全83件 (83件中 1-50件目)
2021年大晦日です。日本酒を夫婦で飲んで、ちょっと一休み。歳をとるって、面白いですね。昔わからなかったことが、あぁそうだったのかとわかる時がある。それはまぁ、自分の愚かさだったり、未熟さだったりでもあるのですけど。その自分の愚かさや未熟さを、それが私なんだなぁと受け入れることができる年齢になったようです。誰もが「世界に一つだけの花」。それは分かるけれど受け入れられない未熟さってあるじゃないですか。例えばバラとかカーネーションとかガーベラとか華やかな花の中で、自分がカスミソウなのはなんでだろう…みたいな。「お前はなんでバラやカーネーションやガーベラじゃないんだ!」と言われて育つと、それが刷り込まれてなかなか幸せを感じられなくなっちゃうみたいな。今年イモカタバミという花を知ったんです。雑草といえば雑草ですがかわいい花です。そのイモカタバミに「バラになれ!」という方が無茶なんです。イモカタバミも「バラでなくてごめんなさい」って思わなくていいんです。イモカタバミはイモカタバミで元気に咲けばそれでいい。まぁ私は花ではないので、がんばればなんとななるんじゃないかとか、自分の努力が足りないせいじゃないかとか、あがいてきたんですね。でも、これ以上頑張っても意味がないとようやく気がついたんです。この年令になって、やっとそう思えるところまで来ました。イモカタバミはイモカタバミの良さがあるんです。とてもかわいい花なんです。とっても遠回りでしたが気がつけてよかった。
2021年12月31日
コメント(0)
前回の記事が2019年12月。今2021年10月。またもや2年近くが過ぎてます。最後に親の家に行ったのが2018年12月。2019年、2020年、そして今年の12月で丸3年。あちらからは一度だけアプローチがありました。去年の秋頃、姉から兄弟あてのメール。叔母(母の妹)からの提案で父の供養を兼ねて集まらないかといわれたんやけどいかが?・三回忌や七回忌でもないのに?。・なんで叔母からの提案?姉からの提案やったらまだわかるけど。・父を大義名分にしてるんやったら、それは父がかわいそうやと私は思う。・それに今、コロナ禍やで。感染のリスク上げてまでしないといけないこと?以上の理由から、遠慮したいわ~と返事。大義名分の件は、姉もそうやろうなぁと同意。その後は音沙汰なし。ということで、そっちの方面ではとっても穏やかな日々です。ありがたし。
2021年10月25日
コメント(0)
ははは、前回の記事が2018年1月。またもや2年近くが過ぎました。2018年12月に亡父の法事もどきがあり、その時から老母には会っていません。汚家片付け手伝いの連絡も絶えたからです。片付けどうなってんの?などと、自ら禍いを招くようなことはしません。2019年は、義父が病気で亡くなりました。11月12月と亡父の弟妹が相次いで亡くなりました。香典を姉に立て替えてもらったので、立替分どう渡したらよいかと問い合わせました。正月に老母の家のどこかに置いておいて、とのこと。必要と思われる用事がない限りあの家には行くつもりがない。ということを、宣言しようか迷いました。まぁ、シンプルに伝えることしました。お正月には行きません。振込先か現金書留か、どっちがいい?数日たちますが、返事はまだありません。ということで、老母に最後に会ったのは2018年12月。一年経過。そんなこともあってか、また凝りもせず見ている発言小町。今はこの話題。(笑)■子供のいる娘・いない娘https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2019/1215/925213.htm想像ですが、次女さんの気持ちはとても良くわかるのです。こっちを向いてほしい。私を認めてほしい。そして親のためにいろいろ尽くす。そして、残念なことに、尽くせば尽くすほど親に利用されてしまう。親はそれが当然で不満に思うほうが親不孝と考える。子供心に思ったものです、都合よく使われるようになるんだろうな、貧乏くじをひくんだろうな、と。私を認めてほしいという思いと同時に、親の態度に傷つく度に対策も取らねばならないと思った10代でした。つまり、産んでやった、育ててやった、〇〇してやった!と親が言うのを、どれだけ小さくできるかどうか。高校は、2箇所から奨学金を借りて、制服から修学旅行まですべてまかないました。大学は、国公立に入る頭はなかったので、一年浪人中に入学金を貯め、授業料免除してもらえる大学に行きました。授業料免除の毎年の申請は、ちょっと嫌な思いもしましたが、仕方ありません。家から遠い大学だったので夏休み等のバイトは交通費と教科書代などに消えました。そして当時の母は私に言いました。授業料免除等のことは親戚に言うな、と。当時は、父のプライド保持のためかと考えていました。私の大学進学を、あの母は親戚に何と言っていたのかは知りません。まぁ兄の葬式の時の、顔見知りではない親戚の私への態度を考えると、姉を持ち上げて妹(私)を下げるのは当然のことながら、よい風には言っていなかったんでしょうねぇ。それと、私は母親の愚痴のゴミ箱でした。私が他の親戚と仲良くなって、母がこう言っていた、ああ言っていたなどと話したら、母が困ります。母にとっては、私と他の親戚が仲良くなるのは防ぐ必要があったのだろうと、今はわかります。働きだしてから家にお金を入れつつ、一人暮らし準備貯金を貯める。一人暮らしと同時に分籍届提出。あの小さいアパートのドアを開ける瞬間の安心感。幸福感。結婚してからは、夫婦で年始の挨拶。父が亡くなってからは、兄弟で決めた送金を続けています。大丈夫、もういいよ、って声がします。送金は続けますが、無駄な年始の挨拶には行きません。それに、義父が亡くなって喪中ですしね。今の幸せを、再確認。
2019年12月24日
コメント(0)
前回の記事が2016年5月…。2年半近くのご無沙汰しておりました。その間に私は50代に突入しました。精神年齢は未熟なまま半世紀を生きてしまいました。数年前から、兄弟で話し合って、親に毎月送金をしています。飛び飛びですが、姉と都合をつけて親の家(汚家)の片付けに行きます。兄弟への協力というスタンスです。去年の12月に老父が89歳でなくなりました。1年が過ぎ、今年の正月には、例年通り老母のいる家に挨拶に行きました。先日、老母が酔って買い物に出かけ転倒したと姉からメールが来ました。以前腰を手術して入れていた棒が折れたらしく、その為の手術が必要になりました。手術の立会に行ってくれないかと姉からメールが来ました。ダメですね。1人で、あの老母の近くにいるかと想像するだけで、ダメでした。"先約の用事がある”と姉には返事をしました。1人で、あの老母の近くいないといけないとしたら、犯罪者になるかもしれません。それぐらい側にいたくないです。やっと陽の当たる場所にたどり着いたのに、暗黒の嵐の中に戻らないといけないのか。犯罪者になるよりは、葛藤して自分を苦しめるよりは、距離をとって冷たい人間と評される事を選びます。そして、決めました。もう父もいないあの家に年始の挨拶にも行きません。送金と、汚家の片付け(姉への協力)のみにします。ええ、言えます。私はやるだけのことはやったと。兄のように自死せず生き延びたことを、先をゆく仲間たちが認めてくれるでしょう。仕返しもしません。ただ静かに距離を置くのです。相手を害さず、自分も害さない距離を、置くのです。
2018年01月30日
コメント(0)
![]()
ひとりごとメモです。前回の発言小町の記述が3年前。月日がたつのは早いです。小町は、時々削除されてしまったり、時の彼方に追いやられてしまうので、その対策。もうすぐ40歳になるのに困った娘です http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0427/760144.htm現在39歳の既婚の娘に、子どもを持つように必死になっている母親からの発言です。これをメモしたのは、昔に読んだ「平気でうそをつく人たち」@M・スコット・ペックを連想したからです。「平気でうそをつく人たち」の中に、ライフル自殺をした長男の、そのライフルを次男にクリスマスプレゼントをする親の話がでてきます。(P61の「ボビーとその両親」)次男はクリスマスプレゼントにテニスのラケットが欲しい、と言っていました。父親は、次男がなにを欲しがっているかわかるわけがない、覚えてないと言います。ライフルをプレゼントしたことについては、「われわれにしてやれる、いちばんいいプレゼントを息子にしてやった」。そういう人がいるんだ、想像がつかない、と思いました。それで、上記の発言小町の発言です。ご本人は、悪いことはしていないと思っている。自分がしたことは仕方がないことだと思っている。娘のことも理解できないし、レスをしてくださっている人の文章もわかっていない。多分、何より自分がしているいることがわかっていない。だから、子どもを産んで欲しいという思いだけは最後まで変わらない。親からのクリスマスプレゼントを喜ばない息子。いくら言っても子どもをつくろうとしない娘。多分、外から見たら、一般人で、普通の親。でも、自分に非があると想像できない思考回路を持つ人が、ゆるぎのない自分の正しさで押していく。ターゲットにされた子、人の恐怖はいかばかりか…。【楽天ブックスならいつでも送料無料】平気でうそをつく人たち [ M.スコット・ペック ]
2016年05月21日
コメント(2)
「昔の人は偉かった」という関西ローカルの番組の1コーナーがあります。アナウンサーとタレントの男性2人が、昔の人のように日の出から日の入りまで(街道等を)歩くというコーナーです。菅笠にジャージ姿はいいとして、靴!いつも同じ靴というわけではなさそうなんですが、たいてい普通の靴っぽいんです。それが、ようやく厳しい峠越えのためにトレッキングシューズを履いたみたいです。(紐の結び方がルーズで、ええのか!とおもいましたが。)この前「いゃ~トレッキングシューズっていいですね!」とタレントさんの方が言っていたんです。そしたらコメンテーターの一人が、「最初の頃にトレッキングシューズにしなさいって言ったでしょ。なんで今まで履かなかったの。」という趣旨のこと言う。その答えが、「軽いスニーカーの方がいいと思っていて…」。実際に歩いてたいへんな思いをしているのは自分なのに、「靴は軽いほうがいいからスニーカー」という思考からとらわれて、アドバイスをスルーしてしまう。ちょっとショックを受けました。客観的に、悪気なく「人の話を聞けない人」の「聞けない」を目の当たりにした気がしました。そして、もしかしたら、私の母親も「悪気なく人の話を聞けない人」なのかもしれないと思ったのです。以前、私の母親は、「山野みかん」という個人ではなく「母の娘」としてか見ていないと書きました。小学生の頃は、私がうまく伝えられないから、わかってもらえないんだとも思っていました。でも、もう能力的に「わかりたくてもわからない人がいる」んですね。今はもう、心理的に離れているので、平和なんですが、10代後半に、このことに気がつけばもう少し早く楽になったかもしれません。
2014年08月08日
コメント(0)

いろいろ迷ったのですが、やっぱり買いました。革の鞄。稼ぎは少ないし、実用的であればまぁいいか、という姿勢で長年すごしてきたのですが、(今の私にとって)贅沢をすることにしました。この鞄は私にとってのランドセルなのです。昔ならありふれたことなのですが、私のランドセルはお古でした。ただ兄弟の中で私だけがお古でした。最初は気が付かなかったのですが、使っているうちにいろいろ剥がれてきて、鈍感な私も気が付きました。背中と接する面の1/3程に(消えなかったのでしょう)油性のマジックインキで書かれたと思われる落書きの跡があり、それをテープで覆い隠してありました。留め具にはイニシャルのシールを張ることになっていたのでしょう、コアラのシールの下からそのイニシャルがでてきました。仕方ないことと自分に言い聞かせつつ、私の僻み根性を育ててしまったモノであります。というわけで、お古のランドセルに気がついてから我慢し、一番下の弟も新品のランドセルだとわかった時からふてくされていた子どもの頃の自分へのプレゼント、というわけです。今回、気がついたことがあります。子どもの頃の私であるリトルみかんは「私も、私のランドセルが欲しい!」と訴えるべきでした。買ってもらえるかどうかは、親の都合。それは仕方がない。でも、それなら、なおさらリトルみかんは主張しなければいけなかったと思うようになりました。主張しなかったリトルみかんは、新たに傷つく危険を回避したと同時に自分のこころを自分で凍らせたのです。私自身も、親にとって都合のいい子に仕向ける加担をしてたのです。「私のランドセル」を手に入れることで、私は長年の課題と向き合い、リトルみかんの味方になれました。何がしたいか、何がほしいか。自分の感情に向きあうこと。幸せになる基本ですね。
2013年09月09日
コメント(2)
Web日記サービスに書いていた頃の過去データが何処かへいってしまいました。データはCD-ROMに焼いたと思うけど、そのCD-ROMはどれ?状態です。(^^;;一枚一枚チェックする、のは、もういいか…という気になりました。もう過去は振り返らなくていい、ということかもしれません。ダンシャリですね。とは言え、時に、記憶の奥から浮上することがあります。今回は「二重にかかった虹」の話です。-----------------------時は、私が20代前半。姉が運転する車に、姉の子ども二人、私と母親が乗っている。沈黙。私「あっ、虹が二重にかかっている。」母「そんなことあるはずないやろ!」(バカにした感じで。)沈黙。姉「あっホントや。見てみ~。」子どもたち、ワイワイ。母(孫にこびるように)「あ~ほんとやね」-----------------------幼い頃から、私が子どもで未熟で上手く伝えられないから、わかってもらえないのだと考えていました。あがきながらも翻弄されていました。本で知識を得てようやく、心の揺れをおさえて、心理的に母親を観察することができた瞬間でした。母の一言で「ウソツキ」にされる次女という立場を、哀しいながらも確認した瞬間でした。母の言葉にうろたえずに言い返す力があれば、また別の展開になったかもしれません。でもその力は"親への愛情"です。私の親への愛情は、扉はたたけば開くと信じた20年近くの徒労の果てに、枯渇してしまったんですね。まぁ、それは私の中で済んだ話であります。それで今回は何かと言うと、その母親の意識ってどういうのだったのかな?と思ったわけです。「次女の発言は、確認せずに、否定してもよい。」「なぜなら私は親なのだから。」という、無意識の定義を持っていたとする。それで、彼女(母親)が得られるものは何か。「否定する」ということは、そのモノより上の立場であることを確認できる行為、なのかもしれません。「優越感」を感じることができる。「快」を感じることができる。日々の生活の中で、貴重な「快」。周囲の人に対してはそんなことはできない。自分より下のモノ。子どもたち。長子は、最初の子。いざという時頼りする長女。長男は、大事な男の子。次男は、かわいい末っ子。次女は、ちょっとぐらい憂さ晴らししてもよいよね。なにせ、親は大変なんだから。「あんたはまったくもう!」と見下ろしたい。気持がいい。なにせ私は親だから。まあ、あのこは、頑固だし、多少のことじゃへこたれないだろうし。小さいな「快」にふりまわされる彼女(母親)。かわいそうね。小さな次女は、もう私ががっちり守っているから大丈夫!
2013年08月28日
コメント(0)
あな吉さんの手帳術につづき、ゆるりまいさんの「わたしのウチには、 なんにもない」にゆっくりぼちぼち影響を受けています。「わたしのウチには、 なんにもない」の中で印象深かったのは、震災での体験です。家の中が片付いていないと、家にあるモノが凶器になる。家の中が片付いていないと、必要なモノが取り出せない。先月、親の家に行く機会がありました。今までと変わらず、親の家は、モノであふれています。今までと変わらず、老いた父はモノの中で寝ていました。変わったのは「家にあるモノが凶器になる。」という私の視点です。担架も運び込めない、かもしれません。親の家はまさに非常時に凶器になる家だ、と思いました。でも、私は何も言わずに親の家を後にしました。何か言う権利があるのは、親の家の前に住む弟夫婦です。小姑が口をはさむことではない。はさんだとしても、親が家をリフォームするときに(その時同居していたのですが)蚊帳の外だった私の意見など一顧もされないのは火を見るより明らか。きっと、たぶん、最期まで反面教師でいてくれるのでしょう。
2013年08月01日
コメント(2)
私は「手帳術」みたいなものが好きです。能率手帳、システム手帳、ほぼ日手帳などなど。そして、たいてい手帳といえばビジネス関係だと思っていました。本屋さんにいけば、関連本はビジネスコーナーにあるからです。そして最近は、私をわくわくさせてくれるものが減ってきて、もうたいていのことは言い尽くされてしまったかなぁと思っていました。ところが、最近、金の鉱脈を見つけました!「あな吉さんの 人生が輝く! 主婦のための手帳術」です。出会ったきっかけは、ここから派生した『子ども手帳』に関するのブログ記事でした。「子ども手帳で、目指せ!長男自立への道~」@書道のはな*みちさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/hanamichi33/diary/201305020000/「おてつだいリスト」に貼った付箋を見る。実行する。「できたこと」にその付箋を移す。シンプルなことですが、何か腑に落ちた感がありました。TODOリスト、付箋、ポストイット、いろいろ知っているし、幾度となく試してきました。でも、どうも自分にしっくりこなかったのです。久しぶりに「これだ!」と思って、いろいろ検索してみると、これが「あな吉さんの手帳術」から派生していること、この手帳術を活用されている方がたくさんいることを知りました。そして多くの方が自分流にカスタマイズしようと試行錯誤されている。そこが素敵だと思いました。ビジネス色のサイトばかり見ていたので目から鱗です。つながっていなかったものがつながった感じです。それにしても、この「子ども手帳」で育つお子様たちはいいですね。何をすればいいのか明確になるので、遊びも勉強も集中してできそう。その上、自己マネージメントの基礎が子どものうちから、それと知らずに身に付きそうです。あっぱれ「子ども手帳」!
2013年06月20日
コメント(0)
もうあんまり見なくなった発言小町。でも、興味深いトピックを見つけました。「娘が非常に冷たい」http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0527/595279.htm娘を愚痴のゴミ箱にしていた母からの発言です。私はもう母とは距離を置いた身ですが、このトピックの皆さんのコメントには励まされたような応援された気持になりました。そして、トピックを立てた方には、母の気持を代弁してもらった気になりました。そしてもう一つ。「理解のない娘 」http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0613/599006.htmみどりさんという方のコメントの中に「自分が親になってわかった自分の親の親力の低さ」というのがありました。「親力」。つまり機能不全家族というのは、親力の低い家庭。この方がわかりやすい!と思いました。親力の低さを自覚していな親が、インターネットを使える時代になってその発言を読むことができる。よくもわるくもなかなかな時代になりました。でもなんだか、相手の立場になって考えてみる、という事ができなくかっている人が多くなってきている気もしています。追記。反対に、どんどん「親力」をつけて素敵になっているトピック。「娘が変わってしまいました・・・ 」http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0508/591259.htm試行錯誤しながら、でも正面を向こうとすることで「親力」を身につけていくんでしょうね。少しちがうかな、親力があるかないかじゃなくて、そうあろうとするかどうか、かもしれません。
2013年06月15日
コメント(5)
まだ引きずっているのかと思われたくなかったけれど、ひきずっているようです。「これで最後にする」を何回繰り返したら本当の最後になるでしょうか。件の元友人から年賀状が来ました。ただ、いつも必ずあった美しい文字での一言がありませんでした。私は出さず、返事も返しませんでした。以前彼女からの年賀状がなかった時に、何かあったのだろうかと「お元気ですか。まだまだ寒いですね。」と寒中見舞いを出しました。元友人から私へのそんな便りは、当然ですが、ありません。彼女への誕生日カードも去年から止め、今年も過ぎました。「年賀状」「誕生日」。イベントが終わりました。何と言うのか、アプローチの仕方がこんなに違っているのに、私自身がそれを直視していなかったというのを確認しました。見たくなかったのだと思います。「彼女は友達!」というのが一番で後は目隠しをしていたのです。では、彼女が嫌いなのか?と問えば、そんな思いは湧き上がってこないから不思議です。今年に入って職場の人と待ち合わせてランチに2回行きました。「気になるお店があるんですが、一人で行くのもなんなんで、もしご興味があれば一緒に行きませんか?」という距離感です。そして思ったのは、私の中の友人や知人のグループ分けと付き合い方が単純で硬直したものだったのかもしれない、ということです。当然のようにこの人は友人、この人は知人、この人は…というふるい分けをしていました。そうじゃなくて、私とその人とは縁という糸で結ばれている、という考えが浮上してきました。その糸は、絹糸かもしれないし、毛糸、麻糸、ビニールテープ、ロープ…かもしれない。長さも色々。短いけれど細い糸。遠いけれど太い糸。その糸の強度に合った調度良い力加減で、お互いにピンと張る、というのが良いのかもしれない。きちんと手入れをすれば細い糸が徐々に強くなっていくかもしれないし、放ったらかしで切れてしまうかもしれない。こっちが手入れをしていても、向こうが手放せば、残念ながら縁がなかった。その反対もしかり。一期一会でも糸は張れる、と思う。買物で「これ下さい」「はい、どうぞ」だけでも、波長があえば、ピンと糸が張れる気がする。会う人、会う人と、丁寧にピンと糸を張る気持ちで接すれば良いのかもしれない。それを恐る恐るでも徐々にきつく引っ張って、友人だったらこれぐらいでは切れないはずと試していた気がする。「友人」という言葉にとらわれて、相手に無理を強いていました。無茶していました。ごめんなさい。相手を見て、この人との縁の糸の種類や強さ、お互いの張り具合を感じるようにしよう。それがどんな糸でもきっとピンと張れた時は気持ちがいいはず。そして、残念な時もある、ということを受け入れよう。私も、相手も、晴れの日ばかりではないから。そんなことをぼんやり思っていたので言葉にしました。
2013年02月28日
コメント(0)
1つの言葉。それに対して異口同音に「わかった!」の声。「わかった!」を発した本人たちは、皆それぞれわかったつもりだし、確かに皆それぞれにわかった。でもその「わかった」を持ち寄れば、十人十色。それは、自分自身でも同じ。今の自分と、数時間前の自分とでは、別人のことがある。同じ言葉に対する、自分の「わかった」も時間とともに色合いがかわる。正直、自分の中で色合いがかわる事を「軽薄」とか「考えなし」とかと思っている面があった。そうならないために私はとても「意固地」だった。昨日の「ほぼ日」の「今日のダーリン」というコラム。過去の文章は残さない主義らしいので、ここは一部引用とさせてもらう。引用:ここから--------------------------------あなたから「誇り」を奪い取ってしまおうとするのは、実は「誇り」を持てないで苦しんでいる人間だろう。「誇り」をなくさないでいる人は、他の人の「誇り」を奪ったら、じぶんの「誇り」が失われることを知っている。引用:ここまで--------------------------------この類のことは、いろんな本で何度も読んだと思う。何度も出会って、何度も「そのとおりだ」と思った。そして昨日も、改めて「そのとおりだ」と思った。でも、「そのとおりだ」と思う自分自身の色合いが違う気がする。以前は、誇りを奪う人はそういう人だから、と思って、耐えようとしている感じ。今回は、自分の誇りを維持する姿勢に、「なるほど」と思った。自分の感じ方が変わること。自分の中の「意固地」が緩むと、小さいことだけれど、そういうことが面白いと思えるようになった。
2012年09月17日
コメント(2)
ほぼ日の「おとなの小論文教室。」Lesson603 なけなしを差し出す途中から胸がつまって、泣けてきた。その場にいた人はなおさらだろう。「真摯」という言葉が浮かんだ。環境にもよると思うけれど、この「真摯さ」や「真面目さ」「一生懸命さ」がバカにされる雰囲気が、子どもの頃にあった。きっと今もあるだろう。「ずるさ」が「賢い」こととされる雰囲気。「得をする」ことが「正しい」こと。「わがまま」が「自由」。何かおかしいのに、図々しさとセットなそんなモノがまかり通る。それに対抗する強さもないのに、不平顔な私。ズーニーさんが紹介してくれた彼女の真摯さと強さ。それに涙した自分。自分を好きで居るためには、不器用でも、損でも、かっこ悪くても、彼女のように真摯な道を選ばないといけないんだろう、と思った。でも、柔軟性も忘れずに、かな。
2012年09月13日
コメント(4)
前回の日記を書くまでに、影響を受けたこと。発言小町。「友達に気になっていた事を指摘したばかりに音信普通に・・・。」友人関係でスルーされた立場が同じ(^^;;色んな人のコメント、参考になりました。それからほぼ日の「おとなの小論文教室。」「Lesson602 恐れを伝染させない言葉-4.憶測をやめる」引用:ここから-----------------------昨年、忙しくてメールの返事をため込んだ期間があった。その時ムッ! としたメールが、「お返事がないんですけど、 どうされたんでしょう? いえ、私はゼンゼン急いでないんですよ。 でも、ズーニーさんがどうかなったんじゃないか、 ご病気でもされたんじゃないかと心配で メールしました。」困ってるのはどっち?引用:ここまで-----------------------相手のことを心配する呈でいながら、その実、自分の都合を匂わせる。あぁ、耳が痛い。ここまで露骨じゃないにしても、これ、わたし、やっちゃっています。「返事ちょうだいよ。なんでくれへんの?」と書くと自分が自分本位のわがままな人間に感じるので、コトバを弄するんですね。京都の「ぶぶ漬け」の喩えみたいな感じ。「そろそろ帰って」と言えないから、「お茶のおかわりお持ちしましょうか?」と言うような…。…そうなると関西圏の言い回しになって許容される気もするけれど、ちょっと考えてみて、意識して使うようにしたい、と思う。そんなことを思ったのでした。
2012年09月06日
コメント(0)
粘着質をお許し下さい。過去にするといいながら、まだ書きます。多分、スッキリするか、忘れるまでモヤモヤするんだろうと思います。友人とのことを過去にすることは決定です。悩んでいません。友人からのメールがストップして3週間を過ぎ、もうすぐ1ヶ月。今回のやり取りの途中で、忙しくて返事がかけない時は一文でいいのでそう知らせてと伝え、向こうも了承していた。その上でのメールストップ。私のメールを不愉快に思い腹を立てたとして「なんで、そういうこと言うの!」と怒りのメールを返すのではなく、放置というかスルーされたということは、本当に「あ、もうやってられへんわ」と見放されたのだと思います。彼女の性格で振り回されていたというより、彼女にとって私はその程度だったから振り回されていたのかもしれません。それを彼女の性格の一部としてしか見ていなかった私。つまり、その程度に「軽く見られている事実」を私自身が認めたくなかったのですね。それを認めたくないために「友人」である彼女にしがみついていた…。私の母親が私に「娘」役を求め「私自身」を見ていなかった構図と同じかもしれません。あぁ、ショック。私は言葉に支配されるタイプなんです。「○○をしてはいけません」と言われれば、しない。「○○をしましょう」といわれれば、するように心がける。なぜそう言われるのかは考えるけれど、心からそれがしたいかしたくないかという私自身の感情は棚上げにしがち、ということを再認識。(^^;;;「友達100人できるかな?」とか「新しい友をつくろう、古い友も忘れず。新しい友は白金、古い友は黄金ぞ。」とか、「友達は大事」という金科玉条。私は、友人自身を見ていたんだろうか?それとも「友達は大事」という言葉を見ていたんだろうか?いや、今回の件はチョット違う。私は友人自身を見ていたかった。知りたかった。だから何度かアプローチした。でも、彼女は「現在の山野みかん」を見たいとは思っていなかった。私はそれに腹を立てていた。そして、それが今回の流れになった。彼女が「現在の山野みかん」に興味がないのなら、それは仕方ないこと。モヤモヤしていたのは「友達は大事」というコトバに私が縛られていたから。高校からの友人は彼女が最後だったから。嫌な思いをさせてごめんなさい。楽しい思い出をありがとう。元気で、笑顔で過ごせることを祈っています。
2012年09月06日
コメント(0)
過去にするといいながら、またグタグダと書いちゃいます。私の中では「嫌味」というのは「悪口」と同類で言ってはいけないことでした。ではなぜ「嫌味」を言ったかというと、「夫婦できちんと話し合った上で、子どもにパソコンを与えているっていう前置きが抜けてるやん。そんなん知らへんから、いろいろ心配して苦言を訂したのに、その思いは無駄やったん?なんか私、バカみたいやん。」という本音を書きたくなかったから。上記のような返事を書いたとしたら、相手からは「夫婦で話し合っている事ぐらい言わんでもわかるって思ってたけど、みかんにはわからへんねんな~。前置きぬけてて、ごめんごめん。」と返されるだろう。相手の言葉が足らない故に振り回される。そうでなければ、エスパー並に行間を読むことを望まれているんだなぁ…。これは、野球の100本ノックを頑張ってキャッチする、みたいなイメージかな?昔の私は、「友人」の100本ノックなら頑張ってボールをキャッチします!だった気がする。対して、私は相手が受け取りやすいボールを投げようと心がけていた。100本ノックというより、私は友人の「ボール拾い」だったのかも知れませんね。みかんなら、どんなボールを打っても、小言をを言いながらも拾ってきてくれる。私の「これからは心配に思っても口出しはしないようにするわ。」という言葉は、「守備範囲外のボールはもう拾いません」と宣言したようなもの。それだったらみかんとやり取りする意味がない、と友人が判断したとしても、それは理解できる。私は、友情をつなぐためにする振り回される「ボール拾い」はやめようと思った。それは、友情ではなく、私の他者へのしがみつきだと思ったから。まぁ、とりあえず、今はそう思ったのです。
2012年08月26日
コメント(0)
よくありそうな子持ちと子どもがいない人とのメールでのやりとり。子持ち友人:子どもの方がパソコンの使い方が上手くて、もう何しているのかわからないわ~。ちょっと心配。子なし私:え、そんなのでいいの。しっかり考えて、親がコントロールしないと!犯罪とかに巻き込まれてからじゃ遅いよ。子持ち友人:ちゃんと夫婦で話し合ってる。子なし私:余計な事だったね~ごめんね。これからは心配に思っても口出しはしないようにするわ。その後、友人から連絡が来なくなった。(^^;;言葉にしなかった私の思い。夫婦できちんと話し合った上で、子どもにパソコンを与えているっていう前置きが抜けての発言やん。例えば、子持ち友人:夫婦で話し合った上で子どもにパソコン与えてるけど、私が理解していない操作も簡単にやっちゃって、ちょっと心配。子なし私:二人がちゃんと考えた上でなら、大丈夫なんじゃない?それに、お子さんパソコン操作得意なんだね、すごいね!と返せたのに…「えっ!大丈夫?」と心配になって伝えても、後出しでいろいろ出されるのかぁ…と思った。それで「これからは心配に思っても口出しはしないようにするわ」という事を嫌味を含んでいるのを承知の上で書いたのでした。そんな前置き書かなくてもわかってくれる、と思っていたんだろうな。ここに、このモヤモヤを書くことで、以上の件は過去にします。さぁ、今日のするべきことをしよう!
2012年08月26日
コメント(4)
友人にモヤモヤするということは、結局、私を大事にして欲しい、私をわかって欲しい、と思っちゃってるんですよね。じゃぁ、お前は相手のことをわかっているのか?まぁ、向こうがするよりは大事にしていた、と思っているけれど。でも、それも私だったらして欲しいことで、もしかしたら相手にはありがた迷惑だったのかも、と思ってはいますけれど。向こうはきっと、みかんがそうして欲しいと思っているのはわかるけどつい忘れちゃうのよね~、レベルだろうな。ハガキ3通だしても、その件に関しては、音沙汰なし、とかね。きっと「えっ、もう終わったことだし、気にしてた?ごめん。」くらいなんだろうなぁ~。ああ、私ってネチネチ粘着質。まったく「友人」ってなんでしょうね。先日、別の友人から「会おう」とメールが来た。こっちも「わ~い、会おう!」となって、ワクワク週末計画をたてている。この感じがないのは、まだ距離を置いておくべき時期ということなんでしょう。彼女に関しては、「友情の水やり」を書いた時、一方通行のバースデーカードを辞める決意をした時が境だった気がします。そうか、もう私にとって彼女は過去なんだ。昔、一緒に過ごした記憶があるから繋がっている。でも、私はもう過去を温めたりしないし、過去に生きないと決めてしまった。過去しか共通項がない。未来の共通項が、まだ見えない。未来の共通項…。関心事が同じとか、趣味が同じとか、生き方を尊敬しているとか、キラリと光る憧れるものをもっているとか。今は子育てとPTAが最重要課題の時期である彼女と、子どものいない私とでは今はちょっとズレている。今こそ、距離を置く時期なのに、どうして連絡してきたのかなぁ。距離を置く。今の彼女に、今の私はわからない。今の私は、今の彼女をわからない。友人だからわかってほしい、友人だからわかりあいたいと思う時期じゃない。メールの返信は、何も考えずさらっと流す、そんな時期なんでしょう。それでも、彼女が幸福で、笑っていて欲しいと思うのです。
2012年08月14日
コメント(0)
「気付かなかったというより、やはり自分を甘やかし、人にも甘えていたのかもしれない。」というのは友人のメールから無断引用。ここから「甘え」について、頭がゴチャゴチャ考えだした。確か「甘えの構造」って本、持っていたなぁと探したけど、処分したみたい。「甘える」のと「自分を甘やかしている」のと「人に甘えている」のは、どうも微妙に違う気がする。今回、引っかかったのは「人にも甘えていた」という点。この「人」とは、私も含めてだと思うから、まぁ簡単に私としておこう。うむむむ。う~ん、なんて書こうか。とりあえず、理屈は横に置いておこう。つまり「私の意志を無視して、勝手に甘えんな!」というような気持ちが最初に来た!そういうことだ。以前は「私は友人に甘えられる存在なんだ。気を許してもらっているんだ。信用されているんだ。」と、前向きに良いように思おうとしていた。私は、私の意志を無視して私を利用する人に、それは止めて不愉快よ、と言っていいんだ。むしろ言わなきゃいけない。そういうことだ。まだまだ未熟だけど、だいぶ健全になって来た気がする。「人に甘える」のと「人に甘えていた」いうのは、違う。「人に甘えていた」というのは、相手が「NO」と言わないからずっと荷物持ちをさせていて平気な感じがする。「重いかなぁ」「そろそろ変わろうか」みたいな相手への思いやりが感じられない。私は(他者優先はほとほどに)私自身への思いやりを大切にします。
2012年07月26日
コメント(0)
件の友人と何通かメールのやり取りをしました。返事は私が返信した2日後でした。早いな、と思いました。そして、次は一週間たっても来ないので、やっぱりなぁと思いました。返信が来たのは9日後。忙しかったのだそうです。心の余裕がないそうです。これからすごく忙しい季節になるそうです。彼女は最初に、今年になって状況が変わったのでメールを再開しようと思った、と書いてきたのです。それならば、忙しいのが一段落して心の余裕ができてからでもよかったのではないでしょうか?と、思うけれど、そうストレートには伝えられないなぁ。久しぶりに私にメールすることが、良いことだと思ったんだろうなぁ。その時は。昔の事ですが、思えば、彼女は遅刻をする人でした。家を出る前に、洗濯物が気になって取り込んでいたら遅れた、とか。遅刻ではないけれど、最近人間国宝になった方の舞台を二人で観に行こうとした時、チケットを失くしたとか。時間を守らない。(自分の分だけでなく相手の)モノを失くす。当時の私には考えられない事でした。そして、意識にのぼらないようにしていたけれど、みかんなら、遅刻してもかまわない。みかんとの観劇なら、チケットも大したことない。そう思われているのかと感じていたのでしょう。内心キリキリと怒っていたと思います。10代~20代だったし(^^:今回も、彼女にとってやはり私はその程度なんだと思いました。でも、そうなのかな?ともっと彼女にフィットする考え方はないかと探ってみました。それで思いついたのが風見鶏です。もしかしたら、彼女は風によって向きをかえる風見鶏なのかもしれません。今目の前にあるものだけに意識が向く、のです。待ち合わせの時間は、目の前にある洗濯物の向こうにあるのです。舞台のチケットは、「今日じゃない」というのが繰り返されて、その向こうに埋もれてしまった。自分の誕生日を祝われるのは嬉しいけれど、友人の誕生日はその日の用事のその向こう。パソコンを使わなければいけない状況、という風に吹かれて、私へのメールが手前に来ただけ、なのかも知れません。彼女は、私へのメールの為だけには、パソコンの電源は入れないということです。風見鶏にこっちを見て!というのは、無理難題。風見鶏に吹く風の向きを、風見鶏も知らないし、わからない。私も知らないし、わからない。だから、気にしないことにします。風見鶏の向きが、私の方に向いた時に、手をふればいいのかな。風見鶏に穏やかな風が吹くことを願っています。
2012年07月23日
コメント(0)
2011年02月15日 友情の水やり上記の日記に書いた友人からメールが来ました。ご無沙汰してましたがまたメール交換しましょ、という内容でした。私から見れば、なぜ?それはどういうこと?と突っ込みどころ満載のメールでした。その謎や疑問を問うたら、相手は責められていると感じるだろうなぁ、と思いました。疑問を問うて、答えを得てすっきりしたい私。その奥に、いつもの「私をわかって!」という叫びが見えました。私を友人と思ってくれているのなら、私をわかってくれているなら、そんな文章は書かないでしょ!と私は相手を責めているのです。推測するに、友人はある種のぐちを言う相手を探したところ、私を思い出したのでしょう。”あぁ、こんなことAさんにもBさんにも言えないなぁ。そうそう!みかんにやったら言えそう!久しぶりにメールしてみよう”という感じでしょうか。そういう気持ちのところに、なぜ?それはどういうこと?という攻撃的な返事をもらっても相手は閉口するだけ。件の友人は、そんな返事は欲しくないでしょう。楽しいメール交換がしたくて、メールをしてきたのですから。わかりました。件の友人は、私のことを思ってもいないし、わかってもいないのです。友人にとって、私はその程度の存在なのです。私はそれを認めます。認めなくてはいけません。事実なのですから。私は、この先、その友人とどういう関係になりたいのか、まだ答えはでていません。ただ決めていることはあります。自分を大切にすること。相手に振り回されないこと。がんばります。
2012年07月10日
コメント(4)
その人とは10年以上会っていません。会っていた頃から、違和感がありました。その後、年賀状だけのやりとりをしていましたが、私からは出さなくなってもう何年になるでしょうか。それでも、その人からの年賀状は届きます。そして、封書の手紙が半年の間に二通。以前感じた違和感というのは今思えば、私の「NO」を受け入れてくれない、ということです。私は彼女の厚意を受け取る役で、その役の中に「NO」のセリフはないみたい。そんな感じを持っています。私が年賀状を出さないこと。彼女からの年賀状にも返礼をしないこと。彼女からの手紙に無反応なこと。鈍感な私でさえ2年年賀状がなければ、残念だけれどフェードアウトかなと思うのに、その遙か上を超えてのアプローチ。彼女の知っている私は10年以上前の私。その昔の私にアプローチしてくる手紙彼女の中での物語はどうなっているのか、ちょっと興味があるけれど、怖い気もします。
2012年03月23日
コメント(2)
年始に親の家に行った時のこと。近所に住む下の弟夫婦の事を訪ねたら、私たちが来ることは知っているからと母。父親のことを聞いたら、そのうち降りてくるだろうと言う。それを聞いた上で連絡するのは、母の面目を無視する形になるし、弟家族も急かせるような気がした。結局は弟家族は「もう来てたん?連絡してくれたらいいのに」とのこと。これはと思い父の部屋に向かった。なぜ、母はこんなことをするのだろう。少しでも私たちを独り占めしたいのだろうか。少なくとも弟家族が来るまでは、私たち夫婦は母の相手をしていた。相手をしたらしたで、母も何も話すことがないからぐちぐちとしたことを聞かされていた。墓穴をほってるなぁということをぐちぐちと。遠くに住む父の妹の病気が、かわいそうな病気だとか。いつのことだか上の弟が小さい頃の写真がほしいと来た(けれど写真は長女の姉の分以外は未整理)とか。会った記憶もない祖父の兄弟のことを「知っているやろ」と言われて「知らんなぁ」と言ったら「あんたは関心がないから!」ときつい口調で言われた。夫が「いやいや普通知っているといったら"おじ・おば"くらいですよ。」というと、母は黙る。父の妹(叔母)のことは、嬉々として心配している振りをする母の姿が目に浮かぶ。上の弟の写真のことは、母親として忸怩たる気持ちがないのか、あるけれどそれの裏返しなのか、それよりも写真の整理さえできないほどその当時は大変だったと言いたいのか。今は音信不通の上の弟が、自業自得とはいえ、少し不憫。同じことを繰り返すにしても、父は、会えたことをただ嬉しそうにしている。それだけでいいのになぁ。
2012年01月12日
コメント(4)
苦しい時に、苦しいって言っていい。楽しい時に、楽しいって言っていい。きっと、してはいけないのは自分の心に蓋をすること。苦しいのに、苦しいって認めないこと。楽しいのに、楽しいって認めないこと。ただ、誰かにそれを直接伝える時は配慮がいるかもしれない。いわゆるTPOというもの。(愚痴のごみ箱にされていたという経験があるからね。)相手を気遣って、自分の心に我慢させたがちな人たちへ。あなた方が、心に蓋をしないことが、私を安心させてくれます。がんばりすぎないでください。お願いします。
2011年04月20日
コメント(0)
何も出来ない罪悪感に負けそうなので、せめて負けないように…。最初はここでした。■発言小町:被災してもいないのに、調子が悪いですhttp://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0316/394982.htm■「あなたの力が必要」その日のためにhttp://www.hokkaido-np.co.jp/cont/saigai_dekirukoto/---自分を奮い立たせるために。-------------■高校の校長先生の言葉http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/■明日の空。関西のちちんぷいぷいという番組から発信されている曲です。http://www.youtube.com/watch?v=hcOGrEWYGiY
2011年03月21日
コメント(1)
友人に、誕生日おめでとうと書いたはがきを送りました。でも、返事はこないでしょう。そういう人なので、仕方ありません。以前、珍しく友人からきた手紙の中に、私のからの便りを読んだ時はなんとも思わなかったけれど(アクシデントがあって)じんわり来た、という趣旨のことが書かれていました。私は、友人から手紙が来たら、すごく嬉しいです。でも、その友人は、きっと「ああまた来た」というだけなのかな、と思いました。手紙(はがき)の内容は、相手の状況がわからないので、あたりさわりのない月並みなことしか書けません。そんなこともあって、彼女にとって私の手紙はダイレクトメール並なので返事を書く必要がない。そんな風に思われているのかもしれません。彼女から返事がなくても、仕方ないと思ってきました。これは私の自己満足だと。例えていうと、植物に水をやる感じです。この友人関係を枯らさないように、時々水を与えようという、自己満足の行為。でも相手が「手紙が来て嬉しい」という感じではないのだとしたら、水のやりすぎかもしれません。友人は、きっとそんなに水をやらなくてもいい植物のタイプなのでしょう。でも私は、何年も会っていなくて、近況もわからなくて、年賀状のやりとりだけだと、久しぶりに会った時はほとんど初対面の人と同じじゃないのかな、と考えるのです。それが不安だったのです。私が、友人関係にしがみついていたんですね。友人は、向こうが私を必要とした時に、ふいに連絡をくれるんだと思います。出産祝いに(私的にはかなり奮発して)○○を贈りたいと思っているんだけどと相談したところ断られたので、それでも喜んでもらえるようにといろいろ考えて普通レベルのお祝いを送りました。そして、数年後、その○○を買ってくれないかなぁ、と連絡がきてびっくりしたことがあります。私は万年金欠病なので、(あの時はなんとかなったけど)今は無理やわ~、と断りましたが。お互い生活環境がちがってきて温度差がでてくるのはしかたがありません。だからこそ、少しでもそれを緩和しようと思っていました。でも、これは、私の不安感のためのしがみつき、なんでしょう。返事をくれない。都合の良い時だけ連絡してくる。そんなことに私はモンモンとしている。でも、それを訴えて、私の望むように行動することは彼女にとって負担になるでしょう。相手に負担を強いるのは、この場合、おかしい。私は、私の中の彼女を開放しなければいけません。それで、疎遠になったとしても、それは仕方ない、のでしょうね。私は、この植物(友人関係)を大事に育てようと、季節を見て程々の水やりをやってきたつもりです。もう、十分できることはやってみたので、水やりはやめます。この後枯れるかもしれないし、もしかしてかえって元気に育つかもしれません。ただ、元気で幸せでいて欲しいといつも願っています。
2011年02月15日
コメント(2)
先日、夫が出張で、ひとり夕飯でした。簡単なシチューを作りました。夫はホワイトシチューが好きではないので、ふたり夕飯の時には作らないものをつくろうと思いつきそれはいいアイデアに思えました。いいアイデアだと思ったですが、ただどうしてもひとり分を作るのは面倒くさいと思ってしまうのも事実。その面倒くさいを振り払って作りました。ちょっと多めになってしまったけれど。それで、出来上がったらちょっと味が薄かったのです。でも一皿目はそのままでぺロり。さておかわりです。お鍋にある分の味を調節することも可能です。でも、面倒…。そのままでもいいや…。どうせ食べるの私だし…。だめですよね。この思考。夫がいたら、少しでもおいしく食べてもらいたいので味を調整します。他者にはするのに、自分にはしない。あかん!あかん!と台所に立って味を調整しました。一皿目よりおいしくなりました。自分の中の面倒くさがりな面と自分を大切にしない面。小さなことですよね。でもこれに侵食されているのです。同じような小さなことを、何度でも修正しこうと思います。自分をしつけなおします。幸せになるために。
2011年02月03日
コメント(1)
一年ぶり以上でS氏関連ネタ。・(一年以上貸していた夫の紙袋二つ分の)本を返してもらう。・S氏宅で新しく購入した洗濯機の設置を夫も手伝う。(男手が必要。)・(洗濯機設置の礼として)夕飯をごちそうになる。ということで、S氏宅へ訪問することに決まった。でもこれって夫ひとりで十分、というか、私は行く必要ないよね、と私は思った。「あら、そう。行ってらっしゃ~い。」「…行かへんの?(ムスっとした声)」私、スルー。今回、私自身はあまりモンモンとはしませんでした。年末だし、夫が出かけている間に台所の換気扇周りやコンロを掃除して、時間があったら年賀状作りをしようと計画。それでいいやん~。でも、S氏宅訪問の直前になっても、夫は私を連れて行く気まんまん。今回はモンモンとしていなかった分、私も、私なりに文句を言いましたよ~。「なんで、行くのいややねん」とか言うから、「私が行く必要ないと思うし、行きたくないから。」と言えましたよ~。そしたら、私の友達との付き合いももうせえへんからな!って言うんです。私の友達との付き合いは、その度に夫の意見を聞いて、行きたくないと言う時に無理強いしたことはありません。でも、私の友達のお付き合いだからと我慢してつきあっていた、と言うんです。それも、もうせえへんから、やって。Aをしないんやったら、Bをするぞって…「それって、脅迫?」って言えました。私も、全部拒否しているわけじゃないでしょ。今回は私は必要ないでしょ、と言えましたよ。でも、わさわざ夕食用意してくれているのに!って言うんですよ。そしたら、「そんなんやったら、行かへんと連絡せなあかん」とか言うんです。私のせいで、自分の友人との付き合いをキャンセルする、って言うんです。「そんなん必要ないやん。一人で行ってきたらいいやん。」って言ったんですが、通じないんですね。今回私は(ちゃんと意見が言えたかはわからないけれど)夫のおどしやきょうはくにそんなにたじろがずに、いられたのです。そうしたら夫も激昂してきたのか、「あ、この人、泣くわ」って状態にしてしまいました~。「おれにはSしか(友達が)おらへんのや~」だって。夫って滅多に泣かないんですよ。へへ、泣かしちゃった。でも、そこまでしても、私に「お願い」はしないんですよね~。初めて私が夫を泣かしちゃったので、まぁこのへんでいいかと、S氏宅訪問に付き合うことにしました。そしたら…・洗濯機設置にトラブル発生したのか、男二人は戻ってこない。(奥様お子様たちと私)・そのうち様子を見に行った奥様も帰ってこない。(お子様たちと私)これで二時間半くらい。この後、「わざわざ夕飯用意してくれているのに」といっていた夕飯の鍋の材料を買いに、S氏夫婦は買い物へ。その間、お子様たちと私たち夫婦だけ。夫はお子様たちとゲーム。私も、多少お子様たちの相手はしましたが、三時間半以上ほとんど何もできない状態、です。というか、全面的に子守しといてね状態ですよね。まあ、いつものことだけど。・わざわざ夕飯用意してくれているから私が行かないと失礼やって言っていたけど、用意していなかったやん!・私が一緒に訪問しないと付き合いが切れるみたいなこと言っていたけど、それやったらその程度のつきあいやねんやん!という、嫌味が浮かんだけれど、そこはぐっと押さえました。ただ、これから私の友人との付き合いに夫は誘いません。私は、夫がいなくても、友人たちと問題なく付き合えますから~。
2010年12月19日
コメント(2)
「穴のあいたバケツで水汲み」は、コミック「エースをねらえ!」での言葉。どんなに頑張って水汲みしても穴のあいたバケツでは駄目。まずは穴を直しなさい。ということ。1.穴のあいたバケツで、一生懸命水汲みをしていて、辛かった。2.自分のバケツは穴だらけだと気がついた。3.気がついただけでは駄目だと気がついた。4.バケツの修理に励む日々。5.少し水汲みが楽になって来た。ようやく5の段階に来た感じがしています。汲んだ水で、お茶を淹れましょうか?花を育てましょうか?したくて、できることは、きっとなんでもできるんですよ。楽しみです。
2010年11月26日
コメント(2)
まず私は、特定の宗教には入っていません。噂に聞くセミナーのようなものにも行ったことはありません。ただ、色んな本を読んできて、この類のことでいろいろ思うことがあったりします。また、その思うことも変遷してます。でも、首尾一貫していないけれどもそれでいいんだと思うようになりました。いろんなことが、その時の私の、坂道を歩く時の杖だったり、夜道を歩く時の懐中電灯だったりするんだと思います。それで、こんな風に考えてみた、さてどうかな?というのを書いていこうかなぁ~と思っています、今は。だから、宗教色が濃くなるかもしれないけど、ちがうよ、ということを、今、書きました。
2010年11月24日
コメント(0)
気がついたら、このブログのトップページのリンク先が閉じていました。「iswebライト」終わっちゃっていたのね。(^^;;これを機会にちょっと方向転換してみようかと考えています。どっちの方向かと言うと、「どうしたら今と未来の自分を幸せにできるか!」です。時には落ち込むこともあるだろうけれど、グチグチなこともあるだろうけれど、基本はそっちの方向で行ってみようかと考えています。へんに宗教色がかっていたり、変なセミナー風になりませんように(^^;;;。
2010年11月22日
コメント(2)
自己評価が低いと自覚している人には、とくよく見慣れた言葉。自分を大切にする。自分を好きになる。私も、「そうだよね」「そうでなくては」と、そっちの方面に向くようにコツコツ努力、というか方向修正してきたつもりです。でも、正直なところちょっと無理があったのは否めない。「大切にしてるよね」->「うん。粗末にはしてないしね。大丈夫。」「好きだよね」->「後ろ向きじゃないしね。以前よりはずっと、ね。」ながらく、そんな感じできました。それでですね、最近おそまきながら『断捨離』という言葉を知ったのです。簡単に言うと、お掃除・片付け・整理整頓の本です。(まだちゃんと読み込んでいないから、勘違いしているかもしれませんが…。)まだ使える。だから「モッタイナイ」という気持ちで捨てられなかったたくさんのモノ。それを、「今の自分にふさわしいモノか?」という基準で取捨選択するということ。使えるかどうかの「モノ」が基準ではなく、「今、私が使うかどうか」が基準。その基準で見てみると「整理整頓」だけでなく、いろいろ発見がありました。自宅で一人で食事をする時。まぁいいかと簡単にすましていました。でも「今、私は何が食べたい?」というか、もし私が大切な友人だったとしたら何を出す?なぜ、大切な友人にはだしたいそれを自分にださない?子どもの頃、周囲がしていた(私にはその程度のモノでいいという)態度を、私自身にとっていないか?食べ物だけでなく、「モッタイナイ」からと着ていたちょっとよれた衣類やら、「まだなんとか使えるから」と使い勝手がわるいのに残していたモノやら…。これは「モッタイナイ」わけでも「大切にしている」でもない、ですよね。自分を大切にする。自分を好きになる。という課題の次のステップがみえてきたような気がします。
2010年10月01日
コメント(3)
夫は忙しいので、家にいるとたまったDVDや録画番組の鑑賞時間になります。ある時、夕食時間にアニメ「「空の境界」 痛覚残留」。初っ端からレイプシーン。「今、これを見るの?」。こちらを見ず、「うん」。私はさっさと食事を終え、その場から離れました。でもそれ以降、食事時にどの映像を流すか、私に選択させてくれるようになりました。夫は俺様でワガママ大王なので、時々モラハラ野郎の気があるかもと不安になる時もあるのですが、伝わったら行動を変えてくる、時もあります。
2010年09月21日
コメント(0)
たまたまつけた夕方のTV番組。アナウンサーが町の人に声をかけて集合写真を撮るコーナー。そこで、出演メンバーから「あれはあかんは。悪魔の囁きや。」との声。当の女性アナウンサーはなんというか、失言でしたすみません、でもなく、ちょっとどうして?というふうな表情をしていたように私には見えた。どうもその女性アナウンサーは、「徒歩」で全国一周している男性に「車を使えば」のような発言をしたらしい。今していることの意義を覆す発言。(その男性は集合写真には来なかったようです。)あぁ、この女性なら言いそうだ、と思ったのでした。以前にも、えっ、そんなこと言っていいの!と思ったことがあったのです。一見、明るくて、素直で、ちょっと天然?かなぁという印象なのですが…。例えば、町の人相手に「信じられな~い」という一言にしても、場を盛り上げるためのではなく、相手を否定する感があったり。「そうだよね!」と自分の思い込みで、相手にNoと言わせない勢いがあったりだとか。そうか、学生時代によくいた、私の苦手なタイプの女性なのですね。当時は穏やかに敬遠すればよかったのでちゃんと向きあっていませんでした。私は「押し」に弱いので彼女のような人のペースに流されてしまいがちです。TVの中の人だし、ちゃんと彼女を観察して、どこが私にとってひっかかるのか、彼女のよい点はどこか、そういう意識を持って見てみるのもよいな、と思いました。
2010年09月18日
コメント(0)
般若心経というお経の中に、すべては空なんだよ、と書いてある。それを知った当時は、驚いた。えっ、人生に意味はないの?「はみだしっ子」というコミックの中に「生きることに意味はある。その意味を考えろ。」という趣旨のセリフがあって、消えてしまいたい自分のストッパーにしていたので、余計、どうしようかと思った。般若心経の真意はきっとまだまだ私の手の届かない奥深いところにあるんだろうと思い、保留。でも、最近「すべては空なんだよ」という言葉に、のびのびとした感じを受け取っている。誰にも知られない草のような人生は空しい、と捉えていた。誰もが世界に一つだけの花だけれど、誰もが枯れて土に戻る。歴史に名を刻んだ人たちも、すごいと後の人に称賛されるだけで、土にかえった後の本人には及ばない。だったら、もっと自由にしてもいいんじゃないかな。生まれてきたからできることを、もっと自由にいろいろ挑戦してみてもいいのかもしれない。たとえそれが失敗するにしても。挑戦してみたいことがあって、それはワクワクすることで、でも、十中八九失敗するかもしれない。それでも、挑戦する機会が得られるのなら、挑戦するべきなのかもしれない、とちょっと思ってきている。それは損なことで、失敗して、大恥をかいたとしても、100年200年後には誰も覚えていない、多分。「すべては空だから」だから、この世に生まれてきて、ここにいることが許されている間に、やりたいことをやらないともったいない、のだと思う。それはきっと、どんなに年をとったとしても、たとえ明日死ぬとわかっていても、今できることをする、やりたいことをするというのは、命に沿っている気がする。で、なぜ、それができないか、できにくいか。その手かせ足かせを暴いて、はずしていくというのも、したいことのひとつかも。どのくらい軽くなるだろう。年をとるにつれ活き活きしていくスーパーおばあちゃんになれたらいいな。
2010年09月16日
コメント(0)
私は悪くない。そう思いたい私がいる。でももしかしたら、私が悪いのかもしれない。次の瞬間にはそういう声がする。「私は悪くない」と叫ぶ私の口をふさいで、さかしらな私が、計算高い私が、社交的にふるまう。問題は、なぜ「私は悪くない!」と叫びたい私がいるのか。全人格を否定された気になるからだろうか。「私は悪くな~い!」と泣き叫ぶ私を抱きしめて「よしよしおまえは悪くないよ」という安心感がほしい、のかもしれない。「存在していていい」という安心感がまだ足りない、のかもしれない。もしその基本部分が満たされたら、泣き叫ぶ私は消えて、大人な私が気負いもなく、「そんなつもりはなかったけれど、もしかしたら私のほうにも気がつかない点があったのかもしれないなぁ」と自然に思えるのだと思う。
2010年09月16日
コメント(0)
S氏からのお誘いが途絶えています。そろそろかなぁ、と身構えていた時期もありました。いつも前夜連絡だったりするので、自分なりの予定の変更、来宅準備などで焦るのです。「最近連絡こないね」と夫に言えば、藪蛇になりそうなので口にしません。あちらも平和で、充実した日々を送っていることを祈っています。…と書けば、詭弁でしょうか。でも、相手が幸せで忙しければ、こちらへの影響も少ないのです。まぁこの思考回路は、親の精神状態を安定させようと顔色をうかがった頃の名残りのような気がしないではありません。でもまずは、自分をゴミ箱扱いや、暇つぶしの相手や、子守扱い…にさせない、ということの優先順位を高くしたいと思うのです。
2010年09月13日
コメント(2)
なんとかオツキアイできました。夕食までのオツキアイじゃなかったのが、それなりに過ごせた点だったように思います。台所への侵入も防げましたし。次の課題は、拙宅に来た時のチェックですね。玄関に入った時から、「あっ、これはじめて見る」「こんなんあったっけ?」などなど。手洗いのために洗面所を貸したら、床の端によせてあった体重計とかその他もチェック。きっと「気づくのが礼儀」と思って、いろいろ「探して」くれているんでしょう。かつ「やめてくれ」オーラには気がつかないのでしょう。う~む。これは苦手な整理整頓ができるようになるための天のからの課題だと思って、前向きに対処…できるといいなぁ。
2009年11月09日
コメント(4)
久しぶりS氏ネタ。最近はメールで夫に連絡してくるけれど「明日どうかって」。その時点でもう寝る直前。私にそれをふる夫もどうかしてるんじゃないかしら。そりゃ夫婦二人の週末でいくらでも変更はきくけれど、数時間前に話していた「明日の私たちの予定は?」落ち着け私。きっとS氏も「急だから駄目だろうなぁ。でもとりあえず聞いてみるか!」という感じだろう。きっとそうに違いない。それで、約1週間後の日曜日をS氏家族の為にあけることになった。ボウリングかサイクリング、というあちらの指定。何故にボウリングかは不明。それだったらサイクリングでしょう、と言ってしまった。サイクリングは好きだけれど、お子様連れのサイクリングだ!私たち夫婦の「サイクリング」とS氏家族の「サイクリング」はきっと内容が違うぞ~。どこかの公園まで車で行って、その公園内をぐるぐるか!候補にあがりそうな公園は、どこも家から自転車で自走する距離(20kmもない)。その公園までの道々をのんびり寄り道しつつポタリングするのが楽しいのであって、車で行って同じ場所をぐるぐるなんて哀しいぞ!でもお子様連れでは仕方ないのか?そんな楽しくないことをしなくてはいけないのか?「オツキアイ」だもんなぁ。これぐらいは妥協点…かなあ。まぁ、私は一周ぐらいにしておこう。ぐるぐるするなら周回毎のスピードを計りたいけど、それは他の公園利用のみなさんの迷惑になってしまうから、しない。結局、夫の友人家族とのオツキアイとは、お子様の楽しむ事にオツキアイすることなんですよね。こっちにもオコサマがいたら、お互い様なんですけどね。あいにくオコサマはいないんですよ。S氏にはそれがミエナイんでしょうね。あるいは、そろそろ家族だけではおもしろくないから、あいつらも一緒にという、マンネリ回避のオプションかなぁ。子守りも、マンネリ回避のダシにされるのも、嫌なんだけどなぁ。どうやったら、私も楽しめるかなぁ~。
2009年11月06日
コメント(2)
義妹から電話があって、その電話に夫がでて、私の意志を確認するまでもなく義妹の子の運動会に行くことが決定されている模様。ちなみに我が家には子どもはいない。夫が子どもを持たないと決めていたから。私は子どもを育てたかったけれど、子どもを持つために結婚したわけではなかったので、この夫を選んだ宿命とあきらめた。小学生の頃から、もし私が親だったらと空想してきた。読み聞かせの本とか、グレン・ドーマン氏やシュタイナー教育のこととか、わくわくして読んでいた。結婚は、子どもを持ち育てることという価値観の人もいて当然だと思う。でも、私は、まず夫ありきだと思っていた。これは、私の実母が「夫が好きで結婚したのではない、子どもがほしかったからだ」と私に吹き込んだのも一因かなぁ。相手が不妊症だとわかり離婚するっていう話を聞いて、それは私の価値観とは相容れないとも考えた。夫の気が変ってくれるのを願った10年。かなり悩んだ時期もありましたが。仕方がないと、未練に多少踏ん切りがついたのは40歳になってから。そんな、子を持たない40代の女性が、幼稚園だか保育園だかの運動会という場所に居る、というのを想像して、目まいがした。周囲の女性のほとんどが子持ち経験者。先生方は先生の役割があるけれど、私の役割は?滑稽!。こっけい!。コッケイ!。夫はそれに気付かない。自分の血を分けた妹の子の行事に参加する伯父だもの。夫には役割はちゃんとある。他の園児の家族はたくさん来るらしい。私たちはそのための人員だそうだ。それでも、私は行こうとしている。夫に「私の気持ちを想像してよ」というような異議申し立てもせず。最初は確かに「私の気持ちを想像してよ」という気持ちはあった。でもなんだか「そんなのも、もう疲れたなぁ」という思いがでてきた事ということに自分でもびっくり。これは、今までの自分を脱皮する、ちょっとした機会なのかもしれない。新しいステージに登る機会になるといいな。でも、園児を持つお母さん。運動会にそんな(子どもがいない)女性が居るのを、正直どう思いますか?
2009年10月06日
コメント(4)
精神年齢はどうでも、何をどうあがいても、私は40代なんですね。現実を見つめるといのは、なかなか難しいことです。現実を見つめていないんじゃないよ。逃げてるんじゃないよ。毎日、その日その日を生活してるだけ。というのは、やはり逃げてるのでしょうね。または、年齢を数字として見てはいるけれど、実感していないのでしょう。40代、おばさんと言われても当然の年齢。「おばさん」に違和感がある人が「あらうんどふぉーてぃー」という言葉にひかれたのは無理のないことかもしれません。まず、実感、認識。現在位置を確認。そうは言うものの、やはり自分を自分で「おばさん」と認識するには抵抗が…。ということで、別アプローチ。あこがれの女性です。将来、どんな女性になりたいか、です。ターゲットはもちろん、いわゆる、「おばあちゃん」まずは、『西の魔女が死んだ』のまいのおばあちゃん『ハイジ』のクララのおばあさま『鋼の錬金術師』のピナコ・ロックベル『赤毛のアン』のマリラなどなど。さぁ、がんばらねば。
2009年09月23日
コメント(2)
速報。S氏から夫にメールがあったらしい。リゾート温泉に一緒に行こう、という内容らしい。なんで、子どものいない夫婦を誘うかなぁ。同じ子連れ家族と行けばいいのに。夫は、そんな先のことは(仕事の予定が)わからんしなぁ…とぶつぶつ独り言。今回も、休みを確保できない理由で回避かしら。対応はどうであれ、私の心の中で、いかに回避したらいいかではなくて、子連れとの宿泊旅行はしない(親類をのぞく)!と決心することにした。相手の出方に「反応する」から疲れる。自分の中での基準を決めて決断する、という練習が必要。「子連れとの宿泊旅行はしない(親類をのぞく)!」
2009年04月24日
コメント(4)
久しぶりにS氏宅に訪問する夫とそれにつきあう私。車の助手席に私のカバンと夫の上着。その上にすわるお子様。「鞄の上にすわらないでね」と私は注意。奥様がお子様をしかる。ビールを断ったのに、私の前のコップにビールを注ぐS氏。奥さまの注意でそのビールはS氏が飲むことに。またもやキャンプの誘いが出た。溜息。私も夫も何の返事もせず。お子様の前で、お子様付きのキャンプを上手に断る方法募集。
2009年04月12日
コメント(3)
![]()
きっかけがあって以前から良い本だろうなと思っていた『「食べない心」と「吐く心」』(小野瀬 健人/著)を読みました。子どもが何に傷つくのか。子どもが必要とする愛情と、親が与えていたと思っている愛情の食い違いを描いていました。子が摂食障害でなくても親なら、そして自分の親に悩む子なら、読む価値はとてもあるとおもいました。思っていたよりソフトな感じでしたが、でも摂食障害当事者の母親にはきついのでしょうね。子が非行や家庭内暴力そして摂食障害に向うのは、まだ子が親に期待しているのだと思います。「こっちを向いて!私を愛して!」とSOSを発している。ちなみに私は、私の親にそんなSOSを発しても無駄だと思い、感情回路を閉ざして生き延びました。遠回りでしたが、小心者の私には安全な道でもありました。よく耐えたと10代の私をほめてやります。
2009年04月08日
コメント(2)
子どもの頃、正月は着物だった。寝間着も、パジャマではなく、寝間着だった記憶がある。実は、かの母親が着物好きだった。確か着付けの資格も持っていたはず。「我が家は貧乏だ、貧乏だ」と子どもに吹き込むわりに、着物を反物から仕立てていたように思う。「つむぎ」「しょうけん」「そうしぼり」などの単語は耳から入った。でも、耳だけで、私はそちらの方に顔を向けなかった。関心を向ければ、「こんなことも知らないのか」「おまえはダメだねぇ」と喜々として言う姿が目に浮かぶ。正月に着物を着る時も、帯の色目など私の好みを聞く風で聞いていない。母親の着せ替え人形。だから「どっちでも」となげやりにだったように思う。大学生の頃。知らない間に草履がつくられていた。よく知らないが、着物もしたてていたような気がする。でもその頃、アルバイト代は学費や交通費で消えていきリクルートスーツを用意する金もなかった私には、「母親は私を見ていない!」「不必要なものに金をかける」「何が貧乏やねん」という怒りの火種の一つだった。しかし結婚するときに、留袖一式などは持たせない。わかるだろうか。子供の頃から着物は着せるが、自分で着物が着れるようにはしない。「私が着せてあげるから。」(そう言えば、なぜか10代以降、浴衣は作ってもらったことがない。)留袖は持たせない。「家(親)にくれば、着物はなんとでもしてあげるから。」「寄らせるべし、知らしむるべからず」の態度に、反発心むくむくの私でした。でも「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し」の感はあるのですが、着物に罪はなし、ですしね。そろそろ真っ向勝負の対決ではなく、おいしいものは上手にいただくような態度でいきたい、気もします。
2008年09月30日
コメント(2)
近、年齢のせいだろうか「和風」「きもの」に興味が向いている。子どもの頃から二、三十代にかけて、普段着で着物を着る同世代の人間は見かけなかった。お茶やお花、踊りをしていたらちがっていたかもしれない。でも、お茶、お花、踊りを習う私には違和感があるので、仕方がない、ことにしておこう。興味があるのは、お正月・成人式・冠婚葬祭に着る着物ではなく、日常で着る着物。本屋でもその種の本を見かけるので、流行りなのかもしれない。見せる着物ではなく、着る着物なのが、しっくりくる。それになんと言っても興味をそそったのは、アンティーク着物。安くて、おそらくサイズが私に合うものが多いはず!肝心なのが、着ていく場所がない。普段着なので、家の中で着ればいいのだけれど、う~む。着物着て、たすきをかけて、ご飯の用意をしてみたい。美味しい和菓子を揃えて、友人を呼ぶのもいいかも
2008年09月30日
コメント(2)
毒出しです。書かないと、いつまでも、心の中でぐるぐるしてる。たいしたことじゃないのに、いつまでも居てる。だから、書く。去年のお盆。いとこの奥さんの発言「子どもつくらへんの?つくられへんの?」それに連動して思い出す。結婚したばかりの頃。「みかんちゃんが結婚するなんて思ってへんかったわ」それに連動して思い出す。この人の旦那。つまり私の従兄弟の発言。私の大学入学について。「大学になんか行ったら、結婚できへんで」(「子どもつくらへんの?つくられへんの?」の件を友人に言ったら、絶句してくれた。嬉しかった。ありがとうね~。)この正月。親の家に挨拶に行った。その時の母親のセリフ。「みかんはこの家に泊まったことがない」一体どういう返事が欲しいのか、私にはわからない。「親の家に泊まったことがない」というのは、親が家をリフォームすると言いだした時と、私が着々と一人暮らしの準備金がたまった頃がジャストタイミングだったので、私は家を出たのだ。ちなみに母親はこうも言う。「みかんの部屋を用意していたのに」リフォームの時に、私の部屋を洋室にするか和室にするかの相談もなかった。何にでも使えるようにと和室にしたらしい。マンションで言うフリールームのようなものだと思う。そもそも、リフォームすることをどう思うか、と家族の一人として相談されることもなかった。私に相談していたら反対されると思っていたのだろう。私もその家で暮らすと考えていたなら、まず反対した。資金面で。でも、一人暮らしは就職してから着々と進めてきた計画だったので、リフォームの件がわかってから、この件の口出ししないでおこうと決めた。口出ししたら、その責は負わなくてはいけない。もうあの人の尻ぬぐいはしないと決意していた。もし、家族の一人として相談を受けていたら…「老夫婦が楽に暮らせる家」にしなきゃいけないと主張したと思う。これから老いた両親が住むのだから、階段は緩やかに、幅もある程度必要だと主張しただろう。しかし、実際は、階段は急で幅も狭かった。台所と居間が二階にある。来客がある度に、足腰の弱った老婦人は急な階段を降りて、戸の鍵を開けに行く。3階に、ガスや水をひけるように準備している。息子が結婚したら、一緒に生活できるように…。・弟たちの結婚相手が、同居してくれるかわからない。結婚相手の意志は?・母親は舅姑と暮らしたこともないのに、自分はする気なのか?。一番の問題は資金面だろう。口は出さなかったので、後で知ったが、20歳になったばかりの下の弟の知らない間に、弟の実印がつくられ、ここに判を押せと言われ、弟はわけのわからないまま判を押した。下の弟は某自動車会社に勤めていたので、それでローンがおりたのだと思う。このことを知っていたら、何が何でもやめさせた。少なくとも実印の重要性を弟に理解さようと躍起になった。でも、私は一人暮らしでこの家を脱出することしか見ていなかった。この親との関わりをこれ以上増やさないと決めて耳を塞いでいた。リフォームしてから10数年。弟たちはそれぞれ結婚した。でも同居はしていない。「みかんはこの家に泊まったことがない」母親は、どんな言葉が欲しいのだろう。
2008年01月11日
コメント(0)
私は、週数回、数時間の(厳密にはちがうけど)バイトを何年もしている。自分のお小遣い程度の稼ぎだ。時々、派遣やフルタイムのバイトなどで数ヶ月~1年、休むことがある。フルタイムの仕事では、まぁ、普通か、そこそこよい評価をしてもらえていると思う。単発でIT関連の夫の仕事の補助に入ったこともある。でも、私自身が長く続けられない気がして、短期のところにしか行っていない。簡単に言うと、その職場に過剰適応して、私が押しつぶされてしまうからだ。しっかりしなくてはいけない、責任をはたさなくてはいけない…。頑張ると、上司も機嫌がいい。あれも、これもと仕事を振ってくる。出来ないことは出来ないと断ることもできるようになったけれど、断ることに罪悪感はつきまとう。短期ならば先が見えているならばなんとなるけれど、先の見えない長期は怖い。そんなに気負わなくていいのかもしれないけれど、「仕事」なんだからきっちりできなくては、と思う。一度に複数の仕事がくると、焦る。「臨機応変」ができない。なにより「電話」が聞き取れない。という、弱点をなんとかして、長期の仕事ができるようにしなければ!
2007年11月22日
コメント(2)
[本当に欲しいもの]上記の日記に書いた人と会った。その日、その人が来ることを私は知らなかった。まめにチェックしていたら分かったのに、チェックしていなかった。その日、その場で知って、ドキドキした。避けたい、逃げたい私を、私の中で感じた。でも、それは小さいものだった。今の私は、あの時の私とは違う。彼女も、あの時の彼女とは違うだろう。でも、社交的な面は変わっていないはず。ニッコリ笑って、挨拶をすればいい。「ご無沙汰してます。その折りは大変失礼しました。お元気そうでなによりです。」この挨拶を頭の中で考えたら、少し落ち着いた。彼女が来たらしい。人気者だった彼女。いろんな人に取り囲まれていた。少し遅れて、その人だかりに近づいた。そして、顔を見て、お久しぶりだったか、ごぶさたしてますだったか、とにかく挨拶できた。彼女が帰る時も、挨拶できた。「お会いできてよかったです。」そう言えた。社交的な彼女は、誰にでも対応可能な昔と同じその笑顔でニコニコしていた。私の対応を彼女がどう思ったのか。私を図々しいと思ったか、私と同じくほっとしたのか、無関心なのか…。彼女の内面は知らない。そう、知らなくていいんだ。彼女の内面は、彼女の責任。私は久しぶりに会った人に、挨拶をした。挨拶できた。私は、自分の心の傷の、傷跡を確認した。痛いと思ったのは過去の記憶。もう、痛くないんだ。その時まで、彼女に会うことを知らなかったのは良かった。過去の痛みにおびえる時間が最短になった。天の采配に感謝。
2007年11月13日
コメント(2)
全83件 (83件中 1-50件目)


![]()