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2009.05.04
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カテゴリ: 社会・政治・時事

 大阪大学総長の鷲田先生。
 内田先生の専門が、フランス現代思想、
 鷲田先生の専門が、哲学・倫理学なので、お話しは少々難しめ。

 年齢では、鷲田先生が一歳上と言うことだが、
 これまでの対談が、内田先生を軸に展開されるものが多かったのに比し、
 今回の鷲田先生は、内田先生と互角か、それ以上の存在感を示している。
 それ故、頁数は多くないが、充実した深みのある一冊に仕上がっている。

   ***


  裏返すと僕らの生活空間自体がサーヴィスで充満しているということです。
  ものを食べるにしても、勉強するにしても、もめ事を解決するにしても、
  病気やケガを治すにしても、その手段はみんな「サーヴィス」というかたちで提供される。
  生きること自体が、どうサーヴィスを選んで買うか、ということになっている。
  民間のサーヴィス提供者である私企業も、公共サーヴィスの提供者である行政も、
  消費者や市民を「クライアント」として見る。
  サーヴィスの提供者と顧客の関係が生活の中で充満してきたのがポスト産業社会です。(p.15)

これは、内田先生の
  「今の日本における未成年者は、労働を通じて何を作り出すかではなく、
   消費活動でしか自己表現できないと思っている」
という発言に対する、鷲田先生の言葉。


  学生の就職活動の様子を見ていても、世の中には自分だけにしかできない
  「唯一無二の」適正がどこかにある、という幻想を刷り込まれていますね。(中略)
  でも、個性というのは、まさにインターディペンデントな関係の中で、
  その人が何らかの役割や業績を果たしたときに、
  「あなたはこういう能力があり、こういうことに適性があった」ということを

  個性というのは自分で名乗るものではなくて、他者から与えられるものでしょう。
  そういうことがわかならいらしい。(p.19)

これは、内田先生の「個性」についての御意見。
まさに、その通り! 納得!!

次は、鷲田先生の
  「親と子が対立したら、親の言うことを聞くか、ぶつかって家を出るかしかない
   親子二世代だけの核家族は、子どもにとって一番つらい家族形態ではないか」
  「核家族でも、両親が連帯するのが最悪の構図」
という言葉を受けての、内田先生の発言。

  今、まさにそうなっていますよね。
  学校に来るクレーマーのうち最悪のパターンは
  両親が口を揃えて怒鳴り込んでくるタイプだそうです。(中略)
  異性の親の間にさえ価値観の葛藤がない。
  それでは子どもたちに成熟のチャンスがなくなるのは当たり前です。
  核家族であっても、せめて母性原理と父性原理とがきちんと機能していて、
  そこに価値観の「ずれ」があれば、子どもにもある程度の葛藤は担保されます。(p.32)

「オール・オア・ナッシング」
これが、現代社会に生きる人々の行動を決定づける「キーワード」。
上手くいけば「グッド!」だけれど、逆に転べば「悲惨……」な仕組み。
さらに、鷲田先生が続けます。

  人が成熟するというのは、
  編み目がびっしりと詰まって繊維が複雑に絡み合ったじゅうたんのように、
  情報やコンテンツ(内容)が詰まっていく、ということです。
  それなのに今の世の中、ジャーナリズムも単次元的な語り口でしょう。
  すぐに善悪を分けたがる。(p.33)

そして、次の内田先生の言葉が、最後の決め。

  子どもと大人の違いは個人の中に多様性があるかどうかということですから。(p.36)

「単純で明快なもの」は、誰にとっても分かりやすい。
しかし、人間も社会も、そう「単純で明快なもの」ばかりで終わらない。
そこにある「多様で複雑なもの」に対応するためには、
大人としての経験や発想が、絶対に必要不可欠なものとなってくる。
なのに、それらを無視して、全てを無理矢理「単純明快」にしたがる現代社会。
それは、「単純で明快なもの」にしか反応できない者ばかりを、溢れかえらせ、
「大人のいない国」を創造することに、大いに寄与している。

   ***

その他にも、印象的な言葉が、あちこちに散りばめられている。
鷲田先生の言葉では、

  ちょうど子育てや教育において、子どもをどのように育てるかではなく、
  子どもが勝手に育つ環境をどのように作ったらいいかと腐心することの方が大事なように。(p.100)

内田先生の言葉では、

  子どもは同性の二人の年長者から
  それぞれ別の生き方のモデルを提示されることを通じて成熟する。(p.104)

  教育の目的は信じられているように、
  子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。
  子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存在するのである。(p.107)

現在の日本は、まさに「子どもが子どもを育てている」状況。
まさに、「大人のいない国」。
そこから脱却するには、「子どもを大人に育てる社会」へと生まれかわる必要がある。
でも、肝心の「子どもを大人に育てる役割」を、誰が担うことが出来るんだろう……。





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Last updated  2009.05.04 13:19:52 コメントを書く
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