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4月30日 江戸時代の生活はロハスだった。たくさんの訪問アクセスとコメントありがとうございました。コメントの返信ができておりませんが追ってみなさまに返信を書きますね。
江戸時代の生活・・・・情報収集のため今回の掲載はお休み!・・・(すみません)
今日の書き込みはフリーページを担当しております。「コケッコッコCAP」です。初めての
メイン担当で緊張気味・・・
『はじめに』
子供は大人への準備期間ではなく、特別な期間だといった人がいます。子供時代の原体験が人生を決めるからなのでしょう。
朝鮮で生まれ5歳の頃父から山登りと魚の手づかみ、そして山菜の食べ方を教わりました。新潟へ引揚げ、高校では山岳部。鉄砲水で遭難、先輩の凍死に遭遇。それでも山と渓流はその後の人生で家族とともに生活に組み込まれてきました。
家族揃って正月を雪山で過ごし、渓流釣りをし、山菜を摘む生活を毎年続ける中で自然の変貌に気づきはじめました。
下流にダムができると、上流には砂防堰堤がたくさんつくられます。ダム湖に土砂がたまらないように水が堰きとめられ、渓流漁は降海できなくなります。生態系は分断され崩れます。
林道工事が行われると、山側は土留めをしますが谷側はしませんので、雪解けの春や台風の後に土砂が谷へ流れ落ちます。谷が埋まって水が死んでしまいます。
日本の山は1957(昭和32)年に始まった拡大造林政策によって、薪炭が時代遅れになったという理由で雑木林が伐り払われ、日本の全山林面積の40%(1000万ヘクタール)に杉と檜が植えられました。これが1964(昭和39)年の外材輸入自由化以降放置されました。外材が安くなったからです。杉も檜も保水力が弱く根が浅いので、大雨が降ると水は地下に浸透せずに谷に直接流れ込み濁流になります。谷はドブ川になってしまいます。また、杉や檜だけの林は自力で繁殖できませんから花粉を異常に飛ばします。花粉症の原因はこれです。
このような自然破壊の元凶は何かを自問する内、どうも経済が貨幣経済だけになったからではないかと考えるようになりました。1965(昭和40)年を境に、若者が都会へ出てサラリーマンになり、農山村の地域共同体が機能しなくなりました。自給自足も助け合いも消えて、むきだしの個人が金ですべてを解決するようになったのです。
私は自分の原体験から、新しい共同体を模索し、自給自足や助け合いを再構築する役割使命を痛感するようになりました。町内自治会が生活共同体になるように働きかけ、里山を管理する方式の市民農園モデルを実験し、自らは野菜だけでも自給自足できる耕作を行い、市民グループの緩やかな連帯組織づくりにも取り組みました。野草てんぷらもその流れから出てきた活動です。野草てんぷらの実演はもう10年は続けています。
そして、これらの背景にあるのは1万年以上にわたって自然採取の生活をしながら定住していた"縄文人の魂"であり、それは植物の"動かない生き方"ではないかと思っています。
このような毎日の生活の中から、折に触れ、感じたことを纏めて、 2008年7月栄養にな
る野草哲学「野草てんぷら」と題して出版いたしました。
この度、BLOGに公開たしますので、皆様のご感想をお聞かせください。
食べられる野草の紹介はフリーページを見てね。
野草の天ぷらについて(2) 2009.06.02
野草の摘み方(2) 2009.05.15