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前巻を受けての、南領を舞台とするお話の締めくくり。 玲琳と入れ替わった慧月は、尭明に命じられた茶会を敢行。 芳春は、慧月を陥れようと、他家の雛女たちに巧みに言葉を連ねますが、 慧月はその言葉を逆手に取り、他家の雛女たちの認識を改めさせることに成功。 茶会後、慧月は尭明から今回の事件の真相を聞かされ、共に邑へと向かいます。 その頃、玲琳は、瀕死の重傷を負った雲嵐を必死に治療していました。 途中、彼女にしては珍しく挫けてしまい、危うい行為に及ぼうとしかけます。 しかし、辰宇や尭明に押しとどめらるうちに、雲嵐が意識を取り戻したのでした。江氏や林煕が邑に辿り着くと、そこでは予想外の光景が繰り広げられていました。慧月が舞い、邑の女たちが田植え歌を紡ぎ、尭明が豊穣祭の執行を宣言。そして、皆の前で江氏の悪行が次々に暴かれると、彼には天罰が下ります。さらに、尭明は林煕に、今回の件は既に藍家当主に伝達済みだと知らせたのでした。そして、舞台は雛宮へ。玲琳と芳春のその場が凍りつくような舌戦を、慧月がハラハラしながら見守ります。やがて、二人は本性をあらわにして言葉をぶつけ合い、慧月もそこに引きずり込まれ……双方とも一歩も譲ることなく、今回のバトルは終了。 ***絹秀が亡き妹・静秀に語りかけた「最高だな、おまえの娘は」に続く「-そして、最低だ」の声が、とても気になります。そして、特別編「微笑と予言」も、景彰の心の葛藤が丁寧に描かれたものでした。著者の感情を細やかに描き上げていく筆力には、感心させられます。
2023.09.08
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予約していた『十二国記 幽冥の岸』が届いたものの、 前作『白銀の墟 玄の月』に連なるお話とのこと。 しかし、それを読んだのは、もう7年も前。 記憶が定かでない部分も、結構あるかも…… なので、物語全体の復習も兼ねて、本書を先に読んでおくことに。 2022年8月に発行されたガイドブックです。 まず最初は、これまでのお話のおさらいから。『魔性の子』から始まって、『月の影 影の海』『風の海 迷宮の岸』『東の海神 西の滄海』『風の万里 黎明の空』『丕緒の鳥』『図南の翼』『華胥の幽夢』『黄昏の岸 暁の天』そして『白銀の墟 玄の月』まで、その概略が説明されていきます。続いては、主な登場人物の紹介で、中嶋陽子から始まって、楽俊、泰麒、驍宗、尚隆、延麒、珠晶、景麒と続いていき、総勢39ものキャラクターについて記されています。そして、用語解説は。王、麒麟、王気、誓約、失道、天帝等々50語を解説、さらに、『「十二国記」物語年表』で、これまでのお話のなかの出来事を年表形式で並べ、『「十二国記」世界地図』では、各地域がどのお話で舞台となったかを示してくれています。特別エッセイ『「十二国記」と私』には、萩尾望都さん、辻村深月さん、冲方丁さん、畠中恵さんら、総勢10名から寄せられたエッセイが、『祝30周年「十二国記」 ART GALLERY』には、萩尾望都さん、羽海野チカさん、藤崎竜さん、芥見下々さん、いとうのいぢさんら、総勢10名の作品が掲載されています。『「十二国記」と人』では、「十二国記」に携わった編集・校閲・装幀・イベントの各担当者が、それぞれの仕事の裏話を披露してくれていて、本書の中でも一際興味深い部分。編集者・鈴木真弓さんへのインタビュー『「十二国記」の30年史』と、著者である小野さん自身への「小野不由美ロングインタビュー」、『「十二国記」絵師』の山田章博さんへのインタビューも、作品理解を深められるものでした。そして最後に、あの幻の短篇「漂白」が掲載されています。これは、『東の海神 西の滄海』の100年後のお話で、『「十二国記」物語年表』には次のように記されています。 王国を抜け出した延王と延麒、斡由の墓に参る。(p.52) *** もうひとつ、小野さんからは、全4巻の新作には書き切れなかったエピソードを、 「短編集」にまとめさせてほしいとの希望を、新作が完成した直後にいただいたのです。 (中略)なるべく早い刊行を望んでおられましたが、大作の執筆での無理もあり、 ご不調が続いておられます。(p.99)これは、新潮文庫《完全版》の編集を担当された鈴木真弓さんの言葉。「全4巻の新作」とは、もちろん『白銀の墟 玄の月』のことです。そして、鈴木さんはさらにこんな言葉も述べておられます。 『白銀の墟 玄の月』の発売帯で「書下ろし短編が先に読める!」という 刊行記念の全員プレゼント企画を行ったのも、 そういうスケジュール感が念頭にあったからです。 でも実際には、年明けから小野さんのご体調の不調が続いて、 「一話が先に読める」プレゼントもなかなか厳しい状況でした。 夏過ぎにその目処が立って、新作刊行から丸一年の10月12日に 「お届け決定!」を発表できてほっとしました。 2020年の「十二国記の日」に、なんとか「幽冥の岸」を配信できました。(p.128)この部分には愕然としました。手元にある新刊『幽冥の岸』の第4話を、私は既に読んでいた……そして、それが他の3つのお話と共に刊行されるまでに、6年もの月日を要していた……小野さん、どうかお身体に気を付けて、今後も、長く長くご活躍ください。それでは、いよいよ『十二国記 幽冥の岸』を読むことにいたしましょう。
2026.09.27
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冒頭「まえがき」には、次のように記されています。 とにかく言わずにいたこと、今だから言えること、今こそ言いたいこと、 関わってくれた方々への感謝と後悔……すべてをさらけ出し、野球界のため、 ひいては未来の子どもたちのためにも、 道標のひとつになればいいと思っている。 「最後」という言葉は使いたくないが、決意を持った語り下ろしだ。(p.5) 江夏豊さんが語った野球選手としての人生、そしてその前後の人生を、 ノンフィクションライターの松永多佳倫さんが文字として書き起こした一冊。 阪神から南海、広島、日本ハム、西武を経てメジャーに挑戦した日々の記録は圧巻。 1995年に覚せい剤取締法違反で逮捕されたことにも触れておられます。 *** どんなスポーツにもミスは付きものだが、とりわけ野球ほどミスの多い競技はない。 野球のミスといえば多くの人が「野手のエラー」を想像するかもしれないが、 最も多いミスは「ピッチャーの投げ損じ」で、その次が「バッターの打ち損じ」だ。 110球完封の完璧なピッチングでも、その110球すべてが”完璧なボール”ではない。 何球か、あるいは十数球は甘い球もある。 それをいかに少なくするか、相手の打ち損じを誘うか。 その能力を持っているのが「いいピッチャー」なのだ。(p.142)本著の中で、最も唸らされた部分。確かに、そうですよね。それらをミスととらえ、そのミスを減らすこと、そのミスを誘うことに注力する。そのために必要なのは、やはり「制球力を磨く」ということになるのでしょう。 今のピッチャーを見て残念に感じるのは、フォアボールの多さ。 特にフォアボールを出しても平然とした顔をしているピッチャーには、 恥を知れと言ってやりたいくらいだ。 自分で計算したうえでのフォアボールなら構わないが、 とんでもないボール球を続けてフォアボールを出す。 挙句の果てにデッドボールをぶつけてしまうのはプロとしての技術的な問題だと思う。 (p.252)最近のNPBにおけるデッドボールの多さを見るにつけ、江夏さんがどれほどイライラしておられるかが推し量れます。江夏さんが現役の頃、どんな投球をしていたかは、次の王貞治さんによる言葉を見れば分かります。 若い頃の江夏くんは力のある球を投げていました。(中略) スピードだけでなく何より球に力があったので、 非力なバッターだと運よくヒットを打ててもホームランはしんどかったでしょうね。 コントロールも抜群に良かったから、僕は一度もデッドボールを受けませんでした。 インコース、アウトコースにきっちり投げ分け、 特に右バッターのアウトローへのコントロールには本当に目を見張るものがありました。 (中略)アウトローさえ決めれば、バッターがバットを振らずにストライクが取れるという 自信をもっていたのだと思います。(p.280)巻末の特別寄稿「王貞治からライバル・江夏豊へ」の一文です。「江夏の21球(1979年)」や「オールスターの9連続奪三振(1971年)」よりも前、「シーズン25勝、401奪三振(1968年)」を達成した頃の江夏さんを的確に表現した言葉。とにかく、速くて力があり、アウトローへのコントロールが抜群でした。 *** 自分ひとりで何でもできるなんて考え方はおこがましい。 人の縁のおかげで生きていて、人の縁に活かされている。 それを身に染みて感じている。 歳を重ねるとは、そういうことなんだ。(p.25)「第1章 生き様」の中の一文です。偶然にも、先日読んだ内田先生の『老いへのレッスン』と同じことが書かれていて驚きました。
2026.09.25
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今回、実を言えば、私は新作を万全の態勢で読みたくて、 そこに描かれたどんな描写も意味も少しでも見逃がすまいと、 シリーズを最初からすべて読み返した。(p.62) これは『十二国記 30周年記念ガイドブック』に記された 『十二国記 幽冥の岸』に関する辻村深月さんの一文。 今回、私は既刊すべてを読み返すことは鼻から諦め、自分が書いた過去記事と 『ガイドブック』だけを読んで、本書の読書をスタートしました。 ***戦城南主上派と偽王派の争いに巻き込まれて死んだ鄷都(ほうと)の亡骸を弔おうと、短章と去思は、戴国の馬州と文州の境に位置する山奥の街・崎高(きこう)を訪れた。戦で死んだ者の遺体や遺品を集めて弔っている者がいると聞き、二人はその墓所へ。そこには、長年に渡り土匪の暴虐に苦しめられてきた南牆(なんしょう)出身の男がいた。主上派たちが激しい追撃を受けることになったのは、彼が県城に密告したからだった。異邦の客王命に逆らった驍宗と巌趙は、黄海で妖獣を狩り騎獣に仕立てる集団・朱氏の街で徒弟として日々を過ごしていた。13歳の琅燦は、騎獣を見ようと一人で騎囿に向かうが、虎に似た騎獣に襲われ岩場から転落、さらに妖魔にも襲われるが、驍宗と巌趙に危機を救われる。戴国を去った後、反民と呼ばれた者たちがどうなったかを心配する驍宗に、「じゃあ、王になるしかないね」と琅燦は言った。夢の結び火事で焼き出され浮民の少女・白玉は、草洽平の店で働くことになり、ある日、項梁という客人を妓楼まで案内する。洽平が妓楼に足繁く通う理由を知ろうと、白玉は中に忍び込むが見つかってしまい、英章の監視下で過ごすことに。やがて、不審な男が現れ、それを白玉は必至で食い止めるが、それは王師が文州に向かうと知らせる仲間だった。全ての事情を知った上で、白玉は洽平に恩を返すべく、共に雅游の街を旅立った。幽冥の岸李斎らに伴われ蓬山に辿り着いた泰麒だったが、西王母が口にした言葉は「これは、もはや治癒ならぬ」。しかし、女仙の長・玉葉のとりなしで癒され目を覚ますと、李斎は、延麒の指示で景王に経緯を説明するため慶に向かう。一方、延麒と耶利が見守る泰麒のもとに景麒が現れ、六夜の間そばに付き添うと、泰麒も回復に向かったのだった。 ***7年も経つと、やはり記憶は相当曖昧。『十二国記』の登場する人名、地名は難しい漢字を充てているものが多いのでなおさら。それでも、読み進めるうちに、その世界観の中にどんどん引きずり込まれていく。たくさんの人に読まれているのも納得です。
2026.10.10
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副題は「ファスト映画・ネタバレ - コンテンツ消費の現在形」。 著者は、ライター、コラムニストの稲田豊史さん。 タイトルを見て気軽に読み始めたのですが、読み進めるにつれ衝撃の連続。 想像を遥かに超えた、優れた経済社会学の一冊でした。 *** 「料理をミキサーに放り込んで、ブーンと回してドリンクにして飲む。 たしかに普通に食べるのと同じ栄養がとれます。 だけど、それって食べ物と言えるのでしょうか?」(p.64)これは、倍速視聴に抵抗感がある、台湾から青山学院大学大学院に留学中の陳さんの言葉。陳さんは、映像作品を倍速視聴する行為を「料理をミキサーにかけること」に例えました。しかし、早送りする人たちは、「観たい」のではなく「知りたい」のです。彼らにとって、それらは作品ではなく「コンテンツ」、鑑賞ではなく「消費」なのです。 「全員が全員ではないけれど、やっぱり観客が幼稚になってきてるんだと思う。 楽なほうへ、楽なほうへ。全世界的な傾向だよね。 全部説明してもらって、はっきりさせたい。自分の頭が悪いことを認めたくない。 だから、理解できないと作品のせいにする」(p.95)これは、アニメーション映画『この世界の片隅に』等をプロデュースしたジェンコで代表取締役を務める真木さんの言葉。脚本家の佐藤さんは、「口では相手のことを『嫌い』と言ってるけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」と言っています。 SNSの誕生によって、どんな民度、どんなリテラシーレベルの人間も、 事実上ノーコストで、ごく気楽に「被害報告」を発信できるようになった。 それが、多くの人に「わかんなかった(だから、つまらない)」と言われない、 説明セリフの多い作品を生み出した可能性は高い。(p.99)著者の知り合いの映画宣伝マンは、「わかんなかった(だから、つまらない)」は、論理的な説明やエビデンスがいらない「バカでも言える感想」と一刀両断したのですが……。TVアニメ版『鬼滅の刃』については、脚本家やその卵たちも「絵で見てわかることがそのままセリフになっている」と口を揃えるそうです。 本来、趣味であれ個性であれ、その道のプロに追いつく必要などはないはずだ。 そんなことを言い出したら、どんな趣味もどんな学問も、 始める前から徒労感に押しつぶされてしまう。(p.151)Z世代にとって、24時間繋がり続けるLINEグループで、仲間との和を保つことは至上命題。パッケージコンテンツ所有欲は低く、サブスクで済ませようとする気質があると言います。そんなZ世代は、SNS上で輝きを放つ全国レベルの猛者たちまで「すぐ隣の存在」と受け止め、彼らと自分を比べるなかで、実際に押しつぶされていくと言います。 「ミレニアル世代が”未体験”に価値を求めるとすると、”追体験”に価値を求めるのがZ世代。 彼らは先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを ”ストレス”と捉える傾向が強い」(P.166)これは、2021年6月に「Business Insider Japan」に配信された「Z世代に流行する『ネタバレ消費』とは?”失敗したくない”若者のホンネ」という記事の一部。博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の森永さんは、こうなった理由を、次のように説明します。 「大人が子供の気持ちを先回りして察しようと動く。 子供たちは、とにかく大事に大事に育てられているので、痛みに弱い。 失敗したり、怒られたり、恥をかいたりすることに対して、 驚くほどに耐性が低い」(p.167)少子化や教育のあり方の転換が影響しているのでしょうか。さらに、キャリア教育の推進は、次のような状況に若者たちを追い込んだと言います。 ただ、それは仕方のないことだ。 大学で「5年後、10年後の自分のロードマップを描け」などと指導されれば、 それを達成すべく、 在学中から綿密なライフプランやキャリアプランを組み上げる必要がある。 悠長に回り道などしている暇はない。 「とりあえず就職してから、自分の適性や本当にやりたいことを模索していこう」 が許されない時代であり、世相なのだ。(p.169) 結果、彼らは学問にまでタイパを求めるようになったと言います。さらに、2020年度の私立大学新入生への「月平均仕送り額から家賃を除いた生活費」は、1990年の7万3800円から1万8200円に激減し、日々バイトに精を出すしかない。こうして、彼らは今、次のような状況の中に身を置いているのです。 仲間内でのコミュニケーションのため、LINEグループの和を保つため、 30年前に比べればおそらく何十倍、何百倍もの本数が流通するコンテンツを、 次々とチェックしなければならない。 その量は早送りしなければ消化できないし、慎重にリスクヘッジしなければ、 ただでさえ貴重なお金をドブに捨ててしまう。 彼らはとにかく余裕がない。 時間的にも、金銭的にも、そして何より精神的に。(p.178)
2023.11.05
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『スタバではグランデを買え!』が、とってもヨカッタので、期待して購入。 クルマの「価格の決まり方」について、よく分かったし、 高級レストランの格安ランチの秘密も、よく分かった。 これらは、『スタバ……』と共通する内容でもあるから。 それにも増して興味深かったのは、パチンコ必勝法! そして、オークションにおける過当競争。 私も、少しだけネットオークションの経験があるので、 その気持ち、感情の昂ぶりは、痛いほどよく分かる。 そして、前半はスイスイと読み進めていたのだが、後半に入ると、いきなりその速度が鈍ってしまった。著者の専門分野(?)である「金融」絡みの話になってきた辺りからである。著者の主張というものも、前面に出てきはじめ、それまでとは趣が一変……。サラサラと読み飛ばすような読書では、私の手に負えないレベル・難易度。ちゃんと理解するためには、後半部分は、再度読み直す必要がありそう。それでも、とりあえず、本著によって「サンクコスト」という言葉に出会い、その概念を知ることができただけでも、たいへん価値あることだった。 研究開発のために費やしたコストや、 大きな設備をつくるのにかかったコストなど、 過去に支出したコストのうち、 いまとなっては回収できない部分をサンクコスト(埋没コスト)と呼びます。 たとえば、200億円をかけて整備した工場設備があるとして、 それを売却しても70億円しか回収できないとすれば、 回収できなくなった部分の130億円はサンクコストになります。 合理的に行動したいなら、 サンクコストはすでに消えてしまった価値として、きっぱりとあきらめるべきです。(p.179)いつまでも、過去に拘っていては、前に進めない、本当に大切なものを見失ってしまうということか。「きっぱりとあきらめるべきです」のひと言が、とってもイイ。「経済だけでなく、人生においても、そういうことがあるかも」と思った。
2009.06.28
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『国家の品格』の大ヒット以来、 似た感じのタイトルをもつ新書が数多く出版され、 中でも『品格』は、既に飽和状態。 現在売れまくっているベストセラー本ですら、内容は……。 そんな中、『見識』と銘打った本著は、それらとは違った趣が感じられる。 ただ、著者が本文中で述べているように、本著で触れられている内容は、 東條英機の悪口、海軍の話、英国の話、昭和天皇の話と、かなり偏りがある。 しかし、それらが、なかなかのものなのだ。締めくくりの部分において、著者は本著のことを「語りおろし」と表現している。また、「担当編集者が草稿にしてくれたものを読み返して」と述べていることから、実際に、阿川さんが語った内容を、編集者が文章としてまとめたもののようである。だが、この語り口調の文章が、読んでいて、何とも心地良い。老文士の個人的懐古談に違いはないけれど、そこで語られるエピソードや、阿川さんの主張には、新しい発見がある。当たり前の知識を、押しつけがましく並べ立てる最近の『品格』本とは、一線を画する。もちろん、東條や昭和天皇に対する評価は、人それぞれであり、本著を読んだ誰もが皆、阿川さんの意見に「全く異議なし!」なんてということは、決してならないだろう。それでもなお、阿川さんが語る「戦前・戦中の時代を生きぬいた人々」の凛とした姿には、誰もが共感を覚えるのではないだろうか。「厳しい時代を、大人の見識を持って生きぬいた人たち」の姿から現在の日本に生きる人々が、失ってしまったものを、思い出す必要がある。そして、「何か守るところを持してたやすく動かない国民」の姿に私たちが学ぶべきことは、とても多い。
2008.02.12
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第15回ショパン・コンクール2次審査最終日。 ポーランドの人々が待ち望んでいたピアニストがいよいよ誕生。 ショパンと同じ、ポーランド人の血が体内に流れる レフ・シマノフスキの演奏に、会場内の誰もが彼の優勝を確信した。 しかし、そんな人々の長年の渇望を軽々と打ち砕く、圧倒的な演奏。 そして、その素晴らしい演奏を、読む者にストレートに伝える見事な画力。 途中、阿字野との幼き日々の回想を交えながら描かれたカイの演奏シーンは、 数ある音楽マンガの名シーンの中でも、記念碑となるであろう最高傑作。そして、舞台裏。審査会場の中を渦巻く、審査員各々の複雑な思惑。本当の審査会場でも、こういうことが多々あるんだろうなと変に納得してしまう。目に見えないものを、測定できないものを、数値化することの難しさ、矛盾……息詰まる空気の中、ついに12名のファイナリストが発表される。雨宮修平落選。作者は、どこまでこの親子に厳しい仕打ちを与え続けるのか。もちろん、それを乗り越える存在として描かねば、カイの真のライバルとはなり得ない。
2010.11.27
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学校の目的は「すばらしい人を作る」ことではなく、 「社会に適応できる人」を育成すること。 自由も管理も理想も現実も、こと教育となると極端に考えがち。 問題を「分けて考えて」、より「マシな」解決の道筋を見つけよう。 背表紙に書かれている一文だが、 これこそ本著に書かれている内容をズバリ表現している。 学校で一番大切なのは「欲望統御の作法」を身につけること、とする著者の 「事柄思考」と「人柄思考」に分けて考えるという主張には、大いに共感。 一言で言えば「事柄思考」は相手の人格に影響されずに、 事実のみをクールに見ていこうとする志向性のことです。 反対に「人柄思考」は、事実起こった事柄そのものよりむしろ 事実の背景にある文脈や相手の人となりなどから判断しようとする志向性のことです。(p.24) ***著者によると、昔の先生は、大人社会の共同体的規範性の強さによって支えられ、大人社会の代表者として、生徒と対峙していたという。それ故、一定の権威や説得力をもち、上からの指導を自然に行うことができた。ところが今、自然な形では、社会の共同体的規範性が存在しない状況となってしまっている。 ですから私の考え方としては、大人が社会的コンセンサスとして、 少なくとも先生と生徒、親と子、大人と子どもといった形の非対称的な関係においては、 上下関係というものは絶対不可避であり必要な関係だということを、 最低限の共通理解として社会全体で保っていかないとダメだと考えているのです。(p.132)しかしながら、現在、教育は消費社会におけるサービスの一つとしてとらえられており、「教師と生徒」の関係も、「生産者と消費者」の関係でとらえられる傾向にある。そうなると、それは「絶対不可避な上下関係」など程遠い、「お客様は神様です」の世界。そして、まさに今、その神の声による成果主義が、教育現場に持ちこまれようとしている。
2012.02.12
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「十年後の卒業文集」 私にしては珍しく、早い段階でカラクリに気付いた。 「二十年後の宿題」 こちらの方は、クライマックスの少し手前で、カラクリに気付いた。 「十五年後の補習」 このお話の終盤は、どんでん返しの連続で、最後まで結末が読み切れなかった。 「一年後の連絡網」 「十五年後…」の締めくくりに追加されたお話しで、ミステリー性はなし。湊さんのこれまでの作品に比べると、読後に「嫌な気分」が残る度合いが低く、その点は、とても良かった。ただ、登場するキャラが「面倒な人たち」ばかりなのは、これまで同様。登場人物に共感できなければ、深い感動に辿り着けない。と言いながら、また、湊さんの作品を読んでしまった。きっと、『夜行観覧車』も読むんだろうな。ドラマは見てないけれど。不思議な作家さんである。
2013.02.10
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今回も、ほぼ1年ぶりの新刊。 慣れ親しんだ筆致と世界観にどっぷりと浸りながら、 「やっぱり、イイなあ」と、またしてもひとりごと。 お話の方は、大きく展開し始めました。 ***壬氏の命で家鴨の飼育をすることになった馬閃は、その孵化方法を、都の北西にある紅梅館に身を寄せていた里樹から教えてもらうことに。そして月日が流れ、馬閃が壬氏に従って西都に向け出発する日が迫る。馬閃は、再び紅梅館を訪れることを里樹に約束し、旅立った。猫猫たちに遅れること3日、馬閃が西都に到着する。そして、猫猫は、馬閃、雀と共に、念願の農村視察に出発。その途上、甘藷や馬鈴薯の育て方を広めるため西都に来ていた羅半兄と合流。目的地に着くと、羅半兄は、村人たちの手抜き仕事を大いに嘆くのだった。そんな中、唯一まともに畑仕事に取り組む念真という老人を、猫猫たちは訪ねる。念真は、かつて武闘派の遊牧民で、他所の部族や村を襲う盗賊の一員だった。遊牧民の中でも、風読みの民には手を出すなという暗黙の了解があったが、念真たちの部族は、それを破り、風読みの民を襲ったのだった。 風読みの民ってのは、あれだ。 いわば草原全体の祭祀を任されている神官みてえな存在だった。 鳥を飼い、風を読んで草原を移動する。 知恵者が多く、その年の天候をぴたりと当てる。(p.151)それから何年か過ぎ去った頃、飛蝗の群れが草原一帯を襲った。この災厄の元となった念真たちの部族は、草原共通の敵として追われることに。そして、領主である戌の一族によって、念真は弓を弾く指を切断され、農奴にされ、風読みの民の代わりに祭事をさせられたのだった。念真の話を聞いた猫猫は、村人たちを集め、祭事を行ってから西都に戻る。そこでは、飛頭蛮という首が飛び回る妖怪騒ぎが起こっていた。猫猫はその真相を明らかにし、捕らえられた女児・庫魯木(クルム)から風読みの民について、有益な情報を手に入れることに成功する。羅漢の元副官・陸孫と共に、再び農村視察へと向かう猫猫に、羅半兄からの手紙が。それは、飛蝗襲来の知らせであり、猫猫は村人たちに収穫を急ぐよう訴える。そして、収穫を7割ほど終えた頃、飛蝗は来た。西都も散々な有様となっていたが、そこでは甘藷の粥が配られていた。 ***飛蝗襲来の場面は、これまでにはなかった緊迫感溢れるものでした。そして、この蝗害には、何か裏がありそうです。 飢えたくないなら飢えないように、畑を作ればいい。 なのに、まともに作らなくても不作だったら銭がもらえる。 下手に真面目に耕作するより、 よほど気前よくもらえるのならどうするかい、あんたは?(p.171)念真のこの言葉には、何者かが蝗害を意図的に発生させようとしている印象を受けます。そして、これに大きく関わっていそうなのが、風読みの民であろう女性を妻とした玉袁と、その息子・玉鶯。玉袁の娘であり、玉鶯の妹である玉葉の行動にも注目したいですね。
2021.02.07
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副題「浮世に秘めた想い」というテーマに即したお話が4つ。 今巻は、京都南座の『顔見世』が舞台の一つになっています。 私も、数年前に初めて南座に行きましたが、 その時の演目は、中村獅童さんと初音ミクのコラボ作品でした。 ***序章『忍ぶ想い』は、家頭清貴が時代恋愛小説の執筆に行き詰った父に、掛け軸を用いてさりげなくヒントを与えるというお話。第1章『歌舞伎美人の恋慕』は、市片喜助を襲名した歌舞伎役者が舞台上で大ケガ。その仕組まれた事故を、清貴が解決していくお話。第2章『聖夜の涙とアリバイ崩し』は、婚約パーティー当日の男の不審な行動を、元カノ・和泉の依頼で、清貴が明らかにしていくお話。第3章『祇園に響く鐘の音は』は、家頭邸で開かれた大晦日のパーティーで、清貴と円生が、美術工芸品の真贋を巡って対決するお話です。 ***「……ほんま、あかん」(p.222)清貴のこの言葉、埼玉から京都に来て2年足らずの葵には分からないのか……。「-去年は、我ながら情けなかったので、今年こそは……ですね」(p.322)清貴のこの言葉の本当に意味するところにも、葵は気付けないのか……。
2022.03.27
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尭明に慧月との入れ替わりを気付かれてしまい、 今後、入れ替わりを見抜かれたら、彼の雛女であり続けることを約束した玲琳。 豊穣祭の開催地となった朱家の治める南領に、皇族や雛女たちと共に赴きますが、 そこで発生した悶着を機に、思いもよらずまた慧月と入れ替わってしまうことに。 そのことで慧月は危機を脱したものの、玲琳は賤民に攫われてしまいます。 しかし、兄・景行と共に邑(むら)で農作業に精を出し、さらに辰宇の支援も受けながら、 玲琳は自らを攫った前頭領の息子・雲嵐たちの心を徐々に開かせていくのでした。 ところが、玲琳たちが禍森で猪狩りをした後、邑人が痢病で次々に倒れ始めます。玲琳たちは寝食を忘れて看病に当たり、雲嵐は一人で郷長のもとに出向き邑の窮状を訴えます。ところが、この痢病は藍家の指示で郷長・江氏が引き起こしたものでした。林煕(りんき)たちに深手を負わされながらも、雲嵐は邑に危機が迫っていることを伝えます。その頃、慧月は自らを陥れようとする藍家の雛女・芳春の言葉に絶句していました。 ***今巻は、玲琳がメンタル面だけではなく、身体能力の高さまで見せつけてくれました。一方、慧月も少しずつ成長していきそうな兆しが。最後のページに至っても、南領を舞台とするお話は終結を迎えず、雛宮における五家の権力闘争が露わなものとなってきたところで、次巻へと続くことに。
2023.08.27
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慧月の体と入れ替わった玲琳は、歌吹から事情を聞き出すことに成功すると、 歌吹と共に、金淑妃と藍徳妃が祈祷師・安妮をもてなす宴に忍び込む。 すると、3年前の事件の真相や、鑚仰礼における今後の陰謀が明らかに。 一方、慧月は、尭明や辰宇、景彰に入れ替わりを気付かれ経緯を説明することに。 途中、潜入に気付かれそうになった玲琳と歌吹を救ったのは、賢妃・玄傲雪。 これまで隠し続けてきた本心を語る賢妃に、玲琳は公明正大な復讐を提案する。 そのためには、鑚仰礼・終の儀で、5家の雛女が協力することが必要だったが、 玲琳の顔をした慧月は金清佳の、慧月の顔をした玲琳は藍芳春の説得に成功する。そして迎えた鑚仰礼・終の儀、安妮は玲琳を炎尋の儀に掛けるが、炎に包まれたのは安妮の方。慧月の顔をした玲琳が手当のため中座した後、雛女たち5人で作った宝鏡が皇帝・弦耀に贈られる。皇帝が鏡を向けた先には雪花模様が浮かび上がり、その後、安妮と慧月の姿が映し出された。それにより、安妮の本性や金淑妃と藍徳妃との悪行が、皆の知るところとなったのだった。 ***今回は、慧月の活躍が、これまでにない程に目立ちましたね。そして、入れ替わりについて知る人の数が、随分多くなってしまいました。5人の雛女たちの関係性も大きく変化したことで、今後新たな展開が生まれそうです。気になるのは、慧月の道術に気付いた皇帝の動きと、皇后・絹秀の玲琳に対する本心ですね。
2023.12.13
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2000年に刊行された『ローマ人への20の質問』を全面的に改稿したもの。 当時、塩野さんは『ローマ人の物語』の第9巻「賢帝の世紀」 (文庫版では24巻,25巻,26巻が該当)を準備中でした。 そして、そこで何を取り上げたかについては自信があるものの、 どう書いたかについては、少々なおざりにしたという思いが残っていたため、 今回書き改めることにしたとのことです。 *** アテネ人の考えた<市民>とは、 アテネの領内で両親ともがアテネ人の間に生まれた人間だけを意味していた。(中略) 一方、ローマ人の方は、市民ないし市民権を、アテネ人とはまったく反対に考えていた。 アテネ人の考える市民が<血>であれば、 ローマ人の考える市民とは、<志をともにする者>としてよいかもしれない。(p.110) 人間世界で悪なのは、格差が存在することではない。 格差が固定してしまうことなのだ。 ローマはそうではなかった。 元老院議員の少なくない部分が、 属州民か解放奴隷を祖先にもつと言われたくらいだから。(p.115)何れも、ローマがローマたる所以が伝わってくる記述。普遍帝国として、長きに渡り存続し続けたのも頷けます。 戦闘開始を前にしての降伏勧告は、古代では、戦場でのマナーとされていた。 勧告を受け容れて降伏すれば命も助かり奴隷化も免れるが、 拒否すれば女子供でも戦闘員と見なされ、敗北しようものなら、 財産もろとも勝者の所有に帰したのです。 これは<勝者の権利>と呼ばれ、この権利に疑いをいだく人は、当時は存在しなかった。 殺されようが奴隷に売りとばされようが、 敗者には抗議する権利すらなかったのだ。(p.188)戦闘というものの厳しさを、突きつけられる記述。時代や地域による違いも、当然多々あったのでしょうが。 なぜなら、この法に関するかぎりは、女たちのほうに理があったからだ。 不倫とか姦通は、当事者間で、つまりは私的に解決されるべき問題であって、 公が介入するたぐいの問題ではない。 ローマ人は、私有財産の保護が議論の余地もない大前提であったことが示すように、 <私>と<公>をはっきりと区別する民族だった。(p.220)とても考えさせられた記述。最近、<私>と<公>の区別が、あまりにも曖昧になりすぎているような…… この奴隷制が全廃されるのは、 いかなる宗教を信じようとも人権は尊重されねばならないとした、 啓蒙主義の普及によってだ。 その証拠に、どの国の奴隷制度廃止宣言も、18世紀末に集中している。 古代は、この啓蒙主義よりは2000年も昔。 人間が人間の自由を奪うことへの抵抗感が希薄であったとしても、 それが時代であったとするしかない。(p.186)本著の中で、最も心に残った部分。人類の長い歴史の中では、ほんの一瞬としか言いようがない現在という時を、極めて限定的な地域、文化の中で生きている一個人が、自身の価値観や尺度を当てはめ、異なる時代、異なる環境で生きた人を非難することには、引っかかりを覚えてしまいます。
2023.12.16
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2020年に『流浪の月』で第17回本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんは、 2023年にも、この作品で第20回本屋大賞を受賞しました。 映画化された『流浪の月』は、広瀬すずさんと松坂桃李さんのW主演でしたが、 26年公開予定の本作の映画では、広瀬すずさんと横浜流星さんがW主演します。 ***【プロローグ】暁海の夫が、月に一度、恋人に会うべく今治に出発した後、佐久間のおばさんは、暁海にパウンドケーキを手渡しながら「大丈夫?」と心配そうに窺い見た。結は父親が妻公認の浮気をしていることを、電話で平然と友人に話している。島では、北原先生が女を作ったのは、暁海が相当しでかしたからだと噂している。【第1章 潮騒】 青埜櫂(17)は、男好きなスナックのママである母親と二人暮らし。男を追って京都から瀬戸内の島へとやって来た、自分の子どもより男優先の母親に対しては、思うところは多々あるものの、中学生の頃からその仕事を手伝い続けている。物語を紡ぐ才能に溢れた櫂は、絵を描くのが得意な久住尚人と共に、漫画の連載を目指す。井上暁海(17)は、父親が東京からきた裁縫の先生が住む隣島へ出て行き、母親と二人暮らし。母から頼まれ、愛人である林瞳子宅を青埜櫂を伴って訪ね、お茶とお菓子をご馳走になるが、瞳子は暁海が去年こっそり自身の裁縫教室に通っていたことに気付き、覚えていた。それ以来刺繡に興味を持つようになった暁海は、帰宅後母親に父親は不在だったと伝える。林瞳子宅を訪ねて以来、櫂と暁海はその距離を縮めていく。しかし、男に妻子がいたことを知り錯乱状態になった櫂の母親を、一緒になだめ介抱する姿を、スナックの常連客と島で唯一のシングルファーザーで高校の化学教師・北原に見られてしまう。以後、関係を深めた櫂と暁海は瞳子の家を訪ね、暁海の東京の大学進学について父親に相談する。今治の花火大会を見に行った櫂と暁海は、浜辺で北原に見つかり、後日化学室に呼び出される。櫂は来年4月からの連載が決まり東京での新生活に思いを馳せるが、暁海は母親が行方不明に。櫂は北原に連絡、暁海と3人で瞳子宅に行くと、足下で新聞紙が燃えている暁海の母親がいた。その後の修羅場を経ても、暁海の父親は家に戻る意思を示さず、暁海は東京行きを断念する。【第2章 波蝕】 上京して4年、櫂(22)は連載作品が好調で、漫画雑誌の看板を期待される存在にまで成長する。一方、暁海は、島で変わり映えのしない営業補助を続けながら、母親との生活を支えており、遠距離恋愛を続けている櫂の浮気に気付きながらも、破局を恐れ何も言わないでいた。そんな25歳の夏、櫂から「ただいま。今治におる。」と、スマホにメッセージが入る。暁海がホテルを訪ねてきても、仕事に追われる櫂は最低限の返事しか返さない。別れを告げた暁海は、翌朝ベッドで眠る櫂を残し、黙って一人部屋を出て行く。。そして秋、尚人と未成年の恋人との関係が週刊誌に掲載されると、連載は中止になってしまう。絶望する櫂に声をかけてくれたのは、老舗出版社の文芸編集者・二階堂絵理だった。【第3章 海淵】母親が宗教に預金を注ぎ込んだ末自動車で事故を起こし入院、父と瞳子に借金を断られた暁海は、櫂を訪ね300万円を借りるが、帰途の車中で櫂の現状をネットニュースで初めて知り愕然とする。2年後、櫂は仕事もなく酒浸りの日々を続け、毎月3万5千円を振り込み続ける暁海に増額を要求。酔った暁海は島の女性と付き合っていた男性と関係を持ち、島民の知るところになってしまう。そんな暁海に、北原は教え子との間に生まれた娘が結だと打ち明け、結婚を提案する。一方、絵理に促された櫂は、雑誌のエッセイに加え小説も書こうとしていたが貯金が底を突き、バイトで知り合った女性の家に転がり込むが、母親からの電話で暁海が北原と結婚すると知る。櫂はコンビニで10万円を引き出すと封筒に入れ北原に送金、女性の家も出て行くことになる。31歳になった櫂は、半年前に手術で胃の3分の2を切除、引きこもっている尚人の家で居候中。一方、暁海は『注目の刺繍作家』としてファッション誌に記事が掲載される存在になっていた。櫂と尚人は、暁海と尚人の元恋人に祝杯をあげ、2人で漫画に再挑戦しようと盛り上がるが、翌日、櫂が目覚めると尚人は浴槽に沈んでおり、櫂も再び入院することになる。北原と互助会感覚の結婚生活を平穏に過ごしていた暁海は、櫂の母親からの電話で家を訪ねると、酔った母親から櫂の近況を聞かされ、様子を見て来て欲しいと頼まれる。混乱する暁海に、北原はすぐに飛行機で東京に向かうよう促し、10万円の入った封筒を手渡す。北原が運転する車の中で、暁海はもう戻れないかもしれない島の風景を目に焼き付けるのだった。【第4章 夕凪】高円寺で借りた3DKで、抗がん剤治療を続ける櫂と暮らす暁海は、刺繍の仕事で生活を支える。今治の花火大会、対岸の浜には櫂と暁海、北原と教え子の明日見菜々、結衣とその恋人の姿が。対岸の夜空に光が瞬き音が弾けると、強く握りしめてきた暁海の手を櫂はほんの少し握り返した。しかし、次々と花火が打ち上るなか、暁海が握りしめた手は再び握り返されることはなかった。【エピローグ】ぼんやりとしていた『プロローグ』が、少しだけ明確になって繰り返される。絵理から送られてきた封筒の中には、一冊の本『汝、星のごとく 青埜櫂』が入っていた。 *** 尚人くんのことを思い出した。 未成年の彼氏に手を出して、櫂の未来も巻き込んで潰した。 わたしはあのとき尚人くんを恨んだけれど、 尚人くんには尚人くんの言い分や事情があったはずだ。 でも人は自分というフィルターを通してしか物事を見られない。 だから最後は『自分がなにを信じるか』の問題なんだろう。(p.299)最後の2行に全てが言い尽くされている気がします。
2025.09.25
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「言葉」というものについて、色々と考えさせられ、 新たな発見がとても多くあった一冊。 そして、俵万智という名前は知っていても、その人がどんな人なのか、 実は全然知らなかったということに気付かされた一冊。 *** 一夫多妻だったり、通い婚だったり、レイプまがいのことがまかりとおっていたり、 生まれながらに身分の差が歴然とあったり、今の世の中とはかなり様子が違う。 社会規範や常識の違いに驚きつつ、今の私たちもまた、 別の社会規範にとらわれているのではと考えることもできるだろう。 あるいは、こんなに時代が違っても、恋のときめきや失恋の辛さ、 嫉妬といった感情は変わらない。 ホッと共感すれば、遠い時代に同士を見つけたような気持ちになれる。 過去から現在を照らしたり、過去の人と何かを共有できたりすることは、 とても豊かな時間ではないかと思う。 自分は、たまたま今という時代に生きているにすぎないのだ。(p.132)これは、Questionaryという子ども向けのサイトで、子供たちからの質問に答えた際、『人間はどうして勉強しなきゃいけないの?』という質問に対して、俵さんが「世界を知るためだよ」と答えてあげたいと思い、『源氏物語』を通じて、本を手に取ることで体験は無限大になることを示そうとした一文。「今の私たちもまた、別の社会規範にとらわれているのでは」や「自分は、たまたま今という時代に生きているにすぎない」という言葉には心底共感。 「芸人でテレビとかに出ているから、こうして本も出してもらえる。 ワシより、もっと努力して、出版にふさわしいものを書いている人もおるはず」 と謙虚なヒコロヒーさん。(中略) 芸人とか関係なく、スゴイ書き手がここにおる! というのが私の偽らざる思いだ。(p.150)ヒコロヒーさんの言葉の中の「ワシ」とか「おるはず」はまだしも、俵さんが主語である文中の「ここにおる」には「えっ?」となってしまいました。調べてみると、ヒコロヒーさんは愛媛県出身で、近畿大学中退、松竹芸能大阪養成所卒業。まぁ、これは私の中では想定内の事柄で、関西弁や伊予弁が出てくるのは当然のことかと。一方、俵さんの方は、大阪府北河内郡門真町(現:門真市)の生まれで、四條畷市で幼少期を過ごし、中学生のときに福井県武生市(現:越前市)に移住されていました。何と、私が生誕後最初の記憶が残っている時期に住んでいた町で、俵さんは生まれ、私が3年間通った高校のある町で、幼少期を過ごされていたと知り本当にビックリでした。 人と話すとき、SNSに何かを書き込むとき、 何を言うかと同じくらい、何を言わないかを考える。 誰に向けての言葉なのかを意識する。 発してしまう前に、一呼吸おいて確認したい。(p.184)この部分を読んだ時に、まず頭に浮かんだのは、「何を語るかが知性、何を語らずにいるかが品性、と申します」という言葉。『ふつつかな悪女ではございますが 8』の中で、主人公の玲琳が発した言葉ですが、相通ずるものがあるのではないでしょうか。 額面通りに受けとって腹を立てるか、背景を感じとって労わるかで、 人と人との関係は変化してゆく。 そういうことの積み重ねが、日々の暮らしなのだ。(p.229)これも、とても深く考えさせられ、反省させられたところ。表面面だけでなく、そこに潜む思いをきちんと推し量れる人でありたいものです。そして、本著の中で最も印象に残ったのは、『説明できないわからない気落ちがあるのはなんで?』の質問に対する次の答えでした。 身もふたもないことを言うと、実は言葉で100パーセント気持ちを説明するのは不可能だ。 でも、それは言葉が無力だということではない(中略) 基本、言葉は、世界と1対1で対応しているのではなくて、 ざっくりとした目印だと知っておくといいと思う(中略) モノの名前を表す名詞でさえこうなのだから、 まして人の心という目に見えないものを表す言葉が、 すべてを言い尽くせないのは当然のことだろう(中略) 説明できないってことをわかったうえで、いくつかの目印を集めて、 だいたいこんな感じなんですと伝える努力をすることが、 コミュニケーションだし表現ということなのだ。(p.128)
2026.05.06
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前巻発行から半年を経ての新刊発行。 読むまでに少し時間がかかってしまいましたが、読み始めると一気読み。 エンディングに向けて、お話も恋も大いに盛り上がっていきます。 そして、TVアニメも7月から放映開始です! ***王都へと向かう船上、慧月は玲琳を生かすため、気が枯渇したと嘘をつき、入れ替わり解消を先延ばしにしていた。そして、気の器を癒すには夜光草が必要とさらに嘘を重ねるが、玲琳はそれなら黄家の屋敷裏の黄山にあると言う。一行は黄家に立ち寄り大歓待を受けるが、慧月は玲琳が病弱になった時期を知ろうとその幼少時代について探る。玲琳の父・泰山や侍女たちに正体を見抜かれそうになると景彰に助けを求め、自身の彼への想いに気付くことに。慧月が玲琳の母・静秀が弔われている祠堂に行くと、そこにある文献庫で夜光草について調べていた玲琳と出会う。後殿には、静秀とその主治医で父・泰山の兄でもあった暉宏の位牌が並んでいたが、慧月はそこに怨念が凝っていると感じる。廂房では、皇后・絹秀が蒐集した呪具の中にあった血錆びた短刀、そして幼い頃の玲琳の手習いの紙が入った桐箱に目が留まる。その後、慧月が自室へと引き返し、狩りを終えた男たちが酒を酌み交わし始めると、玲琳は夜光草を求めて黄山に向かった。途中、辰宇に見つかり二人でかつての秘密基地まで辿り着くと、そこで夜光草を摘み、墓に手を合わし、辰宇に洞穴まで水を汲みに行ってもらう。玲琳が手記の入った桐箱を土中から掘り出した頃、にわかに雨が降り始め、辰宇は襲ってきた土砂に閉じ込められてしまうが、玲琳が救出に成功する。一方、玲琳の長時間不在を怪しんだ男たちは手分けして捜索を開始、尭明は客室へ、景行は黄山へ、景彰は祠堂へと向かう。景彰は、廂房で血錆びた短刀を探す慧月に遭遇、入れ替わり解消後に腕輪を渡したいと伝えると、慧月は事の真相を打ち明ける。その後、慧月は強烈な痛みに襲われるが、景彰に己の名を呼ばれると痛みは消失、これは黄玲琳の名にかけられた呪いだと気付く。そして、そこに皇后にして玲琳の伯母・黄絹秀が姿を現した。 ***今巻は、辰宇の生い立ちについても詳しく記されていますが、凡そ次のような感じ。辰宇は、皇帝・弦耀が周囲への当てつけに臘楚の奴隷・アイレナに産ませた子でしたが、皇后・秀絹が哀れんで、母子を玄領に逃します。しかし、結局、母に利用され、玄家でたらいまわしにされたあげく、初陣では養父・玄冰凌に裏切られるなど、苦難の日々を過ごします。その後、やっと義兄である尭明から鷲官長の座を与えられたのでした。そして、この辰宇の生い立ちに重ねて語られる、玲琳に関する次の記述が、今後の焦点となっていきそう。 なぜだか、辰宇から顔を背けたという人々の顔が、福英たち侍女のそれに重なった。 玲琳に優しい眼差しを注ぎながらも、けっして玲琳自身を求めているわけではない彼女たち。 いいや、彼女たちだけではない。目を閉じればすぐに思い浮かぶ、苔むした墓。 すると必ず思い出す人物。父と母、そして主治医。(p.271/350)やはり、カギを握っているのは皇后・絹秀のようですね。 ***さて、特典SS『下戸』の方は、下戸である冬雪が景行に、下戸である者のことをどう思っているのかと訊ねるお話。そして、付録小冊子の特別編『稽古を休んだ日の話』の方は、次のようなお話です。風邪を引いたのに父母が全く構ってくれなかった12歳の頃の自分の夢を見た慧月。目覚めると、やはり風邪を引いたようだったが、二胡の稽古に雛宮へと向かおうとする。しかし、朱駒宮を出てすぐ、景彰に呼び止められてしまい、強制送還&諸方面への伝達。その後、莉莉、冬雪、尭明、玲琳が、次々に慧月のもとに駆けつけたのだった。お話の本筋に深く絡むことはないエピソードですが、それにしても、辰宇、玲琳、慧月と、幼少期に寂しい体験をしたキャラばかりですね。
2026.05.10
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