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について昨日の学習型組織の学習会で出ました。 これは、入園して、幼稚園からやり直した方がいいとまで 思いましたが、すごいなーと思えました。 そのものがすごいというのもありますが、語り部(ナレーター)として、すばらしさを語る人がいると、そのすばらしさが もっと広がる。 久々に、「おー」って思える機会に出会いました。 以前、港区の保育園にボランティアに行こうと思っていた ことがあり、企業研修に役に立てるために、ボランティアなんて不純だよなーとか思っていましたが、そんなこと言っている 場合ではないなって思いました。 大人が失ってしまった能力のほとんどは幼稚園/保育園に あるとさえ思えます。 松戸にあるその幼稚園には今後見学させてもらったり しようと思いました。まじで。入園許可とかしてくれないか? とも本気で思ってます。(汗)夜だけ働けばなんとかなるやろ、みたいな気もします(笑) まじめに、そんなことを思わせる学習会でした。
2007.04.11
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がありました。どういう経緯かわかりませんが、師匠とのパートナーシップを解消したというお話でした。多分1年ぐらいの関係ではないでしょうか?何か「終わる」とか「始まる」というお話が自分の周りに数多く起きているような気がするのはなぜ?
2007.04.10
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久しぶりのT.S.EliotのThe Waste Landを読む。 一行目にぐっとくる。 4月がテーマの詩は数多いが、この荒地はまた別の詩だ。 ・・・・しかし、全部を理解しようとするとわからない。 難解である。
2007.04.09
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自分は「正直である」ことに注力するあまり、いままで、選択をしてこなかったように思う。思ったことすべてを言うことが「正直」だと感じていた。自分の人生は自分で決めることが本当の正直なのかもしれない。
2007.04.08
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自分の中にある他人への「批判」を手放すために、少し、自分を冷静にしてみようと思う。このことは、途中かもしれないが、ここ数週間で自分をほんとうに愛してくれている人がこれだけ多いと言うことに気づいた。思惑もあるだろう、利用しようとしているということもあるだろう。しかし、そういったその他もろもろの関係を昇華させる価値はあると思います。物理的には変化はないかもしれないが、精神的な旅にでようと思う。
2007.04.06
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にかかずらわって止まるとしたら、もったいないことである
2007.04.05
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寄り添われた体験でした。 「ただ」ということに関して、自分自身が感じてもいなかった 分野があること。 扱っている内容は、かなりヘビーでハードな内容になるとも 思えることが、コミュニケーションの次元によっては、 そうならない。 軽いでも、重いでもなく、ただ、そうなだけ。 自分が以前思っていたことを見た体験でした。 何年もかけて、取り組んでいるのか取り組んでいないのか わからないことがいま見えてきました。 限りなく、透明・・・そんな感じです。 自分自身コミュニケーションという分野にふれてきて、 本当によかったなと思います。 全てを整理して、また、新たな自分をリアルに感じられる まで、取組甲斐があるテーマだと思います。 本質に触れるということはそんな感じなんだと改めて 腑に落ちた体験でした。 自分は何者でもないし、何者であってもいいし、何者にでも なれる。 自分に戻る。あるいは自分を創る。いま自分の中で、 この二つが等価であると感じています。 何もないからそこに何かがつくれる。 何かがあるから、そこを終わらせられる。 つくることもなくならせることも同じ事。 そして、世界にある全てに対して、ありがとうといいます。 たった一人の人生、そして、その一人の人生を通じて世界は 存在している。世界と人は一致している。そう見えなくても。 一気に500年もすすんでしまっていたようなこの分野の 深さに敬意を払い、いや、探究し尽くせない人の深さに 敬意をはらい、そして、いままで、敢えて扱ってきてい なかった自分を扱ってみます。 寄り道をしてきましたが、一つの自分の可能性にチャレンジ してみます。 何かをごまかすためでなく、何か誇りのためではなく、 失ってしまった何かを取り戻すためでもなく、新しい未来の ためでもなく、いまこの瞬間に自分が存在している事への 世界への感謝として、あるいは、自分自身への親愛さの表現 として、世界と対話していきます。 この「何もなさ」を感じながら、自分の世界を前進させます。 ぼくは勇気をもって世界と対話できるか? ぼくは正直さから存在しているか? ぼくは他人と自分を愛しているか? ぼくは誰かであり、誰でもない人でもない人であるか? いままで、自分が封印していた過去をよみがえらせるのも 悪くはないと思えてきました。 この年で言うのもなんですが、ほんの少し大人になれたような 気がします。 どこに自分がいても、愛している人とはいっしょにいるし、 尊敬する人とはいっしょである。 世界ともう少し仲良くなろうと思いました。
2007.04.04
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について、とあるキャリアカウンセラーと話しました。 現在、私は東京は江戸川区というところにいるのですが、 かなりいまは、深刻化しているらしく、「高校やめちゃったよ」というような、かつて不良と呼ばれたような人とか、 大学卒業して、フリーターやっているけど、そろそろ正社員 になろうという人はまだ「ふつうの人」らしく、そうではなくて、働く力がないというか、貧困化が進んでいて(給食費を足立区は30%払っていなくて、江戸川区はそれに追随する20数%払っていないそうです)その親のお子さんは、たとえば、 親が仕事をしているところをあまり見ていなかったりするわけでして、そのスパイラルがすすむ・・・・などという話を 聴いて、今の自分の仕事の領域として、「未来を見ましょう」とか「ビジョンが大事ですよね」というのがまだまだ甘いのかなーと思います。 まだ、講座に来てくれる人はなんとかなりますが、あるいは、 ぼくの講座で結果のサポートができなくても、多分そういう人はどこかで結果をみつけることを見つけるでしょうが、問題は そこまでの気力がない人・・・・が本当に問題なんだろうと 思います。 自分=深刻なのでそういうネタに反応してしまいますが、 しかし、事実を見極めたいと思います。 では。
2007.04.03
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デルタである。 何のことかと言うと万年筆のことである。 マイミクから連絡があり、購入の相談があり、そういえば自分も迷ったことあると思い出しました。 自分は購入しなかったが彼はどうするのかなぁ。 万年筆は個人によって選択基準が違うので説得のしようもない。 個体差が激しいのである。
2007.04.02
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本 文 ここ数日は、非常に濃い数日である。 冷静に考えると見えることがみえなかったり、自分をごまかしていたり、人の温かさに触れたり、自分の本当にやりたいものってなんだろう?って考えたり、久しぶりの人とコミュニケーションがあったり、新しい出会いがあったり、前の日記で、思いもよらずレスがついたのは非常にありがたい限りです。 自分をあまりにも大事にしてこなかった(ある意味、「大事すぎる」ように見ていたのはあるが・・・・)結果、自分が自分を見失っているところが多々ある。いや、こう書いている自分も「見失う」ために何かを書いているぐらいの感じなのだろう。 ・・・さて、書きたいことはやまほどあったと思っていた のだが、要は、人や世界に愛されている自分だと言うことを 感じている。暗い過去や悲しい出来事や、それらとうまく やっていったつもりだったが実はふたをしただけで見てなかっただけということも気づいている。 ぼくはこれから何をするのだろう?(あるいはすべきなのだろう?) というのが、口先だけで言うことはできても、それがいまいち 言葉だけ・・・となってしまう自分を感じている。 そんなことを書きながら、あまりこの日記には書けませんが、 昨晩深夜に電話でうれしいことを言われたりした。 自分が・・・だけ、ではなく、人は人生に愛されている。と 思う。ただ、その愛されているさまを知らないで、うだうだ しているだけ。
2007.04.01
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