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2006年10月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今、朝に「牧場の少女カトリ」の再放送をしている。


今回はちょっと思ったことが二点。

第30話 「美しい白鳥のように」
貧しい家の10歳の少女カトリは、看護婦さんに会ったり、その当時は非常に珍しい女性のお医者さんの卵に会ったことで、将来の夢を描くようになる。
人との出会いによって、種がまかれたわけだ。その種は、少女の中で順調に育ち、小さな芽をだしていた。

でも、前のお屋敷の女主人はカトリのような娘が欲しいととても好意的だが、「カトリには無理だと思うわ」と言う。
頭はよくても学校に行っていないのだから、看護婦や医者は無理だという至極当然な発言だ。
その後、その場にいた雇い人の女性がカトリと二人になった時に「努力すればなんにだってなれるって見せて欲しい。カトリだったらできるわ。」と励ます。


女主人も決して悪気があるわけではない。強いて言うなら、空気がよめない、鈍感、デリカシーがないのだ。
将来の夢がかなうか、かなわないかの賭けをしているのだったら女主人の方が分があるだろう。
でも賭けをしているわけではない。
将来に希望を持とうとしている、夢を持とうとしている少女。それを応援するか、夢をしぼませるか、ということ。
生まれたばかりの小さな芽を、育てようとするのか、引っこ抜く行為をするのか、ということ。

もう一点。
この後、今のお屋敷の女主人の息子に、童話「醜いあひるの子」の最後の場面を読み聞かせるカトリ。
読んでいくうちに声が詰まってくる。そして、涙を流す。
そして、こちらの女主人は、そっと「 カトリ。あなたも白鳥になりたいのね。 」と話しかける。

これは、声優さんが見事!
「あなたも白鳥になりたいのね」

ただカトリの気持ちを言葉にしただけ、カトリの気持ちがわかったというだけの言葉になっていました。
余計な演技をしない演技。演技って、こういうことだよなぁって思った一場面でした。





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最終更新日  2006年10月12日 17時11分35秒
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