泡雪の日記

泡雪の日記

2003年11月11日
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私が神と出会ったのは、1歳の時です。


確かな年齢を知ったのは、8歳の時他国に別れた、一番上の姉さんと、17歳で再会したときです。

わたしは、小さい時から有った、両手に紐の先に鈴のついた束を親指と人差し指の間に、受けよろしくって、挨拶をしたかの仕草をした、日本人形が大好きで、その顔に、別れた姉を忍ばせていました。
床上浸水の被害にあった時、已む無く、ごみとして捨てたのですが
布の衣装を着たその人形は、今思えば、かなり高価なものと思います。
それで、その人形が姉のものと思っていました。
よいものは、大抵一番先に生まれたもの所有物と思い込んでいたからです。
姉に、捨てたことを謝ると、その人形が、私に火傷を負わせた、父が、お詫びの気持ちで、私に買ってきてくれたものだったそうです。


右顔面、額から、顎にかけて、熱湯による、ひどい火傷でした。
スト~ブにかけていた、ヤカンを倒してしまったのだと、記憶にはありますが、そこら辺は、オボロゲな記憶なのですが。

夢に現れたのは、右弓なりの三日月に腰をかけた、女神様でした。
私の姿は、足元にチョコントひざを折って座った後姿しか見えません。

女神様は、『いい子でいたら、直してあげます。』
私は、一言「はい」と答えました。

覚えているのは、翌日つれていた頬が突っ張らなくなり、痛みが完全に消えていたことです。

そして、私の顔には、火傷の後は、微塵もありません。

私には、空気とか風とかが友達でした。
よく、『生まれ変わったら、何になりたい?』

そんな漠然としたものじゃなくて、と言われていました。
わたしにとて、風とかは、物凄く実態のあるものでしたが、周りの人たちにはそうではなかったようです。

小学校のころ、漫画で、隠れキリシタンの話を読んで、踏絵を踏まされる所で、不思議に思っていました。
どうして踏まないのだろう。神を知っていれば、踏めるのにと思いました。

わたしは、魂に逃げ出されたことが有ります。

家のベッドで思わず吼えました。
その時、魂は私を見限って口から逃げ出しました。

恐らく、天国に避難していたのだと思います。

今は私の中に戻って、来てくれてます。
戻ってくれてから、大分たちますが、最近、ある魂に出会ったことで、私は私の魂の所在を強く感じ取っています。


多く信仰を求める人は、神にまだ、出会ったことがないのだと思います。
ある人は、神は人となって自分の前に現れるもの、と人を通した神を知ったから、自分は全て知ったかの口をききます。

それも、確かに神のひとつの働きです。でも一部です。
神の働きは、無限です。

その時折形をかえて、何かを知らせようとしています。
自分が何を知ろうとして、生まれてきたのか、一人一人の命題があるとは思われます。

神を求めるあまりに、人を傷つけないでください。
一人一人の道の中で、神が一人一人に用意した試練があります。
あなたの目には間違っていても、神の目からは、正しいこともあります。

わたしは、縁有って、キリスト教的な、アプロ~チの手段を手にしたので、その言葉を借りることが多いと思います。

今までに聖書は2度読みました。
一度目は、自分になにが起きたのか、知るために。
読んで、無宗教の私が、偶然浴びてしまったのは、キリストの生きた霊で事を知って、水による洗礼の儀式を受ける決心をした時。


二度目は、作品展をする時に、神の声が胸に響き、(私の場合は、女性の声です。)幻聴と少し違うのは、耳を通さないことです。

≪自らも求めるものは、自らの、コリンテス≫と聞こえました。

で、眠ると忘れるので、辞書を調べました。
一番近かったのは、コリントスへの手紙だったので、四谷に聖書を買いに行きました。

作品展をするにあったって、一通り聖書に、その時は、旧約まで、読むことになりました。全ぺ~ジに目を通したわけでは有りません。
前回、読んだときから、十年以上たっていましたが、マタイ、とかルカとか、キリストに関する証言はパスしました。

私の聖書に関する知識はその程度です。聖書は私にとって、ひとつの辞書的な役割です。

だから、聖書の言葉をもって、相手をねじ伏せるような、宗教家は好みません。

ハワイのキリストの霊を浴びたその教会で、12月の23日にホストファミリ~と牧師さんと私だけの洗礼式を行いました。

この儀式を受けるか受けないかは、ホストファミリ~の言葉を借りれば、同棲と結婚の違いくらいだと、言っていました。

ですから、セレモ二~をうけたからと言って神を受け入れているかは別の問題とも聞きました。

日本で教会を探すようにいわれましたが、何軒か回った感想ですが、
日本はどこも、拝みや的な匂いがして、仏教徒との差がわかりませんでした。形が違うだけって感じで。

ある時、義理の兄のベルギ~留学時共にした、フランス人のマダガスカルの神父さんをエスコ~トさせられた時、御茶ノ水の教会で、日本に、キリスト教は77宗派入ってきてる事を聞き、私は教会を
探すことを諦めました。

ホストファミリィ~から、人と人が集って、心をひとつにする時、そこに神がいる、と訓えをもらっていたので、私は、日本ひとつを教会と考えるようにしました。

それと、どの宗教も神を装って近づいてくる、見分け方としては、
悪魔は、力が弱いので、必ず、代償を求めてくる、神からのものは、無償だから、それで、見極めろと。


私が、キリストの霊に包まれた時、私は、教会で眠っていました。
英語学校の、合宿で最後の2日間ホ~ムステイが入っていて、適当に振り分けられた、出会いでした。

異邦人を受け入れる考えのもと、その教会が引き受けたようです。
一日目、わたしは、キリスト教の疑問点をその家族に、色々聞いていました。洗礼のこととか、もし、伝道されなかった、人たちは、どうなるのかと。

翌日付き合いで行った教会でわたしは、心地よく最前列で眠っていました。

そのミサは、ほとんどが音楽で構成されていました。
異言で祈ることを採用している教会でした。

で、癒しの時に、わたしは、腹の底から、何かが口を通して、出て行くのを感じました。それは、魂でないことは、経験上分かって、いました。

異質なものでした。涙が溢れ、頭にひとつの悟りが与えられました。≪人のことは、どうにもならない。≫


ミサの後、何人かの人に囲まれて、あなたはクリスチャンに成る。
と口々に言いました。
「ハアォ・キャン・ユ~・ビ~・ソウ・シユア?」
と訊きましたところ、中の一人が日本語の聖書を私に渡し、『これは完全な聖書だから、日本にかえったれ読むように。』

同じ家にお世話になった子が、『私は?』と尋ねると、
『アイ・ドン・ノウ。バット・メイビ~。』
と答えられた。

私の家は無宗教だった。母は戦後の日本の変化に、神を求めるものと成ったが、私が、洗礼を受けに行くと言うと、『神はここにいるのよ。』拳骨で胸を叩いた。
兄は『数珠でも持ってけ!』と言いました。
兄も姉もキリスト関係の学校と縁がありましたが、私には、初めての、接触でした。

洗礼の後、私の壮絶な人生が始まりました。
今はかなり楽になりました。

私は、宗教とは何かという事から、考え始めることになりました。

信仰・愛・希望    この内で、もっとも大切なものは愛である。

コリント人への手紙より






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最終更新日  2003年11月12日 05時59分28秒
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