 南の空10時55分過ぎに撮りました。ここしばらく見なかった雲の姿が広がっています。空の状態は曇り空ですが、天気の基調としては晴れ方向の感じ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線上空の雲の広がりも最近見ていない姿のように思います。 東方向の空16時35分過ぎに眺めた稜線上空の空模様です。 真東の空は比較的雲の夕映え状態が見やすかったのです。 その方向は建物が邪魔しますので、ズームアップで部分的に撮りました。 南の空南西方向の空 遠くの空の一部に日の入りの夕映えが。ズームアップした雲と空の部分的景色 西方向の空 南から西の方向の空は、うろこ雲が見られました。 頭上の空 頭上は、羊雲に近い感じがする雲の姿です。曇りのち晴れという一日でした。つづく参照資料1) 空はどうして青いの?科学の視点から解説します! :「AIKEN 株式会社愛研」補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について【サイエンスラボ】空はなぜ青い?夕陽はなぜ赤い?(Canon Official) YouTube石鎚山 :「石鎚山系公式WEBサイト」抱石庵(久松真一記念館) :「文化遺産オンライン」久松真一記念館 ホームページ 久松真一について住宅医の改修事例 ~明治43年建設の抱石庵を改修して「 久松真一 記念館 」に ~2006年の改修の仕事 :「住宅医協会」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.12.09
コメント(0)
=== 2023.11.18 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空9時30分頃に撮りました。いずれの方向も白鼠から銀鼠に跨がる色合いを呈する雲に覆われています。曇り空から始まる一日。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空ところが、15時過ぎに空を眺めると、なんと、どの方向も青空! 快晴に変化していました。 南の空17時過ぎに撮りました。再び空は朝と同様の色合いの雲に覆われています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 雲の形は異なります。 東方向の空稜線の上空は、横雲が層をなす形になっていました。曇り、晴れ、後に再びくもりという一日。=== 2023.11.19 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空8時40分近くに撮りました。南から西、並びに頭上の空は、快晴状態で青空が広がっています。 東方向の空稜線の上には白い雲が浮かび、その他は雲という感じを受けません。太陽の光の受け方で空全体が白鼠色に見えるのでしょうか。平板な一色の空という印象です。 東方向の空15時25分過ぎに眺めると、稜線上空には青空を背景に、白雲が浮かんでいます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空他の方向の空もまた、わずかに白雲が漂っている他は青空が広がっています。いい天気! 南の空 16時50分頃に撮りました。日暮れ時に目にずる空の色です。 太陽の光が没することで色を失いつつあるということでしょうか。 空には月。ズームアップして撮りました。南西方向の空 南西寄りの遠くの空に浮かぶ雲に夕映えが見られました。 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線間近には、雲が漂っています。体感的には未だ晩秋の晴れた一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの詩集「念珠集」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第四巻』大東出版社)北海道を訪れた真民さんは、湖名を題にして4つの詩を載せています。その最初の詩の題が「屈斜路湖」です。短い詩。引用します。 一点の雲もなく 光り静まる 屈斜路湖(クッシャロコ) 北海道に来て 最初に接した 私の憧れの湖よ p152「阿寒湖」と題する8行の詩にも雲が詠み込まれています。 急に雲が出 雨となり 荒い波が声をあげる p152あと二つの詩は「摩周湖」と「支笏湖」です。 「あかねの雲」と題する詩。タイトルに雲が出てくる8行の詩です。茜さんは真民さんご夫妻にとり、早世童女です。いくつもの詩が詠まれています。 真美子・妻・わたし三人で 初詣でをする あかねの雲から茜が お父さん・お母さん・真美子ちゃん おめでとうと言う いつも遠くから無事を祈ってくれる茜よ ありがとう・ありがとうとわたしは答える 元旦夜明けのタンポポの道 p161「午後」と題する詩の末尾に雲が出てきます。 ひとり 雲のゆききを 見ている午後 p166「朝のひととき」と題する詩。この詩は、陶芸家山本教行さんから初窯の茶碗を頂き、その茶碗で茶を飲むことを詠んだ詩です。次の一節に出てきます。 わたしは銘を「曙」としたが 紫雲棚引く 大ぶりな茶碗が実によい p168「暁天祈願」と題する詩の第2節に出て来ます。真民さんの日常の一コマ。第2節引用。 一片の雲もない空に 光り輝く満天の星々 こんな日はわたしの祈りも 一直線に天までとどくようだ ああ今日も生かされて生きるという 喜びで合掌する p169その次の詩の題が「雲」です。独り死んでいった人の野辺の送りを詠んだ詩。第1節の冒頭に、「それは心を持っているような/ 雲であった」と冒頭に雲が詠まれ、4行の第3節にさらに詠み込まれます。 光る雲よ この人を迎えに来たのか 衆生無辺誓願度に生きた人のあかしを わたしはその雲に見る思いがした p169「第14番目の碑に」と題する詩の半ばに出てきます。 お経が終わろうとするころ パラパラと浄めの雨が降り 石を浄め 人の心を浄め 雲は去っていった それがわたしを感動させた p196この碑は、「念ずれば花ひらく」という、真民さんがお母さんから引き継がれた真言を刻んだ碑を意味します。今では全国各地にこの碑が建立されています。余談ですが、ネット検索してみて得た一つの情報です。真民さんの詩の愛読者により、海外を含めて全国に建立された真民詩碑は、平成16年(2004)2月1日現在で688基に達しているそうです。(資料1)雲の変化に戻ります。=== 2023.11.20 === 南の空9時20分頃に撮りました。雲がかなり出ていますが、青空が広がるいい天気です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空南、西、頭上のどの方向も久々にダイナミックさを感じさせる雲の姿が見え、それに呼応するかのように、稜線上空全体も大きなどっしりした雲で覆われています。少し青空が垣間見えるくらいです。 東方向の空17時5分過ぎに撮りました。稜線上空は横雲が層をなしています。 南の空銀鼠よりも濃いめの雲が張り出しています。 雲に隠れていた月が、しばらくして、しばしの間姿を現しました。 ハンディなデジカメで、ほぼ最大のズームアップにして撮った写真です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空晴れのち夕刻よりくもりという一日でした。つづく参照資料1) 真民誌碑 :「日本ワイドクロス株式会社」補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について屈斜路湖 :ウィキペディア阿寒湖 :ウィキペディア摩周湖 :ウィキペディア支笏湖 :ウィキペデキア山本教行 プロフィール :「HMV & BOOKS」山本教行『暮らしを手づくりする 鳥取・岩井窯のうつわと日々』 :「en-shouten」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.12.06
コメント(0)
=== 2023.11.15 === 南の空9時25分頃に撮りました。南の空は雲に覆われています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向は、雲が浮かんでいますが青空が見えています。 頭上の空 東方向の空稜線の上空はよく見かける布を広げたような平板な感じの雲で覆われた状態です。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空15時30分近くに眺めると、どの方向にも雲が出ていますが、青空が見え、天気は晴れ。ひつじ雲とは呼べそうにありませんが、小さな塊の雲が寄り集まってきている感じの雲の状態です。 南の空17時5分過ぎに撮りました。近隣の家の窓から明かりが見えています。日が落ちるのが早くなってきました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空天気は晴れ。雲が多く見られた一日でした。=== 2023.11.16 === 南の空9時40分近くに撮りました。太陽の位置の関係でスッキリとした空が撮れません。南西方向の空 西方向の空 頭上の空南、西、頭上の三方向はわずかな雲がみえますが、ほぼ快晴の良い天気。 東方向の空稜線上空が一番雲が広がっている状態です。一枚の布の様な感じより、雲の形が見える方がやはり良いですね。 東方向の空16時5分近くに空を眺めると、稜線近くを白鼠色の横雲が覆っていますが、その上には青空が見えています。 南の空南西方向の空 西方向の空 それに対して、南から西にかけての空は、雲に覆われる状態になっていました。 頭上の空晴れのち曇りという一日です。さて、雲がたりを続けます。真民さんの詩集「念珠集」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第四巻』大東出版社)「原始」と題する詩に雲が詠み込まれています。まずは最初の部分に ここから見える石鎚山系と その上を流れる白雲と それだけはどうやら わたしの好む 原始の姿をしている p55後半に、「囀り出した雲雀の声も/ 少しも変わっていない」と鳥名に出てきます。「鐘の音」と題する三節の詩の第二節に出て来ます。第二節を引用します。 仏と共に 天地を走る 梵鐘鳴りひびいて 詩人真民 天地を走る そんなことを思うて もう一度撞く 今度は天地人合一して 無 我もなし 仏もなし ただ白雲一片 空にあるばかり p61「玉島にて」と題する詩。7節からなる詩の第3節に出て来ます。玉島にある良寛堂を真民さんが訪れたときの詩です。 白雲閣という 坐禅堂があった 空を仰ぐと 白雲が悠々と 流れていた p93 「八つの碑に」と題する詩の後半に雲が出て来ます。この碑とは「念ずれば花ひらく」。 飛びゆく雲よ 伝えてくれ わたしの喜びを 感謝の思いを p118「暁天祈願」と題する詩の末尾に出て来ます。「念ずれば花開く」を刻んだ碑がまた一つ増えたことを詠んだ詩の末尾です。詩集の文脈からすると、この碑は長島の愛生園に建立された碑と思います。 その石に会うため 今日行って参りますと 西天に光る 大きな星に祈る 一片の雲もなく 満天の星 p135「暗雲」と題する三行詩に詠み込まれています。 苦しい息をしていられる 先生に別れて帰ってゆく 夜の暗雲よ p141「荒れ」と題する三行詩 荒れ模様の海よ 空よ雲よ風よ 先生の呼吸も荒れている p141これらの詩は、真民さんが尊敬する杉村春苔尼先生のご臨終に近い時点で詠まれた詩。この次の「満月の光」と題する詩にも雲が詠み込まれています。全文引用。 大いなる人は まさに終わらんとなさるか 病院を出て仰ぐ 梅雨空の 雲の乱れのなかに 姿を見せてくれた 満月の光 p141一詩を挟み、その次に「風が」と題する詩があり、この詩の冒頭に出て来ます。全文引用。 昨夜の暗雲がすっかりとれ からりとした天地となった 昨日とまったく違う 安らかなお顔 安らかな呼吸 ああさわやかな風が サタンを退散させたのだ 病魔を追っ払ったのだ p142この後の詩で、真民さんの先生は旅立たれたことがわかります。杉村春苔尼先生に対する真民さんの切々たる心情が吐露されています。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.17 === 南の空10時25分近くに撮りました。ベランダの竿に雨滴が連なり、手すりも濡れていますが雨上がり。いつ頃雨が降り、雨が止んだのかは不詳。一面に銀鼠の雲が覆う空を眺めました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も、雲、雲、雲・・・・。さて天気はどう変化するのか。 東方向の空14時35分過ぎに空を眺めると、青空がいずれの方向でも広がっています。良い天気に転換しました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空16時50分近くに撮りました。 南の遠くの空の雲に夕映えが見えます。一部をズームアップしてみました。南西方向の空 西方向の空 西の遠くの空の雲の一部をズームアップ。電線の彼方に見える夕映えの雲。 頭上の空 頭上は青空です。 東方向の空つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について良寛さん修行の寺 円通寺 ホームページ長島愛生園 :「Leprosy.jp」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.12.01
コメント(0)
=== 2023.11.11 === 南の空9時50分過ぎに撮りました。青空を引き立たせる類の雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上空もいつものどんより感がなく、青空を背景に様々な雲の姿がいい感じです。 東方向の空15時5分過ぎに眺めると、普段の午前中によく見る感じのどんより感のある曇り空に変化していました。 南の空 南方向もまた雲が張り出しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空しかし、雲の形としてはおもしろさを感じます。まだ青空は少し見えます。 南の空17時15分頃に撮りました。はや近くの家々から灯火が見え始める時刻になっています。日の入りが早くなっています。白鼠色の雲が空を覆い、どんよりとした感じ・・・。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上の雲の形には大きな変化は見られません。横雲が重なるようにして空を覆い、その色は南の空の雲よりも濃く銀鼠色です。=== 2023.11.12 === 南の空朝から曇り空。講演会の聴講を機会にちょっと探訪を兼ねて早めに出かけましたので、雲を取り忘れました。帰宅後、16時45分過ぎに撮りました。朝から変わらず、この時もくもり空が続いていました。南西方向の空 西方向の空 西の遠くの空では夕焼けが見えます。ズームアップして部分撮り。電線が邪魔! 相対的に近い距離の雲も一部夕映えが見えます。 東方向の空くもり一時小雨ありという天気の一日でした。=== 2023.11.13 === 南の空9時25分頃に撮りました。朝から曇り空。南西方向の空 西方向の空 東方向の空どの方向も、空一面を雲が覆っています。全体的にメリハリのないのっぺり感のある雲です。 東方向の空 17時過ぎに撮りました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空最近比較的よく見るようになった空模様。夕暮れ時の空の色合いという感じです。雲があるようには見えません。天気は晴れ方向に変化している様に見えます。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第4巻に移ります。この巻一冊が詩集「念珠集」です。 (参照『坂村眞民全詩集 第四巻』大東出版社)この詩集は「詩心決定(ケツジョウ)」と題する詩から始まります。巻頭の短い詩の引用から始めます。 たんぽぽや 四国は詩国 生きどころ へんろ路(ジ)や 仏島四国 死にどころ p3雲が最初に詠み込まれた詩は「空っぽ」です。その第一節に出て来ます。第一節を引用します。その文脈がお解りいただけるでしょう。 なんでも空っぽなのが 一番いい おなかも空っぽ さいふも空っぽ そんな時は 春の雲のように 軽くなって どこへでも 飛んでゆきたくなる p15春の雲が軽やかさを象徴しています。この行だけなら意図が通じないことでしょう。「なんというさわやかさだろう」と題する詩に、雲が出てきます。 外は重い雨雲で 今にも雨が落ちてきそうなのに 私の心は実に軽く さわやかである こんな詩の文脈で出ています。 p19「太陽と雲と歌と」と題する詩の2ヵ所に出てきます。題にも雲が入っています。 太陽に向かって 新しい年の雲に叫ぼう 小さい国だけれど 大きな夢を持って 原水爆にけがされた雪を 地球上から払いのけてしまおう p22 1964年の喜びの歌をうたおう 光りたなびく雲に向かって 平和と幸福とを勝ちとる 新年の歌をうたおう p221964年についてですが、詩の中に「ことしはアジアで初めてのオリンピックが/ この東海の国で開催される記念の年だ」という詩句があります。真民さんは、原水爆の悲劇・悲哀についての詩をいくつも作詩され、平和の希求を詩に託されています。「柳井田の里」と題する詩に出てきます。真民さんはこの地で仮り住まいされたそうです。最初に付記されています。 太陽は麦の穂に光り あかねの雲が わたしを燃やす p47 「わが詩の心」と題する詩の冒頭に、雲が詠み込まれています。 日の出る直前の 雲の美しさ 出初めた日の ういういしさ p48「石笛」と題する詩に出てきます。これは全文引用します。 石笛の音は かすかなり かすかに 天にひびき 地にひびき もろもろの雲を誘いて わがもとにきたる ああ石笛を吹けば われのまわりに あの世の人も来たりて 聞き給うなり 近くに寄り給え 冬の夜明けは寒きなり 寄り給え 寄り給え p55全詩集には、石笛を詠んだ歌がけっこう出てきます。石笛を愛用されていたようです。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.14 === 南の空15時25分過ぎに撮りました。午前中は撮り忘れ。朝から晴れです。ひつじ雲でしょうか。時折にしか見られない雲の形です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線間近に横雲が広がってみえますが、その上空は青空が広がっています。 東方向の空17時10分過ぎに撮りました。曇り空に変化していました。雲の形は動きを感じさせます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空いずれの方向も雲、雲、雲です。晴れのちくもりの一日でした。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民についてタンポポ :ウィキペデキア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.26
コメント(0)
=== 2023.11.8 === 南の空9時55分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空見える範囲では、どの方向もいい青空です。東方向の空もわずかな雲がみられる位でめずらしく晴れ上がっています。 東方向の空15時35分過ぎに眺めると、稜線上空の空は一層青空らしい色合いになっていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時5分近くに撮りました。夕暮れ時。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空快晴の一日の日の入りに近い頃の空の色は、やはりこのような色調を表すようです。白鼠(銀色)に近い色合いのグラデーション。==== 2023.11.9 === 南の空9時45分頃に撮りました。快晴の日の夕暮れの空に近い色調です。晴れた日がスタート。南西方向の空 西方向の空 西を眺めると、軽やかなベールの様な雲が見えます。 頭上の空 東方向の空稜線上空には雲が出ています。 東方向の空16時10分近くに眺めると、稜線のすぐ上に横雲が漂い、その上空は青空へと変化していました。 南の空 雲の一部をズームアップ。雲の形はどのようにして生み出されるのでしょう。南西方向の空 西方向の空 頭上の空午後も晴れた状態が続きました。天気に恵まれた一日です。この後、もう一度空を撮ろうと思ってふと窓外をみるとはや薄暗くなっていました。タイミングを逸しました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第二集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「白」と題する7行の詩に雲が出て来ます。 白い雲 白い花 白い鳥 白はわたしの 生御霊(イキミタマ) 白い光となって 散っていこう p256「鳥のように」と題する詩の末尾に雲が。 漂泊流転 雲と共に消えてゆく 鳥のような わたしの一生よ p277この詩は、冒頭「ふりかえってみると/ 鳥のように飛びまわった/ わたしの人生であった」という3行から始まる13行詩です。「呼んでいる」と題する詩の後半に、 流水 行雲(コウウン) みなことごとく 呼んでいる と詠み込まれています。 p308「蒼天の美しい日に」と題する詩まで飛びます。この詩には最初に詞書があります。「1981年昭和56年1月8日 一遍上人成道記念碑の前にて」と。29行の長詩です。真民さんの熊野への旅から生まれた詩です。その中に ああわたしの新しい出発とも言えよう 雲一つない 冬には全く珍しい快晴が 一層わたしの心を歓喜させた わたしはここに立つ 年来の願いを やっと果たすことができたのだ と詩の半ばに詠み込まれています。 p333「夜明けのへんろみち」と題する詩の半ばにも出て来ます。 風が囁きかけてくれ 雲が呼びかけてくれ 鳥が喜びの声で送ってくれる と。 p364「三願」と題する詩の第3節に、 雲のように 身軽に 生きてゆこう と詠まれています。 p367同じページに「変化自在」と題する詩が載っています。全文引用します。 風となり 雲となり 鳥となり 変化自在 どこへでも だれの処へでも 飛んでゆく だから悲しまないで下さい わたしがこよなく愛した タンポポも朴もわたしの分身として 咲き続けるでしょう つゆくさのつゆが光るときは わたしも共に光っているので 足をとどめて見つめて下さい p367「眉月」と題する詩の前半に詠まれています。 雨後の空には 一片の雲もなく 東天に 眉月光り 夜が明けてゆく と。 p371[夜明けの詩」と題する詩に、 やがて茜の雲が日の出を告げ 天地一ぱいが一大光明の詩(ウタ)となる ああ生命に満ちた このひとときの荘厳(ショウゴン)よ とその末尾に詠み込まれています。 p397「洞窟」と題する詩は、空海の改名脱皮の秘密を知りたくて、真民さんが室戸岬突端の苦行の洞窟を訪ねて、そこでの体験を詠まれた詩です。その半ばに 洞窟を出ると朝日が雲間から 姿を現し海面を染める まさに大日如来の出現である と詠み込まれています。 p404詩集「詩国 第二集」を締めくくるのは「タンポポ」と題する詩です。魯迅のことを詠んだこの詩の最後の詩句が 雲ひとつない中国の空を仰いだ の一行です。 p412最後に、この第二集から、真民さんの生き方を示す詩を引用してご紹介します。 しんみん念偈 フラフラするな グラグラするな ウコサベンするな どんな思想にも どんな主義にも 振り廻されるな 朴のように 毅然として 己の道を まっすぐに行け p316最初の三行、この第二集に「しんみん三針」(p261)という独立した詩として、先に詩作されています。 老いの尾 木に 老醜はないという 老杉 老梅 老桜 みなそれぞれに 風韻 風格 風趣 を持ち 老いの美に 光る p319 若さ 若さというものは 顔ではない 心だ 未来への願いを持って 今日を生きる それが真(シン)の若さだ p355この「若さ」を読んだ時、私は大好きな詩の一つ、サムエル・ウルマンの「青春」と題する詩の一節を連想しました。三聯目に「人は希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」という詩句が詠み込まれた詩です。この第二集には、真民さん自身への思いの詩句を介して、読者にエールを送ってくれていると励まされる詩をたくさん見い出します。「自分のもの」(p208)、「特技」(p209、「こおろぎのことば」(p209)、「光と闇」(p211)、「一貫」(p211)、「捨ての一手」(p249)、「三不忘」(p249)、「三学」(p265)、「一年草のように」(p265)などは、前半から抽出してみました。その詩句はストレートに響いてくるものがあります。これで第三巻からの雲がたりを閉じることにします。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.10 ===朝から雨が降っていました。 南の空南西方向の空 9時55分過ぎに、窓際から二方向だけ撮ってみました、 白鼠の布を広げたような雲が覆っているのは、雨が古空の一つのパターンのようです。昼近くからしばらくは雨が止んでいました。16時40分近くに、改めて空を見ると、再び小雨が降っていました。 南の空南西方向の空 断続的に小雨が降り続く一日でした。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について一遍上人誕生の地 愛媛県松山市道後湯月町 時宗 豊国山遍照院「寶厳寺」窪寺跡の彼岸花群生 :「EEKの紀行 春夏秋冬」一遍と時衆 :「愛媛県生涯学習センター」青春 :「西村経営支援事務所」青春の詩 園長のひとりごと:「日本赤十字社徳島赤十字ひのみね医療療育センター」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.21
コメント(0)
=== 2023.11.4 === 南の空9時30分近くに撮りました。ムラムラっとした感じの白鼠色の雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 西北寄りの方向には青空が見えます。 頭上の空 東方向の空稜線は靄がかかった状態で朧な景色。稜線上空にも同じ色合いの雲が広がっています。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空15時5分頃に眺めますと、もうどの方向も雲で覆われています。稜線ははっきりとわかるように変化。一方、西北寄りの方向は雲が覆ってしまいました。 南の空17時5分頃に撮りました。雲が多少薄れて夕暮れの青空が見られる位に変化しています。南西方向の空 西方向の空 西の遠くの方では夕映えの雲が見えます。ズームアップして雲を撮りました。 天気は良い方向に向かう感じです。 頭上の空 東方向の空雲が空を全面的に覆う状態は同じでも、雲は微妙にその形を変化させています。その変化の状態を表現する語彙を持ち合わせていません。残念・・・・。終日、くもりでした。=== 2023.11.5 === 南の空9時50分近くに撮りました。青空に横雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 こちらの方向は青空が広がっています。天気は晴れ。 頭上の空 東方向の空稜線上空に雲が広がってはいますが、これは晴れた日にもよく見かける景色です。 東方向の空15時55分頃に撮りました。稜線上空に雲はなく靄っている感じですが青さが加わっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空それぞれの方向は、太陽光線の影響でしょうか空の青さが様々な色相をみせてくれています。 南の空17時25分過ぎに撮りました。南西方向の空 南西から西方向にかけての雲の姿がおもしろい。 雲がこちらに近づくにつれ、集合してくる感じです。 西方向の空 夕映えした雲の部分をズームアップしてみました。 頭上の空 東方向の空稜線のすぐ上に漂う雲にも夕映えが見られます。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第二集」に移ります。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)この第三巻には「詩国 第一集」と「詩国 第二集」が収録されています。真民さんは、この第二集の冒頭の「光と風のなかを」と題する詩の中で、「わたしは人よりも/ 十年も二十年もおくれて出発し/ その歩みも遅々としていたが/ 真の光と風とを/ 今やっと知ることができた」とその詩境を詠み込まれています。最初に雲が出てくるのは、「新しい石」と題する詩です。「念ずれば花ひらく」の八字十音を刻まれた新しい石を詠んだ詩。この詩に、 石はその日から もう孤独ではないことを知り 雲を呼び 鳥を呼び 風を詠んだ という風に、詠み込まれています。 p223この詩の次が「第九の碑よ」です。ここから、「新しい石」が「念ずれば花ひらく」の第九の碑であると。そしてその碑が「長島愛生園のライトハウスの/ 庭に建った」ということがわかります。「西へ行く」と題する詩に雲が詠み込まれています。これは全文引用します。雲の位置づけがわかりやすいと思いますので。 筑紫(ツクシ)恋し 筑紫恋しと つくつくぼうしが鳴く すると雲も鳥も風も 西へ行く わたしの心も 西へ行く p228望郷の思い、父母への思いが込められた詩です。同種の思いを詠んだ詩がこれまでにもありました。「よい日」と題する詩の最後に雲が出て来ます。この詩には「伊藤三樹夫さんから版画『一遍さん』を頂いて」という付記があります。一遍さまがタンポポ堂においでくださったと詠まれた詩です。 ああ何という よい日でしょう 空の雲も こちらへ近づいてきますよ p247「ひとり」と題する詩にも雲が詠み込まれています。これも全文引用です。 花の下で ひとり花を見る ひとりの楽しさ ひとりの嬉しさ 花われを呼び われ花を呼ぶ 雲来り雲去り 桜燦燦(サンサン) p248桜の花と対話する真民さん。そこは誰にも邪魔されない静寂な自然空間なのでしょう。光輝く空には、燦燦と咲く桜の花の空高くを雲が通り過ぎてゆくだけ。悠々と・・・・。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.6 === 南の空9時5分頃に撮りました。曇りです。銀鼠と銀鼠を濃くした感じの二層の雲が空を覆っています。南西方向の空 西方向の空 西にはうろこ状の雲が主になっている感じを受けます。 頭上の空 東方向の空稜線上空も、横雲が幾層にも漂っていて、それぞれの雲の色が異なり、グラデーションが楽しめます。14時過ぎに雨が降り始めた気配を感じました。15時5分過ぎに空を眺めると、雨が降っていました。 南の空南西方向の空 窓際から二方向だけ撮ってみました。 このようなベターッとした雲の状態の時に雨が降ることが多い気がします。=== 2023.11.7 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空この日は午前中記録写真を撮っていなかったことに気づき、14時50分頃に雲の写真を撮る結果に・・・・。ほどほどにいい感じの雲がそれぞれの方向に浮かんでいました。また、ブログの記事をまとめていて時を忘れていたのか、気づくと夕暮れが深まり、雲を撮るタイミングを逃してしまいました。夕暮れ前にもう一度撮ろうと思っていたのに・・・・・・・。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について長島愛生園 :「Leprosy.jp」国立療養所長島愛生園 :「厚生労働省」国立療養所長島愛生園 :「岡山観光WEB」長島愛生園歴史館 ホームページ泊まって学べる国立ハンセン病療養所。今を生きる若者に伝えたい想い、偏見・差別の源 :「日本財団ジャーナル」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.20
コメント(0)
=== 2023.11.1 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空8時35分近くに撮りました。南、西、頭上の空は快晴そのものです。天気良し! 東方向の空稜線上空は靄がかかったような感じですが、雲という印象が乏しく、太陽光線の影響でしょうか・・・。私には不詳です。 東方向の空17時過ぎに撮りました。稜線近くはほんのりと夕映えがうかがえます。その上空は朝と似た感じです。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向の空の色もまた、朝の東方向の空に似た感じです。 やはり太陽光線が影響してつくりだした空の色調でしょうか。 西の遠方の空は、夕焼けでオレンジ色に染まっていました。 頭上の空=== 2023.11.2 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空9時45分過ぎに撮りました。前日に続き、南、西、頭上の空は、雲が見られず快晴です。 東方向の空 稜線上空は前日と同様の空模様です。 東方向の空15時30分過ぎに撮りました。朝の空と比べると、空に青さが加わった感じです。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南、西、頭上のそれぞれの空は、雲はなく、天空は方向により少しずつ青さの反映具合が変化したグラデーションになっています。 南の空 17時5分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空やはり、天空に太陽光が及ぼす影響がこのような空の色合いを生み出しているのでしょうか。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第一集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「壮大な虹」と題する詩に雲が詠まれています。 日の出直前の 東天の彩雲(アヤグモ)も すばらしかったが 西天にかかる虹の橋は さらに美しかった p197この詩句の箇所で天空の壮大さをイメージするとともに、時間帯は真逆ですがある俳句を連想しました。与謝野蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」です。 その後に、これがいつ頃のことかを示す詩句の中で雲が再び出て来ます。 台風九号の余波の風が流れ 梅雨も終わりの大雲は 四国連峰から雨を伴って 近づいていた と。 p197著者は、重信川の川土手に立ち、金比羅大権現の山、重信川、松山市に広がる、午前5時12分から4分間、壮大な暁天の虹を見つめ続けて、この32行の詩を詠んだのです。詩中に「念ずれば花ひらく碑の/ 東向山理正院の」という詩句が詠み込まれています。「念ずれば花ひらく」の碑がここに建立されていることがわかりました。全国に幾つこの碑が建立されているのでしょうか。第1号碑が京都洛北・鷹峯の常照寺であることを、この全詩集で知ったのですが・・・・。 その次の「尊い光」と題する詩に続いて出て来ます。 それは独り川原にひれ伏して 泣き出したいような 美しい日の出であった 薄い雲があるため またたきもせずに じっと見つめることができ p198と詩の前半に詠み込まれています。「詩国 第一集」に出てくる「雲」はこれまで。この詩集は「花が降ってきたら」と題する詩で終わります。7節の長詩。その最後の節は、「二度とない人生を/ 精一杯生きてゆきましょう」という詩句で締めくくられています。 その前ページにある「朴のことば」と題する詩を引用し、ご紹介します。 すっかり葉を落としてしまった朴が ある朝言いました なんでもないようなことに 深い意義がこもっているのです 世尊は蝶に出会うと いつも合掌されたと言いますが 脱皮の見事さに感動されたのですね わたしたちが葉を落とすのも一つの脱落ですよ 脱皮も脱落も言いかえれば別離ですね 昨日が今日に変わってゆく そのなんでもないことに 深い意義を見出した時 真に生きるとは何であるかを知るでしょう さあ日が昇ったようです 充実した一日をお送り下さい p203真民さんが日々、経を唱え、坐し、詩想を錬るという行為から汲み取られた思念を、朴の語りに仮託された詩と受け止めました。雲の変化に戻ります。=== 2023.11.3 === 南の空午前中所用で出かけて今したので、帰宅後13時近くに撮りました。文化の日。朝から天気は晴れで、祝日の行事の実施には良い日になったことでしょう。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空は、最近よく見かけるようになった空模様。靄がかかった感じです。雲のようには見えません。 東方向の空17時10分近くに撮りました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空快晴の日は、日の入りの時刻になってくると、天空が光を失い始めてこのようなグレーの色調に変化するのでしょうね。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について東向山理正院 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.18
コメント(0)
=== 2023.10.28 === 南の空9時15分頃に撮りました。ぐんと雲がはりだしていますが、青空が見え、天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 東方向の空東の空には銀鼠色の雲が覆っていますが、朝にはよく見る景色です。コロナ禍で外に出ることが減って、ふと思い立ち、雲の姿・形を撮り始めました。いつまでつづくかな・・・と思っていましたが、ブログに写真を載せるのが100回になりました。我ながら飽きずによく続いたものです。まあ、もう暫く続けます。今回は10月の区切りをつけるために31日までをまとめます。頭上の空模様は割愛しました。 東方向の空16時15分頃に、稜線を眺めると、大きな横雲が浮かんでいます。空を覆っていた銀鼠の雲は去り、青空が広がっています。 南の空遠くには雲が見られますが、近くでは朝の雲が去りゆき、微かに雲がみえるだけです。南西方向の空 西方向の空 西の方もまた、遠方に雲が見えますが近くは青空が広がっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 17時35分頃に撮りました。少しずつ日の入りが早くなってきていて、全体が薄暗くなるのが早まっています。デジカメのオートで撮っているせいか、眼で見る空の感じより画像は明るいめに記録されるように思います。空は濃い青色に。西に少し雲が見えます。 東方向の空日本の伝統色でいえば、空全体が瑠璃紺色になっていました。深い青紫の色。晴れた一日。=== 2023.10.29 === 南の空10時5分頃に撮りました。銀鼠色の雲を伴って、雲が広がっていますが、青空が見え、この日も晴れでスタート。南西方向の空 西方向の空 感覚的に未だ晩秋の空には、様々な雲の形が見られておもしろいなぁと思っています。 東方向の空午前中から稜線上に明るい色の雲と青空が見えるとやはり気持ちがいい! 東方向の空15時30分頃に眺めると、午前中とは逆に、稜線上空を雲が覆っていました。白練、白鼠、銀鼠の色合いの雲が併存しています。北寄りに色の濃い雲が広がっています。、 南の空南西方向の空 西方向の空 南方向は銀鼠の雲がどんと広がっていますが、西方向は青空の比率が高い状態です。 南の空17時30分近くに再度眺めると、空全体を銀鼠の雲が覆っていました。南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけても同様です。ほんのわずかですが、夕映えの雲が遠方に見えます。 東方向の空稜線際は雲が少なく明るさを見せ、その上空は素鼠色に一段濃くなった雲が覆っています。この雲が頭空の雲とつながっています。頭上は少し明るい色合いの雲ですが。晴れのち、夕刻は曇りという一日です。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第一集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「サ」と題する詩に雲が含まれています。この「サ」はカタカナのサではありません。この詩の一行目が「サは聖観音の種子」と記します。種子つまり一字の梵字の発音。 サは宇宙の真実相 雲サラサラと去り 花サラサラアと散り 水サラサラと流る と途中に詠み込まれています。 p157さらに、その先3つめに「白い鳥と白い花」と題する詩の第3節の末尾に出てきます。 しんみんよ 靜かに白い道を行け 遙かな白い雲を追え と。 p159脇道に逸れますが、短い「今」と題する詩をご紹介します。 大切なのは かつてでもなく これからでもない 一呼吸 一呼吸の 今である 真民さんの生き方につながる詩 p160さて、「祈り」と題する短詩が3つ続けて載っています。その最初の詩の冒頭に雲が詠みこまれています。 一片の雲もなく 満天の星 と。 p162「白い雲」と題する詩の後半に雲が出て来ます。 近づいてくる 白い雲を 撮っていた ああ 母を乗せてきたのだ p176その次の「出雲の鐘」と題する4節からなる詩の第1節に 出雲大呂の山々にその第4節に、 八雲立つ出雲の奥の 海運山妙厳寺の鐘よ と。 p177「四国と詩国」と題する詩の最後の詩句に思いを託す形で雲が詠まれています。 雲よ わたしの思いを 父母の国へ告げに行ってくれ p181雲の変化に戻ります。=== 2023.10.30 === 南の空10時20分過ぎに撮りました。前日より雲が少なく、青空が広がっています。南西方向の空 西方向の空 西の雲は、ひつじ雲様の姿のように思います。 東方向の空稜線の上には白雲が幾重にも層を成す形で浮かんでいます。空は晴れ。青空が見えます 東方向の空15時45分近くに撮りました。稜線上には青空が広がり、その上空に雲が出ています。 南の空午前中の柔らかさのある雲と異なり、塊状の雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 南西から西の空にも同様の雲が広がっています。雲が広がるものの晴れた空です。 南の空17時30分近くに撮りました。南西方向の空 西方向の空 塊状の雲は去り、柔らかい感じの雲が漂う空に変化していました。 空の色は夕暮れが近く、灰色がかった青さに見えます。 東方向の空稜線上空は、再び全面に雲に覆われる形に変化していました。銀鼠より少し明るい色合いに感じます。総じて晴れた一日となりました。=== 223.10.31 === 南の空9時25分頃に撮りました。雲なく快晴。南西方向の空 西方向の空 これだけスッキリした青空も久しぶりです。 東方向の空稜線上空は、靄がかかった感じを受けますが、青空が広がっているのでしょう。 東方向の空15時20分過ぎに眺めますと、稜線際の彼方に少し白雲が見えますが、快晴状態が続いています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西の空にかけて、頭上も含めてまさに快晴!! 南の空17時5分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空この空の色調は、沈み行く太陽の光と空との関係が生み出す色でしょうか。光の反射・屈折・透過・・・・などの相互作用のなせる技か。あくまで推測にしかすぎません。空全体に統一感があります。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について奥出雲町 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.17
コメント(2)
=== 2023.10.25 === 南の空9時45分頃に撮りました。雲がなく快晴です。南西方向の空 西方向の空 西方向の遠くの空には白雲が見えるくらいです。 頭上の空 東方向の空稜線の上空には全般的に雲が広がっていますが青みがかった空が見えます。14時15分過ぎに、小雨が降り始めました。 南の空 南西方向の空 二方向だけ窓際から撮りました. 南の空15時50分過ぎに空を見上げると、遠くに雲が見え、青空です。通り雨が降っただけだったようです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上に大きな横雲が浮かんでいますが、その上に青空が広がっています。 東方向の空17時35分頃に稜線を眺めると、上空に月が見えました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空夕暮れが早まってきているためか、晴れた空の色が銀鼠色に見えます。=== 2023.10.26 === 南の空9時35分頃に撮りました。その1時間余前に見られた大きな雲は過ぎ去っていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空だけが、靄がかかったような景色です。 東方向の空15時近くに眺めますと、少しスッキリして空に青さが増した感じです。 南の空南西方向の空 南から南西方向に、少し雲が出ています。花が一輪青空に浮かんでいる感じの雲です。 西方向の空 頭上の空 他の方向に雲はなく晴れた空です。 南の空17時20分頃に撮りました。ベールがかかったような空です。南西方向の空 西方向の空 西の空に少し雲が見え、微かに夕映えしていました。 頭上の空 頭上の雲にも夕映えが見られます。 東方向の空一面の雲なのか、夕暮れ時の空の色あいなのか識別しづらい空です。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第一集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「朴とスバル」と題する詩に雲が詠み込まれています。 雲ひとつない 星ばかりの空を仰いでいると 人間の知り得ない沢山のことが 秘められていることがわかる p131という一節の詩句のなかに・・・・。「脱落」と題する詩の最後の一行に 一点の雲もない暁天であった と詠み込まれています。 p133「角帯」と題する詩の末尾に、 八雲立つ出雲の神話の里 大呂(オオロ)のお婆さんの わたしへの贈り物 と詠み込まれています。 p147「一筋の道」と題する詩に「雲湧く」と出て来ます。この詩は全文引用します。 右往左往せず 右顧左眄(ウコサベン)せず 自分の道を 一筋に行こう これよりほかに道はない わたしの前に光る 一筋の道よ いのちに満ちた 世尊への道よ 花咲き 鳥飛び 雲湧く 美しい道よ 限りなき喜びの道よ p150「出山の太陽」と題する詩にも一行。この詩も全文引用します。 日を浴びるのではなく 日を吸いに わたしは近くの川原に立ち 出山(シュッサン)の太陽を待つ これがわたしの日課となった むろんいつも一人であるが 白鷺がよく伴(トモ)となってくれる 山にかかる雲ひとつなく パッと射し出る光を グッと呑み込む一瞬の大歓喜よ わたし一人に注いでくる この清浄光よ わたしの生命の糧となり わたしの詩魂の源となる 出山の初光よ p153「一筋の道」「出山の太陽」は、詩国賦算の道を歩む真民さんの生き方を詠んだ詩です。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.10.27 === 南の空9時20分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空雲が少し出ていますが、天気は晴れ。 東方向の空稜線の上空は、姿はその都度異なりますが、いつものように雲が出ています。 東方向の空15時5分過ぎに眺めると、朝とはそれほど大きな変化はみられません。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空他の方向にはそれぞれに異なる雲の形が見えます。頭上の空に一番はっきりとした雲の姿が見られました。 南の空南西方向の空 右寄りの下方を、少しズームアップして撮りました。 西方向の空 頭上の空 東方向の空このような色の重なりの雲景色を眺めるのは初めてかもしれません。おもしろい。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民についてホオノキ :ウィキペディアⅡ.「すばる」とはどのような星ですか? :「国立科学博物館」プレアデス星団 :ウィキペデキア(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.13
コメント(0)
=== 2023.10.22 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空尾根の向こうに少し白雲が見える他は、東方向も青空です。東の空としてはめずらしい景色。 東方向の空17時半過ぎに眺めると、雲が出ていて、稜線近くの雲は少し夕映えしています。その上も一面銀鼠色の雲が覆っています。 南の空南も一面に雲が広がっています。東の上空と違って、一部うろこ雲状の雲が見えます。南西方向の空 西方向の空 西の遠方の空は夕焼けています。 かなりズームアップして、一部分ですが切り取ってみました。 頭上の空各方向に、それぞれ異なる雲の姿が見えます。晴れのち夕刻よりくもりという一日。=== 2023.10.23 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。うろこ雲様の白雲が漂っています。天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 このような雲は何と称するのでしょう? すじ雲でしょうか。 頭上の空 東方向の空稜線上空には姿の異なる色々な雲が併存しています。 東方向の空14時55分過ぎに眺めると、雲は去り、稜線上空は快晴です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 各方向も快晴の空です。 南の空南西方向の空 西方向の空 最近見かけるようになった空の現象。 雲のようにも見えず、青空がくすんで一面にグレーがかった感じなのです。 西の遠方の空は空が焼けるような夕映えがみられます。 一部を切り出してみました。 頭上の空 東方向の空 東の空も南の空と同様です。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第一集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「収入の道を断つことによって」と題する詩がこの「詩国 第1集」に出て来ます。真民さんは、退職願いを書き、詩一筋、一足のわらじになるという決断をされたのです。この詩の後の「雲」を見つけていきます。「古代の天」と題する詩に、いくつもの「雲」が詠み込まれています。この詩には、「海運山妙厳禅寺にて」の詞書があります。全文引用。 ここに来て 古代の天を見る 朝に立つ雲 夕に湧く雲 色かたちとりどりの雲 ここは八雲立つ出雲八重垣の歌 ゆかりの大呂の里 夜となれば昔と変わらぬ天の星座に それぞれの星今も光り輝き 山々もまた 古代の静けさにかえる ああわたしはここに来て坐して思う 遠い親たちの願いを 承け継いでゆかねばならぬ務めを p93「独一」と題する詩に、次の一節が出てきます。 目にうつるのは 白い雲だけ 耳に聞こえるのは 川の音だけ p99「しっかりしろしんみん」と題する詩の第4節です。 冬の子は 冬の子らしく リンリンと生きてゆこう 風よ鳴れ 雲よ飛べ p102真民さんは、1月6日で酉年の生まれ。一つ前の詩の題が「一月六日」です。「しん」と題する詩では、心、芯、信、神、新、親という文字を列挙して、真民さんはこう詠むのです。 みんないい字だ 夜明けの雲のように すがすがしい字だ と。 p107「あかね観音」と題する詩の冒頭に雲が詠み込まれます。生まれて程なくして亡くなった我が子の茜さんを詠んだ詩です。その前の詩「三月八日」に、「乳も飲まず/ あの世へ行ってしまった茜よ」という詩句が詠み込まれています。「あかね観音」は次の詩句が詠まれています。 あかねの雲が浮かぶと いつも茜をしのぶ わたしたち一家を救ってくれた あの引き揚げの時の 不思議を思う わたしに霊の存在を 知らせてくれた茜 信仰に導いてくれた茜 きのう頂いた大きなザボンを供え 観音経を誦する p113「十五歳四ヵ月の人生」と題する詩が載っています。筋ジストロフィ症で人生を閉じた「北原敏直君の死を悼む」という詞書のある長詩です。その詩の数カ所に雲が出てきます。敏直君は病の中で、詩を書き、詩集を出していました。真民さんとの交流がありました。一つは、敏直君が昇天した日に真民さんが記録している「詩紀」の一節が詩にでてくるところに。 暁天祈願四時0分 白い雲が流れていたが それが却って天を動きあらしめていた p126そして、敏直君の死の当日のことを詩の指導者である先生からの便りに触れます。 その夜は一晩中眠らず お母さんと美しく輝いている お月さんのことや 風に流される雲のことなど いろいろ話をしていたという そうするとわたしが拝した 月や星や雲を 彼もまた見つめていたのである p127そして、この詩の中に、彼の詩を引用するのです。敏直君の詩、3つの内1つに雲が出ています。 願い 気にしないこと 空の雲のように どこに流されようとも 素直であること 草花のように 一年の命でも (50.6.10) p127 この辺りで、一区切りといたします。雲の変化に戻ります。=== 2023.10.24 === 南の空9時15分過ぎに撮りました。快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 青空がくすんだような感じの空に見えます。 東方向の空15時45分頃に眺めますと、朝のくすんだ色調から青みが加わった空に変化しています。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲が出て来ていますが、晴れた空が続いています。 頭上の空 見上げるとここはほぼ快晴。 南の空17時20分過ぎに撮りました。もやっとした雲が見えます。南西方向の空 西方向の空 こちらも雲はわずかに見える程度です。夕映えしている雲が見えます。 そこに焦点をあててズームアップしてみた姿。 また、南西寄りに撮った景色から、遠方の夕映え雲を切り出してみますと、こんな夕映え雲も見えます。建物や電線などの夾雑物が写り全体の景色は絵になりません。遮る物が一切無くて、近くの空とこの遠方の空の雲を一体として撮れればいいだろうな・・・・・・・。町中では儚い想像ですね。 頭上の空 南東方向に上弦の月が見えました。 少しズームアップして撮るとわりとはっきりと撮ることができました。 東方向の空稜線近くに雲が見えますが、その上空は朝の状態と似た感じです。つづく補遺雲から山の天気を学ぼう|(52)すじ雲(巻雲)が語ってくれること :「日本山岳救助機構合同会社」「すじ雲」~天高く、風に舞うような形|雲から知る山の天気(1)/登山力レベルアップ講座 :「山と渓谷オンライン」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.07
コメント(0)
=== 2023.10.19 === 南の空9時5分頃に撮りました。もやっとした雲が見えます。天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空西方向から頭上にかけては、ふわりとした今にも消え入りそうな雲が浮かんでいます。 東方向の空稜線上空は、普段よくみる曇り空です。二層の雲になって空を覆っています。 東方向の空15時10分近くに眺めますと、雲は相変わらず多ですが、雲の合間に青空がけっこうのぞいています。 南の空 うろこ雲のような雲が、青空に浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時35分過ぎに撮りました。空一面、雲に覆われた状態に変化していました。南の遠くの方が明るい感じです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上には、銀鼠色の布で覆われた感じの雲が広がっていました。晴れのち曇りの一日。=== 2023.10.20 === 南の空9時50分過ぎに撮りました。ひつじ雲に近い感じの雲が漂っています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空昨日とは異なり、青空っぽい空に横雲が漂う景色です。天気は晴れでスタート。ところが、15時過ぎ頃から雨が降り始めました。 南の空南西方向の空 17時20分頃に窓の外を眺めると、小雨が降り続いていました。 窓際から空模様を撮るだけにしました。晴れのち雨の一日。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に収録された詩集「詩国 第一集」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)「風は遠くからくる」と題する詩の第1節前半に「雲」が初めて詠まれています。 風は遠くからくる 日の沈んでいった 海の向こうの 雲が消えていった 山々の果ての 透明な霊気をともない まだみんなが深い眠りのなかにある みめいこんとんのなかで ひとり坐っている わたしのところにやってくる p15という詩句の文脈の中に。ここでは自然の雲そのものが対象に詠み込まれています。「一遍から学びとるもの」と題する詩の中では、 彼が称名すれば 風となり 雲となり 山河草木こぞって ナムアミダブツをとなえる p17という詩句となります。この詩句は、その根っ子が<一切衆生悉有仏性>さらに、「仏性は在らざる所無く、草木土石の無情の物にも在る」とする<無情仏性>の仏教思想につながっているのでしょう。(資料1)そのように受け止めました。「師病みていませば」と題する10節で構成され2ページに及ぶ長詩には、第2節に 師病みていませば 行く雲も重く 冬の日の傾く早し p18と詠み込まれ、行く雲に真民さんが師を気遣う心情が重ねられています。さらに第4節に、 師病みていませば 西へ行くものすべてなつかし 雲よ 船よ 飛びゆく鳥よ 沈む夕日よ p18遠く離れた地で病む師を思う真民さん。師に会いに行かれたときの記憶が甦っているのでしょうか。 師病みていませば 西に向かいて み名を呼ぶなり 雲のゆききの 寒き夕暮れ p19第7節にも雲が詠まれています。雲ならば直ちにお側に飛ゆけるのに・・・そんなもどかしい思いが重ねられているのかもしれません。この後、かなり先の「生かされて生きる」と題する詩に雲がでてきます。全文を引用します。 東天に眉月光り 西天に先生の瞳の星またたく 一点の雲なく 満天の星 暁天の霊気を吸い 今日も大地に立ち祈る ああ 生かされて 生きる うれしさよ 守られて生きる ありがたさよ p80ここの雲は、文字通り自然現象として満天の星のまたたきを遮断するという側面にふれ、、それがない状態を客観的に述べているだけでしょうね。雲の変化に戻ります。=== 223.10.21 === 南の空9時15分過ぎに撮りました。昨日に続き天気は素鼠色の雲が広がった曇りの状況で始まりました。ほんの一箇所に青空が垣間見えます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空全面的なくもり空で一日が始まりました。 東方向の空11時15分頃に眺めると、稜線上空の雲は明確な層状態に変化しています。近い雲の方か゛色濃い状態です。 南の空南西方向の空 西方向の空 西方向の遠くは、青空が広がっているようです。しかし近くの空は雲に覆われています。 頭上の空 南の空16時40分過ぎに撮りました。遠くに少し青空が垣間見えますが、近くの南の空は一面の雲です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 一方、西方向や頭上に青空が広がってきていました。 東方向の空くもり空の一日でした。つづく参照資料1)『岩波 仏教辞典 第二版』 中村・福永・田村・今野・末木 編 岩波書店補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について眉月 :「コトバンク」悉有仏性 :「コトバンク」一切衆生悉有仏性 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」草や木も皆仏なり :「円覚寺」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.11.02
コメント(0)
=== 2023.10.16 === 南の空9時40分頃に撮りました。ほんわりと浮かぶ白雲が見えますが、快晴に近い空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 まさに秋空ですね。 東方向の空稜線の上空も白雲が浮かび、青空が見えます。良い天気です。 東方向の空16時近くに眺めると、稜線上空の雲は塊状に変化し、青空が鮮明になっています。 南の空部分的に、もやもやした感じがみられますが、青空がきれいです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時40分近くに眺めますと、銀鼠色の雲が広がっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空晴れ、夕刻より曇りの一日。秋晴れだったと言えるでしょう。=== 2023.10.17 === 南の空8時45分過ぎに撮りました。南の遠くの方にはかなり雲が出ているようですが、近くの空は白雲が浮かぶものの青空が広がっています。昨日に続きよき秋空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 雲をズームアップしてみました。 東方向の空10時50分過ぎに撮りました。稜線のすぐ上は、夏雲の名残を思わせる感じの白雲に見えます。その上には青空が広がっています。 南の空 南はほぼ快晴です。南西方向の空 西方向の空 西方向は白雲がでていますが、やわらかい雲の感じです。 頭上の空 南の空17時5分過ぎに撮りました。ぽっかり浮かぶ雲ふたつ。南西方向の空 ズームアップしますと、こんな雲が西寄りに見えます。 西方向の空 頭上の空 東方向の空もやがかかった感じを受けますが、雲はみえません。青空が褪せたかの感じ。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第3巻に移ることになります。 (参照『坂村眞民全詩集 第三巻』大東出版社)既に、詩の幾つかに「詩国賦算」という語句が現れてきていました。この第三巻の収録から、詩集のタイトルに「詩国」が冠されることになりました。最初の詩集が「詩国 第一集」です。ここから、雲を含む詩句を見つける歩みをつづけます。とは言いながら、脇道からはじめます。「詩国 第一集」冒頭の詩をご紹介しないことには、始められないと感じますので・・・・ うつしよにほとけいまして うつしよにほとけいまして われをみちびき われをまもりたもう うつせみのいのちを いまにいたるまで あらしめたもう ちからよわきわれに うからをやしなわしめ いきるひのかてを あたえたもう ああ うつつのごとく ほとけいまして なみだながるる ひかりながるる p3次の三詩も、真民さんの詩を味わう上で、真民さんを感じるのに欠かせない出発点だと思います。 軽くなろう 軽くなろう 軽くなろう 重いものは みんな捨てて 軽くなろう 何一つ身につけず 念仏となえて 歩きまわった 一編さんのように 軽くなろう p11 しんみん三訓 貧しくあれ つつましくあれ 捨て身であれ p14 リンリンと鳴り響くもの 日蓮を恋い 吹雪の佐渡へ 渡ってゆく人を思うて 深夜目を開けている リンリンと鳴り響くもの ああこれが 菩提心であり 求道(クドウ)心であり 詩心である しんみんよ お前の行く道もまた そこにあることを知れ p14真民さんのスタンスを感じ取れる詩だと思います。その生き方を核にして、詩国賦算の願があるのでしょう。雲を見いだすのは次回から・・・ということで。四詩引用しました。雲の変化に戻ります。==== 2023.10.18 === 南の空9時30分頃に撮りました。本日も快晴。南の遠くにも雲がなさそうです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 文句なしの快晴で始まった一日です。 東方向の空もやがかかっている感じですが、青空そのものです。こんな東の空は珍しいくらいです。 東方向の空16時30分頃に眺めますと、ほぼ朝に見た雰囲気と同じ空が保たれていた感じを受けます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時30分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 夕映えが見られました。 西方向の遠くの雲をズームアップ。電線が避けられません。 頭上の空 東方向の空東の空の雲も夕陽を映じて、ほんのり色づいています。少しピントが合っていないのが残念。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.31
コメント(0)
展示室を巡るとき、2階から1階へ会場内の階段を降りる前に、東側のドアから休憩スペースに出てみました。普段は足を向けない南側のスペースに行ってみると、平成知新館前の広場と庭が見渡せます。それがこのガラスウォール越しの景色です。長年、訪れる度にこの館内を巡っていますが、こちらの休憩エリアに来るのは初めてでした。いつも、1階の館内通路から外の景色を撮っていました。 ここから、館内南側の通路空間を見下ろすことができます。この景色を眺めるのも初。 ズームアップで。普段と違ったアングルから撮るのも、気分か変わっていいものです。 平成知新館を出て、池越しに赤いレンガ造りの表門(西門)を遠望した景色 東に目を転じると、東南方向に明治古都館 東福寺展案内パネルの裏面には、来春の特別展「雪舟伝説」の案内が掲示されています。また、楽しみが・・・・。噴水のある広場へ そして、今回もロダン作「考える人」を定点撮りしました。今回は近くから。 ちょっとマニアックに・・・・。ロダン像は不動に見えても、空の色、空の雲、周りの木々の色彩が変わります。考える人は、この位置で四季の変化を浴びています。四季の移ろいについても、この人は考えているのでしょうか。 噴水はリズミカルに、一定の噴水パターンをリピートしています。噴水の途切れが、この空間の靜かさとのどかさを際立て手くれます。 表門(西門)この博物館が創設された当時は、ここが正門だったのでしょう。はれやかで、威厳を漂わせた、ハイカラな門。今ではレトロな、インスタ映えする門というところでしょうか。 訪れたのは10月下旬の手前。これからの深まりを感じさせる紅葉というところです。西の庭の散策路を歩み、博物館の出口へと向かいます。 庭に保存されている地蔵菩薩坐像。南面されています。 秋空と紅葉。そこに「考える人」飽きずに毎回取り続ける我、ここにあり。ご覧いただきありがとうございます。補遺京都国立博物館 ホームページオーギュスト・ロダン 地獄の門 :「国立西洋美術館」オーギュスト・ロダン 考える人 :「国立西洋美術館」考える人 デジタルアーカイブ :「静岡県立美術館」オーギュスト・ロダン オンラインガイドブック :「静岡県立美術館」ロダン作 考える人 広島市中区、もみじ銀行玄関前 :「廣島ぶらり散歩」東大寺八角灯籠 :「奈良県立図書情報館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -1 特別展への誘い へ観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -2 展示室を巡る へ観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -3 在りし日の釈迦如来坐像を偲ぶ へ
2023.10.30
コメント(0)
1階に降り、<第5章 巨大伽藍と仏教彫刻>のセクションに入ると、すぐ左側に撮影可能エリアが設定されています。エリアを正面から見て右側には、「仏手」が展示されています。 これは、かつて東福寺の本堂(仏殿)に安置されていた旧本尊・釈迦如来坐像の左手です。指先端から手首矧面まで 217.5cm という大きさ。大人の背丈より大きな左手です。木造・漆箔。鎌倉~南北朝時代 14世紀に造立された仏像でした。この仏手は、現在は本堂(仏殿)内の左脇壇に指を上にして立てて祀られています。 本来であれば、釈迦如来の左手が間近でこんな感じに見えるのでしょうか。 (資料1)江戸時代に出版された『山州名跡志』の第12巻は、東福寺の項で、「本尊 釈迦佛 坐像五丈」と記しています。1丈は10尺です。この場合、この釈迦像が立てば五丈(約15m)の大きさを意味するそうです。坐像の像高が約半分とみても7m余の高さの仏像だということになります。創建当初に造立された本尊は、はやくも元応元年(1319)に焼失しました。この仏手は、その後に再興された本尊の仏手だそうです。その本尊が再び明治14年(1881)に焼失してしまったです。そして残ったのがこの仏手。 逆に左側には、これが展示されています。「蓮弁」です。焼失した本尊の台座である蓮華座の蓮弁と推定されています。これは横幅がほぼ1mあるとか。東福寺内の塔頭に大小いくつかの蓮弁が伝来しているそうです。 中央に安置されているのがこの「釈迦如来坐像」です。木造・漆箔で像高 87.5cm。小さく見えますが、坐像でこの高さですから、立てばほぼ等身大の大きさといえます。 この釈迦如来坐像は旧本尊の光背にあらわされた化仏の一つだったのです。この化仏一つからでも、旧本尊の巨大さを偲べることでしょう。 現在は塔頭の一つ、南明院の本尊として祀られています。 この説明パネルは仏手の近くに掲示されています。 旧本尊との関連性がイメージしやすくなるガイドです。これで特別展「東福寺」の鑑賞に関連して覚書を兼ねたご紹介を終わります。つづく参照資料*図録『特別展 東福寺』 発行 読売新聞社・NHK・NHKプロモーション 20231) 山州名跡志. 巻之1-22 / 白慧 撰 :「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)補遺京都国立博物館 ホームページ臨済宗大本山 東福寺 ホームページ化仏 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」化仏 :「コトバンク」化仏 :ウィキペディア釈迦如来 その時代と変遷 :「祈りの回廊」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -1 特別展への誘い へ観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -2 展示室を巡る へ
2023.10.29
コメント(0)
三門余談から始めます。東福寺は、奈良の東大寺と興福寺から一文字ずつとり東福寺と名付けられ、鎌倉時代に創建されました。俗に「東福寺の伽藍面」と称されるように、広大な寺域に巨大な伽藍が建ち並びます。2015年5月、上掲「三門」の特別公開を拝見に行きました。その時に撮った景色の一部をご紹介します。冒頭の写真は、南側から三門の正面を眺めた景色です。 三門の手前には池があり、三門への石橋が中央に架けてあります。(立入禁止です)三門楼上には巨大な扁額が掲げてあります。 三門楼上の特別公開で2階の回廊から周囲を眺めることができました。 楼上から北方向、正面に見えるのは本堂(仏殿)。北東方向に書院が見えます。 本堂の背後に、方丈があり、方丈の北西に通天橋が位置します。 三門の西側には大きな禅堂が見えます.禅堂の北に殿鐘楼と経蔵を遠望できます。 禅堂の南にあるのが東司です。また、本山の周辺には数多く塔頭が並んでいます。これらの建物群から伽藍面の一面を感じることになります。 回廊を南側に回り、楼上から三門前の思遠池を見下ろした景色です。会場内は一部を除き、撮影禁止。まず平成知新館の3階までエレベーターで上り、展示室を順次巡りながら、2階・1階へと降りていくのはいつもの通りです。この特別展は全体が5章構成で展示されています。章ごとに少しご紹介していきます。<第1章 東福寺の創建と円爾>寺名の由来は述べました。東福寺は摂政九条道家が中国で禅を学んだ円爾(1208~1280)を請じて開山と仰ぎ創建した九条家の氏寺として始まりました。現在は臨済宗東福寺派大本山です。まず開山の円爾の頂相(チンソウ)が4点展示されています。禅僧の肖像画は頂相と称されます。自賛のあるもの2点、他賛1点、賛なし1点。絹本着色の頂相です。展示の「円爾像」は少しずつ雰囲気が異なります。描かれ時期(年齢)の違いが反映しているのかもしれません。 ここでは京博だよりに掲載の「円爾像」(京都・万寿寺蔵)を引用します。これは後期展示の予定になっているものです。興味深かったのは、「度牒」と「円爾宛印可状」です。度牒は「得度した牒(フダ)」という意味で、円爾が中国に留学する際に身分証明書の役割を担う文書です。印可状は、円爾が悟道熟達したことを師匠が認可し書した証明書です。 円爾は中国に渡り、南宋禅宗界の重鎮である無準師範に師事しました。これは前期展示で、自賛のある「無準師範像」(国宝)です。通期展示で、「無準師範坐像」も展示されています。玉眼の入った木像で室町時代15世紀の作。無準師範所用の「九条袈裟」や、東福寺建立を発願した九条道家の肖像画も展示されています。<第2章 聖一派の形成と展開>円爾には、「聖一国師」という諡号が応長元年12月に勅許されました。生前に「聖一上人」とも呼ばれていたそうです。円爾の法を伝える後継者たちが聖一派と呼ばれています。ここでは、東山湛照、無関普門、白雲恵暁、山叟慧雲、癡兀(チコツ)大慧、虎関師錬という禅僧たちの頂相を拝見できます。蔵山準空と性海霊見の木造坐像が展示されています。宗派の個々の寺院に所蔵されている頂相を一堂にして拝見できる希有な機会です。 左は、自賛のある「癡兀大慧像」(京都・願成寺蔵)。右は、虎関師錬筆「虎 一大字」です。虎関師錬は本学国師の号を下賜されました。「本學」という国師号を室町時代に近衛尚道が揮毫した「本學国師号」(京都・海蔵院蔵)が展示されています。折り目正しく几帳面に書したという感じで、楷書体の見本のような揮毫です。<第3章 伝説の絵仏師・明兆>東福寺を拠点に活躍した絵仏師・吉山明兆(キッサンミンチョウ、1352~1431)に光を当てたセクションです。室町時代の画聖の一人に数えられる存在。東福寺の中では、仏殿の荘厳などを行う殿司(デンス)職を努めていたので、兆殿司とも呼びならわされていたそうです。前回触れていますが、特別展のハイライトの一つは、修理事業が完了した明兆筆「五百羅漢図」全50幅の一般公開です。 私が訪れたのは第1期だったので、この50幅のうち第1号から第12号が展示されていました。前期の後半は第2期として、第12号から第23号まで、という具合です。全部鑑賞するには4回行く必要がありますね。(ちょっと無理だなぁ・・・・私には。図録でがまん・・・)この「五百羅漢図」全50幅については、次の点を会場で知りました。綿密にチラシを読んでいれば、簡略な説明が記されているのですが・・・・。(そこまで事前に読まなかった!)国内では、東福寺に45幅が所蔵されていて、2幅は東京・根津美術館が所蔵されているのです。根津美術館の2点(第48・49号)は後期展示予定です。あと3幅は? 江戸時代・元和6年(1620)に狩野孝信が明兆の原画を模写した第46・47号があり、東福寺が所蔵。そのうちの1幅、第46号が前期に公開されています。最後の1点、第50号は、ロシアのエルミタージュ美術館所蔵になっているそうです。今回は、平成30年(2018)に復元模写された第50号(東福寺蔵)が通期展示されています。 明兆筆「白衣観音図」(重文)が展示されています。サイズは、326.1cm×251.1cm。図録の解説によりますと、もとは東福寺法堂の仏後の壁に貼られていた可能性が指摘されているそうです。これは安定した三角形構図の絵です。明兆筆「三十三観音図」(重文)は31幅中5幅が会期中に展示される予定で、前期はそのうち3幅が展示されています。「寒山・拾得図」は、それぞれが一幅に描かれていました。禅宗では必ず登場する画題です。やはり、明兆も描いていました。他に明兆筆の高僧の頂相も展示されています。<第4章 禅宗文化と海外交流>中国から帰朝した円爾は多くの文物を持ち帰り、一方帰国後も中国の仏教界とのネトワークを維持したそうです。聖一派の禅僧はそれを継承し、外交や貿易にも重要な役割を果たしたと言います。それが東福寺に大陸の文化、知識、美術工芸品をもたらしたのです。『太平御覧』(国宝)という南宋時代の百科事典、同時期の『義楚六帖』(国宝)という仏教百科事典や、経典類等の文物が数多く展示されています。やはりわかりやすいのは絵画工芸品です。趣の異なる「釈迦三尊図」が3点(うち重文2点)展示されていて、見比べてみる楽しみがあります。「維摩居士像」(重文)も展示されていました。ちょっと変わったものとして、明時代の「繍仏帖」が通期展示として出ています。各種尊像を刺繍で表した円形の生地を貼り合わせて帖仕立てにした作品です。工芸品で目に止まったのは、堆黒・堆朱・箔押朱漆塗という三種類の天目台。もう一つは、「孔雀牡丹文堆朱大香合」です。<第5章 巨大伽藍と仏教彫刻>1階まで降りて、最後のセクションです。このセクションの入口付近にここだけは撮影可能というエリアが設定されています。ここは次回にまとめます。まず、撮影禁止のエリアを巡りましょう。やはり、ハイライトは東福寺の仏教彫刻です。東福寺という巨大伽藍に相応した巨大な仏像たち他が、ここに展示されています。やはり巨像は迫力があります。すぐ間近で見られるのは、博物館での展示を鑑賞する醍醐味だと思います。まずは、「二天王立像」(重文)、木造・彩色の像です。 二天王立像 阿形 像高 336.8cm 二天王立像 吽形 像高 333.5cm もとは冒頭に載せた「三門」に置かれていたそうです。鎌倉時代13世紀に造立された作。数十年前に収蔵庫に収められたということなので、三門は幾度も訪れていますが目にする機会がなかったのは当然でした。同じく鎌倉時代13世紀の「金剛力士像」(重文、京都・万寿寺蔵)が展示されています。こちらは阿形・吽形の像高が、203.0cm、207.3cmというサイズ。木造・古色で、玉眼が入れてあります。慶派仏師の特色を示す作。 これは四天王立像のうちの「多聞天立像」です。こちらも鎌倉時代13世紀の作。四軀が揃って展示されています。多聞天立像は像高 100.1cm です。多聞天が一番低く、一番高い広目天で像高 114.2cm です。本堂の本尊を守護する四天王像です。小ぶりですが迫力があります。 右が「迦葉立像」(重文、像高 189.0cm)で、左が「阿難立像」(重文、像高 193.8cm)です。本堂にて、中尊の釈迦如来立像の脇侍として安置されている仏像だそうです。過去に探訪した時の記録写真を確認しますと、本尊の釈迦如来立像の両側に、仏弟子が脇侍として配置されているのが分かります。それが、迦葉・阿難立像だということで、かつての探訪の折の疑問が解けました。通常、釈迦三尊像といえば、釈迦如来に脇侍として文殊・普賢菩薩が従う三尊形式です。それにさらに、迦葉・阿難が加わるという五尊形式があると言います。今回、釈迦三尊形式にはいろいろなバリエーションがあることを調べてみて改めて知りました。さらに、「地蔵菩薩坐像」(重文、鎌倉時代 13世紀)、「跋陀婆羅尊者像」(室町時代 15世紀)、「烏枢沙摩明王像」(室町時代 14~15世紀)も展示されています。また、伽藍の建物に関係する「東福寺伽藍図縁起」をはじめ、境内総絵図、禅院額字并牌字なども展示されています。 禅院額字并牌字の一例がこれです。扁額として「方丈」の文字を陽刻するときにこの文字が原字になるのです。「普門院、大円覚、知客、三昧、書記、普説、上堂」の原字が展示されていました。その原字は、無準師範、張即之の二人によるもの。この題字・牌字は国宝に指定されています。扁額「栴檀林」と牌「上堂」が通期で展示されています。つづく参照資料*東福寺 境内図 https://tofukuji.jp/guide/#precincts*「特別展 東福寺 出品一覧・展示替予定表*入手した特別展PRチラシ *「京都国立博物館だより 2023年10・11・12月号」*図録『特別展 東福寺』 発行 読売新聞社・NHK・NHKプロモーション 2023 補遺臨済宗大本山 東福寺 ホームページ聖一国師が歩んだ道 :「Shizutetsu」円爾弁円 :「コトバンク」円爾 :ウィキペディア東福円爾二字書 爾然 :「MIHO MUSEUM」円爾系の印信から見る禅と密 ― 中世禅の再考≪8≫ :「中外日報」 東京大史料編纂所准教授 菊地大樹氏無準師範 :ウィキペデキア絹本著色無準師範像 :「文化遺産オンライン」無準師範墨蹟「茶入」二字 :「五島美術館」無準師範墨蹟 禅院牌字 :「常磐山文庫」釈迦三尊 :ウィキペディア釈迦三尊像 :「文化遺産オンライン」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都国立博物館 特別展「東福寺」 -1 特別展への誘い へ
2023.10.28
コメント(2)
先週の19日に特別展「東福寺」を鑑賞してきました。東京展がこの春に一足早く実施され、京都展は秋になったようです。 チケット半券事前にチケットを購入していましたので、いつもの径路で京博前に到着するとそのまま南門で受付をすませて、構内に入ります。 明治古都館 全景 西の方向、赤レンガ造りの正門を遠望しつつ、 平成知新館への通路を北に歩みます。 入館前の最後の大型パネル。お出迎えパネルということでしょう。 平成知新館の1階ロビーの正面に普段とはちょっと違う大型パネルが見えます。ここは記念撮影スポットになっています。 東福寺の通天橋から紅葉を眺めている雰囲気を出そうとする演出でしょうか。今まさに紅葉のシーズンになってきています。 PRチラシA PRチラシB2種のPRチラシが作られています。AはA4サイズ、BはA3サイズの二つ折です。よく見ますと、Bには、地柄に飛雲が描き込まれていて、色調が濃いめです。 チラシA裏面 チラシBを開いて、見開きの両面。2つ合わせただけでもけっこうこの特別展の情報が載っています。今なら各所で入手できると思います。後ほど一部引用します。 「京都国立博物館だより 2023年10・11・12月号」これも、特別展「東福寺」をメインにして特集されています。「東福寺のすべてを、お見せします。」というキャッチ・フレーズ。偽りはない特別展です。東福寺には幾度も訪れています。しかし、仏像・寺宝の類いをそれほど手軽に拝見できることはありません。「東福寺初の大規模展覧会」であることに納得です。 チラシBからの引用。これは絵仏師・吉山明兆が描いた「五百羅漢図」の一部です。足かけ14年の歳月で、この五百羅漢図の修理事業が完了したそうです。1幅に羅漢が10人ずつ描かれています。そこで全50幅。それがこの特別展で一挙に公開されるというのが、一つの目玉になっています。ただし、展覧会の会期中全50幅を4期に分けて公開するという形です。私は、第1期に出かけた事になり、第1~12号を鑑賞するだけに限定されました。上掲の左端の一幅がこの五百羅漢図の第1号です。その続きには、第17号・第29号・第45号と、各期の展示予定の一幅が並んでいます。ここで上掲のチラシや案内PRパネルの図柄が関係してきます。最初にチラシを見たとき、これらの図柄がどこに由来するのだろうか、と思ったのですが、典拠はこの五百羅漢図だったのです。ちょっと、チラシ・パネルから図柄を部分図として切り出してみました。購入した図録で確認してみましたので、どこに由来するかをご紹介します。 上を一部カットしましたが、この図の上部4羅漢は第1号、下部4羅漢は第40号より。 この1羅漢も第40号より。天女は第2号の上部に描かれた二天女のうちの左側より。 こちらをご覧いただくと、羅漢像の合成の位置関係に変化を加えてあります。 こちらは第20号の羅漢群です。チラシAをご覧いただくと、この直上に2羅漢が描かれています。それらも第20号に描かれた羅漢。その上の羅漢は第1号の羅漢群です。 こちらは冒頭の七条通に面して設置された大型案内パネルから切り出しました。第1号と第20号の羅漢群の合成の際の位置関係を変えてあります。面白いですね。意匠設定にデジタル画像加工処理技術が巧みに使われているのでしょう。特別展を鑑賞した後で、 今回の図録を購入しました。表紙の絵図を拝見してきた記憶がありません。後で、確認してみますと、 「東福寺伽藍図」が図録のカバーに使用されているのでした。これは後期展示予定です。この点も、少し残念なところでした。 会場には、こんなリーフレットのガイドが準備されていました。A4サイズをA5に折り込んだリーフレットです。表紙の建物は三門です。たしか英語・中国語・韓国語版が備えてあったと記憶します。内容は、1 いつできた? だれが作った? 2 聖一派って何? 3 伝説の絵仏師! 4 つながる・つづく海外との交流 5 なんでも大きい東福寺 生徒・学生向けに作成されたリーフレットのようですが、基礎知識を得るのにけっこう役立ちます。入手おすすめです。さて、会場を巡って行きましょう。つづく補遺臨済宗大本山 東福寺 ホームページ 京都の紅葉名所「東福寺」、知られざる見どころをチェック!:「そうだ京都、行こう」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。スポット探訪 [再録] 東福寺とその周辺 -1 塔頭の門前を眺めて 9回のシリーズでご紹介スポット探訪 京都・東山 東福寺・文月にふたたび -1 天得院(桔梗の寺) 7回のシリーズでご紹介 第6回に、「通天橋と洗玉澗」をご紹介しています。探訪 京都・東山 東福寺域の散策から -1 地蔵菩薩像と不動明王像ほか 3回のシリーズでご紹介
2023.10.27
コメント(0)
=== 2023.10.13 === 南の空9時25過ぎに撮りました。横雲が漂い、晴れの天気。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 やわらかないい感じの雲がふわりと浮かんでいるようでいい。 東方向の空稜線の上空も似た感じの雲が見え、普段よりも良い雰囲気の景色です。 東方向の空16時半過ぎに眺めてみますと、空に青さが増した中に細長い横雲が漂う形に変化していました。 南の空南西方向の空 カメラを縦方向にし、ズームアップで 西方向の空 頭上の空 青空と秋の雲、晴れた一日が過ぎてゆきます。 南の空17時40分近くに撮りました。曇り空に変化。一時間ほどの違いでかなり変化するもの。南西方向の空 西方向の空 遠く西の空には夕焼け雲が見えます。夾雑物なしにズバリと夕焼け雲を見たいものです。 頭上の空 東方向の空=== 2023.10.14 === 南の空8時45分過ぎに撮りました。一部うろこ雲が見えます。青空も見えます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線のすぐ上は白い雲がかかり、その上には銀鼠の雲が覆っています。普段のように東方向の空は曇り空。 東方向の空 16時5分過ぎに撮りました。銀鼠一色の曇り空に変化しています。 東の空は曇り状態が続く一日です。 南の空 南の空も曇り空に変化しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空晴れのち曇りという一日になりました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている詩集「朴」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)詩集「朴」の末尾になってきました。第二巻の巻末でもあります。ここに「出雲の雲」と題する長詩が収録されています。出雲という地名に雲があることもあり、詩の中には数多くの雲の文字が詠み込まれています。全文引用となります。 1 出雲にきて 雲ばかりながめていた 出雲の雲には いのちがある 2 輝く雲のなかに 若い詩人 スサノオノミコトがうたう 雲のうたが 今きこえる 3 消えゆく雲の 美しさよ われの終わりもかくあれ 4 出ずる日に鳴くかなかな 沈む日になくかなかな 出雲のかなかなには 神々の声がする 5 神代より鳴く かなかなの声 古国(フルクニ)の出雲にきて 血の浄まる覚ゆ 6 出雲の 入り日の 美しさ 日に向かって 独り 坐を組む 7 雲ひかれば 我もひかる 8 わらびを食べ ぜんまいを食べ ああ すがすがし 神の国出雲 9 戸もしめず 鍵もかけず 寝 (イ) ぬるよき里 ああ 川きよし 空きよし 出雲の国は 10 はしけやし 二羽の白鷺 斐伊川の砂に遊ぶなれば スサノオノミコトかと思う クシナダノヒメかと思う 11 肥の河の川上の 黒い石一つ 拾いて帰り 耳に当てれば 日本の夜明の歌が きこえてくる この国を造られた 神々の声が きこえてくる p315-316「肥の河は今斐伊川という」と末尾に付記がある。その次の「真光寺」と題する詩にも雲が詠み込まれています。詩文から一遍上人の廟所がある寺だとわかります。7章で構成される詩です。雲に関連する箇所を抜粋します。第2の前半にまず出て来ます。 御廟所の上に 八日の月が出ている 雲が去ると その月が光ってきた ああわたしは いい時に訪れてきた p318第6にも雲が詠み込まれています。ここは全詩句引用します。 一遍さあーんと呼んだら おーい おーい と答える 一遍さんの涼しい声が きこえてきそうな 雲のゆききの 夕くれであった p319この詩集「朴」に載る雲関連は、「雲を呼ぶ石」と題する詩です。詩全文の引用です。雲の位置づけを知るためにも。 左から 鷹ヶ峰 鷲ヶ峰 天ヶ峰の 三峰を望み 念ずれば花ひらく の碑 根強きタンポポの如く 大地に建つ その石小さけれども 背骨ありて 息を吹き 日月を呼び 白雲を呼ぶ 地水火風空の 五輪の供養塔 すぐそのかたわらにありて この世の人には 生き抜く力を与え あの世の人には 往生の道しるべともなろう 訪れる人よ 念じて心に花を 咲かしめたまえ とこしえにしぼぬ花を p320予測をしつつ、調べてみますと、詩中に出てくる「念ずれば花開く」の碑は、京都洛北、鷹ヶ峯の常照寺境内に、1970年に建立された第1号碑です。補遺をご参照ください。雲の変化に戻ります。=== 2023.10.15 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。夜半に雨が降ったのか、ベランダの竿には雨滴がずらりと垂れています。雨滴を拭ってから、ベランダに出て三方の空を眺めました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 空は晴れ上がっていきそうな雰囲気です。 東方向の空稜線上に雲が下りていて稜線が隠された状態になっています。こういう景色を見るのはまれなことです。 東方向の空16時半過ぎに、稜線を眺めると、上空に横雲がゆったりと広がり、青空が見られる景色に様変わりしていました。 南の空 南の遠くに雲がでていますが、近くの空は快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空17時35分過ぎに撮った空は、最近はじめて見た状態と同様の空の雰囲気です。雲の広がりではなく、青空が銀色に変じたかのような感触の空です。 東方向の空空と雲の変化は不思議です。つづく補遺真光寺 ホームページ 一遍上人について 坂村真民さん :「加藤屋のメモと写真」 1970年、「念ずれば花ひらく」の第1号碑が、京都市鷹峯常照寺に建つ。 という一文が記事中にあります。坂村真民 :ウィキペディア常照寺 ホームページ常照寺 (京都市) :ウィキペデキア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.25
コメント(0)
6月14日に庭のオーシャンブルーの初咲きを見ました。このことはご紹介しました。その後、オーシャンブルーがどのように咲くのか、楽しみにしていました。 6月23日頃には、こんな感じで少し咲き出していました。 7月4日 10時頃 7月6日でもこんな感じです。そして、その後、オーシャンブルーはピタリと花を咲かせなくなってしまいました。猛暑日が連続するようになって行きました。8月、9月と、グリーンカーテンとしての役割を果たしてくれるだけに留まったのです。 10時20分頃 16時45分頃10月7日、オーシャンブルーが再び咲き始めたのです!!!今年は気温が開花するには適さなかったということでしょうか。それが、開花に適した気温になってきたのでそれに応じるかのように咲き始めた・・・・。 プランター一つだけのタマスダレが満開を迎えていて、元気いっぱい!! 調べてみますと、ゼフィランサスの一種のようです。 10月15日 8時45分頃 オーシャンブルーの花にしずくが。昨夜の雨上がりの忘れ物でしょうか・・・。 我が家の小さな庭の西南隅と東南隅のキンモクセイが一斉に花を開いていました。 この日(10/15)、気づいたのです。 10月18日、オーシャンブルーは順調(?)に花を開いてくれています。 キンモクセイは満開に近い状態のようです。 そして、10月22日 9時半頃、今朝のオーシャンブルーです。たくさん花開いています。グリーンカーテンの役割だけで終わらずに、精一杯花開いてくれるのはうれしい。目を楽しませてくれています。 キンモクセイは満開ですが、今朝は、 木の傍の下水蓋の上に、多くの落花が見えました。 キンモクセイの花の命は短いようです。余談です。手許の歳時記を見ますと、「朝顔」は秋の季語として載っていますが、さすがにオーシャンブルーという名称はありません。キンモクセイは、季語「木犀」を代表語とし、その季語説明の中で、金木犀、銀木犀、薄黄木犀、桂の花という語句が併載されています。歳時記によると、木犀は中国原産のモクセイ科の常緑樹で、江戸時代に渡来したといわれているようです。諸本に載る金木犀と詠み込んだ句を引用します。 土地人もまよふ袋路金木犀 今村青魚 (資料1) 金木犀午前の無為のたのしさよ 石田波郷 (資料2) 月の出は金木犀の色にかな 永井東門居 (資料2) 金木犀つんとにほへり朝化粧 松野加寿女 (資料3) 金木犀風の行手に石の塀 沢木欣一 (資料3)植物もまた、温暖化、連続した猛暑日の影響を大いに受けているのでしょうね。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1)『改訂版 ホトトギス新歳時記』 稲畑汀女編 三省堂2)『合本 現代俳句歳時記』 角川春樹 編 角川春樹事務所3)『新改訂版 俳諧歳時記 秋』 新潮社編 新潮文庫補遺ゼフィランサス :「みんなの趣味の園芸」ゼフィランサス(タマスダレ)の花言葉と育て方|球根の植え方や時期は?:「HORTI」タマスダレ(玉簾)の花言葉 種類、特徴、色別の花言葉 :「LOVEGREEN」自然毒のリスクプロファイル:高等植物:タマスダレ :「厚生労働省」キンモクセイ :ウィキペデキア生薬の花 キンモクセイ :「日本薬学会」銀木犀、知ってる? 金木犀との違いや見分け方 :「ウェザーニュース」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 庭の花 初咲きのオーシャンブルー
2023.10.22
コメント(3)
=== 2023.10.10 === 南の空9時35分過ぎに撮りました。雲が張り出していますが、青空が見え、天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空にも、素鼠と白の明瞭な二色の大きな横雲が広がっていますが、青空が見えます。その後も、天気は晴れで推移。 東方向の空17時55分過ぎには、黄昏が早まりかなり薄暗くなってきました。溝鼠色の横雲が広がっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空どの方向も、雲が広がっていますが、青空は所々に見えました。=== 2023.10.11 === 南の空9時25分近くに撮りました。雲が広がっていますが、青空も広がってみえる状態です。天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけての雲の姿がちょっとおもしろい感じです。 頭上の空 東方向の空よくあるパターンですが、稜線上空は銀鼠色をすこし明るくしたような色で厚めの布を広げたかのような雲で覆われています。 東方向の空15時5分過ぎに眺めると、稜線上空は様変わりです。柔らかな白雲が青空に漂っています。 南の空 雲は少なく、青空が広がり、快晴に。南西方向の空 西方向の空 頭上の空良い天気! 南の空17時20分過ぎに撮りました。空一面が青さを含む灰色がかった状態です。雲と呼べそうな感じではありません。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空太陽が沈む前に光が弱まり始めた状態での晴れた青空の色調の変化なのでしょうか。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている詩集「朴」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)詩「法師蝉」の後は、14ページ先の「石も雲も」と題する詩に「雲」が詠み込まれたいます。その一行だけを取り出すことができません。全文引用します。 石も生きている 雲も生きている 一切が生きて 私に働きかける これがわたしの 詩であり 信仰であり 生活である p2997ページ先に、こんな詩がでてきます。 リンリン リンリンと おのれを燃やせ 道の草木も 輝くばかり リンリンと おのれを鳴らせ 空ゆく雲も 湧き立つばかり p306真民さんにとっては、詩心を燃焼し尽くし、一編の詩として結実させ、「詩国賦算」を実行すること、詩集を流布させんとする行動が、おのれを鳴らすことになるのでしょう。ふたたび7ページ先には、「サラリ」と題する詩に雲が詠まれています。生き方の譬喩として。真民さんにとり、「雲」は自然現象であるとともに、様々な意味を託す存在として不可欠なものになっているように思います。 すべて サラリと 流してゆかん 川の如く すべて サラリと 忘れてゆかん 風の如くに すべて サラリと 生きてゆかん 雲の如く p313この詩の続きに、もう一つ、重ねるようにして詠まれた詩が載っています。雲は出て来ませんが、呼応する詩です。真民さんの信条の理解に役立つと思いますので。 サラリサラリ なにごとも サラリサラリとゆこう 水が流れてゆくように 木の葉が落ちてゆくように こだわりなく 一切をまかせて サラリサラリと 生きてゆこう p314真民さんが唯一こだわるのは、己の詩を確立すること。詩国賦算詩集流布。そのこと一筋のための生き方が、サラリサラリ。この詩を読んでいると、「サラリ」「サラリサラリ」となりきれない己にぶつかってきます・・・・・・。煩悩多いおのれがここに居る。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.10.12 === 南の空7時45分頃に撮りました。青空に羊雲のような雲が見えます。天気は晴れ!南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上は普段あまりみかけない白雲の姿が見え、かつ空全体が白鼠色で明るさがあります。こんな色合いの稜線上空の様子はちょっと不思議。 東方向の空9時5分過ぎに眺めると、空の色はそれほど変化はありませんが、雲はかなり変化して、横雲も漂っています。 南の空南の遠くの空には白雲が延びていますが、身近な南の空は快晴の状態です。遠くの白雲も写してみました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空 17時20分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空三方向の空の色は、昨日のほぼ同じ時刻の状況と似た空模様です。この空の色合いは快晴に近い秋空の日没前の現象なのでしょうか。空と雲、継続して観察していると、おもしろいものです。つづく補遺季節によって青空の青色は変化する? :「教えて!goo」秋の空 :「けいはんな記念公園」空の色は何色? :「大日本図書」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.20
コメント(0)
=== 2023.10.07 === 南の空8時15分頃に取りました。うろこ雲が空を覆っていました。南西方向の空 西方向の空 西の方の空には青空が見えます。 頭上の空 頭上にも青空が所々に見えています。晴れていきそうです。 東方向の空 稜線の上には、銀鼠色の雲が広がっています。 東方向の空10時15分過ぎに取りましたあ。雲の色が少し明るく変化し、雲の切れ間が広がり、空が見え始めています。 南の空 うろこ雲は去り、雲の形が変化して、青空が広がってきました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空16時半近くに撮りました。再び雲が張り出してきました。また違う雲の姿です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線の上空は白鼠色の雲で覆われています。曇りのち晴れ、再び曇るという一日でした。=== 2023.10.8 === 南の空 8時35分過ぎに撮りました。曇り空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も曇り空、全面的なくもり空で一日が始まりました。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空10時45分頃に眺めても、曇り空であることは変わらすです。午後もそのまま曇り空。17時45分頃には雨が降り出しました。 南の空南西方向の空 窓際から二方向だけ空模様を撮ってみました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている詩集「朴」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)「愛石唱」と題する詩は、17章で構成され3ページに及ぶ長詩です。石に対する真民さんの思いが唄い上げられた詩。その第10章に「雲」が詠み込まれています。 石に願いを刻し 涅槃(ネハン)に入ろう 雲きたり 友となってくれよう p255その次は、「仏島四国」と題する詩で、春・夏・秋・冬の4章から構成される6ページに及長詩に「雲」が詠み込まれています。「春」の章の最後の節です。 大空には白い雲が流れ 大地には白衣(ビヤクエ)の人々が続き 四国はおへんろの鈴の音に 春の幕があけられてゆく p267 その情景が鮮やかにイメージできる一節。「仏島四国」のあとに、「季節のうた」と題する詩が続きます。一月から十二月をそれぞれ章にした、14ページに及ぶ長大な詩です。各月は真民さんの人生における記憶の一コマがモチーフになって詠まれています。「八月 大かみなり」の章に「雲」が出て来ます。「八月 大かみなり」は、満八歳の夏に他界されたお父さんとの思い出が詠み込まれています。その第2節に出てくるのです。 その日はとても暑く 黒い雲の足が なにか不気味に動いていた 父とわたしとは釣り糸をしまって 早く家に帰り みんなと夕食を食べていた p279最後の節に「あれが父と一緒に食事をした/ わたしの記憶の最後のものであった」という詩句が詠み込まれています。「九月 風と共に」の章には、最後の節に「雲」が出て来ます。 ああ 帰ることなき ふるさとよ 思い出の数々を 初秋の雲にのせて 運んでくれ「十月 出雲の雲」という章には、この見出しから「雲」が出ています。そして、第2節の後半部に「雲」が詠み込まれていきます。この詩の終の部分でもあります。後半部を引用します。 ああ 雲が流れる 今も昔も変わらない 美しい出雲の雲よ わたしを呼んで下さった 海運山妙厳寺は 茅葺きのお寺だっただけに 一層わたしは古(イニシエ)に返った思いがした わたしは川におりて 顔を洗い浄め 八雲立つ出雲八重垣の歌を誦し 日本に生まれた喜びを天に告げた p281-282「法師蝉」と題する短い詩に「雲」が詠み込まれています。今回はこの詩で、一区切りと致します。 つくし恋しの 法師蝉 おまえが鳴けば 足をとめ にじむ涙の 幼な子の 心となりて ふるさとの あの山川を 思い出す 雲さえ西へ 行くなれば p285法師蝉はツクツクボウシという蝉の異名です。ツクツクボウシの鳴き声が「つくし」を連想させるのでしょう。「つくし」は「筑紫の国」で筑前・筑後の古称ですが、九州の呼称でもあります。真民さんのふるさとは九州。詩集「朴」には、「玉名川」と題する詩が詠まれ、「大木」と題する詩の第1章冒頭には、「父が死んだ/ 玉名の家の広庭には」とあります。ふるさとは、熊本県なのでしょう。ツクツクボウシの鳴き声が九州のふるさとを連想させ、子供の頃の思い出に直結するのでしょう。四国に住む真民さんにとり、九州は西。父母並びに望郷の思いが「雲さえ西へ/ 行くなれば」の句に溢れているように感じます。雲の変化に戻ります。=== 2023.10.9 === 南の空10時半過ぎに撮りました。昨夕から降り続いた雨が止んでいました。曇り空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も曇り空。昨日と同じような感じです。 東方向の空こんな感じの稜線を撮ることは滅多にありません。16時半過ぎに一通り撮ったのですが、小雨が降り始めました。東方向では先に雨が降っていたのでしょうか。 南の空南西方向の空 西方向の空 もちろん頭上は中止。各方向を撮り、速やかに窓を閉めることにしました。この後、小雨が降る状態が続きました。つづく補遺四国おへんろ.net ホームページ四國八十八ヶ所霊場會 ホームページ八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を :「古事記・現代語訳と注釈~日本神話、神社、古代史、古語」法師蝉(ほうしぜみ、ほふしぜみ)初秋 :「きごさい歳時記」ツクツクボウシ :ウィキペディアツクツクボウシの鳴き声と鳴く姿 YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.16
コメント(0)
=== 2023.10.4 === 南の空雨上がりです。ベランダの物干し竿に雨滴が残っていました。7時35分過ぎに撮りました。秋らしい白雲が浮かんでいます。良い天気になるのでしょうか。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 うろこ雲と呼べばよいのでしょうか? 東方向の空稜線の上には横雲が漂っています。普段の東の空を思うと、晴れているのがわかる方だと思います。 東方向の空9時5分過ぎに眺めると、1時間半ほど経っただけですが、一転して全面的な曇り空に変化しています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけても、雲が張り出してきています。ただ、所々に青空がのぞいています。 頭上の空 ほとんど雲で覆われています。 南の空 16時20分近くに空を見上げると、青空に戻っていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 三方向すべて白雲が浮かぶ青空です。晴れ一時曇りという一日でした。=== 2023.10.05 === 南の空9時45分過ぎに撮りました。曇り空です。銀鼠より少し暗めのベターッとした雲が覆っている感じです。南西方向の空 そんな空に白雲が浮かんでいるのでしょうか。 西方向の空 銀鼠色の雲の切れ間に、その彼方の白雲が重なって見えているということでしょうか。 東方向の空 横雲が層をなした曇り空です。 東方向の空16時10分頃に稜線を眺めると、雲に変化が見られます。雲の広がり具合がかなり変わり、白雲の底面が銀鼠という感じにすら見えます。 南の空 青空に小さな雲が浮かぶという形に好転。南西方向の空 西方向の空 この後、写真は撮りませんでした。曇りのち晴れという一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている詩集「朴」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)脇道から始めます。この雲の変化シリーズの No.90 で真民さんの「タンポポ魂」と題する詩をご紹介しました。全詩集を読み進めてきて、詩集「朴」の中に、もう一つの「タンポポ魂」と題する詩に出会いました。真民さんのバックボーン、精神を感じる詩です。全文引用します。 p204 しんみんよ タンポポ魂というものがある タンポポを愛するからには この魂に徹して 初めて本ものと言える つまり大地にへばりついて 最下低の人間として生きるのだ 衣食住一切 つねに最下低の人間として 生きることを念ずるのだ そうした詩人になるのだ 大地からちょっとでも 足がうきあがったら もうおしまいだぞこれから4つ先に、「ヒマラヤ」と題する詩があります。「ヒマラヤ」と題する原色写真集を買ってきて、その山々を眺めて、世尊の心をわが心としたいと念じた真民さん。写真集を買った気持ちを詠んだ詩です。「ヒマラヤの麓に生まれられた世尊」の一行の次に、「その山から/ その木から/ その岩から/ その川から」と眺める対象となる詩句を列挙し、さらに その雲から いろいろ教えをうけられた世尊 と続きます。そして ブツダ世尊の浄い瞳に映った 大雪山(セッセン)の姿を この眼(マナコ)にうつしたい そう念じて朝に夕にひらき見つめる と詩をむずぶのです。 p207この後は、「大乗の船」と題する詩に幾つも出て来ます。15節で構成される長詩です。雲を詠み込んだ節を引用します。そのまとまりが「雲」の最低限の理解につながるはずだと思うから・・・・。どこかで、この長詩全体を読んでみてください。 p222-225 1 ああ茜の雲が 一すじ流れ 風もなく 寒くもなし 茜がわたしを 守ってくれているのだ お父さん いっていらしゃいと あの雲から 告げているのだ 「よもぎのだんご」と題する詩に付記があります。「茜はわたしたちの早世童女」と。 2 飛行機に乗るなどとは 夢にも思わなかったが それが実現し 今わたしは 白雲の上を 飛んでいる 6 西行さん あなたなら この白雲を 万朶(マンダ)のさくらと みたでしょう あなたが わたしのそばに 座っているような 錯覚をおこし 時代のへだたりを 忘れてしまいます 7 白雲悠々 遊ぶに似たり まったくその通りの きょうの天空である 8 唐の三蔵法師玄奘(ゲンジョウ)訳の 般若心経をとなえ 白雲の上を飛ぶ 孫悟空の如く 9 虚空蔵さま あなたの世界を 飛んでゆきます こんなに美しい白雲は そうめったにないと思います 13 飛行機から降りて 一時間半しか たっていないのに 山は雲にかくれ 雨が降っている そして虹がたっている すばらしい大きな虹が 15 オリンピア88号機から見た 限りない白銀の雲 いままた超特急ひかり22号から見る 美しい虹の橋 この恵まれた旅を 大詩霊さま 諸仏諸観音さまに 心から感謝しまつる 余談で終えます。この詩「大乗の船」の次に、詩「しんみん五訓」が載っています。しんみんさんを知ることの一方で、この五訓は私たちにとっても役立つのではないでしょうか。 クヨクヨするな フラフラするな グラグラするな ボヤボヤするな ペコペコするな逆の行動に身を委ねている時がよくある己・・・・ハッと、そんな気が・・・・。立ち止まり、内省するのに必要な五訓です。雲の変化に戻ります。=== 2023.10.6 === 南の空 7時45分頃に撮りました。快晴と呼べる青空模様です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 棲んだ青空はやはり気持ちがいいですね。 東方向の空稜線間際に雲が漂う以外、その上空は白鼠(銀色)一色という景色です。布のように広がる雲なのでしょうか。 東方向の空 9時10分頃に眺めると、空模様は様変わり。稜線上空に雲が覆っているのですが、灰色がかった雲が大河の流れの様に見える景色に変化しているのです。雲の変化はおもしろい。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 青空の広がり。 南の空 16時45分過ぎに撮りました。雲が広がってきています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空台形状にみえる雲が稜線に覆い被さりそうな感じで浮かんでいます。その上にも横雲が漂っています。青空が見えるように変化しています。 東方向の空17時55分頃に撮ってみました。この時刻でもうかなり薄暗くなって来ています。やはり季節は動いています。東方向の空では、雲が大きく変化しています。小ぶりな雲が浮かんでいるだけに。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空青空の雲の広がりが、曇り空の雲の広がりに変化を始めた雰囲気です。晴れのち夕刻よりくもりという感じの一日でした。つづく補遺YS-11 :ウィキペディア 「こ(=東京オリンピック)の聖火輸送に因んでその後、全日空が導入した YS-11には機首に『オリンピア』の愛称がマーキングされた」(引用)ひかり栄光の歴史 :「トレたび」ひかり(列車) :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.11
コメント(0)
=== 2023.10.1 === 南の空神無月(カンナヅキ)朔日。昨夜半から激しい雨が降り続きました。起きると、その雨が止んでいたとはいえ曇り空での一日の始まりでした。15時10分頃に撮ったのですが、この空もよう。右下に素鼠色の雲、左半分に銀鼠色の雲、右上端に白鼠色の雲が重なって見えます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空同じ曇空でも、稜線上の布を広げたような雲の方が明るさがあります。余談です。神無月は旧暦で10月を表す雅語。「俗に、日本じゅうの神々が出雲に集まるといわれる」(『新明解国語辞典』三省堂)ので、神無だとか。ならば出雲地方では? そう「神在月」と呼ばれると言います。出雲大社では、旧暦に合わせて「神在祭」という伝統行事が行われるそうです。現在では、11月にこの行事が執り行われています。(資料1)一方、例えば、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の「恒例祭典」のページを見ますと、旧暦呼称と現在の暦月を併記されています。神無月10月という結びつけは使われています。伏見稲荷大社では、現在の暦月だけの表記です。これらは、あくまで一例ですが。(資料2,3)戻ります。 東方向の空17時頃に稜線上空を眺めますと、雲がわかりやすい形に変化しているものの、曇った状態なのはそのままです。 南の空南に目を転じると、ところどころに青空が見られるようになっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空総じていえば、天気はくもりの一日になりました。=== 2023.10.2 === 南の空 7時50分過ぎに撮りました。秋の雲がただよう空で、晴れ。南西方向の空 西方向の空 うろこ雲がみられます。 頭上の空 東方向の空稜線上空は曇り空で、白雲の横雲も漂っています。その上には、灰色の雲の向こうの太陽の光が反映しているのでしょうか。おぼろげに円形が浮かびあがっているようです。 東方向の空9時20分過ぎの稜線際とさらに上空に銀鼠の横雲が漂っています。白鼠の雲とが併存しています。 南の空南西方向の空 筋雲状の雲の見られます。 西方向の空 頭上の空天気予報は晴れです。この後、二条城の探訪に出かけました。二条城細見としてその記録を先日より、まとめ始めています。そちらもご覧いただけるとうれしいです。 南の空探訪からの帰宅後、17時50分過ぎに撮りました。雲の姿はかなり変化しています。南西方向の空 夕陽がかすかに映えて、淡いピンク色をおびた雲が見えます。ズームアップして 西方向の空 頭上の空 東方向の空総じて晴れの一日。ウォーキングを兼ねた探訪日和りの一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている詩集「朴」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)「道」と題する詩に雲が詠み込まれています。この詩も全文引用します。 p139 空也一遍の道 ちかくは 放哉山頭火の道 いつのころからか わたしもこの道を 歩いていた 生まれた処もまだ知らぬ だからどこで死ぬか それもわからぬ 雲のように水のように 行方を知らぬのが わたしの一生だろう空也、一遍、山頭火という先人の道の文脈の中で、「雲のように水のように」の詩句が大きな意味を持つように感じます。「佐代子バンザイ」と題する詩があります。娘の佐代子さんが神戸で成人式をあげる日に詠まれた詩です。最後の節に出てくる詩句です。 p151 流れる雲よ 父のこの喜びの声を 伝えてくれ と、詠み込まれています。ストレートに感情の発露を感じとれる詩句です。 一途一心 一途に生きているから 星が飛び 花が燃え 天地が躍動するのだ 雲が叫び 草が歌い 石が唸るのだ 一心に生きているから この手が合わされ 憎しみを 愛に変えることができるのだ 一途であれ 一心であれ p156真民さんご自身が、詩作一筋の生き様に対し、己へのエールとして声高らかに詠まれた詩と受け止めました。それが、この詩の読者には、読者自身の生き方に対するこだまとして跳ね返り、そして、読者へのエールにつながって行くのではないでしょうか。「一途であれ/ 一心であれ」と。この後、40の詩を挟み、「愚かなる身を」と題する詩に、雲が現れます。ここでの詩句も全文の中から切り取ると詩情は減じると思いますので、全文引用します。 p184 出ずる日に 何を願わん 沈む日に 何を望まん ただしずかに わが道を行き わが詩を作り 雲のごと 水のごと おのずからなる 生を送らん 石よいきどおるな 水よぐちをこぼすな よろこびに おぼるることなく かなしみに しずむことなく すべてを託して 一途に生きん 愚かなる身を ここに出てくる「雲のごと/ 水のごと」は、上掲の「道」と題した詩に出てくる「雲のように水のように」と同じ次元での心境を表象していると思います。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.10.3 === 南の空7時45分頃に撮りました。天気は晴れ。空のこの青さがいい! 日本の伝統色名では瑠璃色と称する色合いだと思います。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空南、西の方向は晴れていても、稜線上空が曇りというのは普段のよくあるパターン。厚めの横雲が層をなしています。 東方向の空9時10分近くに眺めますと、稜線上空の雲の姿は大きく変化していました。曇っているのは変わりません。 南の空うろこ雲が見えます。1時間半程の時間差で雲の姿は大きく変化しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時40分頃に撮りました。空模様は一転し、銀鼠の雲が空を覆う形に変化。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空空は全面的にくもりに変化。晴れのちくもりです。深夜から雨が降り出しました。つづく参照資料1) 神在祭 :「しまね観光ナビ」2) 恒例祭典 :「賀茂別雷神社」3) 祭礼と行事 :「伏見稲荷大社」補遺空也 :ウィキペディア空也 :「Web版 新纂 浄土宗大辞典」一遍上人のご生涯 :「時宗」(時宗宗務所)一遍 :「Web版 新纂 浄土宗大辞典」種田山頭火 :ウィキペディア種田山頭火について :「山頭火ふるさと館」坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.06
コメント(0)
=== 2023.9.29 === 南の空 9時15分頃に撮りました。朝から快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空に雲が浮かんでいますが、こちらの方角も青空が見えています。気持ちのいい朝のスタートです。 東方向の空 17時15分過ぎに撮りました。雲が去り、そらは夕暮れ間近の青空です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空快晴の一日となりました。余談ですが、 9/29は仲秋の明月。夜にあるブログ記事を読んでいて、そのことに気づきました。そこで、ベランダに出て、21特44分にハンディなデジカメで、フラッシュ無し、手持ちでズームアップしてなんとか撮れました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)詩集「朴」に移ります。「道」と題する詩に、まず雲が詠み込まれています。 空也一遍の道 ちかくは 放哉山頭火の道 いつのころからか わたしもこの道を 歩いていた 生まれた処もまだ知らぬ だからどこで死ぬか それもわからぬ 雲のように水のように 行方を知らぬのが わたしの一生だろうこの詩集「朴」には、真民さんが己の生き方に触れる詩句が各所に出て来ます。「道」の最後の三行に重なると私が思う詩句をこの詩集のここまでの詩から拾ってみます。 しんみんよ/ 足の裏的な仕事をし/ 足の裏的な人間になれ (「1」の末尾三行) 詩「尊いのは足の裏である」 p123 一すじに/ 生きたる人の尊さ 一すじに/ 歩みたる人の美しさ われもまた/ 一すじに/ 生きん 一すじに/ 歩まん 詩「一すじに」全文 p128 詩集流布/ 詩国賦算/ 大願を完(マットウ)させ給え (末尾三行の詩句) 詩「しんみんの名に寄せるうた」 p130さらに、「念願」と題する詩が、冒頭の「道」ほかと響き合うのです。以下全文です。 一遍の生まれたところにきた 子規の生まれたところにきた わたしは新たに生まれなおそう この人たちの志を継ぐために 山頭火の死んだところにきた わたしもここで死ぬのだ 腰をおちつけて 我行精進(ガギョウショウジン)しよう 詩国賦算 詩集流布の 念願に燃えながら p132そして、詩「タンポポ魂」が重なって来ます。真民さんの魂として。これも以下全文。 踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く その明るさ わたしはそれを わたしの魂とする p133「雲」が、真民さんの生き方、魂に響き合っていきます。一遍上人の念仏賦算の歩みが、真民さんの詩国譜算の歩みに呼応して行きます。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.9.30 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空朝の天気は快晴でスタートしました。午後から京都市内に出かけましたので、ベランダからの雲の変化は不詳です。京都市内の空は、あちらこちらで曇り空を見上げていました。牛に引かれて・・・じゃなく、息子の車に乗せられて・・・・、遅ればせながら3箇所の墓巡り・・・・。夕刻まで自宅に戻れずでした。私自身は檀家寺の彼岸法要と墓参りは出かけてはいたのですが。これで、10月の暦には追いつきました。つづく補遺空也 :ウィキペディア一遍上人念仏賦算遺跡 :「フィールド・ミュージュアム京都」御賦算 :「時宗遊行寺」賦算 :「web版 新纂浄土宗大辞典」種田山頭火 :ウィキペディア種田 山頭火 作家別作品リスト:No.146 :「青空文庫」正岡子規について :「根岸 子規庵」詩集 詩国 第一集 :「大東出版社」タラス・シェフチェンコ :ウィキペディアタラス・シェフチェンコ像 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.02
コメント(0)
=== 2023.9.26 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。青空が少しだけ見えますが、曇り空。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も、雲が覆っています。べたっと布を広げたような雲ではないのがまだいいところです。経験からは雨が降る雲ではなさそう。 東方向の空16時25分過ぎに眺めると、稜線上空は雲が浮かんでいますが、青空が広がっています。 南の空青空になり、秋の雲が漂っています。うろこ雲とひつじ雲の間のような姿の雲です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空天気はくもり後晴れの一日でした。=== 2023.9.27 === 南の空9時10分頃に撮りました。青空が一部見えますが、銀鼠から素鼠色の大きな雲が張り出しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 方向により、雲の色合いがかなり違います。おもしろいものです。 東方向の空逆に、稜線上空はそれほど雲が強く張り出している感じではありません。薄いベールを背景に白鼠から銀鼠色の横雲が浮かんでいる感じを受けます。 東方向の空15時20分頃に眺めると、稜線上空の雲は増えていますが、青空が見える状況に変化。 南の空 午前中の大きな雲は過ぎ去り、青空の中に雲が漂う景色になっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時35分過ぎに撮りました。雲の形はまた変化し、あまり見かけない姿の雲が中央部に見えます。南西方向の空 西方向の空 遠くの西の空には夕焼け雲が見えました。 夾雑物を避けてズームアップで切り取っても電線だけはかかってしまいます。 頭上の空 東方向の空稜線に近い辺りの雲にも、少し夕陽が映えたのでしょう。少しピンク色がかかっています。くもり後晴れの一日。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻、詩集「梨花」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)「タラクサカムの花」と題する2ページ半に及ぶ長い詩に「雲」が詠み込まれています。前書があり、「たんぽぽのことを学名タラクサカムという。この六字の中にサカムラの四字が入っている不思議を思う」と真民さんは記します。真民さんが自分の住まいをタンポポ堂と称されたのは、ここに縁があるのでしょうか。この詩には、タラス・グリゴロヴィチ・シェフチェンコという名前が「それはわたしの愛する詩人」として出て来ます。 夜明けを仰望し 苦難と戦ってきた 彼の生涯とその作品とが今にいたるまで わたしの心をとらえて やまないからであろうか わたしは彼の詩を誦し いつも夜明けの雲に呼びかけてきた p104という一節に雲が出て来ます。タラス・グリゴロヴィチ・シェフチェンコという詩人を真民さんのこの詩で初めて知りました。ウクライナ生まれの詩人だとか。「日に何度わたしは/ ウクライナの地図を出して見ることだろう」という詩句が二度出て来ます。「憧れのウクライナへと」という詩句も。もし真民さんが現存し、現在のウクライナとロシアの戦いに触れたら、どのような思いを抱き、どのような詩が生まれることでしょう。その二つ先に「吐いた息が」と題する詩が載っています。詩を引用します。 p106 吐いた息が吸い込めないような 気が遠くなって倒れてしまうような 中央アジアの果てしない大地 なんという雲の壮大さだろう 時間も空間も絶した 非常の天上天下 玄と称し空と言う 東洋思惟(シイ)の根源が 生誕しているところ ああ 天の高さと 地の広さとが 今も太古そのままのところ真民さんは、中央アジアという空間を地図で幾度も眺め、写真や映像を見て、さらに大乗仏教の伝搬の径路やその思想を思惟して、雲の壮大さを思い描かれたのでしょうね。詩人の想像力が中央アジアに飛翔して行った先に、この詩が創りだされたのではないでしょうか。そんな気がします。「一遍智真」と題する詩には、後半に次の三行が読まれています。 p109 芭蕉の旅姿もよかったにちがいないが 一遍の旅姿は念仏のきびしさとともに 夜明けの雲のようにわたしを魅了する詩の前半には、「一処不住の/ 捨身一途の/ 彼の狂気が/ わたしをひきつける」と真民さんは詠み込んでいます。夜明けの雲の姿に一遍上人が投射されているのでしょう。この詩集には、もう一箇所雲が出て来ます。次の詩です。 無心無礙 雲の あのかたち 無心なるもののうつくしさよ 水の あのひびき 無礙(ムゲ)なるもののこころよさよ p109雲の変化に戻ります。=== 2023.9.28 === 南の空9時25分過ぎに撮りました。雲が張り出していますが青空も少し見えます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 西方向と頭上は、青空の広がる比率が大きくなっています。 東方向の空南、西、頭上の空とは対照的に、稜線上空は普段よく見る鈍色の雲が覆う空模様。 東方向の空16時40分頃には、稜線上空のくもり空は同じですが、雲の形がはっきりとわかります。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南も、西方向も頭上も、くもり空に変わっていました。 南の空 17時35分過ぎに写真を撮り終えた頃から、雨が降り始めました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空素鼠色の雲が稜線際に接近して行く感じの空模様だと感じます。晴れのち曇り夕刻より雨という一日でした。つづく補遺空には秋の雲 :「ウェザーニュース」【秋の雲は何種類ある?】子どもに教えたい特徴や見分け方を解説!:「こそだてまっぷ」うろこ雲・さば雲・いわし雲・羊雲…「秋の雲」の見分け方 :「AllAbout 暮らし」坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民についてタンポポ魂 :「円覚寺」中央アジア、キルギスタンの山と雲のある風景 :「123RF」859 中央アジアの無料画像 :「pixabay」仏教のシルクロード伝搬 :ウィキペディア一遍上人のご生涯 :「時宗」(時宗宗務所) ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.10.01
コメント(0)
=== 2023.9.23 === 南の空9時過ぎに撮りました。「秋分の日」ですが、暑さは未だ継続中。ちょっとましになったかなていど・・・・。空には雲が張り出していましたが、秋の雲になっています。南西方向の空 西方向の空 頭上の雲 東方向の空稜線上空だけが、白鼠色と銀鼠色お混在する厚めの雲で覆われています。その後、檀家寺での彼岸の法要とお墓参りに出かけました。 東方向の空17時25分頃に撮りました。稜線上空は厚ぃ雲が横雲が層をなす感じに変化しています。しかし、雲が全面的に覆っているのは変わりません。 南の空 厚みを増した雲に覆われる形に変化。南西方向の空 西方向の空 頭上の空くもりの一日でした。=== 2023.9.24 === 南の空 9時50分頃に撮りました。朝から快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空山の更に東には雲が漂っているようですが、稜線の上空には雲が見えません。空の色調が違うのは光線の関係でしょうか。ちょっとくすんだ青空です。 東方向の空 16時15分近くに眺めると、雲が出ていました。 青空の色は午前中の色よりも明るい青さが見られます。 南の空 雲が出ていました。青空の色は濃さを増しています。南西方向の空 雲の一部をズームアップしてみました。雲の雰囲気が変わります。 西方向の空 頭上の空晴れの一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻、詩集「梨花」の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社) 雲と水 1 2 動いてやまぬ 雲が動くのは 雲と水 淋しいからなのでしょうか 流転生死(ルテンショウジ)の 嬉しいからのなおでしょうか この身ゆえ 切なき心 水が音たてるのは 寄するなり 悲しいからなのでしょうか 楽しいからなのでしょうか 故郷は遠し 父母はなし 彼等曰く 身は雲水の 人間なんて馬鹿なことを考えるものだね 旅なれば 花咲く野辺に 夢を追う 雲と水は自然の代表的な要素として取り上げられているのでしょう。そこに人は己の心、思いを投射するということでしょうか。遠く故郷を離れ、己の詩境を確立せんとその夢に向かって刻苦する真民さんの姿は雲水の修行と重なるのでしょう。その己を突き放してみれば、最後の一行になるのかも・・・・。そんな受け止め方をしました。詩「かなかな蝉」には、次の詩句が詠み込まれています。 きょうも紫の雲をいただいて 真夏の夜が明けようとしている その時お前たちは競って すばらしい生(セイ)の交響曲を聞かせてくれる詩「零」は、やはり全文をご紹介したいと思います。 死んだらこおろぎのように からからになり 冬のからっ風に吹きとばされて われとわが身を零(ゼロ)にしよう そうきめたら 胸のあたりがすうっとして 体も軽くなった 雲の姿までが きのうと変わって ほれぼれと眺められるようになった詩「ときめき」には、次の詩句が詠み込まれています。 星のまだ光っているうちに起き 雲の動きを仰ぐ雲の動きを「見る/眺める」ではなく「仰ぐ」と記されています。その時に、「久しぶりの/ このときめきよ」と、誘発された感動を詠まれた詩です。詩集「梨花」には、さらに3つの詩に「雲」が詠み込まれています。雲の変化に戻ります。=== 2023.9.25 === 南の空9時45分過ぎに撮りました。空にはひつじ雲が浮かび、晴れた日が始まっています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線を横長に撮ると、快晴に見えてしまうのですが、縦長に撮ると上空の高い所に雲が浮かんでいるのです。この雲はこちらに近い空に浮かぶ雲なのかもしれません。 東方向の空17時35分過ぎに撮りました。稜線の上には横雲が浮かんでいます。夕陽の影響でしょうか、わずかにピンク色を映じています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては、快晴の空です。 頭上の空も同様に雲はみられません。 南東方向の空には、月がくっきりと見えました。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.30
コメント(2)
=== 2023.9.20 === 南の空9時25分頃に撮りました。空は曇り。銀鼠色の平べったい雲が覆った空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空空一面に、いずこも同じような空模様。経験からは雨が一番降りやすい状況です。やはり、断続的に小雨が降りました。 東方向の空17時15分頃に窓外を見ますと、雨が止んでいましたので、一通り撮ってみました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空午前中と大差のない空模様で、くもり時々雨の一日が過ぎました。=== 2023.9.21 === 南の空10時45分過ぎに撮りました。何時頃から雨が降っていたのかはわかりません。その雨が止んだ後でした。服を濡らさないように、ベランダの物干し竿の雨滴を拭き取って体を外に出し気味にして、三方向を撮ることにしました。昨日の朝との違いは、くもり空に、一段と濃い素鼠色の雲も漂っていることです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空素鼠色の雲が混じってくると、やはり不穏な雰囲気が感じられる雲行きです。 東方向の空稜線上空は銀鼠色の濃淡の雲が覆っているだけです。 東方向の空16時半頃に撮りました。一時的に雨が降る時がありましたが、この頃には雨が止んでいました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空朝と似た感じの空模様です。素鼠色の雲が稜線上空にも見られる変化が加わったのが違いでしょうか。17時頃から、再び雨が降り始めました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)詩集「梨花」に移ります。この詩集は「序詩」と題する詩から始まります。 花咲けば/ 共に眺めん 実熟せば/ 共に食べん 悲喜分かち/ 共に生きんという短い詩。この後「雲」を詠み込んだ詩が様々に数多く出てくる詩集です。全詩あるいは詩句の引用でご紹介しましょう。自然の雲、暗喩の雲、自己投射の雲など、様々な使われ方で「雲」の一字が織り込まれています。雲は真民さんにとり、身近なものだったようです。 雲と石 動いてばかりいる雲が 動かない石に言った 石よ そんなに動かないでいると 馬鹿になってしまいはせぬか 思惟の作用が零(ゼロ)になって かちかちになってしまいはせぬか 動かない石が 動いてばかりいる雲に言った 雲よ そんなに動いてばかりいると 馬鹿になってしまいはせぬか 思惟の作用が零になって からっぽになってしまいはせぬか p88 仏陀の実践した中道、龍樹の説いた中論を暗示しているのでしょうか。 言葉の選択という点もふと思い浮かべました。『新明解国語辞典 第五版』(三省堂)を参照します。 思惟 :<宗教・哲学などの根本的問題について>深く考えること。しゆい。 思考 :冷静に論理をたどって考えること(頭の働き)。 思索 :現象の持つ根本的意味や、現象と現象の関連などを、純粋に理論的に突きつ めて考えること。 思念 :心に思うこと。考えること。 思慮 :将来どうなるか、また、自分はどう行動したらいいか、についての判断(の力) 思量 :あれこれと、比べ合わせて考えること。(多く、法曹関係の用語) 熟思 :前後の事情や、いろいろな場合をよく考えること。 言葉って興味深い・・・・。 分身 雲は わたしの息吹(イブキ) 水は わたしの生御魂(イキミタマ) 石は 私の化身(ケシン) p89この詩を読むと、雲、水、石に己自身の一側面・一要素を表象されています。それはまた、己と自然との繋がりを踏まえているということなのかもしれません。 何を土産に 西行 芭蕉 杜甫 李白 何を土産に 訪ね行こ 雲も昔の雲ならず 水も昔の水ならず 詩集数巻編みしかど ただ悲しみの増すばかり p90この詩は、やはりその前に載る詩「分身」を重ねて読み込むことが必要なのでしょうね。最後の一行は、この時点での真民さんが目指す詩境と現状の自己とのギャップを自己評価された心情の吐露でしょうか・・・・・。己を厳しく見つめる真民さん・・・・。雲の変化に戻ります。=== 2023.9.22 === 南の空9時5分過ぎに撮りました。連続で曇り一時雨という天気が続いています。この日も曇り空からの始まりです。濃いめの雲が続きます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空もまた、素鼠色がまさった雲が覆い被さっています。 東方向の空16時20分過ぎに眺めると、濃い雲は消え去り、銀鼠色の比較的穏やかそうな横雲の広がりに変化していました。上空側が濃い色合いです。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時35分過ぎにも撮ってみました。曇り空のままで過ぎる一日になりました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線際が明るくて、上空に移る程に灰色の色調が濃くなるグラデーションがなかなかいい曇り空です。つづく補遺中道 :「コトバンク」龍樹 :「コトバンク」龍樹 :ウィキペディア龍樹 :「真宗の本棚」龍樹と空(中観) :「広済寺」中論 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.29
コメント(0)
=== 2023.9.17 === 南の空16時35分近くに撮りました。うろこ雲が並存する形で白雲が広がっています。朝から晴れていました。この日も一日自宅にいたのに、この時しか雲を撮っていません。何をしていたのか? 一冊、本を読了しようとしてはいたのですが・・・・。南西方向の空 西方向の空 晴れた空に、こういう雲の姿を見るのは時々でしかありません。 頭上の空 東方向の空稜線の向こうに白雲が漂い、稜線手前に銀鼠色の雲が浮かんでいるというように見えます。それらの雲の上空には青空が広がっていました。=== 2023.9.18 === 南の空9時50分頃に撮りました。昨日から一転し、朝から灰色の雲が空を覆っています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空雲が広がっているのですが、ところどころで青空が垣間見えます。天気としてはくもり。 東方向の空稜線上空も同様に青空を一部のぞかせつつ白雲が広がっています。 東方向の空15時35分過ぎに眺めると、雲の塊の状態が大きく変わり、灰色のトーンが濃さを増しています。 南の空雲の姿が変化し、青空を見せる割合が広がっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空18時過ぎに撮りました。雲は銀鼠色に濃くなっていますが少なくなり、夕暮れの青空が広がっています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向んかけては、厚くはありませんが広がった銀鼠色の雲に覆われていました。 遠い西の空には夕焼け雲が見えます。ズームアップし、夕焼け雲を切り出してみました。遠くの西方向の空は建物越しに眺める景色になりますので、残念ながらぐ~んとズームアップしてしか撮れません。どうしても電線を避けるわけにはいきません。 地平線、水平線を眺められる形で夕焼け雲を撮ってみたい! 頭上の空 東方向の空 稜線上空はまた変化した雲の姿で覆われていました。くもり、一時晴れ、という天気の一日。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻の続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)詩集「春の泉」が続きます。この詩集は「念ずる心」と題する詩から始まります。18番目に「遠い夏」と題する詩があります。この詩には、「つねに真実を言う唯一の人間である詩人たち ロマン・ロラン」という前書が付いていて詩句がはじまるのです。この詩の半ばに、「雲」の文字が見えます。 黙って待っても 神はやって来ない 幾日か腐るような雨が降る -嫌なキノコ雲の写真がまた載っているという詩句の中に。次の詩は、「盲目になった海神」という題。こんな詩です。 かつての権威も神通力も堕天馬の如く 無力となってしまった海神よ 狂った雲がクリスマス島から三千上空に飛ぶ 少女は一片の雪にも脱毛の恐怖を感じ 少年は一滴の水にも ストロンチウムの害を論じ 自然は人間の敵と一変した 怒りの海に映る黒い島のかげよ かもめはかつての夢を忘却し 貝たちは一瞬にして 自らの舌をかみきって死んだ 人間の頭蓋骨に似たキノコ雲を切り取って わたしは呪文の言葉を書きしるした 盲目(メシイ)になった海神(カイジン)のために「キノコ雲」をシンボルとして、人間の独善と暴力への真民さんの激しい怒りと恐れが伝わって来ます。原爆の悲劇を見聞し現地を訪れ、また水爆実験の被害者の悲劇に接した真民さんが、そのプロテストの思いを詩に託されたのでしょう。詩集「春の泉」に出てくる「雲」はこの二詩に詠まれたキノコ雲関連だけです。余談ですが、この詩集に載る短い詩を2つご紹介します。私が惹かれる詩のひとつに加えました。 一字一輪 字は一字でいい 一字にこもる力を知れ 花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ 木の葉 木の葉を 日の光に 透かしてごらんなさい 一枚一枚に 大宇宙の詩が 書きしるしてあります それをどうか読み取って下さい雲の変化に戻ります。=== 2023.9.19 === 南の空9時25分頃にとりました。雲が出ていますが、晴れた天気です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上は、夏の名残を感じさせる雲が立ち上がっています。薄めの銀鼠色とい色合いの雲です。その背景の空も同色です。西は晴れでも東はくもり、よくある構図です。 東方向の空16時50分過ぎに眺めると、稜線上空は青みを帯びた薄めの灰色一色の空です。 南の空 青空のともに部分的にソフトな雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 青空の色調の変化と合わせて、薄いベール様の雲が広がっている感じの部分が見られる雰囲気です。 頭上の空 頭上にはっきりとした雲が見えました。たぶん天気は晴れでしたといえる一日でしょう。つづく補遺海神 :ウィキペディアストロンチウム 用語解説 :「排出放射性物質影響調査」海水:ベータ線核種(ストロンチウム90)の分析 :「日本分析センター」ストロンチウム :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.28
コメント(2)
=== 2023.9.14 === 南の空9時15分近くに撮りました。ソフトな感じの雲が浮かぶ晴れた空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空に横雲とソフトな雲がともに浮かび、青空が見えて、こちらも良い景色です。 東方向の空16時35分過ぎに眺めると、稜線上空には雲が広がっていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空頭上と南から西方向の空にも雲が広がり、晴れのちくもりという状況に。 南の空18時5分過ぎに撮りました。雲の形は変化していますが、くもりの状態はそのままです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上には白雲が浮かび、その上空にはくっきりと層が別れたように青みがかった銀鼠色の雲が一面に広がっています。晴れのちくもりの一日でした。=== 2023.9.15 === 南の空9時35分頃に撮りました。夏雲を未だ感じさせる雲が浮かんでいます。天気は晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空西方向から頭上にかけては、秋の雲なのかもしれません。 東方向の空稜線上空には、様々な雲の姿が並存して漂っています。 東方向の空16時20分近くに眺めますと、稜線上の雲は姿を変えて、モノトーンな雲の広がりへと変化しています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては、白鼠・銀鼠・素鼠の色の雲が混在して空を覆っています。 頭上の空頭上には東方向の雲につながっていく感じの雲が広がっています。この日も晴れのちくもり。この後は撮りませんでした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集第2巻に収録されている最初の詩集は「朝の眼の中に」です。 (参照『坂村眞民全詩集 第二巻』大東出版社)最初の詩は「この二つのものの中に」です。三節からなる詩。第二節に雲が詠み込まれていますが、全体を読まないと意図が伝わらないと思いますので、引用します。 朝の眼(メ)の中に エベレストの 乳色(チチイロ)の川が 浮かび 夕(ユウベ)の眼の中に クリスマス島の 狂った雲が 浮かぶ ああ一致(ユニテ)こそ わが願いなれど この二つのものの中に 流されてゆく日々(ヒビ)太古からのエベレストの川の流れ。真民さんは釈尊が活動されていた頃の馴染まれた川をイメージされているのでしょうか。クリスマス島について調べてみますと、中央太平洋に所在する島です。現在は、キリバス共和国に属する島。1957年から58年にかけて英国がクリスマス島・モルデン島で9回の核実験を行ったと言います。(資料1,2)「狂った雲」とは、核実験により発生した人工的なキノコ雲をさすのでしょう。原爆投下のあの雲の映像のように・・・・。まさに「狂った雲」です。自然が生み出した恵みの川と人間が生み出した狂気の自然・人間破壊の産物。ユニテとは真逆の対極。重い、重い、重い・・・・詩です。この詩集の先に、「夏を更に」と題する詩が収録されています。4行詩ですが、上記のクリスマス島に呼応する詩です。詩の題に続く前書がそれを裏付けます。 1957年5月16日クリスマス島にて水爆実験 1957年5月28日ネバダ州にて原爆実験 雲は憤怒(フンヌ)に似 風は怒号(ドゴウ)に似 夏を更に 焼くこの詩集では、もう1箇所で雲と出会います。「一草庵追懐」と題する詩です。10節から構成される詩。山頭火を追懐する詩の一節で出会いました。種田山頭火(1882~1940)は漂泊の俳人として知られる人です。 6 わたしはこの冷たい水で 手を洗い眼を冷やした 椰(ナギ)の古木の上を 白い雲が流れていた一草庵は松山市御幸1丁目135-1に所在します。その建物の側に「山頭火翁終焉之地」と刻まれた石碑が建てられています。この碑のことは、最後の10節に詠み込まれています。 「山頭火翁終焉之地」の文字は すぐとわかる澄太先生の字だ 紫蘭(シラン)の花などがあたりに咲いていた3節と9節に「鉄鉢の中へも霰」の句碑が詠まれています。この句碑もまた、一草庵の側に建立されています。これは山頭火が昭和7年1月8日、福岡県遠賀郡芦屋町で托鉢に出た時の句だそうです。 (資料3)さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.9.16 === 南の空9時過ぎに撮りました。ソフトな雲が浮かぶ晴れた空です。良い感じ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線際に白雲が浮かんでいますが、夏雲の力強さは消え、ほんわりとした感じの雲です。その上は青空をはさみ、白雲が浮かんでいます。 東方向の空10時55分過ぎに稜線上空を眺めると、雲はほとんど去り、青空に孤雲浮かぶという趣きに近づいています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空他の方向はほぼ快晴状態。雲はほぼ見えません。 南の空18時頃に撮りました。空は白鼠色に近い感じに塗られたよう・・・・・。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空全体が一色で覆われているような感じ。これは雲ではなくて、太陽の光の変化により、青空が全体が褪色したモノトーンに見える感じに変化したということでしょうか。こういう夕空をみたことがほとんどなかったと思います。つづく参照資料1) イギリスの核実験 被害はまだ闇の中フイジー核実験被ばく兵士の健康調査を行って 斎藤友治(静岡・浜松佐藤町診療所):「全日本民医連」2) 核廃絶へ「共に行動を」 :「REUTERS」3) 種田山頭火(1882~1940) :「愛媛県生涯学習センター」補遺キノコ雲 :ウィキペディア被爆者との連帯【クリスマス島】 :「原水爆禁止日本協議会」種田山頭火 :ウィキペディア種田山頭火 作家別作品リスト:No.146 :「青空文庫」 旅日記 種田山頭火 :「青空文庫」 草木塔 種田山頭火 :「青空文庫」 行乞記(一) 種子田山頭火 :「青空文庫」 行乞記(二) 種子田山頭火 :「青空文庫」種子田山頭火の旅 トップページ 種子田山頭火の句碑 種子田山頭火の俳句100選 :「ジャパノート」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.25
コメント(0)
=== 2023.9.11 === 南の空7時55分近くに撮りました。空は晴れ、淡い雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南から西方向にかけては快晴状態です。 東方向の空一方、稜線上空は青空を感じさせながら横雲が層状に広がっています。ところが、11時過ぎには小雨が降り出しました。 南の空南西方向の空 窓際から二方向だけ11時10分近くに撮りました。 南の空 17時10分近くに撮ってみました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空雨は止んでいましたが、どの方向もどんよりと曇り空が続いていました。=== 2023.9.12 === 南の空10時15分過ぎに撮りました。天気は回復し、雲が張り出していますが、晴れです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空だけが銀鼠色の雲に覆われています。南~西方向とは対照的な空。午後、天気は下り坂で一時雨が降りました。 東方向の空雨があがり、18時10分頃に眺めますと、銀鼠の雲の隙間に青空が見えます。 ほんの一部ですが、夕陽を受けてピンク色に染まっている雲があります。 南の空南西方向の空 夕焼け雲をアップに 西方向の空 夕焼け雲をアップに 頭上の空 久々に夕焼け雲を眺めました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された次の詩集「赤い種」からです。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)詩集「赤い種」の最初には、真民さんのこの全詩集を購入した一因になる詩が冒頭に2つ載っています。雲がたりの観点では、余談から始めることになりますが、引用してご紹介したい所存です。 p249 ねがい ひとから 虐げられながら 独り死んでいったひと そのひとの耳に そっと読んであげる そういうわたしの詩でありたい 念ずれば花ひらく 念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことば わたしもいつのころからが となえるようになった そうして そのたび わたしの花が ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいていったこの2つめの詩が印象的だったのがまずトリガーになりました。この詩はたぶん良く知られた真民さんの詩のひとつです。「念ずれば花ひらく」を詩碑として建立されているところが各地にあります。この詩集の「杉村春苔尼先生に捧げる詩」という題の詩の2箇所に雲が詠み込まれています。冒頭の6行目です。冒頭箇所を記します。 杉村春苔尼先生 こころ屈してどうにもならない時は 苔むす五輪の塔の立ちならぶ 寂かなこの菩提所に来て 鳥の声に耳を傾けたり 流れ行く雲に思いを放ったり 古い木々のささやきに心を遊ばせたりして いくときかを過ごします p266後半の2回目の先生への呼びかけのなかで、 山の中は冷えて さすがは冬のさなかだと思わせますが それでも時々雲が切れて 日の光があたりを急に明るくしますと すべてのものにはやすらぎのいぶきを 感ずる気がいたします と。 p267「帰郷詩」と題する詩の「1 動物園にて」には、 花も美しいし 雲も お月さまも お星さまも みんな美しいね と。 p276この「1 動物園にて」には「子供たちに初めて動物園を見せた。これが帰郷の大きな一つの目的であった」と付記されています。子供たちに動物たちについて教え語りかける詩です。その中の一節なのです。この一節の前に、真民さんは子供たちにこう語っています。「もう少し大きくなったら/ どうしてみんなこんなに美しいだろうかと/ そんなことを考えてみることだね/ 大事なことね」と・・・・。この詩集ではもう1箇所、「さすらえば」と題する6行詩に「雲」が詠み込まれています。 さすらえば 鳥なくもかなし 雲行くもかなし 慰め合い助け合い 一つの船に乗りてゆかん 風よこころして吹け 全詩集第1巻は詩集「静かな愛」が最後の収録詩集です。この詩集は、真民さんが半盲に近い身となったり、全身に激痛を覚え、昼夜間断なく苦しみ、襲いくる死の恐怖を体験された時期に詠まれた詩集です。そこに、「雲」と題する3行詩が一つありました。 p301 称名のこえ おのずからなる日の ゆく雲の美しさ ゆく雲を美しく感じる中に、称名のこころが重ねられているように感じます。余談ですが、この詩集のタイトルになっている詩が、詩集の後半にありました。 p319 静かな愛 もしもこれが 奇跡と言えるなら 奇跡と言おう 悶絶するような 苦しみの果てに わたしを甦らせた あの光を あの静かな 愛の光を次回から全詩集の第二巻に移ります。雲の変化に戻ります。=== 2023.9.13 === 南の空 9時5分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 空は快晴状態で、気持ちが良い朝です。 東方向の空稜線際に小型の白雲が浮かぶ他は、上空に青空が広がっています。比較的稀な空模様。 東方向の空15時10分頃に眺めると、大きくなった白雲が浮かんでいて、空の青さがはっきりしていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 白雲が浮かぶ中に銀鼠色を帯びた大きめの雲が見えますが、晴れ模様は変わらずです。 頭上の空 南の空 18時15分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空やはり稜線上空の空だけが、他とは違う空模様を示しています。青みがかった銀鼠色の布を広げた感じの空です。でも、晴れた一日でした。つづく補遺坂村真民詩碑 一遍上人堂通信 :「一遍と今を歩く」「念ずれば花ひらく」の碑 :「江差しの石碑めぐり」坂村真民ゆかりの地 旅のあれこれ~文学 :「私の旅日記~お気に入り写真館~」吉田高校の真民詩碑の除幕式 :「坂村真民記念館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.22
コメント(0)
=== 2023.9.8 === 南の空7時40分近くに撮りました。ベランダの欄に雨の跡が残り、雨は止んでいました。南西方向の空 西方向の空 西の空に少し青空が見える雲の隙間が見えます。 頭上の空その他は、銀鼠色の雲に覆われています。 東方向の空 稜線上空も同様です。 東方向の空10時50分近くに眺めて見ました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空いずれの方向も空模様は似たような感じです。この日、台風13号が東日本に上陸という台風報道が朝から繰り返し行われていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空17時45分頃に撮りました。この日、ほんの一時的な雨はありましたが、天気はほぼくもり。関西では台風13号の影響はほとんどなしですみました。=== 2023.9.9 === 南の空11時50分近くに撮りました。小型の雲が浮かんでいます。天気は晴れ。かつての陰暦長月(九月)九日は重陽の節句の行事がおこなわれた日です。『源氏物語』の場面が思い起こされます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上空には、大きな横雲が漂っていました。青空の広がりが見えて、気持ちがいい。 東方向の空17時35分頃に眺めると、雲の姿は穏やかさを感じるくらいの横雲に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西方向にかけては、午前中よりももっと軽やかな感じの雲が浮かんでいます。余談です。後で調べてみたことですが、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)では、午前10時に「重陽神事」が行われ、引き続き「烏相撲」が奉納されるという行事が行われました。(資料1)また、京都・嵐山にある虚空藏法輪寺では13時から重陽の節会が行われました。(資料2)さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された次の詩集「アジアの路地」からです。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)この詩集も「序詩」から始まりますが、「雲」が詠み込まれた最初の詩は、「印度映画『河』」です。この詩の冒頭の導入部に 朝の河 夜の河 大きな船 小さな舟 夢のような町 七いろの雲 きらめく尖塔 という情景の一環として詠まれています。 p218次は「幻影」という詩に出てきます。「どうしたというのだろう/ 遠い庫車(クチャ)の地で発見されたという/ 木造仏のやさしいお姿が浮かんできた」(21~23行)という詩句の少し後に つつましやかな 結跏のおすがたが 白い雲をとおして 光る星々に似ているからであったろうか 消えていった星が ぽっかりとかがやいたように 私に浮かんできたひとつの幻影 と詩が展開されていきます。 p2303番目に出てくるのは、「死の灰は遂に」という詩です。この詩には「水爆による最初の犠牲者久保山愛吉さんを弔う」という前書が付されています。真民さんは末尾に「-九月二十四日暁-」と作詞日を明記しています。「満天の星が光っている/ でも今暁のわたしは/ いつものわたしとちがっている」と己の心境を客観視する詩句から始まります。そして、少し先で、 いなびかりのようなものが間をおいて閃く いくらか雲が流れ出してきたらしい 星が急に光ったり薄らいだりする それと同時にわたしの心も明滅する と記します。その後に、 重態を伝えられた久保山さんが 昨夜午後六時五十六分に亡くなられたからだ 水爆最初の犠牲者久保山さん 死の灰は遂に一人の人間の尊い生命を 奪っていったのだ とつづきます。この後、真民さんの原爆・水爆に対する考えが詠み込まれていきます。「恐るべき放射能症」という語句。その後に「平和への願いを世界人類が結集する以外/ この病気の完全治療法はないのだ」と断定的に訴えます。さらに、「日本よ/ 日本人よ」と投げかけて、当時の時勢に対する警鐘が詠み込まれていきます。「広島の原爆/ 長崎の原爆/ 今またビキニの水爆による/ 死の灰/ 死の雨/ 死の魚」と問題事象を列挙して。 これでもまだ目はひらかないのか 耳はふさがっているのか 目しいにされ耳しいにされ あやつり人形のようにあやつられ どこに行こうとしているのか と。詩集「アジアの路地」には、3箇所に「雲」が詠み込まれています。雲の変化に戻ります。=== 2023.9.10 === 南の空10時15分近くに撮りました。昨日に続き晴れた空を眺めることで一日がスタート。南の遠くの空はかなり白雲が広がっている感じですが、建物に遮られて全容は見えません。南西方向の空 西方向の空 頭上の空気持ちの良い青空が広がり、白雲がちょっとしたアクセントになっています。 東方向の空稜線上の雲の姿も普段あまり見かけない形の白雲が青空の中に広がっています。 東方向の空15時5分過ぎに眺めると、雲の姿は様変わりしています。秋の雲になってきたのでしょうか。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西方向にかけては、夏雲と秋雲の並存という印象を受けます。 南の空18時過ぎに撮りました。空は様変わり。一転し曇り空に・・・・。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空晴れのちくもりの一日となりました。つづく参照資料1) 恒例祭典 :「賀茂別雷神社」(上賀茂神社)2) 虚空蔵法輪寺 重陽の節会 :「ざ京都」(京都観光、案内のポータルサイト)補遺ビキニ環礁 :ウィキペディア核開発競争とビキニ水爆実験 ― 「第五福竜丸」と延べ992隻の被災船:「戦争と静岡」都立第五福竜丸展示館 ホームページ 第五福竜丸とは ビキニ環礁での水爆実験【ビキニ事件】 :「三浦市」核の傷痕、戻れぬビキニ 水爆実験から60年 YouTube賀茂別雷神社(上賀茂神社) 公式ホームページ虚空藏法輪寺 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表スポット探訪 京都・洛西 嵐山 法輪寺 -1 法輪寺への道すがらに 3回シリーズでご紹介
2023.09.20
コメント(2)
=== 2023.9.5 === 南の空7時40分近くに撮りました。雲が張り出していますが晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線間際に素鼠色、その上に銀鼠色、その上には丼鼠色に近い暗い灰色の雲が広がっています。とはいえ、少し青空がのぞいています。東方向だけはやはり少し違う空模様。 東方向の空9時45分頃に眺めると、雲の姿は大きく変化。未だ夏雲の雰囲気は残っています。青空の占める割合が広がっていました。素鼠色の雲は白雲とのコントラストが明瞭で白雲が引き立つ感じがします。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空プカプカと小さな雲が散在して浮かぶくらいだと青空が引き立ちます。 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空16時5分過ぎに撮りました。雲が少なくなり、青空が美しい。 東方向の空18時35分過ぎに眺めると、稜線上の雲の姿は大きな塊に変化し、さらにその上にも布状の雲の広がりが見える形に変化していました。雲の変化がめまぐるしい・・・。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては雲が消えていました。晴れた一日。=== 2023.9.5 === 南の空この日は朝から曇り。午前中は定期健診の通院で朝から出かけて居ましたので、帰宅後、16時50分過ぎに初めて撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 くもり空が続いたままです。 東方向の空18時25分頃に眺めてみると、雲の姿に変化はあるものの一面雲で覆われています。 南の空南西方向の空 西方向の空 遠くの西空は夕焼け雲がきれいです。 遠くの空は低い位置なり、建物や電線が錯綜した彼方に眺められるだけ。 なんとか夕焼け空を切り出してみました。 頭上の空 南東方向の空の雲が少し夕焼けに映えていましたので、これも雲を切り出してみました。雨が降ることなく、曇り空で終えた一日です。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された詩集「観音草」の続きです。第一部にもう一つ、雲が詠み込まれた詩が出てきます。この後の第二部、第三部に雲は出て来ません。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社) 白いものはみんな骨に見える 白いものはみんな骨に見える 舗道に散らばっている紙ぎれが 潮の引いている川原の石が 七輪をあおいでいる老婆の髪が 揺れているコスモスが 挿してある菊が 流れている雲が 食堂の匙が魚が 露店で売っているボタンが 広島では白いものがみな骨に見え わたしに訴える かつての 嘆きを 怒りを 涙を詩集「観音草」の「第一部 原爆詩」を読み進めて行くと、真民さんが「原爆地」を訪れられたのは、7年目だとわかります。いくつかの詩の中に次の詩句が読み込まれているからです。< >は詩の題です。<序詩 四>は、「ヘルデルリーンよ」という呼び掛けで始まります。この名をこの詩で知りました。この詩に 原爆投下敗戦後のこの7年目に と。<日まわり>という詩は、「爆心地本川小学校にて」と前書が付されていて、一行目に もう十月も半ばというのに 枯れそうもなく 咲き続けている 日まわりよ とあることから、10月半ばに爆心地に立たれたのです。この冒頭の詩句の先に、激しい詩句が刻まれています。 それにしても揃いも揃って あの壊れた骨と灰ばかりの ドームに向かって お前たちは突っ立っているではないか お前たちの周囲にうごめく人間の群れは もうあんなものには 見むきもしなくなってしまった今日 お前たちだけが 正しいものの存在を 黙って示してくれているのか 詩はこの後もつづきます。<平和記念塔にて>という詩は、その冒頭が 未完成のままに放置されている 平和記念館が 再び急角度で変わりつつある 日本の昨今を 何か象徴するかのように建っていた から始まり3ページに及びます。この詩の最終部分に、平和記念塔に刻まれた言葉「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」を詩中に長方形の枠囲みで挿入し、次の行から次の詩句が続きます。 と彫ってある文字に見入った そして七年後にやっと建てられた この嘆きの塔の前に立って 靜かに手を合わせた と。そして、次の詩句が続くのです。 でもその時 ああその時 叫びにも似た激しい声が 突然わたしの体をゆすぶった 安らかに眠っていることはできません 過ちが再び 繰り返されそうになってゆきますから それは一瞬にして消えた 幾万の人の うめきにも似た 重い声であった この詩は、もう一節10行の詩句がつづきます。真民さんを揺さぶった激しい声、「安らかに眠っていることはできません/ 過ちが再び/ 繰り返されそうになってゆきますから」という箇所は、現在時点からの未来を暗示しているようにも感じられます。「白いものはみんな骨に見える」という詩は、7年目という時点で詠まれた詩なのです。雲の変化に戻ります。=== 2023.9.6 === 南の空7時45分過ぎに撮りました。窓外を見て、うろこ雲が目にとまったので・・・・。たまに見ることができる雲の姿。勿論、朝から晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線際から薄めの層を重ねるように横雲が漂い、上空には青空も見えます。晴れた一日の始まり! 南の空ところが、普段のように、9時5分過ぎに眺めると、なんと曇り空に一変していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空見渡せる範囲はすべて曇り空です。白鼠から素鼠へのグラデーションの広がりです。 東方向の空15時5分頃にもう一度撮りました。雲の姿はとどまることなく変化していますが、曇り空であることは変わりなし。 南の空南西方向の空 西方向の空 表ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧 頭上の空晴れのちくもりの一日に。この後は、もう空を眺めるのを止めました。つづく補遺「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」? 観天望気にみる先人の知恵燃えるような朝焼けは天気下り坂のサイン昼頃には九州から雨降り出す燃えるような朝焼け原爆死没者慰霊碑フリードリヒ・ヘルダーリン :ウィキペディベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表ア資料館に関する年表 :「広島平和記念資料館」20 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑) :「広島平和記念資料館」原爆死没者慰霊碑 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 表ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧
2023.09.19
コメント(0)
=== 2023.9.1 === 南の空17時15分頃に撮りました。この日は朝から晴れ。朝一の雲を撮ることなく、この日は奈良国立博物館に出かけていました。特別展「聖地 南山城」を鑑賞するためでした。これについては、昨日までに7回のシリーズでご紹介しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空だけは、稜線上空に白雲が発達していますが青空も見えます。9月入りですが、熱中症警告アラートはこの日もたしか出ていたと思います。=== 2023.9.2 === 南の空9時25分頃に撮りました。雲が張り出していて、天気はくもりと呼ぶ部類なのでしょう。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線際の雲とさらに上空側の雲、こんな雲の姿の対比はあまり見かけないと思います。 東方向の空13時50分頃に眺めると、よく見かける曇り空模様に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空17時35分頃に撮りました。午後は曇り空が続きました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空=== 2023.9.3 === 南の空10時25分頃に撮りました。この日は朝から晴れです。白雲に柔らかさを感じます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線間際の横雲、青空の帯、上空に広がる横雲という層構造の空です。青空が見えるのがいい。 東方向の空17時5分近くに眺めました。雲が切れ青空一色です。 南の空南西方向の空 西方向の空 曇り空から快晴へと天気が良くなる一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された詩集「観音草」からです。「雲」を詠み込んだ詩句を見出すことに移ります。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)この詩集は、「第一部 原爆詩」「第二部 哀別詩」「第三部 仏縁詩」という三部構成になっている詩集です。第一部 原爆詩」は3ページに渡る「序詩」から始まり、「原爆地広島にて」「原爆地に立ちて」「声」「亡霊」「日まわり」「老母よ」「平和記念塔にて」「一つの声」「誓い」「白いものはみんな骨に見える」「重い声」「おとなのすることは」「歯車は再び逆転し始めている」「シュプレヒコール『こえ』」の15編の詩から構成されています。広島の原爆地に立った真民さんが詩人の目でとらえたこの被災事実に対する観察と思い、死者への鎮魂、そして反原爆への意思を、これらの詩に詠み込まれています。「誓い」という詩は、4節から構成される詩。該当節を引用するだけではこの詩の意図は伝えづらいと思いますので、詩自体を引用します。 仏陀よ ヒロシマの地を 永遠に守ってくださるために はるばると 海山を越えてこられた 仏舎利よ 秋の晴れた日 白い雲が流れ 五色の旗がたなびき あなたを迎える日の 晴れやかな祝祭を 日本のすみずみにまで 満ちわたらせて下さい 凶暴な世に 残虐な時代に あなたの説かれた 争わず 殺さず ただひたすら大悲の衣で 包もうとされた 広大な教えを 世界のすみずみにまで よみがえらせてください 仏陀よ あなたを信ずる国民に あなたを奉ずる国家に 二度とこんな無謀を 繰り返さないよう しっかり誓わせて下さい原爆地に立ち、その状況を観察し、「この悲惨窮まる/原爆への憤りを」全身で感じ、地の声、天の声、人の声を感受した真民さん。序詩から始まる詩は、直接的な詩句が様々な視点から一つの詩に結実され、次々に詩が詠まれています。「みるべきものはみ/いうべきことはいい せかいのすみずみに/よびかけねばならない ぜんじんるいに/うったえねばならない」との思いで・・・・・。その先に、「一つの声」で「釈尊よ」で始まる詩が生まれ、その次に上記「誓い」の詩が載っているのです。 雲の変化に戻ります。=== 2023.9.4 === 南の空9時45分頃に撮りました。晴れた一日の始まりです。南西方向の空 西方向の空 うろこ雲が見られます。 頭上の空 東方向の空雲が覆っていますが、見慣れたベタな灰色雲と比べるとまだいいなという感じ。 東方向の空17時5分頃に眺めますと、ベタっとした雲の様子に変わって来ていました。あまり好きな雲の姿じゃない・・・・。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空はもう載せるまでもありません。ほぼ同じ。晴れからくもりへと変化した一日でした。つづく補遺【歳時記】9月(長月)ってどんな月? :「おいしい暮らし研究所」九月(長月・ながつき) :「日本の行事・暦」イベント・歳時 9月 :「そうだ 京都、行こう」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.17
コメント(0)
=== 2023.8.29 === 南の空9時20分近くに撮りました。ひつじ雲のような雲が青空に浮かんでいます。いい天気!南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の少し上は、まだまだ夏の雲という感じです。こういう姿の雲も素敵です。 東方向の空15時5分頃に眺めると、雲の姿は変化していますが、夏の雲というダイナミックさはそのまま続いています。東の空も、いい感じの一日になりました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空=== 2023.8.30 === 南の空9時35分頃に撮りました。昨日とは一変して、素鼠色に近い厚い布が広がっている感じの空模様です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 この空模様は経験的には雨の到来を感じさせます。 東方向の空稜線際には白鼠色の雲が浮かんでいます。その上空はこちらに近い雲の連なりなのでしょう。東方向の空には明るさがありました。 東方向の空17時過ぎに眺めると、朝とは異なり、銀鼠色の濃淡の布で覆われた感じに変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空この日は、雨は降ること無く、曇りに終始しました。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された詩集「かなしきのうた」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)この詩集の最後の詩「三人の子に」と題する3ページにまたがる長詩です。ここに4つ目として雲が詠み込まれています。この詩は、真民さんが梨恵子・佐代子・真美子という三人の我が子に対して「この三篇を幼き者へ贈る」と副題を付して詠まれた詩です。「1 三人の子に」「2 枕もとで」「3 晴着」という三篇。その「3 晴着」に「雲」が詠み込まれています。 お前たちが 嫁ぎゆく晴れの日まで わたしは生きているだろうか 財産もない 故郷もない 家もない 不幸なお前たちに せめては父のこころばかりの 晴着をきせてやりたいのだが それまでわたしは 生きながらえているだろうか 梨恵子よ 佐代子よ 真美子よ 嫁ぎゆく日の夕べ もしも裳裾ひく くれないの雲が たなびいていたら 貧しかった父の せめてもの門出の 祝いものとして 晴れの衣を染めて 嫁いでいってくれないかこの詩で詠まれた情景は、かつての婚儀が背景にあるようです。江戸時代の婚儀は黄昏時以降の夜に行われていたそうです。「嫁ぐ日の夕べ」ということは、そのような慣習が続いている地方なのでしょう。「くれないの雲」ですから、真っ赤に染まった夕焼けの雲、その夕焼けの光が「晴れの衣」を染めるということでしょうね。観天望気では、「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」と称され、夕焼けは天気が晴れる前兆と考えられています。つまり、夕焼けを幸先の良いことの兆しとして重ねられているのではないでしょうか。「生きながらえて」いないという想定をした上で、夕焼けの色を、「貧しかった父の/ せめてもの門出の/ 祝いものとして」という詩句が表出されているのでしょう。真民さんが三人の幼い我が子に対して注がれていた深い思いがこの一点に込められている第3篇です。真民さんは1909年生まれで、2006年に97歳で逝去されました。我が子の嫁ぐ日をご自身の目でご覧になられたことでしょう。戦後の昭和は大きく変化していきました。真民さんはどのように我が子の嫁ぐ日をご覧になられたのでしょう。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.31 === 南の空9時15分頃に撮りました。昨日に続き、曇り空でのスタート。似たような感じです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空昨日の朝と比べると、稜線際は似た感じですが、更に上空のくもり具合はすこし穏やかな感じです。ただ明るさがあります。 東方向の空15時35分頃に眺めると、横雲が漂っていますが、青空が広がっていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南西から西方向にかけては、うろこ雲様の雲が活発に広がり、青空が垣間見える状態になっていました。 南の空18時5分すぎにもう一度空を撮りました。再びくもり空に変化していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線に近いところで青空が見える状態で、銀鼠色の雲が広がる空模様でした。曇り一時晴れという天気の一日で、8月が幕を閉じました。暦が9月半ばになったところで、やっと9月にキャッチアップできました。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について坂村真民先生その詩の魅力 横田南嶺猊下 対談 YouTube結婚式の歴史!結婚式の始まりや現在に至るまでの道のりを徹底解説! :「幻の酒」婚礼式 :「弓馬術礼法小笠原教場」「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」? 観天望気にみる先人の知恵 :「Weather Marketing」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.14
コメント(0)
=== 2023.8.25 === 南の空9時20分頃に撮りました。雲は多いですが青空が見え、晴れです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空も夏雲が勢いよく伸び上がっています。青空も見えます。この日、午後、理髪店に行き、さっぱりした頭になったせいか、帰宅後雲をとるのをすっかり忘れてしまいました。何をしていたのだろう・・・・。=== 2023.8.26 === 南の空9時45分近くに撮りました。昨日に引き続き晴れ。雲は少なめ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空それに対して、稜線上はもくもくと雲が立ち上がっている感じです。青空が見えると、雲の姿を楽しめます。 東方向の空16時35分近くに眺めると、稜線際の雲がすべて消滅し青空一色。上空にというか、山より手前になるのでしょうか、白雲が漂っています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけて、局部的に夏雲が広がっています。。 頭上の空まずは、快晴の一日だったと言えそうです。=== 2023.8.27 === 9時25分近くに撮りました。ここ連続、比較的雲の少ない晴れた状態で一日が始まります。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空それに対して、稜線上空は銀鼠色の雲を交えた雲が一面に空を覆っていました。この方向だけは、多くの場合ちょっと雲の姿が異なります。山の存在が大きな要因なのでしょうね。 東方向の空17時5分頃に眺めますと、稜線を押しつぶそうとするかのように、雲が巨大な塊となっていました。こういう姿の雲はいままで見かけた記憶がありません。雲の形成にはどのような要因が絡み合うのでしょう・・・・。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空頭上の空に少し青空が垣間見える他は、銀鼠色の雲が空を覆った状態に変化していました。晴れのちくもりの一日に。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された詩集「かなしきのうた」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)3つ目に雲が詠み込まれているのは「乱雲」と題する詩です。題そのものに「雲」が入っています。さらに、「-スピノーザの生涯」という副題が付いています。 幾日ぶりかの雨が降って 雷が鳴り響いて 草も木も生きかえった夕べ わたしはあなたの生涯を思った バターと乾葡萄付四シュテュベル八ペニヒの 押麦料理で一日をすませたりしている あなたのあけくれを思った あなたの哲学の純粋さが どこから生まれたか あなたの信仰の正しさが どこから来たか そんなことを考えた 最後までつつましい戒律を守り レンズ磨きという寂定三昧に入り 貧に堪え迫害に抗し孤独を生きた 四十四年の生涯を思って わたしはわたしの道に 無限の力を与えられるのを感じた 久しぶりの涼しい風が 窓から入ってくる部屋に独り坐しながら 二百十日の雨後の乱雲を眺めていた子供の頃に、「二百十日」という言葉を思えた。台風が来るころだと。改めて辞書を引くと、「立春から二百十日目の日。台風がよく来る日と言われた。九月一日ごろ」(『新明解国語辞典』三省堂)辞書には「にひゃくはつか 二百二十日」も載っている。同じく台風がよく来る日として。9月10日ごろということになる。現時点(9/8午後4時)で台風13号が東日本に接近しているのだから、この経験則は今も当たっています。勿論、近年はもっと早く8月頃から台風が襲来するようになっていますが・・・・。真民さんはこの二百十日の頃にスピノザの伝記を読まれていたのだろうか。「貧に堪え迫害に抗し孤独を生きた」哲学者スピノザの生きる姿勢を、詩に生きようとしている己と重ねながら、伝記を熟読されたのだろう。真民さんはスピノザの生き様の本質部分に「無限の力を与えられる」という感動を得られた。それがこの詩を生み出した。そう感じます。降り注ぐ雨、雷、そして乱雲は、目にし体験する自然現象であると共に、己の生きる姿勢を貫こうとすることに対する障害として存在する諸事象の象徴の意味をも重ねているように思いました。そして、スピノザという名前は記憶していても、それに留まって居るだけだという事実に気づかせられた・・・・・のです。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.28 === 南の空11時45分頃に撮りました。朝からくもりです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空頭上と南から西にかけてはくもり空ですが、逆に稜線間際には白雲が出ていて、青い色合いの空が見え、その上空一面を雲が覆っています。やはり、この方向だけはちょっと景色が異なります。 東方向の空15時35分頃に眺めると、稜線際と上空の雲は異なる姿で漂っていて、青空が広がりを増していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては、くもりの状態が晴れの方向に変化しようとしているようでした。 頭上の空頭上では青空がはっきりと広がっています。東方向から晴れる方向に変化してきている感じです。くもり後晴れという一日になりました。つづく補遺スピノザ :「コトバンク」名著 エチカ スピノザ おもわく。 :「NHK」スピノザの名言 :「地球の名言」スピノザ:モチベーションの上がる言葉42選 :「MOTIV」名言・格言『スピノザさんの気になる言葉・英語』 :「iso-labo.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.08
コメント(0)
=== 2023.8.22 === 南の空朝は晴れていましたが、14時頃に一時小雨が降りました。通り雨という感じ。写真を撮らずにいました。気づいて撮ったのが16時20分頃です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空空一面に銀鼠から素鼠色の雲が覆っていますが、一部青空がのぞいています。曇り空。 東方向の空稜線上空は青空が広がり、その上に銀鼠色の雲が浮かんでいます。 東方向の空18時25分近くに眺めると、稜線上空は雲と青空が逆転していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけても、雲の姿は様変わりです。青空がかなり見え、やわらかさを感じさせる雲が広がっています。 頭上の空ちょっと首をかしげて、右半分に着目すると、目を見開き口を大きく開けた人間の頭部をイメージさせるような雲が浮かんでいます。概ね、晴れのちくもりという一日。=== 2023.8.23 === 南の空12時40分近くに撮りました。雲が多いですが晴れです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 夏雲が広がっていると感じさせる雲です。 東方向の空稜線上空は雲が厚く覆い、この方向だけ見れば、天気予報はくもりという感じになります。 東方向の空17時50分頃に空を眺めると、稜線上空の上部には銀鼠色の雲が留まっていますが、稜線近くは白雲と青空が見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 銀鼠色の雲が全体を覆っています。雲の層はさほど厚くはなさそう。 頭上の空 全体をみれば、晴れのちくもりという一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録された詩集「かなしきのうた」からの続きです。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)2つ目に雲が詠み込まれているのは「エリ・エリ・レマ・サバタクニ」と題する詩です。この詩は、1ページ全体が一詩で、6節からなっています。第1節は 詩に生きよ 詩に生きよ これよりほかに我の生きゆく道なし という切実な決意が語られ、第4節に 子と仰ぐ 夕焼けの雲よ 涙ぐましきまでの愛惜よ と詠まれています。愛惜とは「失い(別れ)たくないという気持ちを強くもつこと」(新明解国語辞典第5版)という意味ですので、この一行は真民さんの心情の発露なのでしょう。何重にも重なる愛惜という気がします。生、子、そして詩、・・・・と。そのように受けとめました。第2節と第3節は、次の通りです。 生きることや難し 生きることや苦し 子を抱きて夕暮れの道を帰る ○ 四国に来て わが縋(スガ)るひと 釈尊のみ 釈尊ありて わが生や明日ありそして、第5節は次のように展開します。 死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある そんな時 大乗寺を訪ね わたしはひとり 仏陀の前に坐ってくる 力わき明日を思う心が 出てくるまで 坐ってくる最後の第6節が、次の4行で締めくくられます。 エリ・エリ・レマ・サバクタニ ああ あなたの声が 今日もきこえる「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」って何? 仏教の真言の一種?手許の数種の国語辞典には出ていません。この語句をネット検索してみますと、ギリシャ語だそうです。「『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』と訳される。十字架にかけられたイエス=キリストが叫んだとされる言葉。」(『デジタル大辞泉』小学館)とありました。(資料1) 無知な私!!さらに調べてみますと、新約聖書のマタイによる福音書27の46に、イエスがこの語句を大声で叫ばれたと記されています。旧約聖書の詩編22の冒頭にこの詩句が出てくることもわかりました。 (資料2) わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。 なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻(ウメ)きも言葉も聞いてくださらないのか。 真民さんは、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉を己の心境を仮託するために使われたのでしょう。読者にインパクトを与える使い方ですね。この詩を独立し完結したものと理解すると、この言葉を発することとキリスト教世界とは直接的な関係はたぶんないでしょう。この言葉をいわば換骨奪胎して真民さんの心の世界で、神(仏)との対話に使ったものと私は解釈しました。「あなたの声」とは誰をさすのでしょうか。この詩の文脈から推測すると釈迦/仏陀ということになりそうです。そして、それは直接的には真民さんにとって「詩の神」の声なのでしょうか。少し脱線しますが、この詩の先に、「ねがい」と題する詩があります。その第2節には、次の詩句が刻まれています。 十字架にかかって 苦しみ亡くなられた基督 一枚のむしろの上で 息をひきとられた釈尊 この偉大な人達を思うて 励んでゆきたい 愚かなわが身を 磨いてゆきたい真民さんには、キリストも偉大な人として、己の心の内に釈尊とともに共存させていたように思います。己の道を突き進み開いて行かれた偉大な人という敬仰の対象だったのでしょう。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.24 === 南の空10時5分過ぎに撮りました。雨になりそうな気配の雲に覆われた曇り空。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 いずれの方向の空も似たような状態です。15時過ぎに雨が少し降り始めました。 南の空南西方向の空 15時5分頃に、窓際から二方向だけ撮りました。 南の空16時55分近くに空を見ますと、はや雨は通り過ぎ、曇り空が広がっています。普段通りに各方向の雲と空を撮れました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空は二層分化した空になっています。上層の間から青空が見られる状態です。曇り一時雨という一日でした。この後も天気は曇りが続きました。つづく参照資料1) エリエリレマサバクタニ :「goo辞書」2)『聖書 引照つき』 新共同訳 旧約聖書続編つき 日本聖書協会補遺「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:45~56) :「日本バプテスト連盟 富里キリスト教会」福音書を読むと、イエスは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでいますが、イエスが神の子なら、なぜこのようなみじめな叫びをあげたのでしょう。 :「学校法人上智学院 カトリック・イエズス会センター」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.05
コメント(0)
=== 2023.8.19 === 南の空7時55分頃に撮りました。うろこ雲でしょうか。雲は広がっていますが晴れ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西方向にかけて、さらに頭上の空にうろこ雲が広がっています。 東方向の空稜線上空の雲は、普段みるような様々な雲が層になって見えます。 東方向の空2時間後の9時45分頃に眺めると、稜線上空は雲の姿と色が様変わりです。稜線上は白鼠色がかった雲が立ち上がり、その上空には銀鼠色に近い雲が浮かんでいます。 南の空南西方向の空 西方向の空 上空の空うろこ雲の片鱗が西方向に見られるだけで、雲の姿は大きく変化しています。青空が半ばまで広がっています。 南の空17時過ぎに撮りました。やわらかいベールが広がっているような雲が見えます。半透明感がいい。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線上には雲二片。後は青空景色です。 東方向の空18時25分頃に再度眺めると、青空を背景に素鼠色に近い雲が稜線から高く離れて漂っている景色に変わっていましt。 南の空南西方向の空 西方向の空 漂う雲には、またその形を変え、夕陽が映えて淡く色づいていました。 頭上の空=== 2023.8.20 === 南の空ふと気づき、11時10分近くに撮りました。朝から晴れ。雲がほぼなく、快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 雲がほぼなく、快晴です。 東方向の空他方向と比べると、稜線上空には夏雲が割と多く広がっています。 東方向の空17時15分頃に眺めると、稜線際に雲が見えるだけで、ほぼ快晴の空です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空大きな白雲の塊が見えますが、ぐるりと眺めてこちらも快晴と言えるでしょう。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録の詩集「続三昧」の次は、詩集「かなしきのうた」です。4つの詩に雲が詠み込まれています。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)この詩集では、詩の題に、リルケ、セザンヌ、ゴッホ、アンドレ・ジイドの名が出てくる詩があります。この詩集で最初に雲が詠み込まれ詩が「四十歳のセザンヌ」と題する詩なのです。 彼は肉体の放浪もやめた 精神の放浪にも訣別した 彼はただ描(カ)いた 日さえ照っていれば 燃えるように熱中した 彼はもう孤独ではなかった 光る樹木があり顫(フル)える草があり 美しい雲があり静かな川があり あらゆる呼吸が感じられた 描くことが生命であった 夜が明け日が暮れるまで描いた40歳のセザンヌ。セザンヌは1839年1月生まれ、1906年に没しました。1879年に40歳。1870年に普仏戦争があり、戦後にセザンヌはパリに戻り、オーヴェルに移ります。サロンへの出品は落選。1974年の第1回印象派展に出品します。1879年に制作拠点をパリから故郷エクスに戻します。(資料1,2)セザンヌは、後期印象派の中核4人中の一人です。ゴーギャン、スーラ、ゴッホ。セザンヌが最年長で、印象派の美学に最も深く関わったそうです。(資料3)40歳のセザンヌはどのような作品を描いていたのでしょうか。調べてみますと、 「開いた吹き出しのある静物」 1877-1879年 「三つの梨」 1878-1879年 「レスタックの眺望」 1878-1879年 「木の後のレスタックの海」 1878-1879年 「サンタンリ村から見たマルセイユ」 1870-1879年頃 「レエスタックからみたマルセイユ湾の眺め」 1878-1879年頃 「風景」 1879年頃 「自画像」3枚 1877-1880年頃、1878-1880年頃、1879-1880年 「レスタックとマルセイユ湾の眺め」 1978-1982年 「プロヴァンスの山」 1879年頃 「ポプラ」 1879-1880年 「ミルク缶とリンゴ」 1879-1880年 「リンゴとナプキン」 1879-1880年 「水浴」 1879-1880年 「水差し、ミルク缶、ボウルとオレンジの静物」 1879-1880年 「りんご、桃、梨、ぶどう」 1879-1880年頃 「リンゴとビスケット」 1879-1880年頃 「サント・ヴィクトワール山の広野」 1879-1880年頃 「レスタックの道路橋」 1879-1882年 「レスタック湾」 1879-1883年 「プロヴァンスの風景」 1879-1882年頃 「オーヴェル・シュル・オワーズの眺め」 1880年頃 「オリーヴ色の花瓶の花」 1880年頃 「花と果実」 1880年頃これらの作品群が40歳のセザンヌと重なりそうです。 セザンヌの代表作の一つとして取り上げられる風景画「松の木のあるサント・ヴィクトール山」(コートルード・ギャラリー蔵)は、1885-1887年に制作された作品です。(資料3)セザンヌは「印象主義の形態欠如を嫌い、自然を前にして美術館の古典的な作品のような構築された絵画を描くことを追求した。そのため、セザンヌは一つ一つの色面が光の感覚を伝えると同時に空間内における対象の位置、物質的存在感をも表す独自の制作法を作り出した」そうです。(資料4)真民さんの詩から脇道にそれましたが、この詩の理解を深める背景としてのお役には立つことでしょう。覚書を兼ねて・・・・。雲の変化に戻ります。=== 2023.8.21 === 東方向の空 9時40分近くに撮りました。快晴!!南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空の空だけが、他とは景色が異なります。稜線際に少し雲が見え、銀鼠色を薄くしたような空です。この後、京都・四条に。スマホのバッテリーがダウンしたために、予約を取りアップル京都店に出かけました。アップル京都店に入るのは初めての体験。アップルのロゴマークのシャツを着たスタッフに声をかけ、用件を伝えると、スマホ画面による予約確認がスムーズに行われ、2Fでの受付だとか。2Fでは、別のスタッフの応対。タブレット操作で手続きが進行。当方は質問に答えて行くだけ。交換作業時間が必要なので、受け取り来店時刻を告げられて、一旦店を退出。指定時刻に再度行くと、最初と同様の手順が必要でしたが、スムーズにスマホを受領できました。一件落着。ということで、帰宅後に空を撮ったのは16時15分過ぎです。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空雲が少し浮かんではいますが、快晴と呼べる状態と言えるでしょう。 東方向の空18特5分過ぎに再び眺めて見ると、銀鼠色に近い雲が中空に漂っています。雲がかかってきたといえる姿です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空日本の伝統色の表現で言えば、大空の雲は、白鼠(銀色)、銀鼠色(錫色)、素鼠色が様々なグラデーションを生み出していると言えそうです。雲のグレーの一番濃い辺りが素鼠に照応する感じです。つづく参照資料1)『原色西洋美術事典』 監修:嘉門安雄・今日出海・富永惣一・林武・摩寿意善郎 編集:現代美術社 発行:教育出版株式会社2) ポール・セザンヌ :ウィキペディア3) ポールセザンヌの代表作・有名絵画(世界の名画・後期印象派) :「美術ファン@世界の名画」4)『カラー版 西洋美術史』 監修 高階秀爾 美術出版社 p151補遺オーヴェル=シュル=オワーズ :ウィキペディアエクス・アン・プロヴァンス :「Explore France」【視察レポート】南フランスの大人な街 エクス・アン・プロヴァンスの街歩き観光(フランス/2019年3月視察⑤) :「Teestyle」エスタック :ウィキペディアサント=ヴィクトワール山と大きな松の木 :「Salvastyle.com」隠れ名画 大きな松の木とサント・ヴィクトワール山(セザンヌ作):「世界美術館巡り旅」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.09.03
コメント(0)
=== 2023.8.16 === 南の空12時5分頃に撮りました。アレ!ゴミでもついていたのか・・・・。写真をよく見ると、 偶然にも、たぶん蝉が横切って行ったようです。部分拡大してみました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 普段あまり見かけない雲の姿です。 東方向の空稜線上空には、夏雲が重なるようにして浮かんでいます。明るめのグレーの雲がが良い感じ。 東方向の空16時10分頃に撮りました。雲の大半が去りゆき、青空が広がっています。 南の空南西方向の空 南から西方向も快晴状態に。西方向の空を撮り忘れました。 頭上の空も同様に雲はなし。 南の空 18時半頃にも撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線上に雲が漂い、夕陽を受けて少しピンク色が映えていました。京都では、五山の送り火の行事が行われる日。夜、8時に如意ケ嶽の大文字の点火を最初に、順次点火されていきます。テレビのライブ中継を眺めていました。晴れた黒々とした空に文字が浮かび上りました。台風の通過後であり、夜空に映えて、美しい聖霊の送り火になっていました。関係者の方々はほっとされたことでしょう。=== 2023.8.17 === 南の空9時20分頃に撮りました。雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も雲に満ちた一日の始まりでした。 東方向の空16時25分頃に眺めると、雲の姿は変化すれど稜線上空は変わらず雲に覆われています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空18時15分頃に撮りました。少し青空が見えるように変化していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空一日という単位で考えると、くもりだった日ということですね。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録の「続三昧」という詩集には、雲を詠見込んだ詩がもう一つ載っています。「同行二人」と題する詩です。「どうぎょうににん」、そう、四国のお遍路さんの被る笠に記された言葉です。1ページを越える34行の詩です。 p106-107 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社) 同行二人と書いた笠を頭に戴きながら 鈴鳴らしゆく遍路のみちも 淋しいにちがいないないが まだ何か仏と共に在るという安らかさが 今の私にはむしろ羨ましいくらいだと、己との対象を設定し、同行二人の人の心境・立場に触れた後、 詩と共に在るということが 何と苦しいことであるか と述べ、己の心境をさらに対比的に展開します。 ああ縋(スガ)って安心し立命し行く 遍路の人が羨 (ウラヤ) ましい 時雨だって 果てなき雲だって 一筋の煙だって 何もかも温かい弥陀の心のように 受け取ってゆく 一杖(ジョウ)一笠(リュウ) の人が羨ましいと、再び対比に入ります。この箇所に、雲が詠み込まれています。果てなき雲が弥陀の心につながると・・・・。それに対比して詩作に向かう己の苦しい心境が詠み込まれていきます。そして、詩の末尾は 詩と共に在る同行二人の 何と苦しいことかで終わります。お遍路さんは「私と弥陀」との同行二人、今の真民さんは「詩」との同行二人だと。「続三昧」の詩集を、真民さんは次の短詩で終えています。 むらさきの花 観世音菩薩さま あなたの持っていられる むらさきの花 その花の心を わたしは求めて旅しているのですさて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.18 === 南の空朝から曇りだったと思います。この日は、16時20分頃に一回だけ撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空グレーの雲は、その色調によりこちらの気分も変わりますね。色が濃くなっていくと、不安感を誘うような・・・・。つづく補遺坂村眞民記念館 公式サイト 坂村真民についてまずは、お遍路の基本を知っておこう :「いよ観ネット」四国四十八ヶ所霊場めぐり :「四国おへんろ.net」観音菩薩 :ウィキペディア京都五山の送り火の概要 :「京都観光Navi」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.29
コメント(0)
=== 2023.8.13 === 南の空9時35分頃に撮りました。晴れた日の始まりです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上に白雲が浮かび、青空が見えます。全空良好な天気です。 東方向の空16時35分頃に眺めると、ほんの少し雲が見えるだけで青空が広がっています。 南の空白雲の傍に、ちょっと変わった一群れの雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 こちらの方向も雲が少し漂うだけで、青空です。 南東方向の空だけに、白い大きな雲が浮かんでいました。=== 2023.8.14 === 南の空台風7号が徐々に近畿圏方向に接近しているという予報が出ていました。11時15分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 空には雲が覆っていますが、少し青空も見えます。。 東方向の空16時半頃に撮りました。稜線上は白っぽい雲で、その上に銀鼠色より少し濃い感じの雲が重なっています。上空にみえる方かこちらに近い雲なのでしょうか。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空くもり空が濃い色になってきていましたが、雨は降らずに推移。18時05分頃には雨が降っていました。 南の空南西方向の空 窓際から二方向を撮るだけに。台風の影響でしょうか、この後も雨。さて、雲がたりを続けます。真民さんの全詩集に収録の「続三昧」という詩集には、雲を詠見込んだ詩がいくつか出て来ます。前回の「移り来し家の窓より」という詩の次は、「樹木と人間」という詩の中に雲が詠み込まれています。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)これは6節で1ページを占める詩です。 樹木には絶望はない 樹木には後退はない 樹木には停止はない 従って樹木には後悔はない という第1節から始まり、 まず私を喜ばせるのは木蓮 それも大木の白木蓮の見事さ 生きて春に会うことの嬉しさ それに続いて泉の辺(ホトリ)の桃が咲き やがて朴(ホオ)も白雲のような花をつけ 泰山木も女人のようにこの世を美しくする と第4節に雲が含まれます。 そして、樹木の言葉に耳傾け、人間の心を通わせようと詠みます。第6節の末尾は 「樹木に神を見出そう」というフレーズで締めくくります。 次は、「吉田海蔵寺を訪れて」と題する詩です。この詩には「小林朝治を偲ぶ」との添え書きがあります。これも4節で1ページを占める詩。第1節に雲が詠み込まれています。 詩を作る若き友五人 それにわたしとわたしの子供二人を連れて あなたが一生懸命一枚の油絵を描いたという 海蔵寺を訪れた 六月の夕べの曇りは重く 雨を含んだ雲が層々西へ流れていた この詩の記述から他にわかるのは、小林さんが、病院に勤めていた人であったことと、版画を彫っていたことの2点。作詞者は、小林さんの最後のさまをその夜初めて人伝に聞いたという事実。第4節には、次の箇所があります。一つは あなたの悲哀よりも あなたの純粋さに わたしは強く心ひらかれていた というフレーズと、 あなたの版画を見にゆこう あなたの悲しい鑿の跡よりも 版木に塗りつけた あなたのぎりぎりの美心に触れにゆこう という末尾。小林朝治さんって、どういう人だったのだろう・・・・。一歩踏み込んで知りたくなる。 この「続三昧」詩集には、「愛」と題する詩が6編収録されています。その一つに 愛は流れてゆく水のように 自然に結び合っていなければならない 岩があれば岩をめぐり 木があれば木をめぐり ささやきあい ほほえみあい 淵となり 瀬となり 雲を浮かべ 鳥を遊ばし なぐさめあい ゆるしあい 大海に注いでゆく川のように いつも無心でなくてはならない 一つに溶け合っていなければならない が収録されています。雲の変化に戻ります。=== 2023.8.15 ===台風7号が近畿圏を縦断すると、刻々と朝から報道されていました。午前中、定期健診の予約日だったので、外来を受けつけているかの電話確認をした上で、出かけました。やはり、病院の外来受診は閑散状態。いつもより早く受診終了。通院の往復に雨が降らなかったのが幸いでした。 南の空南西方向の空 帰宅後、雨が降り始めました。11時過ぎに窓際から二方向だけ撮りました。 南の空南西方向の空 13時50分過ぎに撮りました。雨が引き続き降っていました。台風が和歌山、大阪、兵庫という南西寄りの方向に進路を取ったことにより、わが家のある地域は風もさほど強くなく、雨が降るくらいで台風が縦断してくれる結果となりました。しかし、この台風7号、各地に被害をもたらしていました。速やかな復旧を祈念します。つづく補遺坂村眞民記念館 公式サイト 坂村真民について小林朝治展 ~眼科医朝治が吉田で見た風景~ 吉田ふれあい国安の郷 :「宇和島」(美の履歴書:740)「めざし」小林朝治 あたたかな線、どこから:「朝日新聞DIGITAL」海蔵寺 :「八百万の神」宇和島市吉田海蔵寺 :「きんじろうの一歩」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.27
コメント(0)
=== 2023.8.10 === 9時5分頃に撮りました。良い天気。ただし、熱中症警戒アラートが7月以来途絶えることなく連日続く状況です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空も朝からこの状態ですから、ほぼ快晴です。 東方向の空16時35分頃に眺めると、大きな横雲が子連れでゆったりと浮かんでいる感じに変化していますが、バリバリの青空です。 南の空 白雲が出っ張ってきています。南西方向の空 西方向の空 晴れた一日でした。=== 2023.8.11 === 南の空10時半頃に撮りました。この日も晴れ。前日よりも雲は活発。南西方向の空 西方向の空 頭上の雲 東方向の空昨日の朝の雲の姿と比べると、稜線上空の雲はダイナミックな姿です。夏の雲という感じ。 東方向の空15時45分頃に眺めると、稜線上の雲の姿は様変わり。良い夏空景色です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空見える範囲の空で、全体の雲の姿のバランスが良い感じです。 南の空18時15分頃に、もう一度空を眺めると、雲が消えて快晴に。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空見事に見える範囲の空から雲が消え去っていました。こんな状態で空を見る事は滅多にありません。南から西方向が快晴でも東の稜線上は雲が浮游していることが普通ですので。さて、雲がたりにのつづきです。真民さんの全詩集に収録の「三昧」という詩集には、もう一つの詩に雲が詠まれています。「ペルソナ詩語抄」というタイトルのもとに、短詩がまとめて収録されています。その中に含まれます(p89)。「『ペルソナ』はわたしの出している個人詩誌である」(p86)と付記されています。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社) ○しんじつ しんじつ恋しきものなれば 海の魚ともなりなまし しんじつ寂しきものなれば 夜の鳥ともなりなまし しんじつ苦しきものなれば 空の雲ともなりなまし せんなきものは現(ウツツ)なり 飛もかねつつ日を重ぬ 「しんじつ ・・・・・ なりなまし」というパターンを重ねていくところに引きこまれ、余韻が残ります。心の動きに向きあう真民さんの懊悩が響いてくるような・・・。ひらがなで記された「しんじつ」という表記がいいですね。漢字だと語句の選択に迫られます。例えば、手許の『新明解国語辞典』を引くと、「信実」と「真実」の二語が載っています。少なくとも、この二語の意味合いは分かちがたく「しんじつ」の中に含まれているように感じます。 「なりなまし」の「なまし」という表現がやるせなさを深めていくような・・・。 同辞書によれば、「な」は終助詞で「自分の主張・判断などを相手に納得させたり自分で確認したりなどする気持を表す」、「まし」は助動詞・特殊型で「[雅]事実でない(実現の不可能な)事を、実現したものと仮定することを表す」という説明が該当するのかなと思います。 「続三昧」という詩集が続きます。その冒頭に「移り来し家の窓より」という詩が収録されています。ここに「雲」が詠み込まれています。 p93 山の名も知らず 川の名も知らず 西も東もわからず ただ雲の去来を眺めて 移り来し家の窓より 永遠のエトランゼのごとき 砂漠なす心を ふとしも深く感じたり ああ見あぐれば 古き家に燕は巣をつくり 嬉々として春の子を生む準備をなせり そを見つつ わが心やや明るくなり ここに来つる わが生の不思議なる縁を 価値あらしめんと思えり 山も響け 川も鳴れ 雲も影を落とせ われはわが命のあらん限り 寄させのままに この世をば生きん あといくばくもなき世を己の詩の世界を追究し詩作に苦しむ真民さん。事情があり転居した古い家にて、巣づくりする燕を発見した時、「砂漠なす心」に大きな感動が湧き上がったのでしょう。その瞬間を詠んだ詩。エトランゼはフランス語。「外国からの旅行者。異邦人。よそ者」を意味します。己の詩をめざす真民さんは、世間的な目でみれば「よそ者」であり続けている状況だったという自己認識にあったのでしょうか。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.12 === 南の空11時5分頃に撮りました。この日も連続でほぼ快晴からのスタートです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上には夏雲がかかっていますが、青空が半ば以上見えています。 東方向の空17時35分頃に眺めると、稜線上空は青色一色。雲は消え去っていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空夕刻には快晴の状態に。連続で快晴の空となりました。つづく補遺坂村眞民記念館 公式サイト 坂村真民について坂村真民 :「致知出版社」坂村真民のおすすめ詩文集 :「好きな本、おすすめ本、詩の紹介」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.25
コメント(0)
鯉山の駒形提灯黒主山からさらに室町通を下ります。六角通を渡れば、鯉山町です。 今年(2023)、この常胴幕「黒羅紗地紋入幕」が復元新調されたそうです。 「鯉山」は、龍門の滝を登りきった鯉は龍になるという「登龍門」伝説に由来します。昔は、「龍門の滝山」と呼ばれていたと言います。龍門とは、中国黄河の上流にあるという激流の難所のことです。鯉山の会所の飾り席もまた、細長い通路を東に入って行きます。ここはいつも通路を二分して、一方通行でUターンする形で飾り席にアプローチするやり方です。室町通に面した入口に「鯉山町席」という木札が掲げてあるのを目にしました。 会所の庭の手前に門扉があり、そこに幟が置かれています。開かれた門扉を入った左側(北側)に蔵があります。その奥(東)の北側が会所の飾り席です。 座敷の前に通路があり、その南側が細長い庭になっていて、鯉の文字を刻した瓦(鬼板)や石灯籠が置かれています。勿論、この時、左方向を見れば飾り席が拝見できます。 通路の突き当たりに小祠があり、右手前に手水鉢や石灯籠が置かれ、風情があります。飾り席を左に見つつ、ここでUターン。 座敷の東端、北東角には、山に載せられる朱塗の小祠と鳥居が安置されています。小祠には素戔嗚尊が祀られています。 東端の壁面前に、角飾金具と房飾りが展示してあります。 山の四隅を二段飾りにするので8つ並んでいます。 鳥居の左側には、左甚五郎作と伝わる大鯉が置かれています。巡行の折には、山の正面に立つ鳥居を大鯉が潜り社殿に向かう形に置かれます。この大鯉が立身出世を象徴しているとか。大鯉の上に「御山三番」と表示が出ています。今年の後祭巡行での順番が三番目という意味です。この巡行には、前祭と同様に、古来から「くじとらず」の山鉾がありますので、実際の巡行では先頭から第五番目で巡行することになります。飾り席の北側壁面には、見送が懸けてあります。後述するタペストリーの中央の図柄の左半分より少し幅広に切り分けられた部分図です。 見送の左側には、懸装品がズラリと一堂に展示されています。鯉山の懸装品は、西暦1600年頃、ブリュッセルで製作された1枚のタペストリーがベースとなっています。約200年前に購入されたもの。山組の大きさに合わせて、タペストリーが9枚に切り分けられました。生地が厚かったので、大工のノミで押し切ったと伝えられているそうです。このタペストリーの図柄は、ギリシャの詩人ホメロス作の長編叙事詩「イーリアス」に由来し、トロイ戦争の一場面「トロイ王プリアモスと王妃ヘキューバの祈り」を描いたものだとか。現在、オリジナルは京都国立博物館にて保管されていて、今では平成元年~同22年(1989~2010)に復元新調されたものが使用されています。懸装品の前方に、欄縁が並べて展示されています。 左胴懸。中央部の右上半分の図柄が2枚の波濤に飛龍文様と継ぎ合わせてあります。上部には水引が懸けてあります。これはタペストリーの上辺部分を切り分けたもの。 前懸。タペストリーの中央部の図柄の外周部の左右を切り分け、さらにそれらを上下に切り分けた上で、左右の上段を内側にして4枚を継ぎ合わせています。上部には、前額水引が懸けてあります。 右胴懸。中央部の右下半分の図柄が2枚の波濤に飛龍文様の幕と継ぎ合わせてあります。上部には水引が懸けてあります。これはタペストリーの下辺部分に相当します。 西側の襖の前には、見送が懸けてあります。今年は初めてスッキリと全体を見渡せる飾り席でした。会所を出た後、蛸薬師通で左折し東に進みます。 「橋弁慶山」は、烏丸通に出る少し手前までの橋弁慶町にあります。 この橋弁慶山は古来「くじとらず」の山で、後祭巡行の先頭を行く山です。第2番目と第6番目もまた「くじとらず」の山です。既に触れていますが、南観音山と北観音山がそれにあたります。今年から2番目と6番目を毎年交替しながら巡行することに決まったようです。 すぐ近くに会所があります。道路に面して1階・2階ともに戸が外されて飾り席になっています。2階の中央に、 弁慶と牛若丸の人形が安置してあります。この山の御神体です。 五条橋の上で、弁慶と刀を交え戦う牛若丸の場面が再現される山です。 2階の西側壁面には、水引と胴懸が懸けてあります。水引は「唐子嬉遊図の綴錦」。平成24年(2012)に復元新調。胴懸は一部しか見えませんが、円山応挙下絵の「加茂祭礼行列図綴錦」のようです。文化6年(1809)に制作された綴織胴懸を平成22年(2011)に復元新調。 1階を拝見すると、黒漆塗で金鍍金の擬宝珠や錺金具が装着され五条橋に見立てた橋が置かれています。これが山に搭載されます。牛若丸はこの擬宝珠の上にひらりと飛び乗り、足駄の前歯だけで立つ場面が再現されるのです。 西側の壁面には、懸装品が2枚懸けてあります。奥は旧前懸で、中国清頃の「雲龍波濤文様の綴錦」。手前は後懸で、江戸時代末期の「雲龍図刺繍」。 欄縁には錺金具が輝いています。波濤と飛鳥の文様です。烏丸通に出て、左折し一筋北に進みます。六角通との辻で西を見れば、 「浄妙山」の駒形提灯がすぐ近くです。骨屋町にあります。 山に懸けられた胴懸の一部。「エジプト風景図」。異国情緒に満ちています。 前懸「室内洋犬図」。これらは19世紀初頭のイギリス織の絨毯だそうです。 宵山までしか見られません。 浄妙山は、今年は第3番目の巡行です。巡行のくじ取りでは今年一番の巡行となります。 近くにあるビルの1階フロアーに飾り席が設けてあります。正面入口を入ったところから全景を眺める形です。 一番奥の屏風の前に見える一来法師(左)と浄妙坊(右)の人形が御神体です。背後の屏風が部分的にしか見えませんが、鈴木万年画「宇治川合戦図屏風」です。明治44年(1911)作。浄妙山は、『平家物語』の一節「橋合戦」の有名な場面に由来します。以仁王(1150~118)が平家追討に立ち上がったとき、源頼政(1104~1180)が加担します。そして頼政は宇治平等院に立て籠もり、平家軍と宇治橋をめぐる攻防戦を行います。源氏方に加わった三井寺の堂衆筒井浄妙明秀(浄妙坊)が名乗りを上げて宇治橋上で奮戦します。そこに一来法師が加勢します。一来法師は「悪しゅう候」と言うと浄妙坊の頭上を飛び越えて平家軍に躍りかかったというのです。その場面をダイナミックに具現化した山です。 右手前に見えるのは、前懸で、智積院所蔵の障壁画から長谷川久蔵筆の「桜図」です。後懸の長谷川等伯筆「楓図」とともに、平成18・19年(2006・2007)に新調されたもの。前懸の下には、他の山鉾と異なり、水引として宇治川を象徴する波濤文様の木製彫刻が使われていて、欄縁と一体化されています。前懸の奥に、黒漆塗で金鍍金擬宝珠や錺金具を装着した橋が置かれています。宇治橋に見立てた橋です。橋合戦に模して橋上に多くの矢が突き刺さっています。橋の背後の壁側に懸かる懸装品は見えませんが、橋の前に置かれた木札に「琴棋書画図 ビロード胴懸」と記されています。かつて使用されてきた胴懸で、当時珍しかったビロードで織られたものでした。そこで「びろーど山」とも呼ばれたと言います。橋の左奥側には、新調された胴懸が懸けてあります。長谷川等伯原画の柳橋水車図です。昭和58・59年(1983・1984)からこちらが使われています。この図は宇治橋を大胆な構図で描いたものです。まとめながらふと思ったのは、橋に擬宝珠が装着されるようになったのはいつ頃だろうかという疑問です。『平家物語』で語られた「宇治川合戦」での宇治橋や弁慶と牛若丸が戦ったという五条橋に擬宝珠が使われていただろうかという点です。江戸時代の町衆は、見立てとして橋を山に搭載し、祇園祭の山の豪華さ、華麗さを演出しようとしたのかもしれません。少し調べてみた範囲では、遺例として宇治上神社本殿内部(平安後期)や興福寺東金堂(室町)などに擬宝珠高欄が実在するそうです。(資料1)一方、狩野永徳<上杉本洛中洛外図屏風>のデジタル画像や図録をみる限りでは、四条橋、五条橋に擬宝珠を描いていません。橋の柱の上端には方形の厚板が取り付けてある感じの描き方です。この厚板は柱上端部の保護のためという印象を受けます。(資料2,3)一つ、課題が残りました。浄妙山から再び烏丸通に戻り、北に上がります。 一筋北が三条通で、通りを越えると一筋北の姉小路通寄りが場之町です。烏丸通のここに「鈴鹿山」があります。 この真松に巡行当日絵馬が付けられます。唯一鈴鹿山だけで行われているとか。また、山の前面に朱塗りの鳥居も立てられます。伊勢国鈴鹿山に祭られる神を題材にしています。 今年の巡行は第9番です。姉小路通と烏丸通の辻の南西角に会所があります。御神体は瀬織津姫命(鈴鹿権現)の等身大人形。黄金に輝く立烏帽子をかぶり神面を付け、大長刀と中啓を手に鈴鹿峠の悪鬼退治をした女性の神の姿で表されています。鈴鹿御前とも呼ばれます。最後にこの山を巡った時刻にはまだ会所の門が閉じられていて、案内に御朱印受付を数時間後の時刻で掲示してありました。今回は拝見を断念、会所の飾り席や蔵の御神体を拝見出来ずに終わりました。これで、後祭の山鉾巡りを終わります。翌日の後祭山鉾巡行は用事が重なり観覧できませんでした。残念。ご覧いただきありがとうございます。参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*鯉山でいただいたリーフレット「海を渡り日本へやってきたタペストリー」*鯉山 :「祇園祭」*鯉山町衆 ホームページ タペストリー *橋弁慶山 :「祇園祭」*橋弁慶山 オフィシャルサイト*浄妙山 :「祇園祭」*鈴鹿山 :「祇園祭」1) 組高欄・跳ね高欄・擬宝珠高欄とは?|奈良巡りで学ぶ、和風モダン建築の高欄 :「大和モダン建築」2) 狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》 金雲に輝く名画の謎を読む──「黒田日出男」 影山幸一 アート・アーカイブ探求 :「artscape」3) 『国宝 上杉本 洛中洛外図屏風』 発行 米沢市上杉博物館 補遺浄妙山保存会 ブログ鈴鹿山 :「京都通百科事典」【鈴鹿権現】祓戸の瀬織津姫 ちまきのカタチ・考【祇園祭 鈴鹿山伝承より】 :「ものづくりとこだまの国」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 大船鉾 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -2 南観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -3 屏風祭・北観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -4 八幡山・屏風祭・鷹山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 7回のシリーズでご紹介
2023.08.24
コメント(2)
鷹山から三条通を東に進み、室町通を左折して、北にある「役行者山」から山鉾巡りを続けます。室町通を北に入ると、そこは「役行者町」。一筋北の姉小路通寄りに「役行者山」があります。手前にテントが仮設されていて、 訪れた宵山のこの日、午後2時ごろから、「護摩焚供養」の行事が行われる予定でした。護摩壇が築かれていて、椅子には大きな獣皮が置かれています。敷物としてでしょう。この行事までには2時間余ありました。以前に拝見していますので、今回はスルー。山の傍まで行って、この行事のことを思い出しました。修験道の大本山聖護院から、山伏姿の僧が来臨され、読経、聖矢を放つ儀礼、護摩焚きが行われます。 北西側から北東側から 懸装品に透明の保護カバーが懸けてあるのがちょっと残念。今年の後祭山鉾巡行では11の山鉾中、第8番目になります。すぐ傍に会所があります。会所が新築されたことにより、蔵に通り抜ける通路沿いに懸装品などの常設展示場が設けられています。肉眼で拝見するのには便利なのですが、写真を撮るのには少し不便です。ハンディなデジカメのズーム機能で撮ったのは焦点ぼけでNGでした。一応撮れたのが次のものです。 見送の「金地唐美人図綴錦」。昭和57年(1982)から使用の復元新調品。オリジナルは中国明朝の官工場で織られた綴錦です。 水引は西山勘七作の唐子遊図。西山勘七は綴錦の名手とうたわれた人と言います。前懸は牡丹胡蝶図と雲龍文様との三枚継ぎ。平成9年(1997)に復元新調。 掛幅には、「南無神変大菩薩」と記されています。神変大菩薩は役小角、別名役行者のことです。神変大菩薩は、役小角の没後千年以上後の寛政二年(1799年)に当時の光格天皇から贈られた諡号だそうです。(資料1,2)掛幅の前に、金幣が置かれています。 応仁の乱前から現在までの「祇園会山鉾分布図」が展示されています。祇園祭の山鉾の変遷を知る上では、貴重な資料の一つになることでしょう。通路を通り抜けると庭に入り、蔵が2つあります。 手前の蔵には、御神体が安置されています。正面からの全景。 中央に、役行者が見えます。巻き上げた御簾の上部に「神変大菩薩」の掲示が見えます。向かって右は「葛城神」です。巡行の時に、役行者は正面の洞に、帽子・掛絡・経巻・錫杖を持って座した姿になります。その両側に葛城神と一言主神が立ち姿で安置されます。 向かって左が「一言主神」です。鬼形で赤熊をかぶり手に斧を持つ姿です。この山は、役行者が一言主神を使い、葛城と大峰の間に橋を架けたという故事に因んでいます。 扉の上、長押のところに、法輪が象られています。 今まであまり意識していなかったのですが、紅白の提灯が左右に吊り下げてあります。そこに描かれた図柄。これは何でしょうか。私にはわかりません。通路を東に進めば、突き当たりに 「役行者山」と記されたもう一つの蔵 蔵の扉の南側に置かれた「役行者神腰掛け石」。傍に駒札が立ててあります。 蔵の南西、庭の端に井戸が見えます。こちらも注連縄が掛けられています。室町通から会所の通路を入り、東方向に奥に進み、2つめの蔵前で突き当たると、北側から姉小路通に出る経路になっていて、一方通行のスムーズな流れができていました。姉小路通から室町通に戻り、南に下ります。向かうのは黒主山です。 三条通を越えて烏帽子屋町に入ると、まず目を引くのがコレ! 室町通の西側にこの巨大な鯉の群泳図の幟が今年も展示されています。 その先に「黒主山」の駒札と駒形提灯 山の舞台には、前部に桜の木が立ち、後部の洞の上に真松がたっています。この左側(東側)のビル前にテントが仮設され、ビルの入口を入ったフロアーが会所の飾り席です。 中央後部に、御神体の人形、大伴黒主の立像が安置されています。謡曲「志賀」を題材にしたのがこの黒主山です。 大伴黒主が志賀の山桜を仰ぎ眺めている姿です。黒主は平安時代の歌人で六歌仙の一人。 寛政2年(1789)5月辻又七郎狛元澄作の銘があるそうです。 白髪老人姿の黒主の背後には、 向かって左側に牡丹鳳凰文様の見送が懸けてあります。平成16年(2004)に復元新調されたもの。 その右隣りに、こちらは一層みづらいのですが、もう一つの見送で、宝散し額唐子嬉遊図です。こちらも復元新調品。 向かって右側の壁面には、上部に水引と二番水引が懸けてあります。水引は雲龍文様の繻珍。 下部の手前は前懸で、五爪龍文様錦です。これは萬暦帝即位の折の御服と伝えられる古錦を復元新調した作。 胴懸で、草花胡蝶文様の綴錦。昭和58年(1983)の復元新調。 畳の上には欄縁がまとめて展示されています。黒漆塗に四季草花文様の鍍金錺金具が施されています。元治元年(1864)作。 室町通の南側から撮った駒形提灯です。黒という文字の書体が特徴的です。この後、室町通の南にもう一つある「鯉山」に向かいます。つづく参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*役行者山 :「祇園祭」*祇園祭 役行者山保存会 ホームページ*黒主山 :「祇園祭」*黒主山保存会 ホームページ1) 神変大菩薩 :「コトバンク」2) 神変大菩薩 :「高野山真言宗 放生寺」補遺本山修験宗総本山聖護院門跡 ホームページ役小角 :ウィキペディア一言主神 :「コトバンク」葛城一言主神社 :「御所市」葛城之一言主之大神 神名データベース :「國學院大学」大伴黒主 :ウィキペディア揚蹟めぐり 志賀 :「謡蹟めぐり 謡曲初心者のためのガイド」宝生流謡曲 志賀 :「郡山の宝生流謡会のページ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 大船鉾 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -2 南観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -3 屏風祭・北観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -4 八幡山・屏風祭・鷹山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -6 鯉山・橋弁慶山・浄妙山・鈴鹿山 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 7回のシリーズでご紹介
2023.08.22
コメント(0)
八幡山の駒形提灯六角通を越えると、三条町です。ここに「八幡山」があります。 山には、宵山までしか見られないかつて使われていた見送が付けられています。これも展示の一環でしょう。すぐ傍に、八幡山会所があり、細長い通路を東に進むと、飾り席が設けてあります。 飾り席の西端から眺めた景色。飾り席の半ばまでが撮れています。右端に見えるのは、今は保存されている懸装品の一部です。 正面奧の壁面に、水引と前懸、その前に金幣が置かれています。上部の水引は、文化6年の旧水引を参考に昭和61年に新調された作。前懸は、中央部に慶寿裂(ケイジュギレ)が見えます。漢詩の文字を織り込んだ綴織。金幣の両側には、山の四隅に飾る房を掛ける角飾金具と房飾りが並んでいます。 金幣立てには、写実的な鳩が描かれていて、後にご紹介する鳩と照応している感じです。その手前には欄縁が見えます。 欄縁の装飾金具 手前には、座敷に敷かれた赤い毛氈の上に、「八幡山記録」、巻物形式の文書が展示されています。私の見ている範囲では、八幡山で拝見する位です。歴史の一端を感じます。 見送の房懸け金具です。並ぶ二枚で一組です。文様が異なります。天保8年作。 正面に房飾りが並んでいます。上段は山の四隅の房懸金具と房飾り。下段は見送の裾の房懸金具と房飾り。こちらは霊芝文様の金具です。数歩、奥に進みます。 右側は八幡山を担ぐ棒の先に装着される「笹文様轅(ナガエ)先金具」です。前後方向には4本の轅が並びます。その両端に装着されるのでしょう。左側のシンプルな金具は、側面方向に並べて取り付けられる担ぎ棒の先端に装着されるものと思います。山の側面にも4人ずつの担ぎ手が配置されます。左上の金具は調べてみますと、房懸金具のパーツのようです。 その先の展示はこんな感じです。 見送は日輪双鳳の帽額付童の柄の綴錦です。 左が左甚五郎作の木彫胡粉彩色の鳩。右が復元新調された鳩。こちらが巡行で使われます。 黒漆塗の欄縁に装着される雲鶴文欄縁金具です。奥に欄縁の角に装着される雲文金具。手前に飛翔する鶴の様々な姿が見えます。脱着可能な鶴型金具は7点あり、8羽の鶴の姿が鍛造鍍金で製作されているとのこと。天保9年(1838)伝河原林秀興作作。 童子姿の蝋燭立て。彩色された童子が蝋燭を捧げている姿なのですが、この童子は何を見つめているのでしょう。毎年のように拝見していつも思うことです。 東端の壁面は左右の胴懸が半ば重なり、懸けてあります。聖獣三態像の胴懸です。見えるのは、奥側が唐獅子で、手前の半ば隠れているのは獏の図柄です。後、麒麟の図柄があります。平成2年(1990)の復元新調。 右側が見えませんが、奥の壁面には藍地雲龍文様蝦夷錦の見送が懸けてあります。 八幡山には、巡行当日、舞台にこの総金箔の社殿が据えられます。天明年間(1781~1788)の製作と言います。そして、この地元・八幡宮に祭られる八幡宮から御神体を勧請して巡行します。その前に、「八幡宮」の扁額を掲げた臙脂色の鳥居が置かれます。この鳥居の笠に上掲の一対の鳩が向かい合う形で止まるように飾られます。夫婦円満のしるしとされるそうです。 会所の飾り席前から振り返り、北側をみますと庭に八幡宮が祭ってあります。京都市下京区にあった「若宮八幡宮」は東山区の東山五条に遷されたのですが、この若宮八幡宮の分祀だそうです。この社殿から勧請するということなのでしょう。 会所の通路を出て、山を北西側から撮った景色。宵山までの鳥居には「八幡山」の扁額が掲げてあります。この三条町では、別の町家の座敷を会場に、八幡山保存会の屏風祭が行われています。勿論、巡って拝見します。入口を入った手前の座敷には 「摺物貼交(スリモノハリマゼ)屏風」です。摺物と称される浮世絵を屏風に貼っています。摺物は非売品で、趣味人たちが出資して自分好みの版画を作らせ、贈り物として仲間内に配ったと言います。 これは左側の屏風の上から2つ目の摺物 太宰府の宮小路康文が明治30年5月に揮毫した書を屏風に仕立てています。菅神博覧古言云 藤原道真公は広い知識があり、古言にいう主聖臣賢天下盛 支配者が知識に優れ、家臣がかしこければ天下は富み栄える君明臣直国之福也 君主が賢明で、家臣が実直であれば国はこれ幸いである父慈子孝夫信妻貞 父が慈悲深く、子が孝を尽くし、夫が誠実で、妻が貞淑なら家之福也 家は幸いである 岡本豊彦筆「高士吟嘨弾琴図」高士とは、世俗を離れて隠棲している人物。中国の二人の高士が琴を弾き詩歌を吟じている場面です。岡本豊彦(1773~1845)は江戸時代後期の四条派の祖呉春に学んだ絵師。 奥の座敷には、 尾形光琳筆の「光琳百花図屏風」がが展示されていました。これらもまた、年に1回拝見できる八幡山保存会所蔵の品々です。新町通と三条通の辻で右折して、三条通を東に入れば、衣棚町です。 「鷹山」復興間なしの鷹山の晴れやかな姿が見えます。鷹山は昨年、令和4年(2022)に、196年ぶりに巡行復帰しました。今年が巡行復興2回目になります。 後懸 上掲の後懸と前懸は、アンティークのトルコ絨毯を西アジアから仕入れた舶来品。反対側に回ってみましょう。 鷹山の御神体は、鷹匠、犬飼、樽負です。飾り席を拝見するために並んでいる人の列が長かったので、今回は拝見をやめました。巡行復帰以前の時点で拝見しています。以前に節ブログ記事にてご紹介しています。 左右の胴懸は、イランの工房で製作されたペルシャ絨毯。2年以上かけて新調されたそうです。 一番水引は「金地麒麟図紋織」、二番水引は「紺地瑞鳥文様錦織」、三番水引は「白地桐紋唐草金襴紋織」です。2022年に新調されました。 一巡しました。鷹山は、三条通に山の舞台に上がる階段が設置されています。毎年使用できる組立式の階段のようです。 巡行の先頭を行く幟 駒形提灯 鷹山の正面側の景色 前後の赤提灯に墨書された字の書体が異なります。おもしろい。この後、室町通の山を巡ります。つづく参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*八幡山 :「祇園祭」*八幡山かわら版 ホームページ祇園祭の山鉾「鷹山」復活へ トルコじゅうたんも活躍*鷹山 :「祇園祭」*鷹山保存会 ホームページ*約200年ぶりに復活した「祇園祭・鷹山」。今後注目の見どころを紹介 みちくさガイド :「星野リゾート」補遺八幡山所蔵品 <祇園祭・研究資源データベース> :「Digital Humanities Center For Japanies Arts and Cultures」鷹山懸装品 <祇園祭・研究資源データベース> :「Digital Humanities Center For Japanies Arts and Cultures」祇園祭の山鉾「鷹山」復活へ トルコじゅうたんも活躍 YouTube祇園祭・鷹山が水引など3点新調(2022年4月5日 京都市中京区) :「京都新聞」196年ぶりに蘇る祇園祭「鷹山」。復興に尽観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へ力する弁護士の、平和と疫病退散の祈り :「日本財団ジャーナル」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!83(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 大船鉾 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -2 南観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -3 屏風祭・北観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -6 鯉山・橋弁慶山・浄妙山・鈴鹿山 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 7回のシリーズでご紹介
2023.08.21
コメント(2)
=== 2023.8.7 === 南の空15時25分頃に撮りました。午前中に撮るのを失念。南西方向の空 西方向の空 東方向の空いずれの方向も曇り空。 東方向の空18時20分過ぎに眺めるとくもり空のまま。すこし雲の姿に変化があります。 南の空南西方向の空 西方向の空 一日、くもりでした。=== 2023.8.8 ===9時25分頃には雨が止んでいました。早朝に雨が降ったのでしょうか。 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空雲の姿を見ると、雨が降るときの空模様という感じの雲です。 東方向の空17時過ぎに眺めると、銀鼠色はそれほど変わりませんが、雲の姿は大きな塊りの雲になり、青空が少し見えます。 南の空雨がふることはなく、曇りから晴れに変化。白雲が浮かび青空が見えるように。南西方向の空 西方向の空 くもり後晴れという天気になった一日です。さて、雲がたりのつづきです。真民さんの全詩集は、「三昧」という詩集が続きます。この中に「八木重吉氏に」と題する詩が載っています。 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社) あなたが生きていたら 手を取りあって話したい気がする 林檎をむきあって食べたい気がする 一輪の花の心を二人で語りあいたい気がする 夕焼けの雲の下に黙って坐っていても 温かく心は通う気がする でもあなたはもうこの地上へはおりてこない 手を握りあうことも 林檎を食べあうことも 花を見雲のかがやきを語りあうことも できなくなってしまった ああせめてあなたのいる天国の夢でもみよう あなたと一緒に天国の園でも散歩しよう そう思ってあなたの詩集を 今日も枕べにおいて寝る 八木重吉氏って誰? 最初の疑問。詩を読むと「あなたの詩集」と記されています。詩人で、既に亡くなった人である。真民さんは八木重吉の詩集を介して、重吉さんと心の対話を繰り返していても、実際に会う機会がなかったのかなと感じました。少し調べてみました。八木重吉(1898-1927)は詩人であり英語教師。結核により29歳で没した。詩集『秋の瞳』(1925年)を刊行した。学生時代にキリスト教の洗礼を受けた人。(資料1,2)一方、真民さんは、1909年生まれで、熊本県立玉名中学校を経て1931年に神宮皇學館を卒業。1927年に没した八木重吉さんとは会う機会はなかったでしょうね。(資料3)八木重吉の詩集『秋の瞳』は「序」から始まり、短詩が続きます。その中に、空と雲の絡みで言えば、次のような短詩が含まれています。(資料4) 息を殺せ 息を ころせ いきを ころせ あかんぼが 空を みる ああ 空を みる おほぞらの こころ わたしよ わたしよ 白鳥となり らんらんと 透きとほつて おほぞらを かけり おほぞらの うるわしいこころに ながれよう しづかな 画家 だれでも みてゐるな、 わたしは ひとりぼつちで描くのだ、 これは ひろい空 しづかな空、 わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう 無造作な 雲 無造作な くも、 あのくものあたりへ 死にたい 大和行 大和の国の水は こころのようにながれ はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、 ああ 黄金のほそいいとにひかつて 秋のこころが ふりそそぎます さとうきびの一片をかじる きたない子が 築地からひよつくりとびだすのもうつくしい、 このちさく赤い花も うれしく しんみりと むねへしみてゆきます けふはからりと 天気もいいんだし わけもなく わたしは童話の世界をゆく、 日は うららうららと わづかに白い雲が わき みかん畑には 少年の日の夢が ねむる 皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や 追憶は はてしなく うつくしくうまれ、 志幾の宮の 舞殿にゆかをならして そでをふる 白衣の 神女は くちびるが 紅いこの後、「彫られた 空」「夾竹桃」「雲」「在る日の こころ」「痴弱な手」「胡蝶」「おほぞらの 水」「空が 凝視てゐる」「むなしさの 空」「こころの 船出」「追憶」「鳩が飛ぶ」「怒れる 相」「白い 雲」「春も 晩く」「ひとつの ながれ」「空と光」という短詩にも、空、あほぞら、雲が詠み込まれています。この詩集に、「白き響」という短詩が含まれています。 さく、と 食へば さく、と くわるる この 林檎の 白き肉 なにゆえの このあわただしさぞ そそくさとくひければ わが 鼻先きに ぬれし汁 ああ、りんごの 白きにくにただよふ まさびしく 白きひびき真民さんが「林檎をむきあってた食べたい気がする」との一行を記すのは、この「白き響」を連想していたのかもしれないなと感じます。最初に、真民さんの詩集『六魚庵天国』を引用しました。参照の全詩集・第一巻の「あとがき」の冒頭には、「この天国ということばは、キリスト教でいうような天国ではなくて、今にも風に吹き飛ばされそうな小さい家に、妻と三人の子たちがいる。そこだけが天国、つまりわたしをやすらかにさせ、生きる力を与えてくれる、そういう処だという意味の天国なのである。その頃は、信仰的なものは殆どなかったので、地上の小さな天国、幸せの住み処という特別な思いをこめて名付けたのである」と記されています。しかし、この「八木重吉氏に」の詩では、キリスト教での天国を意味しているのでしょう。雲の変化に戻ります。=== 2023.8.9 ===朝、雨が降っていました。晴れで陽が沈んだのですが、どこかの時点で雨に変化したのでしょう。 南の空南西方向の空 窓際から二方向だけ撮りました。 観測経験では、こういうグレーの布を広げたような雲のときは雨の確率が高い気がします。 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空15時45分頃に撮りました。その後に雨は止み、午後はくもり空が続きました。つづく参照資料1) 八木重吉 :ウィキペディア2) 八木重吉の年譜と文学活動 :「八木重吉記念館」3) 坂村真民先生プロフィール :「蓮華院誕生寺」4) 秋の瞳 八木重吉 :「青空文庫」補遺八木重吉記念館 ホームページ八木重吉 #詩 #朗読 YouTube 八木重吉の詩集【秋の瞳】より「白き響/ほそいがらす/白い枝/秋」八木重吉/秋の瞳より7詩#朗読#詩 YouTube【読み聞かせ】八木重吉 名詩10選、元放送局アナウンサーの大人の朗読 睡眠導入、作業時間にも。【心豊かな人生にもっと朗読を!】 YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!83(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.19
コメント(0)
新町通を上ります。蛸薬師通との辻を越えると六角町。北観音山の手前に、山鉾巡りをするたびに通りから拝見する屏風飾りがあります。一つがこの町家です。通りに面して開放された窓越しに眺める座敷には、南北両側に屏風が立てられています。 山の精巧なミニチュアもすばらしい 西億の座敷にも屏風が飾ってあります。その西の中庭までが開放されて、屏風祭が行われています。手前の生花が適度な目隠しの役割も果たしています。京都特有の間口が狭めで奥行の深い町家の様子が見て取れます。 ユーモラスなお多福像! 北観音山のすぐ傍のもう一軒の町家の屏風祭。こちらは通りに面した戸が取り除かれて、一層開放的な状態で拝見できます。正面から西奥の座敷に置かれた屏風 道路に面した東側の広い座敷。高い屏風が立つ方向が北側です。 ここは、毎年この広い座敷空間に絨毯が敷き詰められ、西と北に屏風が飾られています。小袿(コウチギ)が展示されていますが、毎年異なるように思います。これも特徴。 西奧に中庭が遠望できます。ズームアップで。 新町通の南側から眺めた北観音山。山の後部側です。 六角町は江戸時代、三井家などの有力商人が屋敷を構えていたところです。 近くには案内碑や駒札が設けてあります。以前の拙ブログ記事でご紹介しています。 この山も、時計回りに南側から見上げて行きます。 一見、鉾に見えますが、屋根の上に真松が立つことで曳山であるとわかります。町文書に文和2年(1353)の創建と伝えられています。この北観音山は、南観音山と一対のような感じです。本尊は同様に楊柳観音です。巡行当日には、山舞台に楊柳観音像と脇侍の韋駄天立像が安置されます。こちらは、「上り観音山」とも呼ばれています。今年は第6番での巡行です。 今年は天水引に雲龍図が使われています。 鉾と同様に下水引、二番水引、三番水引が重ねてかけてあります。 下水引は中島来章の下絵による「関帝祭の図」と伝えられる人物風景です。二番水引は「赤地牡丹唐草文様綴織」、三番水引は「金地紅白牡丹文様唐織」こちらの二枚は平成18年(2006)より使われ、江戸時代の姿を復元新調したものです。上掲の前懸は19世紀のペルシャ絨毯。この西面の胴懸はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品 北観音山は元は屋根がなかったのですが、江戸時代中頃に障子屋根と取り付け、天明の大火で焼失後、復興を果たし、寛永9年(1797)に屋根を建造、天保2年(1831)に現在のような大屋根の姿になったそうです。大屋根の内側には折上格天井が設えてあります。 埒(ラチ)から山の躯体部分の舞台裏が見えました。山の胴体を組み上げて荒縄で頑丈に縛り付けるのです。これも伝統技術そのものです。その荒縄のしばり方の美しさは裾膜などで見えなくなります。その一部を見る事ができました。山鉾建てを眺めに行くと、この荒縄で縛るプロセスをじっくりと観察できます。以前の拙ブログでご紹介しています。 山の北西角 山の正面側黒漆塗の欄縁は唐獅子牡丹等錺金具で華麗に装飾されています。 北東側から 天水引 四隅の房掛金具は祇園守(キオンマモリ)と称される意匠です。祇園守は京都八坂神社が配布するお守りのこと。また、八坂神社の本殿裏にはムクゲの一種、祇園守の花が咲くそうです。 見上げて写真を撮っているとき、山の正面側に金幣が取り付けられました。 南東側東側面の胴懸はトルキスタン絨毯です。山の周囲を一巡りして、後部に戻ってきました。 大屋根の後部の破風飾りを切り出してみました。 こちらは正面側の破風飾です。これらの木彫雲鶴は片岡友輔の作。 新町通の北側から眺めた駒形提灯 再び、北観音山の正面側を眺めつつ、新町通をさらに北に上ります。次は八幡山です。つづく参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*北観音山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)*北観音山 :「祇園祭」*祇園守紋 :「家紋のいろは」*八坂神社に咲く祇園守 :「京都旅屋」補遺北観音山 facebook【祇園祭2022】北観音山 屏風飾りとお囃子 Kyoto Gion festival KITAKANNONYAMA Byoubumatsuri祇園守紋 :「家紋の由来」祇園守 :「note okami」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!83(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 大船鉾 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -2 南観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -4 八幡山・屏風祭・鷹山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -6 鯉山・橋弁慶山・浄妙山・鈴鹿山 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 7回のシリーズでご紹介
2023.08.18
コメント(0)
四条通を横断し、新町通を北に入ると、前祭で巡行した放下鉾の会所が見えます。入口の右側柱には「放下鉾保存会」の表札が掲げてあり、入口の左側にはかなり読みづらくなってきている駒札が立っています。その後に住所表示板が見えます。小結棚町です。錦小路通を越えると、百足屋町で、南観音山のあるところ。一見、鉾の形をしていますが、屋根の上に真松が立てられた曳山です。7/24の山鉾巡行で今年は第2番目の山に。同じく「くじ取らず」の北観音山と第2番目、第6番目を隔年で交替にすることになったとか。(残念ながら今年は巡行の方は観覧に行けませんでした。)この山の本尊は楊柳観音像で脇侍に善財童子が安置されます。楊柳観音は人々を病気の苦しみから救済するという観音様。巡行当日は、山の後部に大きな柳の枝がその象徴として垂らされます。 南西側から見上げた姿。 水引は、加山又造原画による「飛天奏楽図」。平成12年(2000)作。 ズームアップ後懸は、イラン・ミリー工房製の「中東連花水辺に魚文様」の絨毯。平成22年(2010)に新調。 胴懸はペルシャ花文の緞通。 三番水引は宛色朱子地雲龍図の刺繍。平成5~7年(1993~1995)に復元新調。 天水引は下川文麟の下絵による「緋羅紗地四神文様刺繍」で、これは近年の復元新調。四方の神のうち、青竜は東の方位の神です。 天水引の朱雀は南の方位の神です。 屋根の破風飾は、塩川文麟の下絵を元に木彫装飾が製作され、弟子の幸野楳嶺が彩色したものだそうです。仙女と麒麟が見えます。明治221年(1888)作。 前懸は、金糸、銀糸を含め19色の絹糸で幾何学文様の図柄を再現新調したものです。山を回り込みます。 四角には、木彫漆箔四君子文薬玉角飾が取り付けられます。これは「蘭」をモチーフとした薬玉です。 こちらは「菊」をモチーフにした木彫薬玉角飾 破風飾には仙女と龍が彫刻されています。天水引は玄武で、北の方位の神です。 山の裾幕として緑色の網状の幕が使われています。今年初めて気づきました。 これで南側から南観音山を時計回りに一周したことになります。 山のすぐ近くで、南観音山の懸装品の保存品や団扇絵などが展示されています。 ガラス戸に反射して写真が撮れません。この1枚だけです。 新町通の北側から眺めた駒形提灯の全景。こちらが山の正面になります。蛸薬師通を越えて、次は北観音山です。つづく参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*南観音山 :「祇園祭」*祇園祭-南観音山の名宝- :「京都文化博物館」*南観音山 :「ざ京都 京都観光、案内のポータルサイト」*祇園祭 納入実績 :「KAWASHIMA SELKON」*京都・祇園祭後祭の山鉾の巡行順が変更へ 記者会見で発表(2023年6月22日、京都市東山区・八坂神社) :「京都新聞」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!83(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 大船鉾 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -3 屏風祭・北観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -4 八幡山・屏風祭・鷹山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -6 鯉山・橋弁慶山・浄妙山・鈴鹿山こちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 へ 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 へ 7回のシリーズでご紹
2023.08.17
コメント(0)
=== 2023.8.5 === 南の空9時55分頃に撮りました。良く晴れた青空にふわっと子雲が集まっています。 左上に親雲がいるような・・・・。南西方向の空 西方向の空 さらに子雲の後に、ちょっと年かさの子雲が続いて行く感じで。 頭上の空 東方向の空稜線上に青空が見え、その上に雲が広がって漂っています。稜線上よりかなり手前に浮かぶ雲のような印象を受けます。近接感ありです。 東方向の空17時5分頃に眺めると、稜線上は雲が消え、青一色です。 南の空南の遠くに雲が見え、近くは青一色。 ズームアップして雲の姿を切り出しました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 まさに快晴の空と言えますね。 南の空 18時半頃に撮りました。こちらの白雲は近い感じです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南東方向の空 少しズームアップして、雲を撮ってみました。 東方向の空 稜線上にわずかに雲が出ています。少し方角を変えて、ズームアップして撮ると、視野が狭くなり東の空全体は見えません。熱中症警報アラートが連日の最中だったと思います。晴れた日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの詩集『続六魚庵天国』には、「火見櫓」と題する長い詩があります。三部構成の詩文のパート2にあたるところに、「雲」が出て来ます。 火見櫓はどこにもある 今わたしが仰いでいるのは故里ならぬ 四国南の海辺の町に高く聳えるもの 火を告げる鐘 それを打つ槌(ツチ) 雲をいただく鉄の梯子(ハシゴ) いつもかんかんと鳴り響く用意をしている櫓(ヤグラ) 今その上を飛ぶのは 凧(タコ)ではない 一羽の鳶(トビ) 啼かない 一羽の鳶 今のわたしの 一羽の鳶 わたしが舞わせている 孤独な鳶 それはわたしの心に いつか巣くっていたものだった (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)京都市の南部で生まれ育ったが、火見櫓の実物を見たことがなかった。絵や写真としては知っていたけれど。ごく最近、あるブログである地方の火見櫓の写真をよく拝見するようになった。そして、ちょと検索していて、京都市内にも火見櫓が実在することを知った。勿論、早速探訪してみた。それに付いてはまた別稿にて・・・。を改めたい。パート1は故里の火見櫓を回顧する。その上を飛ぶのは凧。今、著者は「一羽の鳶」を想念として眺めているようだ。舞い飛続ける一羽の孤独な鳶は、詩の世界を歩み続ける著者の孤独感を反映しているのだろうか。この詩集で見つけたのはこの箇所ひとつ。雲の変化に戻ります。=== 2023.8.6 === 南の空9時20分に撮りました。空にはぐ~んと雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけては、それほどには雲が凝集していません。 頭上の空 頭上も同様です。 東方向の空それに対して、稜線上は白鼠から銀鼠という色合いの雲に覆われています。 東方向の空15時5分頃に眺めると、稜線上空の雲の変化は様変わりです。白鼠色の雲が主流になり青空を筋状に見せながら層を成すように浮かんでいます。 南の空逆に、南の方には銀鼠色の雲が張り出しています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけても同じです。天気は晴れからくもりに変化です。 頭上の空 南の空 17時25分頃に眺めると、雲の姿は変化しても、空を覆う点では同じ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空一方、逆に稜線の上空は、大きな塊になった雲が浮かんでいますが、青空は一層広がっていました。西・南がくもりなら東は晴れという空模様。天気の変化はおもしろい。つづく[覚書] このブログ記事を書いている頃に、台風7号(ラン)の中心は和歌山県に上陸した後、北西寄りに進み、15日13時45分の気象庁発表によると、13時の実況:兵庫県に上陸、中心気圧985hPa、最大風速 30m/s (55kt)、最大瞬間風速 40m/s (80kt)。こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.15
コメント(0)
7/23は祇園祭後祭の宵山です。午前を主体に、山鉾町を巡ってきました。後祭の山鉾は四条新町南入ル四条町に鉾建てされた「大船鉾」が最南端に位置します。ここを起点にして山鉾巡りをしました。その覚書を兼ねたご紹介です。大船鉾は後祭山鉾巡行では、殿として最後に巡行を締めくくる鉾になります。前祭の船鉾と同様に、鬮とらずの鉾です。前祭山鉾巡行の殿である「船鉾」に対して、こちらは神功皇后が凱旋した船に由来する船形の鉾です。平成26年(2014)7月、大船鉾は150年ぶりに再建、復興しました。これを契機に、後祭が49年ぶりに復活されるに到ったのです。昭和41年(1966)から平成25年(2013)の約半世紀は、7/17に後祭が合一されて山鉾巡行が行われてきました。それが本来の形の山鉾巡行の復活となりました。私の記憶での山鉾巡行は、この合一された山鉾巡行から始まっています。四条通を西に進み、新町通を南に入ると、大船鉾が見えます。 大船鉾の周辺は、混雑を避けるために一方通行の制限が設けてありました。北に向かって鉾建てされた大船鉾の右舷側(通りの東側)を北から南へ、左舷側(通りの西側)を南から北への一方通行です。今年は船首に、大金幣(文化10年/1813年作)が飾ってあります。大金幣の幣の部分が今年新調されました。巡行当日までは鉾に覆屋が設けられています。巡行では勿論覆屋は撤去されます。 右舷側全景 前懸 三飛翔龍に波濤の図です。 船体を覆う胴懸は二色の幕。渡来赤羅紗無地平織裁ち布縫い合わせと称されています。19世紀ヨーロッパ製。色は船鉾と同じですが、船鉾との違いは二色の配列が縦方向だという点です。 高欄の下の水引は刺繍製で「渡来赤羅紗地 飛龍に波濤の図」です。 大船鉾の後部。艫櫓と梶がやはりハイライトです。「祇園祭」の企画特集によれば、今年はこの艫屋根の漆箔と軒下刺繍幕が完成したそうです。一方、7/22にテレビ報道で、ベトナム国営放送から日越国交樹立50年を記念して、大船鉾に「繻子地雲龍文刺繍軒幕」の贈呈式があり、幕が披露されたというのを見ました。大船鉾は再建・復興後、さらに一歩一歩、その威風を整える途上にあります。この変化を眺めに行くのが楽しみとなる鉾です。 後懸今までは、「飛翔龍に波濤の図」が使われていましたが、これは初めてかと思います。少し調べて見ましたが、資料なく名称等不詳。 艫高欄懸は刺繍製「渡来赤羅紗地 飛翔鳳凰の図」です。17世紀日本製。三方、それぞれ鳳凰の飛翔の姿が異なります。艫高欄の下部には極彩色の肉厚木彫装飾が施されています。 梶(カジ) 刺繍製「渡来赤羅紗地 降り龍と波濤の図」 19世紀日本製。 五爪の金龍と波濤文様が織と刺繍で製作されています。 先に、反対側をご紹介。 新町通の南側から駒形提灯を眺めた景色です。 南西側から大船鉾を眺めた全景 左舷、船首部を見上げた景色 水引は右舷側と同じで、飛龍に波濤文の金糸刺繍です。 飛龍の姿は、船鉾の大舵を飾る螺鈿細工の飛龍と同類です。 二番水引は綴織裂で「祥雲文に散らし花文様の図」。19世紀の日本製。 大金幣の全体が一番わかりやすい角度かも知れません。 屋形の唐破風屋根の内側、つまり屋根の裏側です。 舳先の前水引は刺繍製「渡来赤羅紗地 飛龍に波濤の図」。平成28年(2016)復元新調。同種の飛龍があざやかに刺繍され、一方波濤文様は水引とは少し変化した文様です。 埒(ラチ)今年は、会所内の飾り席の正面に、御神体の人形を拝見しました。御神体の神功皇后像は鎧を脱ぎ狩衣をまとった姿の人形です。住吉明神・鹿島明神・安曇磯良の三神が共に鉾に安置されます。上掲の駒札によれば、屋形の前に住吉明神、艫部に鹿島明神、舳先に龍神の安曇磯良(アズミイソラ)に安置されるそうです。ぐるりと眺めながら一巡した後は、四条通を横断して新町通を上ります。新町通の北方向には、南から順に、南観音山、北観音山、八幡山と3つの山鉾が点在しています。つづく参照資料*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020*企画特集「祇園祭」 京都新聞*大船鉾 :「祇園祭」*大船鉾 ホームページ*祇園祭の山鉾巡行 「大船鉾」に新装飾品 ベトナムから寄贈 :「NHK」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -2 南観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -3 屏風祭・北観音山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -4 八幡山・屏風祭・鷹山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -5 役行者山・黒主山 へ観照 祇園祭後祭 Y2023 山鉾巡り+α -6 鯉山・橋弁慶山・浄妙山・鈴鹿山 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。探訪&観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡り+α -1 長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾 へ 7回のシリーズでご紹介観照 祇園祭前祭 Y2023 山鉾巡行 -1 長刀鉾・山伏山・白楽天山 へ 7回のシリーズでご紹介
2023.08.14
コメント(0)
=== 2023.8.3 === 南の空9時20分頃に撮りました。快晴。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空には横雲が浮かび、グレーの空です。 東方向の空15時45分頃に眺めると、雲の姿はかなり変化がみられます。青みがかった空に。 南の空 白雲が大きく広がっています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向には雲は少しです。 頭上の空 南の空18時25分頃には、また雲の姿は大きく変化しています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけても雲がかなりかかってきました。 頭上の空いずこの方向も、雲の姿を主体に見るということでは青空とのバランスがいい感じ。 東方向の空 東方向の空19時10分頃にも撮ってみました。稜線上空に夕焼け雲が見えました。 南の空 夕焼け雲の部分をズームアップ!南西方向の空 西方向の空 西の空にも少しだけ夕焼け雲が見えます。晴れた一日でした。さて、雲がたりを続けます。真民さんの『六魚庵天国』には、「六魚庵の泉」と題する詩にも「雲」が出て来ます。 六魚庵には井戸があったが 浅くて水は飲めなかった すぐ近くに湧き出る泉があって からはじまります。著者は「コギトの泉」と呼び 水を汲みにゆくのが 私のきまった日課だった 時には茜の雲が映り その紅(アケ)ごと汲むことがあった そんな日はわたしの心も 晴れ晴れした と詩のなかばに「茜の雲」が詠み込まます。 29行の長い詩は、次の4行で終わります。 時の流れの返らぬことを 春行き夏去り秋となり 冬の早いことを いつもこんこんと教えてくれた 、「六魚庵主の願い」という詩にも詠み込まれています。こちらは全文引用です。 人生を愛するが故に 詩を愛する わたしの詩は そこから生まれなくてはならない ひとりのなげきが 万人のいのちとなり ひとりのよろこびが 万人のちからとなり 水のように清められ 雲のように高められ 虹のように色どられ 幼な子のように 詩神の前に跪きたい わたしの詩も そこまで行かなくてはならない (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社) 詩に対する著者の気高き信念を感じる・・・そんな詩です。雲の変化に戻ります。=== 2023.8.4 === 南の空9時20分頃に撮りました。雲が集合! 小型の雲が集まってきたという感じ。青空が程よく見えます。南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけては、雲の雰囲気は張り出してきたという感じ。ぐんと詰まっています。 頭上の空 ちょっとズームアップして夾雑物を避けて、南東方向の空を切り出すと、全く姿が違った雲の姿です。やや護送船団風の雲の集まりです。 東方向の空稜線上空の雲の姿も全体図は珍しい形です。青空なので白雲が映えます。 東方向の空15時5分頃に眺めると、全く様変わりに。夏雲昇るという景色です。コントラストが良いですねえ・・・・。夏空の定番って感じ。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空18時35分頃に撮りました。青空には白雲が広く漂っていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空頭上を含め、南から南西、西方向への雲の広がりとその姿もおもしろいですね。高積雲:ひつじ雲と称される部類の雲になるのでしょうか。ウ~~ン。 南東方向の空 東方向の空 稜線上空の雲もまた、様変わりです。ほんと、雲の変化は激しいですねえ。つづく補遺雲の種類は10種類!高さなどの特徴やめったに見られない珍しい雲もご紹介!:「じゃらんニュース」ひつじ雲 と うろこ雲 を見分ける :「hiroshima-times ひろしまnews」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.13
コメント(0)
=== 2023.8.1 === 南の空9時過ぎに撮りました。小粒な雲が浮かんでいるだけで青空が広がっています。快晴!南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空に目を転じると、稜線上空には夏雲が伸び上がっています。 東方向の空13時25分頃に眺めると、稜線上の雲はさらに大きくなっています。白雲に微妙にグレーの色調が様々に微妙な変化を加えている感じです。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲が少し増えました。 南の空17時25分過ぎに眺めると、雲の密度は高まっています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 やはり夏雲らしいな・・・。 東方向の空稜線上空はすっかり雲に覆われています。雲の姿は大きく変化していました。 東方向の空1時間後、18時35分頃に再度眺めると、大きな変化はありませんが青空が少し見えます。 南の空はおおきな雲の塊に変化していました。雲は白鼠(銀色)がかっていました。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向の空は雲が少なく青空が広がっています。 頭上の空方向により、雲の広がり具合にかなり変化が見られます。晴れた一日であったことは良かったのですが、暑い日でもありました。8月も7月の暑さと変わりなくクーラーに頼る日々が続きます。さて、久しぶりに雲がたりを加えます。手許の書架に『坂村眞民全詩集』(大東出版社)全六巻があります。背表紙には「眞民」と記されていますが、奥書では「真民」と表記されています。以降、真民と表記します。第一巻の奥書をあらためて見ると、手許の本は平成2年(1990)10月の5版。初版印刷は昭和60年(1985)10月となっています。真民さんのある詩の一節に心惹かれて全集を買い揃えたのです。それ以来、時折部分読みはしてきましたが、通読してはいません。真民さんが、詩の中で雲を詠みこんでいるか。詠み込んでいるとしたらどのように取り上げているだろうか・・・・。そんな思いから、この機会に通読を兼ねて、該当箇所を少しずつ引用ご紹介していきたいと思います。そんなつもりで第一巻を繙いたら、「六魚庵天国」という詩集から始まります。その最初の詩が「六魚庵箴言」と題する詩。この詩の「その二」に「雲」が出て来ます。 貧しくとも 心はつねに 高貴であれ 一輪の花にも 季節の心を知り 一片の雲にも 無辺の詩を抱き 一碗の米にも 労苦の恩を思い 一塊の土にも 大地の愛を感じようこの詩は「その四」まであります。「貧しくとも 心はつねに 高貴であれ」 このフレーズ、いいですねぇ・・・・そうありたい!次の「六魚庵偈文」という短い詩にも、雲が詠み込まれていました。 死んでも 空の青さがあり 墓石なくとも 雲は 悠々の 影をおとしてゆく 日月星辰 また変わるなし 噫(ああ) 以て安心立命せん 以て瞑目し往生せん「雲は 悠々の 影をおとしてゆく」 毎日雲の姿を眺めていますと、雲は悠々ということを実感として感じます。来たりては悠々と過ぎ去っていく。ずっと留まり続けることはない、晴れた日の山並みを見ていると、雲が影をおとして移り行くという事象を山の緑の濃淡の移ろいで実感します。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.8.2 === 南の空13時25分頃に撮りました。大小様々に大きさと形が違う雲が青空を背景に浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空雲の姿っておもしろい。全く同一の姿ってないですね。 東方向の空稜線上空がはっきりと二層に分かれています。夏雲群団と青空に。 東方向の空16時頃に眺めると稜線上空は様変わり。今度は大きくは二つの雲の塊が二層になっている感じです。青空はどこへやら。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空18時45分頃にも撮ってみました。この雲の状態もそうそう見かける姿ではありません。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上は再び力を取り戻したかのように、雲が湧き起こっています。正に千変万化です。つづく補遺坂村眞民記念館 公式サイト 坂村真民について坂村真民 詩 :「臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺」坂村真民の名言 :「地球の名言」念ずれば花開く…「祈りの詩人」坂村真民の世界 作品に込められた“優しさと愛情”【岡山・高梁市】 :「8OHK」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.08.12
コメント(0)
8/8に四条に出る用事があったので、細見美術館に行くことと併せて出かけました。美術館からの帰路、三条大橋にさしかかると、木製高欄の更新作業の関連で設置されていた囲いを撤去する作業がなされていて、最後の段階でした。そこで、木製高欄が更新された結果を撮る事ができました。冒頭の景色は三条大橋の北側(上流側)です。 東詰北側の高欄傍から、北側の高欄の更新後の景色を撮ってみました。最終作業段階だったので、未だ立入禁止。おかげでスッキリとした欄干の景色が撮れました。 東詰南側の高欄 南側の橋上の歩道はかなり前から通行できるようになっていました。 しかし、囲いの柵が設けてありましたので、このスッキリした姿は初見です。 南側歩道を進み、橋の途中、西側から欄干を撮った景色 西詰には小ぶりな弥次さん喜多さんのブロンズ像が立っています。その近くから橋の南側を眺めた景色。 鴨川の河川敷を三条から四条まで、久しぶりに歩いてみることにしました。ここを歩く人は少ないので、コロナ禍が下火とはいえ、疎な空間として歩くのに利ありです。人を気にせずにすみます。 この景色の左側に「みそそぎ川」が流れています。 こちらが「鴨川」。特に、三条大橋から南の四条大橋の間は、ずらりと人々が河川敷に座り込んで一時を楽しむという名物スポット。熱中症警戒アラートが毎日のように出ているこの時期、昼間にはさすがに人々の姿は閑散とした状況でした。 すぐ傍、みそそぎ川の西側に鴨川をどりで有名な「先斗町(ポントチョウ)歌舞練場」があります。 三条大橋と四条大橋の中程から、三条大橋を眺めた景色。左側、みそそぎ川のその上に、張り出して架設された「納涼床(川床)」が並んでいます。納涼床の夜のきらめきは、京都の夏の風物詩の一つです。ほどんどが、夏季にだけ架設されるものですが、年中設置されている川床もあります。右側の河川敷の芝生のところに、人の列ができます。座り込んだ人々の中間に次のカップルらが座るからでしょうか、橋の上から眺めるときれいにグループごとで等間隔に人の列ができています。 立ち位置からズームアップした三条大橋ここからは序でに、余談です。 南に向きを変えれば、四条大橋の景色です。みそそぎ川の上に設けられた「川床」の構造体が並んでいます。 四条大橋をズームアップ。右側の、四条大橋東詰の隣り、四条通の南側に見える瓦屋根は「南座」です。南座の前、四条通北側にはいまやレトロな風貌となった、大正15年(1926)竣工のビルディングがあります。老舗のレストラン菊水があるところ。 逆に、四条大橋西詰南側には、もう一つのレトロなビルがあります。日本で有名なウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による建物の一つ。いわゆるヴィーリス建築です。こちらも大正15年(1926)に建てられました。スパニッシュ・バロック様式の建築物。こちらは東華菜館という北京料理の老舗です。(資料1,2) 河川敷から四条大橋西詰北側に出る通路の傍に「位置案内」の碑が設置されています。鴨川に架かる橋についての表示と現在地を示しています。 四条大橋から下鴨神社に到るまでの区間、鴨川に架かる橋です。 四条大橋・現在地と表示されています。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) ウィリアム・メレル・ヴォーリズ :ウィキペディア2) ウィリアム・メレル・ヴォーリズ :「建築パース.com」補遺先斗町歌舞練場 公式サイト納涼床 :「京都観光Navi」夏の京都は「川床」で粋に。涼みながら美味しい食事や趣ある景色を堪能しよう :「びゆうトラベル」レストラン菊水 :「関根要太郎研究室@はこだて」東華菜館本店 :「京都観光Navi」こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 京都市 三条大橋 木製高欄(南側)の更新観照 京都市 三条大橋 木製高欄(北側)の更新 (続)観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (1) 3回のシリーズでご紹介観照 先斗町歌舞練場・観劇と鴨川畔
2023.08.11
コメント(0)
全648件 (648件中 151-200件目)