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2007年です。 今年で34歳かー。早いな。 昨日は午後早々に仕事を切り上げさせてもらい、家に帰りました。 嫁が買出しに行きたいというので、休む暇なく街に繰り出しました。 と言っても、いつもの国貿の地下です。 嫁が「新年に履く新しいパンツを買いたい。」と言い出し、大晦日だというのに、早速の買出しがパンツ探しでした。 中国にもそういうきれいな習慣あるの? と聞くと、 「ママが言ってた。」 あ、なるほど。自分の母親が言ってたのね。 でも結婚して4年、そんなの言うの初めてじゃないの? と聞くと、 「うん。忘れてた。」 だ、そうです。 相変わらず適当だな。と思いつつ、まあいいや。 嫁は縁起がよく、悪いものを燃やしてくれるというお得意の決まり文句で、赤いパンツを血眼になって探していましたが、やはり男物の赤パンツは見つかりませんでした。ホッ。嫁はもちろん真っ赤なパンツをゲットし大喜びでした。 その後、またまた恒例の岳秀に行きました。念願の耳あてと、ついでにジーンズを買いました。どれも行き着けのお店なのですが、みんな中国人も大晦日という認識がやはりあるのですね。 帰るときは、「よいお年を!」と言ってくれました。タクシーの運ちゃんも言ってくれましたし、やっぱり何だかんだ言って、中国人も大晦日なんじゃん。と思いました。 その後、正月に見る用のDVDをたんまり買いに行き、それから、夕食の買出しに行きました。 本当は自分は外食したかったのですが、またもや嫁が、 「来年にも勝つように、今日はとんかつだ!」 と受験生の母親みたいな分けの分からないことを言い出し、どうしてもとんかつを食べると聞かないので、買出しに行きました。これはどこから仕入れた情報なのでしょう。きっと日本にいる時にドラマでも見たのでしょう。面倒なので、理由は聞きませんでした。 あれこれして、家に帰ってきたのは8時近くになっていました。 家に帰り、しばらくして、 どうせ紅白写らないよな。とテレビをつけ、NHKにすると、小林幸子が! ええ!やってんじゃん! 昨日NHKワールドのホームページで番組表見たら、ワールドプレミアでしか放送しないって書いてたのに。自分の家のはプレミアなのかね。 ま、いいや。 懐かしいー。日本語の歌。 やっぱりいいですね。 アンジェラ・アキさんの「Home」にはちょっと鳥肌が立ち、ウルウルきてしまいました。 「ふるさと 心の中で 今でも 優しく響いてる 寂しさが染み付いた 夢のない夜には あなたを 呼んでいる。」 日本にいる時も聞いたことありましたが、改めてじっくり聞くと、本当にいい歌詞ですね。胸に染みるというのはこういうことだと思いました。歌詞の内容がストレートに伝わりました。アンジェラ・アキさんというのはすごくいい歌手ですね。きっと心のきれいな人だと思いました。 大晦日に、とんかつを食べながら、紅白を、中国で見るのは、やはりどれも生まれて初めての体験でした。きっとこのとんかつの味はこれからもずっと忘れないでしょう。 紅白を見終え、嫁とふたりで実家に電話しました。 こうして、パンツ探しで始まった大晦日は終わり、いつの間に2007年になっていました。 と、いうわけで、今年はまたどうなることやら分かりませんが、つらさや苦しさを乗り越える強さをつけ、寒さにも雪にも、中国人にも負けぬ、丈夫な身体と心を持ち、なるべく楽しく過ごせればと思います。
December 31, 2006
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本日北京は雪でした。 初雪です。 正確には2度目なのですが、初雪のとき、自分は腹下し中でトイレに引きこもっていたので、今日が自分にとっての初雪です。 正確には昨日の深夜から降っていたようなのですが、天気予報も見ていなかったので、今日雪が降るなど、夢にも思っていませんでした。 朝6時半に起きてカーテンを開けると、いつもは真っ暗な外が今日はやけに白い。でも「ふーん」くらいに思い、支度をして、少し明るくなった外を何気なく見てみると、 真っ白じゃん!雪??? マジでしました。 常時マンションの前に10台以上は待機しているタクシーも今日は1台もいません。 30分以上待ち、やっと来ました。 と思ったら、後から来たバカ中国人母子に横取りされ、また待ちました。マジむかつきます。 ようやく来て、 「よし、次だ。」 と思いましたが、自分の前に待っていた人が何と一緒に乗せて行ってくれると言いました。 さすが中国人。懐が深いなー。先ほどのバカ母子とは大違い。東京だとこうはならないだろうな。 と思いましたが、彼は日本人でした。 中国人も日本人もないんですね。バカなヤツはバカ。優しい人は優しい。外は寒かったけど、心は温かくなりました。自分も今度反対の立場だったら、絶対こうしてあげよう。と思いました。 タクシーだと通常50分ほどで着くところ、約2時間くらいかかってしまいました。会社は自宅よりもちょっと田舎なので、雪の積もり具合が激しかったような気がしました。 今日は年の瀬ですが、社内で大きな動きがありました。詳しくは書けませんが、会社が大きな大一歩を踏み出す日でした。そんな日に雪か・・・と思いましたが、何とか無事に終了し会社に戻る車中、いつになくハイテンションの中国人のボスが、 「よし。明日は休みにしよう。」 と突然言い出しました。 おいおい。そんな簡単に会社を休暇にすんの?さっすがぁ。 と思いつつ、自分は明日駐在事務所側の仕事があるのでどうせ出勤です。 会社に戻るとすでに4時。 社内にこんな張り紙が貼ってありました。 簡単に言うと、「元旦の休みが1月1日~3日までの計3日。その代わり12月30日と31日は出勤なんで、よろしく。」という知らせです。 ちょ、ちょっと。遅くねー?これさっき出かけるときなかったよね?今日12月30日で、しかも、もうすぐ終わりじゃないですか。 相変わらず適当だなー。と思いつつ、何となーく明日が休みなことが、職員にも通知されました。 ま、休みならよかったね、みんな。 自分は仕事だけど。 でも、その代わり4日、5日、休みをもらったので、元旦から7日連続休暇です。 あと1日、気合だぁ。 明日は雪じゃないよね・・・。トホホ。 それはそうと、明日って紅白なんですね。つまり大晦日なんですね。やっぱり全く実感がないっす。 年越しそばと餅食べたいです。
December 30, 2006
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今日は本社が仕事納めだったようで。 こちらは全くそんなこと関係なく、年の瀬に関係ない忙しさでした。 で、いろいろあって31日までばっちり仕事になってしまいました。 30日はシネコンの仕事、31日は駐在所側の仕事。 どちらも相手があってのアポなので、ワガママ言えず。 結局そうかい。 で、今日中国側の社長に 「12月31日まで出勤するから、その代わり1月4日、5日休みください。」と言ったら、 「問題なし。でも用があったら電話するから、すぐ来なさい。」 「えー。でも北京にいないつもりなんですけど…。」と言うと、 「それは困る。急用があるかもしれないから。日本と中国の休みは違うのだから、あなたは今中国にいるのだから、中国の休みに合わせなさい。」と切り替えされてしまいました。 せっかく有給取ったのに。 ま、ごもっともです。 結局そうかい。 ま、日本と同じく休もうとしたのが悪かったですよ。 でも一応、「問題なし。」の太鼓判をもらったから、休んじゃいます。 呼び出しなければ7日間休み。 それも、悪くない、、です。 ですが、広州の友だちのところへ行こうという計画は諦めました。 トホホ。
December 28, 2006
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気づけばすっかり年末ですね。 クリスマスはかろうじで実感はありましたが、この「年の瀬」感はどうも希薄です。日本とやり取りして初めて、何となく慌しさを感じる程度です。 本社は明日で仕事納めです。こちらは31日までばっちり出勤です。が、どうせなので、30日と31日有給を取ってしまいました。やっぱり大晦日に仕事というのはどうも抵抗がありますからね。 ところで、今日もとてつもなく寒かったです。 ふと、見ると、 http://www.bjnihao.com/cjk/show.php3?id=47 だ、そうです。 ふはー。どうりで。 今日はこれまたやけに忙しく、日本からの連絡を待ってるというのに、携帯は鳴り止まないし、寒く強風なのに外ばっかり出なければなりませんでした。挙句の果てには、日本から「携帯にかけても話中でつからまらない。」と怒られるし、たまったもんじゃありません。 この寒さと強風は、「それでも負けず頑張ろう!」という、せっかくのやる気さえモノの見事に吹き飛ばしてしまう、困ったやつです。 耳あて買おうかな。 と、年末も師走も関係ない、とほほな一日でした。
December 27, 2006
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昨日の夜中から熱を出してしまいました。 今日の朝病院に行き、昼間で寝てたらすっかり良くなりました。効かない薬も嫌ですが、効き過ぎる薬というのも何だか怖い気がします。 なので、午後から家でずっと仕事をしていました。これはこれで集中できるな。 と言うわけで、北京で迎える初めてのクリスマス。 は、なかなか波乱がありましたが、その浮かれ気味の雰囲気を十分に堪能することが出来たのではないかと思います。ある意味東京にいる時より。 クリスマス近くになり、こちらはレストランやスーパー、洋服屋、卸売りの市場...至る所の店員はみんなクリスマス仕様でした。と言っても大方赤い帽子を被っているだけですが。 普段味気ない服装で迎えられるよりも、そういう華やかなものが気持ちがいいのに越したことはありません。 が、しかし、そんな浮かれ気分に便乗し、彼らの笑顔が見れたり、サービスが向上するのかと思うのは、飛んだ早合点というものです。 マンション内にある態度がえらく悪いコンビニの女性店員も、スーパーの店員も、レストランの前にいる男性の客引きも、猫も杓子もみんなサンタの赤い帽子を身に着けてはいますが、いつも通りの仏頂面。乱暴な態度でした。 そんなんならクリスマス気分にするなよ。と突っ込みたくなります。赤い帽子を被った相手に文句を言ったり、喧嘩するのも野暮な気がします。という意味では相手の策略に嵌ったとも言えるのでしょうか。 何はともあれ、あんな仏頂面で、乱暴者のサンタさんたちはゴメンです。 そんな中、いちばん仰天したのは銀行にいるサンタさんでした。 駐在所が業務用に使っている銀行にいる、いつもホールにいる30代くらいの男性行員は、帽子だけなんて生ぬるい格好でなく、全身サンタ仕様。しかもヒゲ付き。 分厚いカーテンをくぐり、そのサンタが「ニーハオ!」と言った時は思わず仰け反り、突っ込みたくなりましたが、何て突っ込んであげたら笑いが取れるか考えあぐね、そっとしてあげることにしました。でも、質問があったので尋ねると、いつものよい態度で対応してくれました。銀行員も大変だなーと思いました。 スーパーではみなやけにバカデカイクリスマスツリーを販売しており、我が家も買うか!と浮かれ嫁に相談したところ、「そんなの飾るのが面倒くさい。」と基も子もない理論でばっさり切り捨てられ、泣く泣く例年通りおもちゃのクリスマスツリーを寂しく飾りました。 という、何てことない、北京で過ごす初めてのクリスマスが終わりました。
December 25, 2006
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今日日本から一日早いクリスマスプレゼントが届きました。 荷物を送ってくれたのは知っていたのですが、会社に届くものだと思っていたので、家に、しかもこんなにたくさん送ってもらえるとは思ってもおらず、すごく嬉しかったです。 お菓子大好きっす。飴も、こっちのはあんまり好きなのがなくいので嬉しいです。ふりかけ最高っす。タイツ、超おしゃれっす。こっちには迷彩柄などない(はず)です。今度ズボンを腰履きにして、見せパンならぬ、見せタイツで、今時の若者風にはきこなし、ファッションリーダーとして、北京のファッションシーンをリードします。 前に同僚が送ってくれた本、今読んでいます。「手紙」もブログに書いたら、送ってくれて、勿体無くてまだ読んでいないですが必ず読みます。 『バッテリー』のプレスも見たかったんです。すごくいいビジュアルですね。ワクワクします。 みなさん、本当に本当にどうもありがとうございます。 何て言葉にすると本当に安っぽくなってしまい、どう表現したらよいか分かりません。 北京に来て、大変なことも確かに多いです。精神的にも「よし頑張ろう!」とやる気になったかと思えば、「もうどうでもいいや。」と投げやりになったりと安定しているとは言えません。こちらに来てあまり友だちも出来ず、寂しいなと感じることもあります。今の目の前にあるものをすべて放り出して日本に帰りたくなることもあります。 でも、こちらに来て、日本では特に強く意識していなかった人の温かさを感じることは出来ました。 こうして日本から物を送ってくれたり、メールをくれたり、ミクシィやGREEでコメントくれたり、また、こちらで知り合った日本人の方々など元気をもらうことも多くあります。 自分は実はこういう温かい人たちと知り合うことが出来、幸せです。 今度は自分が周りの役に立てる人間になるべく、日々精進です。
December 23, 2006
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今日は冬至ですね。 日本ではゆず風呂に入るのでしょうか? ゆずが路上ライブをやるというネタもあるようで、なかなか楽しそうで羨ましいです。 こちら北京でも本日冬至です。 で、昼食はギョウザでした。水餃子。 こちらでは昼飯は丸卓テーブルを囲いみんなで食べます。上司が一時帰国の今、中国人の中に日本人(羊)がひとり状態です。おとなしく食べたいところですが、いろいろ話を振ってくるので、話に夢中になるとろくに食べれません。なので、まずは食に集中です。略して食中。 優雅だなーとか想像しました? いえいえ。とんでもない。 今日は人数がマックスだったので、いつもに増してイスとイスの間隔が狭いです。右と左、密着しています。ギューギュー詰めです。 今日の朝、 「今日の昼はギョーザよ!」 と二人の女の子から言われました。 「ふーん。」 くらいに思っていたのですが、北京に来て初めてのギョーザ。 テーブルに着くと早速ギョーザが運ばれてきました。 「うぇ。少なっ!これだけかよ。」 そうなんです。人数に比べギョーザの量が少ないんです。 これは食中しないと。 「誰も話しかけんじゃねーぞ。」的オーラを全身に発散させ、箸を持ったその時、 「ねぇ、○×(僕の名前)、どうして今日ギョーザ食べるか知ってる?」 「うん?もぐもぐ。知らない。もぐもぐ。」 「そんじゃ教えてあげる。ほにゃらら~ほにゃらら~。」 ちっ。戦いは席取りから始まっていたのか。 寄りによって会社いちばんのおしゃべり子の横だったぜ。ちくしょー。 食べながら聞けばよいのですが、常識を重んじる羊の僕は、 「うん。うん。へぇー。」 と箸を動かさず、おしゃべり子の話を聞いてました。 ふー。 しばらくして、よし再開。 食うぞ。 すると。 あらあら大変。 ギョーザがなくなってるじゃないですか。 てめぇー。 ギョーザないじゃん! 3つしか食ってないのに。 今日は負け戦です。完敗です。 そんな昼食でした。 トホホ。 注意1 いつもはそんなにがっついてるわけじゃありません。今日は朝飯抜きだったので、お腹がすいていたのです。悪しからず。 注意2 ギョーザを引き換えに、おしゃべり子が話して聞かせてくれた話は、今日は冬至で、「9」を基準に数字を数え、「9」を「9回」過ごせば冬が終わるということ。 つまり、今日から81日(9×9日)過ごせば冬が終わるんですね。 で、いつから本格的な冬なの?という質問をしたら、 「大体2回目の9か、3回目の9かな。」 と言ってたので、えーっと、2×9=18...ややこしいな。あと、18日後から27日後かぁ。 まだこれから寒くなるのか! 死ぬ。 でもおしゃべり子さん、教えてくれてありがとう。
December 22, 2006
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今日はびつくりするぐらい忙しかった。 メールを打ってる最中に新しいメール。そのメールを読んでる最中に電話。電話に応対してるときにもう一方の携帯が鳴る。事務処理はどんどんたまるし、出かけなければいけない用事はあるし。そんなときに限って日本からも電話が来たり、翻訳資料の山...。 いつも仕事中、ちょっと息抜きがブログを書いたり、読んだり(含むミクシィ&GREE)することなのですが、それも全くする余裕がなかった。なんで、今息抜き...。 にしても、すっかり根性がなくなりました。 以前宣伝の時は、夜12時なんて当たり前。公開前はもっと遅くなるし、撮影現場に入れば朝夜関係なし。それもメシ食うヒマないくらいだったのに。 それでも元気いっぱいやって来たのに、今じゃちょっとの忙しさ&残業で息がゼェーゼェー、ハーハー。 根性なしの自分に反省です。 トホホ。
December 21, 2006
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「寒い北京で欠かせないものといえば焼き芋。街頭で売られているホクホクに焼きあがった芋を見るとついつい手が伸びてしまう人も多いはず。」(北京ニーハオより) そうですそうです。 うまいっすよね。 がしかし、...。 http://www.bjnihao.com/cjk/show.php3?id=27 怖えー。 気をつけろ!
December 20, 2006
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昨日GREEの70年代の会で知り合った方に誘われて、飲み会に行ってきました。 この方は自分と同じマンションの、しかも同じ楼に住んでいる方で、曰く、その同じマンションの日本人の方たちが集まるというのです。その飲み会にはその方のほかに、もうひとり同じマンションに住んでいる方がいました。 こちらに来て3ヶ月弱。自分はマンションでほとんど日本人(らしき人)を見かけたことがありません。だから素直に驚いたのと、何だか分からない親近感を覚えました。 そうそう。最近も自分のブログに「同じマンションですよね?」と書き込みがあり、驚いたこともあります。結構日本人の方、いるんですね。 そして昨日。店はマンション近くの思い出の焼肉屋。 集まった方は総勢10名程度。皆さんが同じマンションではありませんでしたが、何だかご近所さんばかりで、話題も家の近くのパン屋のケーキにカビが生えてたとか、マンション内のコンビニの店員の態度は最悪だ...などかなり内輪的な内容でした。 飲み会の帰り、普通なら、「ではまた。近いうち。さようなら。」とタクシーなどに乗り、それぞれ別々の場所に帰るところ、皆さん一緒に歩いて帰りました。 不思議な感覚です。 何か楽しいです。 皆さん全く違う業種の方ばかり、遠い異国で、ただ同じマンションに住むというだけの集まり。 ですが、そういうのもかなり楽しいです。
December 19, 2006
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と、金曜日に購入したことを日記に書こうと思っていたところ、昨日ミクシィ30代の会で知り合った方(ことがことだけに名前は伏せさせて頂きます。)に、日本映画やドラマが多くあるところを教えてもらい、今日行ってきました。 普段自分が行動範囲としているところではなかったのですが、意外にも自分の家から乗り換えなしのバスが出ているので、嫁とバスに乗って行きました。 が、しかし、店の場所の詳細が書いたメモ用紙をどこかになくしてしまい、(きっとバスで掏られたに違いない。と妄想)記憶を頼りに探すこと、30分、やっと見つけたぁ! あ、怪しい。 ここ? に違いない。螺旋階段の地下。 ここだ。 入るのを躊躇する小心者のわれら夫婦でしたが、下から日本人のファミリーがご機嫌よろしく出てきたので、勇気を出して下りていくと...。 すっげーデケー。 これ全部海賊版? ありえねー。 日たk本の専用コーナーもあります。 日本人はもちろん、韓国人、欧米人...外国人ばかりです。 おや? すごい。 『妻は告白する』まである。 大映作品も豊富に取り揃えてあります。 うーん。 微妙な気持ちです。 が、参考の為に妻告だけ買いました。 おお。 『タイヨウのうた』も売ってる。 でも裏の説明書きはどう見ても『着アリファイナル』のものでした...。 に、してもすごい。 長澤まさみの「セーラー服と機関銃」も売ってた。これってこの前終わったばかりっすよねぇ?家に帰ってみてみたら、明らかに放映したものを録画したものでした。<emoji id="116"> 恐るべし。 でも、映画界の隅っこにいる自分としても、これは 「やったーぁ。安く買ったぞー。」とは手放しで喜べない問題です。やはり。 「映画は映画館の大スクリーンで見ましょう!」 いくらそう叫んだところで、きっとこうして手軽に海賊版が手に入るのでは、そんな叫びもムナシイだけでしょう。 「海賊版が横行する→映画を作っても儲からない→映画を製作するお金がなくなる→観客がよい映画が観れなくなる」 という悪循環を、そして、海賊版を買うことが今は手軽で儲かったと思っていても、必ずそれは「よい映画が観れなくなる」ということによりしっぺ返しがあるという現実を、この国の人たちに理解してもらうには、どうすればよいのでしょう? 袋一杯に購入したDVDを膝に抱え、帰りのバスの中で考え込んでしまいました・・・。
December 17, 2006
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日本の皆さんでも中国は海賊版がすごいというのはご存知だと思いますが、北京に来て3ヶ月弱。思ったほど、日本の作品は見かけないのものです。普通に街中や路上で売っているものは中国のものか、ハリウッドものが主流です。 日本のはないのかなぁと思っていたところ、先日ある方から家の近くに多く売っている場所を教えてもらい、おととい行ってきました。 路上で売っている、正真正銘の海賊版です。地下鉄の駅の地上に出る間際、階段の踊り場で販売しています。なので、包装などはあまりちゃんとしていません。 日本のドラマや映画はあまり新作はありませんでしたが、中国の映画やハリウッド映画は結構新作が揃っていました。 1枚5元でした。 もちろん「仕事上参考のため」の購入です。 個人が楽しむために買ったわけでは決してありませぬ。 アシカラズ!
December 17, 2006
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うーん。 汚いよりましか。 普通にニオイがしないくらいでいいのにと思う。 程度にもよるかなー。 ま、でもこれも国が豊かになりつつある証ですね。http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200612150041a.nwc
December 15, 2006
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061214-00000011-fsi-bus_all http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061117-00000013-scn-cn ↑この話、中国に来たばかりの頃、とある中国人の方から聞いていたのですが、ついおととい別の中国人の方も話していました。 うーん。 言いたいことは山ほどありますが、ここでの発言は控えます。 ムズカシイですなー。 にしても、ヤフーのトップニュースに載ってしまうと、目立ちますねー。改めて実感。
December 14, 2006
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日本はそろそろお正月映画が出揃うころでしょうか。 『犬神家の一族』はどうですか? 『硫黄島からの手紙』、『大奥』、『武士の一分』、『NANA2』...日本に帰国してでも観たい映画ばかりです。 こちら中国でもいわゆるお正月映画が公開され出してきます。 お正月映画と冠がつけば中国ではヒット間違いなし、と言われています。例えば去年金城武、ジョウ・シュンの『ウィンターソング』やおととしフォン・シャオガン監督の『天下無賊』などどれもヒットしました。なので、各社とも大本命の作品をぶつけてくるようです。 劉徳華(アンディ・ラウ)の『墨攻』は11月23日に封切られ、なかなかの成績のようです。公開前はアンディ・ラウや主演女優がかなりプロモーションに力を入れていたようで、テレビで見ない日はありませんでした。 その他にも今週よりベルリン映画祭でとうとうグランプリを獲得したジャ・ジャンクーの『三峡好人』(『Still Life』)。 先週からは『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ監督、トニー・レオン、金城武、スー・チー、シュー・ジンレイと豪華キャストを集めた『傷城』。 1月下旬には女流監督李少紅の初本格ホラー『門』など見逃せない作品ばかりです。 そしていよいよ今週より今年のお正月映画の大本命が登場します。 チャン・イーモウ監督の『満城尽帯黄金甲』です。 題を直訳すると、「城全体の黄金色の鎧」とでも言うのでしょうか。『HERO』、『LOVERS』に続く武侠劇です。 スタッフは製作ビル・コン、アクション監督にユエン・ウーピンなど。 キャストにハリウッドからの復帰作となるチョウ・ユンファ、チャン・イーモウ久々の登場のコン・リー、トップスター歌手の周傑倫、若手実力派のリウ・イエなど、聞いただけでも腹いっぱいになりそうな布陣です。 絶対見逃せない作品で、間違いなく観ますが、この前予告編を見て、「あら?」と思いました。あまり面白そうじゃないのです。 中国では近年、巨匠たちが相次いで大作の武侠劇を撮っています。チェン・カイコーが真田広之やチャン・ドンゴンを主演に迎えて撮った『プロミス』や、フォン・シャオガン監督、チャン・ツィイーの『夜宴』が代表ですが、きっとチャン・イーモウの『HERO』に触発されたのは間違いありません。 確かにどれも中国では興行的に大成功を収めましたが、作品の評価は必ずしも高くないように思います。『HERO』は自分が関わった作品なのであまり悪く言いたくないですが...。どうしてなのでしょう。どの監督も従来のスタイルから大きく変えたせいでしょうか。それともあまりのバジェットの大きさに気負いがあるせいでしょうか。 チャン・イーモウ監督は『満城尽帯黄金甲』を最後に武侠劇は撮らないと宣言しています。 興収が5億人民元行くのではないか?と前評判はかなりのもののようです。また、街中もこれでもかとばかりの広告、テレビをつければ監督や周傑倫がでまくっています。 むしろ主演のチョウ・ユンファやコン・リーがあまり顔を出さず、何やらあれこれ想像してしまいます。 いずれにしても中国も正月は映画が熱いです。 日本映画を観れない分、こちらで楽しもうと思っています。
December 11, 2006
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我が家で最近ちょくちょく出てくるキーワードです。 中国人の俳優です。 イケメンです。 中国で最も有名で、お客が呼べると言われる映画監督馮小剛(フォン・シャオガン)の最新作『夜宴』に出演しています。 自分が北京に来た頃、まさしくこの『夜宴』の宣伝のピークで、チャン・ツィイーやジョウ・シュン(『ウィンター・ソング』)らと並んだ確かハーパースバザー中国版の表紙の広告が至る所に貼られていました。(参考写真1) なぜちょくちょく出てくるかと言うと、ずばり嫁がファンになったからです。 テレビに出てくるや、 「ひゃー。この鬼(たぶん愛情を込めてこう呼んでいるようです。)超かっこいー。」と言うや、表紙になった雑誌は買うやの大騒ぎなのです。 なので、自分もすっかり感化され、テレビに出てると、 「おーい。黄暁明が出てるよー。」と嫁に教え、協力してあげています。 最近テレビで黄暁明の主演ドラマ「女才男貌」(直訳すると女は才能。男は外見。)が放映しており、嫁がハマっています。自分は見てません。 よし。 「そんじゃいっちょ自分も奴みたいにイケメンになるか。」 と意気込み、先週散髪に行った際に、 「黄暁明みたいに切ってくれ。」 と言ってみました。もちろん、 「ドラマ「女才男貌」のときのね。」と付け加えるのも忘れませんでした。 美容師さんはそのドラマを知らないようでしたが、隣の美容師さんは知ってるようで、あれこれと説明をしていました。 なので、すっかり安心した自分はぐっすり寝入ってしまいました。 ふと目を覚ますと、 なんじゃこりゃ。 おいおい。 全然違くねー? ただの坊主じゃん。 不穏な表情をいち早く察した美容師さんはニコニコ顔で、 「どう?」と聞きました。 「ちょっと違うんじゃないの...?」 遠慮がちに「ちょっと」と言いました。 「いやいや。黄暁明と言えばこの髪型だよ。」と美容師は言い訳。明らかに言い訳。 「てめぇー。女才男貌の時のって言ったじゃん。」 (*もちろん「てめぇー」は心の叫びです。) まぁいいや。 もう遅いし。 諦めました。 家に帰るとやはり嫁は笑い、それから「小坊主」と自分を呼ぶようになりました。 今日我が家おなじみの岳秀にブラブラ出かけました。 ニットの帽子があったので、試着するとそこの店員が、 「この帽子はこの前黄暁明が被っていたのと同じよ。」 と言いました。 「これにしよう。」と言うよりも先に嫁が値段交渉を始め、30元で落札しました。 次に行った別の店で、またニット帽を試着してると、そこの店員が 「来週いいサングラスが入るよ。黄暁明がこの間テレビでつけていたのと同じ型だよ。」と言いやがりました。 もういいよ。 黄暁明。 中国人のファッションリーダーなの? 誰か教えて。 最近嫁のお気に入りに奴のページがあります。 見てみると、自分の今にそっくりの髪型が...。(参考写真2)なるほど。あの美容師はこれをイメージしたんだね。ナットク。 参考写真1 http://image.cn.yahoo.com/searchdtl_v3.html?p=%BB%C6%CF%FE%C3%F7&b=25&sf=&sel=7 参考写真2 http://image.cn.yahoo.com/searchdtl_v3.html?p=%BB%C6%CF%FE%C3%F7&b=8&sf=&sel=10 自分がイメージしてたのは↓な感じでした。 http://image.cn.yahoo.com/searchdtl_v3.html?p=%BB%C6%CF%FE%C3%F7&b=23&sf=&sel=5 トホホ...。 ちなみに『夜宴』(『ザ・バンケット』原題)は日本では来年ギャガさん配給でロードショーされるようです。が、自分的にはイマイチでした。ただ、『HERO』や『プロミス』などが好きな方にはおススメです。上にも書きましたが、中国で最も人気があると言える監督が満を持して作った大作です。日本でもこの作品を機に知名度が増すでしょう。一見の価値はあるのではないでしょうか。
December 10, 2006
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ちょっと面白い。 自分は「うさ男」でした。 「一瞬の印象で好き嫌いを判断するので、人間としてのマナーに欠け無礼なふるまいをする相手にはとことん嫌悪感を示してやりこめたり、一度嫌ってしまったら絶縁という厳しさも持っています。」 「大きな失敗はしませんが、時々弾け切れない自分自身に物足りなさやジレンマを感じたりします。」 何かあたってるようなあたっていないような…。 みなさんも興味があればやってみてください。 http://www.nimaigai.com/howto.html
December 9, 2006
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今日、生徒からの突然の連絡があったことを書きましたが、今日もまたその続きがありました。 昼間またその生徒からメールが来ました。 ネットの「同学録」というHPを見てくれとのことでした。 よく分かりませんが、どうやら卒業アルバムのネット版のようなもののようです。 そこには昔の生徒たちの近況がたくさん載っていました。結婚した生徒や赤ちゃんを産んだ生徒。みんな20代前半の子供だったのに、もう立派な社会人になっていました。 そして伝言板みたいなページがあったのですが、そこにたくさんの学生が書き込みをしていました。そして自分のことについてたくさん書かれていました。 曰く、「先生は今どうしてるのだろう。」、「元気なのか?」、「誰か先生と連絡は取っているのか?」と...。 この前のメールにも書きましたが、結局精神的に追い詰められたまま1年の契約期間を終えた自分は、お世話になった生徒たちにろくな別れも言わず帰国してしまいました。 当時の自分は今よりもっと未熟で、やっとあの生活から解放されることに喜ぶだけで、日本語を学びたいと一心に思うあまり、自分と接触したかった生徒たちのことを自分勝手と責めてばかりいました。本当に最悪の先生でした。 今思うと、中国の田舎にひとり働く日本人の自分のために、生徒はいろいろな所に連れて行ってくれたり、お金なんてろくにないくせに、食事を奢ってくれたりしました。確かに彼らにもそれなりの目的があったでしょう。でもそれはあって当然で、むしろ健全で、褒めるべきものなのです。 でもあの時の自分そんな簡単なことも気づかず、自ら生徒を遠ざけていました。授業をきちんと行えば、プライベートはしっかり分けて構わないと生意気にも心の中で思っていました。 でも生徒たちはそんな自分を7年近く経った今でも覚えていて、ましてや今でも自分のことを気にしてくれていました。 中国人の情の深さを改めて痛感させられました。 やはり彼らはデカイです。 もしかしたら当時の自分の気持ちを、生徒たちは何もかもお見通しだったのかもしれません。 自分はまだ30数年しか生きてきてませんが、それでもすごく後悔していることが山ほどあります。 自分はいつも大変で、運もよくなく、傷ついてばかりだと被害妄想に思うこともありますが、いつも改めて思い返すとそれはすべて自分のせいだったりすることが多いです。きっと自分は成熟しきれていないせいでしょう。 自分はいつになったら成熟した大人になれるのでしょうか。 でも、今回のことで、またひとつ勉強になった気がしました。 彼らはかつてまぎれもなく自分の生徒でしたが、そんな過去の生徒に教えられることが、7年近く経ってもまだたくさんあるようです。
December 9, 2006
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昨日中関村の新中関村購物中心のB1Fにオープンする「金逸国際影城」というシネコンの内覧会に行ってきました。 自分はもちろん元々興行側の人間ではなく、北京赴任が決まってから日本のシネコンで研修させてもらい、内覧会にもいくつか行きましたが、中国のシネコンの内覧会などは初めてなので、どんなものかと楽しみにしておりました。 会社の同僚が知り合いに案内してもらう、と言っていたのですが、常日頃から話が大きいやつなので、どうせ大した知り合いではないとタカをくくっていたのですが、なにやら高待遇で驚きました。 日本の内覧会と言うと、配給会社の人などが新しい劇場を観て回るだけの印象がありましたが、こちらはやはり中国です。気合が違いました。 開幕式、なるものが行われ、中央電視台のアナウンサーが司会をし、踊りあり、余興あり、テレビや新聞の取材ありの、日本とは一味も二味も違った内覧会でした。 先ほど高待遇と書きましたが、何が高待遇だったかって、まず入り口にこの劇場のボードがあるのですが、入る際にサインをしろと言われ、「え?一般人なんですけど。」と断ったところ、「構わない。構わない。」と言われ、でもよく見ると別に芸能人のサインがしされてるわけではないので、でっかく自分の名前を書き込んできました。すると、周りが「お。日本人。日本人。」と騒ぎ、「日本人にサインをもらって光栄です。」と開発の責任者らしき人にも言われ、なかなか気持ちよいものでした。で、余興にと案内されたのも最前列の席でした。 んー。周りはおじさんやおばさん。そしてマスコミ。なのに、自分はジーンズにジャンパー...。かなり肩身が狭かったです。 肝心の劇場は細かく見るといろいろありましたが、でもなかなか立派な劇場でした。 来年自分たちの劇場がオープンするときは絶対盛大なオープニングパーティをやりたい、そのときは誰をゲストに呼んで、どんなことをやろうか、と帰りのタクシーの中でひとり妄想を膨らませていました。 北京にいると、周りの日本人からも、海賊版ばかりで、なかなか映画館に足を運ばない、という声が聞こえ、映画界の隅っこに籍を置くものとして、悲しい限りです。 でもやはり映画は大画面で見ると格別です。安く買ったDVDはそれだけの価値しかありません。 そして今の中国のシネコンは、「映画を見せる」だけでなく、その「非日常」の空間も提供しようと試行錯誤しています。 今日の一言。いや二言。 「映画は映画館で観てね。」 「一度映画館で観た映画をDVDで家で見てね。」
December 9, 2006
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今日かなり嬉しいことがありました。 自分は今からかれこれ7年ほど前、湖南省で日本語教師をしていました。ここでの生活は1年あまりですが、今思い出しても本当に大変な日々でした。 僕が教えていたのは私立の専門学校でした。住まいは学校が用意してくれたアパートだったのですが、それが学校の敷地内にありました。それがきっとすべての元凶だったのでしょう。赴任するや否や、自分には大げさでなく24時間全くプライベートな時間がありませんでした。 湖南省の田舎、ましてや7年前。今の北京などとは比べ物になりません。外国人を見かけること自体が珍しい町でした。ましてや学校の中に住み、生徒や先生もみなすぐ近くに住んでいます。ですから、家の外を出るやいなや必ず誰かに会います。いえ、1階に住んでいたため、自分が家にいるかいないかもすぐ分かるようなそんな感じでした。 ですから、毎日授業が終わるとすぐに生徒に囲まれ、家に帰るや否や待ち構えたように電話が鳴り出します。そしてやっとこさ電話を切るや否やすぐ別の生徒から電話がかかってくる...。そんな毎日でした。 最初は慣れない土地にひとり。賑やかさに喜んでいた自分でしたが、次第にそれがとても重荷に感じるようになりました。 なぜなら、自分は自分でこの湖南省での仕事で日本語教師としてのキャリアを積みたいという目的の前に、何より中国語をマスターしたいという希望があったからだと思います。 でも生徒はもちろん学校の先生も周りもすべて、僕に求めているのは、「日本人が日本語で話す」ということでした。自分がここにいる価値はそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。 だから自分も授業以外は彼らと日本語で話さないと意固地になっていた時期もありました。 すると生徒や学校の先生から、かなりの反発があり、でもそれが余計に自分を追い込んでしまいました。 なので、一時期電話線も切り、夜になっても電気をつけず、ご飯もろくに食べに行かず、ずっと暗い部屋の中でひとりでいることが続きました。今思うときっとノイローゼに近い状態だったのでしょう。 でもそれを救ってくれた何人かの生徒がいました。彼らは僕と中国(語)日本(語)関係ない、もちろん生徒も先生もない、ひとりの人間と人間として付き合ってくれました。 彼(女)らと付き合い、一緒にいろんな話をし、自分の生徒でありながら、彼(女)らから本当にいろいろなことを学びました。 でも1年後帰国してしばらくし、彼らとの連絡も自然に途絶えてしまいました。 あれからもう7年が経ちました。 なんと、今日その中の生徒ひとりから連絡がありました。彼女は今年の8月から東京に来ており、7年前残した自分の実家の電話番号を仲間から聞きつけ、実家に電話をしたのです。実家の両親が彼女に自分たちの連絡先を教え、さっきやっと彼女と話すことが出来ました。 自分の嫁ももちろん同じく仲のよかったので、今日スカイプで3時間以上3人で話しました。彼女曰く、当時の仲間たちとも連絡を取り合っているようです。 ひとりは上海の日系の工場で生産管理の主任。ひとりは同じく上海で不動産系の会社を興しているそうです。 当時は僕と毎日のように一緒にいたにも関わらず、僕のためにほとんど日本語を話すようなことがなかった子たちが、今こうして日本に関係のある仕事について頑張っている。それは涙が出るほど嬉しいことでした。みんな僕と嫁の行方を一生懸命捜していたそうです。 彼女は今東京で以前僕が住んでいた、本当にすぐ近くに住んでいるそうです。しかも僕ら夫婦が北京に来る前にすでに東京に来ていたそうです。 会えなかったのは寂しいけど、でもきっと縁があるのでしょう。こうして7年たった今でも連絡を取り合うことができました。明日上海にいる彼らに電話をしようと思います。 今日は興奮して眠れそうにありません。 本当に人と人とのめぐりあわせ、「縁」というのは不思議なものです。 自分も今まで出会った「縁」、そしてこれからこの北京での「縁」を大切にしていきたいと改めて感じました。
December 8, 2006
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今日は天津へ出張でした。 建設候補地があるということで急遽見に行って来いと前々日に言われました。いつも突然です。ま、近いからいいけど。 メンバーは設計士のどうさんと韓さん、開発担当の陳さんに、日本人上司と自分の5名です。あくまでも決定してない候補地ですし、そんな大勢でゾロゾロと、しかも開発担当でない自分まで行く必要ないのでは、と社長(中国人)にも言ったのですが、例の如く「問題ない。」の一点張り。挙句の果てに「天津の海産物はうまいぞ。」と。自分は魚好きじゃないんすけど。と思いつつ、仕方ないので行くことにしました。 前日開発担当の陳さんが待ち合わせ場所について聞いてきました。やつは、まあ会社の中でいちばん仲がよいことはよいのですが、口数がやけに多く、話が大げさで、おまけに自慢話も多く、正直疲れます。いつもいつ止むか分からない話をしてくる上、自分が明らかに聞き流していると、「聞いてるか?自分の中国語分かるか?」などと突っ込みが入るので、気が休まる暇がありません。 で、例の如く明日の待ち合わせを決めよう!と仕切り始めました。陳が「よしっ!じゃあ建外SOHOにしよう。」と言い出しました。 何が「よし!」だよ。ボケ。お前が地下鉄一本でこれるから便利なだけじゃねぇか。このヤロウ。と心の中でやつを罵倒し、すっきりした自分は、「うん。いいよ。じゃあ建外SOHOのどこで待ち合わせる?」と聞くと、 やつは、「建外SOHOは広いんだよ!絶対迷っちゃうよ!」と言いやがりました。 おいおい。ワシは建外SOHOの近くに住んでんじゃ。ボケ。と今度はちょっときつめの言葉で返しました。が、また百倍にいろいろ言葉が帰って来たので、面倒くさくなりました。 で、結局、地下鉄国貿駅の建外SOHO出口。ということになりました。あろうことか陳のヤロウは何度も「分かった?大丈夫?絶対遅刻厳禁だ。遅刻したら置いてくぞ。」などと言い、うざすぎます。 で、当日。気の弱い自分は当然10分前集合です。すると、大人しい設計担当の韓さんはすでに来てました。ほどなくして日本人上司も到着。が、やつが来ません。陳が。 するとしばらくして韓さんのところに電話があり、曰く、やつが他の出口に出てしまい、迷ってると・・・。マジ最悪です。朝8時、強風の中、やつを待たなければいけない・・・。怒りでいっぱいでした。ようやくついても奴は言い訳ばかりなので、絶対謝らせてやると、自分も大人気なくムキになり、責めまくってやりました。 最後に一言、「じゃあご、ごめん。」と言ったので、許してやりました。 勝った。中国人を言い負かしたぞ。と朝からテンションが上がりました。 これって何の日記だっけ?陳の日記? いや天津の日記でした。 候補地は天津の郊外にあったのですが、開発区ということで、なかなか区画整理もされており、街も北京よりきれいでした。確かに海産物は最高でした。肝心の候補地はあまりよくありませんでした。なので、視察もすぐに済んでしまいました。 その後天津市内の映画館へに行き、街中も視察しました。 天津甘栗食べたいね。 と思いましたが、聞くと、天津甘栗というのは日本だけのようですね。天津丼も。天津にはないようです。残念です。 なので、麻花を買いました。うまかったです。 何だか、天津出張報告というよりは陳の報告になってしまいましたが、奴を言い負かした自分の気持ちは一日中高揚しまくりで、なかなか気分の良い一日でした。
December 7, 2006
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今日「GREE70年代の会」のオフ会に行ってきました。 北京に来て2ヶ月強。本日で2回目のオフ会です。 東京にいる時はネットなど仕事上で見るくらいで、GREEやミクシィなど全く知らなかった自分は、もちろんネット上で知り合った人とリアルに会うなんて全く想像できず、「騙されて何か買わされるんじゃないか。」くらいの気持ちでおりました。でも、この間参加したミクシィの「北京30代の会」が楽しく、今回も幹事のKYOKOさんがとても感じのよさそうな方なので、行って来ました。 いやー。楽しかった。 料理も最高。 前回のミクシィのオフ会では気合を入れて15分前集合を心がけたところ、人が全く集まっていなかったという苦い経験をふみ、オンタイムで駆けつけたところ、すでに人がゾロ。 うぅ。 人見知りの激しい自分は怯みました。 誕生日席になってしまい、早く来ればよかったと後悔しましが、何と自分の隣に座っていた方が、日本でずっとブログを見ていたじゃんすさんと分かり、その緊張は一気にほぐれました。 うぉぉ。 これぞオフ会の醍醐味。 ネットでずっと日記を見ていて、何か勝手に知った気になっていた人と生で会えるとは...。ちょっと興奮気味でつまらぬことをいろいろ話してしまいました。 料理は懐かしい湖南料理。 と言うのは嘘で、湖南料理と言われるまで気づきませんでした。でもどれもほどよい辛さで、はずれがありませんでした。 今まで東京にいた時は、アフターファイブは同じ業界の人ばかりでしたし、宣伝をしてた時も正直プライベートで食事するようなメディアの人も限られていました。ましてや他の職種の方とこうして仕事抜きで食事するなんて、全くありませんでした。 北京に来て、弁護士先生や食品会社の方、金融系、経営者の方、編集者の方、広告代理店、IT系、アパレル系...本当にいろんな職種の方と、まだ「お友だち」という関係では残念ながらありませんが、お話をし、同じ時間を共有することが出来るのは、本当にそれだけで貴重な体験だと思います。 これからもいろいろな方と出会い、その出会いを大切にしていきたいと思う今日この頃です。 としみじみしました。 が、せっかくの週末の昼間。ひとりコンピューターに向かう自分はやはり寂しいなと思う。 そんなトホホな北京の日々です。
December 6, 2006
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今日ちょいとおもろいことがありました。 夕方のバス。 まだラッシュになっておらず、がしかし、すいているとも言えない程度。 地下鉄駅近くから大勢の中国人にもみくちゃにされ、乗り込んだ自分は、当然中国版スイカ(*1)「ピッ」で切符購入完了。便利になったものだな。といつもながら感心しつつ乗車しました。 今日乗ったバスは無人ではなく、車掌さん(*2)がいるタイプでした。「切符買ってない人、買いなさい!」「カードある人、さっさとピッして!」「さあさあ奥行って。奥行って。おくオク奥!」 毎度のがなり声。 車掌のいつもながらの煽り。 気の小さい僕は慌てふためきながら、バスの中央へ。 走り出してしばらく。 次の駅までまだ間があり、乗り込んだばかりの慌しさが幾分解消されました。珍しく大声で喋りまくる中国人もおらず、車内に程よい静けさと穏やかな空気が流れ出した頃、事件は起こりました。 車掌さんが、前に座ってる中年女性に向かい、 「ちょっと。そこの前に座ってる2人。切符買った?」 ちょうど車掌さんの斜め前に立っていた自分。 珍しい光景ではありません。 本来なら、 「はい。」と1元なり車掌さんにお金を渡すところ...。 なのにその女性は僕の想像を超える言葉を発しました。 「切符を買わなかったからどうだっていうの?切符買う金なんてないよ!」 と。 超逆ギレしたんです。まさに逆ギレ。 「は?」 車内はその尋常でない雰囲気に空気が一変しました。 「え?」 一瞬何が起こったか分かりませんでしたが、脳をすばやく回転させ、僕は車掌の顔を見ました。 車掌さんも一瞬怯んだ様子を見せたように感じましたが、すぐさま、 「何言ってるの?バスに乗ったら切符を買うのが当たり前でしょ。1元、2元くらいで何を言ってるの!早く買いなさい!」 車掌も負けてません。 すると、その中年女性はさっきよりも逆ギレ、しかも超大声で、 「ないって言ったらないの!どこに切符を買うお金があるのさ!」とそれはそれはすごい剣幕で言い返しました。 おお!おお! 面白くなってきた。 ワタクシの心はその非日常に、すっかり興奮気味です。 「やれ!やれ!」 心の中で大声援(もちろん車掌さんに向かって。) すると、信じられないことに、 その車掌さんはその逆ギレおばさんをにらみつけると、溜息をつき、イスに腰掛けてしまったんです! うぇ? おいおいおい。 あ、諦めんのかよ。 諦めんなよ! 大喧嘩を期待していた僕は、すっかり出鼻を挫かれました。 ナンだよ~。 切れればバス代タダになんのかよー。 冗談じゃないぜー。 正義感に燃えた僕は車掌さんの代わりにその女性を何度もにらみつけました。(振り返って) でも、その度にばっちり目が合い、 「なんなのさ?」的な怖い表情をするその逆ギレばばぁの剣幕にすっかり怖気づいたヘタレのワタクシは、自分の降りる駅についたのをいいことに、そそくさとバスを降りてしまいました。 なので、その後どうなったかは知りません。 こういうことって頻繁に起こるの? いやー。でも、 中国人の懐の深さとずうずうしさに改めて感慨深い気持ちになった一日でした。 あ、そうそう。 で、何でキャメロンもびっくりか、書くのを忘れてた。 それがいちばん書きたかったことなんです。 そのおばさんのすぐ後ろに、金髪のキャメロン・ディアスにそっくり、欧米の女性が座っていました。 その女性がどこまで、この「車掌VS逆ギレばばぁ」の戦いを理解していたのか、自分には分かりませんが、その攻防が繰り広げている間、彼女のキャメロンばりの大きなお目目は、より大きく広がり、その成り行きを見つめていました。 そして何より、車掌が諦め、席に座った、つまり、 僕が、車掌に向かって心の中で大声で、 「おい!諦めんのかよ!」といつもながらの鋭い突っ込みを(もちろん心の中で。が大声で)入れた、まさにその時、後ろから、明らかに欧米人が発したと思われる言葉、 「オゥ!」 と聞こえてきました。 その時彼女がどんな顔で「オゥ!」と言ったのか(はたまたその「オウ!」がキャメロンが発した言葉なのか)、車掌に心の中で激しい突込みを入れていた自分は、彼女を振り返る余裕もなく、分からずじまいでした。 でもきっとその時、僕と彼女(もしくは「オゥ!」と発した女性)の心は確かに繋がっていたでしょう...。 そういう突っ込みは万国共通なんですな。 と言うわけで。 本日の教訓(川柳風。字余りアリ): お金ない 逆ギレすれば バス無料 *1中国版スイカ:北京には公共交通用のプリペイドカードがあります。日本で言うとスイカカードと同じ仕組みです。カードに料金を入れておけば、カードをかざすだけで、地下鉄もバスも乗れます。見てる限り利用率はかなり高そうです。*2車掌さん:北京のバスには運転手さんの横に料金箱がある日本のバスと同じ形式のバスのほかに、車掌さんが同乗しているバスもあります。大体が声のばかデカイ中年の女性。そして往々にして乱暴者である。
December 4, 2006
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とうとう、禁断のあれを解禁してしまいました…。 北京は本当に寒いです。 今日の気温は、最高5度、最低-4度でした。 東京は真冬でこれくらいになるのでしょうか。忘れてしまいましたが、何か日本のそれとは寒さの種類が違う気がします。 とても我慢できません。耳がチギレそうなんです。 北京の人はよく平気だなと思います。 が、平気ではないようです。 ただ、寒さに対する対策をきちんとしているのだと最近知りました。 会社の同僚との昼食中。 もっぱら話題は寒さに対すること。 ある同僚があまりにも寒がる自分を見て言いました。 「ズボンの下に何も履いてないでしょう。」 ほら、来た。 また来た来た。 以前ズボン下は履かないと断言した自分。 おしゃれは我慢だと言い放った自分。 こちらの人は防寒というか、薄着であることにたいそう抵抗があるようで、僕らのようにズボンの下はパンツというのに、どうもとてもとても抵抗を感じるようです。 なので、常日頃から、 「もっと着込みなさい!」 とお母さん、お父さんさながら、様々な人からお叱りを受けていました。 うーん。 嫌だ。 だってかっこ悪いじゃん。 と言った自分に、 「ズボンを脱ぐことなんて家以外ないでしょ!何を悪さしようと企んでるの!」 と逆に返されてしまいました。 そんな意固地な僕の背中を押してくれたのは、 「本当に暖かいんだから。」 とシンプルかつ、明確に、優しくアドバイスしてくれた同じ部署の若い女の子でした。 そっかぁ。 そんなに暖かいのか。 というわけで、今日近くのスーパーに買いに行きました。 うーん。 やっぱ抵抗あるなー。 肌色か白しかないんすか? せめておしゃれっぽい黒はないの? 探しまくってやっと黒っぽいの、見つけました! グレーもついでにご購入です。 善は急げです。 買ったその場で履きました。 うぉー。 あったかァーい!!! サイコーです。 今までバカにしててごめん。 股引。 股引き。 モモヒキ。 ズボン下。 すててこ。 ステテコ。 どう表記しても、そのファッションセンスの欠片もありません。 でも外見からは、分かんないじゃないですかー。 何だ。 もっと早く履けばよかった。 というわけで、記念撮影をしてみました。 もちろん、モモヒキ姿も写真に収めました。 が、みなさんの食欲と健康に影響を及ぼす恐れがあるので、ここでは公開を控えます。 「あら、是非見てみたいわ。」 という貴女、メールください!(爆)
December 3, 2006
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今日は北京に来て初めて観光らしいことをしました。 雑誌で王府井においしいケーキ屋があるのを嫁が見つけました。もうすぐクリスマスなので、クリスマスケーキを予約しようと王府井まで行ってきました。 王府井は言わずと知れた北京の中心的繁華街。人ごみが嫌いな自分はつい足が遠のいていました。が、自宅より徒歩15分くらいの国貿駅から地下鉄でわずか10分弱。意外と近いもんでした。 にしても、すごい人ですね。やっぱり。 もう行ってすぐ嫌になってしまいました…。 目的のケーキ屋だけは何とか見つけたものの、目の前にある、長蛇の列が出来てるシュークリーム屋に釘付け。ついつい我らも並んで、食してしまいました。 これがまたうまい! で、ひとり2個ずつ食べてしまいました。 おけげで、振り返った先にある、本来目的のケーキ屋を見ても、全くやる気がおきず、そのまま帰ってきてしまいました。 甘いものを食べると、辛いものが食いたくなる、ということで、近くにあったたこ焼き屋へ。 うーん。 3個で5元。高! ソースが微妙。 でもこれはこれでよしとしよう。 ひとしきり楽しんだ後は、天安門へ。 天安門はさすが北京の象徴。 こりゃまたすんごい人でした。 にしても広い。そして寒い。 ちょうど国旗を降ろすセレモニーを見ることができました。 夜は建外SOHOのアメリカンレストランへ。 バカでかいハンバーガーを食してきました。 これがまたデカイんです。 大満足っす。 北京の街もクリスマス一色になりました。 今年もあと少しです。 また1歳老いてしまうんですなー。 歩きまくりとても疲れてしまいました。 が、北京に来て初めてした観光はなかなかよいものでした。
December 2, 2006
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ちょっと前通っている語学学校の先生が変わりました…。 通う前に何校か授業見学させてもらたんだけど、今通っている先生の授業の進め方が好きで通いだしたのに、あんまり、です。 新しい先生はちょっと新米で、イマイチです。でも最近アメリカ人の生徒が2人入り、クラスのレベルがグン↑と上がりました。おかげで最近は「○×の問題について討論」などという時間がかなり増え、活発に発言出来るので、まあまあ気に入っています。 ただ、やはり最近不満に思えてきています。 それは僕の発音や僕の使う言葉にいちいち先生が「文句」を言ってくることです。 北京の言葉は日本で言うと、標準語で、確かに生粋の北京人が話すのは東京で言うと江戸弁みたいなものもあり、それはそれで分からなかったりするのですが、それでも、北京の人はみんなきれいな中国語を話します。 一方僕の言葉は、というとその下地になってるのはもちろん北京の言葉でなかったりします。嫁は湖南省という南の地方の出身なので、発音も使う言葉も、北京のそれとは全く違うんです。それに昔お付き合いをしていたのが台湾の子だったりもするので、僕の中国語に多大な影響を与えてるのが台湾式の中国語だったりするのです。 だから確かに認めます。きっと北京の人(先生)から見て、日本人の僕がこのような「きれいな発音でない」中国語を話すのが解せないのでしょう。 ただね。超うるさすぎるんですよ! もうですね、ちょっと話すだけで、言い直させるは、言葉使いを直させるは。せっかくの討論、自由発言の場なのに、中断するじゃないですか! 昨日も悲しい出来事がありました。 中国人のマナーについての話になったときに、僕がタクシーとバスのことを話し出しました。 僕が、 タクシー→的士 バス→巴士 と言ったところ、すかさず先生が、 タクシー→出租車 バス→公共車 です。 と訂正しました。 言いたいことをこれから言おうと意気込んでいた僕の気持ちは急速に萎んでしまいました。 先生に、 「的士、巴士って言わないの?」と聞くと、 先生は一言。 「北方の人(北京は北方に含まれる)言いません。南方の人だけです。」 しかも極めつけに、 「あなたと話してると台湾人と話してるみたい。全然日本人の話す中国語じゃなないわ!」などと言い放ちやがったのです。しかも、こーんな顔→で。 でもさ、 かっこ悪くないですか?出租車って。公共車って…。 別にどっちでもいいじゃん。 通じればいいの。 中国人じゃないんだし。 アグネス・チャンだって何十年も日本にいてあんなに下手じゃん。 ダニエル何とかの日本語だって東北訛りじゃん。 と思いつつも、 「ここは北京。ここは北京。北方だ。」 「郷に入っては郷に従え。」 と涙をのんでいます。 よく分かる。 先生が直してくれるのは僕の為だと。 でもさー。 言い方あるじゃん。タイミングも。 せっかくいろいろ話そうとしてるのにさー。 別に南方訛りでもいいじゃん。台湾式中国語で、何が悪いんだよ。ゥオラ! と夢の中でガナル。 そして授業中はどんどん無口になる、 そんな小心者の自分でした。 あースッキリした。 また来週から頑張ろう。
December 1, 2006
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