私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2026年05月12日
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カテゴリ: 認識の歩み



大日本帝国海軍技師の
下瀬雅允が実用化した火薬(砲弾の炸薬)で、
日露戦争当時の帝国海軍が使用し、
日露戦争における大戦果の一因です。

成分は純粋ピクリン酸ですが、
砲弾への充填方法に特徴があります。

具体的には、金属と反応するピクリン酸を、
腔発が発生しないように、


火薬は1888年(明治21年)に実用化され、
1899年(明治32年)には大量生産が開始され、
日露戦争(1904年〈明治37年〉―
1905年〈明治38年〉)で
大きな役割を果たしました
(当時、他国海軍の用いていた炸薬は
黒色火薬や綿火薬(ニトロセルロース)ですが
(ロシア帝国海軍は綿火薬を用いていました)、
下瀬火薬は、それらより爆発力が強くピクリン酸は、
鉄と接触すると、ピクリン酸塩を生成して爆発し
爆発の際には摂氏3千度の高熱を発します。


炸薬であった下瀬火薬は、
いわば帝国海軍の秘密兵器でした。

大日本帝国海軍が砲弾に下瀬火薬を
14%充填していたのに対し、
ロシア帝国海軍は綿火薬を





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最終更新日  2026年05月12日 10時53分12秒
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