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2009.03.27
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先月号では、ソ連の崩壊によって、国家的存亡の危機に遭遇したキューバが、石油も肥料も食料も絶たれた中で、有機野菜の自給自足によって国民が共産主義国家への依存から自立の道を歩んで、環境・教育・医療の問題まで国民の力と智慧で持続可能な社会に再生していったという記事を掲載した。そして、それはこれから訪れる世界や日本が模索してゆくモデルになるかも知れないということだった。
今月は、日本の江戸時代にも持続可能な社会を営んでいた、「ロハスな生活」のモデルを探ってみたい。(以下は、www.eco-g-co.jp の「江戸時代の生活」から引用させてもらった)

江戸時代には、現代の膨大なゴミを排出する生活とは遠く遠くかけ離れた生活があった。そこにあったのは、モノを繰り返し大切に使い資源を生かす人々の習慣だったという。

江戸には当時世界一がいくつもあった。人口は西暦1800年120万人が暮らす世界一の大都市だった。当時第2位のロンドンが90万人、3位のパリが60万人、ニューヨークにいたってはまだ6万人だった。(日本全体では1600年1227万人、1720年3128万人でそれ以降1873年3330万人までほとんど増減なしだった。)

水道設備も世界一だった。時代劇でよく見る長屋の井戸は地下の木管の中を流れる水を、木管に開いた穴からくみあげる井戸だった。神田川、井の頭池、玉川などを水源に高低差を利用して木管の中を川のように流していた。
使われず川に落ちる水は船で受け取って、水の便の悪い地域に運んで再利用した。
当時の江戸の60%の人がこれで生活していた。1年中1日中使えるこの水道設備は当時世界に無いものだった。唯一ロンドンにも水道設備はあったが、週3日、1日7時間給水だった。

世界一清潔な大都市だった。ロンドン、パリでは「おまる」にとった排泄物を道路に投げ捨てていた。それを下水にはき寄せて川に流していたようで、道路は至る所汚物だらけ、テームズ川もセーヌ川も異臭を放つ猛烈などぶ川だったようだ。(明治の初め頃まで隅田川の屋形船では船から川の水を汲んでお湯を沸かしたと言う記述がある。)

江戸では、排泄物は便所から汲み取られ堆肥の材料として、高額で取り引きされるほど大切にされていた。したがって、道路を汚すことは少なかった様で、下水に流したものは洗濯の水と、米のとぎ汁であるが、ほとんどが川に流れ込む前に大地にしみ込んでしまったとある。洗濯はと言うと、石鹸は高価で使われず、灰やムクロジなど環境に良いものが使われていた。しかも洗濯や炊事に使った水は、拭き掃除に使い、最後は畑や植木にやったり、打ち水するなど徹底的に使いまわす事が多かったので、量も現代よりはるかに少なかった。



寺子屋による初等教育の就学率の高さは、当時群を抜いて世界一だった。
1850年頃の江戸の就学率は農村部まで入れても70~85%と推定されている。それに比べ1837年ころイギリスの大工業都市で、20~25%。革命後のフランスでは1793年に初等教育を義務化したが、10~16才の就学率は1.4%だった。ロシアでは1920年でも
20%だった。
しかも、幕府には文部省の様な部署は無く、お上の計画にのっとって作られたと言うよりは、庶民の間で自然に出来ていったシステムと思われる。
現代のような画一的な教育ではなく、独りずつのレベルに合わせた理想的な個人指導だった。
さらに驚くべきことに、100万を超えるこの大都市に、現在の警察官にあたる与力、同心は24人しかいなかった。
現代社会が随所でシステム障害を起こしている今、こんな素晴らしいシステムが二百数十年間も続いた。





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最終更新日  2009.03.30 14:51:54 コメントを書く
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