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作ってみました。昆布巻き。日系スーパー売られている昆布巻きもかまぼこと同じく高っ!!!てことで家にあった地元の昆布で作りました。日本の昆布ってほこりをふき取って鍋にポイッと投入すればダシが取れます。以前、健康食に目覚めた私は味噌汁のダシに使おうと香港で売っている「海帯」を買った所なんと思いっきり砂付き、ゴミ付き・・・--;;ダシには到底使えない代物なのです。ですが昆布巻きはなかなかの出来具合♪ちゃんとニジマスも使ってますし♪日系スーパーで売っている1本「55ドル」の昆布巻きより大量にできて安くあがりました。安く誰かに売ってもいいかも知れない。さて、今日は大晦日です。今年はブログを立ち上げて日々の楽しさも倍増しました。世界各地、様々な所でがんばっている方の存在や価値観、人間性に色々と触れることができました。そして、私のブログにリンクしてくださっている方々、見に来てくださっている方々、偶然にも私のブログにたどり着いた方々私を知ってくださってありがとうございます。また、来年、心を入れ替えて何かを向上したいと思います。「何かとは何か」と聞かれれば未だに模索している私は地に足が付いていない感じで危なっかしいことばかりですが早く見つかることを願うばかりです。皆さんにとって来年もかけがえのない良い年になりますように。よっし!やるぞ~~~!!おうっ!では、皆さん、良い年をお過ごしくださいませ。
2005年12月31日
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シャムスイポーの電気街が終わりを告げる頃、電気街と交差する通りで闇市が行われているらしい。私自身、その闇市とやらに行ったことはないのだが義父はそこへ散歩がてら行っており私を連れて行きたい所でもあるらしいのだ。なので、耳がたこになるほど闇市があると聞かされる。そこに来る人達は懐中電灯を片手にひっそりと売られている品々を品定めをするらしい。パパさんの話によると売られている中にはなかなかの骨董品もあるらしくもしかしたら盗品かも知れないという。(*パパさんの個人的意見なので信憑性はないが)そして、私がシャムスイポーへ行く時に通る道にはホームレスが拾ってきたであろうガラクタが山済みになっている。以前、パパさんにもしかしたら?と聞いた所、「闇市で売っているんだよ(笑)」と、笑って答えていた。ゴミだよね?!*****************************今日はタイクーシンのUNYとジャスコに行って来ましたよ!ジャスコの人の多さと活気さに日本の年末の騒々しさとダブります。う~ん、正月って感じだね♪
2005年12月30日
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あと2日で2006年!ってことで香港でも日本のお正月気分を味わおうと食料品買出しにジャスコへ行って来ましたよ!あれとぉ、これとぉとかごに入れてたらあっっっっちゅう間に500ドル。そんなに買ってないんだけどなあ・・・やっぱり高いねぇ。日系スーパー。かまぼこが21ドルって!!!紅白2本買いたかったけど高いので1本どまり。紅の部分剥けば紅白になるかな・・・なんつって。ケチってカニカマにしようかと悩んだけどお正月にカニカマって!!!あほっぽいから止めときました。そうそう、日本酒も買ってみましたよ。オヤジみたいに紙パック。「ワンカップ」でもいいかなって思ってたのに売り子さんに勧められるがまま2L買っちゃった。日本に居ても日本酒飲まないんだけどね・・・そこで焼酎やら泡盛やらも勧められ試飲させて頂きました。泡盛と思ったら焼酎。しかもアルコール度数25%25%ものアルコールをストレートで飲ますのか?てか、ストレートで焼酎飲まないし。お陰で具合悪くなっちゃうし。ジャスコでヘラヘラしてる酔っ払い見た人、それ私ですから。それにしても巷は旧正月だからお正月気分にならないし。
2005年12月29日
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香港の街角ではワイヤレスマイクを使って実演販売をしている売り子を最近よく目にするようになった。ミシンとか水分をよく吸う布巾とか内側にいながらにして両面をきれいにするガラスクリーナーとか ←(これ欲しい!)髪の毛まできれいにぬぐい去るモップとかぶどうの皮を剥くピーラーとか他にも色々とあるのだが興味深いものがある時は立ち見をしたりするのだ。時に、勢いで買ってしまった蒸し器に入れた熱いお皿を持つ器具を20ドルで買ったはいいが後に5ドルで売っていた!ってのはとても悔しい思いをしたが顔にも蒸気が当てられる!という服のシワ伸ばしはシミを作ってしまったがまずまず使えるし皮付きでも潰せるにんにくマッシャー!を値切って買ったというのに似たヤツがもっと安く売っていた、な~んて実演販売で買うと損することが多いらしい。今日も街角で実演販売していた。ふかひれが売られていたので立ち止まって見たのだがすでに先にいたお客の2人は自分で袋に詰めていた。だが、だが、袋に詰めている1人の客の袋がとっても古びておりくしゃくしゃとシワだらけ。なんだかとっても胡散臭く思った私はその場を離れた。他で買い物をしてまたさっきのフカヒレの露店の前を通ると先ほどのお客2人がまた最初からフカヒレを袋に詰めている・・・・--;そう、やっぱりこのお客二人はサクラだったのだ。何を隠そう香港の実演販売の約半数か1/3はサクラ付きなのである。
2005年12月28日
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旦那・豊と付き合ってからも結婚してからもクリスマス・年越しは日本だった。2人で過ごした年もあれば別々だった年もある。それに、なんといっても香港でのクリスマスは初めてだ。香港のクリスマスがどんなものなのか少々興味もありワクワクもした。そして、極めつけは豊の勤めている会社の人からイヴの日のクリスマスパーティーのお誘い♪この話しを聞いてから私はむしょうに行きたくてたまらなかった。だって、だって、その人が住んでる所ってセントラルなんですもの!!!!アーバンなお宅を是非とも拝見したいのっ♪そしてハイクラスのお宅のクリスマスパーティーとやらにも是非とも参加したいのよっ♪24日当日、豊もパーティーに行くつもりで100ドル以内のプレゼントを用意するも豊は朝から一人で酒盛り・・ーー;待ち合わせの6時までには酔いを醒ますから。と1人でビールを5本空けやがった。仕方がないので私一人でクリスマスプレゼントを買い後は約束時間まで豊の眠りを待っていた。5時。シャワーを浴びなきゃいけないので起こすがもうちょっとと言って深い眠りに落ちる。5時20分。ここからセントラルまで30分と見込んでも間に合うかどうかでヒヤヒヤするが起こしても起きず。5時半。先方から電話もあるのにヤツぁ出ない。約束時間は6時半だと抜かし出す。6時。先方から電話。居留守でヤツぁでない。とうとう私はキレて爆睡しているヤツを叩き斬る。私。しばし号泣。。とても行きたかったクリスマスパーティーにカスリもしなかったことに私は落胆するしかなかった。そして、約束時間が過ぎてから先方からの電話も来ることもなく私達は欠席者として扱われたものと捉えられ初めての香港のクリスマスが、初めてのアーバンなクリスマスパーティーが、木っ端微塵に酔っ払いの豊によって粉々に砕かれたのだった。時間も流れ意気消沈の私の腹の虫も鳴き出した。仕方がないので寝ている豊が食べてくれるかはわからないがご馳走を作り始めたのが7時・・・スポンジは焼いてあったので(*参照「良き妻を演じてみる」)生クリームを作りスポンジにペタペタ塗りたくった。虚しく作ったディナーちょっと公開BGMを流し、ロウソクに火を灯し料理も出来上がったので爆睡している豊を起こすと「まだいらない」って!!!!(怒)結局、食べ始めた時間は9時半だった。(泣)でも、ロウソクの灯ったご馳走を見て豊は何を思ったか部屋の明かりを全部消した・・・--;一つのロウソクじゃ暗すぎるんだよ!!ま、私に悪いことしたと見てムードを作ってくれたんだろうけど何故か豊はパンツ一丁だ。ムードぶち壊し。でも、食の進む美味しいご馳走とプレスリーの曲で私の心も和んだその時だ。「楽しみにしていたクリスマスパーティーに連れて行けなかったから1万ドル(約15万円)プレゼントするよ」だって!!!ま、しゃーない。許してやるか。(ニヤリッ♪)美味しい食事も終わり先方にお詫びの電話を居れた豊。そしたら、「今からおいで!」だって!もう11時だよ???超特急でお呼ばれしたお家に行って参りましたよ!!!とっても素敵な家だった♪そして、来ているお客の賑やかなこと!深夜1時になってもカラオケやってるし!!近所迷惑じゃないですか?(汗場慣れしていない私は少々小心気味。2時に帰って来たけどなんかどっと疲れてしまった。「結果連れて来て上げたんだから1万ドルはなしな!」って豊。そ、そんなぁ・・・(泣)初公開!bebe夫婦!!
2005年12月25日
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ちょうど今から9年前の今日、私と彼は出会った。友達とよく行っていた居酒屋のマスターに頼んでコンパを開いてもらったのだ。年頃の女が一人クリスマスを過ごのはなんとも虚しい限りである。そんな寂しさも吹き飛ばす如くマスターに頼んだのだった。「デブ、ハゲ、ちびのどれがいい?」とマスターが聞いた。コンパを開く前からそんなこと言って笑いをとる。これはきっとマスターの笑いのセンスなのだと信じて疑わなかったのだが25日、当日現れた3人は本当に将来的にハゲそうな私より背の低いジャンパーなしでも暑そうなジャージ姿のデブ3人が揃ったのだ。私達女の子3人は少々顔を引きつらせマスターおごりのシャンパンで乾杯した。マスターが言ったまんまの3人が揃い私は「今日が楽しければいいや~がはははは~~」のつもりで人のグラスのシャンパンまで飲み干し前半から快調に飛ばしていた私は1時間もしないうちから既に記憶を無くしていたほどだ。記憶にあるのは彼と私の兄が同級生でありそのことで私は馬鹿にされ1本電話をかければ5万円入ってくると彼の自慢話を聞かされ席替えで隣に彼が座りテーブルの上で灯るロウソクを彼がひっくり返し私のスカートに蝋がこびりついてしまったそれくらいしか覚えていない。そこで彼と何を話したかなんて全然覚えちゃいないのだ。2次会のスナックでカラオケをし彼の歌っている所に乱入し2人して「ラストクリスマス」を歌い友達とパフィーの「アジアの純真」を歌ったっていた時に彼は私に恋心を抱いた。(と後から聞いた)そんな私達が付き合い始めるが彼は台湾、香港、日本を行き来する。日本を旅立つと2ヶ月は帰ってこなかった。その間にも私達は手紙やFAXを送ったりしていたのだがそんな折、「出会った日に出会った場所で再び会おう」という手紙を彼からもらい連絡が途絶えた。'97年12月25日、もらった手紙のように私はマスターの店にいた。彼と出会った時と同じワンピースを着て。髪型だけが月日の流れを変えていた。出会った時と同じように新鮮な気持ちで再び会いたかったのだ。彼が今どこにいるかもわからない。でも、心のどこかで何かを賭けていた。彼は来る、と。入り口の扉が開くたび私の心が小躍りし、緊張したが彼は現れない。時々、マスターが私に気を使って話しかけてくれるが女1人客は珍しく話しかけるマスターにも緊張が走った。1時間経ち、3時間経ち、時間も遅くなったので勘定を済まし店を出たのだった。マスターの店の閉店後誰もいない店に「ジジジ・・・」と1通のFAXが届いた。彼からの私宛のFAXだった。「メリークリスマス!僕達はこの日にここで出会ったんだね。僕はここにいるよ。そして、僕は君を愛している。永遠に。」後日、何ヶ月も連絡を途絶えていた彼からの英文で書かれたこの手紙を受け取り彼も私と同じ気持ちだったのだと私は一人涙したのだった。毎年クリスマスのこの日になると'96の今日を思い出す。そして、その彼はというと今、私の隣にいる。
2005年12月25日
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この間、義父から電話があった。「今日上京するけど手紙で送ったの欲しいかね?」手紙??なんのこっちゃわからないので話をきくと「それを飲めば子供ができるという薬の資料をこの間日本から送った」ということだった。まだその資料が届いてないのでどんな薬かと聞くと「マゴだよ。」孫?????香港に居ると日本で流行っているものが浦島太郎状態になるのでまた知らない間にアルファリポ酸のように新しいモノが流行っているのだと思い「また資料が届いてから検討します」と伝えたのだった。そんなことも忘れた頃孫なる資料が送られてきた。やっぱり「マカ」でしたか・・・ーー;なんとなく違うって思ってたけどマゴってネーミングも、ねぇ・・・ ←(飲んだら老け込みそう)そういえば、台湾のおじさんの友達と名乗る人から「この薬を飲めばすぐに子供ができるよ!」と言った内容の電話があった。台湾に行く予定がないので親戚の家に持って行っておいてくれって頼んだのに送られてきたのはもうすぐ私と旦那の子供が生まれるんだってねいつ生まれるの?と言った内容のメールだった。人の噂話するより薬送ってくれっ!
2005年12月23日
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今日は朝からハリキリモード。前日記で触れた機能を使いこなせないオーブンレンジを使って良き妻を演じよう。ってことでケーキを焼いてみました♪卵とグラニュー糖を爪楊枝が立つまでかき混ぜます。その作業の大変さったら腕痛すぎ!!!!オール電化の時代に手動の泡だて器を買ってしまった。なんてアナログなのだ。良き妻を演じるためにフリルの白のエプロンをつけクリクリカールヘアーに気を使いナチュラルメイクをモットーに、極めつけは夫の帰宅時にはケーキを持って笑顔でお出迎え。とはいかずにシミの付いたエプロンにジャージ姿ボサボサ頭に落ちかけのメイクにくまがよく映えていると言ったところが現実だ。こんな私に成り代わっても旦那は私を愛してくれている(うふ♪)さてさて、良き妻を演じるためにケーキを焼いたのだがヘンテコオーブンレンジの所為でかなり手間取った。手動でふわっふわになるまで卵を泡立てたはいいが溶かしバターを入れた時点でスポンジとなる生地が縮んだ。コンビ(グリルとレンジの混合)機能で焼いてみたらスポンジがカッチンコッチンに。ま、型に流しいれた時点からすでにぺったんこだったから仕方がない。コンビ機能を使ったらアルミの型がバチバチいってたし・・・大丈夫だろか?アルミ型を見てみると溶接したように黒くなってる。レンジ壊れたら今度は温度調節できるのが買える。バチバチ言わせちゃおうかな。うしし・・途中、卵を買い足しに出掛けたり腕がヘロヘロになりながら泡立てたが結局3回焼きなおして2回目と変わらない膨らみとなってしまった。もう疲れたので3回目の正直で強制終了。そして、バリバリにがんばってご馳走のために買い物しまくってワインもビールも買って冷やしいざ作ろうとしたら今日はクリスマスパーティーはしないそうだ。良き妻を演じるために私は怒らず今日はもう何もしない。
2005年12月23日
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私は意外に料理が好きである。だからって日々料理研究などはしておらず日々のおかずのマンネリ化は否めない。時にちょっと豪華なご馳走を!と思ってもあまりの安さで衝動買いしたオーブンレンジが温度調節ができなかったりチキンの丸焼き用のローストしかなかったりで半生のミートローフを旦那に食べさせちゃったり出来上がったシフォンケーキがカチコチに焼き上がり食道につっかえてしまったほどだ。レシピを見てもこんな無様な形で終わってしまう私の料理に私はなんだかまるで料理音痴になったかのようだ・・・そして、極めつけは深底鍋で肉を炒めてスープを作ろうと鍋を熱して油を入れたら・・・ファイヤー!!!!!高級料理屋の厨房に立っているくらい私の目の前で炎がメラメラといっている。←(高級料理屋じゃなくていいのだが)またしても私の中の出川が「やばいよ、やばいよ」と言っている。(*前回の「やばいよ」)目の前で炎を見たのは実家で卵焼きを作った以来だ。私はすかさず水道に手を伸ばした。いや、油に水は駄目だ水を入れたら油が跳ね上がって火が大きくなるそこで、次に手を伸ばしたのはふきん。カラカラに乾いた布巾を被せたところで鍋の中で布巾を炒め焼きにするだけだこれも炎を大きくしてしまうこういう判断はできてもこれから何をしていいのかわからずに私はただただ、何もできずにおろおろしていた。その間にも鍋のからは火がでている。一刻を争う時に私は何をしようとしてるのだ?少し冷静になって考えなくては・・・としばし炎を眺めそして、思い立ったようにシンクにしまってあった鍋の蓋を出し、鍋の中であがった炎を一酸化炭素中毒で殺すが如く蓋を閉めた。鍋から煙が立ち込めたので今しがた一酸化中毒で殺してやった炎をお見舞いしようと蓋を開けたら・・・しぶといヤツだぜ・・・妖怪アメーバーのようだそして、また蓋を閉じ鍋ごと流しに持って行き水でジャーーーと炎のクビを絞めたのだった。それからというものの熱した鍋に油というコンビネーションが怖くなった。だけど、いくら料理音痴になろうとも深底鍋から炎を出すというはありえるのだろうか・・・
2005年12月21日
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旦那の部下からタイのお土産でもらって以来また食べたかったお菓子をやっと見つけました!!!乾燥ドリアン!!!!ドライフルーツみたいにまったりガッチガチじゃなくて←(意味わかる?)さくさくなんです!!!100%ドリアンのまんま。めちゃうまい!!!もし、試したいっ♪って方がいらっしゃるならタイ食材屋さんで見つけてください(笑)これなら日本に持って帰れるぞ~~~♪おうっ!*ドリアンとビールの食べ合わせは良くないと言いますが、2つ同時に食べたことあります。が、何も起きませんでした。チャレンジャーbebe!がははは・・
2005年12月19日
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今、香港ではWTOに抗議するデモが連日続いている。そして、新聞やニュースなどでデモ隊と警官との衝突現場を流している。WTO閣僚会議が始まった13日、デモ隊の集合場所であるビクトリアパーク付近に私は出没してしまった。しかも午後1時に、だ。あちこちにpoliceテープで仕切られ警官があちこちに立って規制をしており緊迫が漂っていた。そして、カメラを持ったテレビ局の人達やマイクを持った白人がこれから起こるデモ中継のためにスタンバイをしていたのだった。↑(コメント求められたらどうしようと焦った!)ビクトリアパークからスピーカーを使ってのWTOに対する抗議が始まっており騒々しく聞こえてきた。それはまるでWTOに抗議する群集の闘争心を掻き立て、群集の一致団結を図るかのようでもあった。リュックを背負った人達がぞくぞくと公園の方へと歩いている。私はIKEAで買い物をする為その人達と同じ方向である公園に向けて歩いていたのだがデモ隊と間違われていたかも知れない。(しかも、アーミー柄のジャンパー着てたし。関係ないか・・ははは・・)そして、昨晩、デモ隊と警官隊とのLIVE中継をテレビでやっていた。だか、映る姿は警官隊の最後尾。警官隊の黒ヘルメットの山とデモ隊の旗しか見えない。中継を見る限りとても穏やかなデモだ。う~ん、腰抜け過ぎる。なんとも腰抜けなカメラマンだ。日本の動画ニュースを見ると警官隊とデモ隊が対立しあう現場まで潜入して撮影しておりカメラマンも放水銃をくらっていたほどなのに。LIVE中継から察するにデモ隊がまるでお祭りでも繰り広げているかのようにも見える。旗を振り振り、太鼓で警官隊を威嚇する。しかし、警官隊の最後尾しか映っていない映像はお祭りを見に集まった黒ヘルメットの群集にしか見えないのだ。そして、デモ隊の気分が高揚すると同時に太鼓の叩くテンポも速まり警察隊がそわそわしだすのだ。太鼓といえば、このデモ期間中にWTOに反対する白人をモンコックのMTRで見た。彼は布で作ったプラカードを持ち肩からおしゃれなボンゴをさげホームで待つ乗客に向かってボンゴを鳴らしていた。すると、すぐさま駅員がすっ飛んできて注意すると長髪の白人は顔を赤らめ駅員の目を盗んで最小音量の音でボンゴを叩き出したのだ。赤面するなら止めればいいのに。電車に乗っても彼は小さな音でボンゴをバチバチ叩いていた。その間も恥ずかしいのか彼の顔は赤い。電車に乗っている間、あまりにもの彼に注意を払っていたため私は降りる駅を間違え金鐘から中環まで歩いていく羽目になってしまった。(どの出口に出ていいのかまたしても迷子になってしまった)話しは逸れたがLIVE中継から聞こえる警官達に威嚇する太鼓の音。太鼓の叩く早さに加え次第に音も大きく鳴り出した。警官隊もそわそわしだしテレビの前でかじりついていた私はおおっ!突撃がこれから始まるかっ?!などと少々わくわくしていたがテレビに流れる映像は相変わらず黒ヘルメットをかぶった野次馬達しか見えなかったのだった。デモ隊は遅くまでドンちゃん騒ぎをしていた。バスも電車ももうとっくに終わった時間だ。タクシー儲かるな・・などとデモとは全く違うことを考えていた私だが九龍サイドにある私の家に太鼓を叩く音が聞こえてきた。デモ隊の一部は終電に間に合うように帰ってきたようだった。海にプカプカ浮かぶデモ隊を救出した警官隊。催涙スプレーを浴びたら後ろに下がって水で目を洗い警察隊から取り上げた盾を使って放水銃に立ち向かうデモ隊の2人。だからって何かをするわけでもなくただただ水を浴びていただけだ。なんだか、まぬけなデモ隊ばかりで苦笑いしかできないな・・・そして、今回、韓国からわざわざ来てデモに参戦してるデモ好きの韓国人の多さには笑えたが韓国人のよくやる焼身自殺がなくてよかったとも思う。
2005年12月18日
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私は万引きなんてしたことがない。高校の時、友達に「万引きしないなんて有得ない!!!おかしい!!変だよ!!!」だなんて自分がしたことあるからと他の人が万引きをしないことに変人扱いの言われだがしたことないんだからいいことじゃない。そして、万引きをしたことがないと言うのが私の自慢であり誇りでもあった。だが、私は保育園児の時分に母親の目を盗み母親の財布から小銭を抜き取っては焼き鳥を近所のにーちゃんと買って食べていた。昼間っから焼き鳥をむさぼりつく子供だなんて酔っ払ったオヤジそのものだ。そして、小学生の時は台所の引き出しの中にあった100円玉を隠し持ち登下校時の買い食いを禁止していた小学校だが下校時に家の近くの自動販売機で友達と一緒にジュースを買ったこともある。その買って飲んでいる瞬間を後ろから車で走ってきた母に見つかりこちらを一点にギロリと睨むその目があまりにもの鬼婆のように見え私はあまりにもの恐怖でプルトップを握り締めたその手から血を出してしまったほどだった。(家に帰ってからの無言の母がとても怖かったのを今でも覚えている)無知の子供時代には野蛮なことを平気でしていた。あの、鬼婆のような目で睨みつけられたその日からは私はちゃんとbebe母の了解を得てから財布からお金を抜き取るようになったのだ。うん、いい成長だ。さて、これから本題に入りますが「私は万引きをしたことがない」。かなり前、市場で買い物をしたのだが買い忘れたものを思い出して近所のスーパーに寄った。市場で買うとそれはそれは両手いっぱいの荷物になりスーパーに入るなりその買い物袋をカートの中に入れて買い物をするのだが細かい入用のものをこまこまとカートの中へ入れた。そして、レジを済ませ市場で買った袋や今しがたお代を済ませたばかりのスーパーの買い物袋を持って帰ろうと思った瞬間!ゴロンと玉ねぎが転がった。確かにカートに入れたのは覚えている。だが、これはお金を払ったのか?私はしばしその場で立ち尽くし考え込んだ。この玉ねぎは今晩に使いたいから玉ねぎがないと困るんだよな・・今更レジに並んでも夕方時ときてレジの前は長蛇の列だし・・・横からレジのおばさんに「このお代済んでいませんでした・・」って広東語知らないし、並んでいる人にも反感買うだろうな・・・両手いっぱいの買い物袋をぶら下げてレジに行くのも面倒くさいし・・・だけど、玉ねぎがないと困るんだよな・・・玉ねぎ一個1、2ドル・・・う~~ん、う~~~~ん、と考えた結果、カートに残された玉ねぎは買い物袋から転げ落ちちゃった(てへっ♪)てな具合のシチュエーションを自ら工作し「買い物袋から転げ出ちゃったよ~~~」の表情をして市場の買い物袋の陰になってPOSに通らなかったカートの中に残った1つの玉ねぎをそっとそ~~っと、スーパーの袋に仕舞い入れた。やっちゃった!!!!!「私は未払いの玉ねぎを持って帰って来た事がある」。もう、自慢にはならない。
2005年12月17日
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今朝方、まだ起きる時間にはまだちょっと時間だある時だった。旦那・豊は「寒い寒い」と言いながら私のほうへ擦り寄ってきて足を絡めた。ここ2,3日寝る位置を左右逆にした私達だがなれない所為か、はたまた豊のいびきがうるさいからか←(私の右耳はよく聞こえるようだ)最近の私は浅い眠りになっている。そして、豊が私の足に絡めてきて私はすぐさま眠りから覚めてしまったのだが90度に曲げた片足を私の両足の上に置き豊はこんなことをのたまった。「さば味噌煮」はあ?さば味噌煮??すると、今度は私の方へ向き直り右足と右腕を私の体の上に置き「ホットドック」・・・・・そして今度は上を向き左足の膝を立てて寝ている私の体に立てかけて「刺身」(笑いをこらえながら)・・・・・「お前はつまだ。俺のつまでありつまなのだ。」(刺身の「ツマ」と「妻」をかけている)(本当は起きているが)横たわって寝ている私の体までを重なるさば味噌煮にしてみたりパンに挟まるソーセージにしてみたり刺身の大根のツマにしてみたりとおてんとうさんのお目覚め前からあほな事をやらかす旦那だが夫婦揃って「欽ちゃんの仮装大賞」に出た気分になってしまった。(私は特に何もしてませんが・・・)
2005年12月16日
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きゃ~~♪今買い物から帰ってきたらワゴン車の荷台に檻に入った猫ちゃんや仔犬達が沢山乗っていましたよ!子猫たちの「ミャ-ミャー」鳴く声。かわいい~~♪トイプードルやパグ、鼻筋の通った高そうな犬まで!癒されるわ~~♪業者なのか買い付けに来た人はかごの中にじゃんじゃん押し込んでた・・--;そんな物を扱うような姿を見たら以前、雑誌で見た不良ブリーダーの実態を思い出してしまった。金儲けの為だけに血統犬を繁殖させ檻の中に不衛生に閉じ込め死んだ犬もそのまま放置。ガリガリにやせ細った犬が歯をむき出しのまま横たわっていた。そして、ミックスしすぎて先天性異常の犬まで生まれたとかもあった。本当に酷い事をする人達がいるものだ。私も子供の頃から犬を飼っていたとあって犬はどんなに飼い主に甘えたくてどんなに構って欲しくて仕方がないことは知っている。飼い主が怒っても名前を呼ばれると犬は尻尾を振って近寄ってくる。これは信頼がなければできないことだ。今、癒しの動物はとても人気がある。だけど、そういった中にも不良ブリーダーによって粗末な扱いを受けている犬がいると思うとなんとも可哀想で心が痛む。そして、こんなことを思っていたらさっきまでミャ~ミャ~との鳴き声で癒されていた檻の中に入れられた何匹かの子猫達が以前、広州に行った時の市場でこっちを恨めしそうに見つめる檻に入れられた子猫とダブってしまった・・・可哀想・・・(T_T)
2005年12月15日
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昨日、旦那・豊が会社近くの歯医者に予約したから行くか?と連絡があった。その後でラーメンでも食べようって。食べ物に釣られて行くと返事したはいいが豊が病院へ行く時はいつもなぜか私も当たり前のように連れて行かれるのだがそんなに心細いのか?そして6時15分にチュンワンの競馬場で待てとまるでスパイ仲間の合言葉のように一方的に言われて電話を切られてしまった。「チュン湾に競馬場なんてあったんかいな?」なんて思いながら香港街道地方指南(道や建物を細かくかかれた地図)を開いてみたがレース場なんて見当たらない。レース場なんてないよと電話をかけたら「馬會(=ジョッキークラブ)だ。マーウィだ。一つしかない。人に聞け」と電話番号案内のオペレーターからコンピュータ声に切り替わる速さでまたしても一方的に言われて切られてしまった。ちょっとは質問させろよ・・・ーー;地図で再び確認すると「賓馬會徳華公園」を見つけた。そこに行くにはMTRのB出口だ。それだけを頭にいれ街でブラブラしようと約束時間よりかなり余裕を見て出掛けたのだった。チュン湾駅からB出口へと進む。行くにつれてB1、B2に分かれている。適当に進んだらモールの中へと入って行き、2つ目のモール、3つ目のモールと通り抜け外に出てみたら賓馬會徳華公園とはまったく正反対の辺鄙な場所に出てしまった。地図を持って来て正解だった。来たモールを引き返したのだがなんせかんせ夜になると自分がどこにいるのか全く皆無で方向音痴になるのだった。そして、地図を見ながら行ったら公園発見♪確かに「馬會」と書いてある公園でしかも出入口が2箇所ありそうだ。どっちの出口かちゃんと言えよな~なんて思いながら表出口に向かうと馬券売り場がない!!!!えーーー!!!ここ、確かにマーウィだよね???そして、豊に電話かけるにも公衆電話もコンビニも見当たらない!!!時間はもう6時を回っていた。買い物どころじゃないじゃんよぉ・・・本当にこういう緊急時って携帯電話の必要性を感じる。だからって携帯を持ったところで誰からも電話がかかってこない私は友達の少なさにきっとうなだれるのだが・・待合場所には少々範囲が広すぎる。豊はどこで待っているんだよ~~~~!!!(涙)時計はすでに6時9分をさしていた。あたりはすっかり真っ暗で香港に来てこれほどまでに心細くこれほどまでに不安になったことはない。できるなら放送で迷子のご案内をしてもらいたかったくらいだ。私はしばらく半べそをかきながらあたふたと立ち往生していたがもしや?と思い直した。馬券売り場が他のどこかにあるのか????賓馬會徳華公園から出てきたおっちゃんに馬會はどこか?と聞いた所で「ここだ」って言われるだけに決まっている。私はその場所からとにかく離れ電話を探して豊に電話しなくてはならなかった。公園から離れたはいいが電話が見つからない。そしてコンビニも見つからない。もう6時15分が過ぎ豊は私を放ったらかしで歯医者の中に行ってしまったに違いない。自分のことを棚にあげてもっと機転を利かせて私を迎えに来てくれよと私の願いも届かず私はさまよい続けた。電話を見つけ豊に電話したら今治療中だから後にしてって!!!!まだわたしゃ待ち合わせ場所にたどり着いてないんだぞ!!!馬券売り場なら馬券売り場だって言ってくれないから公園に行っちゃったじゃないか!と強く言えずに道路名を聞いた。「沙咀道だ」なぬ?知ってるんだったら最初からなぜ言わぬ?競馬場って言ってみたり馬會(マーウィ)って言ってみたり人を混乱させやがって←(勝手に公園と決め付けたのは私だ)最初から”沙咀道にある馬券売り場”って言えば半べそにならなくて済んだのに!!!と、私の早合点を思いっきり豊の所為にし優雅にブラブラと買い物~♪も結局出来ずに血相を変えた私が馬券売り場(馬會)に到着したのは約束時間から45分遅れてのことだった。
2005年12月15日
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最近「菊次郎とさき」というドラマをDVDで見た。北野武の両親を描いたドラマだ。父親(陣内孝則)の気の強いようで弱いところがとても面白い。そして、母親(室井滋)はというと最近亡くなったと記憶しているがたけしがとても憔悴していたのを覚えている。自称マザコンと言っているたけしだが人間味と息子を突っぱねながらしかし見守ってたけしを応援するたけしの母親が見れてよかった。ところで、ついこの間、シャムスイポーへと行ってきた。シャムスイポーは色んな卸問屋があるのだが今回はちょっとブラブラと洋服を見に出掛けた。でも、なぜだろう?誰が買っていくかは知らないがシャムスイポーで売っているほとんどの洋服が古めかしいデザインと色彩の洋服が沢山売っている。だが、私はそこでたけしを見たのだ!コマネチ!*またしても盗撮です!店の人が怪訝な顔でこちらをながめながら私の撮影の邪魔をしてたりしました。店の奥からやってこようとする女性が来る前に退散!!!!!怖かった!なんか、スクープ撮った気よ・・・
2005年12月11日
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う~~~・・今日と言う今日もやられました!昨晩、一晩のホテル代はカスタマーが払うからbebeもホテルに泊まらないかということで私もホテルで泊まってきましたよ。え?何のことって?前日記引き続き台湾のおばさんのことです。来港前日、一睡もしないで香港に来たというおばさん。さすがに夜になると眠気に勝てなくなり1時間だけ寝るから~と私が持ち寄った碗仔[魚支]とおばさんが台湾から持ってきた粽を食べて横になったおばさん。私はその間、うるさくなるからとテレビを消しまぶしいからと部屋の電気を消してあげスポットライトを当てたベッドの上で私はホテルにあった読めない観光案内をぺらぺらめくりながら時間を潰していた。そして、1時間半が経ち、起きそうもないのでそのまま寝かせておいてついでに私も朝まで眠ったのだった。来港初日の夜の食事を碗仔[魚支]で終わらせてしまった私はせめてもと思い朝飲茶で満足してもらおうと待っていたら、朝から忙しくしているおばさん。いろんな所に電話をかけたりスーツケースに荷物をいれようとしている途中でパソコンを広げたり。本当は今日、お客と一緒に大陸へいく予定だったおばさん。だが、朝になってイミグレーションに確認を取ったらおばさんのビザはonewayだから大陸に入ると香港に入境できないと言われ自分の帰りの飛行機に合わせ明日中国入りすることにするというのだ。なので今日は1日中フリーになったというかビジネスで来ているお客までもフリーにさせてしまったおばさん。ええ?!香港に来る前に確認しないんですかぁ?そして、パソコンを広げたら打ちもしないのに[y]だけが連打されるというのだ。香港に来る前から壊れていたのだろうか・・だったらなんでわざわざ壊れたのを持ってくるのだ?「caps lock」キーを押し続けておばさんは作業をしていたのだがあまりにも大変そうなので代わって私がそのキーを押さえてあげたのだがなんせかんせ、作業がトロイ・・・疲れた私の指を左右交互に代えなくてはならないほど作業がトロイ。←(合計4本使った!4本でローテーション)メール確認なのに今そのメール開いただろうっていうのをまた確認してみたり・・・・そして、電話をかけるからと「skype」を立ち上げてなぜだか、アップデートをしている・・--;人に迷惑をかけているのだから台湾に帰ってからゆっくりとやってくださいと言えずに「caps」キーをずっと押さえながら心の中でつぶやいた。そして、作業を終え、パソコンの電源を切ったら「あ!もう一つ電話するの忘れた!」って!!!あー、はいはい、またですか・・・--;で、私はまた当たり前のようにcapsキーを押し続けおばさんはと言うとまた先ほどのメールをまた開き1つ1つ確認をしてるのだ。だから、それらさっきみたやつじゃんよ!はぁ・・・疲れる・・・--;てか、作業している途中に「おばさん、朝食べないの」って言われた日にゃ、お昼に待ち合わせだかしてとっとと帰ればよかったと後悔したのだった。そして、私の腹の虫は一人で爆走し始めおばさんの耳にまで聞こえるほどに。笑って「お昼飲茶しましょう」と言うおばさんの言葉を信じまたしても中犬ハチ公の様に待ち続けた私。(*参照「置き去りにする女」なのに、なのに、結局飲茶にありつけたのは2時近く・・・--;;チェックアウトの時だって昨日のフロント捕まえてフロントの顔が引きつるまで延々に何かを話し込んでいた・・・う~、どこまで自分勝手な人なんだ!シャムスイポーに行くついでに豊のリクエストで電脳商場に一緒に行ってもらったら遥かにおばさんの所用が多い。で、帰りに型の古い携帯電話を見かけてはやす~いと言っては品物を見せてもらっていた。電池がないからとその場でチャージャーをしてもらって居る間おばさんはその携帯片手に固まりながらしばしチャージャー待ち・・・まるでフルになるまで待ってる勢いだ。え!チャージャー差し込めば使えるじゃんよ!!!そして、ポボモモ?(台湾の発音記号?)はないって言われたのにも関わらず2機種の携帯をじっくりじっくりといじっていたのだった。(で、結局買わずじまい)その場で約40分は待ったぞ!なんだろう。おばさんはいい人なのだけど何か計算高いところがある。「自分は損しちゃいけない」というような。おばさんの荷物を代わりに持ってあげたらそのまま私が持つ羽目になったし(ま、好意で持ってあげたのだが代わってあげると言ってくれてもいいようなものなのだが・・・)豊が会社の人と飲みに行くと一晩で約2000ドル使うのよ~って言うと「え?6万ドル給料もらってるの?」って←(そんなわけない)2000×30って計算してるし驚きの表情を見せると同時に何かを企んでいるようでもあった。ほとほと、この2日間はおばさんに振り回され続けてしまった。やはり、自分の時間は自分のために有効でなくては自分がとても無意味に感じてしまう。そして、今日って言う今日は本当に自分が無意味な時間を送っていると感じたほどだ。本当におおらかでゆったりでいい人なのだがあまりにもの私と違うタイプなので金輪際おばさんとは一緒に行動しないと強く、強く心に決めここ2日間のことは許してあげると自分の心の中で解決したのだった。←(ちっちゃー)
2005年12月09日
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私の身近にいる台湾人はとても時間にルーズな人が多い。おおらかな人達であるが故のんびり過ぎるのだろうか。今日も台湾からおばさんがやってきた。数日前はうちの別宅まで一人で行くからって言っていたのだが←(なぜか別宅の鍵を持っているおばさん)昨日になって空港まで迎えに来てくれとFAXが来た。欲しい物も頼んだし仕方がないと思い1時間かけて空港まで行ったのに到着時間30分が過ぎても一向に出てくる気配がなかった。大体はイミグレとバッゲージクレイムで30分強で出てこれると見込んでいるのだが40分経ち50分経つにつれて飛行機に置いていかれたことのある人なのでもしや乗り遅れたのかなどと最悪なパターンを想像せずにはいられなくなるのだ。そんなんだったらずっと待っている自分がアホらしく帰ってしまおうかと思えてくる。そして、仕舞いにはA出口B出口を間違えたのかとか私の姿が見えないから先にバスに乗って行ってしまったのではないかなど頭をよぎり居ても経ってもいられなくなりそわそわし出してしまうのだった。公衆電話で電話をかけようともアライバルゲートを離れた隙におばさんが現れたらはぐれてしまう。それはいわば、ちり紙を持ち忘れた公衆トイレの長蛇の列のようなものだ。↑(意味不明)そんなことを想定するとこういう緊急時には携帯を持っていないことに少々不便を感じる。←(トイレで使うって訳ではないです)結局、おばさんが出てきたのは1時間15分経った頃だった。中でホテルの予約をしていたという。そして、ホテルまでのシャトルバスを乗り2時前にはホテルに着いた。シャトルバスを待つ間に時間正確じゃないと即座に怒鳴りつけて従業員をビビらせていた台湾のおばさん。うっ、自分、人を散々待たせる人じゃんよ・・ホテルのフロント捕まえて長々とシャトルバスの愚痴聞かせてた間わたしゃずっと待ってたんだよ!とは言えずここで吐き出そう。でもでもでもでも!私何しに空港まで迎えに行ったの?荷物は一人でも十分に持てる量だしシャトルバスに乗るまでだってカート押してたしホテルに着いて部屋まで行くのにボーイさんが運んでくれたのだ。空港まで迎えに行くのに家を出て家に戻ってくるまで5時間かかった。なんか、今日の自分とても無意味だったような・・・※そうそう、今日韓国から女優さんが香港に来たみたい。おばさんを待っている間に追っかけが集まっていました。でも、誰だろう?李 英なんとかって書いてあったなぁ。そして、一眼レフを持ったカメラマンが空港に集まったファン達の写真も撮っていました。ファンの中になぜか混じっていたおばさん待ちの私。もしかしたらどこかに映ってるかもしれません。ははは・・・
2005年12月08日
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私達夫婦はよく喧嘩をする。結婚したての頃は喧嘩が始まると旦那が「日本に帰れ!」「離婚だ!」と言っていたのだが最近では私の方が言っている始末である。そして、時効ですのでお話ししますが以前にも喧嘩をした折に旦那に「日本に帰れ!」と言われ私はその言葉通りにお暇しようと離婚届を領事館からもらい銀行口座を解約し市場の果物屋でダンボールを買ってきては衣類を詰めたのだがさすが2箱では収まらなかった。仕方なしに、今度は郵便局で売っている超特大のダンボール30キロまで入れられるダンボール46cm×127cm四方のダンボールを2箱買ってきては私の身の回りの物をジャンジャンと詰め込んだ。そして、ダンボールの蓋をテープで閉じ紐をくくりつけいざ持ち上げようとしたのだが持ち上がらない。その姿はまるで箱を相手に組み合い稽古をしているお相撲さんのようであり相手のまわしに手を回そうとするがビクリともしなかった。それはまさしく、小錦相手に猛稽古をさせられているゴボウのような私でありぜえぜえ言っている私の荒息が一人むなしく部屋に響いていた。あまりの情けない姿に私はやる気を失せ、何事もなかったかのように箱に詰めた洋服をタンスに仕舞ったのだった。そして、その特大ダンボールはというとまたいつか使われるかもしれないと思い今でも大事に取ってある。そして、今回旦那と喧嘩をし私の気持ちは晴れきらないままなのでもしかしたら・・・・
2005年12月07日
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むかーし、むかし。お酒を飲むと気を良くする男とその男に従えるおしとやかな、言ってみれば中堅ハチ公のような女がおった。男と女は外国からいらした従姉妹にそれはそれはたいそうなおもてなしをし男は浴びるほどのお酒を飲んでとても気をよくしていたのじゃった。百万両の夜景と言われるプラムナードへ従姉妹を連れて行ったのだがひょんなことから従姉妹とはぐれ男と女は従姉妹を探す羽目となった。異国の国からやってきた従姉妹が何処かへ行ってしまったそのことに男と女は大層心配をし百万両の夜景が見える長いすで従姉妹の帰りを待っていたのじゃった。そして、お酒をたらふく飲んでしまった男は少しずつ少しずつ眠気が襲ってきて従姉妹を待っているはずがいつの間にか長いすに横たわり眠りこけてしまった。そこで、中堅ハチ公の女。男が眠ってしまったのを起こすのだが恰幅のいい男を揺さぶり起こしても男はピクリともしない。仕方なし、女はしばし男が起きるのを待つことにした。百万両の夜景も真っ暗になり辺りは一層静けさが増した。中堅ハチ公の女。あれから1時間が経ったので時間のころあいを見て男を起こしてみる。だが、男は大いびきかき起きる様子もなかったのじゃった。そこで中堅ハチ公の女。仕方なしにまた男が起きるのをじっと待ちわびた。辺りがシーンと静まり返る中海の浪打の音と男の大いびきが女の耳に入ってくる。男が横たわる長いすに回りには宿無しの男がポツリ、ポツリといるだけとなった。また、それから1時間が経った頃じゃったろうか、中堅ハチ公の女がもう一度男を起こしてみることにした。どんなにゆさぶってもどんなに声をかけても男はムニャムニャ言うだけで一向に起きてはくれなかった。だが、中堅ハチ公の女。寝ずに2時間も待ち続けたこともあり長いすに横たわって気持ちよく寝ている男を見て少々苛立ちが起きてきた。そこで、中堅ハチ公の女はというと長いすに男を寝かしたままそこを後にし車屋に乗って帰って行ってしまったのじゃった。朝方、一晩野宿をしてしまったという自分のしたことに男はへらへら笑って何事もなく無事に帰って来たのじゃった。めでたし、めでたし。案外、安全な香港じゃん。
2005年12月06日
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シンセンに地下鉄が出来たとご存知の方もいらっしゃるかと思います。でも、なんで?って思えるんですよ。なにがって?地下鉄の切符?!コインなんです!!!落とすと転がってしまうのが難点。自動改札口の所にコインをピッとあて改札を出る時には販売機のようにコインを入れるんです。知らない人はやっぱりそこであたふたしてました。なんでわざわざコインなんでしょ?!そして、シンセンの田舎町を歩いているとおや! セブンイレブン発見!こんな田舎町にもあるんですねぇ。でも、よく見ると7-11(セブンイレブン)が1だったりします。お店の名前はなんでしょ・・・
2005年12月04日
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やっぱりストーカーは香港にいる模様。チャットルームにくる常連さんがM本人から聞いたそうです。9月からいるんだって・・
2005年12月04日
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去年、私は約半年日本に帰っている間にもMは香港に来ておりまたしても「ホテルで待っている」とメールが来たらしい。豊曰く、会いには行かなかったと言うが事実であろうか郵便物が届いていたというのを最近になって知った。そして、今年に入り、Mからのメールは少なくなって来てはいたが届いていたのは事実である。あまりにもの聞き分けのないMの執拗な行動とメールにそろそろ強制的に終了させなくてはと思いどうにかして受信拒否できないかと考えあぐねいていた。(オプションにあるのですね。知るのにかなり時間がかかりました)Mからのメールを受信拒否するべく私がアクションを起こし完了した。それからしばらくして、Mかどうかは知らないが無言電話がかかってくるようになりそれがしばらく続いたのだ。そして、Mがまた何かしてくるのではないかという不安から豊は時々チャットを覗いては伺っていた。そして、調べていくうちに自分はある国に行ってある仕事がしたいとありそのために、旦那からそんな自分勝手なことをするなら離婚といわれておりしばらく落ち込んで立ち直れなかったとありでも、自分はこれから一人で生きていくとあり仕事が大変で休みも仕事をしなくてはいけないとありあまりのストレスで食欲はないがここの食べ物の匂いで吐きっぽくなるが何か食べようとお店に入ったらあまりにも脂っこくて食べられなかったとありここに来る前はここに関する映画を観まくったとあり自分は山の中腹にある寮に住んでいるとあった。そう、Mはどうやらここ香港にいるみたいなのだ。(終わり)
2005年12月02日
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Mから届いた封筒を開けると手紙と新品のCDが入っていた。夜食を食べながらMの手紙を読むと自分は永遠にあなたのそばにいるから安心してといった内容の英文の手紙だった。私(bebe)という障害がいようとも2人は永遠にソウルメートであるともとれる事が書かれてあった。そして、読んだ後は捨ててくれとメモが張られており読見終わると同時に私はくしゃくしゃに丸めた。「やめろよ!!(青筋)」豊は私が今怒りに任せて丸めた手紙を奪い取るときれいに広げなおしたではないか。はぁ?Mの肩を持つのか?そんな豊の行動にも更に拍車がかかり怒りが収まらなかった。苗字を中国読みにした所で私がわからないとでも思っているのか?私に読まれないように英文で手紙を送ってきたその嫌らしい行動に以前、私にローマ字で送ってきたという嫌味のメールを思い出させた。郵便物を送ってくる。これはまるっきり私に対しての当て付けだった。そして、豊は時期を改めてこういうことはよしてくれと頼んだのだった。そして、同封されていたCDは開かれることなくゴミ箱行きとなった。(だが、「売れば?」と豊の言葉に再び拾い上げ、今は何処かへ行ってしまった。)だが、ここが私の悪いところ。送られたCDがどんな歌なのか調べたくなりネットでその曲を視聴したら!”握りしめた手離さないから明日も来年も10年先もずっと隣にいるから・・・”背筋が一気に凍りついたのは言うまでもない。気持ち悪すぎる!!!!!「キセキノハナ」白い雪の絨毯から凛と伸びる新芽のように暗く冷たい僕の心に君は君は光をくれた出逢い、別れ繰り返してやっと君に出逢えたんだ何も知らずに微笑んだ君僕は僕は誓うよ 永遠に・・・悲しみが二人を包み込んでも握りしめた手離さないから明日も来年も10年先もずっと隣にいるから・・・遠い記憶辿りながらいつも何か探していた今は分かるよ 全てのことは君に君に出逢うためだと・・・冬の終わり告げる桜のように長い旅路に咲いた奇跡よいつもいつの日にも輝きながら僕の心を照らしておくれ明日も来年も100年先も君を見つめているから・・・
2005年12月02日
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これで本当にMとは切れたと思って気をよくしていた。事の重大さにMも理解を示したと思っていた。旦那・豊もチャットルームへ行くのもしばらく謹慎しMの姿もすっかり見かけなくなった。Mもこれで諦めたのだと思って豊がチャットに通いだし何ヶ月か経った頃Mがひょいと姿を現した。そして、何事もなかったように豊に話しかけるのだが豊はそのまま無言となりそしてチャットルームから落ちるのだった。Mの姿がない時に豊はチャットルームに入る。だが、避けられていると知っているMはHNを変えて豊と接触を取ってくるのだった。話し口調や豊のプラーベートに突っ込んでくる会話でMと察し、豊はチャットルームを後にする。そんなことが何度か続いた。そして、しびれを切らしたMは豊にメールを送ったらしいのだが送信しても戻ってくると言ってきた。確かにMのメールを受信していたメアドは容量がいっぱいにしたままにし受信されないようにしていた。すると、Mはチャットルームの内緒機能を使って豊の新しいメアドを聞いてきた。豊のhotmailは私も見れると知っているMは警戒して他のメアドに送っていたのだがその送っていたメアドに送れないと知ると今度はhotmailに自分のメアドを変えて約束したこともなかったかのように以前のようなメールを数ヶ月に1,2回の割合で送ってくるのだった。「こういうヤツはキレると何をしでかすか分からないから時間をかけて解決していかないといけない」すっぱりと切ってもらいたかった私は豊ののんきな発言に少々いらだちもあった。そして、Mから送られてくるメールの回数が減ってきたなと思っていた時「6月29日に香港へ行きます。7月1日にホテルであなたが来るのを待ちますので来てください。」と言った内容のメールがMから送られてきた。私は怒鳴り散らすほど怒り狂った。だが、豊は「7月1日は香港は休みだから俺が家にいるってことは会いに行かないってことだ。お前も一緒にいれば監視ができるだろ?」と私の気持ちをなだめてくれるのだった。私は豊を信じていた。豊がMと何かをしたいとか何かを望んでいる訳ではないと十分に知っていたからだ。でもよ?ホテルで待つってなんだ??ホテルに呼んで何かしょうって魂胆なのか?!!!!!そして、7月1日。Mがホテルで待っていると思われる間中、私達は家に閉じこもっていた。以前、来たことのある家の前に来られても嫌だし、ましてや会いたくもない。(住所も知っている)私達の姿だって見られたくない。家の出入り口で立って見張られているとも限らない。私達はMが香港を離れてくれるまでの時間を早く過ぎてくれないかと願いながら過ごしていた。2日。1日は何事もなく終わった。だが、まだMは香港にいるかも知れない。私達はMの話しがでないよう互いに気を使っていた時でもあった。3日。Mがまだいるかもしれない。だが、もう日本へ帰ったかもしれないと願い私達は夜食を食べに出掛けた。何日ぶりかの外出だ。ビルの門を出ようとしたその時郵便受けに小包が刺さっていた。見るからに普段送られてくる請求書や銀行からのメイルには見えなかった。B5版ほどの大きさの茶封筒を郵便受けから引っこ抜き封筒に書かれた送り主を見るとM・ring muと書かれてあった。Mからの物だった。
2005年12月02日
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Mに抗議文を送りつけた所自分は人を傷つけるつもりは毛頭ないし傷つけてしまったことにとても反省をしている。っと言った内容の返事が返って来た。それからしばらくチャットに姿を現すことも豊のメアドにもメールが届くことはなかった。私の中ではこの抗議文が相当彼女に効いたらしくこれで解決したものと思っていた。が!私の読みは甘かった。私のほとぼりも冷めた頃を見計らってMはまたメールを送ってきたのだ。こんなことが何ヶ月、1年も2年も続きMは段々と付け上がってきた。メールの〆は「with love」はもとより自分はいかにあなたの幸せを願って ←(豊が幸せでないというのか?)あなたを友達として愛する人間がここにいて ←(異性として意識してるはず)あなたがどんなに大切で ←(おめー、結婚してるじゃねぇか。最初は独身で通してたけどよ)私の心はいつもあなたのそばにいて ←(何様だ?)私とあなたの友情は永遠よ ←(勝手に決めるな)と、まだまだあるがきれいごとと私に対する挑戦状と取れるMのメールに(豊は私に見せてくれていた)私はストレスフルとなっていた。そして、極めつけは「私はあなたのソウルメートよ」この言葉に私は怒り狂いこの人はどれほどまでに性格ブスかを(顔は妖怪人間ベロだ)この人の言葉の裏はこういう意味だと豊に散々教えても(しかも、自分も何だこいつ?と思ったことがあるのに)私の言葉を聞き入れずMからのメールを受け入れていたのだった。そして、Mは広東語を習いだし太っている豊のお陰でMは「燃えろデブゴン」のサモハンキンポーが好き(デブだったら誰でもいいのか?)と言い出し香港にとってもとっても興味を持ち始めた。ちょっと精神的異常な発言(ソウルメート)に半狂乱になりながらでもせめての救いは豊の筆不精。豊はMのメールに返信はしなかったことだ。そして、ある事をきっかけに豊はMに事実を告げ前々からお願いしていたメールを送ってくるのを本当にこれっきりにしてくれるよう頼んだのだった。MもMで理解を示し送らないと約束してくれた。だが、この約束も果たされることはなかったのだった。続く
2005年12月01日
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Mの豊に対する想い入れが徐々にエスカレートしていきそのうちメールの最後が「with love」と記されるようになった。Mが豊に対してどういう想いで接しているのか豊にとくとくを話しをしても聞いてもらえることができず私達夫婦はMのことで喧嘩が絶えなくなった。しばらくして、夫婦そろって日本へ一時帰国したのだが私達の田舎を知っているMは自分がどれほどまでに豊の田舎へ遊びに行ってみたいかをアピールしていた。そう、彼女は「おいで!」と言ってもらいたかったのだ。チャットの上では普通にしている私。誰がそんなことを言ってあげるか!と内心穏やかではなかったが豊が帰る日と便名を教えてしまったというミスを犯した。帰る当日の朝、高速バスで新宿に出た私達。私はそのバスに乗った時点から激しい胸騒ぎを感じていた。どうもMがバス停で待ち構えていそうでならないという私の言葉に豊はそんなことはあるめいと鼻で笑っていたのだった。新宿に着き、Mの姿はなかった。私の思い過ごしと思い買い物をする豊を待つためにB1の待合室でお弁当を食べていたら・・・Mの姿発見!!!!豊と一緒に買い物に行けばよかったと後悔先に立たず。Mが近づいて来るのと同時に私の顔が引きつった。ポーカーフェイスをしながら何気ない会話をするのだが私の内心は怒りに燃えていた。M:「今日は近くで面接があって、bebeちゃん達いるかな~って 思って」私:「ああ、そう・・ 何時から面接?」M:「1時。豊ちゃんは?」私:「お義父さんと買い物とラーメン食べに行ってるよ(メラメラ)」 (しばし気のない会話)M:「そろそろ時間だから行くね。豊ちゃんによろしく」私:「うん・・(メラメラメラ)」自分の怒りが顔にでてなかったかポーカーフェイスが保たれていたか怒り狂う気持ちの反面心配をしてしまう小心者のbebeだった。怒りも収まった頃、パパさんが先に戻ってきた。豊の姿がない。パパさんに豊は?と聞くと「友達がほにゃらら」という。ん????慌てて戻ってきた豊。荷物を持つと出口のある1階へと上がった。時間もなくなって慌しい中Mがいた。はぁ???1時から面接って言ってたのになんでいるの?(怒)今度ばかりは私も抑えられなかったようで気が付いた時には「なんでいるの?(怒)」と口走ってしまっていた自分がいたのだった。それからというもの私の中で何かが崩れ落ちていき怒りと哀しみが一気に襲ってきてしまった。駅に向かうにも私の足が拒否反応を示しだした。どうして、Mが私に嘘をついてまで(面接があると)あなたを待っていなくてはいけないのか。どうして帰る日を教えたりするのか。どうしてこんな思いをしなくちゃならないのか。こんな思いをするのなら私は引き下がるからあなたはMと結婚してくれ。とまで、私は豊に怒りをぶつけた。が、当の本人はヘラヘラ笑っている。この発端はおめーだろがっ!いくら、俺は相手にしてないとか俺のタイプじゃないから何も起こらないと言っても相手は思いっきり土足で私達の領域に踏み入れて来ているんだぞ!こんな私の存在を無視した形ってあるのか!何をしに香港に来たんだ!私にも会いたかったからじゃないのか!と、私は負けでいいからこの土俵から自ら降りて香港には帰りたくないと豊に訴え続け私は飛行機に乗ってしまったのだった。そして、あまりにもの怒りから私はMに抗議文(?)のメールを送りつけたのだった。続く
2005年12月01日
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自分がいかに沢山の辛い思いを経験し、いかに自分が苦しんできたかを全面的にアピールしてきたM。彼女の「チャットの人と実際に会うと皆私を避けるんだよね」の言葉にまんまと引っかかり同情心から私達はそんなことはないと言い切ってしまった私。Mはお世話になったからと香港滞在中に聞いてきた家の住所と電話番号が記載された小包を感謝の印として送ってきた。↑(教えるなんてどうしようもなく馬鹿な私)私の中ではすっかりいい人じゃん♪となっていたのだが、すっかりMに騙されてしまったのだ。旦那・豊のメアドにじゃんじゃんメールが送られるようになってきた。当時、職を探しで時間があった豊はMからのメールの返信をしてみたりメッセンジャーでMとチャットをしていたりした。通常、豊がネットをしている時は私も一緒になって画面を眺めていた。そして、Mが豊に相談を持ちかけたり豊が相談したりして互いのプライベートの情報量が多くなってきた頃だ。私は当然、3人が仲間で3人が仲良しでキーボードを打っているのは豊であるがわざわざ私達に会いに来てくれたほどMは私達夫婦を1つの友達として接してくれているのだと思っていた。いつものように後ろからそのやり取りを見ていたのだがMが相談を持ち掛けたいのだがなかなか持ちかけられないでいた事があった。すると、Mはしばらくして「今一人?」と聞いてくるではないか!!!はぁ?あんたここに来て家の状況知ってるし2人でネットしてるって知ってるじゃんね?私が背後にいると知るとMは相談をやめはぐらかした。そう、Mは豊の独占を好み始め私の存在を無視するようになってきたのだった。あ~、もっと早くに対処すればこんなことにならなかったのに。続く
2005年12月01日
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以前、旦那・豊をお慕いしているストーカーがいた。彼女と知り合ったきっかけは今から約3年前私達夫婦が通っていたチャットルームの常連だった。常連化としていた私達も彼女や他の仲間との間で楽しい会話を繰り広げており彼女はチャットのマスコット的存在のようにとても会話が面白かったのだ。ある時、酔っ払った豊が誰振りかまわず下ネタモードで誘っていた時があった。後ろで見ていた私は呆れはしたもののバーチャルの世界なのでそのやり取りをただ見ていた。その声を掛けられたのが後にストーカーへと豹変する女性Mだった。豊が多彩な知識人と知るとMは豊に興味を持ち始め私達夫婦に会いたいと香港までやってきた。Mが来港した時には私はまだ楽しくお話しが出来るチャット仲間としか思っていなかったのでMと会うのをそれはそれは楽しみにしていた。会ってみるとMは想像していた人以上にシャイな人でチャットで話すあの明るさとは似ても似付かぬほど全く正反対の人だった。3人で街を歩いているとどうして夫婦で手を繋いで歩かないのかと聞いてきたMだが空手チョップが飛ぶからと知ると「ちょっとご容赦!」と言うと私に有無を言わさずに私にさりげない手の繋ぎ方の伝授をするが如くMは後ろから旦那の手を握ったのだった。ふむ、なるほど・・アホな私は、Mが私のために伝授してくれたのだとすっかり勘違いをし「師匠!」とまで呼んでしまったほどだ。まさかMの企みだったとは誰が思おうか。。最終日、Mの滞在先のホテルへ豊と送っていき部屋にしばし招待された。Mは私達夫婦に「ベッドがもう一つあるから泊まって行けば?」と言ってくれたのだがベロベロに酔っ払っていた豊は自分は帰るからbebeが泊まって行けと言うと一人だとbebeちゃん可哀想と言う。2,3度泊まって行けと誘われたのだがそのたびに豊が「俺は帰るけどbebeが・・」と言うとMは少々困惑の表情を見せては一人だとbebeちゃんが。。と意味不明なことを言う。結局は泊まることはしなかったのだがこの時点でMの豊に対する想いを察し根付く前からとっとと刈り取ってしまえばよかったのだが私は少々「おかしいな」と思いながらでも見てみぬ振りをしてしまったのが自分を苦しめる形となってしまった。「チャットの人と実際に会うと皆私を避けるんだよね」この言葉に私はそんなことはないから安心をしてくれと心の底から思い伝えたのだがMが帰国していくとMの豊に対する猛撃アタックが始まったのだった。続く
2005年12月01日
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