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最近「忘年会」を敢えて「望年会」と言ったり、いろいろな言葉で いいかえていることが多いと思う。 しかし、何というか、みんなそのまねをしてみるとつまらないなと思う。人によっては「望年会という忘年会」という言葉の自動変換回路が 働いていると思う。 しかし、ある意味「忘れる」も大事だと思うのです。 大切なことも、過去になってしまったら過去なのですし、もうすでに、 自分にとっては、学びきったら「忘れる」ことも大事かなと思います。 以前、自分は記憶力が抜群で、ものすごいいろいろなことを覚えていたが、しかし、最近、こだわりがなくなってくると、忘れている、状態なことが多いような気がする。おぼえていることは、悔しかったり、残念(「念」が残る)なことだと思っていたり、感情的に、まだ、引っ張られていることが多いのだ。 「忘れている」とは言っても誰かに言われると鮮やかに思い出すこともある。 結局、記憶なんて頭が創り出していることに過ぎないとも思える。 忘れると創造的になれますしね。 2007年はほんとに自分にとって激動すぎるぐらい激動でしたが、何というか、忘れかけていたことをも思い出した気がします。 なんか原点に戻れたというか・・・・いままで遠目に見ていたことが 近づいて来たというか・・・なんか、否定していたことも昇華させてもいいと思えました。 何でもあり、というと、なんかばかっぽいですが、でも、そういった感じにも思える今日この頃です。 そして、日記を一年間あるいは、昨日から見てくださったあなたに感謝します。コメントをつけて下さったことあるいはコメントはつけてはいないけども、時々ご覧いただけたこととても感謝します。 人は見られることによって存在するのです。
2007.12.31
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27日が、今年最後の学習する組織の学習会でした。 この複雑な世界で、「正解」が見つかることはまれであり、 たとえば、前の日記に引用したが、ブット氏暗殺の件も、 「良い」点と「悪い」点を表面的に見ていても何の解決策もない。 以前は、もっともらしい評論家が説明したことが多分本当の事実だったが、しかし、いまは、その評論家の説明すら及ばないことが多々ある。 芥川龍之介の「藪の中」というすばらしい短編があるが、事実は、 統合的な「説明」をしてくれる語り部など誰もいないのである。 ある意味、死者の口を使って、その「正解などない」ということを 描ききった芥川のすごさがいまになってわかる。 よく、一面だけを見ないで全体を見ようという言い方がある。 象を見たそれぞれの人が、「大きい耳」といったら「ざらざらした(皮膚)」といったり、「鼻がどーのこーの」といってみたり、いろいろなことがあるが、しかしだから「象」という全体を見ようというふうに言われるのであるが、実際に俯瞰して象だとわかるような出来事はないことが多い。そもそも、歴史に関しても、いろいろな新発見があると簡単に書き換えられる。本当に簡単に。解釈を越えた現実なんてものはないのだ。 そういった「解釈」あるいは、意見の対立といってもいいだろう。 その意見の対立がマスコミを使って情報が流れたり、あるいは、意見の対立が大勢を占めると、「事実」あるいは「現実」になる。人々の同意が、事実っぽさを強調する。 なおかつ物事が見えなくなっていると、大きい声を出して騒ぐとそれが目立つ。元・小泉首相が声高に叫んでいた事実は現在かなり否定されている。結局、お祭り騒ぎだっただけではないか?ということで、安部さんは、やめるときに目立ったが、ようは尻ぬぐい内閣だったわけだ。(ちなみに福田首相もそれを引きずっているだけという説もあるが・・) 多分、こんな状態で、来年政変再編成なんてあれば、結局このお祭り騒ぎがいろいろな弊害を生み出したことすら忘れられてしまう。 大声でしゃべっているからといって正しいとは限らない。そもそも、何が正しいかなんか、30年後の視点からみれば、全部だめじゃんなんて思えるかもしれない。第二次世界大戦についても、今から思えば「だめじゃん」とか言えたり、「政府が悪くて、貧しかった市民は被害者」というわかりやすい対立図式が語られるが実際には、市民も戦争の「当事者」だったという認識がなければ、戦争は本当の意味では集結しないのかもしれない。誰もが「私は被害者だ」というのは簡単だ。しかし、その被害者であるもとの「問題」に自分自身加担しているということなのだ。 学習する組織では、「正解」は見つからない。しかし、「この正解と見える外側には他には答えはないだろうか?」とか「あるいはどういった仕組みでいまうまくいっていないのだろう?」という質問を成り立たせることで、自分が起こしている出来事、あるいは「私たち」が起こしている出来事がまさに自分の問題として、扱えるようになる可能性がある、ということは言えるだろう。 そんなことを思いました。 システム思考はほとんどの「しまった」を促進するナイスな道具である。
2007.12.30
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「あなたが悪い」という出来事から、気づかせてくれたパートナーの存在に感謝。他人のせいにしておけば楽だけど、今回はいい気づきをいただきました。
2007.12.29
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パワーさって日本語変。。。 今日は、午前中にとある人とMTGを行っていました。 いろいろアイデア出しすると、基本的に彼の態度触発される。 アメリカ人ってこんなかんじなのかなーと思う。 ちょー断言系。ひー。でも、間違いを指摘する自分も断言系。ひー。 ま、よくわからないけど、ちょーやる気になるのだな、これが。 午後というか夜お会いした方は、かなり久しぶりのお方なのですが、 何というか彼と話していると、慎重に、薄氷を踏むように話していると きの繊細さの心地よさを感じる。「頭の良さ」をいつも感じますね~。 この優しさは私は逆立ちしたってまねできないなー、といつも思う。 なぜかセンゲのシンポの依頼メールが。。。。2通もきている。なぞや。
2007.12.28
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なんか悟った気分。(笑) 朝三暮四というか、「だめです」と言った直後にくるという。。。 多分理解不能なパーツを使っていると私にはリカイフノウナノデ、 そのまま対応するしかないなーとおもいつつ。。。。 あまりにも謎の動きが起きると笑える。(時々一発退場カード だしたくなる衝動もある) 要は混沌としている(混乱?)場の場合、混沌のままつきあえばいいってことなんかなーともおもいつつ。
2007.12.27
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今日は、某***億の人と話をしてきました。(すごい形容詞。。) かつて、気配り系の人とのつきあいがあったのですが、その人は、また 一段と次元が違う、感じ。配慮がある感じがここちよい。(言っていることはわりときついのだが。。。) ねじのことをvisといいますが、vis系の伝え方は、そのときに、伝わっても結局定着しない(っておれもやってるが)のだが、その人の場合は徐々に浸透する感じ。。。ある意味きついのだが、でも、浸透してくる。 また なんか、いろいろ「存在」に関わる対話をしている気がします。 多少凶暴なんですが。。。汗 命のやりとりでしょうか。 ぢゃなくて。。。なんか、もう少し素直になろうと思いました。 だめなものはだめと言ってしまおう。たとえば間違っていると思っていることを言えないことの弊害の方が多い。 素敵なことは素敵だと素直に言いたいし、そうじゃなくて、ひどいことはひどいと言いたい。 キレの問題もあるかもしれませんが、なんか、ノイズってすぐに感じてしまうのですよ。いままでは、「そういうふうに感じる自分って悪い」っていう見方をするよう訓練されてきましたが、まあ、「変だぞ」ぐらいは言っても良いかなと思います。
2007.12.26
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友人が以前出版社をしていた関係もあり、とある人の本を2冊買ったことがある。事実上、その2冊を残してその出版社は倒産してしまったのだが、その1冊が8万円なんて高値で取引されているのを発見した。(正確には売れてないかもしれないが、8万円という値段がついている) さらにもう一冊は1万円とか最高値が48000円。 自分自身が持っている本の値段を合計したらものすごいことになるなーー。あと万年筆も売ったらそこそこの値段になるのかも。 売る気がなかったから、そもそもどうでもいいと思っていたが、しかし、1500円ぐらいの本が8万円って。。。さすがに異常。 もう一冊、900円ぐらいで買った本が98000円で売っているのも発見。 こっちは、出版社つぶれてないですが、すごい。 ま、でも、全部うっぱらっても100万円ぐらいにしかならないので、 微妙な値段ですね。(万年筆別)
2007.12.25
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をしてきました。 子育て本書いてて、そしてインタビューをしていて思うのは、何というか、すごい学ばせていただいているなーという気がします。 今日話しを伺った人なんて、さすがーと思わせる。 言葉が重みがある。なんというか、ほとんど誘導もせずに聴いている だけで、出てくる出てくる・・・・ そして、何よりうれしかったのは、話している中で、自分の人生を ふり返っているところが圧巻でしたね。寄り添えた感じしました。 孫ができたときに、命がつながったという言葉をおっしゃっていたときに自分もその言葉のすばらしさに思わず引き込まれました。 「何をしてきた」じゃないなーと思います。 そして、すばらしく子どもと向き合っている人は必ず、長いスパンで 見ている。すばらしいなと思います。 2冊目、3冊目も書きたいですね。 ほんとに、「子ども」の問題を扱うと全人生扱いますよね。 こないだ、学校関係はお金にならない、などと言われましたが、 なんか関わっていきたいですね~。それほど大事だし、学べる。 インタビューしながらその人の全部の人生と向き合えるこの瞬間は 楽しくてやめられませんね。 ネタ的には4,5冊書けるネタがありますねー。 小説でも何でも書けますね、ほんとに。
2007.12.24
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今日22ヶ月ぶりに、尊敬する人とお会いした。 その人とは、「二度と会えない」と思っていたのだが、つい先日 電話してお会いすることになった。光栄な機会だ。 あれこれ、かれこれ、かなりの長い時間話し込んでしまい、夜遅くに なったが、「すげー」の一言である。 お互いに成長していることがわかった。 その人がうまいこと力が抜けているのを感じたし、自分が「聴ける」能力が向上していることを感じた。 かなりきついことを言われたが、妙に冷静になり、そして、自分のこの半年の懸案の悩みが解消した気分。 その人はわりとパワー系というか、お互いに話しをすると、議論が白熱して、がーっとなるのだが、今日はまた違った。ある意味、また違った展開。Dialogueの新しい形を発見した経験である。 帰り際の道が楽しかった。 先ほどとある人から、「ありがとう」のメール。超うれしいっす。 ほんとうにうれしい、「異常に興味を示した」の件でわらった(と、何のことだかわからなくてすいません)。ありがとうは次をつくる。 なんか、ここ最近力が抜けてきたな。。。。ヌケスギカ。
2007.12.23
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実体経済(という言い方がいいのかどうかはともかく)として、 6000兆の価値が、デリバティブやらによって、40京の価値に なってしまうと言うことが、今日の「環境」の定期ミーティングで わかってしまった。(別名、Rolex Awardミーティング) 兆とか京なんて数字は全くリアリティーがないが、とりあえず、 兆ってのは、億の1万倍で、京(けい)は、兆の1万倍だ。 天文学的なスウジ。 平たく言うとこういうことだ。 たとえば、300円のコーヒーがある。それを、リスクヘッジとか を金融商品で行うのだが、300円の価値(これも実際は微妙だが)を その60倍で取引すると言うことだ。つまり、300円のコーヒーを 18000円で取引しているということと道義である。 スタバにいく。 「うーん、じゃあ、本日のコーヒー、shortで」 「ホットですか?アイスですか?」 「じゃ、ホットで」 「18000円です」 という会話をしているのを空想しているのを、われわれは金融商品で やっているのだ。つまり、その17700円は、バブルなのである。 げろげろ。 せめて、300円の価値の物を、600円ぐらいだと300円分が リスクヘッジとして浮くのはわかる。しかし、なんだ、60倍って ことですな。 地球上にある「価値」をお金で算定すると6000兆をそれを 40京になってしまうという。。。こわいのぉ、というお話。 ちなみに、数字の体系を下記に参考までに書きます。 10^2というのは、「10の二乗だよ」って意味です。同様に「10^36は、10の36乗だ」という意味です。**光年レベルの数字の単位ですな。 一(いち) 10^0 十(じゅう)10^1 百(ひゃく)10^2 千(せん)10^3 万(まん)10^4 十万 10^5 百万 10^6 千万 10^7 億(おく)10^8 兆(ちょう)10^12 京(けい、きょう)10^16 垓(がい) 10^20 じょ 10^24 穣(じょう)10^28 溝(こう) 10^32 澗(かん) 10^36 正(せい) 10^40 載(さい) 10^44 極(ごく) 10^48 恒河沙(ごうがしゃ)10^52 阿僧祇(あそうぎ)10^56 那由他(なゆた) 10^60 不可思議(ふかしぎ) 10^64 無量大数(むりょうたいすう)10^68 こんな単位なにに使うのだろう。。
2007.12.22
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ワークス研究所編集長高津さんとお会いしてきた。 ワークス研究所というよりも、HCソリューショングループ エグゼクティブコンサルティンググループといった方がいいのだろうか?そう、高津さんは、「感じるマネジメント」の著者である。 1時間半という時間、とにかく、アドレナリンでまくり(あれ?エンドルフィン?)で、いろいろ聴きたい、いろいろ話したいのあっという間の90分一本勝負、1本負けなのであった。(勝ち負けぢゃないけど) 一緒にいった読書家のぺぺ氏は、最初から松岡正剛さんの千夜千冊を見た瞬間に大興奮状態。臨戦態勢よし状態。。。。きっと、こんな本がそろってる会社なんて、ワークス研究所とエスキューブドぐらいなもんなんだろう。 ・「感じるマネジメント」が目指していたのは、「出現する未来」のような「複数の人が物語る」ことによってできる物語である。 ・男性性→女性性の支配から、男性性と女性性の循環(交流)への転換 ・educationの語源は、educare(=引き出す)であり、効率よりも最大化がポイントである。「心の中の宝物を発掘する」 ・コンサルタント:知識を教える人という人から、「お客様がよりよく考えられるようにつきそう」へのシフト また会いたい人というか、どこかでつながっていく気がします。
2007.12.21
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先日、お試しでおこなったコーチングについてクライアントの人から 連絡が来た。 大げさな言い方かもしれないが、経営課題の根幹が彼は見えたようだ。 たかだか15分でそこまで見えるのはすばらしい。 問題を解決するのではなくて、「問題とただいっしょにいる」ことが できたと思う。 朝いちでメールをいただいて今日一日が楽しい満ち足りた一日になりそうだ。
2007.12.20
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題記の通り、センゲ来日するそうです。野中郁次郎さんとのシンポジウムを行うそうです。 個人的には、センゲ呼ぶにはどうしたらいいの?とsolに問い合わせをしたときに、「7万ドル出せばいくよ」などといわれて泣いていたのですが、そのときにアクションをして、それで、そのときに参加し始めた学習会のところで得た情報を元にさらにアクションをして、さらに、そこからつながったので、ある意味、1年7ヶ月の期間は短いとも言える。 英語勉強しなくちゃ。。。
2007.12.19
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最近、コーチング的な発想になっていると、「意図すれば実現する」ということを発想している。 現実に、ものすごいスピードなのか?自分がある入力を入れると、全く予測不能な出力が出てくる。そのスピードというか「密度」の度合いによって出てくる内容が決まってくる。 一般的に、このプロセスを7デイズコーチング風に語ると、「明確化」という道具を使ってみると、その明確さに対して、不明確なものは現れなくなるから明確さをつくることで、結果が出やすくなる。 平たくいえば、ラーメン屋の看板を立てていると、看板の仕事の依頼は来ないということだ。←とはいえ、看板屋の仕事の依頼がよく来ている人が多い。そしてそれに気づかずに「なんか変だなー」などといっている。それはそれで外部から見ると滑稽だが、自分自身もやっている危険がある。 先日お会いしたとある「夢を語る人」とお会いして話しをしてみたら、いまいちとりつく島がない。(とりつくひまじゃないので念のため) YesともNoとも言えない。。。結局何をしようとしているのか?が見えない。売ろうとしているものはわかるのだが、そんなに惚れ込んでいるんだろうか?それも伝わらず。。。。まだそれだったら、言い方は不遜だが、自分なら、そこらに落ちている石ころを拾って、その石ころが自分にとってどれだけ大事か?自分の命に大事なのか?を創作することも可能だと思う。 さて、その明確化のプロセスを大事にするあまり私たちは「目に見えるものごと」に集中しようとする傾向はある。 しかし、何度もやってもうまくいかない場合、それは多分、行動量の少なさではなくて、その出来事・減少を支える背景がおかしいということに気づく必要がある。 その背景あるいは全体性のことを「システム」と呼ぼう。 システム思考の大事さは物事をつなげることでなくて、個別の行動や出来事が組み合わせっているシステムを全体として捉えるという発想なのである。 ここで論理が二転三転する(笑) 明確化→システム思考 という探究のプロセスは、非常に魅力的だ。 なんせ、自分が意識していないところで意識していない出来事が起きる。 シンクロなんかどう考えても、「理解」や「納得」の範疇を超える。 非常にパワフルなコーチングの側面である。 むしろ、ここまでいくと、コーチングという言い方が通用しなくなる。 全ての体系、あるいはテクニックが結局言葉を変えて言おうとしている、「その領域」が存在する。リーダーシップ、禅、コーチング、カウンセリング、ファシリテーション、瞑想、魔法、アバター、システムダイナミックス、松岡正剛の言う「編集」(以下100万語ほど省略)などの体系(システム)は、ふつうわれわれが不思議とされる領域を扱える技術を提供する。それを仮に「混沌系」と呼ぼう。混沌という現実をマネージするという意味合いである。混乱とは区別して使っている。 しかし、その技術は一度習得すると、時には魅力的すぎて、それ自体が固定化されたものになる。 その時点で、混沌がパワーを失う。 今回とある人と会話をしていて思ったのは(彼は明確系の人)、混沌にはまるあまり、混沌に依存している自分をふり返った。 混沌系にはまると悲惨なのは、目の前にあるお茶を「これは背景がどーのこーの」などと語り出す。「飲む」という目的があったのにもかかわらず。飲むためには、多分ぼくらがシンプルにできる行動として、手を伸ばして、その湯飲みをつかんで(熱くてもてないかを確かめながら)、飲む。そこら辺の一連の動きは、意識も考える暇もなく、ほぼ全自動で制御される。ときどき「熱いのでは?」と思えるときは確かめながら、慎重さを伴って行動する。 今回、「いっしょに仕事をしたい」と自分が決めていたその人と、ふっとふり返ると、その可能性が開いた。予測しすぎると、手段にはまるが、方向性だけが明確であれば、たとえどうであればどんな手段でも人はその手段を創造してでも実現する。いままでその違いを「何が何でも実現しなくては」派の怨念というか情念強すぎがいやだったが、そうではなくて、「はっと、ふりむくと、そっちの方向性にいた」ぐらいがニュートラルでいいのかな?と思います。 実際は、明確化と混沌が絡み合っていることを制御しつつ、出来事が起きるように起こす、というのが今の感覚である。 想いは実現する(ナポレオンヒルはそうは言わなかったらしいのだが)という言葉はなんか陳腐だが、しかし、結果的にそういうもんだなと思います。その想いは意識していない想いもある。(その無意識をパラダイムと言ったり、メンタルモデルといったりする) 起きるべき事が起きるように導いてくれる、ただそれだけなのである。
2007.12.18
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協働という言葉は、Co-Active Coachingで「協働関係」などと訳されているが、協働という概念自体結構古いということがわかった。 ただ、出典が曖昧で、「東京大学 経営学 岡本先生」とだけしかわかっていなくて・・・・1980年代だと思いますが、曖昧であるのがちょっと気になる。 wikipediaなどには、地方自治なんかに使われると書いてあるのだが、 年代がいまいち1977年以後ということ以外にはわからず。。。 Coproductionの訳語として使われている。Co共にと、product生産する の合成語らしい。 ひとたび、ある言葉が成立するとその言葉の歴史的な成り立ちはともかく、存在するものとして扱われてしまうので、経緯を語るのはむずかしくなる。 いろいろな背景で言葉は成り立つというお話でした。(おちはない)
2007.12.17
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波長が合うなんて言葉は文学的だと思うが「デキゴト」なんてことはお互いがつくった空間に起きてくる。まるで、相転移のように。 人が違うだけで起きてくる現象や歩いていく道が違うのは面白い。 全体像が見えるまでが一番居心地が悪いが、そこは抜けた。ゴールはもうすぐだ。
2007.12.16
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多分どっかでしゃべろうとおもっていることなのだが、そして、うまいこと伝える自信もないから、日記で書くのはどうかと思っていたのだが、そして、傲慢に見えるのだろうか?という考慮もありつつ・・・正確に伝わらないことをおそれつつ書きます。 先日、久しぶりに、ある人とお会いした。 その人とは久しく絶縁状態だった。 自分自身がまいた種とはいえ、絶縁になったのが激しかったため、 ある意味、自分自身人生を呪い、非常に悲しみの中にいた。 だれであっても、別れはつらいものだが、「分かれたくはない人」は 世の中にいる。それは親や兄弟のような縁のようなこともあるが、 そういうのではない、かといって、でも、何となくというには、深い 間柄になることで、感謝を形に変えたいと思える人がいる。 悲しいことに、疎遠になってしまう人で、修復しようとは思えない人もいる。 さて、そんな中、その絶縁状態の人とひょんなことから関係性が復活したのだが、そのときにいわれたのは、「近藤の書いた7デイズコーチングはすばらしい。あなたとパートナーシップを解消したときでさえも、この本はすばらしいと思った」というフィードバックをいただいた。 どれだけ悲しみや苦しみの中にいても、「7デイズコーチング」が彼を勇気づけ、何よりも、その「関われたこと」を通じて、ぼく自身を勇気づけたのだ。 思えば、ぼく自身何かを形にするという表現をとるときは、自分自身への力づけなのかもしれないと思えることがしばしばある。 以前自作の詩を彼女とのコラボで、とあるPoetry Readingの会に提供したことがある。この詩は、私製のCDにもなっている(私も提供したのになぜかお金を出して買った 汗)。その詩を彼女に捧げるようにして作った自分としては、そのほぼ直後に彼女に振られてしまったのだが(泣)、ある意味、「この詩を作った自分が振られたのならしょうがないや」と思えるある意味自分にとっては「何よりも大切な自分」を否定されたらしょうがないやと思える出来事だった。その数ヶ月後、図らずもその自作の詩を聴いていて(朗読は他人だが)、自分自身がいやされたという体験があった。 人は全て表現する動物である。(なんてことは今度の本に結構書いてある)自分のある部分と出会うために人は本を書くのである。それ以外の部分はある意味、うすっぺらい。 自分自身、これからも魂が語るがままに表現することはやめないだろう。 テクニックとかどうでもいいんだよねーなどと、斜に構えつつ、言葉たちを紡ぐことに精一杯なのである。 自己表現がつながるとどういう世界が表出するかが楽しみなのである。
2007.12.15
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レッズ残念でした。。 でも、なんか、負けたけど、いいやと思えるというか、見方にも よると思いますが、ほぼ完璧な1点以外には点を与えていなかった ところが「もしかして」と思わせるのがすごいなーと思います。 ただし、何というか、動きでは、ACミランの人ってすごいなーと 思う。カカとかおそろしいほどの動き。 来年はもしかして・・・と思わせるレッズに感動しました。 ・・・と、 先ほどご連絡いただいた人で、自分が連絡したことで もしかして、プレッシャーになったりしたのかなーと思っていたら 図らずも、結構その人の本気度を聴いて自分自身も本気になりました。 関わってみるもんだなーと思いました。
2007.12.14
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今日は、長い時間ブレストをした。 「正解」がどーのこーのというよりも、なんというか、方向性が見えた、感じしました。
2007.12.13
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先週何度も「世の中って狭いですね」発言をしてました。 意識的に、つなげたり、つながったり、誰かと誰かがつながるように 試みたりいろいろ相変わらずしておりますが、なんというか、あらゆる というか、「ここからもつながるのか!」とびっくりしております。 まあ、6人隔てると世界中の人とつながる(greeの語源っすね)という話しもあるんですが、しかし、ここまで起き続けると、すごいです。 最近、「知り合いの知り合いが知り合いだった」系で、なんとなく、 時間の隔たりも絡んできているもようです。ここまでつながるのか。。。 どこまでつながるか試してみようと思います(どうやって?汗)
2007.12.12
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というと「故郷」についての表現かもしれませんが、 昨日、1ヶ月ぶりぐらいに、ワークショップ参加者の一部で集まって お茶をした。品川のすばらしい景色の喫茶店でお茶をしながら話しを していた。 なんか、そのときに力が抜けている自分を感じていました。 なんというか、「何か言わなくてはいけない」ではなくて、その場所と 人と、空間を感じながら、そして、何か答えを出すわけでもなくつながる。そんな場にいることの心地よさをただ感じていました。 ここ最近感じるんですが、自分自身主張しなくてもいいと思える場面が 多くなってきたような気がします。 誰が言っていたのか忘れましたが「真理は自分を主張する必要がない」というフレーズがいましっくりきます。 熱意とか力強さとか、人造の「強さ」は見破れる気がします。 それと、その人の言葉の背後が聞こえるので、何というか、うすっぺらさは見抜ける(と思う)ような気がします。 うすっぺらがいけないわけではなくて、存在と対話したいですね。 家族というと変ですが、自分が何者であるなんて言わなくてもいい、そんな感じの関わりがあってもいいなと思いました。
2007.12.11
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日とあるところの「自分探究系」(変なやつじゃなくて、汗)の 忘年会に言っていたときのこと。 オープニングで数人の人が「私はこういうことやるぞ!」というコミット(宣言)をしていた。 その中で、「私は結婚するぞ!」と言っていた人がいた。 別の知り合いから紹介されたときに、その人と話していたら、なんというか、表現は覚えていませんが、「naoさん独身だから可能性ありますよ」と私の知り合いから紹介されて、携帯写メールを取って、「今度デートしよう」と言われた。(簡単にまとめるとそういう出来事) 。。。なんというか、自分自身基本的に「誰でもOK」と思っている と思うのですが、さすがにひいた。 書いてて思ったのですが、「こちらの状況はお構いなしかい!」などと思いました。まあ、なんというか、こっちがひいてしまうというのは、 なんか、準備も何もできていないのに、いきなり「す、好きです」などと自分も言っているのかもしれないと思うと恥ずかしい限りです。 波長が合うとか、気心が知れるとかそういうのじゃなくて、なんかなーと思っています。 「怖い」とすら思ってしまうことがあるのは危険だと思った今日この頃でありました。 もしかして、その「合わせる」ができないから彼女は結婚したことがないだろうか?などと、自分もあんまり他人のこと言えないが、いろいろ考えた次第です。
2007.12.10
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一昨日、アロマ関係の「偉大な」先生とお会いしてきました。 というか、つい先日お会いして、ここ数年のうち、3回目であまり お会いしているとは言えないのですが、先月と今月で短い期間で2回と いう。。。 個人的には、「ライフワーク」と「ライスワーク」(食べるための仕事)などといろいろなナイスなフレーズがいつも勉強させられるのであるが、一昨日お会いしていろいろ話していたら、いっしょにいた、がさんとぺぺさんが妙にシンクロして、なんか笑えた。 最近、「とりあえず、会わせよう」と思ったら、変なところで、共通の知り合いがいたりといって、「シンクロ」って言葉自体も使うのもあほになるぐらい、当たり前状態みたいです。不思議です。 こうもつながっていくと、不思議じゃなくて当たり前みたいです。 決して、ジャウォースキーの本を読んだからと言うわけでもあるまいと。 SoLonlineでとりあえず情報を取るために、登録しました。 なんか最近英語読むのが億劫になっているのですが、魔法で培った 英語力を再び復活させるとします。笑
2007.12.09
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こないだワークショップに参加して知り合いになった人が、 P。センゲの学習会に参加している人の部下だと言うことがわかった。 先週にお会いした人も、知り合いの知り合いということがわかり、 世間は狭いと感じる。 どのルートをたどっても結局誰か知り合いにたどり着くのだなーと感じます。 世界が100人の人しかいなかったら・・・という本がありましたが、 なんか、リアルで世間には数百人もいないんじゃないか?とすら思える錯覚が起きてきました。 スモールワールドネットワークという考え方がありますが、6人介すと世界中の誰にでもつながるという理論ですが(弱いつながりである必要がある)まさにスモールワールドネットワーク状態です。
2007.12.08
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7時間立ち通しだとさすがに足の裏とかが痛くなってくるのですが(汗)、元気良いっすね。 よく講座でモチベーションは、原因ではなくて結果だという言い方を しているのですが、なんか、元気なんっすよね。 12時に一度寝て、「もうおきよう」と思った熟睡したと思っていたらまだ2時でした。汗 さすがに、もう一度寝ましたが、5時には起きれました。 やればやるほどやりたくなるというのはありますが、やっぱり、やりたいことをやっているとなんか勘がさえますね。
2007.12.07
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今日の研修は、ある意味タフだったけど、ほんとにいい場だった。 振り絞った感じ。少し、インタラクションがきつめでしたが、 自分としては、「やりきった」感があります。 こういう場もっと持ちたいですねぇ~。 なんか、地方にいろいろ行きそうです(笑)
2007.12.06
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レジメ書いてます。 本の原稿編集してます。 mixiのレビューを結構いっぱい書きました。 なんか、集中していると元気になります。 怠けていたから、調子悪くなったのかもしれません。 多少、自分を追い込まないとだめなのかしれません。 ジャウォースキーのシンクロニシティを読んで元気がでてきたのですが ポリスのシンクロニシティも聴いてます。歌詞かなりシンクロニシティーっぽかったです。 音楽聴いてると、なんか、時々歌詞が飛び込んでくることないですか? 聴いているというか、聞いている感じでいると、ふっと理解できるという瞬間ありますよね。 なんか、 ものすごい難しいことをこねくりまして難しくいいたい自分と、 簡単に言いたい自分と の2種類(段階はいろいろあるが)がせめぎ合っている感じします。 ちょっとがんばってもいいかなって思えます。
2007.12.05
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http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3-%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4862760120/ref=pd_bbs_1?ie=UTF8&s=books&qid=1196741050&sr=8-1 英治出版の社長と個人的に知り合いになり、特に彼に勧められた訳ではないが、ボームのダイアローグを読み終わった後に読みました。最近、英治出版は、上掲書に加えて、日本版出現する未来とも言える「感じるマネジメント」をも出版して、リーダーシップあるいは組織を「物語る」という観点で秀逸な書籍が出版されている。(個人的には社長のオープンなパーソナリティーは好きです) J.ジャウォースキーは、P.センゲと共に、「出現する未来」を書いた人です。ただ執筆したと言うよりも、「物語を語る」ように、ダイアローグをつなげていったという異色の作品のいわばJ.ジャウォースキー個人の自伝版と言ったところだろう。 「月日は百代の過客にして」という旅と人生のメタファーを錯綜させた松尾芭蕉を思い起こさせる本書は、リーダーシップについての旧来あったテクニカルな技術論という側面ではなく、むしろ、リーダーシップという切り口で展開される「物語」を紡ぐ(weaving)ような語り口が秀逸なのである。 本書を読んでも「リーダーシップ」についてもしかして学べないかもしれない。もしかして、知識が得られないかもしれない。しかし、自分の人生と対峙し、また、自分がいま存在していることの光栄さを感じるかもしれない。 ここに書かれていることは、自分の人生にはどういうふうに活用できるか?という視点で読むと非常に啓発的な、最新のリーダーシップの本である、と言ってしまおう。
2007.12.04
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こないだワークショップに参加して知り合いになった人が、 P。センゲの学習会に参加している人の部下だと言うことがわかった。 先週にお会いした人も、知り合いの知り合いということがわかり、 世間は狭いと感じる。 どのルートをたどっても結局誰か知り合いにたどり着くのだなーと感じます。 世界が100人の人しかいなかったら・・・という本がありましたが、 なんか、リアルで世間には数百人もいないんじゃないか?とすら思える錯覚が起きてきました。 スモールワールドネットワークという考え方がありますが、6人介すと世界中の誰にでもつながるという理論ですが(弱いつながりである必要がある)まさにスモールワールドネットワーク状態です。
2007.12.03
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ひょんなことから、ご招待いただき、創立19周年の青山にあるBlue Noteに行って来ました。 なんかおしゃれな場所。 客席とステージが一体となっている感じ。みんなの顔が見える。 また座った場所が、舞台のほぼ横なので、アーティストの横側が見える 出演アーティストは、Orgoneっていう名前らしいです。 Funkって聴いたことないんですが、がんがんに届いてきました。 ギターの人がものすごい入っていく感じが見える。 キーボードの人が軽いタッチで弾いている。 パーカッションがいろんなものを使いながら、リズムに乗っている。 サックスとトロンボーンが時にはボーカルのように歌っている。 ぴったりリズムがあっている瞬間は心地いい。 途中で頭がガンガンになった瞬間があったのだが、リズムに乗って いて頭振っていると、ガンガンなるのは消えていく。不思議だ。 へー。Blue Noteってこういうところなんだ。 帰り際に青い手帳(ブルーノート)をいただきました。 テーブルチャージ結構高いんすね。。 David Sanbornも知らなかったけど、また行きたいです。
2007.12.02
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実はだいぶ前の話ですが、以前私が関わっていた企業のとある人から 突然電話がかかってきた。 仕事に関して、私が引き継いだ内容についての質問だった。 しかし、何を質問しているのか最初わからなかった。 図式でいうと、私が関わっていた会社がA社だとする。 電話をくれた人がBさんで、その会社の取引先がC社だとする。 A社がB社とビジネスをするにあたって、A社はB社に講師派遣を していた。私はその講師派遣のとりまとめをしていたのだが。。。 もう数ヶ月も前に引き継ぎはしていたのだが、不明なことがあると Bさんから私宛に電話が来たのですが、Bさんの質問がいまいち わからない。 C社との書類上のことでわからないことがあるというのだ。 しかし、そのことは、私に聴いてもわからない(笑) A社とC社の書類上のやりとりは明確な決まり事もなく(ある程度 A社の社長と秘書には引き継いではいるが、まだ未確定な部分も 多く、状況報告をしていたにすぎない)、どちらかというと、 A社がリードしながら、C社に提出してもらう書類を明確にしつつ・・ という流れなのですが、Bさんの質問は何を聴いているかがわから なくて、結局の所「それは、私に聴くのではなくて、A社で決めて、 C社にリクエストだせばどうですか?」ということに落ち着いたのですが・・・・ 通常なら、Bさんはだめ社員と言うことになるのだろう。 私もある程度の知り合いだったら怒るかもしれない(笑) ただ、BさんがあるときA社の社長にものすごい怒鳴られていて(講演 の当日に)、「いつも、おまえはわかっていると言っているじゃないか!」という感じで怒られていて、何というか、萎縮していたのを 思い出した。 Bさんがすっとんきょうな質問をしてくるのは、当然、Bさんの気が利かなさにも原因はあるでしょう。少し考えればわかることだからだ。 しかし、もう離れて数ヶ月も経っている私に連絡してくるというのは、よほど追い詰められているのだろうな、と思った。 言い方が悪いがA社は、社員を使えなくすることで有名である。社員で数年も定着することはない。確かに「優秀ではない」社員をビジョンで引き寄せて安くやとって、それで、その人たちが「使えない」と嘆いている。私も何人もそういう人を見てきたが、確かに社員側にも問題がないとも言えないのだが、ダブルバインド的なコミュニケーションを多用する経営陣側にも問題があるのだと思う。 コーチング的にあっさり切ってしまうと、「そういう不誠実な人を現すパラダイムがある」とでもなってしまうのですが、必ずしも、優秀じゃない人ばかりではなくて、それなりに優秀な人も、ある時を境にその会社にとっては不満分子となりやがてやめてしまう。(ある意味、「クビ」を言わないが、実質追い込むという構造だ) まだ一般の会社ならともかく、教育系の会社(研修やらコーチングやらコンサルティングやら)だから困るなーと思う。 私はたまたまその会社の内情やら何人かのやめ方をしっていたのでそういう外面の良さと、内部事情のギャップを知っているのだが、ある意味、社員が活き活きしていても、実際は活き活きしていない社員が全部やめてという会社もある。離職率70%以上もの実績(?)がある会社でも、残っている社員はある意味、鍛えられているのかどうかは不明だが、元気に見えることもある。 自分自身もそうやって本当は「使える人」を使えなくしているケースも多々あるのだと思います。でも、それにしても、悲しい出来事であった。何が悲しいかというとその社長が何年もの間「人を力づけていない」という事実に気づいていながら、根治をしていないということに対して悲しさというか寂しさを感じるのだ。
2007.12.01
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