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昨日なのか、はたまた昨夜夜中に冷えたのか?どちらか判らないがどうやら鼻風邪を引いたらしい・・・。昨日は鼻水が出て仕方なかったが、・・・。今日は午前中は何の症状もなかったのに、午後になったら寒気がして来た。何時ものように夕方だるくて仕方ないので、先手でベッドにもぐりこみ寝ることにしたのだが、・・・。私は、実は鳥が苦手だ。可愛いのだが、柔らか過ぎて触れない。それと嘴で突かれると痛くて苦手だ。ついでに鶏肉も苦手。皮の鳥肌が駄目。フライドチキンは食べない。でも、つくねは別。話を戻そう。夕寝のときに夢を見た。体調の悪い時は夢に動物が色々出て来るのだが、何時もは出てこない鶏(う~んあれはチャボかな?)が出てきて追っかけて来るのだ。逃げても逃げても、追っかけて来て何故かお尻を突く、中には噛み付くといった方がいい奴まで現れる。1羽ならずも3羽も噛み付いて離れない。そして、私は息切れしながら、誰かに鳥を取り除いて貰う為にひたすら助けを求めて逃げ回る。Y(=> ェ ェ
2005年10月31日
今日は、やっぱり腰が痛い。朝から婆臭く湿布を貼り、コルセットを着ける。昨日今日は、市民フェスティバルがあり、県立の公園で大規模なお祭りが行われた。近隣の市町村からも人が訪れるくらい有名になっている。市内の企業やら福祉施設やらあらゆる団体、会社が参加する。弟が通う施設でも、参加するので、今日は彼が売り子として参加する為、両親と一緒に車で出かけた。駐車場に入るまで、45分位掛かった。病院での3時間待ちを体験してしまうとこれくらい何でもなくなるから、不思議だ。弟のデイケアのテントまで行くが、先に下りて行った両親が見当たらない。歩くと疲れるので、遠目用の眼鏡に替えて、眺めながら探していたら、バッタリと、職場の人間に会ってしまった。予想は出来たが、この広いところでまさか会ってしまうとは・・・。こう言うときに限って、ノーメイクなのだ。まあ、向こうもこちらの状況は判っているので、ノーメイクの方が返ってよいかも知れない。かつて直属の上司であり、6年前に同じように休職した時に上司だった人で、今は休職等の手続きを担当されているので、むしろ会えてよかった。一応先日父と上層部の上司とで、休職の延長願いについて郵送で処理と話が付いているので、その休職願いの書類がこちらにまだ届いていないので、父も心配していると伝えると、まだ先方は出していないと言う。こちらも連絡が遅かったが、職場ものんびりしている。「郵送は後になっても大丈夫だから」と言われた。上層部のNo.2の上司は、シビアな事を言ってきた様だったが・・・。今日会った職場の人は、「食事チャンと3食食べれてるのか?」と訊ねてきた。余程私の顔色が悪かったのと痩せて見えたのだろう。一応、現在の状況を一通り報告して、謝っておいたが、「職場も大きな仕事は無事終わったし、これからはそんなに忙しくならないから気にしなくて大丈夫だと思うよ。兎に角、今はゆっくりと体調戻すようにしなよ。」と言ってくれた。別れた後、「ああ明日、職場で報告される事だろうな~。」と思ってしまった。この後、又両親を探しに近所をふらふらして、やっと見つけたら、二人はちゃっかりと焼きそば等食べていた。こっちは、探し回ったのに・・・。ε- (=^ ェ ^; ふぅ同じく焼きそばを食べてみたが、やっぱりもたれた。亜茶ー(>_
2005年10月30日
このところ、体調がだるくて、寝ても寝ても寝られる状態。しかし、寝てるせいで、胃腸の調子が悪いのか、普通のご飯を食べると物凄く胃が痛くなるので、流石に大嫌いなお粥にしてみると痛みは無く、もう大丈夫かと思ってトーストなどに戻すと、又元に戻る。今朝は、お腹も落ち着いているようなので、シリアルを食べてみたが、痛みが無く、気分も良かったので、ずーっと気になっていた婦人科に、定期検査に行ってみた。9時過ぎに家を出る。近くの大学病院で、5時間も時間が掛かるのなら、10年来の罹り付けの都内の専門の先生の居る病院で診て貰ったほうがまし。電車に乗るのは、久しぶりだったが、幸いにも指定席の電車で座って行けたのでどうにか大丈夫だった。むしろ辛かったのが駅から病院までのアップダウンの道。息切れしまくりだった。体力落ちた。病院での待ち時間は、予約無しでも、30分も掛からず。気になっていた、10年来の子宮内膜症と最近気になっていた更年期障害について相談するが、いたって順調で心配なしとのこと。付き合いの長い女医さんなので、体調崩して9ヶ月も休んだ事話したら、「駄目駄目、まだまだ若いのに頑張んなきゃ!頑張れって言っちゃいけないんだろうけどさ、軽くウォーキングでもすると気分が変わって、調子取り戻すよ。やってみなよ!」と励まされてしまった。子宮がん検診も2年ぶりに行う。検査結果は1週間後。電話で確認できるのが助かる。但し、生理痛の鎮痛剤フルカムは、普段行っている大学病院では貰えないので、処方してもらう。薬を貰って、終了時間が、11時半。なんじゃこりゃ?電車に乗って、出かけた方が2時間少々で終了かい?近くの大学病院より、遠くの総合病院?何か変?どうなっているんでしょう?民間の病院のほうが、患者を大事にするって事かな?帰り道に、「フッレッシュネス・バーガー」というハンバーガー屋さんがある。ここは、色々変わったハンバーガーとか、トルテティーヤとかがあって、モスに似ているが、アメリカンという感じだ。一番お薦めなのは、サルサ・バーガーなのだが、今日は、胃のために普通のハンバーガーとユチャチャという柚子茶のホットドリンクにした。少しもたれたので、折り紙会館という処に行って見ることにした。折り紙会館には、折り紙に関する本や、様々な和紙が揃っている。もちろん、折り紙教室も開かれている。じっくり観たことが無かったので、行ってみた。来年の干支の犬の折り紙が展示されていた。101匹ワンちゃんとかもあった。母に、くすだまの折り紙の本と、クリスマスのリースを作るキットをお土産に買って帰ってきた。帰りには、買い物を頼まれ、途中父と電気屋さんで待ち合わせし、買い換えるエアコンの確認をして一緒に帰ってきたが、病院でコルセットを外して其のままで帰ってきたため、腰が痛くなってしまった。(>_
2005年10月29日
昨夜12時過ぎに寝付いたら、5時過ぎに目が覚め、お腹が空いたのでバナナを半分食べて横になっていたが、動悸がして来たので、リーゼを飲んだ。そしたら、再び寝入って今度気が付いたのは10時過ぎ。寝すぎだよー。ペチペチ ( _ _ )ヾ(=‘ ェ ‘=) 起きろ~だけど気分は、今一。食欲もなし[PC] ゛(=- ェ - =) ボケェ~・・目が疲れてる。眠い。何でこんなに眠いの?夕方になって、トレドミン飲み忘れる。夕飯の仕度も手伝っていられないくらいだるい。仕方なく寝る。6時から9時まで寝る。夕食も食べたいんだかわからない。落ちてるな~。暫く休もうか・・・。
2005年10月23日
今日は曇天だった。朝から、だるい。昨夜寝られず、明け方5時近くまでゲームなんかしていたせいもある。それでも、10時には起きて朝食を摂った。11時になって、父が弟を耳鼻科に連れて行くと言い出したので、母と起こす。彼は、まだパジャマのままだった私に、着替えるようジェエスチャーで指示した。つまり、私に車で送って行けという事なのだ。早速着替えて、彼のところへ行くと、彼も着替えをして出かける準備をしていた。こんなにスムーズにことが運ぶのは正直珍しい。そして耳鼻科まで送っていった。帰ってきてPCを覗き込んだが、数日前から、妹のように勝手に思っている仲間のことが気になって仕方が無い。妹のように思っているのは、私が一人で勝手にそう思っているだけで、相手にしてみれば、どうということはないかもしれないのだが・・・。むしろ迷惑かも・・・。(ストーカーではないが、ちと近いかも・・・。私がブログを始めるきっかけになった人でもある。)実は、弟の他に、もう一人妹が居る。前にも日記に書いたかもしれないが・・・。妹も弟とは異なるが生まれつき障害を持っている。生まれた時からずっと病院から施設に入っている。だから、妹とは一緒に住んだことが無い。物心付いたときから、両親は妹の事を話してくれていたので、年に1、2度会いに行くだけだったが、それが普通の事のように思っていた。当時の施設は、正直いうと子供の私にとっては、少し怖いところでもあった。鉄格子のような部屋があり、明るいがうめき声がして、気味が悪かったのを覚えている。でも、妹は別だった。妹は、話すことは出来ないが、イヤとか、食べたい物とかの意思表示は赤ん坊のようにすることが出来る。弟と同じように生まれた当時は、1週間と持たないと言われたそうだが、家系なのか心臓だけは丈夫で生き残った。何度も、危ないと言われたことがあるが、その度に、助かってきた。40年近くも、生かされてきた。よく人様からは、かわいそうにお気の毒ね等と言われるが、子供の頃から私は疑問に思ってきた。彼女には施設で一生懸命面倒を見てくれる人たちが一杯いて、彼女の事をホントに可愛がってくれる人が居るのに、何故可哀想なのか?両親は違うだろう。でも兄弟は、また別の視点から見ている。私は、同情なんてしない、彼女には彼女の人生があり、生活があるから。傍からみたら、薄情な家族だと思うだろうな。年に1回も面会に来ないし、ここ数年は滅多に行かないし、呼び出しを受けたときには、私か父が行くだけだから。変な話だが私は子供の頃から、妹や弟に万が一のことがあったときの想像をしてきた。どちらも悲しいのだが、一緒に暮らしてきた弟の方が色々な思い出があり正直こちらのほうが辛いかもしれないと思う。でも、妹の施設から連絡があるたびに、ドキッとするのも事実だ。昔、大学病院のDrに二人の障害について聞いてみたことがある。偶々の偶然だそうだ。何%かの確立に当たっただけらしい。神様は不思議だ。何故家を選んだのか?だからと言うわけではないが、私は最終的に福祉の仕事を選んだ。福祉の仕事をしている仲間にはそういう人は多い。当然のようなものだ。あえてしない人も居る。どちらも然り。もし私が、癌になった妹に何か言うとしたらなんていうか?そう考えたら、きっとこう言うに違いない。彼女にはそう思ったことを言ってみた。彼女のお姉さんの代わりに。ただそれだけだ。そして、後は祈るしかなかった。昼近くざっと雨が降ってきた。道理で首が痛いわけだ。首のツボを押していたら眠くなってきた。ウトウトしていた。午後から、昨日の植木屋さんが来て、続きをしていった。夜、「踊る大走査線MOVE2」をやっていたが、胸が痛くなって横になっていたら又眠くなってきた。11時過ぎにNHKにチャンネルを回し「チャングムの誓い」をみながら、寝ることにした。(BSの方はもう直ぐ最終回だが地上波の方は始まったばかりなので、まだ見たことのない方にはお薦めします。絶対嵌るから~。)
2005年10月22日

今日は、昨日シルバー人材センターから連絡があって、植木屋さんが来る事になった。7時に階下で、両親の言い争う声で目が開いた。今日の植木の剪定の仕方で揉めているのだ。もう私が出て行って調整に入るしかない。起きて朝食をしていたら、7時半にはもう来て作業を始めた。今日は、更に母と弟が其々デイケアに行く日なので、朝は超大忙し。母は、昨日は植木の事になると煩くてデイケアに行かないと言い出したり、今朝になったら父と一緒に居るのがイヤだからやっぱり行くと言い出したり・・・。結局行ったけど・・・。ヤレヤレ┐(=´ ェ `=)┌マイッタネお陰で、母の代わりに10時半にお茶だししたり、2時半にも梨を出したり、何時もしないことをする。(= - ェ -=)旦~ 粗茶ですが...3人来る筈が、2人だったので終わりごろに、切った枝を集めるお手伝いをした。事務所に6時までに戻らなくてはいけないというので、どうも間に合いそうに無かったので・・・。チョコッとやっただけなのに、疲れた。4時半に部屋へ戻り、5時にトレドミンを飲んで(最近飲み忘れがち)さーてとレース編みが完成してなかったので、続きをやろうとベッドの上に座って手に持った途端に睡魔が来て・・・。(=- ェ -=).。oOグゥグゥ気が付いて目が覚めたときには、手にレース編みのかぎ針を持ったまま寝ていた。おおー危ないx2。ヒイィィ(=゜ ェ ゜;三;゜ ェ ゜=)ヒイィィ結局、5時から9時半まで寝てしまった。こんなになるなんて・・・情け無い。体力落ちたなぁ~。途中、ヨンヨンが19日に来日していた事をネットの公知で知って、カジョク(家族=ファン)としたことが・・・。と思っていたら、予約していた「四月の雪・インス’sリング」も届いて、キャー来た来た。これが、金欠のヨンゲル係数(ヨンヨングッズの収集に掛かる費用)を上げている原因。「限定」の言葉に弱い。 (3000個限定、シリアルNo.つき)
2005年10月21日

今日は、お天気が良いせいか、何だかそわ(=・ ェ ・*=)(=*・ ェ ・=)そわ落ち着かない。何がしたいかというと、ものすごーく刺繍がしたくなった。これまで、レース編みの白・ホワイトの世界に浸っていた為、色カラフルなものが恋しくなったのだ。物凄い気まぐれな奴。ネットで刺繍のサイトとか手芸屋さんのサイトを眺めていたら、どんどん嵌っていく。でも、外には行きたくない。で、在るもので何か直ぐ形になるもの、色のあるものを作ろうと考えた。という訳で、作ったのはお茶の缶が入っていた箱をリサイクルして、ポケットティシュのストックケースを作ってみた。止め具も手作り。これだけで、満足する。単純なんだなぁ~。因みに父は、「何か、骨入れる箱みたいだなぁ~・・・。」とのたまわった。(=- ェ -=)ノ”ナンデヤネンッ!
2005年10月20日

昨日から眠い。早くに寝ているのに眠い。朝から寝てばかりいた。天候のせいだろうか?何ということはしていない。本の読みすぎかな?いや、読むというほども読んでないけどな?この間、作った栗の渋皮煮・・・作者が食べる前に、他の人間に食べられてしまったが写真を撮ってあったので、それでも載せよう。
2005年10月19日
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今日また、棚の整理をしていて、またまた見つけてしまった本。6年前に、父が悪性リンパ腫と判ったときに買って読んだ本だ。どんな癌なのか、これから如何したらいいのか解らず、兎に角何でもよかった。詳しく書かれたものを探した。先ずの問題は、当時本人への告知だった。リンパ腫についてできる限り理解してから、本人の性格などを考えて判断しようと考えたからだ。そして、最終的にたどり着いた答えは、本人へ告知すべきと判断した。正直医者も驚いたようだった。このことは以前にも書いたことがあるが、しかし、父の性格上、自分の好きなようにしないと気がすまない為、精神的に不安定になることが一番心配されたからだ。この本のタイトルにあるように、「自分で選び、決定するために」このことが一番必要だと感じたから・・・。父は、抗がん剤の治療も放射線の治療も全て自分で納得いくまで、説明を受けて治療に当たった。その後、漢方の専門医を探し出し現在も治療を受けている。が直ぐにそう出来たわけではない。今後の事を考え何をすべきか戸惑っていたときに、私はこの本を買って読んだ事を話した。父は自分も見たいといった。また、ホスピスということについて話もした。当時、放射線科医の方が書いた本で(タイトルははっきり覚えていないが)「癌と戦わない」とかいう本が話題になっていたような気がする。そのため、再発したときには如何するかで、話をした。我侭な父だが、この点は尊敬に値すると思っている。父は、自分で都内にあるホスピスに電話を掛け資料を取り寄せ、いろいろと電話で聞いていた。今でも、その資料は取ってある。何の病気でもそうだが、治療に関しても、終の棲家を何処で如何に過ごすかについても、自己決定は大切な事かもしれない。
2005年10月18日

今日、本棚を整理していて、ふと見つけた本。私の悪い癖で、何かの途中で、ついよそ見を始める。以前読んだはずの本を見つけて、読み出してしまう癖がまた出た。著者は、和田重正「人生科2・おとなになる」という本。1992年の版だから、かなり古い本だけど、恩師がかかわりがあって従姉の子供が不登校になったときに読んだ本だった。この人は、神奈川県の丹沢の山の中で、不登校の子供たちや親たちのための活動、今で言うフリースクールみたいなことをしていた方だ。明治生まれの方だから、もう亡くなられたかもしれない。この本の中に、「暴力」という章があった。暴力が何故いけないか、何故暴力に対し憤りを感じるかについて書かれているのだが、上手くまとめられないので文章を抜粋してみる。「自分が他人から暴力や威力で理不尽に自由を奪われることは堪えられないいやなことです。・・・では、何故理不尽に自由を奪われることが、それほど・・・けしからんと感ずるのでしょうか。それは人間のいのちに直接関わることだからだと思います。いのちというものは本来、自由を最も好むものです。不自由が大嫌いな性質をもっています。何故そういう性質を持っているか、と問われても説明はできません。ただ、そうなのだということをいろいろな事実から知ることができるだけです。ですから、・・・・人の生命と自由は最大限に尊重しなければならない・・・。・・・人は生まれながらにして、人格を具え、それは何者の権威をもってするとも不当に侵されることはない。つまり個人の人格の尊厳は生まれながらのものとして認められなければならない、というだけです。(途中省略)・・・いのちというものは自由でありたいという願いを持っている。それを正当な理由なく制限することは、いのちを否定することになる。しかもそのいのちは他人に現れているのも、自分に現れているのも、本当は別々に異なったものではない、ということを理屈の前の感じでわかっている―ということから、当然、人格の尊厳という考えが出てくるのだと思います。ともかくいのちの求むる自由を暴力や威力で不当に制限することは、つまり、いのちを一部否定する事であり、いわば部分殺人のようなものです。」私はこれを読んでるうちに、正当な理由があると思っているのは、自分のエゴを押し付けているに過ぎず、言葉による威圧を他人に対して行っているのではないか?という気がしてきた。私もまたおとなになりきっていないということか?
2005年10月17日
今、某TV局の月曜ミステリー~を何気なく観ていて、オヨッーーー!何じゃ~こりゃ~・・・・。ヨッ、ヨ、ヨ、ヨ、ヨンじゃないかっ~~~。正直、一瞬引いてしまった・・・。はては、天下のT○Sも血迷ったか・・・。今日の新聞TV欄見てなかった・・・・。新聞見たら、タイトルにも、・・・しっかりと載っていたが・・・。しっかりと「冬のソナタ」と「ヨン様」の文字が・・・。BGMも「冬ソナ」の曲が、・・・。パロディってる・・・・。と言いつつ、見てしまう自分がいる。T○Sさん、大丈夫なのかな?
2005年10月17日
昨夜は、チョッと気になることがあって、眠れず、仕方なしにという訳ではないが母に頼まれたブラウスの繕いものをした。久しぶりに針を持った。母のお気に入りのブラウスで、多分何年も前に母の友人に縫って貰ったものだと記憶している。生地がサラッとしているので着易いのだと思うが、大分繕った後が見られた。他にもいっぱい持っているはずなのに余程気に入っているのだろうと思って直す事にした。先日、友人に手伝ってもらい部屋を片付けた際に友人に言われたことがある。部屋で飼っているグッピーの水槽の事だ。友人がいうには、部屋の東南には風水的にも淀んだ水は運気を下げるから置いてはいけない、処分しろと言う。私は、「生きてるから処分できない」と言ったが、友人は「その気になれば方法は何かしら見つかる」と言う。それもまたしかりだが・・・。増えすぎたとき、職場の人に分けてあげた事はあるが、基本的には、業者は引き取らない。池とかに勝手に放流する事も自然保護の観点から良くないと思っている。だから、一度飼ったら死ぬまで面倒を見るべきだと思い置いてある。それに、チョッとでも飼っていると情が移ると言う事もある。だから、これだけは運気が下がるといわれても捨てることは出来そうにない。人それぞれだろうけれど、人間関係もそうではなかろうか?顔も見たことが無くても、ブログを通して、拘った記憶は私たちの中にずっと残る。少なくとも私はだが・・・。これもまた、どうしても捨てられるようなものではない気がして来た。
2005年10月16日

昔、十数年ほど前に、発達障害者の入所更生施設で働いていたことがある。いろいろな人がいたが、皆個性豊かな人たちばかりであった。そこで過ごした数年の出来事は、一冊の本が書ける位のことがあったと思う。しかし、彼らのプライバシーがあるので当然、心の中に大切にしまって置くことにしている。また、私自身の大切な思い出でもある。一つ今心の中で、忘れられないある親御さんの言葉を思い出した。「何も出来なくていい、この子が元気で生きていてくれさえすれば。私は、他に何も望まない。」この方の子供さんは、重度の発達障害があり、言葉もはっきりとは発せなかったが、「イヤイヤ」とか片言の表現は出来る方だった。歩く事も不自由であったが、ゆっくりとなら単独歩行が出来た。普段は安全のために職員が必ず手をつないで歩行していた。今でも彼女は、元気に過ごしている事だろう。この親御さんに限らず、親ならば、子供のことを同じように思っているのではないかと思う。(声に出さずとも、また喧嘩をしようとも・・・。)私の弟には、同じダウン症でいわゆる幼稚園時代からの親友が2人いた。何故、「いた」という過去形なのか?それは、彼らがもうこの世には居ないからだ。彼らが生まれた当時、ダウン症の寿命は20歳までと言われたそうだ。内臓の疾患が多く、免疫力が弱いうえに、老化が早いとされその為に、寿命は長くないといわれていたからだ。それでも、医学の進歩とともに、研究も進み今では、60歳くらいそれ以上でも生きられることが解りつつある。弟の親友の二人は、20代後半にして、癌に冒された。其々の癌の種類は違うものの、数年の違いで逝ってしまった。彼らの親御さんは、彼らの病気の発症に気付くのが遅れてしまった。それはどちらの親御さんも後悔されている。一方の親御さんは「(彼が)体がだるいといっても、それは仕事をさぼりたいからだと勘違いし、そして躾のために、もっと厳しくせねばと思った。その為に発見を遅らせてしまった。」と語った。また、もう一人の親御さんからは、彼に病気である事を悟らせまいという親心から、「痛い辛い」と言う彼に心を鬼にして、作業所へ通わせたと聞いた。親の対応は、様々だが、彼らに共通していた事は、最後まで病気と向き合って正々堂々と戦ったと言う事実だ。そして、親御さん達は、出来ることなら変わってやりたいと思ったそうだ。きっと先出の親御さんと同様の気持ちであったに違いないと思う。幼い頃から、兄弟同然のように過ごしてきた私にとっては、彼らの死は、自分の弟の死と同様の衝撃であったし、親御さんの悲しみも痛いほど伝わってきた。残された者の悲しみは、経験者なら誰でも理解できる事だと思う。自分に何が出来るか解らない。将来何が起きるかなんて、解りゃしない。何時事故に遭うかも知れない。でも、それまでやれるだけのことはしてみようと思う。自分の人生だもの、彼らに恥じる事のないように、そして少なくとも弟と妹を残してはいけないと思っているから。
2005年10月15日

昨日は、通院の後、夕方から車検に出していた車を引き取りに行った。代車を返さねばならないので、どうしても行かねばならなかった。お陰で、久しぶりに目がショボショボ状態になって、今日は疲れが又ドット出てしまった。一端9時に起きたものの、薬だけ飲んで食事もせず再びベッドへ戻った。次に気が付いたのは、午後の2時だった。ぐっすり眠ったお陰で、夕方からは元気が出てきた。先日、片付けの後ゴミの分別をして捨てようと、玄関のところにおいてあった針金ハンガーを父が「もったいない」と言って又仕舞い込んだ。何故かこう言うところは、親子だなぁ~と思う。こう云う親に育てられたんだから、物が捨てられない訳かな~?何て思ってみたり・・・。まだ更に針金ハンガーがあり玄関に置いておいたら、水曜日の朝、弟のところに来たヘルパーさんが、 「宝の山だわ~」といって持って帰られた。多分、社会福祉協議会の事業所で使うのだろう。これが、ホントの「捨てる神あれば拾う神ありだな」と思った。リサイクルの原点だな。資源の無駄にならずに済んだ。思わず嬉しくなった。「部屋を片付けて良かった~!」と実感。
2005年10月14日

今日は、通院日でしかも2科受診。だるいが、10時に起きてどうにか予約時間ちょい過ぎに到着。1科目は、内分泌科。直ぐに呼ばれた。精密検査の結果を聞くが、異常なしとのこと。前回の検査数値は一時的に高くなったものらしい。Drの説明では、飲み薬に拠っても影響が出ることもあるので、心療内科の担当Drと相談しながら様子を見て欲しいとのことだった。一先ず安心。1科目が11時過ぎに終わって、2科目は、2時の予約になっていたが、看護士さんに聞いて受付へ。ところが呼ばれたのは2時半近く、途中食事にも行ったりしたが時間掛かりすぎ。この2週間の報告で、日記には書かなかったが、先日久しぶりに職場の夢を見たが、直属の上司と意見が合わない夢だったが単純に「相変わらずだな~、仕事の勘も思い出せないな~。」としか感じなかったことを話した。そして、現状打破したいという気持ちが心の片隅にあって、部屋の片付けを友人に手伝ってもらった事などを話したら、「家の中で休めないようなら・・・」と前置きして入院を薦められた。この件は断ったが・・・。今月で診断書による病気休業期間が切れるので、今後のことを考えると今の状態では復帰は無理とDrも感じているらしく、「次回まで(2週間後)もう少し様子を見ましょう(結論を出す事は)」と言われた。が、「仕事の内容について、元の係に戻るより、違うもっと楽な仕事内容の係へ、しかも自分がやってみたいと希望する係へ移動を打診して復帰する方がよいのではないか」と言う意見であった。私が「・・・とはいっても、それは・・・やはり難しいですよ。」というと、「これ以上いい職場(待遇がいいという意味)っていうのもないですよね・・・。っていうか・・・何かこれはという、やりたいことは見つかりませんでしたか?」と聞かれた。私「それが、まだ見つかっていないんです。」と答えたが、つまりDrは「私が元の係へ戻ること(元の職場といってもいい)に、拒否感を持っていること、内心拒絶している事」をチャンと見抜いていたのだ。配置換えというよりも転職もありという選択肢を頭に置き始めていることも・・・。流石だな。恐れ入りましたって感じだ。でも、Drと意志の疎通が出来てるようでチョッと安心した。結論、今は「焦り」を感じているのでこれをどうするかに重点を置くと言う事になった。薬は変更なし。とにかく時間を掛けるしかないことが判った。
2005年10月13日
今日は、母の通院の日だった。今月から介護保険のヘルパーさんに付き添いをお願いする事になっているのに、最後まで「行ってくれないの~?」と聞かれたが、ここは心を鬼にして「駄目ですぅ~。この体調では、どうしたって無理です。」とお断りさせていただいた。本当に生理痛がひどかったので、無理なのだった。一昨日の夜から、フルカムを飲んで痛みを耐え忍んでいたのに・・・。母を送り出してから、バタンキュー状態で、一日寝ていた。昼抜き状態。夕方、何か胃に入れなくてはと思い、下へ降りていく。父が弟を迎えに行くと言うので、留守番の為、リビングのソファに横になって待つ。何か食べようとしても、直ぐには食べれず、弟が帰ってきてから一緒に父が作ったお汁粉に餅を入れて食べた。これが、後々響き、肝心の夕食を食べるのが遅くなった。唯でさえ、貧血気味になるのに・・・。困ったものだ。その上、鎮痛剤も飲まずにはいられないのだから・・・。頭痛の為、マイスリーを飲まずに早めに寝たが、失敗した、金縛り状態になってうなされた、汗びっしょり・・・。Σ(= ̄ ェ  ̄lll=) ガビーン何の祟り?随分寝たような気がして、時計を見たら・・・2時半の丑三つ時・・・。何なんだ~と思いつつ、気を取り直して、マイスリーを飲んで寝る。
2005年10月12日
連休中の部屋の片付けで、気力を使い果たし、午前中は頭が働かなかった。脳が休みを要求していた。ベッドで寝ていた。食べては寝るの繰り返し。夕方からどうにか、復活してきた。部屋は、ゴミの山。その中から、また明日出す危険物や不燃物を分別する事にした。先ずは、クリーニングを出すと必ず付いてくるあの針金ハンガーをビニールカバーから外さなくてはいけない。袋から出し、ひとつ一つ外す。やり始めてこのハンガーには、サイズが3種類あることに気付く。バラバラだとまとめ難いのでサイズ毎に分類しナイロンの紐で括る。この作業が、袋2杯分あった。雑誌や新聞をまとめた袋が更に4つあり、一昨日チェックしたはずだが、追加されて混ぜられたものがあったので、これまた再チェック。この日は、これで精一杯だった。
2005年10月11日
今日は色々ありすぎて、何から書いたらいいのか解らないが、時系列に書いて行くとしよう。今朝は9時に目が覚めた。緊張のせいか・・・?午前中、昨日行かれなかったD.I.Yセンターに連れて行かないとずっと、催促されそうな気がして落ちつかないので、父を乗せて今度は、市内のD.I.Yセンターに行った。昼近くに戻ってきて、しっかり昼食を摂り、午後からの大仕事に控える。1時半、手伝ってくれる友人を迎えに隣の駅まで迎えに行くが、幹線道路はとっても混んでいた。普段なら5分位で着くのに、15分近く掛かった。皆何処に行くのだろう?さて、今日はどうなるかと思っていたら、彼女はクローゼットを見るなり、「今日は洋服を中心に整理しよう。こっちの左にある服を右の方に全部移す。」と言って、整理に取り掛かった。しかし、昨日自分で少し動かしたのでしっかり見つかり、「あれ~?何でこんなところに動かしてるの?まったくもう~。同じものは一箇所にまとめなさいって言ったでしょう!」と指摘された。(内心、「だって後は自分で使いやすいようにしていいって言ったじゃない~・・・。」と思うが言えっこない。)一昨日と同様、無分別に袋に入れていくので、「此処は分別してないと持ってってくれないんだから~、チョッとでも違うの入ってるの見つかったら置いていかれちゃうんだよ~だから分別だけはして~。それと、DMは全部別の箱に入れといて、後で自分で中身チェックして捨てるから。」と言ってしまった。そして、捨てられそうな物は箱ごと隣の部屋へ非難させてしまった。(自分が悪いのだが、一昨日ゴミ袋をチェックしていて、住基番号の書かれた市役所からの葉書や、金融機関からの預金残高の書かれた書類などが混じっていたので、これはちとヤバイなと危機感があった。神経質になりすぎかな?)途中何度も指摘された事だが、「私が捨てると判断したものをあなたが、拾って戻してるって感じね。お願いだから戻すのは後にして。」と言われながら何だか部屋は片付いていく。と言うより空きスペースにどんどん彼女は詰め込んで行くと言った方がいい。もう何処に何があるのか解らない。大まかには、判るが後は間違い探しのように、私の使い勝手の基準に合わせて、ひとつ一つ並べ替えるしかない。人によって、片付け方がこんなにも違うんだと実感した。彼女にとっては、片付けは収納する事なんだ。一般的にはそうなのか?用途によって、収納場所を変えるものだと思っている私は、間違っているのかな?用途は使ってる本人じゃなきゃ判んないか?でも、やってもらって勉強になった。誰かに何かを依頼された時、相手が何を要求しているのか、その根本を探り出してから、それに沿った答えを導き出した方がいいのだ。それでないと、本人の趣旨と異なってしまう危険があることに気が付いた。これは仕事にも言えそうな気がする。私は今までこんな過ちをして来たのかも知れないと・・・。部屋の片付けは、6時にどうにか終了した。その代わり2階の廊下はゴミの山でいっぱいになった。この山は、通路を塞いだこの山は、段ボールを除いて、後からまた私の部屋へ戻したのは、言うまでもない。だって家族が通れないもん。それとゴミは一辺に出すと近所迷惑なので、日を追って順に少しずつ出す事にした。ゴミ収集場所になっているお宅に迷惑が掛かるから、長年住んでる所ではこんな事も気を使わないといけない。
2005年10月10日
皆様、私は生きておりますが、一昨日以来の部屋の片付けで、疲労ピークに付き明日元気だったら、遡って日記更新しますので、宜しくお願いします。
2005年10月10日
今朝は9時に起床、車検のために隣の市にあるディーラーまで車を持っていかねばならないので、どうにか起きれた。朝食を摂っていたら、母が「もう行くの?」という。私「早く行って、預けて来ちゃおうと思って・・・。」母「乗っけてってくれないかな~?」私「はぁ~?帰り車無いよ?代車頼んでないから~。」母「何で代車無いの~?あったほうがいいのに~?」私「解りました。ディーラーさんに電話して聞いてみるけど・・・急な事だから(代車)在るか解んないよ?」と言う事で、早速ディーラーさんに連絡し、代車があるか聞いてみたところ「夕方なら1台戻ってきますから、大丈夫ですよ。」とのこと。「それじゃすいません。何時頃伺えばいいですか?」で、「4時には戻ってきてると思いますが・・・。」と担当者。「それではその頃うかがいますので、お願いします。」と電話を切って下へ降り、母に報告。私「代車OKだって~、その代わり夕方4時頃に行くことになったから・・・。」母「あ~ら、よかった。やっぱり代車あったほうがいいもの・・・。じゃ~皆で乗って行けるわね~。」私「・・・(そういう事なのね)じゃ、そういう事で。」さっさと部屋へ戻ることにした。部屋に戻った私は、急な予定変更で、次に何をすべきか考えていた。正直やるべきことは、いっぱいあるのは判っているが、何から手をつけるべきか迷っていた。取り合えず、この次出すゴミだ。明日は燃えるごみの日、昨日彼女が無分別で袋に入れた中から分別しなくては・・・。ゴミの分別をチェックする事にした。1時間やっては休み、昼にはおにぎり食べて、3時までにはどうにか4つあった内の2つは終えることが出来た。(=;- ェ -=) =3 フゥ下へ降りて、「さぁ~皆行くよ~!」とリビングのドアを開けると、何と父と弟がソファとリクライニングの椅子で寝ている。(=* ェ *=)オヨ?「寝てるの~?」というと二人は、ガバッ(=☆ ェ ☆=) パチッとすぐ起きた。現金な親子だ・・・。ディーラーに行くと必ず飲み物を出してくれる。弟はこれが楽しみ。それと、必ずと言っていいほど何らかのプレゼントがあり、弟はこれも楽しみにしている。今回はラーメン(5つの味入り)でディーラーさんて、きっと儲かるのね?車検には費用掛かるもんな~。このラーメン代も含まれてるのねきっと・・・と思った。ディーラーを出てから、夕食には早いので、更に隣の市のD.I.Yセンターまでドライブに行くつもりが・・・何時もカーナビ任せの為、日も暮れていた事もあり(ヾ(=^ ェ ^;=)ゞうへへ)道に迷ってしまう。結局、行き着くことが出来ず(情けな~)、地元に帰ってきてファミレスに入って夕食を済ませ帰ってくる。明日も行くよとのメールが彼女から来た。どうなるんだろうこの部屋の荷物?(想像付かず。)外出から帰って、再びゴミの分別チェックを1つだけこなしてから、入浴して寝た。
2005年10月09日

昨夜は、2時過ぎにちょびが来て、マッサージをねだったので、早めに寝た。明け方、走る夢を見ていたのだが上手く足が、上がらないので必死になって動かす夢だった。今一つスッキリしなかったが、起きてみたら掛け布団が、ベッドから全て落こっちていた。きっと足を思いっきり揚げて蹴飛ばしたんだと思う。起きてみたら、体調はまずまずだったが、どうにも部屋の散らかりが、気になりだして気分が悪い。親にも指摘されるし・・・。昨日、ピノさんのお部屋の片付いた話を聞いて、やっぱりこれは誰かに手伝ってもらわないと駄目だと思った。そこで、幼馴染の親友に恥をしのんで、S・O・Sを出した。前から手伝ってくれるとは、言ってくれてはいたが、仕事をしている身、旦那も単身赴任だし、子供もいないし、それでも忙しい人だからなぁ~と思いつつ、今日出なくてもいいからと、電話してみたら、「丁度、様子を見に行こうかと思ってたところよ~。やってあげるわよ~。」と即答で帰って来た。午後2時に、隣の駅まで向かえにゆき、遅い昼食を摂って、いざ出陣。3時から、部屋に入って6時までの3時間。休憩無しで、やってくれました。ちゃちゃか、ちゃちゃか片付けていく。私はひたすら、DMのシュレッダーかけと掃除機で誇り取りをしてただけですが、フローリングの8割が見えて来たんです。凄い事です。足の踏み場が少ししか無かったのに、見違えるように沢山出来ました。彼女のお陰です。アバウトにやるのよ~と言われますが、それが中々性格的に難しい。あさってまた、続きをやるそうです。彼女いわく「細々した物は後からでいいの」だそうです。兎に角服が多すぎるそうです。そんなに買ってないのですが、ワンシーズンに仕事用1セット、プライベート用に1セットは、働く女性は必要ですよね。それ以外は買いませんが・・・。何年も仕事してると、仕事着はたまります。着ないものもありますが、整理して出す暇もありませんでした。友人宅は、女3姉妹で、着まわし効くし、お母さんとも共用で着てるみたいですからいいですよ。私は一人、しかも物持ち良すぎ・・・。でも何年も前のものもそう来ていられないですからね・・・。堪っていくわけです。そこへ持ってきて、片付けられなくなったら、大変な事になるわけですね。次回は、服の整理、要らないものを処分するそうです。どうなる事やら・・・。乞うご期待です。彼女が帰った後、分別ゴミ念のためチェックしてたら、燃える物の中にプラスチックは入っちゃってるし、シュレッダー掛けるべきものが紛れていたりで、やり直しです。近所は煩くて、チョッとでもちがう物入っていると持って行ってくれないので、要注意なのです。疲れました。でもこれでどうにか目途が経ちそうです。すっかり忘れていた、車検も連絡付いて明日出して来る事になりました。隣の市まで行けるかな?もう頭どうなっちゃってるのでしょう。困ったものです。持つべきものは、幼馴染の親友です。彼女に感謝です。ひたすら、ありがとう!です。
2005年10月08日

昨夜は殆ど寝てなかった。明け方5時にようやくベッドへ行く。にも拘らず、9時に起こされた。今日は母がデイケアの日。国会中継を見ながら、シリアルの朝食を摂り、天気が良くなってきたので、母の布団を干したり、シーツを洗濯したり(他の洗濯物は、早朝に済んでいる)した。やっぱり、マドンナたちは凄かった。頭いいのねーって感じで、特に片山さつきさんなんかは、優等生のような論調。頭の出来の違いを感じる。当たり前か・・・。(=;´ ェ `=)>フゥ...その間にも、昨夜栗ご飯にしてもらおうと、栗を剥いていたら母から「全部剥かないでいいわよ」と言われたので、5,6個だけにして残りは、渋皮煮にでもしようと鬼皮だけとっておいた栗を煮た。こうしてみると、主婦の仕事って色々あって大変なのが良く判る。夕方には洗濯物の取り込みとか、たたみ、夕食の支度にお風呂の掃除云々。これを長年やって来た母には頭が下がる。今は父が半分位やってるかな?4時からヘルパーさんが来たので部屋に戻って、ベッドに寄りかかったら寝てしまった。〃(=∪ ェ ∪=) ぐぴ~ぃzzZZこれまで、仕事を言い訳に好きな事を我慢して来た分を取り返したい感じかな?そういえば、金木犀がいい香りを放っている。
2005年10月07日

今日は、7時から1時間おき位に目が覚めたが、結局11時近くまで起きられず・・・。朝食も、バナナ1本、昼もジャムパンで終わり。体に良くないのは解っているが駄目だった。その後もズッーーートダルイ。一日中ゴロゴロ寝てしまった。最近、9月ごろからか、以前来ていたデブちゃんと入れ替わるように新顔が現れるようになった。単独で行動しているオチビちゃんだ。食べ盛りで、よく食べること。(シャッターチャンスを狙っていましたが、なかなかチャンスがなく、今日ようやく近くで撮れたので、ご紹介します。)
2005年10月06日
昨夜も、夜更かし3時過ぎに寝る。だが今日は、訳あって8時に目覚めた。そして9時にベッドから起き出す。今日は、弟が習いに行ってる水墨画教室の作品展が、市内のデパートで行われるのに、彼の通うデイケア施設の仲間が見学に来る為、彼も絶対に一緒に行かなければならないので、最悪通園バスの時間に間に合わなかったら、車で会場まで、送って行かなければならなかったからだ。どうにか彼は定時に起きて行ってくれたので、私の出る幕は無くなった。今日は、比較的早く起きれたので、朝食もシリアルとココアとヨーグルトがゆっくり食べられた。昼食も、お腹が鳴るまで待ってから摂ることにした。といっても、お茶づけで済ませてしまったが・・・。11時ぐらいからレース編みを始めたが、1時半まで一気にやってしまった。昼食で一区切り。昼食後、2時~4時まで、ちょびと一緒に昼寝。昼寝の前、頭の中が何となく落ち着かない。根詰めすぎたか、トレドミンの飲みすぎか?この後またレース編みを再開する。夕食まで続く。やり出すとどうして止まらなくなってしまうのかな?この症状は、食後も、床の汚れや椅子の汚れが気になると納得いくまでやってしまう状態だった。調子がいいのか悪いのか?はあ~コントロール出来ないとまた悪い状態に戻ってしまうからな~。困った拘り暴走。ピーッ(= ̄ ェ  ̄=)/□イエローカード
2005年10月05日
昨夜、12時に入眠剤を飲んだにもかかわらず、タイミングを失って、4時まで起きてしまった。今朝は、11時にやっと起きる。4時過ぎでも飲まずに寝られたから、大丈夫なのかな?一度飲んでるからなのか判らない。朝食事はシリアル。今日は調子が良さそうなので、2階の自分の部屋以外(?)の掃除機掛けをした。どうしても、自分の部屋はいじりたくない。優先順位は最上位なのに・・・。うーん (=+ ェ +=) 時間が掛かりそう・・・。PM3:00掃除をしたらお腹が空いてきたので、昼食に五目あんかけ焼きそば(冷凍)を食べた。4時過ぎ、ゆっくりするため、レース編みを始めた。6時頃から7時半まで、ちょびと一緒に、眠くなって、うたた寝。ちょびは、ひとの足の間で、っていうか大の字になった股の間で寝ていた。(=〃 ェ 〃=)ゞいや~おはずかしい ちょっと変な奴。遅くなるのも何だからと、チョッとだけ夕飯を食べたら、薬飲んでもお腹痛~い。ヒイィィ(=゜ ェ ゜;三;゜ ェ ゜=)ヒイィィ 食べ過ぎた~。止めときゃよかった~。失敗 (= ̄ ェ  ̄;=)ゞ明日は、気をつけよう。
2005年10月04日
今朝も10時過ぎに起床。寝起きは、意外にスッキリしていたような気がしていたが・・・。昨日の外出の影響が出たのか?はたまた、秋雨前線接近のせいか?午後に近づくにしたがって、だるくなる。なぜ~?昼過ぎは、部屋でゴロゴロ。そのうち雨が降り出してくる。3時過ぎ今朝、友人から夕方会わないかとの留守電が入っていたことを思い出す。返事をせねばと思いつつ寝てしまった。5時友人の仕事が終わる直前に目が覚め、やっぱり駄目だと判断し、急いで断りのメールを送る。すぐさま返事が帰って来たが、こちらが送信した内容を削除せずに返してきた。そんなに急いで返さなくても良かったのに・・・。と思うと同時に、あれ?これってこの位早く返事よこせっていう意味?と思ったりあれこれ考えてしまった。しかも、返信の内容は、「わざわざメールすみませんでした。又調子聞かせてください。・・・~。」とある。相手は仕事中であったらメールの方がいいかなって判断して送ったんだぞ~。わざわざって何だよん・・・。今日の不調はこれも一因かな?
2005年10月03日

今朝は、10時に起床。やっぱり遅い。暑さのせいで、食欲今一つながら、バナナ1本とカフェオレ(殆どコーヒー牛乳)で終了。貧血っぽいのも栄養バランスが悪いせいだろう。日中部屋でクーラー入れて過ごす。2階の部屋は暑い。昼は、電子レンジでチンするスパゲッティを食べる。少しはましか・・・。夕方、母が夕食の相談に来た。先週は私が夕食の仕度をしてみたりしたが、作っているうちに気分が悪くなったりしたので、今日は外へ出ることにした。ま~涼しくなれば動悸も減るだろうし、日中大人しく体力温存させたからどうにか持ちこたえられそうだしということで。無事、行って帰ってこれた。父も機嫌がよかったので、助かった。【折り紙・多面体】前回、母がデイケアで教わってきた多面体のユニットの組み上がった完成品を持って帰ってきたので、早速ネットで確認しながら、作ってみた。意外と簡単な仕組みだった。*大きい方が母が作って来たやつで、小さい方が、千羽鶴用折り紙で真似て作ったミニチュアです。
2005年10月02日
今日は、朝は10時に起床。チョイ遅い。食事は梅ジャムトーストにココア。ゆっくり食べたので胃もたれは無かった。しかし、今日は暑いせいか血圧が低め。起立性貧血を良く起こし、くらっとする。動くと動悸もする。昼過ぎ、父と駅前の電気屋さんに扇風機を修理に持って行く。何とこの扇風機40年前の超年代物、お店の人も困っている。「これはもう部品が・・・。」と言い出すと「昨日電話で修理できるって確認してるんだぞ!その時その時で返事が違ったら困るんだよ!」とけんか腰の父。私は、次第に動悸がして来た。店員さんが「何処がどのように調子が悪いんでしょうか?」と対応を変えてくれたが、父は相変わらず「やってみてくれば判る。」と言って態度を変えない。が、店員さんがやってみたらチャンと動くのだ。接触だけが悪かったようで、何とチャンと動くではないか・・・。父は「あれ?・・・・」一気に立場逆転の空気。シーーン・・・。「メーカーのサービスステーションに問い合わせれば修理とかについて教えて下さいますよね?」とその場を取り繕った。父は、「サービスステーション連絡先って何処?」と相変わらず横柄に言う。人が折角フォローしたのに・・・。兎に角カタログの裏に書かれたサービスステーション(お客様相談室)を教えてもらって帰ってくる。帰りは車の中で、動悸の為、息切れしまくり・・・。ああ疲れた。もう常識が通用しない。父は気が済むまでやるしかないのだ。このせいか、午後ピザを食べたが、食後にお腹が痛くなった。ガスモチン飲まなかったせいか?食べ過ぎてはいないはずだが・・・?夕方ついウトウトした。やっぱりこう言うときは寝逃げに限る。
2005年10月01日
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