猪突猛進 その2

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2009.08.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類


実家の同窓生で飲みの、帰省ついでに寄ってくれた友人ネタにさらに人呼んでうちで飲みの、
さらには友人宅で飲みのして終わりました。

ずっと酔っ払ってたね私。隙を見てすこーしだけ子供遊ばせた感じです。母親失格?
5連休くらいでいいわ。こんなんがずっと続いたらアル中まっしぐらだわ。
っていう、だめ人間のお盆でした。


お休み前にお会いした、もうすぐ100歳で、かなり床についている方に。
「もうすぐお盆ですね、お盆っていうと、なんですかね~?」って明るく質問したら。
「お盆ったら終戦だがね。何を当り前のことを聞いとるか!今年は63年目って、しっとるか?」と聞かれ。


飲んでてごめんなさい。


さて、酒も抜けてきたので真面目に書きます。
8年ほど前、沖縄の渡嘉敷島に2ヶ月ほど滞在して仕事をしていたことがあったのですが、
そのとき、地元の方に連れて行ってもらった場所があります。
車でほんの10分もかからない丘の上で、360度の綺麗な海と、座間味諸島が見渡せる大変美しい場所でした。
小高い丘の上と、また別の場所、入り組んでひっそりとした看板さえも出ていない場所と、数箇所に分かれて、かなり大きな石碑がありました。
そこは、太平洋戦争で集団自決があった場所で、石碑には亡くなった何百人という島の人と日本兵の名前が刻まれていました。


そこへ上がる手段は、島の人の善意の車、という手段しかなかったのですが、
仕事が休みで、なにもすることが無い日は、30分くらいかけて汗を流して、一人で何度も歩いていきました。


敵陣が責めてきたら、敵の手にかかる前に自害しろ。というお達しがどこからかあったといわれるが、
そんなお達しない、噂だったのではないか。ということになってしまっている。

私はこのたくさんの名前を、どういう気持で見ればいいのかわからず、ただ何度も歩いてその場所に行き、手を合わせました。
毎日居ると、海にも飽きてきて、最後の方は日課のように歩きました。

本島南部にあるひめゆりの塔の資料館も、鹿児島県の知覧にある特攻隊の資料館も、
広島も長崎も、近くへ行く機会があれば、行くようにしています。

どういう気持を持てばいいのか、いつもわからなくて、この言葉は自分でもしっくりこないのですが、


私たちは今幸せであるけれども、たくさんの不幸があったとこを忘れずに、
幸せを感謝して、噛み締めて、恥ずかしくない人生を送りたいと思います。



戦争の悲惨さは、戦死をした人だけに留まらなかったことも、忘れてはいけないと思います。
「ほたるの墓」では、戦争で孤児になった兄弟が描かれています。
私は、アニメよりも先に本を読んだので、アニメの綺麗さに驚きました。
アニメも充分悲惨で悲しいけれど、むごたらしさや汚さや、人間の恐ろしさや臭気までも感じたのは本でした。
主人公は、駅で力尽き、人が行き交う場所で誰にも助けれられず最期を迎えます。
親を失い、最愛の妹を失い、生きるためのあらゆる栄養もなく座り込んだ場所で、
下痢が止まらず自分尻の下に広がる糞尿をかき集めながら、クサイ、汚い、と顔をしかめられながら感情と命を失いました。

なんて悲しい話なのでしょうか。
自分の足元で子供が力尽きて死んでいくのに、何もできないで過ぎていく時代なんて。
誰もが誰かに育てられた子供時代を送って大きくなったはずなのに。
それが日本だったなんて、信じられなかった。
自立して生きていくことのできない子供が、放置されていたという現実がほんの40年前にあっただなんて(読んだのが中学生のときだったので)どっかの発展途上国の話ではないのかと・・・。

それからしばらくして、知ったことがあります。
神奈川県に住む、沢田美喜さんという女性の話です。

戦後に、エリザベスサンダーハウスという、養護施設を私費にて立ち上げた方の話です。

旧財閥のお嬢さんで、戦争などは生活に支障なく、裕福な生活を送られていた方でしょう。
場所柄的に、軍人との混血児の胎児の放棄や、捨て子が多かったといいます。

時代背景に、お金を持っている軍人に体を売らなければならなかった女性が多くいたことが推測されます。
混血児を生み、育てるということが、当時の日本ではどんなに後ろめたいことだったでしょうか。
ましてや、着るものや食べるものにも困っていた時代に、後ろめたさに耐えて子供を育てる事は、不可能な人がほとんどだったのでしょう。

沢田さんは、自身でもおっしゃられていたようですが、国際人でしたが世間知らずだったとのこと。
たまたま電車に乗っていたときに、上の荷台から新聞紙に包まれた混血児の遺体が膝の上に落ちてきたそうです。
戦後の世情は、もう落ち着いていたと思っていたので、かなり驚き、そして、なにかしなければと奮起したのだそうです。

エリザベスサンダーホームには、生まれてすぐに捨てられた混血児が、どんどん集まりました。

冷たい世間の目を受けながらも、孤児を育て続けることに人生を注ぎました。

彼女の旧財閥の娘という権力と財力をもってしての、そして世間知らずだからこその偉業かもしれません。
敬謙なキリスト教という宗教の力だったかもしれません。

でも、なんだっていいんだと思います。
彼女によって救われた沢山の命と心があったことに、そういう人がいてくれたことに私は素直に感動しました。

沢田さんの人生にも、たくさんの辛い経験があるそうです。
息子さんを戦争で亡くしています。

エリザベスサンダーホームを巣立った混血の孤児の子は、真面目に自分の人生を築いて行ける子もありますが、
自立できずに自堕落に投げやりな人生を送ってしまったり、犯罪を犯してしまう子もいるのだそうです。
開拓時のブラジルに渡り、現地にて妻もあり子供も持ったのに、現地に置いて日本に帰って来てしまったという話もあったとのこと、自分に降りかかった不幸と同じ不幸を作ってしまうなんて、なんて悲しい話でしょうか。


私は、福祉の仕事をしていますが、人のためになにかができるだなどと、思った事はありません。
恥ずかしくない仕事振りでいたいと思っているのは、自分のためです。

沢田さんのような偉大なことができるとは到底思えませんが、
でもいつか、私を生かしてくれるなにかのために、役に立てる人になりたいとは思います。
人々の生きた歴史に敬意を払うことと、自分を今一度振り返ること、この時期には思い出します。






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Last updated  2009.08.17 00:40:01 コメント(6) | コメントを書く


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