全46件 (46件中 1-46件目)
1
■明治維新、明治近代化のリーダー、商都大阪を築いた大恩人■<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/74/img473962fbzik6zj.gif" width="505" height="411" alt="01メイン画像"> 昨年6月に発足した「社団法人スリランカ友好協会」の松本勝幸代表理事に、特別顧問をされている久保田彌一郎氏を紹介され、スリランカと五代友厚公とのつながりをお聞きしているうちに、胸が熱くなってきて、後日、梅田の「関西文化サロン」でお会いし、取材させていただくことができた。五代友厚公は、明治維新のとき活躍した一人で、明治近代化のリーダーであったばかりか現代の商都大阪の基礎を創った大恩人であることがわかり、五代友厚公の研究をされてきた久保田さんのなみなみならない熱い想いとともに、21世紀の大阪再生のために、五代の志を引き継ぐ人材を輩出したいと言うことでお互いの想いが一致した。スリランカ人ネルソン氏の「五代友厚研究」ーー 昨年、バーズアイで「中之島特集」を組んだ時、五代友厚公の銅像を見上げたことを思い出しましたが、こんなに早く五代友厚の話を聞くようになるとは思いませんでした。初めて久保田さんにお会いしたのに、前から知っているような感覚でお話に吸い込まれてしまいましたが、五代友厚という人物によっぽど惹かれたんでしょうね。久保田さんが「五代友厚公研究」を始められたいきさつからお話いただけませんか。久保田 私も同じ想いですね。五代友厚公をもっと世に広めてゆきたい、いや、今こそ、五代が世界に、日本に、この大阪に必要なんだという気持ちと、バーズアイとの出会いがシンクロした、という感じがしてとてもうれしいですよ。私がちょうど1973年ごろの高度成長の時期に、企業コンサルタントとして広島のある企業を訪問していた時、その会社の社長がお世話をしているスリランカの留学生の話を聞かされたのが始まりですね。ネルソン・ウィターナゲというスリランカの若者が国費留学で広島大学に入って勉強して修士課程を終え、大阪大学で博士課程を勉強したいと言っているので、彼の大阪での後見人になってやってほしい、という依頼を引き受けてバトンタッチしたのです。ネルソン君は頭もいいけどテニスや運動神経も抜群で、後にスリランカ在関西名誉総領事として活躍することになるのです。ーー スリランカ総領事館には行ったことがあるので、私が会っていた方と同一人物でしょう。奇遇ですね。久保田 それは、やっぱりネルソン君が引き合わせてくれたんでしょう。彼は阪大の大学院博士課程に入学してから、宮本又次教授に勧められて「五代友厚の研究」をテーマに卒業論文を書いたのです。ーー その教授はネルソンさんに「五代友厚」の研究を勧められたんですか。久保田 そこなんですがね。ネルソン君の育ったスリランカという国は非常に心豊かな国だったのに内紛でいっぺんに貧しい国になってしまったんです。逆に日本は、敗戦で貧しい国になったのに、みるみるうちに経済大国になっていった様子を見て、なぜこんなに自分の国と違うんだろう、そこが知りたい、と言う彼の国を思う気持ちから日本留学を志願して広島大学に入ったのです。ーー 聞いただけで胸が熱くなります。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/92/img3032671dzik5zj.gif" width="300" height="451" alt="商工会議所前"> 国を思う気持ちが日本留学へ久保田 つまり彼は自分の国を何とか豊かな国にしたい、という一念で勉強していたから、教授が研究していた「五代友厚」を学んで欲しい、その志を引き継いでスリランカのために働いて欲しい、と言う、これまた教授の熱い想いをネルソン君に注いでくれたおかげなんですね。ーー 想いが受け継がれたのですね。久保田 きちんと目的を持って大学に入り、そのための研究をして、それを国や社会に還元する。これが学生と大学の在り方でしょう。ネルソン君は「五大友厚の研究」に没頭して、それをスリランカの国のため、関西一円の人たちのためにはたらいたのです。それが認められて若くしてスリランカ日本大使館の名誉総領事として認証されたのです。その結果、関西在住のスリランカ人の支援も熱心にして非常に慕われていたのですよ。それが2005年、インド洋津波で家族を失った子どもたちの支援のため母国に滞在中に急死したんです。日本の友人以上の付き合いでしたから、残念で全身の力がすっかりなくなってしまった感じでした。ーー 友厚公の志をもっと生かしたかったでしょうに残念ですね。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/22/imga6ddbfefzik9zj.gif" width="200" height="145" alt="水夫"> 今、なぜ五代友厚公なのか久保田 彼が亡くなって、膨大な研究資料だけが残り、それを眺めてばかりいました。その資料もネルソン君と一緒にイギリスまで行って調べてきたものもあり、それを見て彼の心残りのことを想うと胸が痛くなり、私はもう一度五代友厚公について勉強し直してみようと思ったのです。ショックだったのは、日本人の中で「五代友厚」とう人物がどんなことを成し得たのか、ほとんど知る人がいないということが判り、これほどの人物を政府の高官すら全くと言っていいほど知らないのはなぜなのか、という疑問に突き当たったのです。それで、五代友厚公のことを誰かに本に書いてもらうか、どのようにして世に知らせて行けばいいのか、寝ても覚めても頭にあるのは五代友厚公のことばかりでした。そんな頃、今度は私自身の人生に大きな試練が次々に訪れてきて、それどころじゃない状況になってしまいました。体調を崩した上に交通事故で緊急入院するはめになって、何もかもあきらめかけていた頃、NHKの「その時歴史は動いた」という番組で五代友厚公のことが放映されたことを知ったのです。それではじめてわれに返って、五大友厚公のことをもう一度考えようと思ってから元気になれました。そして、機会があって今年の10月から一年間の約束で「五代友厚公に学ぶ大阪活性化のために」という連載を書くことになったのです。ようやく、遣り残したことに息を吹き返したところです。今年の9月は、五代友厚公が没して125年目、生誕175年なんです。いよいよ時が来たという感じを強くしているところです。大阪を愛し、大阪で活躍し、大阪を近代化に導いた大恩人ーー 久保田さんから頂いた資料をもとに「五代友厚」に関する情報を集めてみようと書店や図書館に行って調べて見ましたが、明治維新の志士たちの所にただ一行名前が書いてあるだけで、何にも情報が手にはいらなかったのですが、どうしてなんでしょうか。久保田 そこが不思議なところですよ。薩摩藩の武士として西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、坂本竜馬たちと共に激動の時代を駆け抜けた志士の一人だった彼が、明治政府樹立後は、政府高官の地位を辞し武士の地位も捨て、大阪復興のため、商人として活躍したためか、陽の目を見るようになったのは、実業家としての功績でしょう。でも彼が大阪の中之島にある造幣局や商工会議所を創った人物であることや大阪製銅(住友金属)などの企業を起こしたことや鉱山王であったことを知る人は少ないですね。ましてや大阪を東洋のマンチェスターにと、都市づくりに尽力したのになぜなんだろうと思って追求しました。彼はあれだけの大事業をやりながら名も金も残さなくていい、ただただ日本のために、という人だった。それで私なりの納得がいったのです。ーー 五代友厚を書き表した著書で「士魂商才」(佐江衆一著・新人物往来社刊)をお借りしたのを読んでみて、五代の熱い気持ちが伝わってくる箇所がありますね。新政府の中枢にいた五代が大阪に造幣局を創り電信事業を手がけ、大阪湾を近代港へと建設してゆく。その五代が上司の小松帯刀に話すくだりが五代の心意気を表しています。「小松さぁ、俺は奔放不羈じゃっで、宮仕えはむきもはん。性に合わんとじゃ。この際、官を辞めせい商人になる腹ばきめもした。幸い大阪の商人が慕ってくれもす。俺は武士もやめせえ、こん大阪を東洋にマンチェスターにしとうごわす」ここに、惹かれますねえ。久保田 そして五代が辞職の決意をこう伝えるんです。「これからは、新生日本のために貿易をし産業を興す。欧米列強に日本が伍す富国強兵の殖産興業じゃ。大久保さぁもぜひ欧米をその目で見、肌で感じてきやんせ。残念なことに、いまの日本の商人は世界を見る見識がなく、旧態依然として細利に汲々とし、世界に通用する企業を起す者がおらん。俺がやらねばなりもはん。俺はもともと商人にむいちょっとじゃ」ーー それからの五代の活躍はすざまじい勢いでしたね。久保田 造幣局に納入する地金を製造する金銀分析所、金銀銅鉱石の採掘と精錬をする鉱山、活版印刷所、堺に紡績工場、大阪新聞の発刊、大阪株式取引所、大阪商法会議所(現在の大商工会議所)、銀行、鉄道(南海電車)、船会社(大阪商船)と次々に手がけてゆく。そのほとんどが現在の中之島周辺のいたるところにあるのですよ。
2010.01.29
コメント(2)
金融危機から始まった2009年、政権交代が起こったことの意味は、日を追うごとに大きくなってくるのを感じています。 さて、バーズアイも、21世紀の持続可能なライフスタイルを求めて、農・食をみつめる取材を通して皆さんと一緒に考えてきました。北摂のレストランのシェフたちが「地産地消」の推進を連携して活動する会「北摂会」を立ち上げたことを取材してお伝えしましたが、あの時9軒だったお店が、現在は20軒に増えて来ています。食育をテーマにした料理教室や野外でのイベントなどの活動も盛んになってきて、それぞれのお店も元気になってきています。 また、「箕面森町通信」の編集などで関わっている「とどろみ森クラブ」の活動拠点である箕面森町の里山管理小屋での「森の元気市場」も大変な盛況で、初日に1500人の来場者があり土日は行列ができるほどの来場者です。約一カ月の社会実験を終えた後には常設館として、森の中の「道の駅」として続けていってほしいものです。 われわれの意識が変わって、農と食が変われば、環境も変わり医療も変わります。そして福祉のあり方も雇用も教育まで変わってしまう、そんな社会実験がこの北摂でできたらという思いが、少しずづ形になる芽がでてきたのが、今年のうれしい収穫だと思います。 夏には、4人の建築家を取材し、21世紀型の新しいライフスタイルを産み出してゆくための「バーズアイプロジェクト」を一緒に立ち上げました。そして滋賀の過疎地で「菜園家族」構想を始めておられる小貫先生を取材することができ、そこで受けたインパクトによって、一気に「菜園家族・エコヴィレッジ」の構想が生まれたのです。 都会と農村の中間地帯に、自給自足型の菜園付集合住宅を核にした菜園家族のコミュ二ティを創くりたい。子供やお母さんは自然の中でのびのびと過ごし、主人は都市の職場に通って収入を得、週末は家族で農的生活ができる。お年寄りだって菜園セラピーと土いじりのリハビリで元気になれる。集合住宅の共有スペースである中庭の大きなテーブルでは、採れたての野菜を使った手作りの料理をみんなで囲んで話が弾む。子育てやお年よりをみんなで見守る。そんなコミュ二ティを創れる広い土地を北摂近郊で探してみようということになったのです。 その話がでてきた頃、NPOをやっている友人から電話があり、万博公園にあるエキスポランド跡地で「農と食と環境」をテーマにした一大イベントを来年4月から1年間かけて開くことになったから広報担当スタッフで入ってくれという依頼が飛び込んできたのです。 ついこの前、現地視察で関係者が20数人集まり下見を兼ねたミーティングが行われました。そこで「菜園家族エコ・ヴィレジ」のことを話したら「そのモデルを創ってここから発信したらどうだろうか」という話に発展して、実現の可能性がでてきそうです。 もし、北摂のど真ん中、万博記念公園に「ロハス・ヴィレッジ」ができて、多くの皆さんに観てもらうことができたら、こんなうれしいことはありません。この企画の実現が2010年に叶うかも知れません。残された1カ月、2010年が希望の年になるようにがんばりたいと思います。 来年も、ロハスを発信するバーズアイを、どうかよろしくお願いいたします。 発行人 宗近 孝写真の説明つい最近、親族の3回忌の法要で田舎(尾道)に行く機会がありました。田舎が嫌で都会にでてき私は田舎の土地は何の価値もない、と思って見向きもしませんでした。しかし「菜園家族」構想を知ってから、その視点で田舎の我が家の田畑や山林を眺めた時に、なんとここにこそ「菜園家族・エコヴィレッジ」が必要である。そう思ってしまいました。価値観が一変してしまいました。
2009.12.21
コメント(5)
パブリシティ 演劇の世界では、公演にあたり、重要な事項を記者会見で各新聞社の芸能欄告知を期待するだけで。後は、「チケット好評発売中」とだしたらいい方。それ以上のことはしない。 「予算もないので、それ以上のことができますか」と云った調子である。それ以外の告知イベントは主演俳優のプライドがゆるさないので 主催者もそれに同調するのか。 昨年だったと思うが 例の911事件のエピソードを題材にしたドラマの関西公演が、何もせずドラマシティで公演、ガラ空きだった。主催は某有名新聞社。 新劇界の名女優が出演するユニークな対話劇を、多くの人は、そのドラマ上演さえ知らなかった。かなりユニークな題材をより多くの人々に知らせることを怠り、惜しいことだった。雰囲気づくりせずにどうする。 ところが、ここに紹介するのは、2010年 まず、それを見るだけでも内容の理解に役立つ舞台装置のセッティング過程をマスコミに紹介。 年賀はがきの新発売初日にウイキッド主演俳優が参加。それと、関西の有名スイーツメイカー関西ロールとタイアップして新ロール「エルフィーロール」を制作。大阪四季劇場ではカットしたものを上演期間中販売。 なお。ロールは堂島ロール本店で買えます。これもそれほど資金を要するものではない。これらのイベントは関西のマスコミに取り上げられた。前の2つのイベントは何に金がかかるのか。要はアイディアとやる気である。
2009.11.20
コメント(6)
熱い想いが伝わってくるバーズアイ まず、岡本さんから自己紹介を…。岡本 神戸市生まれで今も神戸に住んでいます。2007年に入館、今年で3年目です。バーズアイ 外から見た伊丹はどうでしたか?岡本 はじめは神戸と比べて都会的なイメージが持てず、どんな町かなぁ…ぐらいの気持ちでした。しかし、いざここで働いてみると、市民の皆さんの「まち」を思う気持ちは半端じゃなくて「わぁ熱う!」と驚きでした。バーズアイ お仕事柄、伊丹は江戸時代からの古い文化のまちとして興味がおありになったのでしょうね。岡本 ええ、調べて行くと、深い歴史とともに文化のかおりもあふれていることを知りました。バーズアイ それは少しお話しただけで、ビンビン伝わって来ましたね。澤野さんは如何ですか。澤野 私はこの仕事をして4年目です。伊丹生まれの伊丹育ちなんですが、この仕事をするまでは「住みやすいし、文化のまちだから子育てにもいいなぁ」くらいの気持ちでしたね。バーズアイ 住んでどっぷり浸っていると分からないかもしれませんね。澤野 他の都市へ出て行っても、また戻って来る人も多いし、皆さんの意見がまとまるのにちょうどいい大きさの「まち」ですね。自転車で一周できる…みたいな(笑)。バーズアイ 飛行場の方が有名ですが…。岡本 そうでしょう。だかられっきとした兵庫県なのに、大阪府だと思っている人も多いんです。 岡田邸 清酒発祥の地「伊丹」澤野 清酒発祥の地ということは知られているようで広がっていない、PRが足りないのかなぁ。岡本 神戸に住む私が言うのは変だけど、今は灘のお酒の方が有名になりましたがぜひ、伊丹の美味しいお酒を皆さんに味わって頂きたいですね。瀧内 慶長5年(1600年)に、有名な出雲の武将山中鹿之助の長男が戦いに破れ、伊丹に来て酒造りを始め、ら当時は濁酒だったものが、今のように清んだお酒を発見したのが始まりです。岡本 それで元禄時代には、この伊丹郷町を中心に発展、江戸へも出荷され、最盛期には関西から江戸へ89万樽も送られたそうです。その中心が伊丹でした。バーズアイ さぞかし活気があったでしょうね。瀧内 そこで財をなした旦那衆は和歌や俳諧、連歌、謡曲・歌舞など、諸芸を楽しみました。澤野 地元の上島鬼貫や井原西鶴も有名ですね。幕末にかけては漢学者の頼山陽が何度も伊丹に来ていますし、大阪や京都にはない文化が育ったようです。 町の中心にあるほっとくつろげる「ポケット広場」柿衞(かきもり)文庫の由来岡本 伊丹の文化の要である「柿衞文庫」はそういう人たちの作品が数多く収蔵されています。酒造家での酒宴の席で岡田家にあった台柿(ヘタの周囲が丸く盛り上がっている)を出したところ、その美味しさに感動した文人・墨客たちが、その思いを詩や画に表現、その作品は今も「柿衞文庫」に残されています。瀧内 柿衛(かきもり)文庫の名前はその柿を衛(まもる)というところからです。岡田家二十二代の岡田利兵衛氏は「柿衞」と号したそうです。バーズアイ その伊丹のシンボル的な「台柿継承プロジェクト」が始まりましたね。岡本 やがて学校の校庭などでの柿の実が成るのがみられるでしょう。澤野 伊丹郷町でも特に皆さんに見て頂きたいのは、江戸時代延宝2年(1674年)に建てられた旧岡田家の住宅・酒蔵で、現存する建築年代の明らかな日本最古の酒蔵として国の重要文化財になっており、かまどや帳場が展示されています。瀧内 最盛期には83の酒造家があり、伊丹酒は将軍の御膳酒にもなっていました。バーズアイ そんな中で大阪と神戸とも一線を画す文化が生まれたのでしょうね。 伊丹市立伊丹美術館元禄時代に華開いた文化の息吹きが今に伝わって岡本 江戸時代の人々の熱い想いがベースになっていて、今、伊丹の文化をもっと皆さんに知って頂きたい、味わって頂きたいという気運が高まって来ているのだと思いいます。澤野 この「みやのまえ文化の郷」には美術館・工芸センター江戸時代の町屋が集まって文化ゾーンを作っていますが、人口に比べて音楽・演劇の専門のホールのほか、総合ホールなどおおくの文化使設があります。バーズアイ この面積の市では珍しい? アイホール澤野 そうなんです。他の町から来られる方もありますが、市民の皆さんが自分たちで使って下さり、見に来て下さるということは、市民の文化の質の高さを表わしていると思っています。 伊丹市立昆虫館岡本 昆虫館、水鳥の宝庫、昆陽池もありますよ。澤野 昆虫館との協力で2006年から始まった「鳴く虫と郷町」のイベントも続いていてうれしいです。瀧内 若い市民の方の発想に商店の方や行政も賛成したんですよ。このあたりが伊丹が熱く燃える理由でしょう。バーズアイ 和のお店だけでなく、洋風のお店で聴いても違和感がなく、虫の声って本当に癒されますね。岡本 昆虫館の協力もあって、それこそ官民が一丸となって成功しているイベントです。市民とお店と行政が一つながりでバーズアイ 10月の「まちなかバル」のイベントは54の商店が参加して下さったそうですね。瀧内 これも市民側からのアイデアが実ったもので、皆さんの熱い想いをヒシヒシと感じます。バーズアイ 取材に協力して下さったクロスロードカフェさんに行ったら、文化振興財団の若い人が色々と意見を聞いておられる…お役所の方とは思えない対応ぶりにびっくりしました。いままでの感覚にはないことだと思いましたね。岡本 「まち」を思う気持ちがいっぱいなんですよ。私たちもいろいろ情報をお聞きしたり、お話しに行ったりしています。澤野 市民と商店主さんと行政の気持ちがとても近いんです。バーズアイ これからやりたいことは何でしょう? 伊丹市立博物館伊丹の「今と昔」をもっと知ろう!岡本 今日お話していて、もっともっと伊丹の「今・昔」について知りたい、勉強したいって思いました。そしてまたそれをベースに企画したり、市民の皆さんにフィードバックして伊丹の文化を広報し、子供たちにも、もっと知って欲しいです。澤野 教科書の中での勉強ではなく、現在残っている古いものを子どもも大人も触って使って、古いものを残しつつ現代につなげていけたらと思います。 有岡城址瀧内 伊丹の歴史は荒木村重や有岡城が欠かせませんが、謎につつまれている部分も多いのです。そういうものを掘り起こして、昔の人たちの生活や思いなどを含めて伊丹の文化をもっと皆さんにお伝えしたいですね。岡本 美術館の収蔵品や企画・展示のことをいつも考え、多くの皆さんに見てもらい、そこで皆さんのリアクションを知る。だからこの仕事は楽しくてやり甲斐があります。他の都市の皆さんにも「伊丹は今熱いんや!」と口コミで広がって行けばうれしいです。澤野 工芸センターでは、日本だけでなく海外からも作品を募集する「伊丹国際クラフト展」を開催しています。テーマは、清酒発祥の地として「酒器・酒盃台」と「」ジュエリー」が交互になっています。今年の大賞作品は野草で作ったティアラ(王冠)とリングです。時代を読み取った物語性のある作品に感動しました。ほかにも手織や陶芸などの講座のも力を入れていて、モノ作りの楽しさをお伝えできることが嬉しいんです。バーズアイ これからこの熱い想いをふくらませて市民の皆さんや他の都市の皆さんに、文化にふれ合う心のゆとりの大切さをお知らせして下さい。ありがとうございました。 荒牧のばら園
2009.11.14
コメント(3)
熱い想いが伝わってくるバーズアイ まず、岡本さんから自己紹介を…。岡本 神戸市生まれで今も神戸に住んでいます。2007年に入館、今年で3年目です。バーズアイ 外から見た伊丹はどうでしたか?岡本 はじめは神戸と比べて都会的なイメージが持てず、どんな町かなぁ…ぐらいの気持ちでした。しかし、いざここで働いてみると、市民の皆さんの「まち」を思う気持ちは半端じゃなくて「わぁ熱う!」と驚きでした。バーズアイ お仕事柄、伊丹は江戸時代からの古い文化のまちとして興味がおありになったのでしょうね。岡本 ええ、調べて行くと、深い歴史とともに文化のかおりもあふれていることを知りました。バーズアイ それは少しお話しただけで、ビンビン伝わって来ましたね。澤野さんは如何ですか。澤野 私はこの仕事をして4年目です。伊丹生まれの伊丹育ちなんですが、この仕事をするまでは「住みやすいし、文化のまちだから子育てにもいいなぁ」くらいの気持ちでしたね。バーズアイ 住んでどっぷり浸っていると分からないかもしれませんね。澤野 他の都市へ出て行っても、また戻って来る人も多いし、皆さんの意見がまとまるのにちょうどいい大きさの「まち」ですね。自転車で一周できる…みたいな(笑)。バーズアイ 飛行場の方が有名ですが…。岡本 そうでしょう。だかられっきとした兵庫県なのに、大阪府だと思っている人も多いんです。 岡田邸 清酒発祥の地「伊丹」澤野 清酒発祥の地ということは知られているようで広がっていない、PRが足りないのかなぁ。岡本 神戸に住む私が言うのは変だけど、今は灘のお酒の方が有名になりましたがぜひ、伊丹の美味しいお酒を皆さんに味わって頂きたいですね。瀧内 慶長5年(1600年)に、有名な出雲の武将山中鹿之助の長男が戦いに破れ、伊丹に来て酒造りを始め、ら当時は濁酒だったものが、今のように清んだお酒を発見したのが始まりです。岡本 それで元禄時代には、この伊丹郷町を中心に発展、江戸へも出荷され、最盛期には関西から江戸へ89万樽も送られたそうです。その中心が伊丹でした。バーズアイ さぞかし活気があったでしょうね。瀧内 そこで財をなした旦那衆は和歌や俳諧、連歌、謡曲・歌舞など、諸芸を楽しみました。澤野 地元の上島鬼貫や井原西鶴も有名ですね。幕末にかけては漢学者の頼山陽が何度も伊丹に来ていますし、大阪や京都にはない文化が育ったようです。
2009.11.14
コメント(0)
カツラの葉の香り秋の紅葉の頃、山を歩くのがとても気持ちがいい季節です。特にブナ林などの落葉広葉樹林の中を歩くのは格別です。そして以前から、この時期に沢沿いを歩くと漂ってくる甘酸っぱい香りが何の匂いかとても気になっていました。始めはサルナシかヤマブドウの実が発酵した匂いかな?と思ったのですが、あたりにサルナシの実もヤマブドウの実も見当らないし、謎のまま月日が経ちました。去年の11月、友人と渓谷を歩いていると、ちょうどこの香りが漂ってきました。すかさず友人に何の匂いかと聞くと、“カツラの木の葉の匂い”だと教えられました。確かにその場所には1本のカツラの木が生えていました。今年もまた、この香りがする場所でカツラの大木がそびえ立っています。調べてみると、カツラ(桂)は、カツラ科カツラ属の日本固有の落葉高木で、北海道から九州に分布する。山地の谷沿いに生育し、まとまった林にならず点々と離れて生えることが多く、高さ30メートル、直径2メートルにも達します。黄葉した葉には甘い独特な香りがあり「抹香にした」と書かれていました。なるほどとその通りなのでした。この香りをうまく表現できないのが残念です。五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を膨らませて、野山を歩くとまだまだいろんな発見があります。
2009.11.13
コメント(1)
今頃の季節になると、紅葉した落ち葉を拾うのが楽しみだ。子どもの頃には黄や赤の落ち葉で動物や花の模様を作り貼り絵にしたりして遊んだが、一枚ごとの色柄の美しさに、いまだに落ち葉拾いがやめられない。 紅葉した落ち葉には、一枚の中に自然のアートがある。人工では逆立ちしても出せない色柄だ。同じものは二つとない。テーブルに広げて眺めいってしまう。季節、温度、空気が介在する植物の営みの不思議さ。葉っぱは、樹の上にあるときはとても地味である。樹の葉は、花や実に比べると目立たずあまり関心をもたれないけど、ほんとはスゴイ働きをしている。日光と空気中の二酸化炭素、根からの水分で光合成をし、でんぷんを作ってエネルギーにする。地球広しといえども、生物の中で自らエネルギーを生産しているのは植物だけだ。動物はもっぱら消費するのみ。動物は葉や実などの植物を食べて成長し、その動物を人間が食べて生きていける。食物連鎖の大元にあるのは植物だから、やっぱり植物はエライ。 落ち葉となって地面に落ちた木の葉は、それで終わりではない。山や森の土を豊かにしているのも木の葉だ。土の上に落ちた後は、虫や微生物の食べ物になって分解され、徐々に発酵して腐葉土となる。(落ちた後も、まだ生物のエサになっているのだ)。樹を育てる栄養たっぷりの土だ。この腐葉土はスポンジ状になって水を大量に含む力があるので、豪雨になったときの水害の防止にも役立っている。葉っぱの働き一つとってみても、人間はとてもかなわないと思ってしまう。草花を鉢植えにするときに、草花用の培養土にこの腐葉土を少し混ぜると、土全体が活性化し、植物も元気に育つ。今は既製品で腐葉土も売っている時代だが、草花の鉢植え用くらいの量なら、落ち葉を集めて自分でも作ることができる。落ち葉そのままで気に入った美しい葉は、食卓の箸置きにしたり、テーブルのディスプレーや料理のお皿に飾ったりして、秋の自然の色を愛でる。落ち葉の色は乾燥すると変わってくるので、一日花といっしょで「一日葉」であるが、人間が作りだせない色柄の美に一瞬敬意を表するのである。
2009.11.10
コメント(1)
自分で使う電気は自分で作りたい バーズアイ お店の屋根の上に「ソーラーパネル」がのっていますが、いつごろから自家発電を始められたんですか。アデル できるだけ自分で使う電気は自分で作りたい、という気持ちから、知人で自然エネルギー事業協同組合レクスタの組合員である「グローイングピース」という会社の石岡敬三さんにつけてもらったのです。バーズアイ どんな仕組みになっているんですか。アデル 屋根の上に電気を作る畑「太陽電池=ソーラーパネル」をのせているんです。65WのCISソーラーパネル12枚、ひさしに85Wの単結晶ソーラーパネル2枚、合わせて最高920Wの電気がつくれるんです。バーズアイ それがバッテリーに蓄えられて100Wの電気が流れるんですね。アデル そうです。お店の街灯、ギャラリーと客席の照明、オーディオ、それとキッチンと2階の2つのコンセントも自家発電でまかなえるようになっています。ライブや上映会もソーラーでやっています。バーズアイ どのくらい省エネになるんですか。アデル 電気代は今までの約半分になりました。照明器具も一番消費電気の少ない、LEDに取り替えましたので、白熱球の7分の1の消費電力ですみます。バーズアイ ずい分節約できるシステムですね。ところで石岡さんという方との出会いは?アデル もうずい分前ですね。彼は埼玉県の入間市でソーラーだけで完全自給して暮らしていました。今は広島県の府中市で「グローイングピース」を立ち上げて、太陽光発電、小型風車、小型水力発電機、コンポストトイレ、ソーラークッカーなどを施工・販売し、環境のワークショップまでしている自然エネルギー実銭普及家です。バーズアイ すごいですね。地球と調和する生活をアデル 私もニューヨークにいた時、アメリカンインディアンの居留地に行って、そこで彼等の精神文化に触れたのがきっかけとなって、それ以来日本に帰ってからも地球と調和する生き方を模索する中で、このお店の運営に携わるようになりました。環境や平和を考えている人たちのネットワークが日本中にあって、そういう人たちとの交流の中で石岡さんとも知り合ったんです。バーズアイ このお店に初めて来た時に、インディアンの本や写真集が沢山あり、大きなキャンドルがいっぱい展示されたりしてて、不思議な空間だなぁと思っていたんですが、そういった人たちとの交流の場にもなっているんですね。 アデル 環境問題に取組んでいるアーティストやミュージシャン、映画関係者の人たちがよく来ますね。でもオーガニックなカフェですから、オーガニックコーヒーや十穀米のランチも食べにOLやスーツ姿のお客様もよく来てくださいます。バーズアイ アデルさんは、このお店の他に通訳や翻訳のお仕事もされているのですね。アデル ええ、私が翻訳した雑誌や本もこのお店に置いてありますので、コーヒーを飲みながら、本も読んでいただき、ギャラリーの作品も見て下さるとうれしいです。バーズアイ 自家発電に関心のある方もぜひいらして下さい。
2009.11.09
コメント(0)
バーズアイ 20年以上も前から、川の水についての保全活動をされて来たのですね。伴 きっかけはボーイスカウトのお世話をしていて、子供たちにどう関わるかということを真剣に考えはじめてからです。バーズアイ ということは?伴 大人は平気で「僕たちの子どもの頃は道頓堀川で泳げた」とか、「中之島の大川にはメダカがいて水がきれいだった…」などと何気なしに言いますね。バーズアイ なつかしい思い出話でしょうから。伴 しかし、子どもは???って思うわけですよ。「こんな汚い川にしてしまったのは、あなたち大人じゃないのか」って。バーズアイ そうですねぇ。伴 戦後、大人たちは住むところも食べるものもなく、必死で働いて今の豊かな日本を築いて来たわけですが…。それを子どもたちに押しつけてはいけない。ならば一緒に、自分の足元から出来ることをやろうじゃないかと言うことで、1988年琵琶湖淀川水系を考える会を結成し、地域の大人と子どもたち、約100名が天神橋の河川敷から約700匹のニジマスを放流しました。バーズアイ 毎年続けていらっしゃるんですね。伴 毎年11月の土曜日に行っています。川とそこを流れる水の大切さを知って欲しい。それは私たちが毎日飲んでいる琵琶湖にもつながっている、そのありがたさを知ってもらえたら、と思うんです。バーズアイ まず、水を通して子どもたちに環境の大切さを実感してもらうのですね。伴 先日終わりましたが、世界最大の水上のお祭として有名な天神祭の時は、その裏方としてゴミの回収をしています。バーズアイ すごい量でしょうね。伴 ペットボトルなどが川から流れ出して淡路島の由良の浜辺にまで流れて行くんですよ。バーズアイ 楽しい祭もそういうボランティアの方々によって支えられているのですね。伴 100万人の見物客ですから、2日間で約500トンのゴミが出ます。150名のボランティアが夜中まで回収するんです。バーズアイ そうですか。頭が下がりますね。水に映る文化が大阪の文化伴 大阪は夕方からの夜景文化だと思っています。七夕様も私たちは夜空を見上げて願いを祈るのではなく、川の水面に映る七夕の笹に願いを込めるんです。バーズアイ 七夕の歌のこころですね。伴 琵琶湖から淀川は西へ向って流れています。日本全国でも地形的にめずらしいので、夕方になると夕陽で川が黄金色に染まる。この夕陽を利用して、豊臣秀吉は黄金色に染まる大阪城を外国人に見せたそうです。バーズアイ 目に浮かびますね。一寸法師のお伽噺にちなんだイベントもなさった。伴 「江戸時代に住吉大社近くで生まれた一寸法師が、道頓堀付近からお椀の舟に乗って京都まで旅をした」という小さな神様のお話ですが、最近はそういう昔の文化の言い伝えが少なくなりましたが、大事なことなんです。バーズアイ それを水の都再生イベントの一環になさったのですね。伴 子どもたちが自分の国の文化に誇りを持って欲しい、という私の願いから企画しました。外国では子どもから大人まで皆、自分の国の文化に誇りを持っていますよ。バーズアイ 日本人は終戦のおかげで、アメリカ一辺倒になり、経済的な豊かさだけを求めてしまったんですね。伴 本当の豊かさを昔の日本人は知っていたと思います。そういう昔の文化との関係も環境問題につながります。外国では神様も一神教が多いですから、それを信じるか信じないかで戦争まで起こりますね。バーズアイ 日本は「やおよろずの神様」ですから戦争してはいられない(笑)。伴 神社の大きな木が神木として祭られる、外国では考えられないことでしょう。伊勢などでは夫婦岩に注連縄が張られている…。つまり日本は感じる文化なんです。バーズアイ 外国は信じる文化、ですか。伴 イエスさまとか、信じる対象が一つですが、日本ではそこに神が宿っていると感じたら、そこがお社になるんです。天満宮だって菅原道真公が祀られていますが、道真公が作ったわけではないんですよ。バーズアイ 日本独特の文化ですね。伴 例えばお金ですが、お金も神様にお供えしたおさがりなんです。神様にお供えしたものだから大切にしましょう、というのが本当の意味の「拝金主義」なんです。バーズアイ 「拝金主義」ってお金のことしか考えない守銭奴のような人のことではないんですか?伴 だってお金を紙幣とか貨幣って言うのは日本だけなんですよ。幣というのは神様に捧げる絹のことなんです。伴 5月の節句に粽と柏餅を食べますね。あの粽は刀の形をしているよしの葉を7枚使って餅をくるんだもので、昔は子どもが死ぬことが多かったので、神様から預っていると考え、子どもの命を守るために粽を食べさせたのです。柏餅は中に餡を入れて丈夫な子どもが授かりますようにという人々の願いが込められていした。バーズアイ 一つひとつに深い意味がある、昔の人の知恵はすごいですね。 生活に密着していた「ヨシ」を活かして琵琶湖を浄化したい。バーズアイ 伴さんが環境について力を入れておられる琵琶湖の「ヨシ」のお話を聞かせて下さい。伴 昔は民家の「ヨシ」で屋根を葺いていましたし、夏は「よしず」で直射日光を防いだり、生活に密着していました。そういう産業が時代とともにすたれてしまい、国の政策もあって「ヨシ」を扱う農家がなくなってしまったんです。バーズアイ 水を浄化する作用があるのにもったいないことですね。伴 一本の「ヨシ」で約2トンの水が浄化されるそうです。また多くの葉の光合成によって大量のCO2を吸収して、酸素放出して地球環境にも驚くべき貢献をしています。 バーズアイ それは知りませんでした。私たちは琵琶湖のヨシにもっと感謝しましょう。伴 昔から「ヨシの輪をくぐれば穢れを祓う」とも考えられていました。琵琶湖を流れ出た水は天神祭の船渡御が行われる大川まで約23時間で流れ着きます。ヨシの活用第一歩として、近江八幡の和船観光協同組合の協力でヨシを奉納していただき、1998年から天神祭に合わせて大阪天満宮の表大門にヨシで作った巨大な茅の輪を設置しています。バーズアイ 茅の輪くぐりはあちらこちらで大分、ひろがってきましたね。伴 生國魂神社や豊国神社、御霊神社など多くの神社でも茅の輪くぐりをはじめておられますし、環境に関する意識も高まってきました。バーズアイ 「ヨシ」を原料に使ったレイクパピルス紙と布を開発されたのですね。伴 冬に枯れたままにしておくと、ヘドロになり反対に水質が悪化するので、生産素材として枯れた「ヨシ」を活用しようと考えました。第9回世界湖沼会議や第3回世界水フォーラムに参加して、2003年3月の湖沼会議で「琵琶湖ヨシの活用と保護」と題して発表。レイクパピルス紙と布が採用されました。バーズアイ 環境への思いが形になった。伴 「この名刺1枚で私たちの飲み水20リットルをきれいにしたことになりますと小さな文字でかいてあります。環境PRのコミュニケーションツールとして漢方薬のような広報だと思っています。バーズアイ なるほど。日本人の精神文化の中心「3つのき」伴 日本の神様や神社は自然と一体になっている。奉っているのは「祭り」となり、自然への畏怖を象徴している「ありがたき」「もったいなき」「おそれおおき」という「3つのき」が日本人の精神文化の中心にあったんです。全世界が経済に振り回され、生きる柱を失いつつある今、日本はこうした「心」「精神文化」を世界に広げて行く時だと思います。まず自分の子どもたちへ自分の出来る事からやってゆく、これが本当の環境問題を改善してゆく鍵だと思います。現在は「水都リムジン」を通して、堂島川・土佐堀川・道頓堀川の遊覧を楽しみながら、もっと水に対する意識を高めてもらおうと活動を広げています。バーズアイ どうもありがとうございました。
2009.11.02
コメント(4)
■ 政権交代から見えてくるもの 毎日、新聞やテレビで報道される政治家の動きを見るにつけ思うことは、これまでとは打って変わって、スピード感、緊張感、ダイナミズム感があることに驚かされる。政権発足1ヶ月間を見てみると、鳩山首相は地球温暖化対策CO2の90年比25%削減を国内外に宣言した。米・ロ・中・韓との首脳会談も実現させ、岡田外相はアフガンに飛び現地を視察し支援を申し出てきた。亀井大臣は郵政民営化を凍結させ、西川善文社長を辞任に追い込み新しい社長に交代させた。モラトリアム構想もぶち上げて金融機関を揺さぶっている。前原大臣は八ツ場ダムの中止を宣言し、今年度はダム6事業を凍結させた。予算の組み替えも急ピッチですすみ約3兆円近い金額を削減させた。この仕事ぶりは、大臣だけじゃなくて副大臣、政務官たちも大変は働きぶりがうかがえる。それがわれわれの眼に見えるところで起こっている。こんなことは、自民党時代にはなかったことだ。 自民党の時代は、官僚がすべてを仕切って自分たちに都合のいいように事業をつくり予算を立てて、その作文を政治家が棒読みをする。その文章には秘書がかなまで振っていたというではないか。現政権はどの政治家も自分の言葉で語り、それを一生懸命実践しようとしていることがよく伝わってくる。だから民主党がやればやるほど、いかに前政権がやってきたことがどれほどひどかったのかがわかるようになってきた。自民が民主のあらを探して非難すればするほど自民の低落さが露呈してくる。自民党の議員の仕事は全部官僚まかせで、自分たちは利権あさりと裏金づくりに精をだし、国民がなにも言わないことをいいことに、やりたいほうだいしていたことが浮き彫りになってきた。こんな政治が50年以上も続いたから国の財政は途方も無く赤字で、日本中に必要の無い公共事業が継続されつづけ(八ツ場ダムは40年も続いていてまだダム本体には手がつけられていない状態)継続することによって国民の税金を湯水のように使える仕組みになっていたことがわかってきた。そして新聞・テレビは国民が知らなければならないことは何一つ報じてなかったこともわかった。 民主党は、これまで50年以上やってきた自民党の尻拭いと、誰もやったことのない試みや新しい政策を実行してゆこうとしているのだから、もっと応援してゆく気持ちをもたなければ、この国はよくなっていかないのではないか。自分の国をよくするのは自分であることを自覚して、今後も国の動きを見てゆきたい。(宗近 孝)
2009.10.30
コメント(1)
吹田あれこれ ―― 皆さんは何時頃から「吹田」に住んでいるのですか。山本 私が一番長いでしょうね。今は千里山ですが、ずっと泉町に住んでいました。―― 泉町はいちばん吹田を感じる街ですねぇ。山本 千里山に引っ越して、2年になりますが、噴水のある風景や個性的なお店が多いのが気にいっています。 竹森 私は高校からです。静かめの豊中にいましたので、江坂の賑わいは好きですね。塚根 小学校5年生からです。昔はビルの間に畑があってよかったのですが…。私はあまり街を意識して見てはいないのですが、前に住んでいたところが富田林なのでアクセスがよいのがありがたいです。 ―― 江坂は確かに便利です、塚根 昔はもっと緑が多くてよかったとよく聞きます。マンションラッシュで緑が少なくなったのは悲しいです。竹森 でも、駅前は都会なのにちょっと裏のマンションの隙間に田んぼがあって、稲が稔っていたりしているのを見ると、ホッとしますね。。山本 スミレやレンゲ、菜の花畑が今も残っています。菜の花畑に「ご自由に取って下さい」と書いてあるのがうれしくて、時々頂きます。(笑)竹森 豊中では気軽に友だちと入れるカフェや居酒屋さんが少ないので、みんなで集まる時は江坂に来てくれます。パチンコ屋さんが多くてびっくりしましたが…。塚根 江坂公園もみどりがしっかりと茂って来て森の中のようで散歩するのが好きです。竹森 台風でポプラ並木が倒れてから刈り込まれてずんぐりむっくりになったのはとても残念です山本 空に向かってすっきりと伸びていてきれいだったものね―― そうでしたね。ここで皆さんの好きなお店を教えて下さい。山本 関大前の「drop」の手づくり感が好き、気兼ねなくお喋りできるのが嬉しいです。おなじ関大前の「YOGI YOGI」もかわいい小物を見つけによく行きます。 ―― カラオケなんかは?竹森 高校生の時だけでしたね。私たちが知り合った「三番館」やブーミンの2階の「Aida with cafe」などでお喋りすることが多いです。 塚根 江坂の「クレヨンハウス」やロールケーキがおいしい「GOKOKU」。千里山の「FRUITS CAFE TOOBOO」もいいですね。山本 三番館でバイトをする前には「HIRO珈琲」にもよく行っていました。―― 若い皆さんならスイーツやパンはどうですか。竹森 そうですね。ケーキは関大前の「メランジュ」。パンなら「楽童」かな。 「吹田の顔」を大切にして欲しい―― 吹田市について何か言いたいことがありますか?山本 大分前のことですが、万博公園の「太陽の塔」と「西尾邸」を取り壊す話が出た時には、マジで切れましたね。塚根 あれは「吹田の顔」やし、あれがなくなったら、何も残らへんやんか、と皆で大憤慨しました。 山本 西尾邸も一時騒がれましたね。何回も行って反対の署名をしました。小さな署名運動ですが、解決した時にはホッとしました。―― 山本さんは高校時代から西尾邸など、近代建築に魅力を感じていられたのですね。山本 はい。高校3年の時に大阪中の近代建築に足を運び、近代建築の魅力を街の人に知ってもらいたいと保存活動を始めました。 ―― その山本さんから吹田の建築を見るとどうですか?山本 ビルマニアの皆さんの評判では吹田市役所が渋ビルとして有名なんですよ。―― シブビル?山本 ちょっと古くて、シブイ魅力がある建物、という意味です。塚根 あんまりピンと来ないけど…。山本 千里山のスター団地や村野藤吾設計の南千里駅前にある南センタービルなどが渋ビルですね。どちらも取り壊されるらしくてちょっと淋しいです。―― 今、はまっていることは何ですか?塚根 音楽です。ミスターチルドレンをメチャ、マニアックに聞いています。―― 何が魅力なんですか?塚根 社会問題を歌詞にしている姿勢が好きなんです。竹森 私はフィギュアスケート。安藤美姫さんの大ファンです。―― ジャンプなんか見てるとハラハラしませんか。竹森 自分のことのようにのめり込んで見ます。自分の気持ちが落ち込んでいる時でも、彼女の不屈の姿勢に励まされます。ファンレターを書いて、お返事を頂きました(笑)。 不況の時代だからこそ―― それは嬉しいですね。これからの目標を聞かせて下さい。塚根 子どもの頃から英語の勉強をしてしゃべれますので、英文科ですから何としても英語が活かせる仕事に就きたいのです。―― 例えば?塚根 映画の字幕スーパーや英訳の仕事など…。今一つ内定を頂いているのですが、もっとスキルアップを目指して挑戦したいのです。―― それはすごい!竹森さんは。竹森 私もアパレル関係の会社で内定を頂いています。―― 今の時代にラッキーですね。竹森 もっと以前、就職氷河期という時代があって、その頃入社された方が結構力を発揮して頑張っていらっしゃる、ということを企業の方から聞きましたので、不況といわれても気にせずに頑張ります。塚根 「この不況の時代に自分が活かせるような仕事に就けたらあとは楽になるよ」と母に励まされていますので、前向きに頑張ります。―― 山本さんは?山本 不況やからこそ、何故かめっちゃ燃えています。回りにもそういう若い人が多いんです。―― 皆さんは目標がはっきりしているので、余計に頑張れるんですね。山本 不況だからこそ、「絶対夢を叶える!」っていう強い思いで行動することが大事だと思います。私も自分のブランドを立ち上げるため、日々努力!。―― 小さい時からの夢ですか。山本 そうなんです。今年中に何とか形にしたいなぁと、作品づくりや、商品も揃えはじめています。―― 夢いっぱいですね。鳩山内閣が誕生しましたが、政治や国に対して何か一言!塚根 外国の有名スポーツ選手や政治家の人たちは、必ず恵まれない人たちの支援やサポートの活動をしている…と聞きます。日本ではIT産業で有名になってもそういうことをしている、とは聞きません。日本社会にそういう風土が根付いて欲しいです。竹森 天下りや税金の無駄使いなどをなくして欲しい。税金がちゃんと使われている社会になって欲しいです。 山本 大学時代に「吹田を元気にする雑誌」を作ったことがあります。もっと若い人が地域の輪に入って活き活きした街にして行きたい。もっとみんなが楽しめるお祭なんかがあってもいいですね。―― やっぱり、吹田が好きなんですね。若い力で活性化して、もっとみんなが行きたい街、住みたい街になるよう、お互いに力を合わせて協力していきましょう。ありがとうございました。
2009.10.19
コメント(1)
「ナバホ族にステイ」デロ:「日の出と日の入りの光明を見たかい?」私 :「はい、みました」デロ;「ナバホでは日の出の神と日の入りの神が日中と夜を交代で司っていて、それぞれの光明はその神の羽だと信じられているんだよ。美しいだろう」神の羽の話とともに、早朝から馬の世話を始めるデロおじさん。デロおじさんはナバホ自治区内6学区を統括するの教育委員会にお勤めでとっても物知りです。 デロ:「馬、乗れるでしょ?」私 :「少しは…」デロ:「じゃあ、ちょっと行こうか」と唐突に馬に乗せてくれるので驚きました。乗馬中、いろいろな言い伝えを聞かせてくれます。デロ:「昔昔、3つの星が天から落ちて来て、馬の目と牙とたてがみになったんだよ。人間の良きパートナーとして天が授けてくれたんだ」私 :「神聖な動物なんですね」デロ;「そう、特別なパートナーだね。その証拠に、馬の蹄の後ろには神聖なアローヘッド(矢頭)が備わっているんだよ」グイッと馬の足を持ち上げて見せてもらうと、本当にありました、アローヘッド。一瞬すぎて写真は撮れませんでしたが、こちらが参考写真。ちなみにナバホの馬は蹄鉄をつけないそうです。(by www.goldiproductions.com)サムも後から朝乗りに連れて行ってもらいました。男同士の会話を楽しんだそうです。 あっと言う間のステイが終わり、出発の朝スクイロルちゃんが「これあげる」とミス・ナバホの写真をくれた。そう、美の基準もナバホでは特有の文化があるんですね。ふくよかさは富の象徴、そして何より女性の知性を尊ぶそうです。このミス・ナバホもナバホ語や歴史、伝統文化などに精通している才女なんだとか。勝手に外部のモノサシで測れない価値観がここにはあります。 そして、スクイロルちゃんのお母さんがくれたのはナバホ茶。 カモミールティに似た味のお茶で「寝る前に飲みなさい」といって手渡してくれた。なんだかとても特別なお茶に思えて「もともとはどんなスガタなんですか?」と聞くと「あ、これこれ」とあっさり地面を指差すお母さん。 黄色のお花を咲かせて敷地内に群生しているこの植物がこのお茶の正体でした。これを摘んで乾燥させて縛っておくとこうやって美味しいお茶になるそうです。「シツゥイ(孫娘よ)、これを持って帰りなさい」と一家の長グランマ・メイが手渡してくれたもの、ナバホジュエリー。貴重なジュエリーを貰ったことよりも、グランマ・メイが私のことを「孫娘」と呼んでくれたことに涙が出てしまいました。 大事にします。グランマ・メイ、またいつか帰って来るからね!ありがとう!「ナバホ族にステイ」、完。
2009.10.15
コメント(1)
先月号のこのコラムで「箕面森町」で「森の元気市場」をNPO法人とどろみ森クラブの主催で約一か月間(11月1日~29日まで毎日開催)農家のお米や野菜、果物を出展してもらい、北摂の市民の皆さんに安全・安心で新鮮な地元の食べものを提供しようとする長期間のイベントが開かれることを記事に書きました。「箕面森町」は千里中央から車・バスで20分でいける森の中の町。文字通り森の中の里山管理小屋の一角で仮設テントを張って行われます。この管理小屋では毎月1回、とどろみ森クラブが発行している「箕面森町通信」の編集会議が開かれるので、われわれバーズアイもそこに参加して一緒に紙面づくりをしています。バーズアイの紙面づくりとは違った趣のある企画が生まれるのは、編集メンバーにはいろんな分野で活躍してこられた団塊の世代の方が多く、智慧も技術も持っているプロが集まっているので、里山保全活動も年々盛んになっていているからなんです。さて、今回バーズアイの紙面に登場してもらった「とどろみの森クラブ」の事務局長の神徳守さんとは、千里山のまちづくりの会合で知りあってから、われわれもクラブの仲間に入れてもらい、そのおかげで江坂の都会と里山での編集の仕事で行き来することができるようになりました。とどろみの森クラブ事務局長 神徳 守さん今回の国の地域再生事業の一環として社会実験的にはじめられる「森の元気市」も、和歌山のJA農協が10年前に始めた実験市場をモデルに組み立ててゆこうとしています。神徳さんの話によると、和歌山の農村地帯にあるJA農協さんが、衰退して行く農家の方々に何とか再生の道はないものか考え、田んぼばかりの広い土地にある大きな市場のような建物の中を農産物の展示販売ブースとして農家に提供し、和歌山市民に地元のおいしい野菜やお米を食べてもらいたい、ということから「めっけもん市場」が始まったそうです。 しかし1年が経った時、NHKが珍しい試みとして取り上げてくれてから、お客さんがどっと増えて、和歌山市内はもちろん堺や大阪市内の人たちが車でわざわざ買いにくるようになったのです。テレビに出たのをきっかけに、あまりにも新鮮は食材が(農家の人が自分たちの食べるためにつくったものだから)安い!市内のスーパーの約半値だったことがリピーターを呼んで、なんと10年経った現在の年商は24億円。農業市としては日本一になったそうです。 農家の皆さんの収入も押して知るべし。かって病院通いしていたおじいちゃん、おばあちゃんは、病気なんかしてられない、と朝5時にどこよりもいい売り場を確保しようと競って搬入する元気さ。こうやって農家の衰退を再生できたモデルとして、その「めっけもん市場」の担当者が、今度は「森の元気市」を北摂の「めっけもん市場」のようにしてしたらどうか、と強力な助っ人になってくれることになったのです。北摂では品そろえできない場合は、和歌山の農産物やおいしい果物を市価の半値近いお値段で市民に提供できる「森の元気市」にしてゆこうと言ってくれているのです。もし11月の市が成功したら「年中無休の常設の安心安全の食材市場」が森の中にできることになります。そうなるとおそらく北摂のレストランのシェフたちも森に出かけていって、ほしい食材を手にいれられる。これは楽しいですね。 そこに行けば食材ばかりではなく、野菜づくりの名人がいて家庭菜園の指導をしてくれたり農業に関心のある若者のための農業塾が開かれる。農村と都会が交流を始めた時に農村に移住する家族がでてきたり。先月号で紹介した小貫先生が提唱されている「菜園家族」が育ってくることが期待できます。そんな夢の第一歩が「森の元気市」であって欲しいものです。 バースアイ発行人 宗近孝
2009.10.12
コメント(0)
株式会社 マイファーム 代表取締役社長 西辻一真さん(写真むかって左) 共同創設者 岩崎吉隆さん (写真むかって右)家族で作って安全、おいしい!―― この会社を設立された趣旨は…。西辻 子どもの頃から畑いじりが好きでそれを伝えたいなと思ったのが、もともとの始まりですが、福井県で育ち周囲にある農地が荒れていくのを見て、何とかしたい、と思っていました。岩崎 僕は以前ITの仕事をしていました。パソコン相手で人間性が失われてゆく中で、余暇に自分で野菜を作れたらと思っていましたが、素人でなんの知識もなく農地もないところから、実現は難しいなぁと思っていたのです。―― そういうお2人が出会われたのですね。西辻 そうですね。将来の夢に向って農学部を卒業し、時代の要求のためには、農業といえども営業力が必要だろうと、勉強のために大会社に勤務していましたが、この出会いによって早期にスタートさせることに決めました。―― そういう決断の早さは若い人の力ですね。僅か2年の間に相当な企画を展開されていますね。始められていかがでしたか。岩崎 年齢が若いということと、こういう企画は農家の皆さんにとってもはじめのことですから、農家の方もなかなか信用して下さらなくて、納得して頂くのにとても時間がかかりました。西辻 お互いに心をはだかにして、お酒を酌み交わしたこともありました。信用して頂けるようになると、農地にあわせて、それぞれ管理スタッフがサポートするというシステムですから、ご利用下さる方はどんどん増えました。岩崎 素人で畑だけ持ってもハードルが高すぎますからね。週に1~2回行くだけでは、作物も育ちません。そこでこの計画の最初に管理サポートシステムについて話し合いました。―― それならサラリーマンの方で仕事が忙しくなっても安心ですね。 休耕地を活かそう!岩崎 しかし、基本的には自分たちで育ててご自分が食べるということなので出来る限りサポートしますが、口は出しても手はなるべく出さない(笑)方針です。―― 休耕地という着眼点がいいですね。西辻 耕作放棄地の増加と自給率の低下のアンバランスを大学で学んだところも大きいかもしれません。―― なるほど! 休耕地といっても色々あると思うのですが…。 西辻 すべての農園は新規貸し出し前に必ず土壌検査を行い、安全性を確認した上で、一番適した農法をご指導するようにしています。岩崎 もちろんすべて農薬は禁止で、有機栽培をおすすめします。管理スタッフは育て方だけでなく、作物の病気や連作障害などのご質問にもお答えすることができます。―― どういう方が管理スタッフになられるのですか。西辻 農家の方で希望される方はもちろんですが、日本リトルファーミング協会の認定を受けた菜園インストラクターです。勉強会も随時開催していますので、何もご存知ない方でもこの仕事をするために資格を取得できますよ。―― 収穫量はどうでしょう。岩崎 今の所、順調に収穫できていますが、野菜は生き物ですし、天候にも左右されます。しかしご自分で失敗を体験することにも意味がありますし、農園はそれが出来る場所なんです。―― たくさん採れたら販売も出来るそうですね?岩崎 スーパーや直売所に農園をご利用されている方の販売できる棚を設けてますが、ご自分でスーパーに売りに行かれる方もあります。 家族の絆も深まって―― 農園を利用されている方の声はいかがですか。西辻 飲食店やカフェのオーナーの方々が自分の手で育てた野菜を使ってメニューを作っておられますし、写真に撮って安心・安全な食としてお客様にPRできると喜んでおられます。岩崎 子どもと一緒に畑に行くことで、親子の絆も深まりますし、都会では見られないバッタやカエルが見られ、植物の成長を肌で感じてもらえるよい機会ですし、大人も子どもも運動不足やストレスの解消になります。岩崎 こうしてご自分で育てた野菜は味が凝縮されてとてもおいしいんです。うまく利用すると、1年間で4人家族の半年分の野菜を収穫できます。―― まさに「自産自消」なんですね。西辻 「地産地消」より一歩進んだ考え方だと思っています。 これからの展望は…―― 農に関連した企画も満載ですね。岩崎 家庭菜園を手はじめに、ベランダ菜園のキットの販売を考えています。また企業が雇用されている障害者の働く場として(従業員数の1.8%の障害者を雇用することが義務づけられている)野菜づくりの場の提供や、法人の方向けとしては、社員の皆様の交流の場や環境活動の一環としてお使い頂けます。岩崎 秋に向けて、カルチャー教室の一環として「ベランダ菜園教室」の開催を関西のショッピングモールで考えています。くわしいことはホームページで発表しますので、ぜひご覧下さい。―― 自分たちの利益よりも、農家やご利用者のみなさんなど、社会全体の利益を優先して考えておられる、と伺いましたが…。西辻 そうですね。僕たちの年代は、社会に対する価値観としてそういう気持ちを強く持っていますね。岩崎 私はもう少し年齢が上ですから、IT革命で大いに儲けて一旗あげようという価値感が、かっこよかった世代です。そこへバブルがはじけて、ホリエモン事件が起こり、それまで持っていた利益優先の価値観がひっくり返ってしまいました。そして人間本来の考え方に戻れたのだと思います。―― そういうこともあったのですね。今回の世界同時不況の危機もチャンスに変えていけるように頑張りたいと思います。ありがとうございました。 株式会社マイファーム所在地:【大阪】〒569-0065大阪府 大阪府高槻市寿町3-11-26 【京都】〒604-0054京都府京都市中京区押堀町27-1甍2F電話番号:075-211-0621FAX番号 :075-253-0186代 表 者 :西辻一真3つの行動指針1.安全私たちが取り扱う商品・サービス・その他環境が、お客様にとって常に「安全」であるよう行動します。2.自然私たち人間は自然の一部であることを忘れず、常に自然との調和を意識して行動します。3.利他私たちは、自己の利益より、社会全体の利益を優先して行動します。【事業内容】マイファームでは体験農園の拡大を中心とした「楽しむ農業」をプロジェクト展開し農業の活性化をはかっています。■家庭菜園プロジェクト 家庭菜園教室の運営 通信教育教材の作成 家庭菜園キットの販売■農業法人プロジェクト 農業ビジネスセミナー 農業指導セミナー 福利厚生パックの提供農園イベントプロジェクト 畑DE婚活の運営 よもぎプロジェクトの開催 1日農業体験ツアーの企画・運営■農地保全プロジェクト 農地相談 農地手続関係代行 農地有効活用提案■農業IT化プロジェクト 農園検索サイト:タガヤシ 農業お勉強サイト:晴耕雨読 ネット販売サイト:ハタケシ■農業本気プロジェクト スーパーでの販売代行 就農セミナーの開催 ■農地の斡旋・紹介サポート365 1区画(10平方米~30平方米)の1年間利用 (年間契約)■管理スタッフによる世話サポート 菜園インストラクターによる指導、相談 農機具、水道、堆肥、肥料の利用 収穫祭やイベントへの参加■体験農園マイファームの場所 マイファームがお手伝いする農園は 2009年7月現在、24カ所あります。 指導: 管理サポート付き体験農園 マイファーム。 ■直営農園一覧京 都: 久御山、城陽、上賀茂、亀岡、 宇治滋 賀: 大津、草津、守山大 阪: 羽曳野、能勢、和泉、守口兵 庫: 丹波篠山、三田、西宮、姫路和歌山: 紀ノ川奈 良: 橿原静 岡: 浜松埼 玉: 大宮、白岡東 京: 八王子愛 知: 江南エコでかわいい。やさしさがいっぱいのプランターを開発しました。
2009.09.12
コメント(3)
ロハスにスイッチ! この夏は、小貫雅男先生の本「菜園家族」の内容に惹かれて、滋賀県の湖東の山奥の集落へ取材旅行した。限界集落を何とかしようと、というより湖東の小さな集落から日本を再生させてゆくビジョンを実践してゆこうという壮大なサミットであった。 それから数日経って、豊中農商工会議所のセミナーで出会った、株式会社マイファームの西辻社長を訪ねて京都へ行った。28歳で農ビジネスで起業した西辻さんの「マイファーム」の考え方は、自分で作り、自分で食べる「自産自消」ができる会社。全国の耕作放棄地を、様々な形態で農業活動の場としてリニューアルし有効活用できるように支援してゆく、これも壮大な、日本の農業を救うソーシアルベンチャーを目指すという心意気だ。今、地方の片隅で、小さいが、やがてどでかい大波になるうねりがおきつつあることを知り、それを発信できるのは編集者冥利につきることだ。 それというのも、4月ごろ、「200万都市が有機農業で自給できる─キューバレポート」を読んで記事にした時思ったのが、農・食が本物になれば、みんなの心身が元気になる。すると医療費のコストが下がる。環境汚染も浄化されてゆく。雇用も生まれ高齢者も働ける。小学校から農業体験すれば生態系の教育もできる。農・食・医療・環境・福祉・雇用・教育は別々ではなく、農・食を本物にしてゆけば、全部つながって解決してゆける。という大きなヒントをもらった。 その時から、農・食に関わる人たちとの出会いが多くなった。そして、この秋、11月1日から1カ月かけて開かれる「北摂大収穫祭」(仮称)の大イベントが、箕面森町の大きな公園で開かれることが決定した。北摂地域の近郊の農家のみなさんに呼びかけて、米や野菜や果物やその他あらゆる食材を集めて、農家と都市生活者との交流が始まり、地産地消を進めてゆこうという構想だ。NPO法人とどろみクラブが国の地域再生の助成を受けて行うのので、われわれのNPO法人も協力して、ぜひとも成功させ、毎年恒例の「北摂バザール」として新しい流通を起こしていきたいと思っている。(詳しい記事は10月号に掲載します)このコラムを書いているとき、バーズアイの映画欄を担当してくれているスタッフの宅島さんからFAXが届いた。今月号の映画欄に紹介している「未来の食卓」というドキュメンタリー映画(フランス)がすごい内容なので、内容をもっと書きたいがスペースがないので困ってるという相談だ。これも農と食の話なので、このコラムで書いてお伝えしたい。 食卓から始まった小さな奇跡が人々の幸せを紡いでいく。南フランス・パルジャック村の1年間を描き、オーガニックブームを巻き起こしたドキュメンタリー!!子供たちの未来を考える「おいしい」オーガニック・ライフのススメ。映画の冒頭、ユネスコ会談での「あなたの周りに、がんや糖尿病にかかった人はいますか?」という問いかけに、出席者のほとんどが挙手をした。ヨーロッパでは、がんや糖尿病などの生活習慣病の70%は食習慣を含む、環境に原因があると言われている。地球の温暖化、環境破壊にも農業のあり方と食べ物が密接に関係している。この映画は、有機栽培農家と一般農家との対話や、家族をがんで失った主婦の体験を通して、私たちでもできる新しい生活を教えてくれる。美しい自然に囲まれた南フランスの小さな村で、村長さんがこどもたちの未来を守るために「学校給食と高齢者の宅配給食をオーガニックにする」という前例のない試みに挑戦した物語だ。オーガニック給食を食べ、学校菜園での野菜づくりを通して自然を学び、本物の味を覚えたこどもたちに巻き込まれ、村は少しずつ変化してゆく様子が映しだされる。「自然の美しさ、本物の味を守ることこそ、子どもたちの未来を守ること」とジャン・ポール・ジョー監督も語っている。ぜひP16で紹介している「未来の食卓」を見に行ってください。また、11月の「北摂大収穫祭」(仮称)に参加してください。(ブースに出展してくれる農業関係、食材関係の方を募集中です) バーズアイ発行人 宗近孝
2009.09.09
コメント(3)
「キューバ」を自転車で回って見たこと、体験したこと。 「キューバ」を自転車で回って見たこと、体験したことを箕面の市民社会実現をめざすNPO法人市民活動フォーラムみのお職員であり、個人としても環境、農業、交通など地域の様々なNPOに関わっておられる、松木亮(まつきりょう)さんにお話を伺いました。―― 『200万都市が有機野菜で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・レポート』(吉田太郎著)という本を読んで、実際にキューバへ行ってみようと思われたのですか?松木 大学の頃から環境問題には関心があり、卒論のテーマも「クルマに依存せずに公共交通と自転車を活かしたまちづくり」でした。地域の自給率を高めれば、わざわざ遠くで作ったものを運ぶためのエネルギーは要らないし、クルマも道路も駐車場も少なくてすむんじゃないかと思い、社会人になってからも休みの日には有機野菜のレストランの畑を手伝ったり、農業関連のNPO活動に参加していました。―― 大学時代から活動されていたんですね。松木 その頃に出会ったのが吉田太郎さんの『200万都市が~』の本です。「有機野菜、自然エネルギーで自給する都市」という未来図にすごく興味がわいてきて、「キューバの都市農業」に関するドキュメンタリー映像を作った日本人の監督さんとお会いしたり、他の文献を調べていくうちに、実際にこの目で「キューバ」を見ておきたいなと思うようになったのです。―― そうでしたか。はじめて「キューバ」という国に行って見て、どうでした?松木 キューバの首都ハバナでカサ・パティクラルという、ホームステイとゲストハウスの中間のような家に泊まったのですが、最初の2日間は、伝手で知り合った現地のキューバ人にいくつかの都市農業の現場を案内してもらいました。残りの5日間は、日本から持ち込んだ自転車で、ハバナ市内をあちこち走りまわって、いろいろなものを見ました。 ―― 現地の人たちの生活に直に触れられたのですね。 松木 そこでは、オルガノポニコ(石やベニヤ板で囲いを作り、そこに堆肥や土を入れて集約的に野菜を作る生産技術)やコンパニオンプランツ、ミミズの養殖など、農薬や化学肥料に頼らなくても生産力を上げる工夫を目の当たりにしました。元ゴミ捨て場だったところやビルの屋上、団地の敷地内、学校の校庭に野菜が元気に育っていました。そこある共同組合農場では女性も男性もイキイキと働いて、160人もの雇用を生み出しているとのことでした。直売所が併設されているので、地域の住民はここで獲れたての野菜を購入することができ、野菜は地域の小学校の給食やデイケアセンターにも供給されています。―― この協同組合というシステムや先進的な有機農法を学びに、毎日のように海外から視察が来るそうですね。 街中の農業コンサルテイングsHOP(CTA) 屋上農園「農」から始まって、「医療」革命が起こった!―― 都市の中で生産された野菜や食材がすぐ近くで直売されていて、いつでも安全で新鮮な食べ物が手にはいる。しかも生活者自身が「家庭菜園」などで「農」に関わっているという生活スタイルなんですね。松木 「農」と「食」が都市の中で直結しているのを見て感動しましたね。 ―― キューバから学べることは農業だけではないんですね。 キューバの野菜畑松木 医療面でも、ファミリードクター制度という素晴らしい仕組みがあります。ファミリードクターとは、コミュニティごとにいて、担当のコミュニティの予防医療にあたる町医者のようなものです。各家庭に往診して、健康はもちろん、家の衛生面、家庭・近所問題によるストレス、若者のエイズの相談、お年寄りの生きがいサークルづくりまでサポートします。「コミュニティの健康」こそが「住民の健康」につながり、「予防医学」が結果的に医療費だけでなく全体の社会コストを抑えるという考え方だそうです。しかもキューバでは、医療費(医薬品は除く)も、大学までの教育費も無料なんですよ。―― これはもううらやましい限りですね。松木 平均寿命も乳幼児の死亡率も先進国とあまり変わりません。近代技術だけでなく鍼灸、指圧等の東洋医学、ハーブなどの薬草を研究し、伝統療法もうまく取り入れているそうです。医師になるための学問を受けるのも無料です。海外にも多くの医師を派遣し、優れた医療技術を提供しています。ちょうど私が滞在していた時も、日本からの医師団が視察に来ていましたね。――「食べること」と心身の「健康」のことが、まず、安心できる、これに真っ先に手をつけた。これは、われわれ日本人が一番怠慢になっていることですね。
2009.08.14
コメント(1)
本当にやりたかったことを―― サンファームさんが扱われる野菜は、ほとんどが近畿圏内の契約農家の方々が作られたものなんですね。鈴木 旬の野菜を直接「農家の方」から「生活者の方」へというのが私のやりたかったことなんです。―― 野菜や果物は生ものですからご苦労も大変でしょうね。鈴木 鮮度が高くて、栄養成分が壊れないよう本物の味を出来るだけ早く届けたいのです。―― 一番気を使われるところですね。鈴木 それと数量と品種が揃わないと大変です。この仕事をはじめてからお天気が気になりますし、携帯がはなせません。―― 台風なんかが来ると大変なことに…。鈴木 この野菜はこの農家の方に、と大体きめてお願いし、生産して頂くのですが、急遽他の契約農家の方に助けて頂くということもあります。―― 顔の見える野菜を、ということですが…。 鈴木 殆んど口コミで紹介された農家を訪問して、自分の目で見て口で味わって確かめてお願いしています。 契約農家さんは奈良、神戸、吹田などに点在しています。―― ご自分で確認された本当に安心で安全なものですね。鈴木 私はもとは外資系の銀行の支店長を長くしておりましたので、それこそまるで畑違いの仕事でした。ですからはじめて農家をお訪ねして、畑でトマトや胡瓜を丸齧りした時には、「本当の味はこんなに美味しいんだ!」とすごく感激しましたね。―― 今普通に売っている野菜はそれぞれの独特の味や旬が感じられませんから…。ところでどうして銀行マンの鈴木さんが野菜を扱うお仕事に?鈴木 私は、PTAの会長やサッカーチームのコーチを通して、子どもたちのお世話をしてきました。練習や試合の時には必ずおにぎりをお弁当にして持って行きました。そんなところから子どもたちの食生活が気になり、身体にいい野菜やお米を届ける仕事をやりたいなぁ…と常々考えていたのです。―― それで?鈴木 たまたま銀行内の組織変更があり、今だ!!と思い大学の後輩と2人で2004年に「ファームトゥキッチンフーズ」という無農薬無化学肥料栽培野菜のネット通販事業を立ち上げました。 ―― よく思い切って転向されましたね。鈴木 いろいろ苦労もありましたが、「よかった」と思っていますよ。一口に「地産地消」と言っても中々むずかしいことですが、お互いに顔が見える間柄で、生活者の方には安心と安全を、契約農家の皆さんには収益を上げて頂ける、共存共栄可能なシステムをしっかりと作って継続していきたいと思います。―― ファームトゥキッチンフーズのホームページには農家の皆さんのプロフィールがありますね。鈴木 単に納品された野菜を売るだけという関係ではなく、デザイン制作部門も設けて農家の皆さんのお役に立てる販売促進ツールの作成や生活者の皆様に安心し、また親しみを持って頂けるよう 契約農家の顔写真の入ったPOPやメニュー、ホームページを作っています。ご希望の方には産地見学のご案内もしています。 契約農家が栽培した野菜を使った家庭料理を。―― 顔の見える野菜で作ったランチが食べられるお店をオープンされているのですね。鈴木 ご縁があって、中央区島之内の「おとしより健康センター」の1Fをお借りして、無農薬栽培の野菜を使用したサラダや、畑から直送の野菜もたっぷりの家庭の味が豊かなランチを提供しておりますコーヒー豆もオーガニックのものを使っています。野菜ソムリエのいるレストラン―― 「野菜ソムリエおすすめサラダバー」を常設されているのがいいですね。鈴木 建物の関係で夜の営業が出来ないのですが、お昼は野菜が不足しているサラリーマンやご近所の奥様方にも好評です。―― 一般の家庭で何種類もの無農薬栽培野菜のサラダを作るのは、時間的にも経済的にも大変ですから(笑)。鈴木 隣接する図書館の来館者の皆さんがゆっくりできるスペースになれば、とフリースポット(無線LAN)も開設しています。―― 大阪産野菜、地場野菜の新鮮野菜市 「かって~な」も面白いネーミングですね。 大阪産野菜、地場野菜の新鮮野菜市 「かって~な」鈴木 店の前に広いスペースがありますので、火曜日~木曜日の10時から5時まで野菜市を始めました。―― 季節の野菜についての、こまごまとした知識やアドバイスが書かれた黒板が店内に置かれているのも、野菜ソムリエさんのやさしい心使いが感じられますね。鈴木 和歌山県のワックスや防腐剤を使っていない果物、「なにわの伝統野菜」も少しずつ扱いはじめています。―― そういったものが買えるスポットとして定着して欲しいですね。鈴木 関連した商品として「なにわの伝統野菜」の刻印入りの大阪産ヒノキの間伐材を使用したコースターも販売しています。―― ここで販売されている「そのまま食べれる玄米新生活」は?鈴木 国産玄米と石川県産の塩のみで作った玄米スナックです。メーカーと共同でコンセプト開発し インターネットで販売しています。 油を一滴も使っていないので、とってもヘルシー!で、そのまま玄米を食べているようなお菓子です。―― 肥るんじゃないかとに引け目を感じながら食べたり、食べたくても我慢したりしている人には玄米の栄養価も吸収できていいですね。鈴木 玄米新生活は、そんな心配はご無用!食べて健康なスナックを、朝食に、おやつに、夜食にご賞味ください。 「地産地消」に少しづつ近づいていく―― フードマイレージ(食料の[=food] 輸送距離[=mileage]、基本的には「食料品は生産地と消費地が近いことが望ましい」という考え方に広がってきましたね。鈴木 いろいろな事件もあつて、輸入食品への懸念の声も高まり、国産野菜を積極的に購入する傾向もみられ、生産者の顔の見える農産物が求められるようになったと思います。日本の食料自給率向上を目指すために、今年の4月、FOOD ACTION NIPPONの推進パートナーになりました。―― そうやって、からだが喜ぶ美味しい野菜がもっと買いやすくなるといいですね。鈴木 その方向に向けて一層努力していきます。当社は野菜を中心に、社会に貢献できる商品・物・サービスを開発・提供するのが目的です。現在のところ主な業務は無農薬・無化学肥料栽培野菜・特別栽培野菜の卸売ですが、一般のご家庭の皆様はぜひ喫茶「おととも」でお召し上がりの上、野菜市でこの美味しさをお買い求め下さい。x
2009.08.04
コメント(1)
「バーズアイ」に「熊野通信」という連載コラムを書かれている熊野の伝道師と言われる満仲雄二さんが、ご自分のオフィスを東天満から天満橋(中央区石町)に移転した場所が「熊野街道起点の石碑」と、熊野九十九王子の第一の「窪津王子」の間だと聞いて、不思議な巡り会わせを感じながら、6月のはじめ訪ねて行った。そこで、天満橋・中之島界隈の街の魅力を聞かされて、今回の「中之島」特集を組むことになった。この街に愛着を持って関わっておられる人を探して、辿り着いたのが、橋爪紳也先生という方である。初対面だし大学の教授ということでインタビューに応じてくださるか危惧していたが、メールの返事に「20数年前、阪大大学院生だった頃、よく「バーズアイ」を見て、新御堂筋のカフェに行っていたのが懐かしい」と書かれてあり、いっぺんに気持ちが軽くなって、満仲さんと二人で夜遅く船場にある橋爪先生のオフィスを訪ねた。そして、お話や見せていただいた資料などから、大阪人のもつ底力、意気込みや誇り、それらが街をつくり、歴史や文化をつくってきたことを知ることができた。そして、お話や見せていただいた資料などから、大阪人のもつ底力、意気込みや誇り、それらが街をつくり、歴史や文化をつくってきたことを知ることができた。 人・モノ・情報と先人の遺産の集積地満仲 橋爪先生は学生の頃、バーズアイを持って北摂でデートしておられたとお聞きして、今回の特集に出ていただけるのも奇遇ですね。私のオフィスがある場所が、ちょうど「熊野街道の起点」に当たるところで、これも不思議な巡り合わせを感じているんです。橋爪 平安時代、都の公家の間で「熊野詣」が流行ったそうで、また室町時代には武士や庶民の間で「蟻の熊野詣」とよばれるほどの人出で、浄土への憧れを胸に八軒家から約200キロの紀州路を踏破し熊野を目指したと言われていますね。京から大勢の人が船で川を下って、まず天満橋の浜に着いて、そこで宿をとり、そこから歩いて熊野までゆく、その熊野詣での起点となるのが八軒家のある場所ですね。満仲 そこから坂道を登ってゆくと上町台地と言われる平野が南の方へ続いているわけですが、この辺りはビジネス街として、いわゆる「北船場」と呼ばれて、中之島と共に大阪の中心的存在になっていますが、街はどんな風に創られてきたんでしょうか。橋爪 中之島というと島の真ん中にある大きな公園のことに触れておきたいのですが、ここは日本の公園の中でも際立った存在なんですよ。ヨーロッパの町並みをお手本に、大阪の行政が近代都市には誰もが使える憩いの場所が必要だと考えて創った公園なんです。ちょうど川に浮かんでいるような都市公園は他にはない斬新さがありますね。 満仲 中之島にはこんなに近代建築がたくさん残されているのですね。橋爪 明治・大正・昭和の始めにかけて大阪が大都市へと成長してゆく中でその時代ごとに必要だった、と考えられます。それは船場の街はずれにあって蔵屋敷がならぶ場所に、まず日本銀行大阪支店と府立中之島図書館が向かい合って建てられ、新しい大阪のシンボルとなり、その真ん中に大阪市役所ができ…というふうに近代都市に必要な施設が整備されたのです。さらに西側には、朝日新聞社ができ、ダイビルができ、リーガロイヤルホテルの前身となる新大阪ホテルができていったわけで、こうしてみると大阪の近代化に、中之島が果たした役割は大きいですね。満仲 街は生き物だといつも思っているのですが、すごい大阪人の人間の熱い進取のエネルギーを感じますね。橋爪 現代建築から見ると「シブい」とよく言われるんですが、建てられた当時は信じられないほどに最先端をゆく建築だったわけです。大阪の都心は、まだ町家とか長屋、せいぜい二階建ての西洋館がたっているといった状況ですよね。それに対して中之島には、立派な公共施設が集まり、さらにそこに白いオフィスビルがそびえ建つようになってゆく。当時の人たちの気分になって考えてみてもらえばわかりますが、当時の人たちが「大大阪」(グレート大阪)と呼んで、自分たちの大阪を誇りに想い、世界的な都市にしたいと意気込んでいたことがわかってきます。満仲 その街を自らが創る意気込みや誇りが、時と共に薄れてしまって「大阪はダメや」と思われていたようですが、先人の心意気と誇りを、もう一度、われわれ大阪人は取り戻さないといけませんね。橋爪 その通りですよ。私は仕事がら大阪を深く掘ってゆけば行くほど、先人たちの心意気と先見の明には、心を打たれます。 水の都・大阪のシンボル「水の回廊」から、未来の大阪が見えてくる満仲 そういった先人たちのDNAを受け継ぐ現代の大阪人は、歴史や文化を基盤にしてどんな街づくりを目指しているんでしょうか。橋爪先生は、「水都大阪2009」のプロジェクトに深く関わっておられますね。橋爪 全体のグランドデザインではアドバイザーを、この夏のイベントではプロデューサーをつとめています。冬期のライトアップも含めて、さまざままプロジェクトに深く関わっています。。ところで、大阪の中心部に川でできたカタカナの「ロ」の字があることを存知でしょうか? 大阪市の中心部に位置する中之島・堂島川・土佐堀川、そして木津川・道頓堀川・東横堀川の4本の川が丁度「ロ」の字型の回廊を作っているです。世界でも珍しいでしょう。満仲 「水の回廊」という言葉はイメージが湧きますね。橋爪 この「水の回廊」を中心に水辺を活かした整備をして、まちづくり、にぎわいづくりをしてゆこうという発想ですね。特に大阪の歴史・文化の代表的なゾーンである、中之島エリアでは、中之島公園の整備工事が進んでおり、水陸の交通の要所として八軒家浜に船の発着所ができたり、福島港の開港で、その背景の「ほたるまち」ができたり、水辺を意識した民間の開発が盛んですね。水の都・大阪のシンボルといえるエリアが形成されつつあります。満仲 人間もそうですが街も水との関わりが不可欠で、かっての「水の都」を現代に蘇らせる…先人たちから引き継いだ恩恵を大事にしながら、新しい大阪を創ってゆこうとされているわけですね。具体的には、どんなことがあるんでしょうか。「2009年、水辺が変わる、大阪が変わる、水の都・大阪を体感できる52日間橋爪 「水都大阪2009」は8月22日~10月12日まで開催されます。「2009年、水辺が変わる、大阪が変わる、水の都・大阪を体感できる52日間」ということで、中之島公園などを会場に、アーティスト工房や体験型アートプログラム(ワークショップ)、灯りで会場を埋め尽くすプロジェクト、アート舟の巡航や橋梁ライトアップ、船着場での朝市、フリーマーケット、近代建築巡りの水都アート回廊、船と水辺を組み込んだ街歩き、など川と人をつなぎ、水辺の楽しさから大阪を再発見してもらうためのプログラムがあります。満仲 今年はスタートの年なのですね。橋爪 生命の源である水、人間活動の場としての川、をもう一度見直し、大阪人に誇るべき資産をもっともっと活用して、大阪を元気にしてゆこうじゃないか、ということなんです。ぜひ北摂の皆さんにも、大阪再発見のためにも参加して欲しいですね。満仲 大阪人が創ってきた貴重な遺産(ハード)に、現代の大阪人の持っている発想(ソフト)を掛け合わせたら、新しい時代の「大大阪」が見えてくる。とても魅力的な素晴らしい企画ですね。中之島が、昼も夜も賑わいの絶えない「夢と灯りのアイランド」に変わる。ワクワクしてきますね。橋爪 かって、京都から淀川を下る船の発着場として、人が集う賑わいの場所であった八軒家浜。この会場では、テクノロジーを駆使した映像と水と光の幻想的なショーや、かってのにぎわいを再現するような、朝市&リバーマーケットが開かれます。これはすごいですよ。なにしろ、季節の野菜や果物、地元や全国の特産品をどっさり乗せた船が福島港、八軒家浜へやってくるんですから、まさに大阪の魅力「食」をテーマにしたプログラムです。大阪人の心を揺さぶる仕掛けがいっぱい満仲 これはぜひ行かなくちゃ。もともと大阪は船によって運ばれる「人」「モノ」「情報」の交流で成長し発展してきた「水の都」だった、そのことを参加する人が五感で感じることができる。そんなプログラムになっているんですね。きっと大阪人の心の中にある何かを揺さぶるような予感がしますね。橋爪 「水都大阪2009」に先駆けて、7月7日七夕の日にはイベントがあります。満仲 「平成OSAKA天の川伝説」というイベントですね。これは、願いを託したLED照明の小さな玉を大川(天満橋周辺)に流して、みんなの願いがキラキラとした天の川となってゆく、大阪の新しい伝説を生みだすイベントになるようです。千年前、遙か熊野までの道のりを祈りと共にこの地からさまざまな願いを持って往来する人々に、いろんな便宜を計り、力を合わせた大阪人のDNA、その心意気が甦るような気がします。 橋爪 これからは、大阪から目が離せなくなりますよ。世界的に活躍されている建築家の安藤忠雄さんは、大阪人として、大阪をもっとよくしたい、というお気持ちから、積極的に取り組んでおられますね。造幣局の桜の通り抜けを発展させる形で、淀川から天保山まで約7.5キロに桜を植えようと呼びかけてこられ、当初目標は1万円募金を4万5千人分。「難しいだろう」と言われたのが、結局5万2千人分もの募金が集まったそうですよ。昔、大江橋や渡辺橋が市民寄付によって架けられたし、大阪中央公会堂や大阪城だって寄付で建てられたということを考えると、庶民の力で街を創ってゆく、というのが大阪人のDNAにあるんですね。このことはすごく大事で、大阪人の誇りですよ。満仲 今日お話を伺って、私もこの街にオフィスを持って関わっている大阪人として、あらためて何か自分のできることはないかを考えさせられました。自分の知らない大阪、眠っている大阪人の力、これからもぜひ掘り下げてゆきたいと思います。さらに先生の都市工学の智慧が発揮され「世界に誇れる大阪」に向かって、市民の皆さんと共に力を合わせて街を創ってゆけたら、すばらしい大阪になってゆくと思います。どうもありがとうございました。
2009.07.20
コメント(0)
江戸時代のことを探していたら「あと3年で世界は江戸になる」という本を見つけた。日下公人さんが書いた本である。(以下はその文章を引用させてもらった)「江戸時代を人類の歴史から俯瞰すると、非常に珍しく特別な時代といえる。非常にオリジナルで、かつ平和なシステムがわずか数百年前の江戸には存在していた。江戸の文明を見てみよう。文明とは食料の作り方から工業、商業、科学、宗教、教育、行政、政治まで含めた、壮大なシステムのことである。いわば共同生活の技術で、道路や鉄道などのハードに加え、制度や習慣などのソフトも備わったものである。それらは「江戸文明」とでも呼べるシステムである。当時の江戸は鎖国していたので、外的な影響はほとんどなく、日本国内だけの閉鎖したシステムであった。その文、社会変動や経済的不安を招く要素を徹底的に排除した。エントロピーが低くて非常にエコロジカルなシステムを250年もの間、機能させた。これは、今はやりのLOHAS(健康で持続可能なライフスタイル)で、LOHASとは、江戸時代の暮らしのことである。農業は米作が中心で、米を作る技術や、それを運搬して売買する流通の仕組みもできあがっていたので、江戸や大阪といった大都会が成立していた。庶民文化が栄えた文化・文政年間(1804~1829年)の江戸は、ロンドンよりも大きな都市だった。大都市では食生活や衣料が洗練され、大都市の近郊には、米以外の農産物の生産と加工、さらには衣料品などの工場ができてくる。都市生活に必要なゴの処理や自治の仕組みまで完成しており、上下水道も完備し、江戸から地方への輸送。交通・通信・商取引・金融の手段が整備されていた。道路・運河・港湾・早馬・飛脚・宿場があり、安全で衛生的だった。社会が発展し成熟する一方で、大きな内乱や戦争がまったくない状態が長く続いたのだから、文化が発展するのも当然である。江戸文化は、世界各国と比べても、非常に個性的だった。琳派、浮世絵、読み本、絵草子などの独特な成果を持っていた。すでに高度な大衆文化も成立していて、知識人は中国文化崇拝だったために大衆文化を低く見ていたが、江戸時代が終わってみれば、大衆文化こそが世界に貢献する本当の日本文化であることが明らかになった。江戸時代の町人=庶民の生活力、想像力はすごかった。日本は江戸時代に還っていく。というより、これからは世界中が「江戸に学べ」になっていくはずである」
2009.07.13
コメント(0)
その3:体の一部を失ってもすぐに修復する生きものが生命を維持するために最も大切なものは自己修復能力だといわれています。脳が高度に発達した生きものはこの能力を失うようで、その意味で人間は最低だとされています。それでも体に受けた傷は大抵治ります。トカゲなどは尻尾が切れてもすぐに生えてきますから人間よりは優れた修復能力を持っています。しかし、動物に比べると植物の修復能力は抜群です。植物の器官は葉と茎と根の三つしかありませんが、そのどこが失われてもすぐに修復します。特に草木の根や茎はたったその一片が植物体全体を再生してしまいます。ほんの一切れの根が草そのものになります。木の小枝が木自体になります。これは凄いことです。例えば、人間の器官は脳・目・肺・胃・筋肉・血管・骨などと多様ですが、そのひとつが人間の体全体を再生することはできません。人間は異なる器官を組み合わせて体をつくるからです。植物は同じ器官を繰り返し使って体づくりをします。そして、植物は一生体づくりを続けます。生まれる前の胚の段階で体が出来上がっている人間とは全く違っています。草や木は体の一部の機能が失われると、残りの部分が変化して、自動的に壊れた部分を治して全体の機能を取り戻します。茎を折られても、根を切られても元へ戻ります。挿し木や挿し芽は草や木の自己修復能力を利用した技術といわれますが、人間の技術というよりも、植物自体が持っている能力なのです。
2009.06.19
コメント(0)
「ロハス」をコンセプトに発行しているタウン情報誌「バーズアイ」6月号メイン記事の続きです。ぜひお読み下さい。アメリカから眺めていて気がかりなこと―― そのようなアメリカの変化の中で、今の日本をどうご覧になっておられますか。米谷 気がかりなことといえば、表現の自由や言論の自由が奪われようとしている。女性として気になるのは、ここ2、3年の女の自由な発言権を剥奪しようという動きが一度ならず起っています。―― 「ジェンダーフリー」という言葉も突然現れてきて、消えて行きましたが…米谷 「ジェンダーフリー」というのは性の平等とか差別がない、という意味なんですが、日本では危険な言葉だと思われていて、例えば生涯教育のための上野千鶴子東京大学大学院教授の講演会を彼女が「ジェンダーフリー」という言葉を使うかもしれないということで中止しました。―― 内容も聞かずに危険だ、と決め付けられては困りますね。米谷 その方がよっぽど危険なんです。言論、表現の自由を保障している憲法に違反しています。そのすぐあと、ジェンダーフリーや男女同権について書いてある本が図書館の棚から動かされたことを聞きました。―― 急に「ジェンダーフリー」という言葉が消えたのでおかしいなぁ、と思ったのですが…。米谷 権力者の方針にそぐわない本を焼いたナチスや権力者が嫌いな部分を黒く塗りつぶした日本の軍国時代と大して変わりません。言論の自由がなかった戦時中に育った私は大変心配しています。―― 内容を自分で判断する力は、今の私たちにはあると思いますが。米谷 そうですよ。私が子どもだった頃のように、「女はだまっとれ」と言われて、女の権利を抑えつけることは軍国主義の始まりなんです。戦時中は政府を批判することは公に出来なかったし、街角で警官や憲兵に聞かれようものなら、すぐさま「ちょっと来い」と言って警察に引っ張って行かれました。社会全体が「だまっとれ!」と言われていたようなものです。―― そんな時代に戻りたくないですね。米谷 これは女性だけの問題ではなく、しっかりしないと男の人も丸坊主にされて鉄砲を担ぐことになる、ということを知って欲しいと思います。―― 米谷さんがアメリカに住むようになったいきさつと、今なさっている活動をお話下さい。米谷 終戦後、美術学校に行かせてもらえなかった私は、大学に通いながら個人の先生について絵の勉強に専念し、二科展に入選したりしていました。そして、自由だと聞くアメリカに行きたいと思い100通ほどの手紙を書いて、やっと奨学金を貰い、ニューハンプシャー州にある芸術村マックドウェル・コロニーに行くことが出来ました。―― すごい努力ですねぇ!
2009.06.17
コメント(0)
動物は生きるために必要な物質を自前でつくることができません。ですから、他の動植物を食べることで生きるための物質を得ます。そして、動物は植物が放出する酸素をもらって生きています。植物はエネルギー源となる物質を自前でつくります。その基本は太陽の光エネルギーを使って生きるという動かない知恵としての生き方です。これが光合成といわれます。光合成というのは、葉緑体で太陽の光エネルギーを電気エネルギーと化学エネルギーに変換して、空気中の二酸化炭素と水から炭水化物を合成する炭酸同化作用です。糖は炭水化物です。でんぷんは糖がたくさんつながったものです。水が分解される過程で酸素が発生し、二酸化炭素が固定されて炭水化物になるわけです。人間が一回の呼吸で吸う息は500ml、そこには酸素が100ml含まれています。吐く息に含まれる酸素は75mlで、吐くたびに25mlの酸素が減ります。こんなデータから3,000年で地球上の酸素はなくなるというSF小説がありました。しかし、まだ地球上には酸素があります。植物が酸素を供給し続けているからです。人間は1分間に15回呼吸をするのだそうですが、先のデータを使って計算すると1時間で22,500ml、重量で32gの酸素を吸います。この酸素を賄うためには10cm四方のトウモロコシの葉が700枚必要だそうです。植物の光合成と動物の呼吸が釣り合うためには莫大な葉がなければならないという、、、、、、詳しくフリーページにも記載しました。
2009.06.12
コメント(0)
「ロハス」をコンセプトに発行しているタウン情報誌「バーズアイ」6月号メイン記事です。ぜひお読み下さい。二科展に入選するなど、日本で画家として活躍されていた米谷ふみ子さんは、1960年渡米。作家のジョシュ・グリーンフェルドさんと結婚。2児の母となられました。その後、作家への道を拓き、1985年「過越しの祭」によって、第94回芥川賞を受賞。、辛口の語り口によって「けったいなアメリカ人」(集英社)「ええ加減にしなはれアメリカはん」など次々に作品を発表。今回、歯に衣着せない、米谷さんの面目躍如たる「年寄りはだまっとれ!?」(岩波書店)を発刊され、そのPRプロモーションのために来日されました。4月23日来阪された米谷さんに、日本人としての五感で捉えたアメリカ観・人生観をお聞きしました。米谷さんは、大阪市桃谷にある「夕陽丘高等女学校」に通学途中、アメリカ軍の空襲に合い、戦争の恐ろしさを骨の髄まで何度となく体験されました。そして、戦時中の身をもって味わったことが今回の著作のタイトルになっています。また、広島・長崎に落とされた原爆の悔しさを実感している数少ない世代の日本人として、原爆を讃美する国アメリカで、数々の困難と戦いながら、原爆の危険性を一人でも多くのアメリカ国民に伝えたい、と原爆イベントを開催されています。
2009.06.11
コメント(0)
野草の天ぷらについて(2)例えば、茎の高さが足りなくてほかの植物の陰になって太陽光が充分でない場合は、早目に花を咲かせて種を飛ばし、将来に備えてもっと自然のいい場所を狙います。葉には、様々な形や大きさがありますが、葉の形と大きさは近くにあるほかの植物との太陽光の奪い合い競争や自然条件や遺伝子によって決まります。例えば流水を頻繁にかぶる水辺の植物は、その心配の無い陸地の植物に比べて葉が細くなっています。これは水の抵抗を排除するためです。ほかにも葉と虫との協力関係などもあります。ある種類のアカシアに巣を作るアリは、葉を食べに来る動物を集団で攻撃して排除します。根は水分と養分を吸い上げますが、根は水分を追って水分のあるところまで深く伸びます。そして根には株を支えるという重要な役割もあります。そのために根は枝が伸びている先端まで延びます。バーズアイ6月号にあのお笑い芸人のカンニング竹山、初主演映画のチケットプレゼントをおこなっております。締切り間近なようなので、ご覧ください。また『ローマの休日』でお馴染みのオードリヘップバーンがTOP表紙を飾ってます。ぜひ、お立ち寄りください。
2009.06.02
コメント(0)
野草の天ぷらについて。。1・芽生えた場所の自然に適応した体を作る 動物は生きるために自分に合う自然条件を選んで移動します。 野草や木などの植物は芽生えた場所を動けません。芽生えたその場所自然に適応するしか生きる術がありません。こんな言い方をすると、動物は積極的な生き方をしており、植物は消極的な生き方をしているように聞こえますが、植物の生き方は決して消極的ではありません。 とてもしたたかで、たくましい生き方をしています。 むしろ動かないと言う生き方の知恵を豊富に持っています。それを、これから見ていくことにしたいと思います。野草も木も植物の体は、茎と葉と根という三つの器官からできています。花もありますがこれは葉が変形したものです。 茎は根と葉の間で水分や養分のやりとりをして、葉の足場になりますが、葉に太陽の光をあてるという役割があります。そのためには、ほかの植物との太陽光の取り合い競争に勝たねばなりません。 ※植物と動物の共存共栄?になるのでしょうか?大阪の里山で見つけたものです。こちらから詳細がご覧になれます。クリックでジャンプします。
2009.05.31
コメント(0)
天ぷらの極意とは・・・のパート2です。【極意4】 油の量は少なめにして使い切る。油量は素材の厚みの3倍くらい。加熱すると酸化するので一回で使い切る。再使用しても油に粘りがでてカラッと揚がらない。廃油は燃料やローソク、石鹸として再利用できる。捨てるなら凝固剤で固めるか、新聞紙などに吸収させる。【極意5】天ぷらの油温は160~170℃、一定を保つ。温度が下がると油を吸い、脂っこくなるので注意!素材は油の表面積の半分か1/3くらい入れる。たくさん入れると油の温度が下がる。温度の目安・・・衣を鍋の中央に落とし、下まで沈みゆっくりと浮く→160℃。中程まで沈みスッと浮く→170℃少し沈みすぐ浮く→180℃表面に散る→200℃【極意6】揚げすぎない。衣の水分が蒸発すると泡がでる。衣が油を吸収すると止まる。泡が止まったときが揚げ時。衣は素材を高温から守る。衣から出る水蒸気によって素材に少しずつ火を通す。揚げることで食べにくい灰汁を除くが、灰汁は生命力なので揚げすぎない。素材の味を、味わえるようにする。↓この『ふきのとう』も天ぷらにすると以外と美味です。苦味が春を感じる食材ですね。 こちらから詳細がご覧になれます。クリックでジャンプします。
2009.05.28
コメント(1)
1・天ぷらの極意極意・1衣は天ぷら粉をビールで粗く溶く。水ではなくビールで溶くとカラッと揚がり時間が経ってもパリッとしてます。極意・2衣はかき混ぜて練らない。太い菜ばしで線を引くようにし粉玉を残す。練ると粘り(グルテン)が出てカラッと揚がりません。粘りを出さないためにビール・天ぷら粉・ボールなどを予め冷やしておく。衣は薄力粉でもいいです。極意・3衣は裏につけ、つけた方から油に入れます。(野草・野菜・しいたけなど)魚類は小麦粉やコーンスターチンをまぶしてから衣をつけます。水分を吸い、万遍なく衣がつきます。皮目に厚くつけ、身のほうをボールの縁でこすります。素材の姿がわかるようにする。衣に、青のりや、刻んだ青しそ、砕いた春雨やソーメンを入れると美味になります。5月の無料プレゼントが掲載されました。まだ間に合うと思います。クリックでジャンプします。
2009.05.25
コメント(0)
長い低迷の政治がもうすぐ始まる総選挙で、決着がつくことを願うばかりである。もう、われわれ国民はせっぱつまって、選挙を待ち構えている。アメリカのブッシュ大統領が8年間つづいて、アメリカがズタズタになったが、ようやくそれに気づいた70%のアメリカ人が、オバマを選んだ。それまでGDPの60%を軍事費につぎ込んで戦争に突き進むことを許してしまったことが、自分たちであった、という思いから、政治を自分たちのものに取りもどしたい、という思いに変わったことが大きかったんではないだろうか。つまり国民一人ひとりがチェンジしたのだ。われわれ日本も、ブッシュの考えに同調した小泉首相によって、8年間の間にとことん国をだめにした、それを許したのはわれわれだったと言える。だから、こんどこそ、政治を自分たちの手に取り戻したい。その第一歩として、まじかに迫った総選挙に、自分の石(意思)を投げ入れることが、一番重要である。ここで、ちょっとネットの世界の情報を紹介したい。ネットの世界で、今何が起きているか。それは、この8年間で国をだめにした自公政権を辞めさせる、草の根運動である。今の与党の議員を今度の選挙で落とすために選挙に行こう!という呼びかけが、何十万人の人たちによって広げられている。ここで、ひっかるのは、民主党がいい、という話ではない。民主党に政権交代させて、これまで国民をだまして、自分たちの思いなのままにやってきて、汗水たらしてはたらいて働いて世界で2番目の経済大国にまで押し上げてきた国民を、貧乏のどん底の突き落とすような政治をやってきた政治家や官僚の犯罪的ともいえる行為を暴いてもらいたい、という切なる願いがこめられているという。国民一人ひとりは、政治家が何をしようとも、それをだまって受け入れてくるしかなかった。だけど、今度の選挙は、その政治家の腐敗を断窮できるチャンスがやってきた。民主党には高邁なヴィジョンなどは期待しないで、ただその悪を抉り出してくれればいい。それが民主党の役目なのだ。その大掃除が終わらないと、次代の志ある政治家がでてきて、日本を再生することはできない。そういったことをまともに議論できるのはネットしかないのが実情なのだ。あなたは、どう思いますか?(つづく)
2009.05.15
コメント(2)
栄養になる野草哲学『野草天ぷら』 著書/佐藤眞生(抜粋) 出版/バーズアイ前回の続きです。(ハンドブック/ガイド的には1冊あれば約にたちます)野草の摘み方(2) 私有地から摘みたい場合には許可をもらうこと。私有の土地や山から無断で摘みません。私有地は、持ち主が野草の管理をし、採取の計画を持っていることが多いです。公園や公有地でさえ採取していいかどうか確かめます。自生しているのだからと勝手に摘むことはできません。採取する場所を荒らさないこと。踏みつけたり、折ったり、ゴミを散らかさないように取る前よりもいい状態になるように気配りをします。野草のある場所では用便をしないこと。野山で、どうしても用便が必要な場合には、小なら水流や野草のない場所で、大なら土を掘って埋めるようにします。バーズアイでは5月の無料プレゼントが掲載されております。4月度の結果発表はおわりました。詳しくはバーズアイWEBサイトをご覧ください。
2009.05.15
コメント(0)
◆◆『無料で広告』ができます。ロハスな生活を中心にブログを書いてます◆◆ 野草は自然界で自生しています。栽培している野菜と違い、摘み方を間違うと絶滅する危険があります。いつでも誰もが使えるようにするには摘み方の掟を守らなければなりません。根こそぎ摘まないと。食用にするところは殆んどが新芽や花や茎です。旬のその部位だけを摘みます。根を使う場合には10株あったら2株までにします。これが自然採取をして、1万年以上の文化を継続させた縄文人の掟でした。若すぎる目は残すこと。まだ新芽になりきってない芽は次に利用する人のために残します。縄文人は狩猟においてさえ、雌や子供は逃がしました。伸びきった野草は摘まないこと。旬を越えた伸びきった野草は灰汁が強くなっています。あるいは固くなっています。そのままにしておけば次なる生命を育みます。必用以上に摘まないこと。野草天ぷらの場合、一つの種類を一人当たり3~4本くらいにしてます。それ以上は摘まないこと。取りすぎると捨てることになります。そして野草の循環を断ち切ることにもつながります。 5月の無料プレゼントが掲載されました。まだ間に合うと思います。クリックでジャンプします。
2009.05.13
コメント(0)
・、なぜ、野草か?世の中は葉を中心にまわっているといわれます。よく見ると「葉」という字は「草」と「木」の間に「世」と書きます。野草をはじめ植物は、根から水を、葉から二酸化炭素と太陽光をとりいれ、葉緑体で光合成を行ってエネルギー源のでんぷんをつくり、酸素を放出します。植物の生命活動で葉が出す酸素は産業廃棄物のようなものです。しかし、自前で生きるためのエネルギーをつくれない動物は、この酸素がなければ生きることができません。人間も植物によって生かされているわけです。植物は生産者、動物は消費者、動物が死ぬとバクテリアが遺体を分解して土に戻します。その土が植物の糧となります。生態系の基本がここにあります。この生態系の循環を断ち切ってはいけないことがよくわかります。自然破壊というのは生態系の循環を断ち切ることなのです。野草には人間がつくる野菜に比べてたくましい生命力があります。野草を食べると人間は強くなります。それに野草は自生していますから根絶やしにしない限り、何年でも食べ続けることができます。少しは自給自足の真似事ができます。どんな野草を、どのように食べるかを知っていれば食糧危機に襲われても少しは安心できます。日本の食糧自給率は穀物ベースで30%以下ですから、いつ食糧危機がやってきても不思議ではありません。かつての山村には経済破綻した家族が「山上がり」の宣言をして山に入る仕組がありました。山上がりする家族は、誰の山へ入ってもいい、誰の木を伐ってもいい、そして村の人々はこの家族に充分な味噌を持たせるというものでした。山上がりする家族の男たちは都会へ出てお金を稼ぎます。大体一年で借金を返して村へ戻ったといいます。これは村という共同体の助け合いなのですが、山に食材があり、それを使いこなす知恵があったからこそできたことです。野草を食べるということは、生態系・自然維持・食のありよう・食糧危機への対応・共同体・経済などの問題に根底でつながります。
2009.05.04
コメント(158)
4月30日 江戸時代の生活はロハスだった。たくさんの訪問アクセスとコメントありがとうございました。コメントの返信ができておりませんが追ってみなさまに返信を書きますね。江戸時代の生活・・・・情報収集のため今回の掲載はお休み!・・・(すみません)今日の書き込みはフリーページを担当しております。「コケッコッコCAP」です。初めての メイン担当で緊張気味・・・ 『はじめに』子供は大人への準備期間ではなく、特別な期間だといった人がいます。子供時代の原体験が人生を決めるからなのでしょう。朝鮮で生まれ5歳の頃父から山登りと魚の手づかみ、そして山菜の食べ方を教わりました。新潟へ引揚げ、高校では山岳部。鉄砲水で遭難、先輩の凍死に遭遇。それでも山と渓流はその後の人生で家族とともに生活に組み込まれてきました。家族揃って正月を雪山で過ごし、渓流釣りをし、山菜を摘む生活を毎年続ける中で自然の変貌に気づきはじめました。下流にダムができると、上流には砂防堰堤がたくさんつくられます。ダム湖に土砂がたまらないように水が堰きとめられ、渓流漁は降海できなくなります。生態系は分断され崩れます。林道工事が行われると、山側は土留めをしますが谷側はしませんので、雪解けの春や台風の後に土砂が谷へ流れ落ちます。谷が埋まって水が死んでしまいます。日本の山は1957(昭和32)年に始まった拡大造林政策によって、薪炭が時代遅れになったという理由で雑木林が伐り払われ、日本の全山林面積の40%(1000万ヘクタール)に杉と檜が植えられました。これが1964(昭和39)年の外材輸入自由化以降放置されました。外材が安くなったからです。杉も檜も保水力が弱く根が浅いので、大雨が降ると水は地下に浸透せずに谷に直接流れ込み濁流になります。谷はドブ川になってしまいます。また、杉や檜だけの林は自力で繁殖できませんから花粉を異常に飛ばします。花粉症の原因はこれです。このような自然破壊の元凶は何かを自問する内、どうも経済が貨幣経済だけになったからではないかと考えるようになりました。1965(昭和40)年を境に、若者が都会へ出てサラリーマンになり、農山村の地域共同体が機能しなくなりました。自給自足も助け合いも消えて、むきだしの個人が金ですべてを解決するようになったのです。私は自分の原体験から、新しい共同体を模索し、自給自足や助け合いを再構築する役割使命を痛感するようになりました。町内自治会が生活共同体になるように働きかけ、里山を管理する方式の市民農園モデルを実験し、自らは野菜だけでも自給自足できる耕作を行い、市民グループの緩やかな連帯組織づくりにも取り組みました。野草てんぷらもその流れから出てきた活動です。野草てんぷらの実演はもう10年は続けています。そして、これらの背景にあるのは1万年以上にわたって自然採取の生活をしながら定住していた"縄文人の魂"であり、それは植物の"動かない生き方"ではないかと思っています。このような毎日の生活の中から、折に触れ、感じたことを纏めて、 2008年7月栄養になる野草哲学「野草てんぷら」と題して出版いたしました。この度、BLOGに公開たしますので、皆様のご感想をお聞かせください。食べられる野草の紹介はフリーページを見てね。
2009.04.30
コメント(4)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます。 広告するならバーズアイです。SEO対策・検索上位にくるまで責任構築・無料で始めるショッピングカートにモバイルまで連動!自動返信メールにアクセス解析もついて無料で始めれます 。★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** 今日Iさんと久しぶりにランチミーティング、話は「家庭菜園」を手掛ける話から世界情勢まで、いろんな話がでてきて、刺激を受ける。「日本はなぜこうも情けない国になってしまったのか」最後は愚痴がでてくる。Iさんは言う「もともと日本人は縄文時代を見てもわかるように、農耕民族だから、一つのところに住みついて土を耕して米や野菜をつくって、自然とともに生活してきた民族だから、欧米の狩猟文化を取り入れても、DNAに合わないんだよな。ステーキや洋式の生活スタイルは、どこか違和感があってなじめない。体がもともと受け付けないものを入れていれば、病気にもあるし、ココロも無理がくる。戦国時代に武士は、梅干入りのおにぎりと少しの塩で戦ってもへこたれなかった。やっぱり、もともとの日本人にもだらなあかんのや」「なるほど、狩猟民族に侵食されてたわけか、ほんとの日本人の生き方は農耕スタイルなんやな」「そうなんや、ビジネスも農耕マーケティングでいかなくちゃ。狩猟マーケティングの洗脳をもうそろそろ解かなくちゃ」「よーし、もっと縄文時代までさかのぼって情報を集めないといかん」2人ともスパゲッティを食べているフォークを置いた。
2009.04.18
コメント(22)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** 太陽の恵みを植物に蓄え、食糧や燃料、照明に、生活用品に利用し、最後は土に戻っていく。何百年でも繰り返せるリサイクルシステムで江戸の社会は成り立っていた。江戸の食料は近郊で採れる米(大阪からも運ばれた)、野菜、川や海の魚介類が主であった。当時どんなおかずを食べていたか、記録によると人気のあった順に、野菜の部 八杯豆腐、昆布と油揚げの煮物、きんぴらごぼう、煮豆、焼き豆腐のすまし汁、ひじきの白和え、切干大根の煮つけ、芋がらと油揚げの煮つけ、油揚げの醤油焼き、小松菜のお浸し、魚貝の部 いわしのめざし、貝のむき身と切干大根の煮物、芝えびのからいり、まぐろの味噌汁、コハダと大根、たたみいわし、いわしの塩焼き、まぐろの薄切り、かつおの塩漬け、ニシンの塩漬け、江戸時代の中期には外食産業が花盛りとなった、鰻の蒲焼、にぎり鮨、てんぷら、そば、おでん、どじょう鍋などである。農家は藁や落葉と下肥から堆肥をつくり、作物の肥料にして収穫を増やした。出来た作物は江戸で食され、再び下肥になるというリサイクルが二百数十年間行われた。こうして見てゆくと、われわれ日本人は、生活の智慧として持続可能な社会を創ってきたことがよくわかる。何も、江戸時代の戻ろう、という話ではない。21世紀のこの危機のときだからこそ、もういちど日本人がもっていた、自然や生き物を大切にする精神を、もういちど蘇らせて現代社会を再生しゅてゆかなければならない。おれを「ロハス」で再生してゆこう、という提言をしているのが、今月号にメイン記事(3~4ページ)の紹介である。大いに参考にしたいものだ。
2009.04.04
コメント(0)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** ●千里セルシーシアター招待券プレゼント!見逃したあの名作・話題作はセルシーシアターでチェック!千里中央駅南出口から30秒。2組4名様にプレゼント!春はこれです。話題の名作が間近で鑑賞! こだわり通販ならバーズアイ09年4月号・懸賞応募プレゼント!会員登録で無料であたる懸賞サイト運営のこだわり通販ならバーズアイ! 会員登録で会員限定の ■無料で当たるプレゼント情報■(メルマガ)が届きます。◆当選発表:当WEBサイトで発表いたします!お見逃しなく! 『懸賞プレゼント応募』はTOPページ左側のコミュニュティからでもご応募できます。応募締切りは平成21年4月24日迄・・・当選発表はWEBで公開!※当選者は当選メールと当WEBサイトで発表させていただきます。 誌面よりハガキFAXでのご応募のかたは商品の発送をもって当選に変えさせていただきます。応募要領や諸条件を良く読みご応募ください。 ■こだわり情報誌・こだわり通販ならバーズアイ■ 運営会社の有限会社エイジー
2009.04.04
コメント(0)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** ●大阪日本民芸館「茶と美」招待券をプレゼント!〈柳宗悦・茶を想う〉と題する春季特別展。2組4名様にプレゼント! ◆当選発表:当WEBサイトで発表いたします!お見逃しなく! こだわり通販ならバーズアイ09年4月号・懸賞応募プレゼント!会員登録で無料であたる懸賞サイト運営のこだわり通販ならバーズアイ! 会員登録で会員限定の■無料で当たるプレゼント情報■(メルマガ)が届きます。『懸賞プレゼント応募』はTOPページ左側のコミュニュティからでもご応募できます。応募締切りは平成21年4月24日迄・・・当選発表は4月26日! ※注意:モバイルでの応募は懸賞ページからご応募ください。 ※当選者は当選メールと当WEBサイトで発表させていただきます。 誌面よりハガキFAXでのご応募のかたは商品の発送をもって当選に変えさせていただきます。 応募要領や諸条件を良く読みご応募ください。 ■こだわり情報誌・こだわり通販ならバーズアイ■ 運営会社の有限会社エイジー
2009.04.04
コメント(0)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** ●披見【初公開】松坂屋京都染織参考館の名品「小袖」大阪市立美術館招待券プレゼント!四季の移ろいを大切にする日本人の感性が豊かに独創的に表現されています。5組10名様にプレゼント中!◆当選発表:当WEBサイトで発表いたします!お見逃しなく!こだわり通販ならバーズアイ09年4月号・懸賞応募プレゼント!会員登録で無料であたる懸賞サイト運営のこだわり通販ならバーズアイ! 会員登録で会員限定の■無料で当たるプレゼント情報■(メルマガ)が届きます。『懸賞プレゼント応募』はTOPページ左側のコミュニュティからでもご応募できます。応募締切りは平成21年4月24日迄・・・当選発表は4月26日! ※注意:モバイルでの応募は懸賞ページからご応募ください。※当選者は当選メールと当WEBサイトで発表させていただきます。 誌面よりハガキFAXでのご応募のかたは商品の発送をもって当選に変えさせていただきます。応募要領や諸条件を良く読みご応募ください。 ■こだわり情報誌・こだわり通販ならバーズアイ■ 運営会社の有限会社エイジー
2009.04.04
コメント(0)
■こだわり情報・懸賞プレゼント・こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり情報・こだわり通販ならバーズアイが提供しております*** ●「ピカピカ手間いらず」忙しい主婦にピッタリの商品です!台所にポンと置くだけで嫌な臭いやヌルヌルがなくなり、いつもピカピカ清潔です。今回のプレゼントはド~ンと1個を10名様にプレゼントです! こだわり通販ならバーズアイ09年4月号・懸賞応募プレゼント!会員登録で無料であたる懸賞サイト運営のこだわり通販ならバーズアイ! ★会員登録で会員限定の無料で当たるプレゼント情報(メルマガ)が届きます。◆当選発表:当WEBサイトで発表いたします!お見逃しなく! 『懸賞プレゼント応募』はTOPページ左側のコミュニュティからでもご応募できます。応募締切りは平成21年4月24日迄・・・当選発表は4月26日!※注意:モバイルでの応募は懸賞ページからご応募ください。 ■こだわり情報誌・こだわり通販ならバーズアイ■ 運営会社の有限会社エイジー
2009.04.04
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年4月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり通販ならバーズアイが提供しております***
2009.04.01
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************先月号では、ソ連の崩壊によって、国家的存亡の危機に遭遇したキューバが、石油も肥料も食料も絶たれた中で、有機野菜の自給自足によって国民が共産主義国家への依存から自立の道を歩んで、環境・教育・医療の問題まで国民の力と智慧で持続可能な社会に再生していったという記事を掲載した。そして、それはこれから訪れる世界や日本が模索してゆくモデルになるかも知れないということだった。今月は、日本の江戸時代にも持続可能な社会を営んでいた、「ロハスな生活」のモデルを探ってみたい。(以下は、www.eco-g-co.jp の「江戸時代の生活」から引用させてもらった)江戸はソーラー都市だった。江戸は太陽のエネルギーを様々な形に変え、その恩恵を最大限に受け、化石燃料に頼らないソーラー都市だった。生活に必要な燃料は武蔵野に広がるクヌギ、コナラなどの雑木林から採れる薪や木炭が使われた。江戸時代には九州ですでに石炭が掘られ、新潟でも石油や天然ガスが採掘され,燃料や照明として使われていましたが、江戸の市民生活はもっぱら、薪と木炭、それに木炭の粉をふのりや海草で固めた豆炭を、煮炊き、火鉢やこたつによる暖房に使っていた。 現代の枯渇寸前の化石燃料と違い、太陽エネルギーを20年~30年蓄えては使うことで、長期に継続可能なエネルギーシステムとなった。明かりはアブラナから採ったナタネ油が使われ、石油が使われるようになるのは明治になってから1880年以降。太陽エネルギーを1年間アブラナに蓄えて明かりに使うソーラー照明である。綿、木綿、絹などの衣類も植物や蚕を利用した1年物のソーラー利用資源だった。今なら大部分がプラスチックで出来ている生活用品の素材も、1年間太陽エネルギーを蓄えて出来る、藁、竹、萱、和紙など。特に藁は米と同じくらいの量が採れるから、国民1人当たり150kg位が使えたので最大の生活用品の素材であった。今、ヒートアイランド現象対策のひとつとして、屋上緑化が少しづつなされている。実は江戸は世界一緑豊かな都市だったので(最近の研究で、面積の半分以上が農地や緑地だったらしい。) 樹齢200年のブナは8トンの保水力があると言われています。ブナに限らず、他の植木でもたっぷり水を蓄え、雰囲気の温度調整をし、光合成により空気をきれいにする。 奈良時代以降の自然破壊のツケで17世紀の中頃までに日本の原生林はほとんど無くなってしまい、今と同じように 森林は荒廃した。樹木の無くなった山からは土壌が流れ出し、少し大雨が降ると洪水が起き、降らないと川が干上がってしまう、水質は悪くなるし、川や沿岸からは魚介類が減ってしまった。江戸幕府は全国に造林を推奨した。造林された広葉樹の森では枯葉、昆虫、鳥、ミミズ、バクテリアなどが肥沃な土壌を作った。 水辺リにも積極的に森林を造林した。そうすると魚が多く獲れるらしい。こうした森林と土壌と川や沿岸の魚貝類の成育との関係は寺子屋でも教えたらしく、教材が残っている。森林を守ることが、日常生活に必要な「読み書きそろばん」と同じく重要視されていたのは、特筆すべきことだ。天照大神の神話を持ち出すまでも無く、太陽エネルギーが全てであった。自然科学の知識が今より劣っていたと思われる江戸時代の方が、はるかに理想に近いエコロジー社会だったと言うのは、大いに参考にすべきだ。(つづく)
2009.03.29
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************先月号では、ソ連の崩壊によって、国家的存亡の危機に遭遇したキューバが、石油も肥料も食料も絶たれた中で、有機野菜の自給自足によって国民が共産主義国家への依存から自立の道を歩んで、環境・教育・医療の問題まで国民の力と智慧で持続可能な社会に再生していったという記事を掲載した。そして、それはこれから訪れる世界や日本が模索してゆくモデルになるかも知れないということだった。今月は、日本の江戸時代にも持続可能な社会を営んでいた、「ロハスな生活」のモデルを探ってみたい。(以下は、www.eco-g-co.jp の「江戸時代の生活」から引用させてもらった)江戸時代には、現代の膨大なゴミを排出する生活とは遠く遠くかけ離れた生活があった。そこにあったのは、モノを繰り返し大切に使い資源を生かす人々の習慣だったという。江戸には当時世界一がいくつもあった。人口は西暦1800年120万人が暮らす世界一の大都市だった。当時第2位のロンドンが90万人、3位のパリが60万人、ニューヨークにいたってはまだ6万人だった。(日本全体では1600年1227万人、1720年3128万人でそれ以降1873年3330万人までほとんど増減なしだった。)水道設備も世界一だった。時代劇でよく見る長屋の井戸は地下の木管の中を流れる水を、木管に開いた穴からくみあげる井戸だった。神田川、井の頭池、玉川などを水源に高低差を利用して木管の中を川のように流していた。使われず川に落ちる水は船で受け取って、水の便の悪い地域に運んで再利用した。当時の江戸の60%の人がこれで生活していた。1年中1日中使えるこの水道設備は当時世界に無いものだった。唯一ロンドンにも水道設備はあったが、週3日、1日7時間給水だった。世界一清潔な大都市だった。ロンドン、パリでは「おまる」にとった排泄物を道路に投げ捨てていた。それを下水にはき寄せて川に流していたようで、道路は至る所汚物だらけ、テームズ川もセーヌ川も異臭を放つ猛烈などぶ川だったようだ。(明治の初め頃まで隅田川の屋形船では船から川の水を汲んでお湯を沸かしたと言う記述がある。)江戸では、排泄物は便所から汲み取られ堆肥の材料として、高額で取り引きされるほど大切にされていた。したがって、道路を汚すことは少なかった様で、下水に流したものは洗濯の水と、米のとぎ汁であるが、ほとんどが川に流れ込む前に大地にしみ込んでしまったとある。洗濯はと言うと、石鹸は高価で使われず、灰やムクロジなど環境に良いものが使われていた。しかも洗濯や炊事に使った水は、拭き掃除に使い、最後は畑や植木にやったり、打ち水するなど徹底的に使いまわす事が多かったので、量も現代よりはるかに少なかった。ロンドンやパリを知る外人は江戸の街の清潔さ、よく入浴し、粗末だがよく洗濯された着物を着る江戸の人たちの清潔さに驚嘆したという。寺子屋による初等教育の就学率の高さは、当時群を抜いて世界一だった。1850年頃の江戸の就学率は農村部まで入れても70~85%と推定されている。それに比べ1837年ころイギリスの大工業都市で、20~25%。革命後のフランスでは1793年に初等教育を義務化したが、10~16才の就学率は1.4%だった。ロシアでは1920年でも20%だった。しかも、幕府には文部省の様な部署は無く、お上の計画にのっとって作られたと言うよりは、庶民の間で自然に出来ていったシステムと思われる。現代のような画一的な教育ではなく、独りずつのレベルに合わせた理想的な個人指導だった。さらに驚くべきことに、100万を超えるこの大都市に、現在の警察官にあたる与力、同心は24人しかいなかった。現代社会が随所でシステム障害を起こしている今、こんな素晴らしいシステムが二百数十年間も続いた。
2009.03.27
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************大阪市内から、わずか30分ほどで、箕面森町の里山管理小屋に着く。
2009.03.19
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★****************************************************************************2009年3月17日ブログを開設いたしました。懸賞応募・プレゼント情報などを主に扱ってます。
2009.03.17
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★2009年3月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり通販ならバーズアイが提供しております***
2009.03.03
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★2009年2月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり通販ならバーズアイが提供しております***
2009.03.02
コメント(0)
■こだわり通販ならバーズアイ■★★★★★無料でもらえる懸賞プレゼント情報などお得な内容がもりだくさん! 会員登録(無料)であなたの町のステキなプレゼント情報がとどきます★★★★★2009年1月号表紙・無料懸賞プレゼント情報など上記リンクページでご覧になれます。 ***こだわり通販ならバーズアイが提供しております***
2009.03.01
コメント(0)
全46件 (46件中 1-46件目)
1