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【長女,主から犬笛を教わって】「ジョーンズ氏,天国へいく」によって・・・平成14年4月29日 月曜日今日,茨城県江戸崎農業公園ポティロンの森に家族を連れて行ってきました.その後,妻の友人のお宅で竹の子取りをおこなって帰ってきたところです.妻は多くの収穫にただ今,悪戦苦闘しています.長女は今日,ポティロンの森で犬笛を自分のお小遣いで買いました.前にも同じ物を買った事はありましたが,音の出せぬまま無くしてしまいました.長女は親から見ると引っ込み思案なころがあり,今日も羊の毛の刈り取り体験があったのですが,中々手も上げられずに後で後悔しています.そんな長女が犬笛を買うときに、私達夫婦が言った「前にも犬笛を買ったのに吹けなかったでしょ」と言う言葉で,そこに居た牧羊犬を操る異国青年ジェイソン君に声を掛け犬笛の吹き方を聞き、音が出て,得意になって私のところに来てピーピーピーピーと耳元の近くで煩いぐらいに吹いて聞かせてくれました.その時は私も疲れていた事もあって「ヨカッタネ」の一言で済ましてしまいましたが、帰ってきてお風呂に入って私は長女にこんな話しをしました.ヤベツの祈りに書いてあった「ジョーンズ氏,天国へいく」の話しです. 〈内容〉 たとえば神は今日あなたに二十三個の具体的な祝福をくださろうとしていたとします.ところかが,実際にあなたがいただいた祝福はひとつだけだったとしたら,その理由は何だとおもいますか?ジョーンズという人が死んで,天国へいくといいうちょっとしたお話があります.ペテロが天国の門で待ち構えていて,天国を案内してくれます.黄金の通りや美しい家々,御使いたちの合唱など,ペテロが見せてくれた数々の素晴らしいものにまぎれて,妙な建物があるのにジョーンズ氏は気づきます.窓もなくドアが一つあるだけの,まるで巨大な倉庫のような建物です. 彼がなかを見てみたいと頼むと,ベテロは躊躇します.「なかに何があるかは見ないほうがいいですよ」とこの新参者に言うのです. なぜ天国に秘密などあるのだろう,とジョーンズ氏は不思議に思っています.あのなかにはどんなものすごいものが私を待ち受けているのだろう? 案内が一通り終わっても,まだそのことが頭を離れないので,あの建物のなかを見せてほしいと再び頼みます. とうとうペテロはしぶしぶ扉を開きます.ジョーンズ氏が急いでなかに入ろうとしたため,ペテロはもう少しで押し倒されるところでした.この巨大な建物のなかにジョーンズ氏が見たものは,床から天井まで並んだおびただしい数の棚で,どの棚の上にもすべて赤いリボンで結ばれた白い箱が,きれいに積み重ねられていたのでした. 「この箱にはどれにも名前が書いてあるぞ」ジョーンズ氏は声に出してつぶやきます.そしてペテロのほうを振り返って聞きます.「私のもありますか?」「ありますよ」そう答えるとペテロはジョーンズ氏を建物の外に出そうとします.「正直なところ,私があなただったら・・・」しかしジョーンズ氏は自分の箱を見つけようと,すでに「J」の列に駆け出しています. ペテロは首をふりながら後を追いかけます.彼が追いついたときには,ジョーンズ氏はちょうど赤いリボンをするりとはずし,ふたを開けるところでした.なかをのぞくと,ジョーンズ氏にはすぐにそれが何であるのかわかったようで,深いため息をつきます.ペテロが今までに何度も聞いたことのある類いのため息でした. ジョーンズ氏の白い箱のなかに入っていたものは,彼が地上に生きているうちに神が彼に与えようと願っておられたすべての祝福でした.でも.ジョーンズ氏はそれを求めなかったのです.「求めなさい,そうすれば与えられます」とイエスは約束なさいました(マタイ七・七).ヤコブも言いました.「あなたがたのものにならないのは,あなたがたが願わないからです」(ヤコブ四・二)神の恩恵に限界はありません.しかし,もしあなたが求めなかったら,昨日受けるはずだった祝福で受け損なったものがあるのです。そして「主の小さな祝福を授かったのだね」と話し「これからもプレゼントをもらおうね」と話しお祈りをしました。長女はとっても満たされた顔でお話を聞いてくれました。このようなお話が出来る機会が与えられたことを私達夫婦も主に感謝してお祈りをしました。帰りに寄った友人の家でも、今日私達とは別に来ていた友人がクリスチャンで、私達家族が帰り間際にそのクリスチャンの彼女と話しがハズみました。寄らせて頂いたお宅の友人も彼女と十年来の親友で、彼女が今までクリスチャンということは知らなかったそうです。主の御技に感謝致します。 エーメン
2002年04月30日
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【そいね】〈天使のぬくもり〉息子の体の温もりが,私の体に伝わりくる.心の奥まで染み広がる髪の毛の汗とシャンプーのにおいまでもが愛しく思えてくる.私の指をギュッと握って眠りにつく息子.息子の小さな手から少しずつ力がぬけてゆき,小さな寝息に変わってゆく.スースースーと顔を覗き込み「おやすみ」の声を小さく掛けて私も何時しか眠りに入っていった.グーグーグーと朝が来て,朝が来て,お日様がおこすころ目の前には息子の顔.「おはよう」の一言に顔を微笑で,くしゃくしゃにした顔で目を覚ます息子.私に体を摺り寄せて,モゾモゾ動き,大きな声で「オハヨウ」と起きてくる.笑いながら照れるように私の背中によじ登り朝一番の,いたずらを始める.外の光と息子の笑顔がとても眩しく下りてくる.そして新しいく創りかえらた,今日の始まりを迎える.主の御臨在を感じ,主への感謝と共に・・・エーメンそしてシャローン
2002年04月29日
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【風と潮の変化のままに】 {アガペーチャペル兄弟姉妹教会紹介}風と潮の変化のままに手をこまねいて漂流している。こんな船はたいてい岩にぶつかったり座礁したりして沈没してしまう。俺は真っ直ぐ遠くへと航海を続ける。どの船長も次の奇港地を知っている。この航海の行き着く終着地点は、はっきりわからないとしても、そこには何があるかをしっている。[成功の心理学(ダイヤモンド社)より]アガペーチャペル中央チャペル府中チャペル多摩ジーザスハウス川西アガペーチャペル中央チャペルでは今日もきっと中国人が集まり又,新しいミニストーリーが生まれただろう・・・・・ エーメン
2002年04月28日
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【素敵なプレセントに感謝・・・】窓を開け冷たい空気の流れの中で満月を見上げる.今日,贈られて来たCDの音楽が耳元に香りのように運ばれてくる.心地よく,愛おしく.私の心は主への喜びで満たされていく.妻,子供達への感謝と愛情で満たされていく.昔し懐かしい音楽に,そして賛美歌に・・・「自分が今,主に造り変えられている.」そんな実感が心と体を走りぬける.CDジャケットには,《母から子へ》~聖なる贈りもの~ 高橋久子妻はこのCDを聞いて涙ぐむ,妻は「スピリット・ソング」にとても感銘を覚えたようだ.台湾出身の女性が日本語の音楽を聞いてこんなにも感動しているなんて・・・と私は音楽に国境は無いのだなと,驚きの中で改めて感じさせられた.感動は今も歌と共に流れている.主とこの素晴らしいプレゼントに感謝を送りたい.有難う・・・有難う御座います. そして,エーメン
2002年04月27日
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【水は答えを知っている】著者:江本 勝(エピローグ)より水は宇宙の果てから,次々に地球にやってくる---この話聞いたとき,私は大きな危惧を覚えざるをえませんでした. このペースでこれからも水が次々に運ばれてくるならば,地球は水びたしになってしまうのではなてか,と思ったのです. 人類はQEBり,幾度となく水の被害にあってきました. 世界の諸民族の神話には必ずといっていいほど大洪水の神話がありますし,科学的調査によっても,過去,地球上を襲った大洪水があったことを示す証拠が見つかっています. ノアの大洪水,アトランティスやムーの水没もけっして作り話とばかりはいえないのです. 歴史は繰り返すという言葉のとおり,このまま水が際限なく宇宙から運びこまれるとするならば,地球はまた大洪水にみまわれる危険性をはらんでいるといわねばなりません. それは数千年先,数万年先ひことかもしれません. しかし,いまから何らかの対策を講じておかなければせらないでしょう. このところ世界各地で洪水が起きているというニュースも頻繁にほうじてられるようになりまた. このような恐怖が私の心をとらえ,地球に次々とゆってくる水をどうしようかと思ったときに,別の考えが私の頭をかすめました.宇宙のすべて相似形である. ミクロの世界を忠実に再現し,宇宙とは巨大な曼荼羅である. そう考えるなら,宇宙で起こりうることは,私たち人間の体の中で起こっていると考えられるでしょう. 人の体に必要なのは,水が循環しているということでした. とするならば,宇宙でも水は常に循環していかなければならないはずです.地球に大量の水がやってきてくれるだけでは,宇宙の中での水の流れはせき止められてしまいます. 水は地球を経由して,再び宇宙の果てに向かっておわらぬ旅を続けなくてはならないはずです. いま地球にある水も,いつしか宇宙に向けて出発するにちがいありません.地球に水が次々と送られてくるという事実は,何の物語っているのでしょう. 氷の塊がやってくるのは地球だけではないのかもしれません. しかし,他の星は水を蓄えておくことができません. 地球ほど,水をためておく条件が整った惑星はないのです. 太陽系を人体にたとえるならば,地球はそのなかで腎臓の役割を果たしているのではないか,と私は想像しています. 人間の体の中では毎日二〇〇リットルの水が腎臓によって濾過され,きれいな水に生まれ変わって,他の臓器に送られていきます. そう考えるならば,地球は太陽系をめぐる水をきれいにして宇宙に再び送り出してげる役割があるのではないでしょうか. それでは,地球にやってきた水をきれいにするのは,だけの役目なのでしょうか. それは,私たち人間です. なぜなら,私たちが水そのものなのですから. 私たちは地球に生まれ,地球上にある水をきれいにする義務があります.宇宙をめぐる長い長い旅を続けている水のことを考えるとき,人間はいったいどこから来た,どこへ行くのかという思いが私の心をとらえます. 人間が水であると考えたとき,いくつかの疑問が解けます. 人間の七〇%を占めている水.そこに記録されている情報は,私たちの人格を形づくっているにちがいありません. こんな話を聞いたことがあります.交通事故にあって輸血したとたんに,見たことのない風景や記憶が頭の中にあらわれた. あるいは,それまでの性格ががらりと変わってしまった・・・. 私たちが人生で体験した出来事は,水の記憶となって体内に残っているのではないでしょうか. それが,魂と呼ばれているものではないでしょうか.魂のこと,生まれ変わりのこと,霊の在. まだ証明されていない問題がたくさんあります. 水の研究を進めていくうちに,そういった問題が科学的に解明される日が来るように思います. それでは,これから私たちはどこへ行くのでしょうか. 私たちは水そのものです.てつの日か地球上で学んださまざまな体験の記憶をもって,宇宙へ旅立っていくのでしょう.私たちに課せられた仕事は,飛び立つ前にこの地球上できれいな水になることなのです. それにはまず,私たち自身がいきいきとした生き方をしなくてはなのません.私たちの意識が水を浄化し,それによって,すべての生命に向けて美しさと力強さをともなったメッセージを発信しなくてはなりません. 最後に美しい水の結晶で,世界を埋め尽くそうではありませんか. それには,何が必要でしょうか.「愛と感謝」です. その結晶の美しさを,どうかもう一度味わってみてください. 地球上のすべての人が「愛と感謝」をもつことができたなら.地球は本来もっていた美しさを取り戻すことができるのです. 私たちは,そうやって地球での短い人生を終えて,宇宙の果てに飛び立っていきます. どのように飛び立つのか,それはわかりません.そのプロセスは.宇宙の大いなる摂理におまかせしましょう. もちろんそのときはいまのような肉体ではなく,水そのもの,あるいはかすみのような水の姿になっているにちがいありません.・・・(この本,美しい氷の結晶の写真が一杯で子供でも大人でも楽しめますよ.)
2002年04月26日
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【主の祈り】天にまします我らの父よ,ねがわくは御名をあがめさせたまえ.御国をきたらせたまえ,みこころの天になるごとく,地にもなさせたまえ.我らの日用の糧を,今日も与えたまえ.我らに罪をおかす者を,我らがゆるすごとく,我らの罪をもゆるしたまえ,我らをこころみにあわせず,悪より救いだしたまえ,国とちからと栄えとは,限りなくなんじのものなればなり. アーメン☆四月二十六日はアガペーチャペル(坂本かおり牧師)による家庭集会がAM10:30より「ベテスダ・柏」で行なわれます.お気軽にお立ち寄り下さい.お昼食事あります.☆輸入品一部本日入荷しました.ガラス細工(ウエディング・ワシ等)・wwjpボールペン・キーホルダー等,後日また入荷予定されています.三月に入荷の際,一ヶ月で完売致しましたのでお早めにご注文下さい.
2002年04月25日
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【傲慢と謙遜】〔主と人〕今年の二月に妻の父親の病気見舞いに台湾の実家に日本から私達夫婦がアメリカ(ポートランド)からは妻の妹(クリスチャン)が旧正月の祝いもかねて帰りました.台湾に行くと私は中国語を話せないためジェスチャーやスキンシップでパントマイム的にコミュニケーションをとります.台湾のお正月の事,家族で出掛けるというので私は訳も分からずに着いていきました.すると・・・着いた所はお寺でした.台湾の両親,兄弟姉妹は仏教徒で特に母親は熱心です.(私の実家も同じです.)お寺に着くと私はお母さんから赤い袋のお布施を頂きました.ポケットに入れようと思ったら睨まれ,お坊さんに渡すのだと知りました.私は十五年前に妻との結婚式でお会いしたことのあるお坊さんの前に立ち,その袋を渡して軽く会釈して懐かしさと親しみを籠めて握手を求めました。するとお坊さんは戸惑うようにお布施を持って両手を引っ込め後ろに組み変えました.そして妻の兄が私の背後から私の肩を握り急に引き離したのです.私は「エ・・・俺なにか悪い事をした.」と思わず呟きました.するとお母さんがたどたどしい日本語で「神様に使える人に気安く握手を求めるなんて・・・」と言われました.私は日本のお寺は知りませんが,私が出会った教会の海外の牧師さんでも気軽に握手を牧師さんから求めて下さるので「エ・・・何で」と思いました.私は何時しかパントマイムのピエロのように笑いの中にありました.その後,注意して参拝者を見ていると皆お寺の縁側でお坊さんの前に膝をつき,頭を地べたの石に擦り付けてお布施を渡しています.お坊さんは片手を腰の後ろに置き,どことなくのけぞって,お布施を手元で握るときだけ頭だけがペコリと動きます.十五年前にもこのお寺に来た事あったと思うけど,その時は少なくとも立ち上がったまま皆さんお布施を渡していたように思い出し,「経済の低迷から宗教感が強くなっているのでワ・・・」と思わされました.「傲慢と謙遜」の違いを見た気がしました.二十世紀のアメリカを代表する詩人: ロバート・フロストが,このような言葉を残しています.(前にも書きましたが.)フランクリンがヒントを掴むまでに電鳴は幾度轟いたことだろう。ニュートンがヒントを掴むまでに林檎は幾度その頭上に落ちただろう。自然は常にヒントを与えている。私たちは、ふとそのヒントに気がつく。私にとって神様はこのように自然界に御手を置き存在し人間を敬愛し生きる術を常に示されている方だと思っています.私は今日,HPの掲示板に訪問されて来た方にこのように書きました.私の思う「教会」は一言で言って身近に置かれた「ゴミ箱」のようなものです.人は夫々が背負い苦しみ汚れたもの(罪とか悪とか)を棄てに来るのです.教会に行くものは棄てるものを生ゴミのように棄て全てを主に新しくしてもらう為です.さして人,建物に捕われることなく天の主を見詰める事が救いに繋がります.と・・・一言にゴミ箱と言っても骨董品の高価な物から100円ショップのポリ缶までありますね,それに愛着や執着心も.自らが選び失敗する事も・・・肉(宗教)の欲する部分を全て削ぎ落とせば「主が土に吹き込まれた息」に為るのですから.聖書の中の裏切り者のユダのように「香油を売ってお金を貧しい人達に配ればよいのに」私が昔,ノ-クリスチャの時の考えです.罪人だったのですネ未熟者のクリスチャンにはこのテーマまだ荷が重すぎたように思います.最後に多くの出会いを主に感謝致します. エーメン
2002年04月24日
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【長男&主の御技】(哀れみの夢) 長男は四月十四日で三歳になった.長男はその日,教会・自宅・実家と三回も祝福され三回もケーキを食べた.大人の私でもうらやましく思える誕生日だった・・・主よ,感謝します. エーメン長男は私達夫婦が十年目の結婚記念日に妻のお腹に誕生した.私達夫婦は次女の障碍で将来にわたり長女だけが次女を見る事になったら大変だろうと気に病んでいた時に妻のお腹がポッコリと突き出て生まれてきた.女の子とはまったく違うお腹の出っ張りは長男の誕生を生まれる前から暗示していた.長男はさすがに男の子,非常にヤンチャである.次女とチビながら対等に喧嘩し,対等に言い争う.そんな長男と私が今,過ごせるのも主の御技によって私が救われたからかもしれない・・・私が経営する会社は長男一歳の誕生日の少し前に倒産した.私は毎夜仮眠する度に,長男一歳の誕生日の日の夢を見ていた.(哀れみの夢)私は知人のビルの屋上に立ち強い風に打たれている.暗闇の中でビルから下を覗き込むとアスファルトが,みょうに黒光りして近くに浮いて見える.私は靴をそろえて脱ぎ,父へ死の直前まで苦しみを与えた事を悔やみ (父も現実では今も生きています.) 「○○○君今日で一歳・・・もっと抱いてやりたかった」等と,呟き時計を,見て (何故かPM:800) 屋上から身を乗り出すところで何時も目が覚めた.私はそのあまりにもリアルな夢を何度も何度も見せられ長男一歳の誕生日までは「命の掛かった借金は無くなったものの」何だか落ち着かない日々を過ごしていた.(日記:ベテスダ・柏出生参考)そんな,長男も今は三歳・・・ハレルヤ~~とでも叫ぼうか・・・長男への祝福は家庭も回りも明るくする.ニコニコニコリとスマイルが多く,わたし仕込みのイタズラも冴えている.大正生まれの父等は孫と野球をするのが夢のようでプロ野球を見ては孫を膝に乗せて年がいもなく,やっとの男の子の孫に「もう少ししたら一緒にやろうか??」と話し掛けている.長男は今日,水疱瘡に耐えて「クマのプーさん」と「ターザン」のビテオを,目を丸くして真剣に見入っていた.幸せそうにソファーに寝そべり,三人の子供が狭いソファーにひしめいている.この「夢」にはまだ続きが有る.最後は私がビルから飛び降りた所で終わった.地上に到達するまでビデオを早送りのように過去を見て悔やんだ.地べたに叩きつけられると,とても背中が痛く空を,仰ぎ星星を眺めていた.その後,解決の糸口を主が指し示してくれるのだが,其処は時が来たらまた書こう・・・四月二十六日「ベテスダ・柏」で (アガペーチャペル:坂本かおり牧師)による家庭集会がAM:10.30より有ります.お昼を楽しみにでも宜しかったら来て下さい.
2002年04月23日
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【次女からの祝福①】 (障碍児を持った親として・・・)次女の誕生は今思えば荒野に現われたオアシスのようなものだった.会社の経営は伸び悩み,生活費までも会社につぎ込む日々,妻とは次第に険悪になり(日記:ベテスダ・柏の出生参考)襖一枚で仕切られた二つの部屋のアパートで留まる所なく夫婦喧嘩に明け暮れしていた.そんな時に次女は誕生した.次女の話しは尽きないが,次女の障碍(知的障碍)を知ったのは幼稚園に入る少し前の事だった.顔のしぐさは普通に見えるが動作がぎこちなく言葉が遅いと気に掛かり近くの専門病院に連れて行った.病院ではMRCで脳の断面図を何枚も写した.脳の真ん中が白く成長が遅いと言われた.(両親共にショック)その後次女を専門施設にしばらく通わせ様子を見たが夫婦の考えで普通保育園に移した.普通保育園に移した頃から言葉と動作は少し激しくなってきたが,成長は進まずに小学校に入りもう一度他の専門病院で見てもらうとアイQは二歳半と言われた.そのころの私達夫婦は喧嘩も少し減り「次女を何とかしたい」との一心な親の気持ちが先行し始めていた.次女を毎月何度か都内の専門病院まで連れて行った.夫婦で,時には私が,時には妻が・・・その間の話し「プラネタリューム編」,「やきとり編」,「ペペロンチーノ編」と色々と話しは絶えないが其処は後日・・・おいおいとその後,私達夫婦はC姉妹(日記:ベテスダ・柏の出生参考)の息子さん鼻の骨肉腫の癒される証し,を聞きキリスト教会にと通い始める.C姉妹の息子さんが手術後のクリスマス少し前に次女の夢を見て私達夫婦の所にクリスマスの日に来て「◯◯◯ちゃんは,イエス様に使われているよ」と言ってくれたのは今だ記憶に新しい.主の奇跡は次女に対しての私達夫婦の考え方を変えさせ.彼女を成長へと導いている.今では小学四年生の特殊学級だが,言葉も日に日に多くなり.ビアノも少し憶え,絵も顔と分かる絵が書けるようになって来ている.ある数人は次女のことをこう言った.「この子は純粋で世間や大人を映すカガミよ」「この子は天使だから人の作った常識も知らないムクなの」私達夫婦は其処まで思えるほどに成長していないが,次女によって夫婦の危機な時代を繋ぎ止められたのは確かであると信じている.・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
2002年04月22日
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【 夢 (苦しみからの解放)】[ヘッドライト]会社が倒産した当時見た夢より・・・冬の高原での夜の事だった.寒さに震える霧をつらぬき,車のヘッドライトが僕を照らした.冷たい空気がそこだけ割けた時,くるまはが僕のわきに止まり車の窓が静かに下りた.車の中には君がいた.柑橘系の香りがほのかに僕を包んだ.そして君は僕に向かい「寂しそうネ」と呟いたのさ.もう世は明けようとしていた.そうさ,その時僕は思って,たんだ.愛すらも霞みの向こうで先が見えない.今,見えるものときたら足元に道があることだけ.右に進むべきなのか,左に進むべきなのか,前に進むべきなのか,後ろに戻るべきなのか,進む道すら分からない.耳のそばでは,ウォ~~ウォ~~と耳鳴りが響き,冷たい空気にかき消される.手は,いつのまにか他人のようにかじかんで感覚を失っていた.まるで死人のように・・・そして一本残ったマッチで,ポケットから出したクシャクシャの煙草に火をつけ,煙が霧に飲まれて消えていく時,君の車のヘッドライトが,煙草の煙と共に僕を照らした.温かい光りで.僕はその光りが天使の目のように思え,その車のボディーの赤は,天使の羽衣のようにも思えた.そして死人は,天使に救われて,神のもとに導かれる.僕はそんな思いが廻っていた.そして君の温かな車の中の助手席に身を委ねている.車は左右,前後,行き先も分からぬままにただハイウェーを進んで行く.君のハンドルのおもむくままに進んで行く.僕の脳裏も未来か過去か夢か・・・すらも,分からずに君の道を共に進む.行き先も分からぬままに進む.君を信じて天を仰ぎ進む.光りは前を照らし導きの道を滑って行った.その時期の状況は[日記:ベテスダ・柏出生]を参考にして頂ければ幸いです.
2002年04月21日
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【長女の祈り】[いじめと祈り] それは梅,桜と天を見上げ主を仰ぐ機会の多い季節のことです・・・長女(小学五年生)は仲良しだったお友達からいじめられていると言い出しました. その時は,親として少し話して解決したつもりでいました.長女の心の弱さが問題だと娘を理解せずに思っていました. そして・・・その後ある日の事,長女の洗濯物のポケットから♂♀の小学生とは思えないあまりにも露骨に描かれた性的な絵が出て来ました.私達夫婦は驚いて長女の絵,字では無いのが分かりましたので,どうしてこのような絵が長女のポケットに入っていたのかと聞きました.しばらくして長女は押し黙っていた口を開き ”これが長女に対してのいじめ” だと知りました.先生に相談すると一週間程して2人を呼んで事情聴取・・・友達は「娘が書いてくれと言ったので書いた.」と言い.それを聞き長女は「無言」で泣いていたと言います.私達夫婦はそれを長女から聞き無力な親として「祈りなさい,お友達のことも・・・」と言いました. 翌日また二人は先生に呼ばれました.先生は前日と同じことを確認するかのように話して下さいました. 長女の友達は前日と同じ答えです.先生は長女に答えを求めました.長女は涙まじりの声で「私が転向してきて初めて出来たお友達なのです.」「私は今も親友と思っています.」と言ったそうです.友達は突然に泣き出し涙が止まらず言葉も出せないほどだったそうです.先生はそれを見て「わかりました」と言い二人を帰しました.長女は帰り道に友達に「まだ親友だよね.」って声をかけたそうです.友達はうなずき,長女が転向してきて出会った時の話から始まり,楽しかった二人だけの想い出話しがたんたんと帰路の別れ道まで続いたそうです.長女は喜びの笑みを満面と浮かべ帰ってきました.私達夫婦はこの長女からの話しを聞き.二人は祈りによって親友のリバイバルをしたのかもしれなネ・・・前より仲良しになれると良いネ・・・ と話しました.昨日の私の日記【神様への緊急連絡 アメリカへの攻撃に対する私たちの応答】に有る御言葉のように祈りが争いごとを避ける主から授かった,最終兵器なのかもしれません.
2002年04月20日
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【神様への緊急連絡 アメリカへの攻撃に対する私たちの応答】[シアトル・シティ・チャーチ牧師 ウェンデル・スミス牧師] 《聖書は何と言っているのか》1,終りの日には,困難と患難の時代が訪れるようになります.(ルカ21:26,1テモテ4:1,2テモテ3:1,4:1-5)終りの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい.(2テモテ3:1)2,イエス・キリストご自身が,このようなことが起こると予告されました.(マタイ24-25マルコ13ルカ2)戦争や暴動のことを聞いても,こわがってはいけません.それは,初めに必ず起こることです.だが,終わりは,すぐには来ません.(ルカ21:9)3,人間は本質的に善ではなく,かえって罪に満ちており,恐ろしく悪い犯罪を犯す可能性を持っています.(エレミヤ17:9ローマ3:10-18)人の心は何よりも陰険で,それらは直らない.だれが,それを知ることができよう.(エレミヤ17:9)それは,次のようにかいてあるとおりです.「義人はいない.ひとりもいない.彼らの口は,のろいと苦さで満ちている.彼らの足は血を流すのに遠く,彼らの道は破壊と悲惨がある.また,彼らは平和の道を知らない.彼らの目の前には,神に対する恐れがない.」(ローマ3:10,14-18)4,このような悲惨な出来事に直面しても,良い神様を非難するのではなく,悪い悪魔を非難しなければなりません.(ヨハネ10:10-11,ヤコブ1-13-17,ヤコブ3:15-18)盗人が来るのは,ただ盗んだり,殺したり,減ぼしたりするだけのためです.わたしが来たのは,羊がいのちを得,またそれを豊かに持つためです.わたしは,良い牧者です.(ヨハネ10:10-11)5,悪魔に従いだまされた悪人たちだけが,このような邪悪で破壊的なことを起こします.(マルコ5:2-5,2テサロニケ3:2,1テモテ4:1)しかし,御霊が明らかに言われるように,後の時代になると,ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ,信仰から離れるようになります.(1テモテ4:1)6,悪を行なう人々は必ず裁かれ,神様の定められた国家の権威を通して,正義がおこなわれます.(ローマ13:1-4,1ペテロ2:14)また,悪を行なう者を罰し,善を行なう者ほめるようにと王から遣わされた総督であっても,そうしなさい.(1ペテロ2:14)それは彼があなたに益を与えるための,神のしもべだからです.しかし,もしあなたが悪を行なうなら,恐れなければなりません.彼は無意味に剣を帯びてはいないからです.彼は神のしもべであって,悪を行なう人には怒りをもって報います.(ローマ13:4)7,人類唯一の望みは,イエス・キリストを通して,神様と和解することです.(2コリント5:18-21)あなたがたも,かつては神を離れ,心において敵となって,悪い行いの中にあったのですが,今は神は,あなたがたをご自分と和解させてくださいました.(コロサイ1:21)もし敵であった私たちが,御子の死によって神と和解させられたのなら,和解させられた私たちが,彼のいのちによって救いにあずかるのは,なおさらのことです.(ローマ5:10)8,人は,生と死に直面した時に,永遠の命の現実性が最も重要な問題になります.(ヨハネ3:16)私にとっては,生きることはキリスト,死ぬこともまた益です.(ピリピ1:21)それは,私たちがキリストの恵みによって義と認められ,永遠のいのちの望みによって,相続人となるためです.(テトス3:7)9,今は誰でも主の名を呼び求め,悔い改めと赦しとを乞い求めるときです.(使徒2:21,ローマ10:13)しかし,主の名を呼ぶ者は,みな救われる.(使徒2:21)わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり.祈りをささげ,わたしの顔を慕い求め,その悪い道から立ち返るなら,わたしが親しく天から聞いて,彼らの罪を赦し,彼らの地をいやそう.(2歴代誌7:14)10.全世界の信者は,国家の指導者と権威者たちのために,祈りととりなしをささげるべきです.(1テモテ3:1-4)そこで,まず初めに,このことを勧めます.すべての人のために,また王とすべての高い地位にある人たちのために願い,祈り,とりなし,感謝がささげられるようにしなさい.それは,私たちが敬虔に,また,威厳をもって,平和で静かな一生を過ごすためです.(1テモテ2:1-2)11,血肉に対する戦いは,憎しみと人種差別につながりますが,悪魔の力と悪霊とに対する戦いは,リバイバルと赦しと和解と正義をもたらします.(エペソ6:12)私たちの格闘は血肉に対するものでなく,主権,力,この暗やみの世界の支配者たち,また.天にいるもろもろの悪霊に対するものです.(エペソ6:12)12.終わりの日には,神の御国の福音が宣べ伝えられ,教会が輝くようになります.(マタイ5:13-16,24:14,13:43)このように,あなたがたの光を人々の前で輝かせ,人々があなたがたの良い行ないを見て,天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい.(マタイ5:16)そのとき,正しい者たちは,天の父の御国で太陽のように輝きます.耳のある者は聞きなさい.(マタイ13:43)この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて,すべての国民にあかしされ,それから,終わりの日が来ます.(マタイ24:14){2001年9月11日 ホープ・チャージ資料より(ホープチャージ教会ここからリンク出来ます.)}
2002年04月19日
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【なぜ神様は悪い出来事が起こるのを許されるのか?】 《リック・ウォレン牧師》このひどい大惨事によって多くの人々が命を落とし,アメリカの多くの人々は,ショックを受け,怒り,悲しみ,深い失望に陥っています.私達の心は痛み,とどまることのない涙がながれています.なぜこのようなことがオメリカでおこってしまったのでしょうか? この出来事は体験した自分の親,兄弟,友人,職場の同僚たちの話しを聞くときに,この事件はなおさら私たちにとって個人的なものになりますそして個人的になればなるほど,さらに痛みが増し加わり,それと共にこの問いかけの声もまし加わります.「なぜ神様がこのような悪い出来事が起こることをおゆるしになったのか?」「もし神様が良いお方で何でもできるのなら,なぜ神は人間が苦しみ,お互いを傷つけ合うのをゆるされるのか?」その答えは,私たちの最も大きな祝福でもあり,最も大きな呪いでもある,『私たちには自分の行動を決断する能力がある』というところにあります.神様は私たちをご自分のかたちに似せて創造されたとき,私たちに自由意志をお与えになりました.私たちは,自分の行動,道徳的な判断などを理性的に自由に決断する自由が与えられました.これは他の動物たちがもっていない,人間の大きな利点ですが,同時にこれは全世界を災いに巻き込む源にもなり得るのです.私たちクリスチャンを含めて,人間は皆わがままで,自己中心的で,さらに邪悪な決断をします.そしてそのような決断がされたときには,必ず人々が傷つくのです.罪は,究極的な自己中心です.神様にするようにと言われたことではなく,自分がやりたいことをする.そして悲しいことに,そのような罪があるところでは,自分だけが傷つくのではなく,他の人々も傷つくようになるのです.神様は,人間から自由意志を取り除けば,全世界のすべての悪を取り除くことができるでしょう.神様は私たちをあやつり人形のように操ることもできたでしょう.そしてこの世から悪を消し去ることもできたでしょう.しかし神様は,私たちにあやつり人形になって欲しくはないのです.神様は,自由意志をもったご自分の被造物が,自分の意志の決断をもって,神様を愛し,従って欲しいと願っておられるのです.他に選択肢の与えられていない愛は純粋ではありません. もちろん,神様はテロリスト達から自由意志を取り除いてしまえば,あのような惨事を起こすのを防ぐことができたのです.しかし,もし神様が彼らにそれをするのであれば,私たちにも全く同じことをしなくてはならなくなるでしょう.あなたも私もテロリストではありません.しかしながら,私たちも自分勝手な自己中心的な決断と行動をするときに,他人を傷つけ,害を与えてしまいます. あなたは,誤解している人たちが,「これがおこったのは神の御心なのだ.」というのを聞くかもしれません.しかしそれはナンセンスです. 自由意志が許されているこの世の中では,神様の御心(意志)が成し遂げられると言うのは,めったにないのです.私たちが自分勝手な自分の意志を押し通しているほうが,当たり前のようにまかり通っているのです.この惨事について神様を責めるのは間違っています.「自分を愛するように,あなたの隣人を愛しなさい」と言われたことを守らないで無視した人々を責めるべきです. 天国では,神様の御旨と意志が完全になされています.ですから天国には悲しみがなく,痛みもなく,災いもないのです.しかし堕落した,不完全な地上においては,私たちが毎日,神様の御心を行なうという決断をしなくてはならないのです.それは自動的に起こるものではないのです.ですからイエス様は,「天においてなされるように,地においてもあなたの御旨がなされますように」と祈られたのです.聖書は,悪の根源を示しています.その罪というのは,こうである.「光が世に来ているのに,人々は光よりもやみを愛し,やみの中へ入っていった.彼らの行ないが悪く,神を喜ばせようとすることに心を傾けなかったからである.」(ヨハネ3:19)私たちは自分自身を喜ばせようとだけしているのです.これからの時代は,アメリカ全土の礼拝する教会に,必ず人々が溢れるようになるでしょう.このような危機的な時は,私たちが創造主なる神様に立ち返るようになるからです.これは今,全世界に広がっている霊的な危機感であり,また深く切なる願いです.9月11日の出来事が起きた瞬間に,何百人もの人が声をそろえて言った言葉は,「あぁ神様」でした.私たちは,神様とすばらしい関係を持つために造られたです.しかし,神様は私たちが自分の意志で神様を選ぶのを待っておられるのです.神様はあなたをなぐさめ,導き,悲しみの中から引き出そうと準備しておられます.しかしそれを選ぶのは私たちの決断にかかっているのです. 2001年9月19日 リック・ウォレン牧師よりWar or Peaceさん(http://plaza.rakuten.co.jp/warwar/)を見て・・
2002年04月18日
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《 リルケ詩集 》 レダ神が思いあまって白鳥のなかへ入ったとき彼は白鳥の美しいことにほとんど愕然としながらまったく狼狽してその中に姿を消しただが このまだ経験したことのない存在の感触を試すひまもなく 既にその偽りの姿が彼を行為へと導いたのだった そしてあけひろげのレダは白鳥となって近づいてくる者を知り一つのものを彼が求めていたことを悟っていたそれを彼女は狼狽て抵抗しながらももはや隠すことができなかったのだ 神は蔽いかぶさり次第に力のぬけてゆく彼女の手の間から頭をさしのべながらついに愛するひとのなかへ辷りこんだそれから はじめて自分の羽をうつくしく思い彼女のひざのなかでほんとうに白鳥となったのだったこの「リルケ詩集」の中の「レダ」はギリシャ神話の話しらしいが,中学生時代にこれを読み「レオナルド・ダビンチ」の「レダ」の絵を見て,えらく感動したのを,憶えている.高校受験の帰りだった・・・秋吉久美子さんが妊娠しているときに「タマゴで子供を生みたい」と言っていたが,正しくそんな絵だったように思い出される.いまだに何故か手元にある詩集・・・風が戸をたたく音を聞きながら今日の夜はなんだか思いにふけっている.もう17日のAM1.00
2002年04月17日
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【中華のお店しんちゃん&長男誕生日】ただ今,「ベテスダ・柏」スクラップブックの方に写真載っています.(本場手作り)中華家庭料理(日記に証し有りますのでお読み頂ければ幸いです.)点心の店しんちゃん〒300-1254茨城県稲敷郡茎崎町宝陽台18-8TEL・FAX:0298-74-2015混み合っていますので予約が必要.月曜火曜日定休日E君より場所は「牛久の田宮交差点」を左に曲がって 46号線経由で、茎崎町役場の手前の宝陽台の一角にありました 普通のお宅を改装してアットホームなお店になってました。千葉台湾基督教会は牧師さんも変わり,場所も近いうちに千葉駅前のビルに移るそう・・・私達家族の通う「アガペーチャペル」のお洒落な看板も載っています.
2002年04月16日
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私は神に問いかける夢を見た。“あなたは私に聞きたいことがあるのか?”と神が言われた。“もしお時間があれば”、と私が言った。神は笑った。“私の時は永遠だよ。”“どんな質問があるんだね?”“人間について、いちばん驚かれることは何ですか?”神はお答えになった。“子どもであることにすぐ飽きてしまうことだ。急いで大人になり、大人になると再び子どもに戻りたがる。また、金儲けのために体を壊し、体を壊しては健康回復のためにお金を使う将来のことを心配して考えるが現実のことは忘れる。それは現実にも未来にも生きていないということだ。また、彼らは決して死なないかのように生き決して生きないかのように死ぬ。“神は私の手を取り私たちはしばらく沈黙した。それから私は尋ねた“親として、子供たちどんな人生のレッスンを学んで欲しいですか?”神は微笑みながらお答えになった。“誰かに自分を愛させようとすることはできない。できることは、愛される人になることだ。豊かな人とは、たくさん持っている人ではなく少ないものて足りる人であること。愛する人の深い傷口を開くのには数秒でよいが癒すのには何年もかかること。実践的な赦しによって赦すこと。愛情深いが、その思いを単に表現する術を知らない人々がいること。ふたりの人が同じものを見ていても、違った見方をするということ。人に赦されるだけではなく十分でなく、自分自身を赦さねばならない時があること。そして、私がいつも共にいることを覚えておきなさい。“ echmrch.topanより
2002年04月15日
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【兄弟姉妹からの愛】今日,千葉台湾基督教会で陳牧師夫婦がアメリカ(カルホルニア)に旅立つ為に皆の持ちよりでパーティーが礼拝後にとりおこなわれた.私達夫婦の長男は今日が三歳の誕生日な為,共に祝って下さるという.学生時代の群馬の友人が昨日「 中華料理のしん ちゃん 」で昼食後より私宅に泊まって居たので私達は友を連れ立て,姉妹二人を途中でひろい出かけていった.青空には白い雲が流れ気持ちの良いドライブ日よりだ・・・中国語の賛美が始まり中国語の御言葉が終わり牧師さんとの別れの挨拶が終わると兄弟姉妹達はザワザワと食卓をつくる.食卓が出来ると次々に料理が運び込まれてくる,姉妹達の力作揃いの数々・・・チキン,スープ,漬物,煮物,キムチ,豆腐の餡かけ等などを見ながら祈りの席につき祈りの時を迎える. アーメン絶品の龍鳥茶を味わいながら話も自然と弾む.デザートが出てくるスイカ・いちご・フルーツなど等と祈りと食べ物で心もお腹も満たされていく・・・主に感謝その後,妻の持ってきた三つのケーキが運ばれてくる.息子は前に座り○○○の誕生日・・・と一言いってハッピーバースティを歌いだす.兄弟姉妹皆も,たからかに声を合わせて歌い始めてくれた.息子は照れるように笑い,うつむきかげんに頬を赤らめる.陳牧師が息子の頭に手をおいてお祈りをしてくれた.息子も大きな声で「アーメン」と祈る・・・私達夫婦もこの子の末永い健康を主に祈り託す.息子の小さな手と妻の手がナイフを握りケーキをカットする.私の心は祈りの言葉と十字架で充満している.「息子よ,末永く健康で逞しくなれ」そんな思いで天を仰ぐ・・・主よ,息子を御見守り下さいと・・・息子の満面の笑みに心が熱くなり息子の愛らしさ,愛おしさに抱きしめたい思いで満たされた.その後友人と千葉市で別れ「おじちゃんと行く」と息子は泣いた.「親の心,子知らず」とはこのことだなぁ~~とボソっと呟き帰ってきて今度は実家で又,息子の誕生日をお寿司とケーキでおこなった.「主と周りの人に愛される息子よ,君は幸せ者だ」この場を借りて千葉台湾基督教会の皆様,陳牧師さん今日は本当に有難う御座いました. 陳牧師さんアメリカでも体に十分に注意して健康で牧会に頑張って下さい.主の祝福が常に満たされますように・・・エーメン
2002年04月14日
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【鳥からのメッセージ】昨日の金曜日には澤本先生による黙想家庭集会が「ベテスダ・柏」でおこなわれました.午前中(AM10.30~約PM13.00)の部では [黙想家庭集会]瞑想のなかで主の御臨在を知り自分を見詰め自分の罪深き所を十字架のイエスの血潮により清め精霊に満たしてもらうというものでした.傷が癒され満たされた時を持つことが出来ました. 感謝ですその後,皆で妻の料理したタイ風ビーフンとトムヤムクンを食べ・・・交わりにもお腹も満たされ祈りの時を迎えました.私はその時,少し外に出たのですが,外でムクドリの夫婦が巣作りの材料を運んでいるのを見ました.夫と思える方のムク鳥は枝を,妻と思える方のムク鳥は葉を銜えて目の前を飛び立って行きました.夫婦のあり方のメッセージが鳥によって運ばれて来たようにも思えました. エーメン午後(PM14.00~約PM16.00)の部では [聖研]聖研では前日の牛久市でおこなわれた「アブラハム牧場」から気になっていたルカ5章の「深みに漕ぎだして,網をおろして魚をとりなさい.」・・・イエスのシモンに対する優しさを学ばせて頂きました.そのページが開かれたとき私は驚きました.聖書の御言葉が今だ,未熟な私は昨日からこのページを気になり探していたのです. 主に感謝ですその後また私は外の空気を吸いに少し外に出ました.今度は三羽のツバメか,すずめがじゃれあうように追いかけ飛んでいました.我が家の三人の子供が前日のお風呂上りに楽しそうに騒いでいた話しを聞いたすぐ後のことです.なにか二つの出来事が我が家の出来事にも思え主の祝福と輝きを感じました.そして家庭において子供達ともっと交わりを持ちなさいとのメッセージにも受け取れました.その後PM17.00頃まで交わりの時を持ち,主の御臨在を感じ主の香しい香りに満たされた一日を過ごせました.主イエスとお忙しいなか都合をつけていらっしゃって下さった澤本先生に祈りを持って感謝致します・・・・・エーメン次回,澤本先生による家庭集会は五月三十一日を予定しています.ご都合の宜しい方は体験してみて下さい. (癒されます.)「経験は最高の教師なり」
2002年04月13日
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【主の光】 夏の夕暮れ団地の隙間の公園で,時計はその時PM8.00を指していました.男の子と女の子が遊んでたました.ブランコで,ゆらゆらゆらり今日は,満月女の子が,突然に空に声をかけました.「お~い お空のお月様,あなたはお空で何をしているのォ~」隣でブランコをこいでいた男の子は,それを聞いてクスリと笑って小声で答えました.「まっくらお空を明るくするのォ~」とその時,空に花火が上がって,二人はお空を見詰めていました.昨日の木曜日は茨城県牛久市で鄭トゥルヨン牧師による「アブラハム」と言う男性だけの牧場が有りました.(毎週木曜日PM20.00よりおこなっています.)今日はAM10.30より坂本かおり牧師よる「ベテスダ・柏」の牧場が有ります.主の御言葉に感謝致します・・・・・・・・エーメン
2002年04月12日
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「ベテスダ・柏」(今月残りの牧場)情報4/16 元馬橋キリスト教会 澤本先生の黙想家庭集会 AM:10.30~4/26アガペーチャペル 坂本かおり先生の家庭集会 AM:10.30~ こられる方は前もってお電話を下さい. 別れ・・・秋の終りに(お寛ぎ編)トラックが自動販売機の前で止まった。けたたましいエンジンの振動が止まると、そこには凍りつくように冷たい静けさが広がる。販売機の迎えの家の二階は、さっき分かれた彼女の部屋、漏れる灯が光柱(ひばしら)のようにトラックを照らしている。男は販売機の中を缶コーヒーを弄(まさぐ)る。缶の温もりが手に伝わり、白い息を一息つくと、男は二階の窓に一端目をやりトラックに飛び乗った。エンジンを掛けると、けたたましい振動が静けさの中に、又広がってゆく。男はもう一度その窓に目をやりトラックを進めた。トラックが動き出して音も次第に遠くなった時、女性は窓を開け、そのトラックの後ろを見送った。声にならない言葉で「・・・・・」唇は小刻みに震え「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ」と目には、その日の夜空の星のように沢山の涙が輝いていた。
2002年04月11日
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【出会い主の御手に預けて】先日の「アガペーチャペル」でまた一つの出会いがありました.小学科アービックの先生がある方に出合わせて下さったのです.[ある方]とは同じ教会の姉妹なのですが,その方が出かけた先のお店で相席になった女性が台湾の女性だったそうです.その台湾の方と片言の言葉を交わし電話番号の交換をして帰ってきた数日後,その台湾の女性から電話が入ったそうです.寂しそうなのは伝わってくるのですが言葉の壁でうまく慰めて上げられなかった・・・とのこと「寂しそうなので誰か母国語で会話してあげられる人は居ないものか?」とアービックの先生に相談したところ住まいからも妻が一番に近いのではないかと台湾出身の妻に電話を入れてみてくれないかとのお話しになりました.早速,先日お電話を入れたのですが何度かお電話しても繋がらずに,やっと夜になり繋がりました.私にも分からない中国語が飛び交いしばらくして突然に「ハレルヤー」と大声を発する妻・・・何が起こっているか私には分かることもなく電話は終わりました.私「オイオイどうした,突然にハレルヤーって大声で?!?!?」妻「カトリック教会に通ったことが有る方なのよ・・・神様信じているの」 私「唖然」台湾でカトリック教会に通い結婚して最近日本に来て,東京のカトリック教会に数回通っていたものの遠いので最近は中々行けずに近くの教会を探そうかと悩んでいたそうです.私の妻も十四年前にある美容院に入ると「外国人はお断りだよ」と帰されたことが有り日本に居ることにも涙ぐんでいた時期が有りましたので.そんな差別が彼女にも日本の何所かで有ったのかもしれません・・・妻は翌日早速に「ベテスダ・柏」の牧場に来て頂くよう約束をしました.日本人の旦那さんもまだキリストを知りませんがいずれ男性君子の牧場「アブラハム」にお誘いしようと考え祈っています.主は常にユニークにことを運びます. 喜びと祝福に満たしてくれます.主のドラマチックな演出には常に感動を覚えます・・・エーメン
2002年04月10日
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いつも大変にお世話になります.この一週間で皆様には約五百カウントまでアクセスして頂きました.まさかこんなにも皆様に見て頂けるとは思わずに始め,このように見ていただけていることは本当に嬉しく思います.主イエスの祝福と皆様の声に,とても感謝致しております. エーメン「ベテスダ・柏」はこれからも心の癒しをテーマに皆さんの交流の場として使われていくことを願っています.これからも引き続きご指導賜れますよう宜しくお願い致します.(この場を借りてアガペーチャベル様,BBN聖書放送様,他のご協力者の皆様,リンクその他のご協力有難う御座います.言葉は思いに足りませんが伏して感謝のお礼を申します.)
2002年04月09日
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昨日の「ヤベツの祈り」について・・・(2)ある人が,「この祈り他力包含的なだけじゃないの・・・」と言われましたが先日の家庭集会でC姉妹(写真有り), が「フッ」とこんな事を言いました.「私,最近になって気が付いたのですが時々 人をねたましく思うときにねたましいと思い祈っていても何の感動も無いの・・・それよりあの人こんな祝福を授かっています. もっともっとあの人に主よ,祝福を与えて下さい・・・でも私も同じように欲しいです・・・」と祈りを変えたそうです・すると祝福が訪れるそうです. 天の国では兄弟姉妹なのだから憎むべき敵では無いのだそうです. C姉妹には何時もお世話になっています・・・ありがとう主を愛し,主に愛されるお祈りでありたいと思います.でも実際は中々出来ずに,こんなお話しを聞くと目から鱗が落ちる思いがします.主の御言葉として受け止めたく・・・エーメンヤベツの祈り私を大いに祝福し,私の地境を広げてくださいますように.御手が私とともにあり,わざわいから遠ざけてくださいますように.(ヤベツの祈り好評販売中 売れすぎゴメン!!!ご予約品有り:本 日本語1,000-・英語1,800-・中国語1,200- CD英語7曲2,000-税別)エドガー・ミッチル「ありえないこと」が起こった時、それを間違いとしてみるのではなく、自分の知識の欠落として考え直すことができる人であってほしい。「宇宙空間に別に不自然なことや超自然なことがあるわけでわない。ただ但然に対するわれわれの知識と実際にはキャップがあるというだけだ。だからわれわれはこの知らなかったギャップを埋めるように努力しなければならない。」
2002年04月08日
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ヤベツの祈り 私を大いに祝福し,私の地境を広げてくださいますように. 御手が私とともにあり,わざわいから遠ざけてくださいますように.(ヤベツの祈り好評販売中 売れすぎゴメン!!!ご予約品有り:本 日本語1,000-・英語1,800-・中国語1,200- CD英語7曲2,000-税別)今日,アガペーチャペルでは愛餐バーベーキューがおこなわれた.昨日から楽しみにしていた長女(小六)は青空の広がりに大喜びでパクつていた・・ 昨日の天気予報では今日は雨,バーベキューを楽しみにしていた娘は「明日が楽しみです神様お願い・・」とお祈りをしてから「おやすみなさい」と二階に上がっていった. 子供が悲しむのは親としては辛いもの,なら主も・・・ 「明日は雨だよね~~」と言いつつも私と妻,何時ものようにダメモトでお祈りを始めた. 今日の朝おきると外はドンヨリ雲っている. ダメかもしれない??????????信ずる者は救われる. 娘は逸る気持ちを押さえきれずに浮かれている.「何とかもってほしいね~」と祈る夫婦. 礼拝が終り外に出るとそこには春の温もりと青空が広がっていた. そして外に出された机の上には日本・中国・韓国等と国籍を超えた料理の数々に,食欲をそそる香ばしく立ち上るけむり.兄弟姉妹の交わりの時は楽しく流れた.主に感謝致します・・・エーメン
2002年04月07日
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去年のクリスマス近いある日のこと,妻が姉妹にこんなことを話していた「夕食の献立に悩んだ時に私,神様に祈ったの「今冷蔵庫の中に有る物で夕食を美味しく作りたいです.飢えています.」 て・・・すると自然と献立のレシピが頭に浮かんできたのよ,不思議でしょ試してみたら」と早速姉妹は試したらしく数日後の話しでは,「試してみて私も先日夕食助かっちゃった.」との声が私の耳に入ってきた.ニコ.ニコニコと私は笑い思わぬことを考えていた[長女に日ごろ新しい自転車が欲しいと言われている.この際ダメモトでお願いしてみるか.] それから数日間,祈りの中に自転車のことを加えて祈った. するとクリスマス前日のこと工場に行き,仕事をしていると外でキジの鳴き声がして表に出てみると目に入った物はキジより先に自転車だった.近づいてよく見ると大きい紙にマジックで「不燃ごみ」と書かれた紙が貼ってあり,その上にもう一枚「資源ゴミです料金が掛かります.」と書かれた,市で貼ったと思われる紙が貼ってあった.自転車自体は,空気が抜けているものの後はホコリをかぶっているだけで,タイヤもたいして汚れていずに機能は十段変速のマウンテンバイクその上,長女の身長にもピッタリの高さで申し分ない.早速私はサビを落とした所,ピカピの新車如くなりクリスマスには何日か後れたものの娘を大変に喜ばすことが出来た. 神の祝福に感謝・・・・・エーメン その後,二月になり夫婦での台湾里帰りが決まった時も私はこんな事をお祈りしてみた「主よ,私には台湾に着て行く洋服が有りません何を着て行ったら良いかも分からないのです.ご用意して下さい.」これも前日のことだった・・・親戚から突然に電話が入り「サイズが大きい皮ジャンが有るから着てみて(私は185㌢)」との事,親戚はその時,私達夫婦が翌日台湾に行くことなど知らなかった.行って着てみると手の長さまでもが仕立てたように私にピッタリでソフトな皮は私にフィトしていた. もちろん翌日からの台湾では大変に重宝した.後で親戚にそのジャンバーの話しを聞くと始めに知人が7~8万円で買いサイズが大きく着られずに親戚に譲ったものらしい・・・親戚の方は大変に気に入り仕立て直しても着ようと一年持っていたが「フッ」とその日,押入れを覗きこみそのジャンバーが目に止まり私の事が思い出されたそうだ.まだ大きい望みは中々適っていないようにも思われるが,このHPも友達に支えられ何とか可動しているのはやはり主と友のおかげだと思う.この場を借りてお礼と感謝を贈りたい...「ありがとう」そしてエーメン 02/4/7 0時45分46秒
2002年04月06日
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フランクリンがヒントを掴むまでに電鳴は幾度轟いたことだろう。ニュートンがヒントを掴むまでに林檎は幾度その頭上に落ちただろう。 自然は常にヒントを与えている。 私たちは、ふとそのヒントに気がつく。 二十世紀のアメリカを代表する詩人 ロバート・フロスト常に与えられ,常にそこに有るものでありながら人が見落としているもの・・・主の愛がここにも見える気がする.主に感謝致します・・・・エーメン今日は「アガペーチャベル」の坂本かおり牧師様とチョン梅淑副牧師様を交え「ベテスダ・柏」の家庭集会がありました. AM:10.30から始まり家庭集会が終わったのがPM:5.30頃・・・女性五人と男性(私),子供二人に幼児一人で・・・わかるでしょ~~言わなくても???お昼は妻ご自慢のタイ式カレーで舌鼓・・・C姉妹がC息子の証し(日記:ベテスダ・柏の出生に一部有る)をしました.そしてその後,最近になりC息子の鼻の骨肉腫の手術の後をCTスキャンで見て,その見事さに立ち会った医師と驚いたそうです.「やはりあれは主の奇跡としか思えない.」と仰っていました.楽しい時間は「アッ」と言う間に過ぎるもの・・・姉妹達は美味しいものを食べに又夕日の中出かけて行きました.出先でのミニストーリーはまた機会があったら・・・つづく
2002年04月05日
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今日,目が覚めてから私の頭上に雲のように浮かぶ思いがありますそれは「BBNとの不思議な出会い.」私はパソコンを始めてから約2ヶ月,始めた当初にパソコンのことで相談に行った兄弟がインターネットの「お気に入り」に入れて下さったのがことの始まりでした.帰宅後,私がパソコンをガチャガチャといじっているとヒョイと出てきたのがBBNのホームページでした.兄弟が私のパソコンにどんなホームページをお気に入りに入れてくれたのかと興味津々に見ていました.そしてニュースレターの希望にアドレスを入れてパソコンが止まりました.[Ctrl],[Alt],[Del]を押して復帰後にパソコンを終了させました.アドレスが届いているとは思っていませんでした.それから数日後,BBNからニュースレターが届くまでは・!届いたニュースレターには自分と似た境遇を体験されている方の「何と深い主のご計画」と言う文書がのっていました.私は夜中それを読み深い感銘と共感を覚えBBNに間違えだらけの文書で自分の共感する思いと体験を送らせて頂きました.その後,BBNから温かく力強い励ましの言葉が届き,ニュースレターには私の文面がそのままのっていました.今思えば不思議です.私達夫婦はその後,兄弟姉妹と共に「ベテスダ・柏」をオープン・・そして12月2日に家族五人で洗礼を授かり先週のこと・・新聞社(リバイバル新聞に今月中に乗ると思います)が取材にいらっしゃるとのことで私は出版社を持つ私達夫婦が通う教会に行きました.そこで幸いな人11月号を数冊お店のサンプルとして頂いてきました.先日の日曜日12/9,教会から子供のピアノ発表会と忙しく過ごし夜中のことです.妻が「え!この文11/13の文」そこには「何と深い主のご計画」がありました.そしてBBNの当時のニュースレターを見てみると「幸いな人11月号より」と書かれているではありませんか.BBNと私達の通う教会がこれほど身近なものに思えたことを嬉しく思いました.そして「何と深い主のご計画」を書かれた方と語り合えたらと心揺さぶられる思いがします.もし教会の方でしたら声を掛けて下さい.もし離れた場所に居られるかたでしたらメールを下さい.共に語れる日をお祈りしています・・ベテスダ・柏 何と深い主のご計画 ローマ11:25~36 私たち夫婦は2人そろって洗礼を受けましたが、その後主人の事業が行き詰まり、取り立て屋が家に押しかけて来るようになりました。家も売り払わなければならなくなり、「もう限界だ、主人と別 れよう」と考えていたとき、「…負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない」(ルカ11:46)というみことばが与えられました。そのとき、主人をさばくだけで一緒に重荷を背負おうとしなかった自分の姿を示され、別 れることを思い留まりました.その後、神様は不思議な形で私たちを支えてくださいました。クリスチャンの不動産屋が与えられて、家を高値で売ってくれました。また良い弁護士が与えられ、嫌がらせをされることもなくなりました。礼拝の中で、神様が主人を愛しているのだから、私も主人を愛するべきであると示され続けました。それによって私は主人にささやかな愛を示すようになり、少しずつ家庭が回復していきました。 そのようなとき、教会で毎年行なわれている沖縄への宣教旅行に行った私は、自分の家庭の崩壊と回復を証しする機会を与えられました。すると、同じように家庭に問題を抱えていた主婦の方たちがたくさんおられ、彼女たちの大きな慰めと励ましになったのです。その翌年には何組もの家庭が主によって修復されており、ご主人たちも一緒に教会に来るようになっていました。さらにその次の年には、ご主人たち、お子さんたちがこぞって洗礼を受けたのです。 私たち夫婦の苦しみをとおして、多くの人が救われるという神様の深いご計画があったことを知り、神様の恵みに感謝せずにはいられません。「幸いな人」11月号なんという神様の恵みの素晴らしさでしょう。私達はこの恵みを多くの人々と分かち合って行きたいものです。苦しみは苦しみだけで終わらないのがキリストの深い御愛なのですね、BBN 日本語 ニュースレター Vol. 8 より(2001年11月10日)毎日のお祈りにその事を加え祈ると,その後年内にその「何と深い主のご計画」の作者とお会い出来ました.教会で皆の前に立ち此方を向いて賛美されていました.彼女は賛美しながら涙ぐむ妻が気になり何時も「あの夫婦が癒されますように」と祈りながら歌っていたそうです.先日も夫婦ゼミナーでご一緒になり色々と交わりをもたせて頂きました.この話しはまだまだ始まりでしかありませんでした.主の御創りなったご計画はまだまだ続いています.それはベテスダの池に下り立った天使の輪のように大きくウエーブしながら描かれています.
2002年04月04日
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洗礼式(2001年12月の文章です.)主の働きは常にユニークにおこなわれます.私達夫婦は12月 2日に洗礼を授かりました.その日,私達夫婦は「ベテスダ・柏」をオープンし初めて聖書関係の本や賛美歌のCDを長野県の教会2件を回り販売する予定で計画を立てていたところでした.ですが今はクリスマスシーズン「今は忙しい時期なので少し見合わせてください」と同時に二つの教会からお詫びのお電話を頂きました.そんな私と妻が落ち込んでいる時に今通っている教会の牧師さんからお電話を頂きました.「教会のお風呂でよかったら洗礼を受けませんか?」とのお話しで・・・私達夫婦は野外洗礼を希望していましたので少し抵抗はありましたが,今は水も凍る冬・・・年内に洗礼を授かりたい思いは私も妻も同じ,出来たら子供にも授かりたい,するとやはりお風呂かな~~などと考えに考え決めかねて主にお任せすることにしました.すると姉妹達に不思議なことが次から次とおこりはじめました.その日,子供の受験の説明会で忙しいはずの姉妹が参列出来る事情になり.今まで教会を離れていた姉妹も参列して下さることになり.教会に今まで幾度か誘っていた友達までもが,別の友達を誘い集まってくれました.まったく持ってハレルヤです.私達夫婦は慌てて牧師さんにお電話を入れ洗礼をお願い致しました.2001年12月2日落ち葉も綻び青く空も清んだ日に私達夫婦は家族五人(私,妻{台湾出身},長女{小学五年生},次女{知能障害を持つ小学三年生},長男{二歳})で洗礼を授かりました.私達家族は香しい花束を兄弟姉妹から頂き,教会のお風呂場に足を進めました.お風呂場で着替えをしていると外はザワザワ・・・長女はどことなく緊張しています.着替えが終わると引き戸が開けられ入れんばかりの兄弟姉妹達が参列してくれました.牧師さんと子供主日学校の担当先生がギターを持って私達を先導してくれます.お風呂に優雅に踊る湯気を午後の優しい木漏れ日が照らし賛美歌の声がお湯に波紋を描いています.ギターの音は反響しリフレインしています.お湯に私,妻,長女,次女,長男と順番で足を入れていきます.始めは次女と長男は顔をお湯に沈めるのを怖がると思っていましたが,次女は清々しい顔で長男はこぼれんばかりの笑顔で前髪をお湯で輝かせて上がってきました.ギターの音色と共に兄弟姉妹の歌声が温かいエコーになって響きます.誰でもキリストの内にあるなら・・・その人は新しく作られたもの古きは過ぎ去り全ては新しい主の内にあるなら全ては新しい♪♪♪♪・・・ハレルヤ兄弟姉妹が私達に手を差し伸べ湯煙が揺らめき天に昇っていきます.主イエスキリストさま感謝致します.そして兄弟姉妹,牧師さんに・・・・・アーメンベテスダ・柏の方も色々な教会から集う兄弟姉妹達が神に賛美し神に身をゆだねて色々ことを始めようとしています.「トールペイントワンデーゼミナー」と題し,自分の努力の賜物でイエス様の誕生日を飾れたらきっとイエス様も喜んでくれるのでは?との思いから・・・12/5・12/6・12/13・12/14にはトールベイント教室をおこなうつもりでいます.兄弟姉妹の交わりの場として,家庭集会の場としても成長出来たらと考えています.様々な教会の兄弟姉妹が同じ主イエスキリスト様を愛し集う場でありたいと思います. ベテスダ・柏
2002年04月03日
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風高原に風が揺らいだ朝露に湿った草花が、そよぎ踊り新しい日の誕生を祝う露は地に落ち生命に力を宿す草花は、大地の喜びに震え高原は色彩に溢れ鳥達もその美しさに賛美を贈る朝が来た、新しい朝が高原に風が舞い草花は二つに別かち、又出会う太陽は、天に昇り、満たしと恵みが注がれる高原は、草花の香しい精霊に満ち溢れ虫達は、風に遊んで舞い踊る煌めく虫達の羽は生命を愛しみ草花に愛を授ける温和な風が全てを包み、全てを愛す心地よい昼の訪れを感じる高原が冷たい風によどむころ精霊達も天に帰り鳥達も去っていった草花も過ぎ去る時を静かに待つ天から月が救いの手を差し伸べる雲は、ちぎれ今日は満月風が、静かに優しく高原を撫ぜていく虫達は、泣いた美しい満月を見詰め神の救いの光を仰いで天にも届く鳴き声は、星々を揺らめきえと変える H13.6.15.
2002年04月02日
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水餃子、芝エビのチリソ-ス、五目焼そば、キムチ---どれをとっても味は逸品と大評判の本場手作り中華料理店「点心の店しんちゃん」をご紹介します。うわさのその店は、国際福音キリスト教会のアガペーチャペル会員であるシンさん(台湾出身現在50歳)が店長兼コックを勤めている。店は常磐線牛久駅から車で約5分。閑静な住宅街に位置し、立地条件も良いと言えないが、遠方から噂を聞きつけて足を運ぶお客さんも多く、評判は口コミで広がっているほどの大盛況。これは神の奇跡としか言い様がないと本人は語る。 シンさんは、高級中華料理店などで30年以上も料理長を勤めた経歴の持ち主だが、クリスチャンになる前はストレスからタバコは一日6箱が当たり前、お酒もかなり飲み、味付けも自然に濃くなってしまった時期があった。ところが、7年前、訪問伝道を通じてクリスチャンになった途端、酒とタバコをぴたりと止めることができ、周囲を驚かせたという。その後、ストレスも感じることがなくなり、料理の味付けに関しても、もっと良い味が出せるようになったという。将来的には、自宅を増築して料理教室を開き、技術を教えながら福音を伝えていきたいというビジョンを持っているシンさんのもう一つの夢は、同じようなコック仲間に休息場所を提供することだ。そうしたシンさんの夢が、伝道の一歩として近い将来、実現することを大いに期待する。(問い合わせ先:0298-74-2015「点心の店しんちゃん」)娘さんは台湾で駅やゼブンイレブンにポスターが張られる程の女優をしている.(後藤きみ子さん)
2002年04月01日
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