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いつだったか知人と電車に乗っていた時の事だ。私と彼は隣に座っていたのだが、一人のお爺さんが立っていた。彼は素早く席を立ち、「どうぞ。」と一声かける。お爺さんは嬉しそうに「ありがとう。」と言って座った。と、まあよくありがちな光景だと思われるがそうでもない。実際私は老人に席を譲る若者など久し振りに見た。しかし現代の若者は薄情だ・・・というわけでもない。自分にしてみてもそうだが、現代の若者はひねくれているだけなのだ。シャイなだけかもしれない。私にしてみればどちらにも当てはまる。私だって老人が目の前に立っていたら、席を譲らなきゃという気持ちにもなる。しかし行動が出来ない。「どうしよう?」「なんて声をかけよう?」なんて考えているうちに5分くらい経ってしまい、今更譲ってもなあ・・・なんて感じだ。今日の仕事帰り、疲れていたので半寝状態だった。そんな時、横浜駅で3人のおばあさん集団が乗り込んできた。私の隣の席二つが空いており、2人はそこへ腰掛けたが一人は当然座れない。「席を譲らなければ・・・!」半寝状態の私の頭はそう思いながら言葉を探す。「どうしよう?」「なんて声かけよう?」また同じ事を繰り返す。タイミングを失う。そう思った私がとった行動は、ぶっきらぼうに立ち上がり、その場を離れる事しかできなかった。うわ・・・感じ悪。俺最悪だわ・・・と自己嫌悪。でも、そのとき去り行く私の背中から確かに聞こえた。「ありがとう。」言葉なんか無くても気持ちは伝わるもんだと思った。
2006.10.15
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今月に入ってからまだ3回しか会社に行っていない。というのも、うちの会社はシフト制だから多少休みの希望も通るので納車やらバンドの練習やらで休みを取っちゃったからなんか連休が続いた。そしてその連休ラッシュも終わり、ここから月末まではあまり休みがない。とはいえ、空き時間は大量にあるので、やりたい事はそれでも充分できる。バンドのメンバーとか友達とかにうちの会社は休みが多くていいなあなんて羨ましがられる事が多いが、別に普通の週休2日の会社と比べてそんなに変わるわけではない。ただ一回の出勤で2回分(19時間)働くために通勤時間が一回分で済む。そして、時間の調整のために夜勤明けの日は睡眠時間を3時間くらいしかとらないため、その分時間がある。不規則で不健康極まりない生活だが、フリーターの頃からこんな生活を送っていた俺にとっては別に苦ではない。むしろ毎朝7時に起きて9時に出勤なんて方が、それこそ一日中ボーっとしてそうだ。ただ、大晦日も正月も関係ないっていうのはちょっとなあ・・・。
2006.10.12
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我がバンドのホームページが正式に開設しましたので是非遊びに来てください。『Jammy Spider Redz』http://3w.to/jsredzよろしく!(左のブックマークからも行けるよ!)
2006.10.09
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今日はバンドの練習の後、みんなでうちのギターが兼業してるちゃんこ屋さんで飲んだ。鍋からはみ出まくってるほどの量で、腹がパンパンになってしまった。おまけに久し振りに酒を飲んだせいかあんず酒一杯でべろんべろんになった。いい加減にもう少しくらい飲めるようになりたい・・・。でも楽しかった。そうそうウチのバンドの正式なデビューライブが決まったのでここにて告知する。11・12(日) 横浜CLUB24WESTバンド名はもうすぐホームページが出来るのでその時に一緒に発表しようと思う。ロックンロールが好きな人は是非来ておくれ。
2006.10.07
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いやぁ、新車はいいだね。でも異常に神経質になっちゃうんだよなあ。今かなり安全運転しています。横からすり抜けしてこようとする原チャリが異常にムカつきます。車を鉄の馬としか思っていなかった俺ですが、どうやら今回はどっぷり愛しちゃってるみたいです。これで4日連続更新っと。どこまで続くかな・・・。
2006.10.06
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俺は牛丼が食べたかったんだ。吉野家の牛丼復活祭は今日で最終日。初日に行ったら、終了。最終日なら平気だろうと思っていったらまたも売り切れ。11月までお預けか・・・。豚丼大盛りが何も見えなくなるくらい七味をふりかけてやったよ。
2006.10.05
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1999年10月。貴方と出会い私は翼を手に入れました。シビックフェリオ。当時の貴方はピッカピカの新車。でも3日でぶつけてポンコツ呼ばわりしてしまったね。傷を隠そうとサインペンで塗りつぶしたね。Uターンしようとして縁石に乗り上げ、タイヤをぶっ飛ばしてホイールで走ったこともあったね。そういやついこの間もバイクを軽く跳ね飛ばしたね。思えば俺達、ずいぶんと無茶したもんだね。貴方とは色んな場所に行ったね。旅行も沢山行った。千葉、静岡、山梨、長野、岐阜、名古屋・・・・・・あれ?大して遠くへは行ってないね。でも楽しかったよ。バンドでプロを目指してた頃は貴方と一番一緒にいたね。2年間で3万キロ近く走ったよね。重い荷物を持って週に何回も東京まで行ったよね。でもドラムセットをフルに貴方に詰めこんだのはさすがに無理があったね。俺は結構意地っ張りで、人前で弱いとことか見せたくない人間だから辛いことがあったらいつも貴方に乗り込んで一緒に泣いたよね。無茶な運転ばっかしたし、雨洗車とかいって全然洗車もしなかったし、車内はゴミ箱状態だったし、タバコ何度もこすり付けちゃったけど、でも貴方は俺の初めての相棒でした。7年間お疲れ様。そして本当にありがとう。・・・でも別れの瞬間は既に貴方の隣にあった我が新車に心奪われていてゴメン。(笑)
2006.10.04
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あれは中学3年の頃だった。私の趣味はジョギング。いやその域を飛び越え完全なるマラソンマンと化していた。勉強は下の中、スポーツも中の下と常に影の様な存在だった私が唯一の日の目を浴びれる瞬間、それはマラソン大会だった。中学時代は200人中三位という快挙を成し遂げ、高校時代はアスリート達が集ってきたためレベルは上がったが、それでも500人中25位、クラスでは2位というかなりのスタミナ保持者だった。マラソン大会の翌日といえば、ラグビー部やサッカー部からスカウトが来たものだ。それはそうだ。学年三位のスタミナ保持者が「帰宅部」だったのだから。それはスカウトされたら気分が良かったが、私にはやる気がなかったのでお断りした。では何故毎晩毎晩走っていたかといえば、ただのダイエットが目的だった。中学二年当時、私は身長173センチ体重75キロという巨漢だった。いや、デブである。所属部は柔道部だった。しかし中二の夏休みにその柔道部の合宿に行ったが、極めてハードだったため、たった3日間で体重は70キロまで落ちた。これはチャンスだと思い、合宿から帰って来てから私は鬼の様に走り回った。ちなみに学校は遠かったし、塾もあったので柔道部は夏休み中ずっとサボった。その分も走り回った。そして、9月の始業式の日、柔道部に顔を出した私を見た顧問は驚愕した。夏休み前75キロの体重だった。私は63キロのスリムな体型に豹変していたのだ。痩せてしまった私に顧問はがっかりし、あまり構わなくなった。そして、私は部費を3ヶ月滞納してボウズにされたのをきっかけに柔道部を退部した。柔道部を退部した私は身体を動かす場を失い、体型維持の為以前にも増して走りこむようになった。高校卒業時には既にハーフマラソンくらいなら走れるようになっていた。もしマラソン大会が20キロだったら私は間違いなく優勝していただろう。そして浪人・・・私は走る事を辞めた。浪人期間は誘惑が多すぎた。毎日バンドとバイトに明け暮れ、好きな女の子も出来た。一切勉強などせずに日夜遊んだ。タバコの本数もガンガン増えた。そんな怠惰な生活は私に走りを忘れさせた・・・。ついこの間の話だ。私の会社でフットサルチームが出来たので、混ざってプレーをした。私は5分で力尽き、芝の上に這いつくばった。45歳の上司は私の何倍も走り回っていた・・・。これでいいのか・・・。いいわけが無い。私はまだ26歳だ。そう思い、最近ジョギングを始めることにした。今日も走ってきたが、15分で力尽きた。これからは走れる日は出来る限り走ることにする。当時とまではいかなくても、年相応の体力を取り戻すのだ!・・・問題はタバコだな。
2006.10.03
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