「OSHO TIMES」
INTERNATIONAL
Octorber 1.1995
Vol.2 No.0131 ★
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今回の Oshoのロールスロイス(RR)についての書き込み
で、ずいぶん長いこと納戸に封印してしまったままの古い資料箱を開けることになった。いつかは整理しなくては、と思いつつ、何度かの引っ越しや家族環境の変化で、とてもとてもそれらを開いてみてみようなどという余裕はなかった。今回はちょうど、いいタイミングだった。
単にRRを追っかけていくだけでも、さまざまな情報が重層になってでてくる。今回はRRを追っかけてみたが、実はさまざまな切り口があることがわかった。そのうちチャンスがあったら、また、なにかを形づくることができるだろう。
Osho関連の新聞や雑誌は過去30年分たまっている。別に真面目(笑)なサニヤシンではなかったので、あちこちに欠番はあるが、しかし、それでも、その資料集の封印をあけると、この30年間を俯瞰するには十分すぎるほど、すごいエネルギーとなって、押し寄せてきた。その中にあって、今回は、この1995年10月号はRRの特集もあったからだが、なんとも懐かしくも新鮮な気分を運んでくれた。象徴的な一冊といえる。
思えばこの1995年という年代がキーポイントだ。この年は、阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があり、ウィンドウズ95が発売され、本格的なインターネット時代がスタートした。個人的にも子供たちが中学生となり、住まいも整備した。そのような大きな変化の中で、私は書籍からはなれ、ネット社会の住民となり、また、精神世界のマイナス面ばかりが強調される世相に背を向けるように、むしろ、外部へ外部へと目をそらし続けた。
そして、2001年には9.11という大事件がおきた。次から次と変化するグローバル社会の動きに、個人的な私は、どんどん押し流されていた。その動きにやや歯止めがかかったのは、SNSやブログに参加するようになった頃。当ブログを通じて、個人的にではあるが、10年後の オウム真理教問題を総括 してみた。長い間とてもとても直視できなかった事件だが、10年経過して、なんとか、ひと段落した気分を得ることができた。
あれからさらに時間が経過して、私はすでに四半世紀前のオレゴンで起きたことを、個人的に思い出すことも多くなった。今回いみじくもRRをきっかけとして、当時のことをもう一度振り返ってみようと思ったのは、そういう背景があったのだと思う。
まともにOsho論議をするには、日本では文献が少なすぎる。正当な論文はほとんどない。では、豊富にあると思われる英文の文献を私が自由に読み込めるか、となるとそれはほとんど無理だ。そんなとき、RRについての情報なら、ほとんど言語に関係なく発掘ができる。インターネットはその点、とても便利だ。
いままでなら、カルト・リーダーとか信者(フォロアー)という単語があるだけで、目をそむけてしまう自分がいた。全然理解されていない。誤解されているだけではないか。過去にはそんなとても敏感かつナイーブな自分がいた。
しかし、最近は、どうやら面の皮が厚くなったのか、そんな言葉レベルでのことはもう、どうでもよくなった。あの時、あそこで、何事かあった。そして生きていた。自分がいたし、仲間がいた。そしてOshoがいた。その歴史がそこにもここにも、発掘すればつきないほどの厚い層となって存在している。
RRは一台でも何千万から億を超える超高価商品だ。それをなんと93台も乗り継いでいたOshoとは、いったい何者? と振り返ってみた。でもでも、よくよく考えてみると、OshoのRR時代なんて、わずかに10年。しかも、93台あったのは、ホンの数年だ。
その、決して長くない時間の中で、Oshoは数限りないビンテージものを残してくれていた。いやいや、RRの何台などというレベルの問題ではない。それとは比較のしようのない形で、私はOshoからたくさんの遺産を相続していることを今回あらためて痛感することになった。
英知の辞典<16> 沈黙 Silence 2009.01.13
狂人ノート<3> ミルダッドの書 2009.01.12
私が愛した本<29> 維摩経 ヴィマルキ… 2009.01.12
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