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1月29日 ついにドイツを発つ日朝起きて、シャワー浴びて、ごそごそと荷作りして、10時半回ったころ、 ご夫妻が、わざわざ起きてきて下さって、タクシーを呼んでくれました。 そして、オット殿が、スーツケースを地上に降ろすのを手伝ってくれて、 私は、ベルリンのテーゲル空港に向かった。 タクシーの運転手は、珍しくドイツ人で(外国人の時の方が多い)、 しかもとってもおしゃべりで愛想が良い。 「君はドイツ語上手だね~。どうして話せるんだい??」とか。 「ベルリンの空港は、今は2つあるけど、もうすぐ一つは閉鎖されるんだよ」だとか。 そして、空港についたら、 「またドイツに来るんだぞ。沢山思い出持って帰りなさい。どうかお気をつけて~」と言っていた。 確かに、1週間ドイツいて、やっとのこと、以前のようにドイツ語が話せる??ようになっていたかも。 ようするに、私のドイツ語というのは、赤ちゃんが言葉を覚えるように覚えたドイツ語なので、きちっと文法を組み立てて話せないし、考えずに発して何とかなっていたので、しばらく話さない期間が長いと、出てこない。 考えて思い出すわけでもなく。なので1週間目にしてやっと調子が出てきた感じ。けど、残念ながら、その時点で旅は終了。 飛行場に着いたのは、搭乗時刻の2時間前。 なんと、早過ぎて、チェックインできず・・・。 よく考えたら、これから乗るのは国内線だった。 なので、1時間前に来てくれと言われた。 飛行場で暇つぶしに困った。 ベルリンのテーゲル空港、つまらない・・・。 仕方なく、電話したりSMSしたり。 やっと1時間たって、ミュンヘン行きに乗る。 ミュンヘンまでは、あっという間。 そして、乗り換え時間がたったの1時間だったのが心配だったが、 ミュンヘン乗り換えは、簡単で、またもや暇となった。 でも、この空港、素晴らしい。 私は、1時間の間に、色んなもの買っちゃった!! 甥っ子と姪っ子にどうでもいい土産。 自分用にゲスの赤いエナメルの大きなバッグ。 ワイン2本。 スペイン赤のとドイツ白のと。 ドイツのは、ヨハニスベルクっていう昔、行ったことのあるお城のもの。 ここはリューデスハイムの近くで美味しいの。 もっと時間あったら、きっと、洋服も買ってただろうなあ。 あとでくる請求書がコワいので、時間が制限されていて良かったかも。 ミュンヘン・成田線は、びっくりするほど満席。 しかも、その乗客の8割位が日本人。しかも、団体。幻滅・・・。 ヨーロッパ国内線は、たいてい、日本人は私以外に1人とか2人とかって 感じだったので、いきなり日本人ばっかりの世界に戻されて妙な気がした。 例のごとく、アレルギー剤服用とアルコール飲み捲くりで、帰りはぐっすり。 そして、成田に着いたのであった。 今回の旅、お世話になった ベルリンのご夫妻さん、マドリッドのご夫妻さん、アウグスブルクのお友達、 ワイマールのお友達たちと先生、マンハイムの友人たち、 ケルンの友人と先生、本当に本当にどうも有り難うございました!!!!! ****************************** やっと、旅日記書き終えました。 1月17日に旅立ったので、もう2ヶ月経ってしまいました。 早いものです。 長い日記、懲りずに長文読んで下さった皆さん、どうも有難うございました!! 単なる備忘録とも言えるのでつまらないもので恐縮です。日記に書き忘れていたのですが、私の日本で使っている携帯は、NOKIAです。 日本では珍しいんですが、当たり前だけども、ヨーロッパには、NOKIAユーザーが沢山いて、、、 飛行機が着陸すると、みんな携帯の電源をONにすると・・・。 そしたら、あちらこちらから、いっせいに、私と同じ NOKIAを立ち上げるNOKIAトーン♪が聞えてきて笑っちゃいました。 そして、着信音もみんなNOKIAトーン♪ ついでに、携帯の話だと、スペインは、地下鉄で走っていても通話可能な くらい電波が立っていました。 実際、通話している人が沢山いました。 でも、あんまり電車で、携帯眺めたりメールしている人は見掛けなかったな。 私は、この日本のソフトバンク携帯を持って行きましたが、 何回かメールを日本にして、何回かネット繋いでニュース見たり 国際ローミングで使いましたが、請求書見たら、いつもの月のちょうど倍位でした。 もっと目っ玉飛び出るくらい高いかと思って心配していたけど、そうでもなかったので、良かったです。 それから、ヨーロッパ国内では、日本に帰国してきたばかりの友人にプリペイド式のドイツ携帯を借りていったのですが、最初に25ユーロをチャージしていきましたが、2週間で、ちょうど足りました。 私がドイツにいた10年前は、まだマルクの時代。 しかも、1マルクが約60円の時代。 そっから、ユーロに代わり、マルク時代の倍増とも言うべき物価高騰 になり、さらに輪をかけて、今は、円が弱くてユーロ高。 つまり、当時のホテルの料金表を持っているのですが・・・ 10年前のワイマールのヒルトンは、205マルク≠12300円 でも、今は、141ユーロ≠22500円。 今回泊まったようなペンジオンのような安レベルのホテルは、 10年前、60マルク≠3000円 んで、今は、60ユーロ≠9600円 ユースホステルなんて、10年前は30マルク≠1800円しない。 でもね、今じゃそれが、30ユーロ≠4800円になってるし。 いっや~、ビックリしました!! 私の当初の計画だと、ホテル代にそんなにかかるだなんて、 全然予想していなかったものだから。 感覚が何しろ10年前。 ってことで、だいたい一日1万円が宿代で飛んでしまいました。 それから、、、ほんとに私は海外生活経験者なのか~?って疑問に思うくらいでした。 やっぱり人間、10年も経つと「昔のこと!」でした。 コチラから今回の旅日記、最初から読めます!!
February 29, 2008
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1月28日ベルリン その2の日記の続き・・・100番のバスに乗って、旧西側の中心地ツォー駅に。 ユーロでのキャッシュが、ついに底をつきそうだったので、 あと一日しかヨーロッパ滞在しないというのに、やはり不安が拭えず、 ついに、両替してもらうことに。 タクシーもクレジットで払えるのは滅多にないそうで、 翌日の飛行場までの乗車代に現金を作っておく必要があったのだ。 まずは、シュパーカッセという銀行に。 窓口で、1万円を差し出して、これをユーロにして欲しいと告げると 丁寧にレートをメモしてくれた。 しかし、なんと、手数料が、6ユーロ!! それを含めると53ユーロにしかならず・・・。 たったの1万円しか両替しない私も悪いけれども。 思わず「高い!」って言ったら、 「あそこのユーロセンターっていうビルに行くと、1階に両替専門の店が あるから、そこに、このメモ持って行ってみなさい。たぶん、そっちの方が安いわよ~」って、珍しく親切に教えてくれた。 なので、ユーロセンターに行って聞いてみた。 すると、手数料が3ユーロになった。仕方なく、それで両替。 でも、今回の旅行、結局、父親から夏のヨーロッパ旅行の残金としてもらった100ユーロと 自分で成田でくずした、3万円分の約160ユーロと、 少しだけ5年前から持っていたお金と、 そして、このベルリンで両替した56ユーロの計350ユーロ位で済んだことになる。 くたびれて、お腹が空いたので、手っ取り早い、Marcheという セルフサービスのカフェテリアみたいなレストランに入った。 ドイツどこにでもある店で(ワイマールにはなかったけど)、マンハイムに住んでいた時には、かなり愛用していたレストラン。 あまり美味しいとは言えないのだけども、自分で選べるのが何よりもいい。 でも、あまりにチョイスし過ぎると、レジに行って支払う時に高くて驚くのだが・・・。 私はここでは、ビール、一つの皿に、その場でグリルしてくれるポークチョップ、玉ねぎとマッシュルーム炒め、茹でジャガイモをのせ、さらに黒パンをチョイス。 これでだいたい13ユーロ位だった。ガッツリと食べた。 それから、クーダム通り付近を散歩。 ここは、東京で言うと銀座みたいなところかな? 途中で、シュタイフ発見! 立ち寄ってみたけど、この日まで知らなかった! なんと、シュタイフには、ぬいぐるみしかないと思っていたのだけど、 チョ~かわいい子供服があるじゃない!! 日本ではまだ見たことがなかったので、かなり感動。 でも、すぐにあげたい子供が浮かばず、高くて買わなかったけど。 あとは、チョコレート屋のライジファーだとか。 香辛料の入った板チョコの豊富さに感激。 ここで、なんとチョコ80ユーロもお土産に買い物!! この店は、飛行場にカフェまであった。 なんでもある日本だけど、まだないものもあるんだなぁ~って思った。 それからまた100番のバスに乗って、少々逆戻りして。 今度は、旧東側のショッピング街のフリードリッヒ通りに出てみた。 この辺りは、私は初めて歩いた。 でも、もう日が暮れていて、どんな街の様子かよく分からなかったけど、 まだまだ進化中の街のよう。 まずは、交差点にあった、車屋さんばかり入ったビルに。 ドイツ車以外にも、あまり日本で見掛けた事のない車を拝見。 それと、向かい側にあったポルシェの店ものぞき・・・。 ・・・ってか、私は運転できないクセに、わりと車見るのが好きで、 ドイツのメルセデス・ポルシェ・BMWの博物館は既に制覇している!! その近くのお洒落なカフェでコーヒーを美味しい飲み、一休みして。 ちょっと歩いて、有名なギャラリー・ラファイエットの入った高級ブティック等が入ったのパッサージュに!! ラファイエットは、フランスのデパートですが、最初に寄ったドイツのカウフホーフとはまるで違った。 素敵な空間に思わず見惚れた。 パッサージュにあった、BREEの店にて、 私の大きなリュックサックとお揃いのポシェットを購入。 セールでたったの25ユーロになっていた。激安!! ラファイエットは、絶対に買えそうもない高い洋服から、私の大好きな ちょっとデザイン性が優れた個性的な洋服まで並んでいた。 スペインで散財したので、見るだけ~~~!!だったけど、 日本にはあまりないような、素敵な洋服がいっぱいありました。 ショッピングは、買わなくっても楽しい。 もう、帰らなくっちゃならない時間が迫っていたので、また100番のバスに。 途中で、ベルリンフィルやソニーセンタービルを通過しながら、 最初に地下鉄降りた、アレキサンダー広場へと戻った。 もう1回、広場のカウフホーフに寄って、スーパーで最後に日本へ持ち帰るお菓子とか買って、本日終了。 地下鉄に乗って、7時半過ぎにご夫妻のお宅に戻ったのであった。 家に着いてみると、びっくり!! 私の為に、ご夫妻が、ものすご~~~く素敵な演出で 出迎えて下さっていた。 食卓を蝋燭で飾って・・・ そして、私の大好物なものを手料理していて下さった。 感激~~~。 ブロッコリーのスープ、ほうれん草のグラタン、スペゲッティボロネーゼ、フェルト(野草)のサラダなどなど・・・。 ちなみに、ピアニストのオット殿の料理の腕前は、素晴らしい!! 最高のおもてなしをして頂いて、ヨーロッパでの最後の夜を迎えたのであった。
February 28, 2008
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1月28日ベルリン その1の日記の続き・・・それから、旧東ドイツの製品やデザインの展示、当時のファッション文化や経済、家計、教育、様々なものが見れた。 あの東ドイツの団地の内部も再現されていて、戸棚を開けると食器だとか本だとか食料品だとかが、今すぐ使えるんじゃないかと思うような、そのまま置いてあった。 何でもロッカーみないな棚の所から、引き出てくるようになっていて、 それを引き出したり開けたりして、覗いたり、実物を手にとって見られるようになっていた。 当時の生徒手帳だとかパスポートだとか、簡単に手にとって見れるんだけど、盗まれないのかな~って思った。 写真だって撮り放題で、なんともルーズな博物館。 そこがいい。 きっと、この博物館の人気の秘訣は、それかもしれない。 それに、東ドイツの製品が今となってはレトロでデザインもグッド!! ドイツでは、ノスタルジーとオスト(東の意味)を引っ掛けて 「オスタルジー」と言って、懐かしむそうなんだけども。 かわいらしいグッズがいっぱい並んでいた。すっかり堪能!! それから私は、シュプレー川を渡り、ベルリン大聖堂まで来た。 しかし、大聖堂の入場料は、非常に高かったので今回は入らず。 だって、12ユーロ位した。びっくり。 ペルガモンだとかも以前に行った事があるので今回はパス。 なので、ただただ、テクテクと歩き・・・ 前の日に観た、国立歌劇場も通り過ぎ。かなり歩いた。 途中で、車屋さんとか見ながら。 ブランデンブルク門に出た! ベルリンには何度も行ってるけど、もしかしたら、この門を歩いてくぐったのは、10年以上振りだったかもしれない。 というか、車が通れないようになっていた!!そう思って、1人で、西側に国境越えだぁ~!って思いながらくぐった。 くぐってから「旧帝国議会議事堂」(ライヒスターク)が見えた。 ここもまだ未体験ゾーンだったので行ってみる事に。 ヒトラーが首相になってすぐに出火して、そのまま放置され、しかも 第二次大戦の空襲時にさらに焼失して、、、ドイツ統一した時に会議に使われたという歴史的な建物。 修復されたのは、それからで、私がドイツ留学から帰国した頃に、完成して、首都機能がボンからベルリンに移った。 なので、国会の上部にガラスのドームが出来たのを見るのは初めてだった。 入り口の階段には、観光客が沢山並んでいた。寒かったのだけども私も30分ほど並んだ。 何に並んでるのかと思ったら、厳重なセキュリティーチェックがあった。 コートまで脱がされて、飛行機に乗るのと同じ位に厳重。 チェックが終って、エレベーターに乗って、展望台のある屋上に。 そして、ガラスのドームの中の下に、歴史的な写真が並べてあり、 それを1周して、ドームをグルグルと上がる。 表参道ヒルズのような構造。 思ったよりもかなりの運動量が必要とされて、一番上まで昇るのは疲れた。 あまりいい天気ではなかったとは言え、でも、ベルリンが一望できた。 「Die Welt」と書かれた雑誌の宣伝だか、空にはデッカイ気球船も見れた。 すっかり朝から、飲まず食わずで歩き回って、気が付いたらとっくに2時を回っていた。 でも、ブランデンブルク門の辺りには何もなかったので、仕方なく 疲れてきたので、たまたま発見したバスに乗ることに。 そう、ベルリン観光と言えば、この100番のバス。 100番に乗りさえすれば、主要なところに行かれるのを知っていたので とりあえず乗車。 ベルリンの一番の市街地のツォーまで行った。 続く・・・
February 28, 2008
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1月28日ベルリン 8時頃に目が覚めて、まだ寝ていた家主さん達に関係なく、私は9時半頃そっと街に繰り出した。 地下鉄に。窓口で交通マップをもらって バスと地下鉄の乗り放題一日券というのを購入した。 一回の乗車が2ユーロ位だけども、一日券は6ユーロ位だったからかなりお得! 言葉が通じるので、マドリッドの時ほどでもないけれど、でもやっぱり 知らない都会は緊張する。 地下鉄の中は、突然、花売りだとか新聞売り屋みたいな、ちょっと 浮浪者同然の人が声を出して売りに来る時があって、びっくりする。 そういう人が、突然に現われると、切符のコントローラーが来たのかと思って、ドキリとする。 (ドイツには改札口がないので、無賃乗車が可能で、それを監視する人が、たまに突然に立ち上がって「チケットを拝見します」と現われるのだけども・・・。) そして、ポケットにしまったハズの一日券があるかどうか、思わず確認しちゃう。 アレキサンダー広場で降りてみた。旧東ドイツの中心地。 ここは、15年位前の大学生時代に両親と来た初めてのドイツ旅行で泊まったホテルがあったところ。今はあるか分からないけど。 広場には、何組が観光客団体がいて、添乗員が、ドイツ語で説明しているのが聞こえた。 「この広場は、来る度に変わるんです」と。 本当にそうなんですよね。年中、工事していて、まだ工事中。笑 地下鉄から上がってきた時、出口を気にしないで出てきたので、 広場のどっち方面に自分がどこにいるか分からず・・・。 仕方ないので、一周してみるものの、テレビ塔が見当たらない。 何故だ~~~!? しばらく歩いて、分かった。 なんと、霧でガスっていて、テレビ塔が見えなかったのだ!! ようやく、テレビ塔の下の部分を発見。 この日の天気は悪くて、テレビ塔と空がほとんど一体化していたのだ。 とりあえず、ドイツに来てからデパートに入っていなかったので、 カウフホーフというデパートに入ってみた。 どうやら改装したばかりで、綺麗だった。 そう言えば、以前訪れた時は、このカウフホーフはボロかった。 このカウフホーフというデパートは、ドイツのどこにでもある 庶民的なデパートなのだけど、日本のイトーヨーカドーや ジャスコに値するような、、、。 とりあえず、何があるのかだけ見て、また帰りに寄ればいいやと思って 何も買わずに出てきた。 それから、地図を見ながら、テレビ塔を背にして、テクテクと。 聖母教会を見て、赤の市庁舎を見て、、、。 地図だとたいしたことない距離に見えるのだけども、歩くと結構ある。 さらに、新しく出来たっぽい色んなお店屋さんが入ってるようなビルを フラフラしながら。 途中、ネクタイ屋さんがあって、面白いモチーフのネクタイがたったの 20ユーロで売っていた。 父親に、思わずお土産に~とトロンボーンのネクタイを購入。 そして、この日の最大の目的だった、DDR博物館に! シュプレー川を渡る手前(渡ったらベルリンの博物館島になる)の 川岸にひっそりとその博物館は出来ていた。 まだオープンしてからそんなに経っていない博物館なのに、大人気だという。 私のガイドブックは、5年前に買ったものだったので、載っていなかったので、この博物館のことは、旅立つ前に調べておいた。 博物館入り口で、入場料を払おうと財布を見た。そしたら、なんと!! クレジットカードがなくなっていた。 今回の旅行で最大の危機!!!!! びっくりして、「ちょっと待って」と、博物館の人に言って、 コートのポケットやら、バックの中やらゴソゴソと探したのだけど ない!!!!! んで、博物館の人に、「私ね、今、たった今、ネクタイ買ったの。その時にカードで払って・・・。」と焦りながら言って。 「ネクタイ屋さんに行ってみて、また来るね」と、猛ダッシュで、ネクタイ屋さんに引き返した。 そんなに離れていなかったから、本当に良かった。 そして、ネクタイ屋さんに着いてみたら、店員さんは、電話中。 私は、店にあったレジの横の、クレジットカードを挿し込む機械を見た。 そしたら、私のクレジットカードが、まだ機械の中に挿されたままの状態になっているのが分かった!! 「私のクレジットカード!!!」と指を差して店員に叫んだ。 そしたら、電話中であった店員さんも、ショックを受けたようなポーズを とって、私にクレジットカードを返して謝ってくれた。 本当に本当に良かった~~~。 再び、博物館に戻り、入場券をクレジットで買った。 博物館の人は、「あそこのネクタイ屋のおばちゃんは、いい人だから、良かったね」と言っていた。 この時、実は、私の財布に現金が、たったの30ユーロ位しかなかった。 どっかで、この日に銀行に行って、日本円を両替しないとならないと 思っていた時で、なるべくなら現金を使いたくなかった。 なので、こんな入場券までクレジット払いだったのだけども、ある意味、 これで気が付いたようなものだったので、本当に幸運だった。 そのDDRミュージアム。旧東ドイツの暮らしを展示している博物館だ。 実は、楽天ブログ仲間のぴかままさんやブランスウィック中島さんがオープンしたばかりの博物館の様子を紹介していて、どうしても行きたかったところだった。 5年前には、ベルリンの壁博物館、ユダヤ博物館が私にとってとても魅力的で、半日ずつ掛けて見たのだけども、今回は、ココに絶対行くと決めていた。 どういうわけだか、 旧東時代をテーマにしたドイツ映画や数々の本に夢中になってしまうのだ。 しかも、留学していたワイマールが、旧東だったしね。 本当はさらに、シュタージ(国家秘密警察)博物館やら その刑務所やらも見てみたかったんだけど、いくらなんでも、そんなところに一人で行くのはコワいので今回はやめておいた。 ついでに、同性愛者博物館なんつぅーのもあるんですね~!! さすが、ドイツにびっくりだ。 そして、DDRミュージアム、念願叶って、入ってみた。思ったよりも狭いコンパクトな博物館。 でも、それが予想外に期待以上に面白かった。 いきなり、あの、トラバンテ(通称トラビ)の運転席に乗車できた!! 私が10年前に留学していたワイマールでは、よく走っていた車。 今回の旅行では、ワイマールで駐車してあったトラビ1回とプリンツの前の道路でトラビが通過したのが1回で、2回見たけど。笑 何しろ、ペラペラで、叩いた感じはダンボール。 運転席に座って、別の観光客に写真を撮ってもらった。すっごく嬉しかった。 続く・・・
February 28, 2008
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ワイマール最終日。 朝ゆっくり起きて、朝食とランチを兼ねて、 そうだ!まだ食べてなかった~! と思ったので、ドナーケバブ(DoenerKebab日本語ではドネル??)食べに行った。 ワイマールだというのに、またもやトルコ??って思ったんだけど アウグスブルクの友人が、ワイマールにも知っている中で、 ドイツで一番美味しいドナーが食べられるところあるんだよ~! って言うもんだから。ゲーテ広場そばへ。 あとに聞けば、ベルリンにはもっと美味しいのがあるってベルリンの ご夫妻は言ってたけど・・・。 でも、たしかに、ワイマールの10年前にはなかった、そのドナー屋も 超美味しかった!!! これで3ユーロ!! お腹いっぱいになる。 ここは、インビス(軽食屋というか立って食べるところ)でなくって ちゃんとしたレストラン風になっていた。 ただ、このお店には、セルフで無料で飲めるチャイ(トルコ紅茶)がなかったので アウグスの友人が店員にお願いしてくれたら、無料サービスで作ってくれた。 2時頃、駅に向かった。車を駐車して、汽車の時間を調べて、駅構内の土産物屋をのぞいたりして、そして、カフェでコーヒーを飲んで。 そのカフェに、コーヒーの種類が色々と区別されているパネルが 貼ってあった。ドイツに来て分かったのだが、カフェ・マキアートって頼むと 何故かイタリア風とかってなっていて、グラスで出てくる。 それと、マグカップで出てくる、カップチーノやカフェラテとの違いがいまだ私にはよく区別できないんだけども。 ちなみにwikiには、違いが出ているけど。 ミルクの種類や量によってネーミングが違うらしい。 全部、名前覚えて網羅するには、かなり勉強が必要そう。 いよいよ汽車の時刻になったのでホームに。 別のホームには、なんと、蒸気機関車が!! 汽車の車両に「思い出の機関車」とかってドイツ語が書いてあって、 何やら、それの乗車を待っているらしい、長い乗客の列があった。 私はこんなところで珍しいものが見れた。 今日までお世話になったアウグスの友人とお別れをして、4回目のジャーマンレイルパスでICEに乗った。 お友達は、ワイマールからアウグスブルクまで車で帰宅。 ICEは、ライプチヒで乗り換え。 それこそ9年ぶりのライプチヒだったが、残念ながら時間がないので 今回は駅だけだった。 ベルリンまでは、ワイマールから、かつては3時間掛かったのだけど、たったの2時間に短縮されていた。 私は、ベルリン中央駅よりも一つ手前で降りて、タクシーで、友人の家に向かった。 ワイマールですっかり田舎者になった私は、やっぱりベルリンは大都会だなぁ~って思った。 その日泊めさせて頂く友人とは、その前夜にプリンツでコンサートを終えたばかりのご夫妻。 ご夫妻は、私よりもひと足先に、ベルリンへと帰宅して待っていてくれた。 前回の5年前のベルリン旅行の際にもお世話になったのだが、彼等は転居したので、そのアパートには、私は初めて訪れた。 とても広いリビングで、さすが、綺麗好きなお二人さんは、調度品も素敵に飾られて、すっかりちゃんとした生活をなさっているようだった。 私の単なる留学生だった時のアパート暮らしとは全然違った。 そして、私は荷物を置いて、ゆっくりする間もなく、ご夫妻と、オペラ劇場へと出掛けた。 地下鉄に2度乗り換えて、旧東ドイツ側の「シュターツオーパー」(日本語でベルリン国立歌劇場??)に。 ここでのオペラ鑑賞は、私は3度目かな。 一番最初は、留学初めてのベルリン旅行で、「さまよえるオランダ人」 2度目は、両親がドイツ旅行に来た際に、「魔笛」、そして、3度目と なったこの日は、ヴェルディの「仮面舞踊会」だった。 今回の旅行前に、色々と調べたのだけど、残念ながら、ベルリンフィルは カラヤンの記念コンサートか何かで、ずっと遠征中。 ベルリンドイツオーパーは、どうやらバレエの公演。 前回のベルリン旅行では、コーミッシュオーパー観たので今回は却下。 となって、買おうかどうか迷ったまま、旅行に出掛けたのだが。 せっかく、ドイツに来たのにベルリンに行くのに、何もコンサートに 出掛けないなんて勿体無いと思っていた。 そしたら、スペインで、ご夫婦が、「仮面舞踊会」だったら、私達はチケットをお知り合いの出演歌手から格安で譲ってもらえるから 一緒に行こうと言って下さったので、スペインでチケットを予約した。 ドイツでのオペラ鑑賞としては、あまり安いとは言えないチケットだったのだけども、でも、日本でつい最近、ドレスデンのシュターツカペレを半額チケットで、それでも2万5千円出した私にとっては、42ユーロ(約6500円)というのは、激安とも言う。 私の席は、1階席の一番後ろのド真ん中。 ご夫婦は、すごく前の方の席に着いた。 私の席もとってもいい席だった。 やっぱり、ヨーロッパの歌劇場は、雰囲気が素敵!! オペラは、これ。 指揮者は、私と1歳しか変わらない若さみたいですねー。 イタリア語で歌っているので、ドイツ語字幕が、舞台の上部に出ていた。しかし、私は、だいぶ経ってから、その字幕に気が付いた。笑 ドイツ語を見ていると、ちっとも舞台が見えないし。 結局、途中からは、ストーリーも分からないまま、諦めて、お芝居と歌に熱中。 しかし、あまり面白いとは言えない。 残念ながら、2幕目は、睡魔との闘いになってしまった。 そして、2日前位から引いていた風邪が、この日が一番最悪で、 歌劇場の中のヒドイ乾燥で、ついに、鼻紙を鼻から離せないような苦しさになった。 飛行機の中で起きる私の乾燥アレルギーみたいな状態だった。 ってことで、休憩は、外に出て、外の冷たい空気にあたりに。 1幕と2幕の間は、25分の休憩、2幕と3幕の間は、20分だった。 3幕は、ストーリーの展開も面白くなってきて、賑やかな舞台になって、 少々楽しめた。 やっぱり歌い手さん達の声量がすごいなぁ~って思いながら。 オペラが終わり、私達は、少しウンター・デン・リンデンを西に向かって歩き、カフェに。 ここは、ウィーン風のカフェで有名だという。 ウィーン風カフェには、コーヒーに水がついてくるんですね。 この時初めて知りました。 私は、1人お腹を空かせていたので、何かないかとメニューを見て 少々高いのに驚き、なんでもよかったので、スープを注文。 予想外のものが出てきたけど・・・。 ビーフコンソメみたいなものに、おふみたいなものが浮いていた。 味は悪くなかったけど、、、 よく考えたらこの日は、私は、ドナーとスープしか食べないで終った。 そして、再び地下鉄に乗ってご夫妻の御宅に。 この日は、みんなお疲れだったので、すぐに就寝。 私は、広いリビングのソファーベットを占領させて頂いた。
February 27, 2008
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1月26日後半 前半の日記の続き・・・プリンツに着くと、コンサートの準備が進められていた。 すでに、ギャラリーの中には、座席が作られており、ビールやワインと ワイングラスやスナックが並べられていた。 そう、この日は、私達の友人、ベルリン在住の日本人音楽家ご夫妻のジョイントコンサートだった。 彼等とは、マドリード旅行でもご一緒した彼らのことである。私は、もともと今回の旅行は、この日のこのプリンツでのコンサートに合わせて計画していたので、とても楽しみにしていた。 ワイマール留学中に同時期に勉強していたご夫妻(当時はカップル)。 プリンツには、コンサート開演時間の8時になると、50ほどの席が満席となった。 開演までは、みんなギャラリー内の絵を鑑賞したり、歓談を楽しむ。 私もウロウロとして、日本に持って帰りたいと思った、画家の奥様の作品のワインのデキャンタを買った。 私の家によく合うでしょう! 実はギャラリーの中には、私がモデルになった作品も数多く潜んでいて(爆)、10年前の私の若かりし日の頃の顔が、他のお客にバレないといいなぁ~と冷や冷やしていたのだが、、、バレなかった模様。 このド田舎の村、プリンツは、なかなか日本人のお客さんは来ることないらしいが、なんと、この日、お客様の中に、日本人女性が2名いた。 すごい。 彼等は、イエナの大学でドイツ語を学んでいるらしい。 そこで知り合ったドイツ語日本語の語学交換パートナーをしているというドイツ人のご老人に、このコンサートに連れてきてもらったと話していた。 ところで、この語学交換パートナーのことを、よく「TANDEM」って言うんだけど、ドイツ人の画家やラジオ局に勤める友人は、「何それ??」って知らなかった。「TANDEM」の本来の意味は、「自転車とかの二人乗り」。 それで、「語学交換」という時にも使われるということを、ドイツ人が知らなかった。何故か私がドイツ人に、ドイツ語を教えた。驚き~。 画家が出てきて、本日のプログラムを紹介して、それからコンサートが始まった。紹介の時に、私のことも紹介してくれた。 「昔、ワイマールで勉強していて、プリンツでも何度かコンサートをしたことのあるayayaも今日は来ています」と。 まずは、ソプラノとピアノ伴奏で歌曲とアリアを堪能。 10年前、そのソプラノの彼女は、日本の音大ではピアノ科を卒業して、ピアニスト だったのが、この10年、ワイマールで研鑽を積んで、すっかり素敵な 貫禄あるソプラノ歌手に変身していた。 1曲、オッフェンバックのホフマン物語に出てくるアリアで、人形役?? の超絶技巧な曲があって、歌も素晴らしく、しかも、旦那様でもあるピアニストとの仕掛け付きの芝居部分は楽しめた。 さすが夫婦だけあって息もぴったりで微笑ましい。会場からもどっと笑いが。 素敵な美声にため息と拍手もたくさん。 それにしても、いったいこのド田舎村に、どこから人々はやって来るのでしょうか?と思う。 ここに来るお客さんは、別に特別なお洋服を着飾っているわけでもなく、村の近所のおじいちゃんおばあちゃんの会合のような、そんな気軽な感じでクラシックを聴きに来るのだ。 みんなどこまで音楽を分かっているのか分からないけど、心から楽しんで聴いているかのよう。 日本の堅苦しい音楽会とは全く違って、本当に温かい雰囲気。 ワインなど堪能して、たっぷり休憩をした後、コンサート後半。 今度は、ピアノ・ソロ。 あのペラペラなピアノとは思えない、素晴らしい演奏。 オット殿のラプソディーインブルーは、初めて聴かせて頂いたけど、 なかなかこの雰囲気には合う、カッコイイ。 他にバッハ=ブッゾーニやシューベルトなど。 すっかりお客様たちは、感動して拍手は長く続いた。 ついでに、書いておくと、そのピアニストの彼は、今度のGWにある 私が毎年行っている(過去の日記)、あの東京フォーラムであるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』音楽祭2008 『シューベルトとウィーン』 に参加なさいます!!是非、皆さんも彼の演奏を聴きにいらして下さいね~!!チケットは、ココ梶本音楽事務所のe-plusで先行予約販売中!!!一般発売は、3月15日のようです。私は、今年もまた4日連続で行きます~!・・・素敵なコンサートは終った。 余韻が残る中、2階の画家のプライベートダイニングで、ささやかな パーティ。 ドイツ人画家ご夫妻と本日の主役ご夫妻と私とアウグスの友人と、そして お客様にいらした、ラジオ局に勤める友人と、そして、イエナから毎回コンサートにいらっしゃる(かつて私のコンサートにも来て下さっていた)お金持ちのドイツ人ご夫妻と、皆でワインで乾杯!! 大好きなプリンツのこの空間で、素敵な方々と素晴らしい時間を過ごせ 私はとっても幸せに感じた。 ラジオ局に勤める彼女から、彼女が編んでくれた帽子、ネックとリストのショール(マフラー?)の3点セットをプレゼントされた。 すっごく温かい!! そして、いつかまた必ず訪れると約束して抱擁して別れをして、ワイマールへと向かった。 ワイマールに戻った私達は、夜10時半をまわっていたが、ワイマールの 国民劇場でのコンサートのお仕事を終えた、劇場オーケストラに勤める 日本人のお友達と飲みに出掛けた。 ペンションのすぐ側にある、ちょっとこ洒落たバーで。 ここは、バーとは言え、お料理の種類も多く、美味しそうだった。 本当、ここ10年でワイマールは、すっごく変わったかもしれない。 お洒落な感じのお店がとても増えた。 私は、コンサート前にカフェで食べたパスタでお腹はいっぱいになっていたので、飲むだけだったけど。 私は彼女と会うのは初めてだったけれども、すっかり意気投合した感じだった。 途中から、そのオーケストラ団員の彼女の彼氏、やはりオーケストラ団員だというドイツ人も加わって、4人で夜中の2時半頃まで飲んだ。 バーの隣席に、どうやら見覚えある顔が! ギリシャ人のピアニストの子だ。私が留学していた時にもいた子。 彼女の旦那になったというブラジル人はいなかったけど。 ここでも10年振りの再会!だったのだけど、なんとなく恥ずかしくて 声は掛けず・・・。 それにしても、ワイマールって本当に狭い。
February 26, 2008
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1月26日前半 PLINZの続きです。前日の日記分に書くのを忘れたけど、プリンツの夜の空は、 プラネタリウムのように星がたっくさん見えた。 そして、寒い一夜を過ごし、朝起きて、朝食。 前日の夕食と同じコールドミール。 寒かったせいか、この日辺りから、ひどい風邪を引いた。 熱は出なかったから良かったけども、咳と鼻水がひどかった。 幸い日本から持ってきていた葛根湯に助けられた。 朝食の後、写真撮影が始まった。笑 撮影用スタジオ?みたいなのは、アトリエのある3階。 何かって、ドイツ人画家が写真を使った芸術作品に必要だとかで まずは、一緒だったアウグスブルクからやって来た友達がモデルに。 馬に乗っているモデルが欲しいからと、変な台の上に座らせられて クラリネットを吹かされていた。爆 その後、私も変なポーズを取らされて、モデルに。 しっかし、あとで出来た写真見たら、私の姿は最悪だった。 ブサイク~~~。たぶん、これは作品にならんだろうなあ。 そして、私達の顔だけ正面から撮った写真を画家のパソコンで 何やらすごいソフトを使って加工。 すごかった!! 撮った写真をソフトにかけると、まず、肌がちょ~綺麗になる。 毛穴もなくなって、シワも目立たなくなって。 それに、目の形や口の形も顎のラインも自由自在に変化。 私は、二重にして、顔を細くしていっぱい変身させてみたかったけど・・・ 芸術家は、それはやってくれなかった。 しっかし、私のBefore After は、Berfore が酷すぎて・・・。爆 それから、ギャラリーにあるピアノを弾いてみた。 クラリネットとサンサーンスのソナタを全部弾いた。 そのピアノは、もうすぐ100歳なんじゃないかというような、 かなりアンティークもののブリュートナーで、弾くとピアノが揺れて、 壊れそうなような感じなんだけど、久しぶりに弾いたドイツでのピアノは その音色が素晴らしくて感動した。 どうしてだか、とても響きが澄んでいて綺麗で美しかった。 これが、ベルリンの友達ピアニストが言っていた、日本とドイツの調律の 違いなのか?? 本当に全然違った。 少しだけの時間だったけど、5年振りにドイツでピアノ弾けて、それだけでも味わえてよかったな。 あの響きの感動を一生忘れないようにしたいなあって思った。 住んでいた時には、慣れちゃって感じたこともなかったけど。 そして、今、日本のピアノ弾いて、げんなりです。 それから、私達は、プリンツの庭で散歩。 これが面白いの。全部ギャラリーだから。 彼の作品で埋め尽くされた庭。 ちょっと、作品の一部になって写真撮ってみたり。笑 私は、ほんと、ここ大好き。 そして、3時頃までゆっくり寛いで、プリンツを堪能して、 私達は、ベルリンからやって来た、音楽家ご夫妻をイエナの駅まで 車で迎えに行った。 無事にベルリンの音楽家ご夫妻は到着。彼等を乗せて、再びプリンツに向かったのだが・・・ なんと、迷子。また迷子。笑 来た道を引き返せば良かっただけなのに、途中で曲がりそびれたみたいで ものすごい距離を走っていた。 いつまで経ってもプリンツにならず、、、。 やっと気が付いて、ユーターン。全然別の街にまで来ていたらしい。 そして、ユーターンしたら、事故車両の撤去作業に引っ掛かって渋滞にまで巻き込まれる始末。 何しろ、あっちもこっちも畑が続いて景色が同じで、本当分からなくなる田舎。 ベルリンの音楽家ご夫妻は、これからPlinzでの本番が待っており その前にリハーサルをしなくっちゃならないのに、結果的に1時間位も 損をして、迷惑を掛けた。 リハーサルする彼等の邪魔にならないように、私達は、プリンツを後にした。 しかし、またもや、道が分からなくなり、さまよう。 何故か、前日来る時に走った道よりも、いつまでたっても舗装された道路にならない。 不信に思いながらもさらに舗装されていないデコボコ道を走っていたら、あのラジオ局に勤めるドイツ人の友人が、自転車に乗って、ワイマールからプリンツに向かって走ってきた。 車の窓を開けて、彼女を呼び止めて、「Hallo!!」って挨拶を交わし、「またあとでコンサートで会いましょう!」と。 私達は、彼女がワイマールから、この道を使ってきたんだから、きっと この道で合っていると、このとき思ってさらに走った。 それがいけなかった。 その彼女は、ギャラリーに着いて、画家に「ayayaたちに、あぜ道で擦れ違った」と報告して心配していたらしい。 行けども行けども、舗装されていない、あぜ道。右も左も畑。 これはおかしいと、ようやく気が付いた私達は、もと来た道を引き返し 出直した。 そうしたら、プリンツを出てすぐのところに、右へ曲がる、小さな村へ行く、舗装された道路があることが分かった。 どうやらそれを見落としていたらしい。 それから順調にアウトバーンに出て、無事にワイマールに。 プリンツに戻らなければならない時間まで2時間足らず。 大急ぎでホテルにチェックイン。 24日に宿泊したのと同じペンションに予約を入れた。 またもや重い荷物を階段で上げて、そして、ペンションの下のカフェに 入って、軽く夕食をとった。 アウグスの友達は、スープ。私は、トマトソースのタグリアテッレ。 なかなか美味しかった。 そして、急いでまたプリンツへと引き返した。 「もう、迷わないよね~!!」と。さすがに、迷わず、スイスイと。笑 続く・・・
February 26, 2008
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1月25日夜 午後の日記の続き・・・ワイマールからアウトバーンに乗って、ドレスデンの方角へ向かった。 15分位走って、イエナの街に出る手前のところの小さな街で、アウトバーンを降り、そこからは、ド田舎の道をひたすら走り続け・・・・・。 日も落ちて、視界真っ暗!ドイツのこういう所は、外灯が全くなくて、 車のライトだけ。 そして、景色は、右も左も畑。ほんとに何もないところ。 絶対、1人だったら寂しいし、コワくなるようなところ。 何度か車に乗せてもらって行った事があるところだったんだけど、 遠い彼方の記憶と1枚の地図を頼りに、車を走らせ。 ず~っと走って、分かれ道の看板を見逃し、別の道を走り始めて、 気が付いてユーターン。ユーターンするにもできる場所なくって かなり走ってから引き返す。爆 そして、出てきた小さい村でまた迷子。 クルクル周っても、看板見当たらず、次の村へ行く道が出てこない。 それを3回ほど繰り返し・・・。 私のナビができてないのがいけないのだけど・・・・。ごっめ~ん。 やっと発見! そして、さらに走ると、今度は、完全なあぜ道。 もうここまで来ると、万が一迷ったら、日が昇るまで 永久に着けなくなりそうな、そんなところ。 なんとか進めて、目的地へ着く最後の道に出てきた。 以前と違ってジャリ道がコンクリに舗装されていた。 なんとか、無事に到着~。 着いたところは、2軒しかない村。 ここに地名が存在することが謎なんだけども。 PLINZという場所なのだ。 そのPLINZは、ひょんなことから知り合ったワイマールのドイツ人(先日の日記に書いたラジオ局に勤めている彼女)に連れられて来たのが、最初で、、、 それ以来、私はそこで、何度かコンサートしてピアノを弾かせてもらったり、 私の両親が来た時に遊びに行かせてもらったり、モデル?やりに行ったり、、、と、とても可愛がってもらったドイツ人の芸術家ご夫妻が住んでいるギャラリー。 ギャラリーのご夫妻は、もともとワイマールの大学で建築の勉強をなさったのだけども、旧東ドイツの体制下では、設計やデザインを自由にできなかったという不満から、きっとそれが、大爆発したのか、なんなのか、 そのPLINZという場所にあった、元製粉所だった物件を買って、自分達の手で大改造をして、面白いギャラリーにしちゃって、そして、色んな動物を飼って、自炊自足の生活を試みたりして、そして、今も細々と色んな作品を生み出して生活している。 私が、5年ぶりにまた行くと言ったら、とっても喜んで下さって 待っていてくれた。 今年は、灯油の値段が高いから、自分達で薪割って生活していて 結構苦しんでいると聞いていたから、心配していたけど、元気そうだった。 私達は、ギャラリーの奥の一角にあるゲスト用の滞在部屋を案内してもらった。ここの部屋も来る度に模様替えされているような気がする! 模様替えというのは、壁紙が彼の作品だから。 荷物を置き、そして、2階にあるご夫妻のダイニングに。 何を作っておけばいい?って電話で聞かれていたから、「典型的なドイツ風の夕食がいい!」ってお願いしておいた。 そうしたら、超典型的なドイツの夕食が待っていた。 コールドミールだ! でも、沢山のチーズとハムの数々。そして黒パン。美味しい~!! しかも、ここのチューリンゲン特産物で、私の大好物の、Schweinemett / hackepeter という豚のタルタルソースがあった。 それをパンと食べるのが、Mettbrötchen。 このHPにも紹介されているけど、生の豚挽き肉です。 コワいから食べられないという人もいるのだけど、、、すんごく美味しいのですよ~~~~~。 私は何度も沢山食べているけど、まだお腹壊れたことありません。 「生 豚 タルタル」で検索すると、ドイツの情報しか出てこないところみると、 ひょっとしたら、世界でもドイツだけが、生で豚を食べるのかも? ビールを飲み、私は、マンハイム近郊でお世話になったお友達から、お土産にと頂いた地元ワインを開けた。 ドイツにしては珍しく濃厚な赤のワインで、飲み終えたら、口の周りも口の中もお歯黒状態に。 夜遅くまで画家のご夫妻と話して、寝た。 しっかし、このギャラリーは寒かったのだ。 http://maps.google.co.jp/maps
February 25, 2008
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1月25日午後 午前の日記の続き・・・アウグスブルクのお友達が用事が終って戻ってきた。 私達は、バウハウス大学の新しくできたらしい近代的な図書館の カフェテリアに入ってコーヒーを飲んだ。 大学のカフェテリアだったから、コーヒーは激安。 でもここはお洒落な食器で出てきた。 今回は、メンザ(大学の学食)に行って懐かしい味を食す機会に恵まれなかったのだけが残念だったのだけども。 そして、車に乗って、まだ行ったことのなかった何年か前に新校舎として できたリスト音大の管楽器校舎へ行った。 イルム公園南側の丘の上にそれはあった。 大きな建物でびっくりした。昔の管楽器校舎とはまるで違って素晴らしかった。 校舎をウロウロしていたら、ある大きな教室の中に、室内楽の勉強で大変お世話になったアウグスブルクのお友達の恩師がいた! この先生は、まだ40歳位なのだけど、もうワイマールの管楽器の教授の中では今となってはベテランの方なんだという。 私達が留学していた頃とは随分、教授たちが入れ替わったらしい。 先生は、門下生勉強会をやり終えたばかりで、学生1人1人に、君の演奏はどうっだったこうだった、ああだったのがいけない、あそこはこうしろああしろ・・・・・とブアーーーーって忠告し捲くっていた。 その様子は、以前と全く変わらない姿!爆 やっぱりシャツがジーンズから飛び出てるし。 ブアーーーっと言いながら、私達がのぞいているのを気が付いた彼は、 「おお!挨拶挨拶!」と言って私達のところに来て下さった。 しっかし、彼の頭の中は、今の門下生の勉強会のことでいっぱい。 彼は音楽に一度のめり込んだら夢中になり過ぎて、暴走が止まらない性格なので仕方ない。 私もあの先生に、ブアーーーって言われ捲くったレッスンを思い出した。 あれはすごかったもんなあ。懐かしい。 帰り道、私が入学した当初、本校舎の改装工事が行われている最中で仮にピアノ科のレッスンの行われていたアルテンブルクを通過した。ここは、リストが恋人関係であったものの結局、結婚には許されなかった相手、カロリーネ・フォン・サイン=ヴィトゲンシュタイン公爵夫人とお忍びで生活を共にしていた家である。次に車で行ったのは、私が住んでいた家。 私がワイマールで1人暮らししていた家だ。 街の西側にあるシューベルト通りにあった。街の中心からは歩いて10分位のところ。とてもいいところだった。 車で行ったのは初めてで、自分の家だったところなのに、シューベルト通りが発見できず。 車を停めて、地図と見比べながらようやく発見。 10年経つとそんなにも忘れてしまうのか。 いっぱい思い出のつまった家。 さらに、車で今度はもっと南に走らせて、南の方の通りに。 ちょっと長い坂道を上がっていく。 そう、ここは学生寮。 私がワイマールに住み始めて1人暮らしの家を見付ける前と、 1人暮らしを引き揚げて、日本に帰国する前に2度住んだ事のある寮。 旧東ドイツっぽいその作り。相変わらずボロイ。 ここも思い出だらけ。色んな出会いもあったしね。 さらにさらにもっと南に車で行って、今度は、ベルベデーレ。 駐車場から離れていたから、お城は見なかったけど、ホールを見てトイレに行った。 ここには、声楽科の校舎もある。はっきり言って、山の中。 車じゃないと行くのが大変なところ。通常はバスで行く。 でも、元気な人は、山道を自転車で行く。 それも、練習部屋を確保するには朝一番に。 やっぱりここは、寒かった。 そして私達は、今晩泊まるところを目指して、アウトバーンに乗った。続く・・・
February 25, 2008
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1月25日午前この日は、ワイマールのリスト音大留学時代の恩師の教授と 朝10時半に学校前で5年ぶりに会う約束をしていた。 先生の御宅に(ワイマールの近郊の街)にお邪魔するつもりだったのだけど、先生が用事がワイマールにできたから、 「私が車で行くわ~!お昼ご一緒しましょう。ご馳走するわ~!」って ことだった。 先生には、旅立つ前に東京から電話をしていたのだけど、そしたら 「演奏しないの?弾かないのにドイツ来るの?ダメじゃない!」って 言われていた。爆 やっぱ先生は先生。生涯、先生だ。 ワクワクしながら先生を音大前で待つ。 入り口の扉の前で校舎を撮影しようと思ってシャッター切ったら 扉が開いて、偶然にもなんと先生が出てらした。 嬉しい再会!!本当に嬉しい。 そして、先生がお元気そうだったのが何よりも嬉しかった。 先生は、私が卒業して帰国してから5年後位に退職なさって 少々精神的だと思うのだけども、病を患っていたらしく、電話では 「私はまだまだ病気で・・・」みたいなおっしゃり方をしていたので とても心配していたのだけども、見た目には、全然大丈夫そうだった。 チェックのコートに赤いマフラー姿で、とっても可愛らしかった。 きっと、お若い時の先生はすっごく可愛かったんだろうなぁ~って思う。 「何する?イルム公園にでも散歩する?」って先生がおっしゃるので 先生と学校の裏の公園の方面へと歩き出す。 それから少々歩いていて私はふと気になっていたことを話してみた。 「昨日、ワイマールに住んでいる日本人のお友達から聞いたのだけど・・・韓国人のS君(私と同時期に先生の門下生だった子)が、 またワイマールに戻ってきているらしいのだけど、先生は知っていますか?」 先生「本当に?本当に?」 私「そうなんです。スシ屋さんで働いているって聞いたんですが」 先生「そしたら、私達は、そこのスシ屋に行ってみましょう!」 私達は、本当にS君がスシ屋で働いているのか確かめに行ってみる事に。 公園を出て、まさかS君がいたらビックリなんだけど~って会話しながら、街中のスシ屋に向かった。 先生は、「私は一軒のスシ屋がワイマールにあるのを知っているわ!きっとそこだわ!」とおっしゃった。 私は、昔住んでいた時に革製品を売っていた小さなショップが、ある時 アジア食品店に変わったというのは、誰かから聞いていたから知っていたのだけど、その場所が、いつの間にかスシ屋になっていたとは知らなかった。 スシ屋の前に来て、ドキドキしながら扉を開けた。 扉の前には、回転寿司のテーブルがあったが、回転していないし、寿司もなかった。 後から聞いたら、それは、永久に回転することはなく、単なる飾りだったらしい。 そして、女の子の店員(中国人だった)が出てきた。 私達はさっそく尋ねてみた。 「S君って知っていますか?ここで働いているって聞いたのですが!」 店員さんは言った。 「彼ならいますよ。厨房で働いていますよ!」 え?本当なんだ~~~。本当にいるんだ~~~。S君がいるんだ~~~!! そして、S君に会いたいと、店員さんにお願いした。 S君が出てきた! 全然以前と変わらないS君がいた。 もう感動。先生はおおはしゃぎ。 こんなところで門下2人と再会で先生の喜びと言ったら。 「まるで同窓会だわ~!」と。 「私達はここで食べるしかないわ。決まりね。ここでお昼ね。」 ってことで、急遽、S君の作る寿司が私達のランチとなった。 S君にオススメのメニューを聞いたら、2人前のお寿司の盛り合わせを勧めてきた。 先生は、「生魚食べないとならないわねぇ~」とちょっと不安そうだったのだけど、、、 S君は、「これには、キュウリしか入ってない巻物もあるから大丈夫なハズ」となった。 私はこの時初めて聞いたのだけど、メニューによると、カルフォルニア巻きじゃなくって、フィラデルフィア巻きってのもあるらしい。 サーモンのがそういうネーミングだったかな。 私はあまりにも面白い展開になってきたので、これは、ホテルで別れてきたアウグスブルクのお友達も呼ばなきゃ!って思って、先生にお断りして彼に電話。 「今すぐ来て!なんとS君がスシ屋に居たのよ。先生が一緒にいいって」 と言って呼び出した。 先生とアウグスブルクのお友達は、初対面ではなかっただろうけど、ご挨拶から始まって、アウグスブルクの友達は別件の約束があって少しの間しかいられなかったのだけども、先生と色々な会話をしていた。先生は、とても好感的に思ったらしく、後から私に何度も、「彼はいい人ね。」と言っていて、私との関係を尋ねてきた。笑 3人揃って会話をしていたら、S君がまず、お茶とお味噌汁を運んできた。 先生は、お味噌汁を美味しいと言いながら召し上がった。 それから、鮮やかに盛り付けられたお寿司がやってきた。 突然加わったアウグスの友人の分も含まれていて3人前になっていた。 きっと、S君の配慮によるもの。 まさかワイマールで寿司なんて食べられるなんて思いもしなかったのだけど、そのお寿司は、S君が握ってくれたものだと思うと、美味しく感じられた。 ドイツでよくある、生臭い魚だとか、味の違う醤油だとか、そういったことはなくて、ごく普通の寿司だった。 先生は、「私も全種類挑戦してみるわ!」とおっしゃって、一つ残らず 生魚のお寿司も召し上がっていた。 S君は、ワイマールの音大を卒業してから暫く韓国に戻っていたのだけど、3ヶ月前から、ここのスシ屋で働くためにワイマールに帰ってきていたらしい。 先生には、「ピアノはどうしたの?」とさんざん攻められていたけど。 S君のことは、先生は「彼は、子どもみたい!私にとって子どもみたいでカワイイわ!彼はピアノさえ、もっと練習すれば、本当にいい子なのにぃ。」と私に言っていた。 私は先生に、日本からお土産を持ってきていたのでお渡しした。 和風の巾着袋に、小布施堂の栗落雁と日本製の5本指靴下2足とお花を生ける剣山を差し上げた。 たいした物ではなかったのだけど、先生はとっても喜んで下さった。 靴下は、サイズが合うかどうか心配だったのだけども。大きさは大丈夫だったみたい。ひょっとすると、長い先生の足の指が入るか分からないけども。 お腹いっぱい食べ終わって、店員さんにお会計をしようとしたら、なんと、S君が払ったから支払いは要らないと言われた。 私達は、すごく驚いた。そんなのダメよ~って。 だって、S君に会うために来ただけなのに、ご馳走になってしまうなんて。 そんなんで、厨房まで行って、S君のところに。S君は沢山の炊きたてご飯を混ぜていたのだけど、「僕も今日はとてもとても嬉しかったから、いいんだよ。ご馳走したい!」と。 先生と私は、丁寧に御礼をして、お店から出てきた。 なんだか感激の再会のひと時だった。 お店から学校までの道を歩きながら、先生お気に入りのエスニックなお洋服や雑貨の売っているお店に寄ったりした。 学校に着いて、先生とまたの再会を願ってお別れした。 いつまでもお若くお元気でいらして欲しいと思う。 その後、行きそびれていたイルム公園へと私は1人で散歩に行ってみた。 イルム川が流れ公園奥に建つ小さなゲーテの別荘、この風景が私のワイマールで一番好きなスポット。 何度訪れてもいいなあと思う。 途中、ベンチに腰掛けてボーってしてみたり。この優雅な時間の流れ。 最高に幸福。東京での生活とはだいぶ違うなあと思った。 そして、イルム公園には、もう一つリストの家がある。 そこにも足を運んでみた。残念ながら冬は閉館していたけど。 たっぷり1時間位散策したかと思う。 それから、再び街に出て、ワイマール磁器のお店で自分用に銀杏のお皿を購入。 1ユーロのお店に入って、何か土産物にならないかと思うものを物色。 続く・・・
February 25, 2008
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1月24日 前半の日記のつづき・・・ヘルダー教会から出てきてから、もう一度、ドイツ人の友人に電話をしてみた。 そしたら、「会社に来ない?」とのこと。 なので、行ってみた! 彼女は、地方ラジオ局に勤めていて、ワイマールの街の観光案内ガイド人としても働いている人。もともと、旧東ドイツ時代にベルリンの演劇学校で学んだ人でキャラも独特で個性的。もう40代後半とのことだけど、とても若々しい。 私は留学中、ひょんなことで、彼女が受けたかったミュージカルの配役の歌のオーディションの伴奏を頼まれたことで知り合い、それからずっと可愛がってもらっていた。 時代の流れとともに(おそらく彼女の世代が最も壁の崩壊によって失ったものが多いのではないだろうか)、彼女が役者として生きていく夢は残念ながら断念せざる得なくなってしまったみたいだけども、なんとか生活しているらしい。 その彼女の会社。そう、ラジオ局。 ヘルダー教会の脇にある建物の一部だったが。。。 扉を開けると、彼女はパソコンの前で電話中だった。入り口にいた彼女の同僚に聞いたら、入っていいよ!とのことだったので、私は会社の中に入って静かに電話が終るのを待った。 そして、彼女の電話が終わって感動の再会!!だった。 けれども仕事がまだ少し残っているので、もうちょっと待っててとのことだった。 私は彼女の仕事ぶりを見ながら会社にいた。 途中、メールソフトの使い方が分からない質問に何故か私が手伝ってあげて・・・。 彼女のパソコン力は、どう見てもぎこちなかった。笑 どうやら彼女の仕事は、ワイマール関連の文化人?達に取材のアポをとって、そして、インタビューをするらしい。 日曜日朝に、彼女の放送枠があって、ネットで日本でも彼女のラジオ放送を聞くことができると教わった。 仕事を終えた彼女と私は、ワイマール国立劇場の方に歩いた。 (前に立っているのがゲーテとシラーの像。ここで、1919年にワイマール憲法が制定された)歩いていると、彼女に声を掛ける人が多い。 どうやら田舎だから、彼女は街のみんなと顔見知りらしい。 劇場前のテアターカフェに入った。 カフェの店員さんともとても仲良しだった様子。 最近の私の近況やら彼女の近況などを語り、さらに話は何故か、日本の 埋葬の仕方におよび、、、 ドイツ語力がない私にとって、とんでもなく難しい質問に答えるハメに。 日本は火葬だと、どっかで聞いたらしい彼女にとって、とても興味があったようで・・・。 ドイツでも少しずつ火葬をする人が増えてきているらしいのだが・・・。 土葬の場合、最近は、場所がないので、前の故人と同じ場所を掘り起こし、その上に重ねて埋葬していくんだそうで・・・。 は~、難しい会話だ。 ドイツ滞在3日目にして、ここで自分の会話力のなさ、言いたい事の言えないもどかしさに少々凹む。 ただ旅してショッピングしたり、たわいもない会話では困らないのだけども、こういう話になると・・・。涙 そんなで、この日は、夜8時頃までドイツ語しか話さず過ごしたから あまりに必死こいていたので、頭の中は、すっかりドイツ語。 アウグスブルクの日本人のお友達が電話を掛けてきてくれても、思わずドイツ語を発する始末。 ああ、こうやって、留学初期の頃、ドイツ語学んだんだなぁ~って懐かしく思った。 人間、こうやって、そういう環境に置かれて必死に生きないと学べないのだと。 ただただ日本でドイツ語学校に週2回通っているのとでは、全然違うのだ。 8時頃になって、アウグスブルクのお友達が無事にワイマールに到着! ドイツ人の彼女は、この日は会社のイベントのパーティに出席だということだったので、お別れ。 アウグスブルクのお友達は、私の今回の旅に合わせてお仕事を休んで、慣れない運転で、はるばるワイマールまでやって来てくれた。 アウトバーンで大丈夫なのかと、すっごく心配だったのだけども。事故もなく無事に着いて一安心。途中、迷ったらしく、4時間以上かかったらしいが、、、お疲れ様~!!って感じ。 車から荷物を降ろし、ペンションの駐車場に。 ペンションの駐車場は、ペンションとは随分離れていて、こんなのあり~?って感じだったのだけど。 そして、2人で、さっきのドイツ人の彼女が教えてくれた、ワイマールで美味しい評判のお店に夕食を食べに出掛けた。 そこは、9年前にはなかったトルコ料理屋。 ドイツは、トルコ人がとても多く労働者として住んでいるので、トルコ関係のお店が充実しているのだけども、旧東ドイツだったワイマールには、そんなに当時はなかった。 そして、訪れたトルコ料理屋さんは、シラー通りからちょっと曲がった小道に面してあって、わりと大きなお店だった。お客さんでいっぱいで雰囲気もいい感じ!! 一番奥の席に座って、私達は、ビールと料理を注文。 ナスのペースト、オリーブとチーズのペースト(ディップ)、それからシシケバブ! 出てきたトルコのパンも文句なく美味しかった!! 注文してから、一緒に居たお友達が、遠く離れた席に座っているアジア人らしき人達の中に「知り合いじゃん!」と誰かを見付けたらしく、声を掛けに行った。 そして、1人の女の子を連れて席に戻ってきた! 「ayaちゃん!!」と。 彼女は、私も知っている女の子だった~。 でも、9年前とはガラリとイメージ変わって痩せて、スタイルのいい洗練された感じの素敵な女性になっていて、全然分からなくなっていた。 ビックリの感動の再会劇!! ワイマールには、知っている人はほとんど住んでいないと思っていたから 余計に嬉しい。 彼女は、コレペティとして学校に残って活躍していて、ついにワイマール歴10年目を今年迎えるのだとかで。 もう、ほんまにワイマーラーだ! 何分間かお話して、お食事終ったらどっかに飲みに繰り出そう!となった。 そして、何分かしたら今度は、ドイツ人の女の子が、私達の席にやってきた。 「ハロー!!」なんと、その子は、アウグスブルクのお友達の知り合いなんだとかで。 しかも、バイエルンで知り合った子なんだそうで~。 そっちはそっちで、またもや感動の再会劇!! さすが、ワイマール!! 田舎だけあって、街に繰り出せば誰かに会う! ほんとに狭い。 それから暫くして、なんだかトルコ料理屋の中では、何やら始まった。 照明が暗くなり、エキゾチックな音楽が流れ始め・・・。 セクシーな衣装を身に纏った女性が登場!(おそらく、あれはトルコ人でなくドイツ人だったが) そして、ダンスをし始める。ベリーダンスのパフォーマンス?? いきなり、火が出てきて、それを口に入れて消したり、生きているヘビまで登場したり、別の男性が砕いたガラス瓶の破片の上に寝そべり、女性ダンサーがその男性の体の上を歩いたり。 あまりに予想外なすごいショーが始まったので、びっくり。 どうやら、彼女達のパフォーマンスは、特定のお客様向けだったらしく、 その人達のいる席の方だけ向いてやっていたのだけども。 日本で言うところの芸者だったのだろうか?! それにしてもすごかったなぁ~。貴重な体験。 トルコ料理を満喫して、離れた席に座っていた日本人ワイマーラーグループ3名(他の2人の男の子は建築の留学生)と一緒に別の居酒屋に移動。そこにさらにバイエルン出身のドイツ人の女の子とその子の彼氏らしいスペイン人の男の子と私達含めて7名が集結。 強いアルコールのお酒をジャンジャン飲みながら、(この日だけはよく飲んだ気がする)9年分のワイマールのブランクを埋めるかのように色々なお話を聞かせてもらって、深夜遅くまで楽しんだ。 やっぱりワイマールはいい!
February 24, 2008
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1月24日マンハイム近郊のお友達の御宅での2日目の朝。 前日の晩に一応、「朝にお別れのハグしたいから、会社行く前に 起こしてね。」って頼んでいたのだけども・・・。 そして、私は目覚ましをセットして寝たのだけども。私は失態。 中国人ママは、私が起床した時には、もうお仕事に出勤後。残念! すぐに、謝罪のSMSを入れて感謝の言葉を述べた。 彼女は、起こすのは可哀想だと思って出掛けてしまったみたい。 そして、前日の朝と同じように、朝食後、ドイツ人パパに愛娘ちゃんの通っているベビーシッターさんの住んでいる街の駅まで送ってもらった。 ベビーシッターさんの住んでいる街は、初めて通ったけれども、マンハイム近郊とは思えないほど、城壁のある旧市街の残るローテンブルクのような、ものすごく綺麗な街だった。 今度訪れたら是非、ゆっくり街を散策してみたいと思った。 私は3回目のジャーマンレイルパスを使って、マンハイム中央駅とフルダ駅乗り換えでワイマールに。 ここの区間の汽車の車窓が私は大好きで、いつも、どっから旧東ドイツの国境なんだろうかと思いながら、旅をする。 小さな街がポツンポツンと現われて、街はたいてい木組みでできた家が並んでいて、街の真ん中には教会が必ずあって、そして、近くに小川が流れていて・・・。まさに、作曲家のバッハ=Bach(小川という意味)は、こういうところで生まれたんだなぁ~って思ってしまう。 そう!そのバッハの生まれ故郷のアイゼナッハも通過する。 5年振りにワイマールの地を踏んだ。 (画像のSALVEは、ホテルの足拭きマットだが、SALVEとは、ゲーテが自宅の床に記した言葉で、ラテン語で「ようこそ!」の意味。)私にとって、ドイツでもっとも思い出深い街。そして、大好きでもある街。 しかし、ワイマールは、人口6万5千人しかいないド田舎です。 今回訪れた他の、、、例えばベルリン:340万人、ケルン:98万人、マンハイム:31万人、ミュンヘン:132万人、アウグスブルク:26万人・・・と比較すると、いかにワイマールが小さくて田舎か分かってもらえるでしょう。甲子園球場だって、5万人位収容できるのですから。 ちなみにスペインのトレドは7万人8千人だって。 でも、ワイマールは、ゲーテやシラーが住んで18世紀末から19世紀に文化が栄えた世界遺産の街で、街の至るところが美しい。 私は、15年位前の日本の学生時代に一度家族で訪れたことがあり、当時はまだドイツの壁崩壊から間もなくて、本当に何も整備されていなかったが、私がワイマール留学中の今から10年ほど前の1999年に、ワイマールは、ヨーロッパ文化都市となって、大きく復興された。 なので、街はいつも工事工事で、日に日に変化していったのだが、今回は、どんな風に変化を遂げたのか期待を膨らませの旅だった。 駅は、5年前に訪れた時にその変貌振りに驚きだったが、今回はなので別に。 でも、ペンションまで駅からタクシーに乗って、すぐにビックリ! デパート(・・・と言うらしきものが99年には1軒だけあったが)がないほどだったワイマールに、SATURN(大型電気店)とかC&A(洋服のデパート)とか入った、他にボーリング場だとか3D映画館を備えたらしい、大型ショッピングモールが出来ていた!! それも、あの、ヒットラーが頑丈に建造してどうにもこうにもできなかったという建物のうちの一つが修復して変わっていた。 泊まる予約をしていたペンションは、私のよく知っている大好きだった カフェの上階部分。 そこは、通っていた音大のすぐそばであって、街の中心。 分かっていたので安心してタクシーを降りたものの。 降ろされた場所は、車がそこまでしか入れず、ペンションまで数メートルのところ。なんと石畳がボロくて(おそらくこれは、旧東時代からのものであろう!)デコボコでスーツケースのタイヤが回らず。 仕方ないので、重たいスーツケースを持ち上げて歩く。しかも、チェックインする入り口も階段の上。 そして、あなたの部屋よと言って渡されたキーの部屋も2階でエレベーターなし。 なんだか汗だくになりながら、部屋に。 部屋は、とても清潔で白が基調のモダンな感じ。 まずすぐに、ワイマールに着いたから是非会いたいとドイツ人の友人の会社に電話。あと2時間位忙しいから、そしたらまた電話してとのこと。 私はその間、ペンションでシャワーを浴びて、休憩。 そして、街に出た。 懐かしい街をゆっくりと歩いてみた。 昔、住んでいた時にはデジカメ持ってなかったし、5年前に訪れた時はカメラを忘れて街に繰り出し、長年住んでいたわりには、ワイマールの街の写真を撮った事のなかった私は、今回はデジカメであらゆる思い出を残してやる~!勢いでパチリパチリ撮りまくり。 まずは、お城、そして、学校を通って、バッハさんにご挨拶して、マルクト広場に出て。 そこで、チューリンガーブルスト(チューリンゲンソーセージ)を食べた。 見よ!!これが、この地方の特産物のデッカいソーセージ!! 香辛料がきいていて、他のどこのソーセージよりも食べ応えがあって、とても美味しいのだ。 それから、マルクト側にできていた、昔はなかった、ゲーテの詩にある銀杏をモチーフにしたお店や、ここにもできていた旧東ドイツグッズの売っているお店や、ワイマール関連の本や雑貨が充実しているお店屋さんに寄った。そして、ヘルダー教会に。 いつの間にか、ペンキが塗られて、昔よりも情緒がなくなってしまっていた。ここには、クラーナッハのお墓があって、そして彼の祭壇画があるので、中にも入ってみた。 つづく・・・http://maps.google.co.jp/maps
February 24, 2008
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1月23日後半 前半の日記のつづき・・・それから、私がケルンに行けば必ず足を運んでいた楽器屋さんに! Musik Tonger というお店だが、最近、移転したため、 彼女にご案内頂いた。 必ず足を運んでいたには理由があって、アンティーク楽譜の掘り出し物を 見付ける楽しみがあったから。 でも、移転に伴って、アンティークコーナーがかなり縮小され、楽譜激減。残念!! 友人もケルンでピアノ講師として、私と同業者であるため、彼女にドイツで使っているという教材など教えてもらって、参考になる程度に購入! 最近、ドイツの教材は、どれもこれも模範演奏CD-R付きだそうで、 むちゃくちゃ高いらしい。そんなものいらないから、安くしてくれ~って 思うんだそうで。 見て~。私の大好きなマウスのピアノ教材!! 導入教材だが、いかに音を聴くか、いかに楽譜を使わずにピアノと触れ合うか、細かく遊びながらピアノを楽しめるように書いてあって、日本にはなかなかないアプローチのような気がした。もう一冊は、黒鍵だけで導入する曲集。 そして、さらに私は、今、ドイツ全土で流行っているSUDOKU(数独のこと)の「音楽SUDOKU」なるものを買ってみた。 何しろ、汽車に乗ると、右の人も左の人もみんなSUDOKUやっている!くらい。もともとドイツ人は、クロスワードが好きだったけど・・・。SUDOKUのやり方すら分からない私が出来るのか謎だけども・・・。 あとは、音楽小物やら葉書などを物色して店を出た。 ただこの店で、私は困ったことが起きた。40ユーロ近く買ったのに、 なんとクレジットカード払いが出来なかったのである。 ユーロ持ち金の少なかった私にとって痛手だった。 っていうか、実は、今回、旅行の為に持っていったユーロは、300ユーロなかったのがいけないのだけども。 でも、この一件がなければ、それで済んだのに、結局、このせいで、 最後に足りなくなって、円からユーロに両替して貰わなければならなくなってしまった。 そこで、ケルンの友人もお仕事に出掛ける時間になったため、お別れ。 私は、そこから、近くにあったWDR(ドイツのテレビ局の本拠)のビル内にあった、マウスショップと旧東ドイツショップを堪能。 くっだらないものを自分の為に購入して、そして思い立った。 時計は既に4時半を指していたのだけども…。 そうだ!!ケルンの教授に電話してみよう!と。 「先生!私は今、ケルンに来ているのです。でも、マンハイムに今日中に帰らなければならないので、時間はあまりないので、ご挨拶だけでもって思って電話してみました!お元気ですか~??」と。 先生には、クリスマスカードに、ドイツにこの時期に行くと申告してあったのですが。 「残念!遊びにくればいいのに・・・!」って、おっしゃって下さった。 実は、この先生は、講習会で何度かお世話になったことはあったけれども、ケルンでお会いしたことはなく、先生の家がどこかも知らずにだったのだが。 なんだか、先生に無性にお会いしたくなって、私は、汽車の時間が気になりながらも、 「本当に遊びに行っちゃってもいいんですか?」と尋ねたら、先生は喜んで下さって、 「そうしたら、我が家に来るには、ケルン駅の9番か10番線のホームに来る電車に乗りなさい。次の汽車は、4時58分にあるから。○○行きですよ。それの3つ目の○○駅で降りて下さい。そしたら僕が迎えに行くから!」って。 先生のご親切さに甘えることにして、私は行ってみてしまうことにした。 駅に急遽行って、まずは、マンハイム行きの汽車が何時にあって、何時に乗ればマンハイムのお友達に迷惑の掛からない時間に帰宅できるのかを調べて、それから、先生に言われたホームへ。 どうやら、私は、7時半にケルンを出ればマンハイムに帰れることが分かった。 電車に乗って、先生の待つ駅に。小さな街だったけど、そこは、少しオランダの影響を受けたような赤いレンガ造りの家々が並び、閑静な住宅地。 先生は、ベンツでお迎えに来て下さった。 私の大大大好きな先生。その演奏もお人柄も! 以前、日記にも書いたのだが、数年前に日本にも来て頂いて、我が家でもレッスンをして頂いた先生。 本当に突然にだったのに、とても温かく出迎えて下さった。 先生の家は、その駅から車で5分位のところにあり、丘の上。 教授職であり、有名ピアニストであった方とは言え、ドイツ人らしく 質素で、こじんまりとした1軒家。でも、庭はとても広く、ケルンの街を一望できる見晴らし。 広いダイニングには、夜景の綺麗な大きな窓があって、あとは、ソファとダイニングテーブルとアンティークのスタインウェイが1台。 先生の奥様は、韓国人なのであるが、先生共にとてもお元気そうで、数年振りにお目に掛かりこれまた嬉しさがこみ上げた。 ドイツ人のシキタリなのか?先生は、ご自宅の全てを私に案内して下さった。 「これが、僕の寝室、こっちはレッスン室・・・」 日本じゃ、教授のプライバシーを露出させるなんて考えられないけども。 レッスン室には、木目の30歳位のベーゼンドルファーとアップライトが置いてあり、先生は、私に聴かせたい曲があるから、と、 現代曲を披露してくれて、「これはね、これはね、、、」と曲解説して、「日本に帰ったら弾いてみなさい。どんな風に演奏するかは自由だよ!」と。そこにあったコピー譜をいくつか下さった。 なんか、それだけでも、幻のレッスンを見たかのような。 先生の響かせる現代的な和声の音色と共に不思議な感覚に陥った。 再びダイニングに戻ると、奥様がコーヒーを作ってくれていた。 そして、「今日、あなたは何時の汽車で帰ればいいの?」と聞かれたので 「7時半」と答えると、「それじゃ、僕達は夕食を用意してあるから、キミも一緒に食べて行きなさい!」と。 突然お邪魔したのに。 なんと、さすが、韓国人の奥様!! 素晴らしい夕食が待っていた。チキンスープに、レンズ豆の炊き込みご飯に、いくつかのキムチ。 どれも物凄く美味しかった!!! 先生はワインまで開けて下さって、たったの2時間の滞在時間だったのに 信じられないほど寛ぎさせて下さった。 ほどよく酔って、先生には駅まで送って頂き、マンハイムへ向かった。 夢のような時間を過ごし、充実したケルンの旅になった。 マンハイム近郊の駅には、マンハイム中央駅から路面電車で向かい、その駅に向かいに来て貰うことになった。 愛娘ちゃんを寝かしつけて、ドイツ人のパパと中国人ママは私のところに 車で来てくれた。 そして、その晩は、翌日また出勤日だというのに、ワインを飲みながら、深夜まで語り合ってくれた。 http://maps.google.co.jp/maps
February 23, 2008
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1月23日マンハイム近郊のドイツ人パパと中国人ママの御宅で迎えた朝は 忙しかった。何しろ彼等は出勤日! 愛娘ちゃんに朝食を食べさせて、ベビーシッターのところに送り届けてから出勤というところに、私までお邪魔していたのだから、たいそう彼等には負担を掛けてしまったであろう。ほんとう感謝感謝。 私が目覚めた7時半頃には、中国人ママは既にフランクフルトの会社に 出掛けて行った後だった。 そして、ドイツ人パパは、愛娘ちゃんと私の為にキッチンでトーストを 焼いて、コーヒーを作って準備していてくれた。 愛娘ちゃんを起こして、着替えさせて、3人で朝食。 トーストには、お決まりのたっぷりバター塗って、 イチゴジャムやチョコやらピーバッツバター&ハチミツを付けて、 愛娘ちゃんには、丁寧にナイフで切ってあげて。 パパは大忙しで大変。でも、何も知らない愛娘ちゃんは、前日に私が 日本のお土産としてあげた和風万華鏡がとても気に入ったようで、 覗いては何度も笑顔で大はしゃぎ。 食べ終わったら、即座にまずは、私を最寄りのローカル線の小さな駅まで 車で送ってくれて、その後、愛娘ちゃんを別の街に住む、ベビーシッターの家に送り届けて、パパは別の街へとお仕事に出掛けた模様。 じつは、私はこの日の予定は、前夜まで経てておらず、密かにマンハイムでお目に掛かりたいと以前から思っていた日本人の友人に連絡を取ってみたものの、彼女とは予定が合わず断念。そしてさらに、マンハイム時代の語学学校での親友のトルコ人のお友達にも連絡を試みたけど、連絡先不明になってしまって会えずじまい。 ・・・となり、思い切ってケルンまで日帰りすることにした。 ジャーマンレイルパス2回目分を活用。きっとこれでもう元取れたハズ! 残念ながら、マンハイム近郊に居ながら、マンハイムは駅を経由しただけとなったのだが。 ケルンまでの汽車の時間を調べてびっくり。 何しろ、以前は、マンハイム=ケルンと言えば、3時間位予想して、気分的には、東京=大阪間ほどの旅だったのだけども、 今となっては、ICEの大幅路線変更により、なんと、たったの1時間半の、言わば、東京=長野間程度に短縮されていた。 フランクフルト=ケルンは、速い汽車に乗れれば、たったの1時間! その代わり、ライン河右岸に次々と現れるお城を見ながら、ライン河下りを楽しめる車窓の旅はなくなり、完全にトンネル化した路線化となっていた。 どうせ、ローレライ見たってガッカリするだけだから、いいんだけども、 ドイツ初心者にはオススメできない車窓になってしまった。 そういう人には、是非ともゆっくりICEの旅を楽しんでもらいたい。 ・・・と話はそれたけど、あっという間にケルンへ到着! 着いたのは11時とかそんな感じ。 ケルンは、私はマンハイム時代は浪人生だったので、ケルン音大の教授の 元へレッスンをして頂きに度々訪れたことのある街で、少しだけではあるけれど、思い出もある街。でも、ケルン音大は街の中心街とは、駅の真反対にあるので、まともに観光もしたことない街でもあった。 駅に着いてから、以前、ドイツであった音楽講習会で知り合って以来、親交のある在独歴20数年というピアニストの友人に連絡。 彼女とは毎年、彼女が日本に一時帰国する際にはお目に掛かっているのだが、ドイツで会ったのは、その講習会以来だったので、なんだか不思議な感じもした。 ネイティブにドイツ暮らしを送っている彼女はやはり知識人。 ドイツの今の政治・経済・教育・文化などあらゆる問題を色々と 教えてくれて、ただただ観光に来てポカーっとドイツを眺めていた私にとってそれは、色々と刺激になった。 また、彼女のガイドによる観光は、さらに興味深く、ケルンの魅力を一層引き出していた様に思う。 まず私達は、ケルンの象徴である、ケルン大聖堂に。 これは、先日、車窓から見たウルム大聖堂に継ぐドイツで2番目の高さを 誇り、大きさは、ドイツ一! 何度見ても荘厳なこの大聖堂。写真にはどの角度から撮影しても なかなか全部は写らない。 以前、私は、どっかの音楽講習会の帰りに、仲良くなった韓国人の子と ドームのてっぺんまで登ったことがあるのだけども、あんな疲れることは もう2度としない。中は、グルグル階段が延々と続くのだが、、、少しは賢くなったのかしらん?バカは高いところに!は、今回はなしで。 大聖堂の中に入って、彼女から、新しいステンドグラスを教わった。 最近、張り替えたばかりのグラスらしい。有名アーティストのデザインで その斬新さには、賛否両論あるんだとかで。 なかなかユニークなケルン大聖堂にはまだまだ秘密がいっぱいあるんだそうで、外側の装飾も、よ~~~く眺めると、先端の丸い部分がサッカーボールの形になっていたりとか。不思議な人形がくっついていたりとか、あるんだそうで。見付けられなかったけど・・・。 たまに真っ白に石が磨きあげられていて、そこだけ妙に新しいと違和感あって面白い。 常にどっかしら修復作業を行っているらしいのだが。 これは、その修復作業工房。大聖堂の横にあった。 その横は、ローマ・ゲルマン博物館。博物館内には入らなかったものの ガラス窓から中が覗けた。 そこには、本当にそこ、その場所で発掘されたという遺跡のモザイクが! その日は、それを磨く作業をしていたのだけど。 歴史の長さを感じさせられた。 そして、ケルン・フィルハーモニーのホール脇を通って、ライン河に! 数年前の洪水では、この辺りの岸辺のレストランやお店は、全部浸水したとのこと。 だったら堤防を即座に作るのが日本だけども、そんなことしないのがドイツ。 それにしても、ゆったり流れる広いラインを眺めるのは気分がいい。 でもちょっと寒かったけど。 そして、街の中に。左右の建物は、木組みだったりカラフルだったり。 意外とケルンもカワイイ街並みあるんだなぁ~なんて思いながら散策。 そして、ショッピング街に出て、1軒の音楽家御用達のドレスショップに。 大量のロングドレスが売っていて、私も試しに半値になっていた1着ドレス試着。 黒地に赤紫色のビーズが散りばめられている優雅でセクシーなノースリのロング。 めずらしく、サイズもぴったりで、お店の人にもさんざん勧められたのだけども・・・。黒いドレスは持ってるもんなぁ~って思って結局買わずじまい。でも、今は後悔。だって、たったの110ユーロ位だったもんなあ。 その後、オーデ・コロン(ケルンの水という意味)発祥の地である4711本店に足を運び、お土産に小さなボトルを買って。 そして、エキゾティックなエスニック料理?が食べられる不思議なお店に。 ここは、ランチタイムは、5~10ユーロ位の料理が並んでいて良心的なうえに、ボリュームたっぷりで、しかも、とっても美味しかった。 私は、ナスの肉詰めみたいなものを頼んでみた。 ケルンの友人は、テレビで紹介しているのを見たそうだが。なるほど、人気店だろうなぁ~という感じ。 結局、ドイツに来て、最初から最後まで、まともにドイツ料理を食べた日のない私。笑つづく・・・
February 23, 2008
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1月22日ドイツで迎えた最初の朝は、ゆっくりと起きて、ゆっくりと朝食。この素敵なペンションは朝食も充実していた。 美味しいコーヒーに黒パン(自分でトーストもできます)、色々な種類のバターやジャム、そして、ゆで卵、さらに、コーンフレーク色々とヨーグルト。 ドイツのペンションは、値段が手頃でも、どこも清潔で気持ちよい。私は、お友達の車で、お友達の住んでいるアウグスブルクに 向かって走った。 これが、ドイツのアウトバーン。途中、大雨に見舞われた。 あんまり馬力のない車だった。笑そして、この辺りは道が狭いので、今回は最高時速140キロ。 でも私は過去に、200キロにも乗ったことある。 私は何度もこれまでにミュンヘンは観光しているので今回はあえて アウグスブルクに向かう途中、ダッハウに寄ってもらった。 ダッハウは、有名な強制収容所のある所。 私の住んでいたワイマールにも、大きな「ブーヘンバルト強制収容所」が あったので、今回は2ヶ所目の訪問。 働けば自由になる(Arbeit macht frei)と書いてあります。 ナチスが強制収容所のスローガンとして掲げた言葉です。 時間がなかったので、中の資料館は入れなかったのだが。 雨の降る中、この強制収容所の巨大な施設に居て、とても心が痛んだ。 でも、こうやって歴史に向き合うことは大切なことと思う。 お昼は、アウトバーンのドライブインにて、 久しぶりに、バーガーキングを食べた。 やっぱり大きい!そして美味しい~。というか、貧乏留学生生活を送っていた時代の味は、懐かしさが蘇り、なんでも美味しく感じる。笑 アウグスブルクに到着して、お友達のお仕事の時間、そして、 私の次の約束の時間が迫っていたので、すぐに汽車に乗った。 アウグスブルクは、大都市でも田舎でもなく、とても環境のいい 素敵な街。私は2度目だった。今回はゆっくりできなくって残念だった。 ジャーマンレイルパス(4回フレキシブル)の1回目を使って、マンハイムに向かった。 久しぶりのICE乗車。 ドイツのICEは、いつの間にか、大工事が進んで新路線が大幅に増えて 速度アップが図られて、かなり時間短縮されていた。 久しぶりすぎてICEの乗り方も忘れてしまったので、 お友達に色々と教わった。 まず、駅に置かれている機械化されたネットで、時刻表を取り出して ホームに行って、ホームに掲示されているポスターを見て、2等車が ホームのどこの位置に来るか確認。 そして、そこで電車が来たら乗り込んで、私は指定席を予約していなかったので、乗ってから、「アウグスブルク⇒マンハイム」間の予約されて いないシートを探して、座った。 どの席が予約済みなのかは、席の上に書いてある。 昔は、一枚一枚、紙が差し込んであったけど、今のICEは、これも 電子化されていた。 今回、色々な汽車に乗ったけど、10年前にはよく走っていた ボロイ汽車には一度もめぐり合わなかった。 ボロイ汽車だと、乗り降りの階段がスーツケースがあるとシンドイし、 汽車の扉を開けるのにも力を要したし、トイレは垂れ流しだったし・・・。 さすがに10年も経つと変わるもの。 マンハイムに着いたら、ドイツ人のお友達に電話した。 マンハイムの駅も随分と変わったので驚いた・・・。 今日泊まらせていただくお友達の家に行くのに、仕事帰りのドイツ人の 旦那様が、私を迎えに来てくれた。 車の中に、彼のもうすぐ2歳になる赤ちゃんが待っていた。 会った途端、「Bist Du Aya!?」「Nein, Du bist nicht Aya」って言ってて、むちゃくちゃ可愛かった~。 2歳になってないのに、とってもおしゃべりな赤ちゃん。 その赤ちゃんのママこそが、私のドイツ留学時代初期の頃に住んでいた マンハイムのアパートの同居者。 昔の日記にも書いたが、彼女は、とても賢い上海出身の中国人で、漢字を書いて、ドイツ語の分からない私に色々なことを教えてくれた、何でも助けてくれた命の恩人。 彼女は、マンハイム大学で数学の勉強をして、その後、フランクフルトで 外資系で会計士として働いている。 このドイツ人の旦那様と知り合ったのは、私と一緒に住んでいる頃で、 私は、彼女達の馴れ初めから知っている。 5年前に会った時はまだ結婚していなかったのだが、今は、2人は 結婚して、赤ちゃんを産んで、そして、マンハイムとハイデルベルクの 中間辺りにある街の一軒家を手に入れて、幸せに人生を歩んでいる。 家に着いたら、フランクフルトの仕事から帰ってきた中国人の彼女と 5年ぶりの喜びの再会。 彼女は私のために中華料理をご馳走してくれた。 いつも彼女の料理は美味しいし、手早いし、栄養満点。 家は、中古の一軒家でしたが、旦那様の弟さんが家具職人だとかで、 新品の大きなお手製のキッチンだったり、素晴らしい家だった。 まだまだ、改築中のところがいっぱいあるそうで、これからどんどん 綺麗になっていく進化中の家らしい。 地下には大きな倉庫(ここも部屋ができるくらい)、大きな庭、 そして、1階がダイニングキッチン、2階にゲストルームと赤ちゃんの部屋とバスルーム、3階の屋根裏部屋がパパとママの部屋でここにもバスルームがある。 赤ちゃんはまだ2歳になっていないけど、ヨーロッパ式子育てで、 両親とは別寝です。ベットサークルがあって、そこに入ると出られないみたいだけど、赤ちゃんの時から別寝と聞いてビックリだった。 しかも、2階と3階で、大丈夫なのかしら?と。 中国人のママにとっても親しみのない習慣だったそう。 ドイツでの両親共働きの環境など色々なお話ができて、楽しかった。 翌日も彼等はお仕事だったので、ご迷惑掛けないように私はなるべく早く床についた。 http://maps.google.co.jp/maps
February 22, 2008
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1月21日マドリード最終日のこの日は、起きた途端、荷作り。 マドリードでお世話になった友人とベルリンから来ていたご夫妻には 日本からのお土産を渡したので、少しスーツケースとリュックの中は 余裕になるハズ?だったのに、結局、スペインで新たに洋服が増え、 さらに、スーパーと美術館でちょっと買い物しちゃったので、何も変わらず満杯。 ホテルを10時位にチェックアウトして(よく考えたら今まで旅で同じホテルに4泊もしたことなんてないかもなぁ~)、荷物をフロントに預けて、街に繰り出した。 まだ、デパートとか見たりしてまともなショッピングしていないなぁ~と 思ったので、一番買い物できそうな、でも、高級ブランド街でなさそうな 地下鉄に乗ってグランドビアの方に出てみた。 どこも本当にセール・セール・セール!! でも、スーツケースにもはや入るスペースのない私にとって あまりの大買いは禁物。ぐっと我慢して。 それでも、ただブラブラでも、珍しいもの、かわいいもの見るのって楽しい~。 しばらく経ったら友人から、「わたし達は、ベルリンから来たご夫妻とスペイン広場の方で買い物しているよ~!!」って電話があったので、地下鉄に再び乗って、そっちに行ってみた。 そっちの街もショッピングに適したブティックやらデパートが建ち並んでいた。 ベルリンから来たご夫妻は、すでにもう沢山のお買い上げで、両手に紙袋たくさん! なんか、人が買っているの見ると、私って財布の紐が緩くなる~。 結局、私も、デパートに入ったところ、靴売り場に、「35」コーナーが 設けられていて(日本で言う、小さいサイズコーナー)、私にちょうどいいサイズが並んでいたので、CAMPERを買ってしまった! お昼は、友達たちと美味しい中華料理屋へとなっていたのだけども、 残念ながら、私の飛行機の時間が迫っていたので、私はそこでみんなと 別れて、ホテルに引き返して荷物を取って、飛行場まで電車で向かった。 飛行場までは、街の中から40分位掛かったので、知らないところで不安だったので、念のために早く出たのだけど、早く着きすぎた。 でも、マドリード空港は、着いてから空港内が非常に遠くて、ここでもまたしても沢山歩くはめに。 やっと、ルフトハンザのカウンター。 ドイツ語が通じるだけで、なんだかとてもホっとした。 さようならスペイ~ン!!! で、18時の飛行機で、20時半にミュンヘンに到着。 機内食は、美味しいラザニアだった。 ミュンヘン空港は、びっくりするほど、とても綺麗!! 成田に帰ってくる時にもミュンヘン空港から乗り継いで帰ってきたのだが、ここの空港は、DUTY FREEショップもカフェも充実していたので、 今後、ドイツ旅行ではいつもミュンヘンを使おうって思った!! ちなみに、私が留学していた当時は、ミュンヘン⇔日本線はなかったので、今回が初めて。 リニアモーターカーも展示されていた。時間によっては乗れるらしい。 空港には、アウグスブルクからお友達が車でお迎えに来てくれていた。 その友達は、ドイツで頑張って一昨年、免許を取得した。 ってことで、友達は、運転するので飲めないのに、一緒にどうしても飲みたかった Air Bräu (エアブロイ)に付き合ってもらった。 空港内に醸造所があって、そのビールが飲める居酒屋なのです。 ちょ~~~美味しいビール!!感激。 お友達は、そんなわけで、ノンアルコールビール。 私は、お腹が機内食でいっぱいだったので、友達が頼んだお肉にくっついてきたフライドポテトをおつまみに。 ドイツのフライドポテトは美味しいのだ~~~。懐かしい美味しさ! 大満足で空港を後にし。 そして、車でホテルに向かった。ホテルは、空港からそう離れていない田舎町のを予約していた。 日本人の奥様が経営しているというレストランが併設されているペンション。 私が貰った鍵の部屋は、ちょっとメインの建物でない離れの別の建物。 入ってびっくり。 ここで、長期滞在できるんじゃないかと思うような素敵な部屋。 キッチンまで付いていました。 荷物を置いて、レストランに行って、さらにまたビールを堪能して 素敵な夜を過ごしたのだった。 http://maps.google.co.jp/maps
February 21, 2008
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1月20日 この日は日曜日で、お店も全部閉まってしまうので、 前々から、ベルリンから来たご夫妻とご一緒して、王宮と美術館に行く約束をしていた。 前日、夜更かししたので、この日はゆっくり起きて朝食。 そして、ホテル向かい側の駅に併設されていたスーパーで、 日本にお土産になりそうなものを物色。 オリーブオイル、バルサミコ酢、オリーブやムール貝の缶詰などを購入。すると、謎の食品が目に入る!! 麦飯のような線の入った蕎麦のような物体。なんだろうと写真に撮っておいた。その日の夜、スペイン人の旦那様にその正体を聞いてみた。シラスウナギ(うなぎの稚魚)Angulitosというもので、 それは、高級品なので、こっちはその偽物なんだとかで。 その隣には、カニカマ(蟹の蒲鉾)が「SURIMI・すり身」って書いて 売っていました。確かに、カニカマも偽ですね。 お2人さんがホテルに来てくれて、3人で王宮まで歩いた。 ホテルから王宮へは最初の日に歩いたので分かっていたが、 結構、見えてはいるのだけど距離があった。1キロくらいかな? どこの観光施設も最近はセキュリティーチェックが厳重に行われていて それが面倒(いちいちコート脱いだり)なのと、時間がかかるのが難点。 お城の横は、マドリードのホテル方面の街並みを一望できる見晴らし。 お城の内部で見学できる部屋は、思ったよりも少なく、わりとすぐに見終わった。 一つ、大きなダイニングルームがびっくりするような広さの空間だった。 テーブルもいったい何人がいっぺんに食事するのだろうかと思うほど 長くて大きいものだった。 お城から出てきて、次にすぐ横にあった教会に。 中は、日曜日で、ミサをやっていたのだが、しかし、ここは、ガイドブックに書いてあったように、 最近新しく改築したばかりで、ありがたみに欠ける・・・本当、そういう残念などうでもいい教会だった。 その後、お昼を食べに、ソル広場まで歩いて。 そしたら、その広場の辺りでは、観光客向けか日曜日でもお店が開いていた! 私は、その中の一軒のお店で、スペインらしいとても鮮やかな柄のワンピースを50%引きで1着購入しました。 そのお店はとても個性的でどれもお洒落だった! ソル広場のすぐ脇にあるバルに入った。 イカのカラマーレとか小エビの唐揚げ、イワシのマリネとかどれもすっごく美味しかった! カウンターにて、3人で1、2杯ずつのドリンクと3種類位の料理を楽しんた。 しかし、その後のお会計でビックリ。 なんと、1人20ユーロ以上したかで。。。高っ!! どうやら、街の中心地では観光客をボッているのかも~?ってお友達から後から教わった。 食べ終わって、目的の美術館までの地図を見ると、どうやら、 地下鉄に乗らなくっても歩けちゃいそうだ!ということで、 歩いて向かった。確かに歩けましたのだが・・・後々考えると、 歩かなかった方が、疲れずに美術館を堪能できたのかもしれません。笑 最初に、ティッセン・ボルネミッサ美術館を訪れた。 上階から見て周ったが、最初は宗教画やドイツフランドル絵画が並び、下へ行くにつれ時代が流れてきて、最後は、ピカソなどを経て現代美術になった。 途中には、マネとかドガとかモネとかシャガールとかゴッホとかゴーギャンとか・・・・・。 私でも知っている画家の作品がズラ~リ。 すごいすごい!!そのコレクションのすごさにはびっくり~。 しかし、もう足は棒!!くたびれ果てたので、イヤホンガイドのマークの 付いている「注目画」らしき絵だけをじっくり見て、後は、その前を横切るだけ。 ゆっくり鑑賞していたら、半日どころか1日は要す。 そして、もう足がギブアップとなったところで、ベルリンから来たご夫妻は、さすがにもう帰るとのこと。もう以前にお2人さんは、プラドには行った事があるのでいいとのこと。 私はどうしようか迷ったが、でも、マドリードに来て、プラド見ずに帰れやしないと思ったので、意地で行くことに。 本当に足の裏はジリジリしていて、絵画鑑賞どころじゃなかったのだが。笑 そして、ティッセン美術館からほど近いプラド美術館に移動。 この日は日曜日で、入場料無料!!ってこともあり、なんと長い長い行列。 大きい美術館の建物を半周していた。 ちっとも列が前に進まないなぁと不満に思っていたら、たくさんのパトカーが来て、物々しい警備に。そして、横の門に黒塗りの数台の御用車が到着。 立派なスーツを見に包んだ、どっかのおエライさん達らしき人達が入っていきた。 それから45分位並んで、ようやく整理券を貰って入り口に! とにかく疲れていたので、なんでもいいから、ガイドブックに載っていた、「これだけは観よう!」の絵だけでも制覇しようかと思っていたのだが・・・。 中に入って間違えて最初に特別展示コーナーの上階に来てしまい、下まで降りてきた。 そして、気を取り直して、常設展の方に。 ガイドブックの美術館の見取り図と比較しながら歩くけど、 あまりの広さと絵の量に、自分がいったい何処の部屋に居るのかさえ不明になる。ここもまた迷路状態。 本当にすごい広いし、小分けされた部屋番号の多さにビックリで、 ただただ美術館の中を駆け巡っていた感じ。 とりあえず、ベラスケスとかエルグレコとかラファエロとか・・・。 個人的には、ゴヤの「我が子を食うサトゥルヌス」とデューラーの「アダムとイブ」に見とれてしまった。 一通り見終わったので(すごい早業で)、美術館の外に出ようとSALIDと 書いた出口を目指していったら、いつの間にか外に出れてしまったのだが、、、出てからハっとした。 なんと、入り口のクロークに預けたコートを取り忘れたことを。 でも、私の入った門のある入り口と出てきた門とは正反対。 どうしよ~~~って思いながら、くたびれているのにまた美術館の建物外周して、移動。 そして、まだまだ行列していたのだけど、強引に行列の人々の間を潜り抜け、入り口まで行って、「クロークに忘れ物があります」と言って警備員に訴えて、やっとの思いでコートをとった。 外は日が落ちていた。今晩もまたスペイン人と友人ご夫妻の家での 晩ご飯をご招待されていて時間が迫っていたので、まっさきにお宅に向かった。 地下鉄と電車を乗り継いで、マドリード近郊までだった。 そして、この日も大ご馳走を作って、私をみんなが待っていてくれた。 私の大好きなサラダと(何故かヨーロッパでしか見掛けない葉っぱのサラダ。ドイツ語では、Feldsalatというのだが、どうやら、これは、ラプンツェルというものらしい) スペイン人の旦那様お手製のイカ墨のパエリア。 イカ墨パエリア、最高~~~!! この日は、本当にマドリッドを歩いた歩いた一日だった。
February 20, 2008
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1月19日 朝の日記の続きこの日、11時半頃にホテルまでスペインに住んでいる友人が 旦那様の車で、ベルリンから来たご夫妻2人と共に迎えに来てくれた。 彼女は、空港に迎えに来てくれたスペイン人の旦那様とドイツ留学中に何故か韓国語クラスを取ってそのクラスメイトとして知り合って、くっついて今はスペインに住んで暮らしている。インターナショナルなカップル~。 私は、彼女と再会したのは留学帰国以来の9年ぶりで、とても嬉しかった。 計5名を乗せた車は、トレドに向かった。 マドリードを出発してから1時間半かからないくらいでトレドの街に 着いた。 着いた時は、コートでなくてブレザーしか着ていかなかったことに後悔したほど、標高が高いのか、とても寒く、街は霧に包まれてしまっていた。 トレドは旧市街全域が世界遺産! 中世のままの素晴らしい街。 ドイツのそういった街とはまた全然趣が違う。 タホ川が流れる丘に市街があって、全ての建物がベージュの石でできていて、街の中は、石畳でできた路地が入り組んでいて、まるで迷路状態! 私は、ただただ、スペイン人の旦那様の後を着いて歩いて行くだけだったが もし、案内がなくって1人だったら、方向音痴の私は帰れなかったかも・・・。笑 着いた時、既にお腹が空いていたのだけども、スペイン人にとっては まだまだ昼食時ではないとかで(すでに1時頃だったと思うのだけど)、 わたし達は、簡単なバルに入って、ビールだったかもと ちょっとしたおつまみで、休憩。 ここで食べた、トマトソースで煮込んだ肉団子とオリーブとスペインオムレツは美味しかったな。 それからさらに、迷路のような街をぐるぐる周って見て、トレド特産品である、鉄製品の兜やら剣やらのお土産ショップを見て、大聖堂(カテドラル)に向かった。 トレドの街はそれまで霧に包まれていて、あまり見えなかったのだが、 いつの間にか、雲ひとつない晴天になっていた。 大聖堂は、街全体を誇るかのように存在そのものが雄大にそびえ立っていた。 中に入ると、今まで私が見たことのある、ケルンのドーム(大聖堂)やストラスブール(シュトラスブルク)の大聖堂やパリのノートルダム寺院に勝るような、とてもとても壮大な空間が広がった。 発見した巨大なパイプオルガンだけでも天井高く、3箇所も設置されていて、とにかく内部は圧巻!! スペインに来てからほとんど出くわすことのなかった、日本人ツアー客も このトレド大聖堂の中にだけでも、3団体はいた。 飾ってある宗教画は、どれも、この街で活躍したというエル・グレコのだったり、ゴヤの作品だったり・・・。 全てが素晴らしく、感動だった。 その後、素敵な感じのレストランに入った。 実は、今回の旅行でスペインでまともなレストランに入ったのは、これが最初で最後になってしまったが。 メニュー(コース料理)の方がお得!ということで、前菜・メイン・デザートで18ユーロのメニューを注文した。 それぞれが、いくつかの料理から選ぶのですが、こういう時には、通訳のできる友人がいて本当に心強く助かった。 私が頼んだのは、サラダ、鶏肉料理だった。 お友達は、マリネとかスープ、そして、別のお肉料理か魚料理だった。 ん~~~、値段のわりに、素敵なレストランのわりには、特別には美味しくもなく、残念な感じ。 サラダは、またもや味がしないので、皿上料理しなくっちゃならなかったし、鶏肉は、カレー味??と思いきや、サフランで、物足りない味がした。 デザートは、ここの名物でもある、マジパン(スペインではマサパン?)でできたものだった。甘かったけど、まぁまぁ美味しかったかな。 また街を歩いて、カフェに入り、5人でのんびりとした楽しいひと時を過ごして、トレドの夕暮れに浸った。 自分が本当に中世の一場面に入り込んだかのような素敵な風景が広がった。 そして、一行は、マドリードへと帰路についた。 トレドから戻り、私は、スペイン人と友人ご夫妻の招きで、 お宅にお邪魔して、夕食をご馳走になった。 イベリコ豚・牛肉・海老・イカ・ズッキーニ・ピーマンを鉄板焼き!! 特製のソースは、ベルリンから来た友達が、その場にあったリンゴなど使って、手早く作ってくれた。 海老やイカはとても新鮮だし、なんと言っても、イベリコ豚での 焼き肉は、人生初体験で、本当に美味しかった。 沢山飲んで、沢山語り合って、楽しくて時間も忘れて居座ってしまい、 気が付いたら、土曜日晩ということで、タクシーも終ってしまい(日本だったら何時でもあるけど。笑) 結局、ホテルまで送って頂くことになった。 ドライブでお疲れのところ、長々とお邪魔しました~。
February 19, 2008
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1月19日朝この日は、前日にやることなく早く寝たせいか、時差ボケからか、とても早く目覚めた。 とりあえず、テレビを付けたら、ドイツのチャンネルのテレフォンショップイングが面白く見入ってしまった。 ドイツ人も最近はブランド志向? 携帯にまで続々とブランドとのコラボが出ているみたいで、 こんなのとか こんなのとか 誰が買うんだろうかという値で売られていた。 ・・・って思ってたら、最後の日のベルリンの空港で、 モトローラD&G携帯を片手にドイツ語話しているお姉さんがいたけど。 そして、テレフォンショッッピングの時間の後には、ドラマが始まった。 私がドイツに居た時からやっていた、ドラマシリーズまだやってた! それにしても、ドイツのドラマとか映画って言い争いシーンが多いなあ。 ・・・なんてテレビ見入って10時頃になってしまったので、朝食に階下に行って、それから、散歩に出てみることに。 ガイドブックによると、ホテルの裏にはどうやら、大きなパークがあるらしく・・・。 とりあえず、行ってみた。 道の途中、川を渡るのだけども、橋が大工事中で、本当に渡っても大丈夫なのだろうか心配になったけども、マラソンしている人と、マウンテンバイク乗っている人が通っていったので、大丈夫だと確信。 そして、橋を渡ると、そこは、カサ・デ・カンポという1.747ha.もある広大な敷地だった。 朝早くて、人けもなくて、ちょっと不安にもなったけど、誰にも邪魔されない静寂で豊かなその大自然が素晴らしくて、朝の散歩には相応しかった。 陽光が木々の隙間から零れ落ち、こういう道を歩いていると、ベートーヴェンになったみたいだなぁ~と我ながら思いながら。 そして、さらにさらに歩いていくと・・・ なんと!なんと! 1人男性が、赤いカポーテを片手に。 そうです!!闘牛士の練習している姿!! 素敵すぎ~。早起きは三文の得とは、このことを言うのか。 今回は、スペインに行ったにもかかわらず、季節ハズレで闘牛を 見られないということが分かっていたので、残念に思ってただけに、 まさかこんな形でお目に掛かれるなんて、感動でした~。 本当はもっと近づいて写真撮らせて貰いたかったんだけど、 無心で練習に励んでいたので、お邪魔しては悪いかと遠慮しておいた。 彼等も、オフシーズンに日々努力しているのですね。 たまたま、ガイドブックにあった、闘牛の世界を読んで、 その奥深さに惹かれていたところ。 感動でした~!!
February 19, 2008
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1月18日後半 前半の日記のつづき・・・とりあえず、お腹が膨れたところで(まずかったが故に)、 ホテル方面へ引き返しとなったわけだが。 歩き疲れてヘトヘトだったので、地下鉄を使う! スペイン初の電車デビューとなった。 こういう時って、ちょいとドキドキ。 ガイドブックによれば、一律1ユーロと切符の買い方は、誰にでも簡単! ということで、ソル駅の地下に。 どうやら私のホテルの最寄り駅には、直通はなく、一駅だけ乗って また一駅だけ乗り換えなきゃならない。 それも営団と都営のように会社が違うようだったけど・・・ でも、乗り換えも簡単で、何も問題なかった。 ドキドキしながら、達成できた時の嬉しさが、一人旅の醍醐味! すっかり味を占めて、まだ日が暮れるまでに時間があったので、 ホテル最寄り駅、プリンチペピオ駅に併設されている巨大ショッピングモールへと向かう。 おお!いきなりMANGOだし!知ってるお店がズラリと入ったショッピングモール。 しかも、どこも、セール!!!半端じゃない。40%とか50%とか。 ただ、問題は、タグの値段が、既に値下げされた後のものなのか、 それとも、そのタグから更に値引きされるのかが不明な点。 どうやら店によって違ったらしいのだけど。 でもね~、50ユーロってとっても安く見えても、日本円にすると\8000。 沢山買うとなると、決して安くない。 こんな洋服だったら、きっと日本でも同じ金額出せば買えるだろう! って思うと、荷物が増えること躊躇して、結局はたいして買えず。 買ったものは、ドレスアップした時に使えそうなスパンコールとか 入っているお洒落な半額になっていたバック2点と、スペインっぽい鮮やかな柄のTシャツくらいだった。 ZARAとかH&Mなんて、品質を疑いたくなるような光景が目に飛び込み・・・。洋服が沢山、床に落ちているし。 むしろ、ユニ○ロやG○Pの方がいいんじゃないかとか思ってきた。 もちろん、デザインとかカワイイんだけどねえ。 日本ではZARA愛用者だけども、でも、あんなだと、安っぽく思えた。 それにしても、キティちゃんが目に付く! ZARAでもH&Mでも・・・。どこに行ってもキティちゃんグッズが大量に売られていて 相当流行っているらしい。 なんてブツブツ1人思いながら歩き回って疲れたので いったんホテルに帰って一休み。 その前に、忘れてならないのが、ホテルで飲むドリンクと歯磨き粉の購入。 ドリンクは、乾燥がすごいので欠かせない。目覚めた時には、喉が乾燥で 痛くなるくらいだった。 それから、ガイドブックをながめ、今晩の夕食をどうしようか悩む。 一軒、「マドリード行ったら、ここには行くべし!」って書いてあるお店をチェックしてあったのだけど、 よく見たら、オープンする時間が20時半!! スペインは、どこのレストランも早くて20時開店。 本当、スペイン人っていったい何時寝ているんだろうかと思うほど、夜が長い。 そのお店は、なるべく予約要るって書いてあるし、そんな時間に スリの多いという街の中心部に行って、お店に入れず、怖い目に遭っても 嫌だったので、なんとなく尻込みして、結局、ホテル周辺で 見付けることにした。 ホテル前の大きい通りを右往左往して、一番盛ってそうなバルに入ってみた。 人が店内に沢山居るように見えるのだが、カウンター席(ほとんど立っている状態で飲んでいて、そっちの方が、普通の席に座るより割安な仕組み)に溢れ返っていて、実際のところ、そんなに店の奥は混んでいないのだけど。 私はもちろん、1人で立ち飲みは嫌なので、席を確保。 そして何も読めないメニューと格闘。 とりあえず、ビールを注文。 それから、隣の若い女性二人組みが食べていたオリーブを指差して それと同じものをと注文。 さらに、全く分からないメニューから、「マドリッド」って書かれているものを偶然見つけたので、それを頼んでみることに! そしたら、大量のバケットと、ビールにオリーブに、そして、 日本で言うところの突き出しであるハムののったパンとポテトチップスのお皿が来た。 この時点で、見ただけでお腹が膨れるようなパンと皿の数。 オリーブが美味しかったので、ゴクゴクとビールが進み、もう1杯注文したら、またもや、ハムのせパンとポテトチップスの皿が来た! その時にやっと理解できたのが、アルコール1杯注文するごとに、 無料で、そのハムのせパンとポテトチップス皿が勝手にくっついてくるということ! ・・・ってことは、バルというのは、何も料理を注文しなくっても 飲んでいるだけで、腹がいっぱいになれるんだ!ということに気付く。 でも、あとのまつり・・・。 んで、やっとのこと来たメインメニュー! なんとなんとなんと! 出てきた途端に、「あっ!」って思った。それは、悲しい叫び。 だって、ガイドブックに写真のっていたのだもの。 名物、マドリッド風モツ煮込み「カリョス・マドリレーニョス」だったのだ。 ん~~~~日本でだって、モツをそんなにバクバク食べたいと思わない 私にとって、これは、かなり究極。 しかも、どこの部位か全く分からないゲテモノを、1人寂しくビール片手に食べないとならないなんてさー。 案の定、味もたいしてしないので、自分でまたもや、塩コショウかけて 皿上調理して、どうにか食べられるようにして、、、 食べた。でも、全部は到底無理だった。 そして、マズいから、ビールで流し込む状態になり、結局またもやビールをオーダー。 そしてまた、ハムのせパンとポテトチップス皿が勝手にくっついてきて 私のテーブルには、とても1人分の皿とは思えないほど、皿だらけになった。 酔っ払ってホテルに着くまで、私は思った。 そっか、ドイツと一緒だ! この国の料理は決して美味しくはないんだ~っと。 素材は美味しいのだ。 ドイツもそう。調理していない、チーズ・ハム・サラミ・ソーセージ・ポテトは、むちゃくちゃ美味しい。 スペインも同じなんだと。 それか、私のたまたま入った店が運が悪かったか、私が、日本にある店の 日本人向けの味覚に慣れ過ぎているのかと。 イタリアやフランスでは、どこも味がいいと思ったけど・・・。 スペイン通の皆さんごめんなさい。美味しい料理、スペインにもあるハズですが。ってことで、この日も美食にあたらず・・・・。 そういや、ドイツ留学初期の頃、メニュー読めず、出てきたものに マズくて、吐きそうになったこと何度かあったかもってこと思い出した。
February 18, 2008
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1月18日前半 ホテルで朝食。ビュッフェ形式で、インリッシュブレックファースト。 そう悪くない内容。しかし、コーヒーやジュースが機械なのでまずかった。 そのあたりは、カフェオレ用に2本のコーヒーとミルクのポットがド~ンと置かれるイタリアとは随分違うなあと思った。 この日は、スペイン人と日本人ご夫妻はお仕事。ベルリンからやって来たご夫妻は、買い物に明け暮れる(スペインはバーゲン真っ只中~)とのことだったので、私は1人行動を試みる。 とりあえず、まずは、地図を持って街中まで歩いてみる。 思ったよりも、ホテルから街の中心地まで横たわっている王宮が大きくて 歩いても歩いてもなかなか辿りつかなかった。 王宮は、20日に行くことにしていたので、この日は外だけ。 そして、そこからマヨール通りを歩いて、目的だった、サンミゲル市場に! って思ったら、工事中で市場が閉まっていた。残念!! 市場見ると、その国の食文化を堪能できると思っていただけに、ちょっとガックリ。 さらに歩いてマヨール広場とソル広場に。 この辺りが、スリの危険区域と聞いていたので、カバンを緊張して持ちながら歩いたけど、まだ朝早いこともあって、人も少なく、全然穏か。 パスポートとクレジットカードの入った財布は、コートの下に入れて、 ハンドバックの奥のポケットには、もう一つの財布を忍び込ませて、 さらに、どうでもいい財布は、すぐに取り出せるところにぶる下げて。 万全の体勢。爆 ソル広場から、Madrid Vision っていう 赤い2階建てバスに乗車。 これは、歴史的・現代的な建物を回る2つのルート(それぞれのコースが1周約45分)を乗り降り自由で、イヤホンを貰えて、日本語ガイドを聞きながら、16ユーロで周遊できるというもの。 こんな便利なバスなのに、一度も日本人を見掛けなかった。 っていうよりも、シーズンオフなのか、あまり日本人は街にもいなかった。 とりあえず、ルート1のバスに乗り込み、寒さを我慢しながら、ガイドの解説で建物の歴史を知りながら、マドリードの街を観て周る。何しろ初心者だから、とてもいい。そして、国立ソフィア王妃芸術センターまで行って、そこで、いったん下車。 国立ソフィア王妃芸術センター モダンな美術館だった。幼稚園の年長さんくらいの子ども達も遠足で絵画鑑賞なのか、たくさん来ていた。 こんな素晴らしい絵を小さいうちに見られるなんて幸せな子ども達ですね。 有名なピカソのゲルニカの巨大なモノクロの絵の前で、みんな座って先生のお話を聞いていてかわいらしかった。たぶん、先生は、赤と青と緑のシートを取り出してお話していたので、色の三原色を教えていたのだと思うけど。 他にも現代作家の作品がたくさんあって、私にはとても刺激的だった。 特別展示には、「フラメンコ」に関する作品ばかりが展示されていて、 絵画だけでなくって、彫刻や衣装や映像もあって、スペインらしいものが 観れてラッキーだった。 それから再びバスのルート1に乗車。 さらに街の中を走っていくと、プラド美術館が見えてきたけど、これも 20日に行くと決めていたので、降りずにさらに乗り。 すると、イヤホンガイドが、 「この通り(レコレトス通り)は、アーティスト達が集まる場所として有名なカフェが沢山建ち並び、特に、21番地にあるカフェが有名」とかって言ったので、大慌てで下車。爆 そして、21番地に足を運んでみると、素敵なカフェが!! 早速店内に入ってみることに。 「お食事だけか?ドリンクだけか?」って聞かれた気がしたので、ドリンクだけのようなナフキンの置いていない席を指さして座った。 お洒落な格好している人たちが、寛いでいた。 私は、カップチーノかな?を注文。 そして、支払いの時に気が付いた。あ、辞書忘れた!! んで、しょうがないので、とっさに出てきた言葉は、 「イル コント ペル ファボーレ!」 ・・・ってこれって、イタリア語。爆 でも、通じた~~~。 ちなみに、スペイン語は、「ラ クエンタ ポル ファボル!」似てるね。 コーヒーで一休みしてから、再び、バスの停留所まで戻る。 そして、地図を見てみると、ここからルート2に乗り換えられることが判明。 ってことで、ここから、ルート2を全部制覇してやる!意欲にかられ、 ルート2の停留所に移動。 ルート2は、ショッピング街やら、近代的なオフィス街やら、高級住宅地やらレアルマドリード本拠地などを通った。 そして、1周したところで、バスを降りて、もとのバスのルート1の残りに乗車。 もうお腹が空いていたので、降りずにひたすら、全部走って、最初に乗ったソル広場の手前、マヨール広場まで戻って来たところで下車。 Madrid Vison の2ルートを完全制覇!! これでマドリード市内の全てを知り尽くした気分に勝手になって満足した私は、ようやくお腹が空いている事に気付く。もうとっくにランチタイムの時間が過ぎていた。 とりあえず、ガイドブックに出ていた「ハム専門の店」に行ってみることに。 ムセオ・デル・ハモン そこは、1階が肉屋さんで2階が立ち席で、3階部分が普通の食堂のような作りになっていて、店内には、ものすごい数の肉がぶる下がっていて! 本当にハム博物館状態。 んで、メニューには、日本のファミレスみたいに写真が付いていたので、 でも、肉の種類までは分からなかったので、一つ一つ単語を、ガイドブックに付いていた「食べ物スペイン語辞典」でチェックしながら、 「仔豚のピカタ」みたいなものを注文してみた。 でも、まずかった。味しないし。 机の上にあった、塩コショウやら酢やらかけまくって自分で皿の上で調理すればそれなりの味にはなったけど。 これだったら、生ハムにするんだったと大後悔。 つづく
February 18, 2008
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1ヶ月前の同じ日から旅日記を更新していこうかと思います。1月17日 いきなり、成田空港の検閲にて、ちゃんと液体物として袋に入れていた 歯磨き粉を没収される。なんでも私の買った新しいチューブ(1000円もする高級歯磨き粉だったのだ)は、100gの規定を超えて、110gだった。バカだ~~~。 成田からフランクフルト行きの飛行機の私の隣席になったのは、 日本人の女の子2人組み。その方達も、マドリードまで行くという。 ということで、フランクフルト空港での長時間の暇つぶしをご一緒して コーヒーを飲む。ドイツのコーヒーは、美味しい!!! ついでに言うと、ルフトハンザに乗り込んだ時から、絶対に注文するぞ~ って決めていた、「アプフェルショーレ(リンゴ炭酸ジュース)」を飲んだ。美味しいの! ルフトの機内食も10年前と比べて随分とレベルアップしたかも。 そのうちの1人の女の子がスモーカー。 しっかし、長旅のうえ禁煙。空港内いっさい禁煙。信じらない。あんなにモクモクしていた国が! 今年からだそう。後から分かったけど、州によっては、この夏まで喫煙可能な飲食店が 存在しているらしいけど。 分煙を通り越して完全禁煙!他にも色々と州によるらしいが・・・。詳しくはココ。あのオクトバーフェストで吸えなくなると喫煙者はどうなるのでしょうか?ミュンヘン空港は、ミュンヘンのあるバイエルン州は、もう禁煙化が始まっているみたいだけど、ちゃんと喫煙所あった。 ちなみに、いくら飲食店が禁煙化してあっても、ドイツの街中は、歩道のいたるところに灰皿があって、かえって日本よりも吸える場所は多いと思う。 ついでに、煙草ネタで言うと、スペインは、禁煙化が進んでいないどころか、街の中はおろか、地下鉄にはさすがにないけど、近郊走る電車の中にまで灰皿が設置されていたのは、驚き!もしかしたら、世界一、灰皿の多い国かもしれない。 私は別に喫煙者を助長しているわけでもないが、この法律の厳しさに禁煙者であるドイツ人が反対を訴えている意見を何度か聞いた。フランクフルトの乗り換え便は、ルフトハンザの提携便、Span air とかいう聞いた事のない飛行機で、少々不安にかられながらも、 中では美味しいサンドイッチ(ハム入りとチーズ入り)機内食を口にし、 マドリードに無事に到着。 マドリード空港には、留学時代の日本人の友人のスペイン人の旦那様が車でお迎えに来てくれた。日本人の友人は、この日は夜遅くまで仕事だった。 そこに、ドイツのベルリンからやってきた音楽家ご夫妻と合流。 飛行場はと~っても大きかった。6つもターミナルがあるらしい。 駐車場までもかなりある。 車で、スペイン人のお友達の家まで行って、そこに泊まるベルリンのご夫妻のお荷物をいったん降ろして、スーパーで少々買い物をして、私のことは、泊まるホテルまでお見送りしてくれた。 ホテルは、4ツ星で、値段が高いわりには、ポーターもいないし、雑然とした雰囲気。室内に冷蔵庫がないのは、生ハムを購入した私にはショックだったけど、まぁ、あとは、大丈夫かなあという感じ。 1人になって、ワインを買ってくれば良かった~っと後悔しながら、 フレッシュオレンジジュースを飲みながら、スーパーで買ったハモン(後脚)・イベリコ(放牧した黒豚)・デ・レセボ(飼料も少々あげた種類の豚のランク)を食べる。旨!!! そして、歯を磨こうとして、そう言えば、歯磨き粉を没収されて、チューブがないんだ~ということに気が付く。 テレビを付けてみたら、13チャンネルあって、そのうち、イギリス系の英語が2つと、フランス語、イタリア語、ドイツ語とうつった。 英語のチャンネルで、大きく、その日あったヒースロー空港での飛行機事故ニュースを伝えていて、ビビる。ほとんど同じ時間に飛行機に乗っていたと思うと恐ろしい。 ドイツ語チャンネル付けて、言葉が聞き取れて安心する。 そして、翌日の行動をどうするか、ガイドブックを片手に考えながら就寝。 http://maps.google.co.jp/maps
February 17, 2008
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新年のご挨拶をしてから、とても長い間、このブログを放置していました。ごめんなさい。実は、1月中旬から末まで、2週間、スペインとドイツに行って来ました。私としては、5年ぶりのヨーロッパ渡航でした。正月明け早々、お仕事を2週間もお休みするというのは、かなり勇気のいることで生徒さんにもご迷惑を掛けました。でも、素晴らしい気分転換になって、帰宅してからの1週間、とても気持ちよくレッスンに向かえています。行って良かったなぁと実感です。長旅では、会いたい人に会え、そして思いも掛けずに会えた人もいたり、満喫しました!途中、一人旅のようなところもありましたが、特に言葉も通じないスペインでは、ドキドキでしたが、だんだんと、達成感に変わるのが醍醐味でした。冬のヨーロッパとあって、気候が心配でしたが、出発した日は、日本では雪が積もって寒い日でしたが、なんとフランクフルトは、8度もありました。マドリードの日中は、コートがいらないほど。ワイマールだけ寒かったけど、あとは、ここのところの東京よりもむしろ暖かいくらいでしたよ。もちろん夜はどこも寒かったですが・・・。でも、10年前に3年間ドイツ住んでいた時には、こんなに暖かい冬などなかった気がするので、地球温暖化を実感したような・・・ある意味コワイです。乾燥に弱い私にとって天敵な飛行機は(実は、それだけでなく飛行機大嫌いで、恐怖なんです)アレルギー剤を飲んで、濡れマスクして、化粧水スプレーを常備して、ビールとワインを飲みまくって爆睡。なんとかクリアできました!全て、旅は順調だったものの、、、何故か税関にて、正直にスペインとドイツに滞在してきたことと、ミュンヘン空港にて2本ワインを購入したと打ち明けたところ、スーツケースの中身をチェックさせられました!!パンパンに膨れた無理矢理閉じた状態のスーツケースを!実は、マドリードにて、イベリコハムを2袋(真空パックでシート上になってるもの)買ってあって、楽譜とか本やらとかと一緒にしてスーツケースの下の方に入れてあったから、バレないようにとドキドキでしたが、大丈夫でした!!いつもなら、飛行機乗る直前に、大量にドイツのスーパーでチーズやソーセージを買ってスーツケースに入れまくるんだけど、今回は、偶然に時間がなくて、そしてスーツケースがいっぱいだったから買っていませんでした!たまたま悪いことしてなかっただけで、、、まさか開けられるとは思ってもいなかったので良かったです。今回、旅先でお世話になった、スペインとドイツのお友達みなさん、本当にどうも有難うございました!!旅の日程と宿泊先は、こんなでした。 Thu 17 Jan 10:30 Tokyo 14:15 Frankfurt LH711 Thu 17 Jan 16:50 Frankfurt 19:20 Madrid LH25821 17.18.19.20.Jan マドリード Madrid ,Spain トレド日帰り Mon 21 Jan 18:00 Madrid 20:35 Munich 21.Jan ミュンヘン Muenchen 22.23.Jan マンハイム郊外 Mannheim ドイツ人と中国人夫婦の友達の家 ケルン日帰り 24.Jan ワイマール Weimar 25.Jan プリンツ Plinz 画家の友人の家 26.Jan ワイマール Weimar 27.28 Jan ベルリン Berlin ピアニストと声楽家夫婦の友達の家 Tue 29 Jan 13:00 Berlin 14:10 Munich LH223 Tue 29 Jan 15:25 Munich 11:05 +1 Tokyo LH714 旅費概算は、こんなでした。 交通費 成田までのリムジンバス(往復)\6,000 飛行機代:ルフトハンザPEX航空券(空港税・手数料・燃油含めて)\133,910 ジャーマンレイルパス(2等・フレキシブル4日分)\29,800 宿泊費 マドリッド4泊分(朝食付き)76.47×4=305.88ユーロ ミュンヘン1泊分(朝食付き)79ユーロ ワイマール2泊分(朝食なし)66×2=132ユーロ オペラチケット 42ユーロ ではまた旅日記をゆっくり更新していきます。
February 10, 2008
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