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ここのところ、バタバタしていてアップがすっかり遅れてしまいました…。(しかもまだ3月の日記だし…汗)ブルレにお取り置きして頂いていた3点を受け取ってきました。3/7に祖父が亡くなるとは思っていなくて、3月の初めくらいに、ショップに行ったときに、気に入ったカットソーとパーカーをみつけて、担当さんにお取り置きをお願いしていたんです。(画像左上と左下) すぐに受け取りに行く予定でしたが、急な長期帰省が入ってしまい、担当さんに事情をご相談したら日にちを延ばして頂ける事に…。帰省中に、少しだけ友達と会える日があり、帰省先のデパートでもブルレを見る時間がありました。そのときに、またまた着易そうな白のパーカーをみつけてしまい…。祖父が亡くなった事で私が落ち込んでいたからか、帰省中にダンナさんと電話していたとき、「結婚記念日記念に何か買って良いよ」と言われたので、早速それを生活費から買ってもらう事に…(^^;)。(今年の結婚記念日は初めて夫婦別々に過ごしたのでした…)電話の翌日、実家から担当さんに電話して追加で1点お取り置きして頂きました~。(画像右側のパーカーです)月末にやっとお店に取りに行ける事になり(担当さん、いつもすみません…)、一気に受け取ってきたのですが…、改めて見ると、全て白なので、われながらウケました。担当さんもウケていらっしゃいました…(^^;)。最初にお取り置きして頂いていた白のパーカーと帰省中にお取り置きして頂いた白のパーカーは、画像では分かり難いのですが、結構違いがあるんですよ~。最初の方にはファスナートップにホースマークがデザインされた金具が付いていて1枚で着る位の細身に出来ています。後でお取り置きしたパーカーはもう少し厚手で、二の腕部分も結構余裕があります。カットソーも大きめなので、もう少し太っても大丈夫そうです(^^;)。(ちなみに、念のため…。最初の2点は自分の小遣いで買ってます…)他にもアップしたいものが沢山あるのですが、画像は100枚になってしまいましたし日記を書く時間がなかなか無いので、少しずつ、頑張ります~。なかなか更新出来てないHPでお恥ずかしいですが、これからも宜しくお願い致します(^^)
2004.03.29
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今更、遅すぎなのですが、3月末にあったセールの戦利品の一部をご紹介します…。(前に撮影していた画像が出てきましたので…)すっかり片付けてしまって、画像の他にはカットソーを買ったくらいしか覚えてなかったり…(汗)。最近、ちょっと早く行っても、前がどんどん増えている気がします。一番前の人は何時から並んでいるのかと思ったら、前後に並んだ方々が、「一番前の人は2~3日前から並んでいるそうよ」と…。驚きを超えて、呆れてしまいました…。転売屋さん、生活が掛かっているからか、凄すぎです。私が何度か見た転売屋さんらしき人々は関西弁の人が多い気がするのですが、もしかして車で全国を回っているのかな??とか東京会場以外も何日か前から並んでいるのかな~と思ったりしました。話を戻して、以下が戦利品です。ブルレです。 上の2点は会場に入ってすぐにラックコーナーを一回りしてみつけて袋に入れたのですが、ワゴンを見た後で見に行ったら、白はもう無くなっていたのでした。確かベージュか黒は残っていましたが…。悩んだ末、白は使いまわしが効くので、2点とも買いました…。ノースリが2万9000円→1万円で、長袖が3万9000円→1万8000円です。両方とも軽い素材で、ポケットが付いていて、裾にゴムが入っています。長袖はジャンパーみたいな感じです。薄手なので、梅雨の時期も着れそうです。2月のセールが余りにも混んでいたので、この日は2月の3分の1くらいの人数のように感じました。そういえば、他に、父用のバーバリーロンドンのポロシャツを買いました。半袖なので、父の日か誕生日(7月)のプレゼントの一部に出来るかな~と。普段13000円程度するものが5000円でした。父はバーバリー好きなのですが、上着はLLサイズなので、ショップだとデザインが限られて無地のものしかないのですが、セールで細めのボーダー柄ステッチが効いているものをみつける事が出来て嬉しかったです♪(LLになると、セールでもなかなか良いものが無いです…)それにしても、3月に祖父が亡くなってからずっとバタバタしていた気がします。これでやっと3月の日記も終了出来そうです(汗)
2004.03.25
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4月も一週間以上過ぎましたが未だに3月の日記を書いているアリーです…(^^;)皆さん、祖父の日記では色々と暖かいお言葉を頂き、本当に有難うございました~~。初七日も終わり、少しだけ落ち着いてきて、この日は母と久し振りに広島市内に買い物に行きました。…といっても、この日、母は夕方から仕事があり、私も友達と会う約束を入れたので、それまでの時間だったのですが…。広島の天満屋というデパートに行くのは3か月振りだったのですが、その3か月の間に館内をリニューアルしていたようで、随分変わっていて驚きました。1階にブルガリ、グッチ、プラダ…といった具合に高級ブランドショップが立ち並んでいました。以前、母に他所のデパートでプラダのバッグを幾つか買ってもらった事があり、それを思い出し、「ここもプラダが出来たんだね~」と言ったら「じゃぁ、見に行ってみようか」と…(^^;)。私はヴィトンのバッグも好きなのですが、実はプラダを一番愛用しています。軽くて丈夫なので…、荷物が多い私には便利なんですよね。ちなみに、今使っているお財布はブルレのチェック柄のものなのですが、2~3年位前に母に買ってもらった物でした。私はカードが多いからか、お財布はいつも膨らんでいて、すぐに傷んできて、実は昨年くらいから買い替えたいな~と思っていたのでした。次に買い換えるとしたら、やっぱり丈夫そうなプラダかな~とか思っていて…、昨年の誕生日にダンナさんにねだろうと思ったりしていたのですが、ブルレのお財布もまだ使えそうだし…と思って断念したのでした。それで、なんとなくプラダに入るとお財布を見てしまったのですが…店員さんが母と私が居るところに来ました。そのときは革のお財布しか店頭に置いていなかったのですが、私は革だと表面に傷が付き易いので、バッグと同じナイロン(?)素材のものが見たいと思っていたところ、店員さんがケースから革のお財布を出そうとしたので、つい「このバッグと同じ素材の(ナイロン製の)ものはありますか?」と聞いてしまいました。「ありますよ」と言われて、出して頂いたら、まさに私の理想のお財布だったのでした。ちなみに、私の理想のお財布とは、二つ折りサイズで、小銭入れが2箇所、お札入れが2箇所、カード入れがたくさんあるものです。ヴィトンのお財布にも憧れはあるのですが、なかなか私の理想のデザインのものが無くて…。ちなみに私が良いな~と思ったお財布は税別39000円でしたが母はすぐに「本人も気に入ったようなので、これを包んで下さい」と言ってくれたのでした。本当に突然の出来事でしたが、とても嬉しかったです。母はつい最近、ディオールでバッグを買ったそうで、ついでにお財布を見ていたら5~6万円だったらしく、それに比べると安いと思ったそうです…(^^;)。(有難い…) 少し早いですが、私の4/10のお誕生日プレゼントだったようです☆とても嬉しいので、撮影してみました♪ブルレは確か15000円程度だったはずなので、ちょっと出世した(?)気分です。やはり普段使えるものをプレゼントしてもらえると嬉しいですよね。今年の誕生日、ダンナさんには何を買ってもらおうかな~と思いつつ、お店を出て友達と会いました。(…というか、この日記を書いているのは4/9なので、あと1日でお誕生日なのですが、欲しいものが未だに決まっていなかったり…汗)そんなわけで久々のお買い物(?)アップでした~。
2004.03.15
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この日は祖父の初七日という事で、ごく内輪の親戚が祖父母の家に集まりました。祖父の初七日=私の結婚記念日になってしまいましたが…。母に、「命日=結婚記念日にならなくて良かったじゃないの」と言われました…(^^;)。今年に入って、カレンダーを見たとき、今年は結婚記念日(3/13)も誕生日(4/10)も土曜日なので、ダンナさんの帰りを待ちながら一人で過ごさなくて良いんだな~と思って嬉しかったんですね。しかし、結婚記念日=祖父の初七日になり、誕生日=三十五日になり…。祖母も母も、さすがに誕生日は来なくて良いと言ってくれたので、東京で過ごせそうですが…。お経の後、お坊さんと四十九日の予定を決めて、その後、ホテルの1部屋を借り切って、食事になりました。そこで可笑しい発見が…。私は好き嫌いがかなり多いのですが、母方の叔父達もかなりの偏食家だと分かったのでした…。しかも皆、同じ理由で(野菜のニオイがダメとか…)。叔父達が食べられないものは祖母とか娘婿さんに渡っていきました…。最近になって母方祖父も好き嫌いが結構あったことが分かりましたが祖母だけは殆ど無いようです。私は母と隣に座って交換とかしていました…(母も結構好き嫌いがあるのです…)。そんなわけで、母方親戚は好き嫌いが多いので、今度から会食があって出ても平気かも…と思ってしまいました…。やはり、好き嫌いが多いと、会食はツライんですよね…。ダンナさんの親戚が集まるときとかドキドキします。大人になったら味覚が変わると聞くのですが、母方親戚も私も殆どそういうことはなく…。今思えば私は小学校に入学するとき、給食が不安でたまらなかったです。それが原因で、私は年長で、1箇所ですが円形脱毛症になったのでした。入学する直前に治ったのですが、給食はやはり食べられない物が多く、毎日何か残していました…。中学はお弁当で、凄く嬉しかったのですが、中学入学後1か月くらい、給食を残して先生に怒られる夢をみてうなされました…。弟も昔は好き嫌いが全く無い気がしていたのですが、最近、少し出てきたようで、好き嫌いは母方で代々受け継がれる体質(?)なんだろうか…とか思ってしまいました。うちのダンナさんは好き嫌いが無いので、この手の話をすると必ず怒って、「いつかうちに子供が生まれたら、絶対好き嫌いはさせない」とよく言います。私は野菜もお肉も苦手なので、全く自信ないですが…(^^;)。父に聞いた話ですが、私は赤ちゃんの頃は好き嫌いが無かったらしく、特に人参が大好きで、毎日のように食べていたようです。でも、ある日、母方祖父母の家に行ったとき、祖父に「嫌いなものは無理して食べなくて良いんだよ」と言われたらしく、それからは一切、野菜を食べなくなったらしいです。私にはそう言われた記憶も野菜好きだった記憶も全く無いのですが、父は冗談(?)で「あのときのヒトコトが…」とよく言います。父も父の親戚も好き嫌いが無いんです…。会食が終わったら、皆、解散しました。私は夕方にまた父母と、祖父母の家に行き、祖父に礼拝して帰宅しました。夜はダンナさんに電話しました。そのときにこの日の話をしたらダンナさんはやはり信じられないという感じで、「皆して贅沢だ、ワガママだ」とかなり言われました…。祖母の体質は誰にも受け継がれなかったのか…?不思議です。今年の結婚記念日は初めてお互い別々で過ごしましたが、帰省中は毎日電話していた事と、今回は色々あってバタバタしていたのであまり寂しいという気はなかったです。ダンナさんは今回のことで私が落ち込んでいると考え、「結婚記念日祝いに生活費から何か買っても良いよ」と言われました。ついでに「常識の範囲内で」と言われました(汗)。私は帰省中は全く外に出てなかったのではなく、初七日までに1日だけ、友達とデパートに出かけました。そのときにみつけたブルレのパーカーが気になっていたのですが、ダンナさんとの電話の翌日、早速、東京にお取り置きの電話をしました…(^^;)。今回、祖父が亡くなると思っていなかったので3日からお取り置きしてもらっている商品が2つあり、しかも1つ増やしてしまい、いつ帰京できるかも分からなくて担当さんには申し訳なかったのですが…(^^;)。そうそう、葬儀で使った祖父のかなり大きな写真があるのですが、それを母が実家に持ち帰りました。祖父は体格が良く、威厳のある顔つきなので、油絵用のような金色の額縁に飾ると、何処かの理事長とか会長みたいな感じでした…(^^;)。実は私はスゴイ怖がりで、夜に家の2階に一人で上がるのも苦手なのですが(恥)、母に「これからはお祖父ちゃんが見守ってくれるから大丈夫よ」と言われ、前より怖くなくなった気がしました。今、東京の家は物凄く狭いので怖くないのですが…(^^;)。こうして初七日も無事終わりました。実はお父さん子だった母も、思っていたより元気で、私も安心出来たのでした。
2004.03.13
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この日、朝10時から祖父のお葬式になり、葬儀社がその前に別部屋に朝食を用意するという事で、皆、朝7時には起きました。朝食には母方親戚の皆が集まっていました。実は…孫は香典と花環代を出す事になったのですが、母が、祖父は孫からお金を取らない人だと話し、誰も出さないで良いと言われました。ただ、盛大なお葬式にしたいという事で、結構大きめなお葬式になりました。葬儀場のホールには父方の親戚も何人か来てくれて、私が父方の叔父夫婦に軽く挨拶したとき、叔父に「お小遣いをくれる人が居なくなったねぇ」と言われました。叔父はそう言った直後に叔母に叩かれていましたが、私はちょっとウケてしまいました。それを弟に話したら、弟も「本当にヒトコト多い叔父さんだ」と言いながらもかなりウケていました。祖父は孫が遊びに行くと必ずお小遣いをくれていて、私もダンナさんもよくもらっていたのですが…、母は、「それがお祖父ちゃんの楽しみだったのよ」と言いました…。弟は腕時計が形見になったそうですが…、そういえば、うちのダンナさんは結婚直後に祖父に男性用の着物を作ってもらったな~と思い出しました。ただ、うちには着物を置く場所も着る機会もなく、母が帯も含めて全て実家に保管してくれているのですが…(^^;)。葬儀は派手な感じだったのですが、うちは菩提寺が特に無いので、葬儀社が用意したお寺のお坊さんしか居なかったのが残念でした。そのお坊さんを3人呼んだのですが、お経や説法がイマイチだったのです…。祖父は生前、生誕地にあるお寺に何度か寄付しているので、おそらく本当はそこが菩提寺になり、そこのお坊さんを呼ぶという話も出ていたのですが、遠い事もあり、結局、葬儀社が契約していて、祖父の家の近くで宗派が合うお寺の中から、探す事になりました。祖父は小さい頃から自分で考えた商売をしていて、若いうちに志願兵で戦争に出たりしたので、学校で過ごす日があまり無かったようです。祖父の出身地の市長さんが弔電を読んだときに分かったのですが、祖父は自分が通っていた小学校に、本を買うお金を2度寄付し、それは「○○図書(○○の中は祖父の苗字です)」と呼ばれ、その事で、祖父は紺綬褒章を頂いたそうです。そういえば、私が高校生の時にその話が地元の新聞紙に出て、母が切り抜いていたな~と懐かしく思いました…。お経と説法の後、母方の叔父が喪主代表の挨拶をしました。叔父は感極まって途中から泣き声になってしまいました。それでまた皆泣いていたのですが、最後は皆で棺の中に花を飾り、火葬場に行く前のお別れをしました。祖父は絹製の着物を着ていました。そういえば、出棺前に葬儀場で親戚が集まって集合写真を撮りました。葬儀中にも葬儀社の人が契約しているカメラマンの人が何枚か撮影していたようです。私は葬儀場で写真を撮られるのは初めてでした。母方親戚の集まった集合写真なのに、そこに祖父が居ないのはやはり寂しかったです。棺ですが…、祖父は大きな人で、一番大きなサイズを用意されていたようです。友引にお葬式になった事もあり、葬儀の前に棺に祖父の好きなものを入れようという話になり、甘い物好きだったので、和菓子やチョコレート、他に散歩に使っていた杖、帽子、ブレザーなど入れました。そのブレザーの中に母がお金を入れました。三途の川を渡るには三文必要とかで…、最初、思い切って1万円札を入れようとか話していましたが、よく考えたら焼かれるだけなので、三文だったら千円でもお釣りが出るのでは…とか話して(^^;)、結局千円札を入れました。母は後で「やっぱりケチだったかしら…」と悩んでいました。私は今までお金を入れる人を見た事がないので分からないのですが…。あと、祖父はお酒を飲まず、ジュース類が好きだったので、火葬場に行く前にサイダーも撒いてあげたかったそうですが、それをすっかり忘れていたので、父が「向こうで三文払ったお釣りでサイダーが買えると思うよ」と話していました。また、祖父はおしゃれな人で、元気なときはよくサングラスを掛けて旅行や散歩に出ていたのですが、(実は…祖父は体格が良いので、新幹線を出たときに(▼▼メ)と間違われて挨拶されたことがあります…危)さすがにサングラスは金属部分が燃えないということで却下されました…(^^;)花を飾って棺に蓋をした時、ふと思い出したのですが、父方祖父のときは皆で順番に釘を打ったのですが、今回はやりませんでした。うちのダンナさんが、火葬場に行ってから打つのでは…と言うので、なるほど…と思ってそのまま葬儀場の外に出ました。葬儀場の外には霊柩車と黒いタクシーがたくさん用意されていました。そこから30分ほどで火葬場に到着し、火葬炉前で、皆で祖父に最後の別れをしました。しかし、やはり釘は打ちませんでした。後で葬儀社の人に聞いたところ、その地域によって違うそうです。私は最後に「お祖父ちゃんの孫に生まれてきて本当に良かった。今まで本当に色々ありがとう」とお礼を言いました。同時に、母方祖父の家には小さい頃からよく行っていて、本当に色々なワガママを言ったな~と思いました。本当は生きている時に言いたかったお礼の言葉ですが、私は結局、このときまで言えませんでした。でも祖父は泣き上戸なので、生前にそんな事を言ったら泣いたかもしれないです。棺が火葬炉に入っていくとき弟が「お祖父ちゃん、じゃぁね!」と叫んで、男泣きに泣いていたのが印象的でした。弟とは父方祖父のお葬式に一緒に出た事がありますが、そのときも殆ど泣いていなかったみたいで、今回は弟もやはりショックが大きかったのだな…と思いました。弟は「お祖父ちゃんは自分が何をやってもいつも味方になってくれた」と言っていました。火葬中は皆に飲み物が配られ、私は父母、弟、ダンナさんと一緒に居たので、祖父の話をしていました。2時間ほどして放送が掛かり、お骨を納めることになりました。私は父方祖父のとき初めてそこに参列し、祖父がかなり小さくなったという印象を受けてショックを隠し切れず泣いてしまったので、またそんな気持ちになるのはイヤだな…と思っていたのですが…。母方祖父はやはり骨格の大きくしっかりした人だったようで、病院通いが多かったにもかかわらず、骨が思っていたより大きく残っている気がしました。ただ、晩年は歩いていなかったので、やはり足の先の方の骨は残っていなかったのですが…。大小の骨壷が1つずつ用意されていました。小さい方は喉仏を入れ、京都のお寺に納めに行くそうです。係の方の詳しい説明を受けながら皆が交代に、大きな骨壷の方に祖父の骨を入れていきました。お骨は出来るだけたくさん骨壷に入れてもらいたいとは思いますが、係りの人が骨を砕くのを見るのは辛いというか、祖父が可哀想な気がしました。バスで葬儀社に戻り、一旦、お経を唱えてもらい、その後、精進料理のお弁当が用意された部屋に集まりました。そのときに祖父の戒名が書かれた紙を渡されました。皆で昼食を取った後、ダンナさんと弟は新幹線で戻って行きました。そこで皆も解散して、祖父の遺影と骨壷を祖父母の家に持って戻る事になりました。骨壷は私が父の運転する車の中で持っていて、案外重みを感じるものだと思っていたのですが、父に骨壷自体の重みがあるからだろうと言われました(^^;)。祖父が晩年寝て過ごしたのは祖父がお気に入りだった応接間を改造した部屋でしたが、戻ると「後飾り」という祭壇が用意されていました。そこに骨壷2つと遺影を置き、私はろうそくと線香に火を灯し、礼拝して祖父に少し語りかけていました。その間、母は居間で祖母や叔父と、初七日の話をしていました。不思議なことに…、祖父の初七日=私の結婚記念日になりました。私は初七日に出て少し落ち着いてから、帰京する事にしました。結婚記念日御祝は帰京後にすれば良いとダンナさんと話し合ったのでした。祖父母達の話し合いが終わってから、私は父母と実家に戻りました。祖父が亡くなってから1日1日が長く、しかし、今思えばアッという間の3日間でした。
2004.03.09
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皆さん、色々と暖かい言葉を頂き、どうも有難うございました☆感謝です。またレスさせて頂きますね。祖父が亡くなったことを実感できないまま、この日はお通夜になりました。15時過ぎに葬儀社が用意した車が祖父母の家に到着しました。母がその車に同乗したのですが、隣に寝かされていた祖父が時々、「ふーっ」と息をしているように感じられることがあって驚いたと話していました。私達は後からそれぞれの車で行ったのですが、割と広めの葬儀場で、場内には幾つか「○○家 控え室」と書かれた部屋があったのですが…、入るのも辛かったです…。その部屋に入ると、もう祖父は棺の中に寝かされていました。夕方頃に、男性、女性一人ずつが部屋に入ってきて、祖父の湯灌が行われました。大きなバスタブが用意され、祖父はその上に大きめのシートを被されて運ばれました。祖父はそのシートで周りに見えないように気遣われながら、男性に髪や顔を、女性に体を洗って頂きました。祖父はとてもお風呂好きな人だったので、気持ち良さそうに見えました。母もそう言っていました。祖父はその後、顔にお化粧をされて、また棺に戻されました。その後、19時くらいから、ホールで御通夜が行われました。そこは既に翌日の葬儀の用意がされていました。遠い親戚や仕事関係の人など次々に来て、祖父の顔を覗いて行かれましたが、祖父は不思議なことにシワも無く、とてもキレイな顔になっていて皆、「86歳に見えない」と驚いていました。私の弟はここしばらく帰省していなかったのですが、前日の夜に今回のことを電話で知らされて、ビックリしてやってきました。母方祖父にはしばらく、私の弟しか男の子の孫が居なかったので、弟も結構可愛がられていたこともあり、せめて御通夜には間に合って良かったです。夜は叔父や祖父の姉妹も居て…、私達はお酒が飲めないこともあり、そんな気になれなかったのですが、皆はお酒も入って結構騒がしくしていました。実は、葬儀が翌朝10時~になってしまい…、うちのダンナさんは仕事が終わってから、深夜になりましたが、来てくれたので嬉しかったです。祖父もいつも「ダンナさんは?」と聞いていたので、喜んでくれたと思います。葬儀の日は友引になるので、1日延ばしてもらった方が…という話も出たのですが、翌々日は某病院の副院長がそろそろ…ということで、病院側から葬儀社が丸1日抑えられているとかで(^^;)、それより更に1日後になってしまうので、翌日朝にした方が良いということになってしまったのでした。こんなときにも色々あるのだな~と思いました…(^^;)。私は、祖父は早く生まれ変わらないといけないから、葬儀も早くなったんだと思うようにして、落ち込んでいる母にもそう伝えてみたのですが、「生まれ変わりなんてない!」と否定されてしまいました…。夜は皆、家に帰ったり、酔って寝てしまったので、母と弟と私は、祖父の棺前で話をしながら朝方まで起きていました。ろうそくだったか、線香だったか、亡くなった人が向こうで迷わないために炎(明かり)を絶やさないようにするとか聞き、弟と母と私で交代に見ていました。弟とは久し振りに会ったので、母も色々話していました。父は最近、足の具合が悪いのですが、既に寝る場所も無かったので、一旦、帰宅してもらいました。後で聞いた話ですが…、祖父がやっていた透析は結構痛いらしく…、集中治療室で祖父の隣に居たオジサンはかなり体格がよい人だったそうですが、「はずせ~!殺せ~!」と叫んでいたそうです…(^^;)。父曰く、その人は途中で注射(?)をされたのか、祖父が亡くなったことを察したのか、急に静かになったそうですが…。その話を聞いて、祖父はよくガマンしたな~、やっぱり頑張ったんだな~と思いました。そうそう、葬儀場のパンフを見てみたのですが…、花形のろうそくは何時間も保つのですが、なんと1台2500円でした(^^;)。それを2台セットで販売していました…。不謹慎ですが、冠婚葬祭を職業にすると儲かるという話を思い出してしまいました…。さすがに朝6時くらいになってくると、母も弟も私も気絶してしまいました…。花形ろうそくと、2時間は保つという蚊取り線香型の線香を点けたので、ちょっと安心して眠ってしまいました。…この日もとても長い一日でした。
2004.03.08
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久し振りの日記です。帰省中にあった祖父の話です。この朝、母から電話があり、入院していた母方祖父の容態が悪く、いよいよかもしれない…と言われ、急遽、帰省することになりました。母方祖父は入院すると必ず容態が1度は悪くなり、前ほど回復しないとしても毎回持ち直していたことや、母は祖父のことになると少し大袈裟な所があるため、そんな電話をもらっても、まだ信じられませんでした。とりあえず、急いで支度して、新幹線の切符を買って、正午過ぎに東京を出ました。新幹線の中では、祖父は大丈夫だろうと、私の心に余裕があり、ダンナさんが持たせてくれたGBAをやっていたのですが…、途中で従姉妹から留守電があり、「午後2時50分、お祖父ちゃんが…」と始まったので、えーーーっっ、まさか間に合わなかった…と思ったら、続きで「血圧がかなり下がったと連絡があったので、私も病院に行きます」と入っていました…。そこからは体温が一気に下がり、携帯にメールが来ても電話が入っても怖くて、もうさすがにゲームどころではなくなりました…。16時頃に新幹線を降りて乗換電車に乗る事になったのですが、1時間に1本しか出ない快速に、うまく乗る事が出来て、なんとか17時前には祖父の病院のある最寄の駅に着きました。その間も「間に合ってくれますように…」と願っていました。駅には父が車で迎えに来ていて、「血圧が下がっているがまだ大丈夫だろう」と言われ、ああ、やはりまだ生死がどうという程ではないのだ…と安心しました。しかし、病院のエレベーターで降りたのは3階…。集中治療室と親族の控え室がある階でした…。父はそのまま私を控え室の方に連れて行き、私は反対側からエプロンを外しながら涙目でやって来る母と会いました。集中治療室にはエプロンをしていない人は入れず、また、エプロンは1家族に2枚と決まっているそうです。母からエプロンを渡され、集中治療室に行きましたが、横たわっている祖父を見てショックを受けました。口には人口呼吸器を入れられ、両目はもう瞼を自分で閉じる力が無く、目が乾くのを防ぐためのガーゼが1枚ずつ被せられ、両手には冷えを防ぐためのタオルが巻かれていました。私は祖父を見て涙が出ると同時に、思わず「お祖父ちゃん、頑張って!」と言ってしまいました…。祖父はもうこれ以上頑張ることが出来ないくらい頑張っていたと思うのですが…つい…。それから私は自分の名前を伝えて「分かる?」と言ってみました。祖父が軽く頷いてくれたので、「やはり大丈夫だ、このまま持ち直すに違いない」と思ったのですが…そうしている間にも祖父の血圧はどんどん下がり、手足はどんどん冷たくなっていき、先生に「ご親族の方を5~6人、連れてきてください」と言われました。私は(それでもまだ大丈夫だと思いつつ…)、控え室に父母や叔父達を呼びに走りました。今思えば、もうエプロンなど関係ないという意味だったのでしょうが…。皆が集まっていた時に、母が祖父の唇付近が乾くのを防ぐために小さく丸めた綿を付けた、綿棒より少し大きめの棒を軽く水に浸けて、私にも「やってあげなさい」と手渡しました。祖父は僅かな水を取り、まだまだ生きようとしているように見えました。その後、皆で手を握ったりして励ましていましたが、何度もピーッという機械音がして、結局、脳波を測定する機械値がゼロになり、先生に「3月7日、午後5時35分、ご臨終です」と言われました。満86歳でした。86歳というと、私にもまだまだ先の事で、そこまで長生きできるとも限らず、皆にも大往生だと言われるのですが、祖父はせめて90歳までは…と考えていたので、祖父にとってはまだまだ…の年齢でした。先生は臨終を告げると、人工呼吸器をすぐに外しました。すると、今までなんとか上下に動いていたように見えていた祖父の大きなお腹が一気に凹むように下がって、そこで祖父の全ての動きが停止しました。こういう場面は今までドラマでしか見たことがなく、しかも、一番可愛がってもらった祖父がこんなことになるとは…と全く信じられず、ただ涙が溢れ出るばかりでした。祖父は血行が良くなかったからか、足先から土色になっていくのが分かりました。祖父は糖尿病で、私が結婚してからは目と足が不自由になってしまい、耳も遠かったので、好きな映画も見られなくなり、食べたいものも制限され、泊り込みの家政婦さんと二人で過ごす事が多く、呆けの方も進んできていたので、もし私がそうなったら生きたいだろうか…と考えたこともありました。しかし、祖父はそれでももっと長生きしたいと皆に話していました。この最期の日、午前中から祖父の具合が悪くなっていて、母は先生に「普通この状態だったら、透析器具を外すのですが、生きたいという気持ちがとても強い方ですので、このまま付けていましょう」と言われたそうです。祖父は10日前くらいから透析を続けていたのですが、この土日は透析休みで、「次は月曜日にしましょう」と言っていた矢先のことだったようです…。私は帰省中は母の代わりに1日置きに祖父母の家に行っていました。昨年末に入院したと聞き、お正月に帰省したときは病院に会いに行きましたが、そのときはまだ(家政婦さん任せですが)ベッドから車椅子に移動できる状態でした。なので、入院していたとは言え、死んでしまうほど悪くなったことがどうしても信じられませんでした。実は、私の結婚は色々な理由で母に反対されていたのですが、それを祖父が母に頭を下げて頼んでくれたことや、私は初孫で、何歳になってもお小遣いをくれて、随分と可愛がってもらったことなど…、いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡りました。私は今まで誰かが亡くなっても、そのお葬式に出なければ、その人は遠くでまだ生きていると考える方なので、今回は祖父の亡くなった場面まで見てしまったことでショックが余計に大きかったです。何年も経てば、間に合って本当に良かったと思えるのだろうと思いますが…。私の父方祖父は3年前に亡くなったのですが、父方祖父の家は実家から少し遠く、殆ど会いに行くことが無く、祖父は呆けて私はとっくに忘れられていたこともあり…(^^;)、実は人が亡くなってここまで大きなショックを受けたのは初めてでした。母方祖父も呆けが進んで来ていましたが、同じ会話が続くというだけで、孫まで全員覚えていてくれたので、それは救いだったと思います…。先生に「(祖父を)着替えさせるので、親族の方は一旦出て下さい」と言われ、皆、出て行きました。私も出ようとしたのですが、「お祖父ちゃん、頑張って!」と言ってしまった事がどうしても申し訳なくて、引き返して「お祖父ちゃん、よく頑張ったね」と言って出ました。霊安室に行ったのも今回が初めてでした。もうそのときには祖父の顔に布が被されていました。一度、礼拝をして、祖父は病院の裏口から、葬儀社が用意した車で母と一緒に祖父母の家に戻ったのですが、父が「お祖父ちゃん、やっと家に帰れたね」と言ったのが印象的でした。久し振りに親戚の皆が揃ったのに、いつもその中心に居るはずの人が居なくて、とても物足らない感じでした。私も父の運転でそのまま祖父母の家に行きました。祖父は今まで家政婦さんと一緒に居た応接間のベッドの上に居ました。北枕を意識してか、いつもとは反対側に寝かされていましたが…。母や祖母、叔父達は、葬儀社の人と、翌日がお通夜、翌々日が葬儀という話をしていました。私は皆が思っていたよりしっかりしていたので、安心しました。夜までに皆、それぞれの支度で家に戻って行ったので、私は少しの間、祖父の枕元で祖父に色々と話しかけていました。祖父は時々お腹が僅かに動いて息をしているように見えるのがとても不思議でした。葬儀までは大量のドライアイスをお腹の上に乗せられているそうで、それが溶けるたびにお腹辺りが僅かに動いたように見えたのだろうと言われましたが、私にも皆にも、祖父は本当に普通に寝ているように見えました。それから何時間かして、翌日の用意があるから…と父母に言われ、私も一緒に実家に戻りました。そのときよりも今は精神的に大分落ち着いているのですが、この日記を書いていても、まだ祖父は生きているような気がします。本当に長い長い1日でした…。
2004.03.07
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入院していた母方祖父の容態が急変したと、母から連絡があったので、3/7からしばらく実家に帰省します。ネットカフェに行けるときに皆さんの書き込みを読ませて頂きます。しばらく皆さんのHPにも遊びに行けないかと思いますが、忘れないでくださいね~~帰省中の話はまた日記に書きますので、よかったら読んでくださいね。
2004.03.06
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3/7~帰省していましたが、昨夜(3/17)、帰京しました。更新が遅いので、日記が前後しまくりですみません。帰省中の話はまた後日、改めて日記に書きますので、読んで頂けましたら幸いです。(*華埜*さん、マダムJさん、春華*さん、励ましのレス、有難うございました。)ところで、遅れましたが、3/3に買いましたブルレの新作2点をアップします。因みにこの日はお雛祭りでしたが、私だけお友達とケーキバイキングに…(^^;)。今年は特に気に入った限定スィーツもみつけられず、桜のおこわを買って帰りました。 左はお正月帰省の際に帰省先でみつけてからずっと気になっていたリボンつきカットソー(15000円)です。先にご購入されたストロベリーフラワーさんに色々ご質問させて頂き…(感謝です)、この日、ついに購入しました。一目惚れに近かったのですが、友達に「似たような感じのたくさん持ってるよね」と言われたり、リボンが若すぎるかな~と思ったりして…(汗)、なかなか購入に踏み切れなかったのです…。ついでに右側のブラウスは16000円で、こちらも売り出しからしばらく気になりつつも、色と型で悩んでいたものです。この新色チェック柄と、定番ベージュ色のチェック柄のものとの2色で悩んでいました。写りがイマイチなのですが、新色チェックは、もう少し優しい色です。型ですが、私が買った七分袖は、途中までボタンが付いている、被って着る感じのデザインです。もう一つは普通のブラウスのデザインで長袖(袖口を折り返すと七分になります)でした。この日、試着してみて新色で七分袖(途中までボタンが付いているデザイン)が一番似合うと分かりました。やはり試着するのが一番ですね(たいてい買う事になりますが…)。実際、被りのデザインのブラウスは持っていなかったので、買ってよかったです。2点買う事については悩んだのですが、2月のセールが混みこみで思ったより散財せずに済んだこともあり、思い切って買うことに…。さて、この日はまた別の新作を発見してしまいました…。マダムJさんがご購入された、リング(金具)つきジップアップカーデのパーカー版(?)です。気になる二の腕部分が、カットソーより少し広めだったので、買う事に…。あの金具つきのデザイン、欲しかったんです~。それと、ちょっと前からシンプルでビロード(?)生地のような長袖カットソーがあったのですが、お店で聞いてみたら、定番物ではないので、入荷が少ないそうで、この日あった1点で終了と言われたので、結局それも気になり…。お金が全く足らなかったので、2点お取り置きに…(恥)。しかし、急な帰省が入ったので、この日からお店に行く事が出来なくなり…、帰省中に担当さんに電話で事情をお話したら、しばらく待って頂けることに…。今まだバタバタしているので(私が長期留守をしていた間に家の中は絶句状態でした…)月末までには取りに行きたいです(担当さん、すみません…)。
2004.03.03
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