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ー 今朝の富士山 ー昨日は雨の予報でしたが、午後から雪が降りました。一時はどうなることかと心配しましたが幸いすぐに止み、今朝は青空が広がり暖かくなりました。薄っすらと雪が積もった丹沢山系の上には富士山に向かって飛んでいるような雲が浮かんでいました。鳥?鼻が長いから象?そういえば、以前にもよく似た形の雲を見たことがありましたっけ…。富士山の周辺では、ときどき変わった雲が浮かんでいます。ー 我が家の花たち ー2冬目のシクラメンも咲き出しました。右が、先日掲載した古いシクラメン。左が一昨年の12月に買ったシクラメンです。似たような色ですが、こちらは花びらに白い縁取りがあります。それにしても、毎年似たような花ばかりだと我ながら呆れます↑ヘレボルス・ステルニー( H.アーグチフォリウス × H.リビダス )これは、H.アーグチフォリウス と H.リビダスの交配種。蕾が膨らんできました。3年前、新羽の花光園さんで買ってきた中の一つです。一番欲しかった、H.アーグチフォリウスの方は残念ながら枯らしてしまいました。ヘレボルス・ニゲル以前、イングリッシュガーデンで買った冬咲きの品種です。根が八頭くらいの大きさになってしまい、今年は花が少ないです。フラワーセンターの講習会の先生の話では株分けしてやらないと、花が咲かなくなるそうです。固くて株分けするのは大変そう…。こぼれ種が芽を出し、小さい苗が育っています。いっそのこと、そちらを育てるか、思案しています。椿・太神楽
2021.01.29
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1月25日 10時40分昨日の寒さから一転、今日は春のような暖かさです。午前中、いつもの岡村公園〜スーパーのコースを景色や花を眺めながら、遠回りして歩いてきました。富士山は、ぼんやり霞んでいましたがすっぽり雪をかぶって真っ白。この冬初めての姿です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡村天神の紅梅やっと咲き出しました。・・・・・・・・・・・・・・・・岡村梅林の白梅蕾がぷっくり膨らんで、何輪か咲き出しました\(^^)/Sさんのクリスマスローズ寒さにめげず、元気に咲いていました。晴れても、曇っても、雨でも、公園とスーパーと周辺を歩き回るだけの、閉塞感いっぱいの毎日が続いています。それでも、こんな日は気持ちが明るくなります。今年は、いつもの年以上に春が待ちどおしいです。
2021.01.25
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真冬のラジオ体操 +ウォーキングは寒いです。帽子と手袋は必需品。最初に編んだ腹巻き帽子は丁度2年前に完成!去年の冬用に、もう一つ編むつもりで毛糸を買ったもののそのまんま・・・。ようやく昨年の暮れに編み始め、年を越して完成しました\(^^)/今回はぼかし染めとチャコールグレー(無地)の2種類の、ドイツ生まれの毛糸・Opal(オパール)で編みました。かぶる時は裏返して真ん中で捩るか、輪ゴムで止めてどちらか片方を、表に返します。半分ずつ糸を変えて編めば2種類の被り方が楽しめます。作り目は、150〜160目輪にして、ひたすら表メリヤス編みで編むだけ。30cm編んで糸を変えまたまたひたすらまっすぐ30cm編んで緩めに留めるだけです。幅25cm。長さ=60cmこの帽子は、両端がくるりと丸まっているのがポイント。作り目も編み終わりの止めもゆるくします。腹巻き帽子の作り目、止め方で検索すれば、伸びる作り目とのびる止め方の動画が出てきます。最初の腹巻き帽子 ↓2019年1月6日 腹巻き帽子・完成!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・腹巻き帽子を考案された梅村マルティナさんのホームページ↓梅村マルティナ気仙沼FSアトリエブログ → KFS Official Blog
2021.01.23
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一枚だけ当たった、今年の切手シートです。今日、郵便局で夫がもらって来てくれました。先日、tamtam4153さんが掲載された切手シートの写真を見て吃驚!どう見ても大入袋です。大入袋の中に切手シートが入っているのかと思いました。目を凝らして見て、やっと丸いのが切手らしいと判明!早く実物を見たくてウズウズしていました。白い部分は、やはりどう見ても大入袋の文字でした。どう言う意味があるのででしょう?切手シートに全く興味が無くいつもすぐ使ってしまったた私ですが流石にこれは使えません。
2021.01.21
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門柱の上に置かれた鉢植えのアリッサムまーるく咲いています。玄関に続く階段にもアリッサムの鉢が4つ並んでいました。このお家は、何年も前から同じように咲かせていらっしゃいます。縦=約80センチ、横=約60センチ今年は縦長の丸でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 岡村公園 ーケヤキ数年前からリスを見かけるようになりました。以来、欅は皮を剥がされて痛々しい姿です。プラタナス(鈴懸)プラタナスの実がいっぱいぶら下がっています。先日、やっと積もった富士山の雪は今日見るとあらかた溶けて消えてました。
2021.01.20
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新型コロナウィルスが全世界を震撼させています。一体いつ、どのように収束するのか誰も教えてくれません。100年前に大流行したスペイン風邪は、一体、いつどんな形で収束したのでしょう?「スペイン風邪、収束」のキーワードで検索、ヒットした記事を色々調べてみました。下記の2つの記事を参考に、自分で調べた数値も加えて短くまとめてみました。♣︎参考にさせて頂いた記事1.古谷経衡(作家、文筆家、評論家)yahoo!ニュース ↓日本はパンデミックをいかに乗り越えたか〜100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓リンクを貼らせていただきましたので、是非原文をお読み下さい。2.wikipedia スペインかぜ スペイン風邪ウィルス(H1N1亜型)★スペイン風邪(H1N1型)1918年〜1920年(但し、日本は1921年夏頃まで)当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。その内2,000万人〜4,500万人が死亡☆名称の由来第1次世界大戦当時、欧州で数少ない中立国だったスペインは、戦時報道管制の外にあったため、この新型ウイルスの感染と惨状がスペイン伝として世界に発信されたため、この名が付いた。日本の報道ではスペイン風邪の俗称は「流行生感冒」だった。 ☆日本での感染者、死者数内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値1918年8月〜1921年7月患者数=2380万人死者=39万人(肺結核、気管支炎等が死因とされていた者を含むと45万人とも言われている)1920年現在、日本の総人口=5600万人(国勢調査)2020年1月1日現在=12400万人(住民基本台帳)1920年現在の死者を45万人として、現在の人口で換算すると、死者数は約100万人になります。古谷経衡さんの記事によりますと、日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年、当時日本が統治中であった台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡したことが契機である。そののち、同年5月になると、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し、横須賀市内、横浜市へと広がった。また、1919年2月3日朝日新聞によると、最近2週間に東京府下で1300人死亡。各病院は満杯となり「新たな入院はお断り」の始末であった。また、福井県では一村がほぼ全滅状態になった村がある。盛岡市では市内の各商店、工業は休業。学校は休校。神戸では二ヶ所ある火葬場が満杯になり棺桶が放置される有様だった・・・等々。スペイン風邪の猛威は、列島を均等に席巻し、むごたらしい被害をもたらしたようです。では、当時の政府や自治体の対応ばどうだったか。1919年(大正8年)1月、一般民衆への大々的な呼びかけをしている。知識がないにも関わらず、現在のコロナ対策と酷似していた。 部分的に認識違いはあるものの、基本的には「マスク着用」「患者の隔離」など現在の新型コロナ禍に対する対処法と同様の認識を当時の政府が持っていたことがわかる。けれど、様々な対処を行なったが、根本的には無策でした。著者の古谷経衡さんは、以下のように書いておられます。日本各地で猛威を奮ったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に沈静化した。何故か。それは内務省や自治体の方針が有効だったから、というよりも、スペイン風邪を引き起こしたウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。つまり「スペイン風邪は突然嵐のように世界と日本を襲い、そして自然に去っていった」というのが実際のところなのである。現在は、新型ウイルスの伝播は比較にならないほど早い。だが。100年前のパンデミックと違うところは、医学の進歩である。ならばどうするか。私たちの採るべき方針は100年前と変わらないように思える。ウイルスの猛威に対しては防衛的な姿勢を貫き、じっと私たちの免疫がウィルスに打ち勝つのを待つ。実際にスペイン風邪はそのようにして終息し、日本は内地45万人の死者を出しながらパンデミックを乗り越えている。未だ続きますが、この辺で・・・。つまり、スペイン風邪のウィルスは、多くの犠牲者を出しながらも抗体を身につけた人類に、これ以上取り付けなくなり去って行った。……ということだった様です。
2021.01.18
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ー 庭の和水仙と万両ー去年は花壇を掘り返し、和水仙を庭のあちこちに分散して植えました。今年は、花が少なくて寂しいです。前にも書きましたが、先日の嵐のような強風で、傷んでいた家の北側のフェンスがとうとう壊れました。屋根が傷んでいる物置は、以前メーカーに問い合わせたとき「古いため部品は無い。修理は出来ない」との返事でした。取り壊すしかないと諦め、フェンスの工事を依頼する業者さんに、一先ず撤去をお願いすることにしました。すると、「本体はしっかりしているから、屋根だけ修理すれば良い」との、願っても無い返事が返ってきました。これまでも何度か工事をお願いしている地元の業者さんです。お互いに気心は分かっています。ならばと、屋根もフェンスもお任せすることにしました。一月中にはできると言うことでしたが、あれよあれよと言う間に話が進み、昨日、今日の2日間で無事工事が完了しました。こんな時期ですから、色々気遣いしなくてはいけない事があり、私は正直くたびれました。けれど、これで物置の屋根やフェンスが飛ぶ心配をしなくてすみます。ホームドクターだけでなく、家のことも安心してお願いできるところがあるのはありがたいと、しみじみ思いました。
2021.01.16
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ー 今日の富士山 ー10時36分岡村公園より昨日の雪で、一気に雪が増えやっと富士山らしくなりました。ー 岡村天満宮 ー昨日までの寒さとは一転、今日は青空が広がり、ぽかぽか陽気になりました。ラジオ体操の帰りに見た富士山は、期待通り昨日降った雪で真っ白らしいのですが、日の出前の光では撮るのは無理・・・。午前中、もう一度 スーパーへ行く途中に行って来ました。お正月の間は参詣客が絶えなかった岡村天満宮も、13日となると参詣客は私ともう一人だけ。庭では幼児園の子供たちが楽しそうに遊んでいました。先生と一緒に、眺めていた私に手を振ってくれました(╹◡╹)♡
2021.01.13
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2021年 1月 9日 6時30分この日は、南寄りの風・・・・・・・・・・・・・・・・・1月10日 6時32分この日は反対に、北寄りの風風の向きに関係なく同じくらい寒い朝でした。一昨日からとても寒くて、今夜から明日にかけては南関東にも雪の予報が出ています。元日に掲載した初日の出の写真をご覧になった ごねあさんから、「早朝から煙が出ている煙突は何でしょう」という質問を頂いていました。記憶違いだといけないので、改めて調べました。上の写真の中の、左側の背が低くて三本足のように見えるのは、(株)JERA 南横浜火力発電所(東京電力南横浜火力発電所)の煙突で、出ているのは煙ではなく水蒸気なのだそうです。こちらは、LNG(液化天然ガス)による火力発電所です。右側の太くて高い煙突は、電源開発(株) 磯子火力発電所 (J-POWER)の巨大煙突 (高さ=200m)でした。この煙突から煙が出ているのを見たことがありません。高度な公害対策で全く煙が出ないのだそうです。こちらは、石炭による火力発電所です。航空写真は、南横浜火力発電所のHPからお借りしました。2つの煙突は、それぞれ別の火力発電所の物でした。近くまで行ったこともありますし、JERA南横浜火力発電所(旧・東京電力南横浜火力発電所)があるのは知っていました。けれど、火力発電所が並んで2社もあったことは初めて知りました。なお、この埋立地には、他にも東京ガス根岸LNG基地がありました。Google マップより★JERA 南横浜火力発電所世界で初めてLNG(液化天然ガス)を火力発電用燃料として導入した発電所。(南横浜火力発電所 パンフレットより)★J-POWER 磯子火力発電所最新の環境対策設備を備えて環境負荷提言とエネルギー 効率向上を世界最高水準で両立したコンパクト設備の 都市型石炭火力発電所。★根岸LNG基地東京ガスの根岸工場と東京電力南横浜火力発電所からなる共同基地。世界5カ国(アラスカ、ブルネイ、マレーシア、オーストラリアおよびカタール)からのLNGを受け入れている。これまで受け入れたLNGの約6割は都市ガス用、約4割は東京電力南横浜火力発電所において発電用燃料として利用されている。(平成20年12月18日、東京ガス広報部プレリリースを参考にさせて頂きました)ふと、近い将来予測されている東南海地震のことが頭をよぎりました。3社とも埋立地にあります。東京湾の奥にあるため津波の直撃は免れるとしても、浸水の被害は免れないことと思います。我が家は津波の心配がないと思っていましたが、ライフラインのことを忘れていました。東日本大地震の時のことを思い出すと心配になりました。
2021.01.11
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12月半ば庭に置きっぱなしだったシクラメンが、葉っぱの陰に蕾をいっぱいつけているのを発見!!部屋に取り込み、窓辺に置いてやりました。年末から次々と咲きはじめびっしり花を咲かせています。大きさは、ガーデンシクラメンと一般的なシクラメンとの中間くらい・・・。はて?いつ買ったものやら、全く思い出せません。少なくとも去年でないことは確かです。昨日はまるで嵐のような北風が吹き荒れました。夕方、夫の声で外に出てみると前から壊れかけていたフェンスの一部が壊れ傷んでいて補修してあった物置の屋根もとうとう限界・・・。本格的な台風が来ればご近所に迷惑をかけかねません。物置は、ピーク時には自転車3台と、大中小3種類の梯子が入っていたかなり大型です。フェンスを取り替え、物置も一旦撤去することにしましたが、物置をどうするか思案中です。このところ雨がほとんど降らず、富士山の雪も斑ら・・・。なんだか、年老いたような痛々しい姿です。昨日、一都三県に「緊急事態宣言」が出ました。菅さんからは、緊迫感が全く感じられず今更ながら失望してしまいました。悲しいかな、とても効果が出るとは思えません。
2021.01.08
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ー 散歩道の紅梅 ースーパーへ行く途中にある家の紅梅が咲いていました。引き違いの格子戸の門までのアプローチの両側には、大粒の実をつけた万両が並び、鳥よけの袋がかぶせてありました。こちらは生垣の外にありました。同じ万両でも、門前のとは実の大きさが大違いでした。ー 年賀状顛末記 ー1月3日やっと年賀状のレイアウトを決め、年賀はがきを買いにコンビニへ。ナント、近くの2店とも売り切れ。目と鼻の先にある郵便局は明日から・・・^ ^;1月4日午前中、お年玉の現金書留を送りに郵便局へ行き、ついでに年賀はがきを買ってきました。午後、試し刷りしてみると、ナントこんな色に・・・(◎_◎;)2つ入っている黒の内、大きい方の黒がインク切れでした。最近は滅多にプリンターを使わないため、気付かなかったのです。時計を見ると既に4時をすぎてます。バスは行ったばかり・・・。ネットで頼むとますます遅くなるし、止む無く、徒歩で買いに行ってきました。帰宅して大急ぎで夕飯の支度です。昨日の歩数は、ラジオ体操&早朝ウォーキングと2度のウォーキング(?)で、合計12,879歩。急いで買いに行ったものの、流石に、昨夜は印刷する気が失せました。それにしても、マゼンダ(赤紫色)、黄色、ブルー、2種類入っている黒のうちの1つが切れただけで、こんな色になるのが不思議でした。1月5日他にも細かいトラブルがありましたが省略。やっと、年賀状パージョンをプリントして投函。やれやれ、なんとかギリギリ松の内に届きそうです。祖母が口癖のように言っていた「不精は泣くほど悲し」という言葉が頭に浮かびました。ちょっと意味が違うように思いますが(笑)我が身の計画性の無さを、深く反省した3日間の出来事でした
2021.01.05
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年末、賀状を作る気になれず年が明けてやっと、取り掛かりました。思い切って、今年から年始の挨拶の方法を変えることにしました。挿入する絵は同じ文章、サインなど、他の部分を変えて3種類作成しました。1.印刷して投函するもの2.LINEなどで届けるもの3.ブログ用絵は庭のパンジーを描いたものを使いました。絵を描き上げたのは昨年の2月半ば…。そのあと、こんな事態になるとは夢にも思っていなかった頃です。因みに、文字は年賀状用のアプリの中に入っていたものです。とてもこんな素敵な文字は書けません(*^^*)
2021.01.03
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皆さま あけましておめでとうございます。新年もどうぞよろしくお願い致します。今朝は穏やかな夜明けでした。岡村公園から見た、今朝の日の出をお届けいたします。房総半島の背景にかかる雲の上から、5分遅れで太陽が顔を出しました。2021年1月1日日の出:6時50分 日の入:16時41分6時45分公園に到着した6時30分頃には、日の出を待つ大勢の人がずらりと並んでいました。勝手知ったるいつもの場所ラジオ体操のあとに人垣の後ろの撮影スポットから、撮りました(^^)v6時46分6時50分空がどんどん赤みを増してきました。6時51分6時52分6時55分6時56分初日の出なんてそっちのけ…。わんちゃんたちは、お八つをじっと待ってました。なんとも可愛くて頬が緩みます。今日は午後からZoomを使っての新年会でした。孫たち3人の賑やかなこと・・・。いつもなら休みには泊まりに来てくれますが、去年はそれも叶わず、話がいっぱい溜まっていたようです。まずは、3人の孫たちから、競い合っての近況報告から始まりました。久し振りに顔を合わせてのお喋りはつきません。久し振りに笑い転げた、あっという間の1時間半でした。本当に便利な世の中になりました。
2021.01.01
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