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長谷寺

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長谷寺
Hasedera Sakurai Nara pref58s5s4272.jpg
所在地
位置
山号
豊山(ぶざん)
寺格
総本山
本尊
十一面観音 (重要文化財)
創建年
奈良時代 (8世紀前半)
開基
道明
正式名
豊山 神楽院 長谷寺
別称
花の御寺
札所等
西国三十三箇所8番
真言宗十八本山 16番
神仏霊場 巡拝の道 第35番
文化財
本堂、長谷寺経、銅板法華説相図(国宝)
木造十一面観音立像、仁王門ほか(重要文化財)
二本の杉

長谷寺 (はせでら)は、 奈良県 桜井市 にある 真言宗豊山派 (ぶざんは)総本山の寺院。山号を豊山神楽院と称する。本尊は 十一面観音 、開基(創立者)は 道明 上人とされる。 西国三十三箇所 観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。

大和 伊勢 を結ぶ 初瀬街道 を見下ろす 初瀬山 の中腹に本堂が建つ。初瀬山は 牡丹 の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる 牡丹 が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また「 枕草子 」、「 源氏物語 」、「 更級日記 」など多くの古典文学にも登場する。中でも「 源氏物語 」にある 玉鬘 (たまかずら)の巻のエピソード中に登場する 二本 (ふたもと) の杉 は現在も境内に残っている。

起源と歴史

長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば、 天武朝 朱鳥 元年( 686年 )、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて 神亀 4年( 727年 )、 徳道 上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。

長谷寺は平安時代中期以降、 観音霊場 として 貴族 信仰 を集めた。 万寿 元年( 1024年 )には 藤原道長 が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

長谷寺は 東大寺 華厳宗 )の末寺であったが、平安時代中期には 興福寺 法相宗 )の末寺となり、16世紀以降は 興教大師 覚鑁 (かくばん)によって興され 頼瑜 僧正により成道した 新義真言宗 の流れをくむ寺院となっている。 天正 16年( 1588年 )、 豊臣秀吉 により 根来山 を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正 専誉 により現在の真言宗豊山派が大成された。

十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く、他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称す






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Last updated  2009/09/22 06:51:22 PM
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