私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2015年02月09日
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カテゴリ: 千の朝
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 だが、赤ん坊はその細かい表現はできない。

 手段としては泣き声と若干の身振りしか持ち合せていない。

 だが、鋭敏な親はその直観によって、あらゆる要求をききわけることができる。

 それは本能的なものだ。

 生半可な知識は、かえってその直観力を乱し破壊する(この点に関しては松田道雄の「私は二歳」に詳しい)。

 要するに、一切はこの直観で行われるのである。

 大人に対しても、それで行けばよい。

 このことは逆に、直観力を持つ人達にかこまれている場合には、別に表現力を養う必要がないという結果を生む。



 このことから、日本人は、家庭内では相互に「大きな赤ちゃん」としてしか待遇されないため、客観的な意志の表現力を獲得する訓練の機会がないという結果が生れる。

 言語の一方の機能である感情の伝達はそれで充分かもしれない。

 「目は口ほどに物をいい」ということもあるのだから、言葉の代用品は無数にある。

 だが、意志の正確な伝達は言葉以外にはない。

 それに一つの家庭のいろいろの約束事は特殊な個性的なものである。

 生活水準と生活様式が細分化して、社会構成が複雑になってくると、それが通用するのは家の内部でだけということになろう。

 こうして日本人は共通の広場で発言する能力に著しく欠けているという結果が生れるのである。

 広場が広いほどそうなる。

 国際会議場などで、日本人の発言がないということは外国語が下手だというだけの問題ではない。

 日本で会話が上手な人間というのは、最大公約数のような、当り前すぎることしかいえない人のことのようだ。

 個性的発言は外国語の上手な人にかえってすくない。



「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」 会田雄二 新潮社





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最終更新日  2015年02月09日 06時06分45秒
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