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第35回神奈川県・大和市の阿波踊りが7月23・24日両日行われた。今年は地元の連が15、全国からの友情出演連が25もあり、本場徳島からも参加している。大和市も一連のお祭は東日本大震災に気使って色々と中止の行事が続いたが、この阿波踊りは予定通り開催された。自分は大和市観光協会のサポーターをしているので、今日24日はボランテイア参加だ。踊り子さん達に麦茶の給水を行う仕事だ。その内に、市役所職員から指示が来て、各連の誘導をして欲しいとの依頼が入り、正面と右から踊って来る連をかち合わないように、留めたり進めたりするのだが、そこを一般見物人も通ったり、立止って写真を撮ったりするので、ごちゃごちゃだ。側に、大和警察署のポリスが沢山居ても、彼らは何もしないのは一体、どうした事か。同じ大和の職員ではないのか!うん?それは神奈川県警だから県の職員か?分からない。お陰さまで、そのボランテイアの仕事で、各連の踊りをじっくりと正面から観ることが出来て非常に有意義であった。一般見物人も参加できる【にわか連】や厚木基地の米人だけの連自衛隊の連など参加して、大和市の阿波踊りは、年々盛大になって行くようだ。 完
2011.08.10
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5月3日、神奈川県厚木市森の里で第23回、鯉のぼり祭が開催されました。関東各地では、東日本大震災により、例年のイベントが殆んど中止される中で、この鯉のぼり祭は実施されたのです。 ここの鯉のぼり祭は、若宮公園の谷に、170匹の鯉のぼりが元気よく泳いでいました。今日は、ちょっと風が足りなくて少し勢いが足りなかった気がしますが見事な鯉のぼりでした。 エベント会場では、更に、3匹の大型鯉のぼりが「たちあがろう日本」や「がんばろう東北」の衣裳を付けて、被災地の復興を祈っていました。 又、この会場の近くに、あつぎ・つつじが丘公園があり、ツツジが見事に咲いていて、訪れた人々の目を楽しませていました。完
2011.05.03
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10月8日に宮城県は鳴子温泉郷に一泊で行ってきました。世の中は、3連休の初日にあたり、東京からの東北新幹線は相当混雑していました。そして鳴子温泉のある旅館に宿泊したのですが東日本大震災で鳴子にも相当数の避難の方々がこの旅館にいたらしく今は全員が引き揚げたそうです。大震災から暫くは観光客も非常に少なかったが、お客もすこしづつもどり今日などは、この旅館は満室とのこと、と旅館の方が言っていました。そして、旅館で働いている方々の顔も明るく、張り切って仕事をしていたのが印象的でした。我々も、今回の地震で被害を受けた宮城県に住む友人を励ます為の会を、あえて、鳴子温泉郷で開いたのです。間接的な復興の支援も兼ねた会ででしたがこの励ます会をやって、良かったと思っています。完
2011.10.09
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台風が過ぎて2日後、いつもウオーキングする近所の森に行きました。そしたら、森のあちこちで、台風の強風で倒れた木々が無残な姿になっていました。あるものは途中から折れている杉の木もあります。そして、あるものは根こそぎ倒れている木々もあります。そんな森を歩いていると、本当に悲しくなります。何十年も掛ってここまで育った木が無残にも倒れてしまい、そして森の管理事務所が細切れにしてしまいました。残念です。完
2011.09.24
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8月31日に一泊で那須に行きました。ホットスポットが多いと聞いたので多少の恐れを感じながらの旅行でした。、生憎の台風12号接近の影響で大雨が降ったり止んだりと大変な天気でしたが、それなりに楽しめました。そんな中で、那須IC近くにある「お菓子の城・那須ハートランド」の裏にある「花と体験の森」でブルーベリー狩を体験しました。3万6千平方mの森に1.5kmの木の道が引かれ、四季折々の水辺の花を楽しみ、夏には、森の中を流れる小川で箱水中めがねで川の中の学習が出来、子供達には楽しい場所である。勿論、大人も大いにリラックス出来る森でもあります。その森の奥に相当に広いブルーベリーの畑があり、そこで、ブルーベリーの食べ放題、そして、お土産に手のひらサイズのプラスチックのカップに一杯摘む事が出来ます。ブルーベリー狩は初めての経験でしたが、お昼も過ぎて、空腹になってきたので昼食代わりにいっぱい食べたが、昼飯の代わりにはなりませんでした。でも、結構、楽しめたブルーベリー狩でした。因みに、森の入園料は500円でブルーベリー狩をするのに200円とお安くなています。完
2011.09.03
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三浦半島の荒崎公園、その先に有る荒崎海岸は岩礁地帯である。海水浴を楽しみたいが、砂浜が無い。泳ぐのは、岩礁地帯の岩に囲まれた、比較的深水が浅い場所を見つけて水遊びをするのだが浮輪とか、ビニール製のボート等は、岩の突起で直ぐ穴が開いてしまうので注意が必要だ。今回は、穴があいてしまい、ボードを一つダメにしてしまった。この公園の岩礁の突端に、なにやら人工の柱が建っているので、気になった。そこにたどり着くには、岩場の割れ目があって、海水が流れ、そして深い。走り幅跳びよろしく、飛び越えれば出来そうだったが、濡れた岩に足を取られそうだったので、泳いで渡った。泳ぐほどではなく、足から飛び込み、直ぐに、向こうの岩にすがりつき、登って、その人工物の柱を観に行った。二本のコンクリート製の標柱で、そこには「海軍用地」とかろうじて読めた。あとで調べると、この公園には、戦争当時に、横須賀海軍警備隊・荒崎高角砲台があったところらしく、この一帯は日本海軍の用地だったので、その様な標柱が建っているものだった。ここだけでなく、周囲には、海軍基地だった名残がいくつか残されているらしく、色々な用地碑を観ることが出来る。完
2011.08.16
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4月24日(日)に自宅の近く、神奈川県綾瀬市にある光陵公園に、初めて行って見た。この公園にはバラ園があると云うが、見ごろは5月中旬からと話だが、それでも少しは咲いているのではと期待して行きました。しかしながら、一輪も見られません。蕾も有りませんでした。当然でしょうね。その、傍らには梅の林があり、ふと、見上げて見ると、もう梅の実が、未だ小さいけれど、沢山観ることが出来ました。先日、梅の花が咲いていたと思っていたのですが、本当に早いですね。やがて、5月の快適な季節が過ぎ、梅雨に入るころには大きく成長して、梅酒の材料になるのでしょうね。梅干しかな。完
2011.04.24
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もうすぐお彼岸ですが、何時も散歩する公園のあるところに彼岸花が咲いていました。真っ赤な花と白い花です。見事なので、アマカメラマン(ウーマン)達が皆屈みこんで写真を撮っています。それにつられて自分も1枚、そして、もう1枚撮りました。別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも言われています。道端などに群生し、9月中旬に花が咲き、その花は独特な形をしています。稀に白い花があります。この花は全体毒草で、食べると、吐き気や下痢を伴い、最悪の場合は死にいたるそうですから要注意である。そして、この花は多くの異名を持つ。例えば死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨て子花等です。余り良いイメージは有りません。しかし、花自体は本当に奇麗です。群生している状態は見事です。完
2011.09.17
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久し振りにコメダ珈琲店に入った。最近、コメダはあちこちに出店している様子。今回は行ったのは神奈川県大和市下和田店である。その時は、昼食も兼ねて、コメダの名物であるシロノワールとハンバーグそしてコーヒーを頼んだ。ハンバーグなどは結構、安くておいしいのだ。最近はドトール等の安い珈琲店ばかり入ることが多いが、人の出入りが激しく(それだけ流行っているのだろうが)、なんか、落ち着かない。しかし、このコメダ珈琲店は店内もゆったりして、店員の対応も良くそして、新聞、雑誌も豊富に置いてあり、ゆっくりと出来るのである。コーヒーには必ず豆菓子が付いてくる。この感じは名古屋の喫茶店はほぼ、こんなスタイルだ。いつか名古屋でモーニングを頼んだ事があるが、いつもと同じ値段で、色々な物が一緒に付いてくるのにはびっくりした。昔は、純喫茶なるものが主流で、多感な十代の頃は、喫茶店に入り浸り何かを考える振りして、何も考えていない時間を無駄に潰していたような気がするのです。ゆったりした喫茶店で珈琲は飲みたいものですね。完
2011.10.07
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宮城県大崎市池月と云うところにある、道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」があります。この道の駅は、結構、評判が良く、多くの観光客や地元の人も買い物に来ていて、何時も人でいっぱいです。今回行った10月8日も、車と人で満杯の状況でした。 【下の写真は道の駅のHPから借用しています】 【この写真は自分が撮りました】ここには地元産の農産物が安く売っているし、コンビニもあり、宮城県のお土産品が豊富です。私は、ここに来ると、何時も購入するのが「岩出山名産のしそ巻き」と「ずんだ餅」です。今回も買いました。アイスクリームも美味いし、味噌田楽も楽しみです。この「あ・ら・伊達な道の駅」のネーミングも非常に「伊達」ですよね。この地は、伊達正宗が仙台に移る前に、当地にお城を構えていたゆかりの土地です。私も、この地の生まれで、余り、関係ないかもしれませんが小学校の同級生に、伊達さんと云う人がいました。彼の家族は、伊達藩学問所の有備館と云う所に住んでいて、彼の家に行くと、鎧とか刀とか矢じりが沢山保管され、それが、内緒で遊び道具になっていました。今考えれば危険極まりない事ですね。矢じりで小指を貫通させてしまった怪我を思いだしました。今でも、少し小指が曲がっています。さて、道の駅に話を戻すと、この道の駅にはレストランも完備されていてリーゾナブルなお値段で、美味しいものが楽しめます。地元で採れる新鮮な野菜やお米を使ったもので、本当に、多彩な味を楽しむことが出来ます。我々が食したものは「岩出山のう米(うまい)麺」で米粉を使った麺で、野菜たっぷりのうどんかラーメンかと云った代物です。美味かったですよ。 【美味しそうでしょう。岩出山う米麺です。自分撮影】【トマトコロッケ定食・HPより】 【カレーバイキング・HPより】 仲間はトマトコロッケなるものを食べていました。カレーバイキングもありました。是非ともお出かけし、東日本大震災の間接的な支援をお願い申しあげます。完
2011.10.12
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神奈川県大和市高座渋谷辺りに渋谷重国の館跡が有った。渋谷重国と云う人物は相模国渋谷荘を統治していた鎌倉時代初期の武将。渋谷荘は藤沢市、大和市、綾瀬市、海老名市、座間市、相模原市を含む66郷の広さで渋谷重国が庄司として治めていた荘園の名前です。渋谷重国の館跡を巡る小さなツアーが大和市で開かれたので、それに参加しました。【甲冑姿で案内をしています】案内人は高座渋谷駅前で酒屋さんを営む大津さんと云う、重国を、こよなく愛して(と勝手に思っています)、渋谷重国を研究している方です。平安時代末期に、渋谷重国の祖父である秩父六郎基家と重国の父である重家は長後天満宮辺りに入部して館を築き本拠地としました。【現在の長後天満宮】この辺りは奈良時代から相模高座郡(たかくらぐん)として栄ていていました。発掘調査に依れば、この近辺には奈良時代や平安時代の遺跡が多数発見され、それを証明しています。広大な荘園の主、渋谷重国の巨大な館が大和市と藤沢市の市境にあったそうです。今回は、その跡地を歩きましたが、今は遺構は全くなく、静かな住宅街になっています。【この辺りに鎌倉時代の渋谷重国館があった】館があった証として周囲は谷戸(堀)や崖(城壁)に囲まれている形は何となく残っています。渋谷重国は元々、平家に味方した武将であるが、その後、源頼朝に仕え、数々の武功を挙げて、鎌倉幕府から信頼を得た人でもあるそうです。彼のエピソードは、次回に譲ります。続く
2015.06.11
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自分が住んでいる地域は神奈川県・大和市。昨日、スーパーに行ったら食料品や水がなくなっている。何時入荷するかは不明だとのこと。インスタントラーメン、カップ麺、パン、ペットボトル水が全く無くなっていたのには驚いた。他のスーパーも同じ状況だ。そして、今朝、別のスパーに行ったら、ものは多少あったが物凄いお客の数である。一家族1個とか2個とかの制限付きである。そして、ガソリンスタンドに行ったら、車の長蛇の列、自分の番が近くなったら、ハイオクは無いと言う。困った。これらの物資不足は地震災害の影響は有ると思うが、それ以上に、流言がかなり大きく影響して、買い溜めが進んだ結果ではないかと思うが、どうだろうか。
2011.03.14
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中山道を歩いています。最大の難所である和田峠を目前にして昨年は冬が迫っていたので中止し、今年の5月16日に再開しました。今回は望月から下諏訪まで歩きましたが、途中、和田で一泊しました。【和田宿の街並】 中山道の現代の旅人には有名な旅館「旅館・本亭」に宿泊しました。江戸時代から使われている建物で、昔は、和田宿の庄屋だったそうですが、1861年にこの宿場は、大火で殆んど焼失したそうです。【和田宿の旅籠・本亭の建物】しかし、その年の秋に、皇女・和宮さまが江戸に降嫁する際に、この和田宿に宿泊予定だったそうで、江戸幕府は、多くの大工を投入して、大車輪で復興された経緯があり、この旅館も、復興の際に再建されてものです。【旅籠・本亭の看板と松の木】相当、古い建物。2階の客室に案内された時に登った階段は、昔風で幅広く、急な階段で、廊下や部屋の和室は歩くときしむのです。【2階に案内された時に登った階段】大丈夫かなと思いながら、外を観ると、連子格子を通して中山道街道が良く見えそして、右手には脇本陣が良く見えます。【客室から連子格子と通して街道を観る】なんとも、江戸時代にタイムスリップした気持ちになり、街道歩きの情緒は十分でした。食事どころは大広間になっていて、壁には槍が掛けられそして、「御用」と書かれた古い木箱が沢山あり、又、当時の奉行所の「定」が、これまた、壁に掲げられていて、難しい書体なので完全には読めないが、現代仮名使いに訳したものもあったので読んでみました。【食事をとった大広間に掲げられた当時の奉行所の「定」】 この日は、我々二人連れと以外に、単独旅の2人が泊まっていて目的が同じ彼らと会話するのも楽しいひと時でした。めったに、経験の出来ない中山道街道歩きの一泊でした。完
2011.05.20
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昨日のブログで、大地震の事を書きましたが、報道に依れば更に、被害は広がっている。 驚いたのは、宮城県・南三陸町の住民が1万人も安否不明とテレビや新聞で報道されていた。 そんな悲しい情報ばかりで、本当に心が痛むが、自分の兄弟の安否が取れていなかったが、周りからの情報で兄弟2人は元気であることが判った。もう一人は判らない。本人と直接話は出来ていないが、海の近くでは無いので、大丈夫とは思う。 それにしても現在の携帯電話は、このような災害の時には何の役にも立たない。なんとかならないのだろうか。
2011.03.13
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今日は3月23日、あの大震災発生から12日経過して、被災地には救援物資が届き始めたと連日のテレビの報道である。 そして、関東では物資が店から無くなり、ガソリンが無くなり、灯油も買えず、電気が止まり、それに加えて3月末に近いと云うのに寒い日が続いている。 停電対策や寒さ対策を各自色々と工夫している昨今ですが、一昨日あたりから、店には生活必需品が戻っています。ガソリンも買えます。灯油も昨日買ってきました。 確かに、物不足は買占めもあるのでしょうが、やはり物流の問題があったと思います。乾電池も少しではありますが、店に出てきた様子です。 これからは福島原子力発電所事故による、放射線汚染による食糧不足に陥ることでしょうがこれも出来る限り早く良い方向に改善することを祈るばかりです。 被災地での救援作業を行っている人々、原子力発電所で決死の作業をやっている人々に対して、本当に、頭がさがります。
2011.03.23
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大陸文化の玄関口のひとつだった若狭地方。その若狭からは文化だけでなく、若狭地方で獲れる鯖も運んだ若狭(鯖街道)は、途中の熊川宿場を通る。この道を歩いたのは相当前だ。もう一度歩いてみたい気がする街道の1.1kmの両側に平入と妻入の町家が混じって立ち並びます。京側から上ノ町、中ノ町、下ノ町に別れています。上ノ町には茶店、背負、巡礼宿が多くあり中ノ町は中心的なもので奉行所や問屋場などがありました。下ノ町と中ノ町の間には、宿場独特の曲がりがあります。この宿場は豊臣秀吉に重用された浅野長政が交通と軍事面で重要な場所として開いたものだそうです。 古い家も残っているが、熊川宿の全体が修復されたのか新しい感じを受けました。宿場の両側には澄んだ水がとうとうと流れる小川があり、そこでには、芋車がくるくると廻っている風景は、いつかテレビの紀行番組で観た気がする。あくまでも長閑で昔の面影を偲ぶ事が出来ます。この宿場の1軒の駄菓子や風の店に寄り、ラムネを頼んだ。カラカラと瓶の音がして、子供の頃飲んだラムネを思い出した。とても懐かしい。その店に、この辺の特産物だと云う、葛粉があったので、買ってみたがどのように調理するのか分からない。完
2011.06.13
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6月20日午前中、天気予報に反して、太陽が顔を覗かせて暑くなった。今日は、かねて予定していた、友達の家庭菜園のジャガイモ収穫日だ。場所は横浜市神奈川区。友達が苦労して育てたジャガイモ堀である。【収穫前のジャガイモ畑】メークイン、男爵、北ヒカリの3種類を収穫する。今年も大量にとれた。【こんなに収穫できました、北アカリか男爵か、どっちか分からない!】男爵などは、こんなに大きく育っている。自分は彼の畑に投資もしていなければ、草むしりもしていない。ジャガイモ堀を少し手伝っただけで、3種類のジャガイモを大量に分けてくれた。有難う!【いも掘りを終えた後の畑の様子、友達はここにネギを植えると云う】今夜はそのジャガイモやその他の頂いた野菜が夕食の食卓を飾ったのであった。大変美味しかった。完
2011.06.20
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今、2011年9月21日正午です。 9月初めに台風12号が日本列島、特に紀伊半島に甚大な被害を もたらして去って行った。そして、今度は台風15号がノロノロ台風と なり、日本近海で勢力を強めて、正に、東海・関東地方に上陸する 勢いです。既に、名古屋や岐阜県、そして前回の台風被害の大き かった紀伊半島にも被害が出ています。 実は、20日~22日に中山道歩きを計画し、妻籠~御嵩を歩く予定 でしたが、1週間程、延期しました。結果的に良い判断であったと 思っている。強行したら、どんな事になっていたかと思うとゾッとします。 それにしても、3月11日の東日本大震災や台風の被害が多く 天災の多い年となりました。農作物も大きな被害を受けたこと でしょう。米や野菜の高騰が気になります。地理的に天災を避けることが 出来ない日本列島ですが、それにしても、被災された方々を思うと 本当に心が痛みます。 ここ、神奈川県大和市は今夜からが台風の影響が最も強くなる 時間です。万全の備えをして(どうしたら良いのか分かりませんが) 気象情報見ながら・聞きながら、後は布団を被って通り過ぎるのを 待つしかありません。 家に居る人しかできませんね。家外に居る方は早めの ご帰宅を! 台風が過ぎた時に続く
2011.09.21
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街や公園を散歩していると、懐かしいにおいが漂ってくる。それは「金木犀」である。昨日まで何の匂いもしていないのに突然、今日は良い匂いを放っている。この匂いは突然来るみたいだ。毎年、今頃の時期に、トイレの芳香剤と同じ匂いがする。決して悪い匂いではないのだ。「金木犀」をネットで調べてみると、色々な事が書いてある。読んでいると、実に面白いし、勉強になる。その中でも、この花の花言葉「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」とある。そして、県の木に指定しているのは静岡県、市町村では、多くの街が指定しているので、皆さんに、こよなく愛されている花なのですね。この匂いがすると、いつの間にか秋がきたのだなア~と思う。そう言えば、台風15号が去ってから、急に涼しきなり、そして、今は朝晩めっきりと寒さが増してきた感じがする。皆さんは、夏と秋の境目は何で感じますか。完
2011.10.04
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鳴子ダムを更に、山奥に入ると、そこに、鬼首(おにこうべ)温泉があります。この辺りは温泉が豊富で、夏は涼しく、キャンプしながら温泉に入ることが出来るし、勿論、旅館に投宿して、温泉三昧も楽しむことが出来ます。この鬼首温泉にちょっと変わった定期的に地中から噴き出す温泉があります。間欠泉です。ここの間欠泉は10分間隔で高さ10m程、お湯を噴き上げるのです。それは見事で、まるでクジラが塩を噴き上げている様子と同じです。どうしてこの様に噴き上げるのか、説明版に依れば、地中の地下水が熱に依って水蒸気となり、その気圧が高まり、一気に溜まったお湯を勢いよく噴き出すのです。いわゆる、蒸気機関車みたいなものですね。10分おきに噴き出します。昔からその時間です。絶対に、この時間は変わらないのかですが、今度行った時に計ってみたいものです。昔は、入場無料だったような気がしますが、今は、400円も取ります。間欠泉の他に、足湯が有ったり、露天風呂があるので、この入浴料も含むのか確認はしていませんが、そうだとするとリーゾナブルかなとは思いますが、でも、露天風呂に入っている人は誰も居ませんでした。関係ないけど、来る途中に「あけび」が売っていました。紫色に熟していて食べごろだったのですが、食べたかったが止めました。完
2011.10.14
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神奈川県大和市の泉の森でボランテイアである植物観察班の発表会も終わりに近づいていた。 午後2時46分頃、少し、揺れを感じたが、直ぐ、収まるだろうと思っていたが、揺れは激しくなり、危険を感じて、全員屋外に出た。 震源地ははどこで、どんな地震なのかも判らず、恐怖に震えていました。 兎に角、自宅が心配になり、急いで帰宅して、外部、内部をチェックしたが、2階の棚の上のものが少し通れて落ちていた程度で一安心する。 テレビを付けたら、宮城県沖が震源地で、栗原市は震度7だそうで津波の被害が出ていた。最初、人的被害状況は少ないものだったが時間が経つにつれて、その被害が拡大している。 マグニチュード8.8だそうで、これほどの地震は聞いたことがない。 宮城県は地震が多い地域だが、自分も宮城県で育ち、経験したものを列記すると高校に入る前に、チリ地震津波で塩釜が壊滅的被害を受け、高校2年の時も、早弁を食べていた時に、大きな地震が来て歩いて自宅に帰った経験がある。 そして、結婚して、たまたま、帰省していたら、大きな地震が来た。その時はブロック塀の倒壊でかなりの被害が出た。聞いている範囲でその後、宮城県には2、3回大きな地震が襲った。 今回の地震は今までに知っている範囲では、最大のものである。自分の兄弟が3人、宮城県に居る、12日午後現在、安否確認がとれていない。心配であるが、電話が通じれば、何かが判ると思う。 被災地の皆様には、心からお見舞い申し上げます。 完
2011.03.12
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2011年9月21日午後2時頃に、東海に上陸したが、神奈川県はその直後、急に、風雨が強くなり、午後4時ごろには物凄い嵐となった。突風がひっきりなしに雨戸をと、雨とともにたたく。庭のみかんの木が風で大揺れ、折角なったみかんが落ちてはまずいと思い、激しい嵐の中に飛び込み、しっかりと固定し直し、飛ばされた鉢類も避難させた。そして、突風が家に当たる度に、ビクついていた。そして午後6時頃には、風と雨が止んだ。台風さんは現在、埼玉県に入ったらしい。やれやれだ。被害は特に無いと思うが(暗くなったので確認できず)明日の朝は家の周りが落ち葉や折れた小枝が散乱しているだろうな。久し振りに、こんな強い台風を見た。これから東北地方に向かうが大きな被害が無いことを祈るばかりです。台風15号の話はおしまいです。
2011.09.21
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今年3月に発生した東日本大震災以後、全国各地では、お祭りや行事が中止、又は、縮小されている。東北人に言わせれば「そんな気を使うならば、東北の物産を買って金を使って欲しい」と言う。その通りだと思う。因みに、東北各地では、元気を盛り上げる為に、8月に入ると お祭りが開催される。大変良いことだと思う。そんな中で、自分が住む神奈川県大和市の隣、座間市では「ひまわり祭」が7月30日に行われた。ローカルのお祭りです。座間市の郊外には沢山のひまわり畑があります。今年もひまわりは機嫌良く大輪の花を咲かせました。それを祝う「ひまわりまつり」には近くの人々が沢山見物に来ていました。【郊外の畑には沢山のひまわりが咲いています】【満開のひまわり】お祭りの会場は、畑の中、そこに天幕を張り、多くの屋台が出されて飲み物や食べ物を原価すれすれの値段で売っています。それと、やはり農家が多いので、座間市の農家が作っている野菜も販売していてかなりの盛況でした。【出店も出て、このお祭りは大盛況でした】このようなローカルのお祭りは好きですね。なにか、その土地の匂いを感じる事が出来ます。そして、このひまわりまつりは座間市観光協会とネットで調べれば ネットで検索できます。栗原地区の祭は7月27日~8月3日、 新田宿・四ツ谷会場は8月17日~24日まで開催している。 完
2011.07.30
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山北町は神奈川県北西部に位置して、上は山梨県、左は静岡県に接している。丹沢湖が中心にある地域だが、その上に、中川温泉なるものもあって、先日思い立って、日帰り温泉に出かけた。自宅から車で行くにしても、かなり遠い。途中、道の駅「山北」に寄道して、安い野菜と昼食を買い込んだ。この辺りは渓流が多く、丁度、世間はお盆の終わり、夏休みなので家族連れが川で遊んでいる風景があっちこっちで見受けられる。丹沢湖は水不足なのだろうか、湖水がかなり低下しているが、これから日照りが続くと水不足に陥るのではないだろうか・・・・と心配していたがこのブログを書いている日まで、かなりの量の雨が降ったので、丹沢湖も満杯になったのではと思っている。さて、丹沢湖の上に、中川温泉がある。旅館も多く、殆んどの旅館では日帰り入浴が楽しめるらしい。訪れた時は水曜日。そして、この日はこの温泉の定休日だった。知らなかった!唯一つだけ「信玄館」だけがやっていたが、もうすぐ掃除の時間で、入浴する時間が無いので諦めた。この辺の温泉は、武田信玄公の隠し湯として知られている。その昔、数多くの戦が展開され、特に、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康との間の壮絶な戦いがあり、武田軍の多くの傷ついた兵士を、この温泉で治したと言われる。だから、この中川温泉に入って、自分もメタボを治したかったのだが、残念ながら入ることは出来なかった。仕方ないので、近くの御殿場アウトレットに向かったのだった。完
2011.08.27
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葡萄狩りをしたくなったので、自宅の近くに無いjか、ネットで探してみた。大和市に近い藤沢市に「弁慶果樹園」が有ったので9月23日に行きました。葡萄狩りとは、自分で切り取り、その場で食べたいだけ食べて、持ち帰り用は重さで購入するのだが、ここは、入園料を取り、もぎ取った分だけお金を払い持ち帰るだけのぶどう狩りでした。(ちょっと期待外れ)入園料が210円と安いので、おかしいとは思いましたが・・・・・もぎ取る楽しみ代が210円なんですよね。それにしても、ここのぶどう狩りは、背の高いハウスの天井に近いところに葡萄の木があり、5、6mはあろうと思われる脚立に登り、ハサミで切り取るのですが、子供は無理ですね。高所恐怖症の人も無理ですね。こんな葡萄狩りは初めての経験だ。葡萄狩りをやって居る人は余り居ない。この果樹園は、梨、サツマイモ、キウイ、柿等もあり、又BBQもやっています。完
2011.09.23
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9月25日神奈川県大和市で「なでしこジャパン」のメンバーで大和市にゆかりのある大野忍さん、川澄奈穂美そして上尾野辺めぐみさんの3選手の凱旋パレードがありました。下の写真はタウンニュースの新聞です。今日は大和市観光協会のボランテイアとして、このイベントに参加しましたが車、人の誘導掛りです。場所がセレモニー会場の裏側で、正面から観ることは出来なかったが、裏側でセレモニーの進行は全部聞くことが出来ました。【セレモニーの後ろ側から観た様子】しかしながら、凱旋パレードは残念ながら見られませんでしたが、家の者がパレードの写真を撮ってくれましたのので、それをお見せすることが出来ます。【オープンカーの川澄、上尾野辺の両選手です】 【根岸さんと大野選手です】 更に、昨年、ノーベル化学賞に輝いた大和市出身の根岸英一さんもこの凱旋パレードに参加したのです。 これで、彼女達は、目出度く「大和なでしこ」になったわけです。完
2011.09.25
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神奈川県・大和市・西鶴間に「COWBOY家族」と云うレストランがオープンした。いつもお客で一杯なので、先週に土曜日に行ってみた。この日も超満員で、待ち時間30分ほどで、席に着くことが出来た。このレストランはハンバーグやステーキそして食べ放題のサラダバーを供えた、ファミレスタイプの店だ。特徴はサラダバーであろう。豊富な品揃え、野菜、サラダ、スープパスタ、カレーおまけに、果物やアイスクリームまで置いてある。ハンバーグは150g、200g、300gとあるが、サラダバーで結構お腹が一杯になるので、ハンバーグは最小の150gで良いと思う。自分は200gを頼み、食い意地が張っているので、食べ放題のサラダバーを一通り食したら、その後2日間は胃の調子がおかしかった。以前、同じ場所に、全く同じスタイルの別のレストランがあったがその店は、余り流行っていなかったが、何の違いで、客入りの雲泥の差がでるのだろうか、不思議だ。(上記の写真は全てこのレストランのHPから借用したものです)完
2011.10.03
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9月末に2泊3日で中山道を歩きました。妻籠~御嵩までです。2日目と3日目は、殆んどが旧中山道は山の中を歩く道ですが意外と秋の味覚を拾うことが出来ます。道端に栗が落ちています。疲れてくると、下を向いて歩くので、足元に、沢山の栗の実が落ちています。それを拾いながら歩くと、いつの間にか、栗を沢山拾ってしまいました。そして、更に、柿も熟す季節です。街道の真ん中に、熟れた柿が落ちていました。それも拾って食べてみました。う~ん、美味い。写真はありませんが、街道を歩いていると、90歳のおじいさんがイチジクを採っていました。そのおじいさんを「60歳位にしか見えない」とお世辞を言ったら、イチジクをくれました。これも街道歩きの楽しみで面白いところです。完
2011.10.06
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鳴子ダムを見物にいった。鳴子温泉郷入口の手前の橋を渡り国道108号線に入って、登り坂の山道を走ると、ダムの駐車場がある。そこに車を停めて、歩くこと5分、アーチ式のダムが見えてくるのだ。このダムは昭和27年から5年を掛けて、日本人だけの手で造ったアーチ式の初めてのダムだそうだ。【ダムの説明版を写真に撮りました】ダムが出来る前は、台風や豪雨が来ると、下流の江合川の水かさが増し度々、堤防が決壊して、床下浸水が起こる。自分が小さい時にも一度経験しているが、恐ろしい経験をした。ダムが出来る前のお話です。ダムが完成してからは、そのような話は聞いたことが無いので、この鳴子ダムの威力は物凄いと思う。久し振りにこのダムを見物した。雄大のアーチ式のダムは何時みても素晴らしい。谷深い峡谷を堰きとめたダム、その高さは100mもあるそうで、上から見ると目がくらみそうだ。【ダムの前の峡谷】 【下から100mある高は目がくらみそうだ】でも、紅葉には未だ早かったが、この日はダムを観に来る観光客はまばらで寂しい限りだ。駐車場のお店も長い間、開けていない感じに思われる。観光客よ!この美しく、雄大な姿のアーチ式鳴子ダムを観に来てくれ!完
2011.10.13
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5月22日、親戚の葬式の為に、津波の甚大な被害を受けた宮城県・南三陸町に行きました。テレビ映像や新聞の写真で度々観てはいたが、現場に立って見ると、ここには一体何が有ったのだろうか、家々のコクリート製の土台を残して、大量のガレキ山々以外は何も残っていない。【宮城県・南三陸町における津波の爪痕】 震災後2ケ月、ガレキは相当片付いてきてはいるがまだまだ整理が付いていないのである。そして、南三陸町の役場防災対策庁舎は、津波に襲われたそのままの姿で鉄骨だけを残して建っていた。【南三陸町役場防災対策庁舎の残骸】葬式に参列した方々からは、地震発生から津波が襲ってきた生々しいお話を聞きました。現場で臨場感溢れるその話は何かの映画の話を聞いている様な気がしてきた。本当の話なのに何か、現実離れした話に聞こえてきました。 大きな地震に遭遇し、そして家を津波に流され、現在も避難生活を余儀なくされている親戚の人も来ていて、彼らの決して暗くない顔や話し方に驚きを覚えました。 葬式の帰りのバスの中で、家を流された家族の若い人たちは車窓から観える家を指差しながら「今度建てる家は、これ位が良いかな!」別の人は「いや、もっと大きくて、こっちの家みたなのが好きだな!」などと話しているのを聞いていると何んて、皆さんは明るく振舞うのだろうか、精神的に大きなショックを受けているはずだし、更に、物質的な大損害を受けているのにと思う。 完
2011.05.23
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神奈川県大和市イベント観光協会主催のガーデニングプロムナード造りが盛んに行われている。大和市駅前には再開発された東西プロムナードがあり、この東側プロムナードを季節折々の花で飾り、市民の憩いの場所を提供し、大和市を訪れた人々の目を楽しませている。このガーデニングプロジェクトは、大和市在住の個人やグループあるいは企業から応募してもらい、年間の参加費用は掛るが、多くの参加者が集まった。今年5月に土づくり~植栽を行い、つい昨日には秋植物への植え替えを行った。自分は大和市イベント観光協会のサポーターをしているので、この事業にボランテイアとして参加している。草花や植物のことは全くの素人なのに・・・・。きれいに植栽されたガーデンの様子を写真で紹介します。 【大和駅を降りるとこんな建物がある】 その建物の前には東に向かいプロムナードが続く】 【そしてこんな看板を目にすることが出来る】そして、サポーターが手掛けたガーデニングは次の写真にある2つで、参加費用を払って登録した企業さんが何らかの理由で継続出来ない為に、イベント観光協会のボランテイアとして我々が手入れをしました。そして、こんなユニークなガーデンもありました。「なかなかやるの~!おぬし」と言いたい相手の企業さんで、いつも熱心に手入れをしています。そして、東日本大震災の早い復興を祈った内容のガーデニングは、特に、目を引きます。 【見事なガーデニングです、がんばろうにっぽんの文字も見えます】 【この埴輪は携帯もってます】【埴輪の中には、地震発生の3月11日14時46分の時計が】これから11月になると冬植物へ植え替えと夜にも楽しんでもらう為にイルミネーションの設置も予定されている。冬バージョンガーデニングに続く
2011.09.05
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若狭から京都まで続く道「京は遠うても十八里」、そう呼ばれてきた鯖街道と云うものがある。荷車や人の背中に、一塩の鯖を載せてテクテクと街道を一昼夜歩いて、京に着くころには丁度いい塩加減になって、食べごろの鯖は、京都の食文化の一つである鯖寿しに変る。そんな若狭街道・国道367号線、の旧道、滋賀県大津市葛川付近に「花折峠」がある。【花折峠付近から観た周辺の景色】【旧街道にある花折峠】この峠の先に有る、明王院へお参りに行く参拝者が、この峠付近で「シキミ」と云う花を摘んでいったところから付いた名前だそうである。何とも美しい峠の名前だろうか。【キシミの花・毒がある花だ】 この旧道の花折峠は標高591mで国道の花折トンネルより高い位置にある。訪れた時は小雨模様で、人っ子一人として居ない、寂しい場所だが、この峠の名前に魅かれた。昔から多くの旅人や行商人が通った道、鯖街道を京都の出町柳から小浜のいずみ町商店街まで歩いたのは、もう4年も前になる。京都では鯖寿し「花折」が有名だが、この出店が、花折トンネル近辺にも有る。ちなみに、自分は鯖寿しは食べれない。青い魚の生はちょっと・・・・と言う人は多いと思う。でも、通に云わせれば、こんな旨いものを食べないなんて・・・・とも良く聞く。完
2011.06.13
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先日、中山道の和田峠を越えて望月宿から下諏訪宿まで歩いた時に、和田峠を挟んで、東側に「東餅屋」の茶店と西側に「西餅屋跡」を通りました。和田宿に一泊した我々旅人は、結構、きつい坂を「よいしょ!よいしょ!」と登って来たのだが、一休みしたい場所に「東餅屋」がありました。昔の旅人も同じ気持ちで、ここで疲れを癒したのではないかと思う。この東餅屋の場所には、江戸時代から5軒の茶店があり、大名が休む茶屋本陣もあったそうで、今は、1軒の茶店が有るだけ。江戸時代から続いている店だそうです。ここの主人が話好きで、うっかりしていると、長居してしまいそうだ。とにかく、ここでは力餅を食べる事を楽しみにしてきたので、それが実現出来てうれしい。旧中山道の和田峠に苦労して到着はしたものの、雨も降りだしてしまい、着いてみると何も無い峠道だった。ここからは下諏訪方向に、下る一方だが、少し行くと、「西餅屋跡」がある。ここも、昔は茶屋本陣が4軒もあって、穀留番所もあったそう、相当、賑わった立場だそうです。今は、跡地だけで、何も残っていない。ここでも江戸時代の旅人は、峠を越えてきた疲れとこれから峠を越す旅人は、旅姿と心の準備をしたのであろう。今回、東西餅食べ比べしたかったのだが、西餅屋には何もないので、仕方なく弁当を食べました。因みに、明治初期頃の西餅屋はこんな風景だったらしい(下諏訪観光協会発行のパンフレットから借用しました)東海道歩きで箱根峠を越えた時も、東坂と西坂に茶店があり、そこでの餅食べ比べをしようと楽しみにしていたら、西側の茶店は立派な物は有ったが餅はもうやっていないと店の人に言われがっかりした記憶がありまあす。だから、東西餅の食べ比べは、未だ成功していないのであります。参考までに、箱根峠東西餅比べのブログを添付します。http://autumnwin.at.webry.info/201104/article_5.html完
2011.06.02
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こけしの歴史は、今から200年前の文化・文政の頃に、奥山で木地業を生業とする人々が、わが子に与えた木彫りの人形が始まりと言われている。その後、山村の子供たちの玩具として愛されてきたこけしは、時代の流れとともにお土産品として売られ大人の趣味・観賞用として発展してきました。東北各地の温泉地の木地師に伝承され現在では十一系統に分けられ、その独特な表情に東北人の人間性そのものが表れていると言えます。(日本こけし館の資料より)鳴子温泉と中山平温泉街の中間の高台に、「日本こけし館」がある。このこけし館では、こけしの製作実演、自分で絵付けが出来る体験コーナー高松宮殿下秘蔵こけしの展示、東北各地の特徴あるこけしの展示、深沢・溝口氏コレクションの展示等があり、結構、観ていて面白い。【展示されている鳴子こけし】自分は鳴子のこけしが大好きで、自宅にも、お父さん・お母さん・子供用に5本飾っている。特徴として、首が回り「きゅきゅ」と音を出します。因みに、このこけし館の入館料は大人が320円、シニア(70歳以上)が290円でした。こけし館の隣には鳴子の漆器が、お土産用として売られています。更に、その隣には、鳴子の特産品の売店だが、品数が余りにも少ない店でおばあさんが暇そうにあくびをしていた。完
2011.10.15
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今夜は2011年の中秋の名月です。中秋の名月は必ずしも満月とは限らないそうです。今年は2005年以来のfull moonだそうです。我が家でもお供え物を出しました。今年の野菜や果物(買って来たものですが・・・)そして団子の代わりに和菓子(団子作るのが面倒なので、スーパーで買ってきました)を供えました。そして、満月にはススキを飾るのが最も似合うのですが、そのススキが無いのです。自転車で公園や緑地を探したが、近所には全く見つけられません。結果は数ケ所蚊に刺されてしまい、自分の肌も満月です。スーパーや花屋さんにも置いていません。仕方ないので、自分の庭に咲いている紫の花と黄色い花(名前分かりません)を飾りました。でも何となく格好は付きました。皆さんちでは、もっと高尚なお供え物をしているのでしょうね。名月さん、これで許して下さい。完
2011.09.12
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台風15号が早足で強風と大雨を残して日本列島を駆け抜けた。そして今日、22日は朝から良い天気なので、横浜まで車で外出したがいつも渋滞する国道246号線の江田駅前が異常に渋滞していた。そして帰りも同じ道路を通ったが、同じ江田駅前から下り線は、きつい渋滞でほどんど動かない。これは事故かなと思っていたら、つきみのアスレチック前で赤色灯が廻っている。事故ではなく、その交差点の道路が冠水していてパトカーがこちらを通れと誘導していたのだ。それで、大渋滞を起こしていたのだ。しかしながら、ラジオでの交通情報では、この渋滞を一切伝えていない。モールに居たので気が付かなかったが局地的に大雨が降ったみたいだ。それにしても、台風一過の良い天気だった午前中は、溜まった洗濯物を干して外出した人も多いと思うも、さぞかし天気の急変を恨んだことでしょう。何せ、同行した2家族も洗濯ものを干して、そのまま来てしまったと云う。完
2011.09.22
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埼玉県日高市の巾着田に行ってきました。広大な公園に一面の曼珠沙華、彼岸花が真っ赤な花を咲かせて人々の目を楽しませています。今日9月26日は月曜日で、平日だから来場者も少なく楽々に見物できると思って言ったのですが、現地に近づくにつれて県道15号線は渋滞で動かないのです。事故でもあったのかと思い車を進めるとこれが、この彼岸花を観にきた観光客の車で混雑していたのですなのです。びっくりしましたね。3連休の後の平日なのに。この巾着田公園は高麗川に囲まれた公園で、四季折々の花を楽しむことが出来るのです。今は、曼珠沙華とコスモスです。コスモス畑は広大な広さの中に、余り元気のないコスモスが咲いていましたが、曼珠沙華は、これまた広大な林の中に真っ赤な花の絨毯が敷き詰められたような風景でしたが一つ一つみると見事な形をしています。所々に白い曼珠沙華も咲いていました。 神奈川県から行くとちょっと遠いのですが、でも一度は観る価値があります。完
2011.09.26
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宮城県はの北に、川渡(かわたび)温泉街がある。その温泉街から西、山の方向に入ったところに、里山の手打ちそば屋さんがある。その名を蕎壽庵と云う。先日、グループで、昼食の蕎麦を食べに、その店に行きました。細い道を車で登っていくと、自然に囲まれた山会いに建つ一軒家が有りました。そこが、目的の蕎麦屋さんです。石臼挽きののど越しの良い味わい深い蕎麦を楽しむことが出来ます。その日、注文したのは天婦羅ざるそばです。こんな形で出てきます。ボリューム満点、天婦羅はサクサクと食感がとても良い感じでした。蕎麦は色々と食べているけれど、香りのよい、歯ごたえのある蕎麦は久し振りに食べました。御馳走さまでした。因みに、この蕎壽庵の前は、この様な山が広がっています。完
2011.10.11
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関東ふれあいの道・神奈川県コースを歩いています。去年の夏に1番コースから歩き始めて先日5月1日に10番目まで進みました。 神奈川県コースは全部で17コースあり、未だ7コースも残っています。その10番コースは大田道灌と日向薬師のみちですが、伊勢原市にある大田道灌の墓がこんな所に有って彼に関わる歴史の舞台が、この近くに有るなんて、全く知らなかった。現地の説明版やネットで調べた範囲のうけうりでまとめてみました。 大田道灌(1432-1486年)は成人名を持資(もちすけ)と云、道灌と云う名前は仏門に帰依してから。現在の神奈川県伊勢原市生まれ幼い頃から神童と呼ばれた。当時は戦国時代真っただ中で、道灌25歳(1457年)の時、江戸城はを築き、その後河越城や岩槻城も手がけ、築城軍略の大家だけでなく、詩歌を好み風流を愛する文武兼備の人だ。太田道灌と山吹の花は有名である。彼は若い頃は、武略のみ心がけていて有る日鷹狩の時に、雨に遭い蓑を借りようと立ち寄った家の乙女が差し出した一輪の山吹の花。道灌はその意味が分からず怒って帰ったが、後で「七飯八重花は咲けども山吹のみ(実)のひとつだになきぞ悲しき」と聞かされて、己を大変恥じて、学問の志したと言われる。さて、その場所はどこだったのか、有るHPでは埼玉県越生町だと云うが色々な場所が名乗りを挙げている。さて、太田道灌は主君・上杉定正に依って謀反の濡れ衣を着せられて粕谷の上杉館で暗殺されれた。その場所は、現在は産業能率大学の敷地となっている。又、暗殺が行われた時に、上杉方の刺客の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした太田道灌の家臣7名の墓も、上粕谷神社の前に有りました。関東ふれあいの道が、今回は関東歴史とふれあう道になりました。非常に勉強になった道歩きでした。完
2011.05.04
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前に、このブログで、大和市のガーデニングを紹介しました。今日、9月16日に用事があって、寄ってみました。自分たちが途中から手掛けたガーデンにはオクラが植えてあります。その花が下の写真です。きれいな花ですね。芙蓉の花に似ています。そして、ハイビスカスにも似ています。インターネットで調べてみると、これは花オクラと云う種類だそうです。食べられないとも書いてありました。そう言えば、前回、手入れしてオクラが沢山実を付けていたので持ち帰り煮てみましたが、とっても食べられません。固いのです。なるほどと思いました。ガーデニングの観賞用に植えたのだから、花を観る為の植栽だったのです。でも、その側に枝豆が植えてあり、実ったので持ち帰り、食べましたが美味しかったので、オクラも食用に植えたと思っていました。また1つ勉強になった次第です。完
2011.09.16
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神奈川県大和市は色々なイベントを行っています。春・夏・秋・冬と季節に合わせたイベントがあります。今日、10月1日(土)と明日は小田急江ノ島線大和駅まででは全国うまいもの市 in 大和と題して、各県のうまいものを屋台で販売しています。試食も沢山出てて、結構な人出がありました。中には、奄美大島の「大和」繋がりで「大和村」からの出店もありローカル色豊かな店が一杯です。しかしながら、「全国」とは言っても、全国の一部の県からですので何か寂しい感じもしました。このイベントも段々と大きく、有名になり、本当の意味での「全国」うまいもの市場が出来ると良いですね。完
2011.10.01
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先日、神奈川県相模原公園を散歩中に、メタセコイアの並木を発見した。この木は樹高25m~30mに成長する木らしいが、晩秋になると赤茶色に紅葉して、決して奇麗ではないが、落葉ると、木とその枝などはすっきりと観えて、好きな木の一つだ。そう言えば、何年か前に、大阪に住んでい居た時に、このメタセコイアの並木道を観たくて、夏と秋と冬、3度ほど滋賀県マキノに行って写真を撮ったことがある。メタセコイアの並木道が2.4kmも続いているのは壮観だ。もう一度行って、今度はメタセコイアの枝に、霧氷が咲いている並木道を写真におさめてみたい。完
2011.10.05
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また、奥州街道のお話で恐縮です。宮城県栗原市金成を歩いた時に、金成小学校校舎を観ました。説明板等に依ると概略次のようなものでした。旧金成小学校校舎は明治20年に建築され同43年に移築され、金成尋常高等小学校校舎として竣工しました。木造2階建て、寄棟、鉄板葺きの建物で、左右に切妻屋根部分が付いています。2階部分をバルコニーにするなど洋風建築の要素を取り入れているものの、その屋根は伝統的な和風の要素の方が強く感じます。この校舎は最近まで小学校として使われていて、その歴史は140年に及んだと云われ、宮城県指定文化財となっています。現在は金成歴史民俗資料館として一般公開されています。しかし、訪れた時は火曜日で閉館だったので、残念ながら内部を観ることは叶わなかったのです。この校舎を観ていると、何故か、どこか懐かしい感じを受けます。構造は違いますが、このような校舎は、自分が学んだ宮城県の田舎の小学校や中学校の校舎と似ています。勿論、現在、それらの校舎は残っていません。完
2015.11.26
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森の中を歩いていたら、センリョウの葉の上に完熟して茶色になったヒノキの果実が載っていた。去年の果実でしょう。上のヒノキのから落ちて、ソフトランディングした様子だ。思わずパチリとカメラにおさめた。ヒノキ花粉症に悩まされている方々は、にっくきヒノキと叫びたくなるでしょうが、その悩みもそろそろ終盤かと思います。 ヒノキの葉を観察してみました。雄花は多少未だ付いているが、雌花は既に果実になっていました。 完
2018.04.23
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読売旅行社で募集していた「夏休みは家族そろって自然体験 サマーランドテント宿泊パック」に孫を含めた家族で参加しました。1泊2日で、1日目はサマーランドで遊んで、その後テント村に行きそこで泊まるのです。サマーランドは初めての経験でしたが、大混雑でした。このお話は別に日に紹介します。キャンプ場はサマーランド第2駐車場の奥の緑に囲まれた高台にあります。テントは既に用意されて、何の準備もいりませんし、夕食・朝食は自分たちで作るわけではなく、食堂でバイキング方式で頂きます。受付を済ませると、係りの人が、ホテルの部屋に案内するように、泊まるテントまで連れて行き、色々と説明してくれる。【受付の事務所です】 【テント村です】 寝具も毛布が用意されていて、寝袋の持参もいりません。清潔なトイレも、そして個室の清潔なシャワー(シャンプーやボデイソープ付き)があります。プレイルームまであって、至れり尽せりですが、謳い文句の「自然体験」とはテントで寝ることだけでしょうか。【トイレは清潔でした。様式と和式あり】 【シャワー個室も10台はあった】 でも、このパックは大人が10、800円、子供が9、000円ですが高いのか安いのかを計算してみると、サマーランド2日間の入園・遊び放題宿泊2食付なので、結構、お得な値段だと思います。【食堂のバイキングスタイル】 【朝は5時45分からラジオ体操】 まア!殆どのテント宿泊客はサマーランドで遊ぶお客なので自然を楽しむのはちょっと難しいかもしれませんが、非日常生活を楽しむには十分でしょう。自分たちで食事を作り、それを食べ、後片付けをする楽しみはありません。ところで、テント内で就寝しようと思ったら、物凄い雷雨が襲ってきました。それでも、雨漏りとかは全く心配なく、流石一流メーカー製テントを使っているので安心でした。サマーランドのプールに続く
2013.08.14
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鯖街道その4(葛川梅ノ木~朽木~保坂) 今回の鯖街道歩きは2007年6月16日(土曜日)だった。国道367号線葛川梅ノ木から国道303と合流する今津町保坂まで歩く予定である。今日も大体20km位かなぁ。近畿地方は一昨日から梅雨入りしたばかりで、雨に対する万全の備えをして出かけたのであるが、予想に反して当日は快晴、太陽が強い日であった。 早朝のバスは15人程の乗客。前回は大原から車道で約20kmを歩いたが、今日乗ったバスの車窓から、前回歩いた道を観ていると、よくもまぁ~、この距離を歩いたものだと自分でも感心する。 バスは葛川梅ノ木に午前8時30分頃到着。ここで降りたのは5~6人で、皆さんはどこに行くのだろう。【葛川梅ノ木のバス停に到着 午前8時30分頃】 バス停の前にある、前回も買い物をした「スーパー・トナミ」で歩く準備をして丁度9時に出発した。道は真っ直ぐ延びている。 【まっすぐ伸びた国道367号線】 前回の歩行では、藤の花が満開であったが、今回は紫陽花が見事に花開いているのである。沿道には色々な季節の花が咲いていて心を和ませてくれる。立派なレストランもある。【「ようこそ鯖街道へ」と歓迎されていた】【鯖街道沿道にはアジサイが美しい】 葛川細川町に入ると、さすが鯖街道で、鯖寿司の店が並んでいる。値段もそれほど高くないが、余り好きではないので食べようという気持ちは湧かない。【鯖寿司の看板が沢山ある】【鯖ずしの売店】 しばらく行くと高島市に入る。ここにも鯖寿司を売っている店が並んでいる。鯖街道を歩いている実感が湧くのである。そして景色も鯖街道を歩いている気持ちにしてくれるのだ。【鯖街道を歩く】【景色も上々】 そこからすぐに野街道というバス停があるが、かなり広い場所に綺麗な東屋風の休憩所があり又、公衆トイレも綺麗にしてあり気持ちが良い。その傍には自動販売機も整備されて、休む人にはありがたい場所だ。 この東屋に一人の外人男性がいた。様子を見ていると、ここで野宿したのであろう、出発の準備をしている。この人も鯖街道を歩いているのかなと考えていたら、日本語は分からないので英語で会話をした。それに依ると、2週間前に関西空港に到着したドイツ人である。彼は3ケ月ほど日本に滞在して歩いてあちこちを見て回る観光客であるらしい。 日本は雨季に入ったことを教えてやると、彼からこの辺りの森林はノルウエイなどと違い山ばかりだが何故かとの質問には、答えに詰まった。日本にもそんな景色はあるよ。北海道に行けばヨーロッパのような景色を観ることが出来るよと教えてやった。急に「ファミリーマート」はあるかと聞かれたので、まさか彼の口からその言葉が出るとは思わなかったので、つい、聞き返してしまった。俺もこの地域は不案内なので近くにあるかどうかは分からないが、歩いていると、必ずあるよと教えて彼とは別れた。【東屋で出会ったドイツ人と会話する】 しばらく歩くとまた鯖寿司の店が並んでいる。ここは朽木栃生と言う場所である。この辺りの国道も真っ直ぐである。【鯖街道はあくまで真っすぐ、当時、この道はあったのだろうか】 腰越バス停の近くに、柿や梅の木々が国道沿いに植えてあったがこの時期はもう実がなりつつあるのだ、柿の実はほんの実を付けたばかり、梅の実は未だ小さい。このようなものを観察しながら歩くのも又楽しいものである。【街道に柿の実も実り始めた】【梅も若い実を沢山付けている】 朽木村井にたどり着いた。国道は真っ直ぐのはずだが閉鎖され、迂回路として安曇川を横切る。 この辺りの安曇川は川幅も大きくなり村の子供たちが川遊びに夢中である。今日はそれほど暑い日であった。【安曇川で川遊びに興じている。それにしても流れが速い】 ふと山側を見ると山崩れを起していて、国道は完全に土砂で塞がれているのである。 【山崩れが発生して道路を塞いでいる】 その直ぐ傍に喫茶店お食事処が有った。その店の前で鉢に水をやっている人に聞いた。「コーヒー飲みたいのですが有りますか」「どうぞ」との声で中に入りコーヒーを頼んだ。【街道筋にぽつんと一軒ログハウス風の建物が喫茶店】 中は結構小奇麗で、いかにも喫茶店と言った様子で、50歳の女主人が丁寧にコーヒーを入れてくれ、お菓子まで出してくれたが色々な話を聞かせてくれた。 それによると、あのがけ崩れは去年発生し、中々復旧が進まない土砂を捨てる場所で揉めていること。この辺りも関西弁が主流らしい。 仕事は農業と林業で、住むには非常に良いこと、雪が深く、家々の屋根は急勾配であること、茅葺屋根の家が多かったが、最近は近代的な家に変わってきている事など等。350円を支払い、そのコーヒーハウスを後にした。 喫茶店から少し行くと立派な公衆トイレがあった。何故か、この鯖街道には立派で綺麗なトイレが多い。トイレマニアでは無いがトイレがあると、必ず、入ってみるのだった。 【鯖街道筋には立派なトイレが多い】 道は「桑の橋」にぶつかるが、ここで国道を避けて県道に入った。道路は舗装されているが、時々車が通るだけで安心して歩ける。この道も、昔は主流だったらしくその当時の面影が垣間見られます。【国道を離れて旧街道に入る】 しばらく行くと憩いの森、朽木温泉やスキー場などがあるが、車の往来は少ないので、寂れているのかなと心配したりもした。この辺りは「朽木宮前坊」と言うらしい。この地の家々は昔ながらのものが全く無く近代的な都会風の家ばかりで風情が感じられない。【朽木の街】 県道は再び安曇川を渡る。その先が、国道367号線と合流する。この村か町は大きかった。昔は物資輸送の要衝をなしていたし、宿場街でも有ったらしい。看板には朽木宿とある。 国道はさらに北上する。途中で、ユニークな雑貨店に出会う。やたら看板があり、面白いことが書いてあるのだ「鯖街道・民芸時代遅れ」「ドロボースルナ」「御意見無用」とか。【街道筋の雑貨店と云うか民芸品の見せ】【民芸店の人が暇に任せて造ったのか、面白い】 ここから先への国道歩きは厳しいものがあった。交通量は多く、歩道はなし。旧街道も無いのだ。車道の端をテクテクとあるくが、対向車はびゅんびゅんと飛ばしてくる。危険極まりないのだ。【この写真では余り交通量を感じないでしょう?】 やがて、今回の終点である今津保坂なる部落が見えてきた。保坂駐在所と保坂郵便局を過ぎると、国道367号線は国道303号と合流するが、ここで国道367号線は消えてしまうのだ。【国道367号線はここでお終い】 今回はたぶん25kmは歩いていると思うが、前回(大原~葛川梅ノ木も同じ位の距離であった)よりも、非常に疲れたのである。 今回は、旧街道が少なく、ほとんどが国道で、歩道が無かったせいかも知れない。【本日の終点はこの保坂のバス停】【バス停の周囲はこんな景色でした】 ここからバスでJR湖西線・近江今津駅まで行くのだが、バスは1時間に1本あるのだ。丁度、停留所に着いたら、直ぐバスが来た。JR近江今津に着いたら、直ぐに新快速「姫路行」に乗車できた。大阪の自宅には6時前に到着した。 やれやれ今回も無事に帰ってこられた。 非常に疲れた鯖街道であった。 次回【鯖街道その5(保坂~熊川宿~上中)に続く】
2021.08.19
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