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2013年08月28日
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カテゴリ: 考えるイグアナ
Web日記サービスに書いていた頃の過去データが何処かへいってしまいました。
データはCD-ROMに焼いたと思うけど、そのCD-ROMはどれ?状態です。(^^;;
一枚一枚チェックする、のは、もういいか…という気になりました。
もう過去は振り返らなくていい、ということかもしれません。
ダンシャリですね。

とは言え、時に、記憶の奥から浮上することがあります。
今回は「二重にかかった虹」の話です。



時は、私が20代前半。


沈黙。

私「あっ、虹が二重にかかっている。」
母「そんなことあるはずないやろ!」(バカにした感じで。)

沈黙。

姉「あっホントや。見てみ~。」
子どもたち、ワイワイ。
母(孫にこびるように)「あ~ほんとやね」



幼い頃から、私が子どもで未熟で上手く伝えられないから、わかってもらえないのだと考えていました。
あがきながらも翻弄されていました。

本で知識を得てようやく、心の揺れをおさえて、心理的に母親を観察することができた瞬間でした。


母の言葉にうろたえずに言い返す力があれば、また別の展開になったかもしれません。
でもその力は"親への愛情"です。
私の親への愛情は、扉はたたけば開くと信じた20年近くの徒労の果てに、枯渇してしまったんですね。

まぁ、それは私の中で済んだ話であります。
それで今回は何かと言うと、その母親の意識ってどういうのだったのかな?と思ったわけです。


という、無意識の定義を持っていたとする。
それで、彼女(母親)が得られるものは何か。

「否定する」ということは、そのモノより上の立場であることを確認できる行為、なのかもしれません。
「優越感」を感じることができる。
「快」を感じることができる。
日々の生活の中で、貴重な「快」。

周囲の人に対してはそんなことはできない。
自分より下のモノ。子どもたち。

長子は、最初の子。いざという時頼りする長女。
長男は、大事な男の子。
次男は、かわいい末っ子。

次女は、ちょっとぐらい憂さ晴らししてもよいよね。なにせ、親は大変なんだから。
「あんたはまったくもう!」と見下ろしたい。気持がいい。なにせ私は親だから。
まあ、あのこは、頑固だし、多少のことじゃへこたれないだろうし。

小さいな「快」にふりまわされる彼女(母親)。
かわいそうね。

小さな次女は、もう私ががっちり守っているから大丈夫!





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最終更新日  2013年08月28日 13時21分04秒
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