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【聖地】[ アバ音楽の森 ① ]森の谷間に主の光りくだり・・・緑の木々は天使のごとくに翼をふるわす.車は狭き門を潜り,まるでタイムスリップでもしたかのように,懐かしい空気の香る森へと呑まれていった.森の谷間は母親の母体のように清くけがれを知らない.ぬくもりの「愛」で天の恵みにうるおっている.主によって森のホワイトホールは守られ.頭上ではマリアが天を仰ぎ.主イエスは手を広げて皆を招きいれる家族での「愛」の招きがそこには有った.賛美歌は静けさに森を木霊し魚までもが池を舞う鐘が鳴る とこしえに清らかに「愛」の音色も高らかに 六月一日†♪アヴェ・マリア♪† (天使祝詞)めでたし 聖寵充ち満てるマリア 主御身と共にまします御身は女のうちにて祝せられ 御胎内の御子イエズスも祝せられ給う天主の御聖母マリア 罪人なるわれらのために今も臨終の時も祈り給え アーメン.CD {母から子へ} ~聖なる贈りもの~ より
2002年05月31日
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【 神様からの夫婦「愛」 】{国際結婚夫婦の証し}先日,暫らく離れていた友人から突然に電話が入りました.私は幾度か手紙を出したのだのですが何時も戻って来ていました.忘れて懲りずにまた手紙を出して又,戻って来ていたので.その友人の電話は喜びでした.手紙の件で「どうしたの・・・」と尋ねると.友人は言いにくいそうに笑いながら「実は妻と四年前に別れたのだ」と話してくれた.・・・・・・・・・・・・言葉が見つからりませんでした.そんな話しをしながら,このパソコンを見るとNECからのメールのこの文字が目に入りました.『スズメを見ましたか?どこにでもいる身近な鳥「スズメ」。一夫一妻制で、ほとんど二羽で行動するそうです。中国語では「麻雀」はすずめの意味で、ゲームは「麻将」(マージャン)と書きます。英語では「Tree Sparrow」。ヨーロッパでは、一回り大きいイエスズメが街にすみ、日本のスズメと同じ種類は山にすんでいます。「スズメ」、よく見るとスマートでかわいいですよ。●スズメより 早く目覚めの サラリーマン』そして今年3/20~3/21に私達夫婦も受講した「アガペーチャベル」の「夫婦ゼミナーテキスト」が出てきたのです.この三つの偶然が私に夫婦のある時代を甦らせました.それは私達夫婦の新婚時代のことであります.国際結婚の私達は「 「愛」さえ有れば言葉や国境などは関係ないと 」結婚を夫婦になりました.結婚して夫婦になってみると・・・「とんでもない」言葉のすれちがいはジョークまでも喧嘩の種に変え.長女が生まれれば長女の教育問題も喧嘩の種になりました,私は「仕事が忙しい」と言っては帰りも遅くなるようになりました・そんな中で次女が誕生して喜びもつかのまの幸せ.次女が生まれてもピリピリとした冷戦は続きました.「もうダメダ」と思った時に次女が障碍児であることが分かり次女の事だけで夫婦はなんとかくつながっていられたのです.神のわざが現われるように.次女の障碍は妻を主イエス様へと近づけて行きました.多くの失敗は消去法のように「いのちに至る狭き門に」神のお導きによって導いて行ってくれました.その「愛」の温もりは次第に私にも波及していったのです.そんな時に会社が倒産・・・「神の裏切り」とすら感じ頭で悩みました.でも結果は「逆」だった.荒野では,主は重荷を背負っていてくれたのです.心貧しき者はそれに気が付きませんでした.主の「愛」に・・・多くの問題が無力の私の周りから自然と解決されていきました.そして主は多くのことを後に そなえていてくれたのです.私達夫婦は毎日を今は つがいで飛んでいます.家族も主の恵みに満たされています.クリスチャンホームの喜びです.主のそなえは今も常に続いています.そして夫婦.家族はそれを啄ばむ・・・主に感謝の祈りを奉げます エーメン『いのちに至る門は小さく,その道は狭く,それを見だす者はまれです.』 (マタイの福音書7-14)『神は,罪人の言うことはお聞きになりません.しかし,だれでも神を敬い,そのみこころを行なうなら,神はその人の言うことを聞いてくださると,私たちは知っています.』 (ヨハネの福音書9-31)
2002年05月30日
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【謙って語ろう】林の話しを 聞いてみよう青空の 雲の流れに主の時をゆっくり味わい 話し合い幾度も幾度も へりくだってはお辞儀を返して 語り合う木々と木々とが 握手をしては 話し合い風と共に 語り合う【エンジェルリング】月満ちて光 目映く雲照らす雲に煌めく金の輪 描き煌めく金の輪 地上におりし闇夜の道に 安らぎ注ぐ主の光 満ちたる光平安に全てが 光に開かれて闇の傲を 光で消し去る主の愛 たずさえて天使がくだる祝福と 栄光に 満たされてグローリア主の「愛」が天使と 共に闇夜を 洗うエーメン
2002年05月29日
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【眠れない夜に主の「愛」見詰め】先日の夜の事,子供達を寝かしつけようとお布団に入れた時のことだった.次女と長男は直ぐに眠ってしまったが,長女(小6)は私に何かを話したそうに目をランランと輝かせて私を見ていた.私は長女に「どうしたの」と声をかけた.長女はその言葉に口火を切って話しはじめた・・・今日ネ.教会でこんな話しを聞いたョ.ある三人の子供がいてね,いたずらばかりの悪い子で何時もお父さんは学校に呼ばれて校長先生に怒られては謝っていた. ある日の休日にお父さんは三人の子供を連れてデパートの屋上に近い階のレストランに食事をしに行ったのだって. そしたらデパートが火事になって・・・「火事だ~」の声に子供達は戸惑うばかり・・・お父さんが逃げようと三人の子供を下の階へと先導したら,もう火がまわっていた.「無理だ」と思ったお父さんは矢も追えず屋上に三人の子供達を連れて逃げた・・・燃え盛る炎は足元までも熱くする.お父さんは周りを見渡し1メータ程,離れたビルを見つけて,そこに自分の体,全体を橋にして掛けたのだって.長男,次男,三男とそれぞれに声をかける.「パパの背中をつたって隣のビルに逃げなさい」と・・・長男,次男がお父さんの背中を渡った後に三男は「怖いよーボク無理だょ」と言う.父親は片手でしっかりと隣のビルを掴み.もう片腕を上に持ち上げ三男のお尻を「大丈夫だよ」と優しく押してあげた.ビルを掴む腕は限界を感じてプルプルと振るえている.そして「パパは天国のイエス様のところにこれから行かないとならないから,お母さんをたのむよ」と一言いって落ちていったんだって.そう話してその話しを終えると長女は目を瞑った.私に長女は何が言いたかったのだろう・・・と考えていると.私に妻は一言「ただお話しがしたかっただけじゃない???」だって・・・せっかくの娘の意思表示に感無量になっている,お父さんに,その言葉は少し寂しいじゃないの・・・ 『疲れた者,重荷を負う者は,だれでもわたしのもとに来なさい.休ませてあげます.』(マタイによる福音書11-28)
2002年05月28日
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【 長男のお気に入り (パート 2 ) 】(♪♪キャベツ♪♪)♪♪♪キャベツの中から青虫 出たよお父さん 青虫キャベツの中から青虫 出たよお母さん 青虫キャベツの中から青虫 出たよお兄さん 青虫キャベツの中から青虫 出たよお姉さん 青虫キャベツの中から青虫 出たよ赤ちゃん 青虫蝶々になりました~~キラ・キラ・キラ・キラ・キラ♪♪♪♪♪♪三歳の長男が最近お気に入りで歌っています. 嬬恋キャベツも成長しているかな・・・ 元気な収穫,美味しい収穫が待ちどおしいナ・・・
2002年05月27日
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【予定(木曜日5/30)(金曜日5/31)】今日の夜もお月様は満面の光を放ち,雲に金色のエンジェルリングを作っている.光は地上の闇に安らぎを齎す.エーメン[ 予定(木曜日5/30) ]{アブラハム牧場}茨城県牛久駅近く(2・3分の所)で毎週木曜日に「アブラハム牧場」がおこなわれている. (PM:8.00より)聖書指導は「アガペーチャペル」鄭トゥルヨン牧師.●チョン トゥルヨン/韓国 ’88年 聖心外国語専門大学 観光通訳学科 卒業。’95年 専修大学 法学部法律学科 卒業。 2000年3月 12使徒共同体神学校卒業。 2001年3月 国際福音グループ 牧師 就任。 アシスタントは奥さんのチョン梅淑伝道師.●チョン 梅淑/’89年 韓国子供宣教神学校卒業。チョン トゥルヨン師と結婚後、12使徒共同体神学校で学びなが ら、府中チャペル 牧会担当。現在、中央チャペルの牧会担当。それに「アガペーチャペル」アービックの田口先生も来られている.今回は藤田桂子先生もご見学に来られる予定.夕食の韓国家庭料理もとても美味しい.是非,多くの方のご参加をお進めしたい.[ 予定(金曜日5/31) ]{ベテスダ・柏 牧場}千葉県柏市(南柏)で澤本先生をお招きして月に一回,日本のキリスト教会でも珍しい「黙想会」がおこなわれている.(AM:10.30より)黙想を通しイエスの御手によって癒されるという「黙想会」・・・より多くの人に体験してイエスキリストの「愛」にふれて頂きたい.午後からは澤本先生の聖書勉強会もある.昼食は台湾家庭料理からタイ式カレーなど毎回,気分によって違うのでお楽しみ.今回は藤田桂子先生もご見学に来られる予定.是非,多くの方のご参加をお待ち致します.〔雲の中にわたしの虹を置く.これはわたしと大地の間に立てた 契約のしるしとなる.(創世記9・13)〕
2002年05月26日
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【命≠戦争】戦争を体験した者にとって有事法案は大変気になるものです。当時の例として戦争反対を口にしただけで逮捕され拷問される。軍の都合で家を壊される。気に入らない者から先に徴兵される。お互いを監視し密告を奨励する・・・sam8raiの日記より http://plaza.rakuten.co.jp/freedome/bbs/父,88歳は私が幼い頃に戦争でのシベリアで捕虜になった辛い思いを子守唄変わりのように耳にタコができるぐらいに聞かせてくれました.「最後に戦争はイヤだよね」との優しい言葉を添えて,母はよく上野の[忍ばず池]に空爆で火だるまになった人達が大勢が飛び込み死んでいた話しをよくしてくれました.「ザリガニが一杯,死体にむらがっていたのだよ・・・戦争は怖いよネ」と戦争の悲惨さを言葉として添えて.そんな戦争の話しも現代ではどこに消へ去ってしまったのか???今や,聞く事も写真を見ることも中々チャンスがないですよね・・・現代人の記憶の中にも命の尊さへの欠落すら感じてしまいます.上野の[忍ばずの池]一つとっても,その時代に何か一つでも未来に教訓を残すべきだったのだと思います.「空はこんなに広いのに視野はなんと狭いのだろうか」と考えさせられてしまいます.言葉は少なく何時も思いに足りませ.今日の夜空は満月の光が雲にエンジェルの輪をつくっています・・・敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい.(マタイによる福音書5-44) エーメン
2002年05月25日
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【北朝鮮人の難民・「神に感謝します.」】中国における北朝鮮人の難民を救出しなかった日本政府は人権を保護できなかった事になる。(KamomeのHPより)北朝鮮人の難民,本当に日本の対応が取り正されますネ韓国に着いて記者の「一番感謝する事は」の質問に彼らは「神に感謝します.」と答えられたそうです.私は昨日,教会の牧場(アブラハム牧場)に牛久まで出かけて行きました.私の通う教会は韓国ご出身の牧師さんの教会で,この言葉が話題に上りました.感動したそうです.北朝鮮・韓国では「神」と言うと「イエス様」を示すようで,彼らはクリスチャンではないかとの話になりました.北朝鮮には二つの公認された教会があり,その教会の方か,教会に通っていないクリスチャンかは分かりませんが.もしも,その教会の方ならこれから・・・その教会への北朝鮮の対応にも目が離せない所だと話して下さいました.日本の対応が大きく問われることになるかもしれません.同じ「主」を崇めるクリスチャンとして又,人として平和を祈りたいと思います. シャローンそしてエーメン
2002年05月24日
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【長男のお気に入り】♪♪♪タンポポはタンポポはお日様の子供です夕方になると花を閉じて眠ります朝が来て朝が来てお日様が起こすまで♪♪♪三歳の長男がお気に入りで歌っています.今日ももうタンポポは目覚めたかな??? 5/24/2002 4:26:38 AM
2002年05月23日
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【 ♪♪ 何と素晴らしいわが主 ♪♪ 】主のみざのまえに まことのやすらぎよろこびがある みかおをはいするそのたびに 主のまことをたたえんなんとすばらしい わたしの主主イエスのまことは すべておみたすなぐさめぬしよ このわれを くるしむものにつかわしたまえ しょうがい 主のあいをつたえつつ 主のまことをたたえん なんとすばらしい わたしの主主イエスのまことは すべてをみたすいのりをきかれる イエスさまあらしのなかでも わたしをまもる主のつばさの かげでやすらぎ主のまことをたたえん なんとすばらしいわたしの主 主イエスのまことは すべてをみたすなぐさめぬしよ このわれを くるしむものにつかわしたまえ 生涯 主の愛を伝えつつ 主の誠を讃えん 何と素晴らしい 私の主主イエスの誠は 全てを満たすなんと素晴らしい あなたの主主イエスの誠は 全てを満たす(ワーシップ&プレイズⅢ・97より)楽譜集.CD.「ベテスダ・柏」販売中
2002年05月22日
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【 アーサー・ホーランド( Arthur Hollands ) 】1951年大阪西成区で生まれる日本でハイスクールを終えたあと,父の国アメリカへ全米レスリング選手権チャンビオン2回.バンアメリカン大会銀メダル.全米柔道選手権大会でも3位に.23歳で洗礼を受ける.首の骨を損傷して現役を引退し,路傍伝道,日本列島縦断十字架行進.「ミッションバラバ」の創設,バイク・ミッションでの活動,さらに薬物依存症などの少年少女に福音を伝えている.現在,アーサー・ホーランド・ミニストリー主宰「テロだ,報復だ,戦争だ,あいつが悪い,こいつが悪い,許せ,許さない,戒めだ,ジハード(聖戦)だ・・・,様々な声が飛びかっている.火山の爆発のあとの噴煙のように,怒り,嘆き,悲しみ,ため息など,様々な感情が地球全体を覆っている.これはある特定の国の問題ではなく,世界の,また,我々一人ひとりの問題なのだ.この地球の上に今,生きている人間が,今後,どのような生き方をしていくのかを真正面から問われているのだ.これは俺にとっても,同じことだ.」[不良牧師! 「アーサー・ホーランド」という生き方]より《ある方への手紙として》不良牧師「アーサー・ホーランドという生き方」と言う本をお進め致します.元ヤクザ,ミッションバラバ「映画:親分はイエスさま」の父のような方です.私もバラバに知人が居るのですよ・・・背中の罪の刺青も今は主の光で満ちています.貴方の答えに出会えることをお祈り致します.tttttttt エーメンtttttttt
2002年05月21日
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【主が示す障碍者への「愛」】今日,藤田桂子先生とお久しぶりにお会いして夕食を共に話しをすることができました.沖縄から海外に行き,大阪,そして千葉へと来られたそうです.相変わらずに元気印で頑張っていました.話しが進むにつれて,障碍を持つ我が家の次女のことからこのような話しをして下さいました..「日本の教会や神学院には障碍児を霊的な成長を持って育てる専門的な知識とプログラムがあまりにも少なく.障碍児を授かった親としても安らぎの場所であるはずの教会が,現状では祈りの時間おも平安に貧しい・・・せめて教会だけでも平安な時間が障碍児を持つ親に与えられることは出来ないものか・・・外国を見るとかなりその面で整っているように思われる.私はこれからの各教会が真剣に考えていくビジョンであると思っている.」と私達夫婦も共感し心強い感銘を覚えました.祝宴を催すばあいは,むしろ,貧しい人,不具の人,足なえ,盲人たちを招きなさい.その人たちはお返しができないので,あなたは幸いです.義人の復活のときお返しを受けるからです.」イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて,イエスに,「神の国で食事する人は,何に幸いなことでしょう.」と言った.するとイエスはこう言われた.「ある人が盛大な宴会を催し,大ぜいの人を招いた.宴会の時刻になったのでしもべをやり,招いておいた人々に,『さあ,おいでください.もうすっかり,用意ができましたから.』と言わせた.ところが,みな同じようにことわれ始めた.最初の人はこう言った.『畑を買ったので,どうしても見に出かけなければなりません.すいませんが,お断りさせていただきます.』もうひとりはこう言った.『五くびきの牛を買ったので,それをためしに行くところです.すみませんが,お断りさせていただきます.』また,別の人はこう言った.『結婚したので,行くことができません』しもべは帰って,このことを主人に報告した.すると,おこった主人は,そのしもべに言った.『急いで町の大通りや路地に出て行って,貧しい人や,不具の人や,盲人や,足なえをここに連れて来なさい.』(ルカの福音書13-14~21)またイエスは道の道中で,生まれつきの盲人を見られた.弟子たちは彼についてイエスに質問して言った.「先生.彼が盲目に生まれついたのは,だれが罪を犯したからですか.この人ですか.その両親ですか.」イエスは答えた.「この人が罪を犯したのでもなく,両親でもありません.神のわざがこの人に現われるためです.(ヨハネ福音書9-1~3)聖書から見てもハッキリと障碍者は健常者よりも素晴らしく主の祝福とご計画を授かっていることが分かります.また,教会が率先して「主の愛」を伝えなければ・・・ハレルヤ・・・エーメン2002-05-20
2002年05月20日
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少年の石少年は袋から小さな石を出し、それを投げた。巨人は、それを頭で受け倒れた。 1996年 4月28日何時か何処かで見た詞より
2002年05月19日
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【 ♪♪ Footprints ♪♪ 】主と私で歩いてきたこの道足跡は二人分でもいつのまにか一人分だけ消えてなくなっていた主よ あなたはどこへ行ってしまったのですかわたしはここにいますあなたをおぶって歩いてきたのだあなたは何も恐れなくてよいわたしがともにいるからワーショップ&プレイズ -21竹田しのぶ 作詞土屋たまみ 作曲
2002年05月18日
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【 ♪♪君は愛されるため生まれた♪♪ 】きみは あいされる ため生まれたきみの しょうがいは あいでみちているえいえんなる かみの あいは われらのであいのなかで 実をむすぶ きみのそんざいいが わたしたちにはどれほどおおきな よろこびでしょうきみは あいされるため 生まれた いまもそのあいうけているーきみは あいされるため 生まれた いまもそのあいうけている うけているー ワーショップ&プレイズⅢ 楽譜集⑬ リ・ミンソップ:作詞・作曲 T.L.S 訳詞 より
2002年05月17日
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【許し】[猟師の像] (去年,見た夢より)去年の4月28日頃に見た夢が何故か今日になり頭に浮かんだ.その夢は二日に渡り見,あまりにもリアルだったのでメモに残した.そのメモも何故かすんなりと見つかった.何か主の意味が有るかのように・・・ [猟師の像](夢) ある山間の町に美術学校が有った.その美術学校では生徒が残した貴重な美術品が二つ有った.一つは何年も昔から校舎の向かいの谷底に雨曝しに置かれ風化して今にも崩れて壊れそうな像だった.その像はあまりにも脆い石で作られた像で,頬のこけた中年男性がしゃがみこみ,美しい女性の頭をその足元で抱え込み顔を悲しげに覗きこみ見詰めている像だった.この像には学校内で伝え次がれた話があった.その像を作った生徒がまだ子供だった頃にお爺さんと猟に出かけた.そして鹿を見つけてお爺さんの撃った弾は流れ弾となって最愛の女性を死なせてしまったのだ.撃たれた女性,お婆さんの死に顔は二人が出会った頃の若々しさそのままだった.お爺さんと孫の悲しみに満ちた呻き声は地の底をも這い体を震わせた.その止まらない涙は土に飲まれて消えていった.その生徒(孫)はその悲しみを像に託したのだった.ある日,新入生の生徒が老いた先生にその像について二つの質問をした.「如何して,そんなに貴重な作品を雨曝しにするのか?」「如何して,この人はこんなにも石の中でも脆い石を使って作品を作ったのか?」と・・・すると老いた先生はこう言った.「私もこの像を作った生徒に昔,同じ事を聞いたことが有る.」先生は一つ溜め息を吐いて話し始めた.「するとその生徒は言ったのだ.」「かたちあるものは全て時の流れに消されてしまうが,それでも良い,この学校の伝説として心に残り語り継がれていくならば.」「二度とこのような間違えが繰り返されなければ.」と・・・老いた先生は,また一つ深い溜め息を吐いて続けて話し出した.あの時の私は若かった・・・今の私ならきっとあの生徒にこう言ってやれただろう.「人の記憶も言葉も時の流れの中では風化してしまう,その力も衰え消えていくものだと.」そしてもう一つのこの学校の貴重な美術品は小高い丘の上に有った.それは硬い石に刻まれた絵で水おも弾く石で作られていた.その生徒の子供(曾孫)がその後に贈呈したものだった.曾孫が父と祖父の深い悲しみに救いの祈りを込めて彫ったと言う.その絵は像とくらべて,あまりにも対照的で神の力と聖霊の光に満ち溢れた男の顔であった.雨が降ると七色のアーチがその絵の上にかかった.天に近く光の柱は常にその絵を指し示していた.許された顔をしていた.描かれた男が妻を足元で抱え込む腕にも生命を讃える輝きが満ち満ちていた.天にその絵は生きていた.神の祝福はその絵に神の時間を与えていた.その絵のオーラは次々と観る人々を愛の中に包み込んでいった.感動は消えることなく心に刻まれていった.
2002年05月16日
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【母の日の出来事 Ⅳ 】[障碍児のプレゼント](おまけ)先日,母の日に妻は私とは別の教会に行った.そこでの礼拝の中でのお話しにとても感銘を受けたと話してくれた.ある脳性麻痺の子供を持つ母親が,牧師さんの所に幾度も来ては,「この子を治したいのです,祈って下さい.」とその度ごとにお願いされた.牧師さんはある日,このお母さんに言われたそうだ.「障碍を持つ子を授かったことは,すでに天の父に選ばれたことです.」「パンを欲しがる子供に石を与える親がいますか???」「きっと,より多くの祝福に出会えますよ・・・」それから数ヵ月後,その母親が,また牧師さんを尋ねて来たそうです.母の言葉 「ありがとうございます.あれからアメリカの専門病院で治療出来ることになり,アメリカで治療を受けていると,子供が話したのです・・・「ママここにもう少し早くから来ればよかったね」って,嬉しくてたまりませんでした.主に救われた思いです・・・」妻も主に出会うまでは障碍を持つ次女に悩み苦しみして,心から次女を見詰めることに疲れてしまっていました.「なぜ・なぜ」の言葉に自問自答してハッキリとした答えも無いままに・・・主の愛にふれて妻は次第に次女を見詰めなおす発見の中で「主のご計画」を感じました.家族も変わりました.次女が私達家族を主に導きました.主の祝福と共に・・・(日記:ベテスダ・柏出生 参考)ハレルヤ・・・・・エーメン「主の愛を体験される方は幸いです.」
2002年05月15日
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【主の御手に満たされて】清らかに 主に安らいで力強く 主に守られて奇跡のごとく 主に導かれて全ての罪を 主に許されて大いなる 愛ここに注がれるシャローン そして アーメン 今は天国へ召された人へ
2002年05月14日
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【母の日の出来事 Ⅲ 】[長女の奉仕]昨日,教会への行き帰りの車中でのことである.妻は別の教会に用があり出かけ,私は長女,次女,近所の知人の子供を連れて教会に礼拝に出かけて行った.8人乗りの車の中は三人の子供達が飛び回る.千葉から茨城の一時間半の道のり,子供には旅行にも思えるのだろう.近所の子供は窓の外の流れる景色に見入って静かになった.しばらくして「気持ち悪い」と言い出した.彼は車なれしていずに前回も「ゲロゲロ」と大変だった.今回も「来た」と思ったとたんに,長女が「大丈夫」と彼に声を掛けて袋をサッと,その子の前に出した.教会での子供達は楽しみ,主の恵みに満たされていた.帰ろうと彼に声をかけると「え~~もう帰るの」と言われた.それでも帰らなくてはならない・・・遊びに疲れた子供達は次々と車中で眠りに入った.私宅の近く「もう大丈夫だな???」と思ったときに,彼が咳をした,長女が直ぐに目を覚まして「大丈夫」と声を掛けて袋を出した.お昼に食べたカレーの臭いが車に広がり窓を私は慌てて開ける.「ハッ」と気が付くと長女は,彼の背中を擦って介抱していた.私は痛んだ,心の中が・・・長女の献身的な態度と私の罪深い思いがオーバーラップして,主を仰いだ.主は言われた「貴方の傲慢な所はここにあるのですよ.」と・・・私は「主が長女にしっかりと「愛」の信仰を授けているのだなァー」と嬉しく思った.感激と自らの罪に祈った・・・・・エーメンと今日(平成14年5月13日),突然にプリンターが壊れ電器屋に行った.何気なくプリンターの部品を買うついでに「ノートルダムの鐘2」のDVDを手に取って買っていた.長女に渡すとスゴク喜んで,「ありがとう」と言って早速に真剣に見ていた.今,思えばこれは主から長女への信仰を持った優しい奉仕へのご褒美だったのかもしれない.私の思考の中には買ってあげる気持ちは無かったのだから・・・神よ,わたしを憐れんでください御慈しみをもって.深い御憐れみをもって背きの罪をぬぐってください.わたしの咎をことごとく洗い罪から清めてください. (詩編51-1~4)
2002年05月13日
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【母の日の出来事 Ⅱ 】[命のクローズ]今日,妻に親しい友人から電話が入った.妻は電話を手にして引き攣るような声で泣いている.それは楽しみを終えた闇に包まれた夜の出来事だった.妻の友人が首を吊って自殺したとの知らせだった.「今,警察が入っているの・・・」との生々しい知らせに妻は声を失い,涙していた.妻は私に話し始めた.重たい声で訥々と.異国から嫁に来ていた彼女は三年前より,咽喉の痛みを気にして大きい病院の数件を点々と回って診てもらっていたらしかった.彼女は,どの病院でも「小さい石があるだけなので気にしないで」とクスリを貰って帰ってきては,体調は一向に良くならず.彼女は重たい病を頭に描いてしまっていたようだ.彼女が病状を安心に伝え治療に専念出来ると思った母国での治療を考えたときに,家族は「日本の優秀な医療で手術をしないものが,異国で無理な手術をして,かえって悪くなっても面倒を見られない」と発言してしまったらしい.彼女はその後,痛みを病んで母国での手術に挑んだ.五月の1週目に日本に戻り,その痛みに悩んだ.手術は成功したが,痛みは増した.(心の痛みも増したのかもしれない・・・)死の前日に別の知人宅を訪れて「痛みに耐えられない」と話していたそうだ.三年前より幾度か機会を見ては,妻は教会に誘う積もりで,苦しみから救われた方々のお話をしたそうだ.彼女は誘うたびに主を受け入れる扉を求めなかった.「もう少し前に知っていれば教会に無理にでも誘い,祈れたかもしれない」と妻は言う.悲しそうな顔をして話していた.主の寛大なお心が彼女を天国に導いて下さるように,お祈り致します. エーメンぼん#さんのHP でこの文を見て,「このような死に方もあるんだな~」と私も「ほんま感動しましたわ.」・・・先生の最後を看取った後輩の主治医が、連絡をくれた。「あんな人生の終わり方、あるんですね。まわりの人、みんな『よかった、よかった』言いはるんですよ。ほんま感動 しましたわ。」 人生の最後の時まで、キリストを述べ伝えた先生だった。 告別式での弔辞で他の人が「片岡先生には狭い門から入れって言われました。」・・・ぼん#さんのHP http://plaza.rakuten.co.jp/ponsworld/
2002年05月12日
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【母の日の出来事Ⅰ】[父の臨在]今日は私と妻は別行動をしていた.私は長女と次女,それに近所の男の子を連れて「アガペーチャペル」へ行き.妻は長男を連れて千葉市に有る「台湾教会」に行った.今日の朝,妻に早くから私の実家の87歳の父から電話が入った.「今日,夕食の準備をしておくから夕食の心配はいらないよ.」との内容だった.そして私達はそれぞれの教会へと向かった.今日はそれぞれの教会で「母の日」の行事が有り,牧師さんのメーセッジもそれに伴ったものだった.私の教会では牧師さんが「家族に愛される肉の父の頭上には,天の父の御臨在がある.」と言った言葉が脳裏に残った. 帰って家族揃って実家に向かう.「お父さん,急に夕食を作ってくれて如何したのかね・・・」などと話しながら.実家に着き,食卓に行くと,そこには山盛りのチキンと舞茸の混ご飯,味噌汁などが並び,チキンなどは一つ一つ丁寧に持ち手が紙で包まれている.美味しい夕食を済ませて,妻が洗い物をしようとして,父が「今日は母の日だから◯◯◯ちゃん,洗い物してあげない.」と長女に声を掛けた時に事情が分かった.父は小さな孫達の変わりに母の日のプレゼントを妻にくれたのだ.食後,食器も洗い終わり,12日は銭湯が小学生,お年寄りが無料になるのを思い出し,私達家族は父を連れ出して銭湯に行き,大きなお風呂でのんびりとして寛ぎを感じて帰って来た.父はノークリスチャンで,この様に夕食を作ることは無かった・・・妻は言った「私達家族がクリスチャンに為った事で主に作り変えられた.14年の夫婦生活の中で初めてのこのプレゼントは天の父のブレゼントとでもあるのネ・・・感謝を籠めてアーメン」とお祈りなかで.「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも,わたしの兄弟,姉妹,また母なのです.」(マタイ福音書12章50節)
2002年05月11日
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【めぐる主の愛】川は流れて 海となり海は干されて 雲となる雲は怒って 雨となり雨は地に生き 花となるめぐる恵みと めぐる「愛」【命】霧雨に緑の若葉が喜び踊る風と空気を掻き混ぜ歌う木々が腕組みリズムをとって主への宴が林を揺さぶる滴の輝き煌めかせ鳥が何処かで鳴いている.
2002年05月10日
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【マザー・テレサ 愛のことばより】わたしたちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません.でもその一滴の水があつまって大海となるのです.多くの人が病んでいます.自分がまったく愛されていない関心もってもらえないいなくてもいい人間なのだと・・・.人間にとっていちばんひどい病気はだれからも必要とされていないと感じることです.あなたはこの世にのぞまれて生まれてきたたいせつな人
2002年05月09日
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【ご招待状 】明日5/9木曜日に,国際キリスト教会 アガペーチャペル牧師坂本かおり牧師が「ベテスダ・柏」に来て家庭集会をおこないます.AM:10.30からですのでお時間の許す方はお気軽にご参加下さい.お昼に食事が付きます.(お昼時に来られる方でもかまいません.)メニューは台湾屋台料理だそうです.(妻より)次回,五月三十一日は,澤本先生の黙想集会がおこなわれます.やはりAM:10.30より,お昼に食事が付きます.こちらも,お気軽にご参加頂けます.場所:ホームページトップに有ります.又,明日茨城県牛久市では,アガペーチャペルの西川様のアブラハムの牧場がおこなわれます.毎週,木曜日PM:8.00よりです.牛久駅から近いので,お帰りの際にお立ち寄り頂けます.夕食が500円で,おもに韓国料理が食べられる牧場ですので,ご興味のおありの方は,電話090-3041-9492{ベテスダ・柏}までお気軽にご連絡を下さい.
2002年05月08日
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【哀れみの夢】日記の中に幾度か出てきている,倒産時の「夢」の事だが,(最近の日記4/23)にも書いている.私は,倒産間近の時に命の掛かった借金を抱えて毎日のように,何日,何時,何所で死ぬかの夢を嫌というほどに見せられた.それは長男の一歳の誕生日に知人のビルの六階から夕方過ぎて暗くなったばかりの八時頃の出来事の夢だった.(4/23の日記より)私は知人のビルの屋上に立ち強い風に打たれている.暗闇の中で屋上から身を乗り出して下を覗き込むとアスファルトは異様に黒光りして近くに浮いで見えた.私は靴をそろえて脱ぎ,父が死ぬ直前まで苦しみを与えた事を悔やみ(現実の世界では父は今も元気にしている.).「〇〇〇君,今日のお誕生日で一歳・・・もっと抱いてやりたかった」と呟き時計を見て,(何故かPM8.00) 私が屋上で身を乗り出すところで何時も目が覚めていた.この「夢」には続き(終止符)がある.私は夢の中で飛び降りた.ビルから足が離れる瞬間にビデオの早送りのように過去が「アッ」という間に映って消えた.あまりにも短い映像で自分の人生の短さと味わいの無い生き様に後悔した.そして「シマッタ~~」との声にならない喘ぎと共に空にもがき,アスファルトに背中から叩きつけられた.背中がアスファルトに張り付くように痛かった.自分の頭から流れる血がアスファルトを染めていくのが連想され,汚い衣服の醜い自分が見えた.けして死は美しくないものに思え,恐ろしさに開いた足は太股から振るえが止まらなかった.「もう少しで死ぬのかナァー」と思い空を仰ぐ,万遍の星空に一つ一つの星が何かを主張しながら神々しく輝いていた.生涯を十分にまっとうした多く人々の輝きにも見えた.私は,このビテオの早送りの映像の中で一つの忘れていた記憶を思い出させられた.それは高校を卒業後に東京の専門学校に入学し東京で生活をして,直ぐに中退して,地元に戻り仕事に就き悩みの中で,読んだ本「20歳の原点シリーズ」,「エセーニンの詩集」(どちらの作者も自殺している)そして聖書に出会い「愛」に救われたことだった.そこで夢から覚めて背中を気にして見ても全然痛くない,かえって清々しい目覚めだった.その日に,もう借りるだけ借り「絶対貸さない」と言っていた夢にも出てきたビルの持ち主の知人の所に倒産の報告に行くと,その命の掛かった借金を思いがけずに肩代わりして頂き仕事までも世話してくれた.教会に出会い通うようになり暫らくのことだった.その後,関わる者夫々が行き詰っていた会社は無くなり,思いがけずに夫々が希望の職に就けた.その時,私は主の御手に救い止められていると感じた.主の温かい温もり在る「愛」を感じた.今はまた,主の「愛」はその前も間も常に私達を救っていたと思えている.私は思っている.聖書の出会いと教会との出会いのあり方の中で主は私に何かご計画を持っていらっしゃったのだと,主の示されるビジョンがおありになるのだと.「主の御名を呼び求める者は,だれでも救われる.」(ローマ人への手紙10-13)
2002年05月07日
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【Kingdom Celebration(週報より)】〔坂本兵部様 書(5/5)〕キンダム・セレブレーションの祝福 (国際キリスト教会アガペーチャペル2002年5月5日 週報より)第4期キンダム・セレブレーションは,主の素晴らしい祝福の下,3日の午後に終了いたしました.「これまでのキンダムも良かったが,今回は奉仕者たちの祈りが更に豊かに積まれて,霊的祝福が増し加わった」と,多くの方が評価しています.特に,初めて奉仕にまわった若者たちが,誰も注目していない陰で,感動の涙を流しながら,不眠不休で働いている姿は,この世にはない美しいものでした.内容を事前に明かさずに行われることこのプログラムについては,不信の目を向ける方も少なくありません(特に他教団の先生).けれどもそんな中で,スタッフたちのを信頼して全てを委ねて下さった参加者の方々は,皆一様に聖霊様の豊かなタッチを受け,神の国の豊かさに大きく目が開かれる経験をなさいました.洗礼を受けてまだ数ヶ月の兄弟も,また日本キリスト教団大宮教会の疋田先生のように,日本を代表する牧師先生も,それぞれがそれぞれの恵みをお受けになって,涙ながらに大満足なさっているが,このプログラムの不思議なところです.「なんでこんなにしつこく誘うのかと思ったけれど,今では強引に誘ってくれた友に感謝する」と,告白しておられる方もいらっしゃいましたし,「本当に奉仕して良かった」と泣きながら告白している裏方の奉仕者たちも大勢おられました. 奉仕者たちの,プログラム終了直後の分かち合いの中では,鄭トゥルヨン先生がこう語っておられたのが印象的でした.「私は,かつて教会の中で受けた大きな傷を,このキンダムで奉仕するたびに癒される.私たちの共同体が,一人のボスに『支配』される共同体ではないこと,それゆえにこのような祝福されたプログラムが可能であることを,本当に主に感謝する」と.私も全く同感です.私たちの教会は,洗脳や肉的支配を意識して排撃する共同体です.この「キンダム・セレブレーショッン」は,それゆえに神様が託してくださった,大きな霊的祝福であると,確信をもって申しあげることができます.このプログラムに出れば,人生の問題が全部直ちに解決するというわけではもちろんありませんが,この疋田先生は,「この宝を日本中に広めたい」という卞師のビジョンに,心からの賛意を表明してくださいました.次回はあなたが主に呼ばれているのではないでしょうか.共に神の国の豊かさを味わい,これを押し広げる弟子に成長してまいりましょう.
2002年05月06日
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【Kingdom Celebration(下界にて)】〔地を踏みしめて(5/4)〕天国の兄弟姉妹,天使たちに,そして主の御臨在に大いなる感謝を贈りたい.天使の最後のプレゼントは,天国の花束だった.天国の花束は,小さい家の狭い玄関の片隅でひっそりと,神の光を持って雄雄しく香りを私達家族に注いでくれている.主の愛に満ちた御手を感じ,喜びと感動の稲妻に撃たれた三日間に天国人の祝福を実感し,愛に満たされている.多くのクリスチャンにも,この未知なる世界を体感して欲しいと思って止まない.主の絶え間なく泉のように湧き上がる未知の感動は,きっと貴方の飢え乾いた身体にも愛と喜びを満たすことだろう・・・「エデンの園&秘密の花園」← 私にはこの言葉でしか天国を語れない.いくら話したとしても「言葉は思いに足りない」から・・・エーメン「一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである.だが,死ねば,多くの実を結ぶ.」 (ヨハネによる福音書12-24)この企画,年内にもう一度有るかも知れない・・・私の聞いた噂では十一月頃に・・・今回の参加者,奉仕者共に四十三人.企画の始まりから,開催まで約六ヶ月の歳月をかけるという.「ベテスダ・柏」夫婦より
2002年05月05日
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【Kingdom Celebration(3日目)】〔主に創り変えられて(5/3)〕 {最終日}花は香しく、下界の人は山に登って、天を仰ぐ。主の愛に砕かれ煉り創り変えられて、下界に帰る時迫る。天使の賛美と歓声が二つに分かれて路を作り、子羊達は群れを作って下界に降る。主の愛を持って、天の愛と想い出を心に刻み。声高らかに賛美を掲げ、グローリア・ハレルヤと・・・ [エデンの園&秘密の花園より下界へ]「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある.生まれる時,死ぬ時植える時,植えたものを抜く時殺す時,癒す時破壊する時,建てる時泣く時,笑う時嘆く時,踊る時 (中略)愛する時,憎む時戦いの時,平和の時. 」 (コヘレトの言葉3-1~4・8)
2002年05月04日
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【Kingdom Celebration(2日目)】〔シャローン(5/2)〕覚めの時、空気は透明に主の息のようにあった。空は底深く青く、小鳥達は清らかなる声で賛美を奏でる。天は光と愛と主のビジョンを持って、下界を照らし、下界は天に向かい鏡のように光を帰して、全てのことを天へと伝える。癒しの時が訪れる。罪に気がつく罪人達は、罪と傷とを掲げて、癒しの列で待ち望む。光の帯に導かれ、光の元へと歩み寄る。主イエスの十字架の愛は度々まることもなく滝のように降り注ぎ。聖霊と愛に満たされ、罪は肉のように削ぎ落とされていった。シャローン・シャローンと平安が訪れる。 [エデンの園&秘密の花園より]「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 柔和な人々 は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを 受ける。 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は、幸いである、その 人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国は その人たちのものである。 (マタイによる福音書5-3~10)
2002年05月03日
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【Kingdom Celebration(1日目)】〔天国への入口(5/1)〕山に下界の風が這い登るかのように、天に薄い霞みを引き裂いて冷たい風が吹き登る。天国の門の前に並びパスポートを見せゲートを潜る私達夫婦・・・寛ぎの愛と聖霊に満たされて、兄弟姉妹と語らい深けて見えない時が流れて行く。何時しか下界の町並みの灯し火が霞みの下で、まばたきを創める。主の愛を味わい静寂な安眠の時が訪れてゆく・・・愛の母体で守られて天国の一日は過ぎて行く。主と共に・・・・・エーメン[エデンの園&秘密の花園より]「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 (マタイによる福音書7-13~14)
2002年05月02日
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【第四期キンダム・セレブレーション】 今日から「アガペーチャペル」を含む、国際キリスト教会では、第四期キンダム・セレブレーションが開催される。今日は遠足前の小学生のように期待と不安と今日の恵みに胸踊っている。先日行なわれた夫婦ゼミナーもそうであったが、「アガペーチャペル」の行事は常に新鮮な期待に満たされ、それを裏切らない祝福が与えられる。先日の夫婦ゼミナーでも本当に夫婦が共にお互いを見詰めあい、主の聖剣により夫婦としての歳月で出来た腐った部分を削ぎ落として頂いたようにも思われる。今回、子供達は教会の方でキャンプをするのだが、子供達も「明日はイエス様」と、とても楽しみにしているようだ。さて今回の「キンダム・セレブレーション」では、どんな主からの贈りものにふれることが出来るのだろうか???終わってからも他言無用のストーリーが始まる・・・主イエスキリストに感謝を籠めて エーメン
2002年05月01日
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