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2015.03.24
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「丸」編集部編『われソロモンに死すとも―ガダルカナル戦記』(光人社NF文庫、2012)


書籍タイトルにも各短編の著者名は出ませんし、関係する部隊名なども本の紹介に無いものがほとんどなので、もしかしたら探し物をしている人の役に立つかもしれないと思い、収録されている作品とその著者の概要、あと気になったところなどを書いて行こうと思います。


1. 高津善平「密林に消えた軍艦旗」
昭和四十五年「丸」九月号収載。筆者は横須賀鎮守府第五特別陸戦隊員(当時一曹)。
ガダルカナル島奪回作戦の先遣隊に参加。第三戦隊による艦砲射撃の誘導の為の電灯を点灯したとのこと。

「隠密作戦用に設計された大発は、排気が水中に排出されるようになっているので、エンジン音はきわめて静かである。」p.17 昭和17年夏 カ号作戦での上陸時に使用した大発についての記述です。


2.長谷川英夫「ドクトル玉砕島戦記」
昭和四十六年「丸」十二月号収載。筆者は第二師団野戦病院 軍医少尉(当時)
昭和十七年十月二十七日に第二師団第一野戦病院第一半部をガダルカナル島ルンガ屈曲点南方の密林内に開設して以降のガダルカナル戦の話。


烈な下痢をおこす。そして、ついには血便をともなう赤痢症状となる。この場合、ほんとうの赤痢か、マラリアによる粘膜障害によるものか一見してはわからない。そして顔面や全身に浮腫をおこし、特有の青く透きとおるような、なんともいえない症状から、やがて末期の様相に移行する。このような症状になると食物がとれないので、とうぜん飢餓の状態におちいってゆく。そこで栄養失調症などとわけのわからない病名をつけた人もいる。残念ながら、私も医師としてこれらの病気をついに解明することができなかったが、できれば病理解剖をして医学的に追及すればきわめて興味ある有益な結果がえられたことと思う。もちろん、これはあくまで医学的な立場からの考えであることはおことわりしておく。」

「この携帯嚢についてかんたんに説明しておこう。衛生部で軍医が携行するものであるが、そのなかにはかんたんな止血器やアルコールなどの消毒薬、薬品などを入れた牛皮製のカバンで、その表面には赤十字のマークがつけられてあった。いちおうこれで応急手当だけはできるようになっていた。
下士官衛生兵の携行するものはもっと大きく、衛生材料、薬品、三角巾などが入れてあり、ともに赤十字マークがつけられてあった。
また、隊医扱というのは、縦七十センチ、横五十センチくらいの木箱に手術用具一式を、じつに巧妙におさめてあって、これでたいていの手術に間に合うようにつめ合わされていた。しかし、いちどとり出したものをもういちど格納しようとすると、もう入らない。いくら頭をひねってもチエの輪をまえにしたように頭をかかえてしまう。もちろん私たち外科医は、これがないと処置、手術もできない。かつて私は陸軍病院勤務中によくいったものである。召集解除のときは勲章などほしくないが、この隊医扱だけはほしい―と。」p116-

「「もう生きられないからはやく殺してくれ」と軍医に向かってさけぶ患者も相当数いた。そういう場合、軍医は、注射器をもって立ちあがり、患者の頚静脈をめがけて注射針をさしこみ、そして空気を注入するので、患者は虚空をつかんで死んだとか、また、毒物をあたえて殺したということが一部の戦記に書いてあるが、こんなことはありえないことであった。
実際には、患者の静脈内に空気をいれることは空気栓塞をおこさせることで、簡単にいうと空気が体組織の重要部分にはいり、身体の機能をうしなうことである。しかし、体内にどのくらいの空気がはいれば虚空をつかんで死にいたる状態になるかはあきらかではない。が、すこしばかりの空気、たとえば二十CCくらいの注射器一本ぐらいの空気ではそんな状態にはなり得ない。これは医学的にみても断言できることである。
ガダルカナルでも、注射器はもっていただろうが、それも二十CCくらいのもので、それ以上に大きい注射器は携帯できなかったとおもう。したがって、当時の状況からみると空気栓塞説は考えられないのである。
また、べつの方法として、毒物をあたえて殺したなどとの説も信じられないことである。なにしろ、当時の状況では、そんな毒薬まで持っていくほど余裕がなかったであろう。」p161-


3. 福山孝之「ブイン防空砲台に“必殺の弾幕”が絶えた日」
昭和五十一年「丸」八月号収載。筆者は第八十九警備隊中隊長 海軍大尉(当時)。
コロンバンガラ島からチョイセル島を経由してのブーゲンビル島への撤退とブーゲンビル島ブイン地区トリボイル砲台(高射砲)での対空戦闘などのはなし。



昭和四十八年「丸」八月号収載。筆者は第八潜水艦基地隊掌水雷長。
ラバウルの第八潜水艦基地隊での話。と言っても潜水艦への補給作業や各種機材、魚雷調整などの技術的な話はほとんど無いのは残念。大半がラバウルでの生活や空戦のはなし。

・ 昭和18年1月時点での第八潜水艦基地隊准士官以上14名の官氏名と配置p.259


5. 鈴木正光「われソロモンに死すとも」
昭和五十年「丸」十二月号収載。


昭和十七年十月七日在ショートランド泊地の項から始まっており、昭和十八年一月二十七日艦砲の集中射撃により戦死、その時点での階級は中尉とあります。
ガ島戦に参加した十加という事ですので、本書にはあまり細かい説明は記載されておりませんが筆者の所属は第二次総攻撃に参加するため急遽海輸された野戦重砲兵第七連隊の九二式十糎加農砲、所謂「ピストル・ピート」の中隊で筆者はその指揮小隊長。

・ 十月十二日、谷中隊(筆者の所属部隊)が野戦重砲兵第四連隊の配属下に入る(先発隊は既にガ島上陸後、砲が届く前)p328





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最終更新日  2015.03.24 16:16:44
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